ゼミ誌  SUNAO#11

 

 

 

 

 

巻頭言

ゼミ誌の10号がでました。11期生の松下和也君の苦心の作です。 今年の新ゼミ生は12期生になります。完全に一つのサイクルが終わろうとしています。

 私は、来年からはメインは法科大学院の方になり、普段いるのは水道橋ではなく、お茶の水ということになります。その意味でも、今年は一つの時代の終わりです。

 例によって、ハードコピー版のゼミ誌とは別に、インターネット版のゼミ誌をここに刊行します。 特別サービスとして、私のコメントがつけてあるのもいつもの一緒です。御笑読ください。

矢印をクリックすれば、それぞれの随筆に飛びます。

 

 

目 次

 

 

 

 

 甲斐 素直

法科大学院と法学部の将来

 

 

 

 

 

 

 

4年生(10期生)

 

 

     

 新井 宏史

今、私達に求められるもの

     

 井上 剛

読 書

     

 生方 悟史

好きです川崎愛の街

     

 大谷 恵介

読書嫌い

     
 柏木 進 プロ野球について
     

 今野 拓也

妹 よ
     
 杉本 智志 実現できないこと
     

 馬場口 龍輔

至福の一杯

 

     
 山田 善貴 アクセント
     

 

 

 

 

 

 

 

3年生(11期生) 

 

 
     

 関 正文

セキララ(関裸裸?)

     

 高橋 祐介

ウルトラスペシャルどうでもいいこと

     

 田中 美佳

マスカラとちょんまげと

     

 永井 裕

死の意識と教育

     

 松下 和也

極私的スーパーカー論

     

 山田 奈美子

危険に避けられる女。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2年生(12期生) 

     

 粕谷 亮太

私は何者か?

     

 島村 隆志

自分と司法試験

     

 正田 智恵子

ナンカきそうだよ地震

     

 芳賀 千恵子

私の趣味

     

 浜崎 昌之

とりとめのない話

     

 古谷 圭

自分について

     

 細川 真代

最 近

     

 渡辺 佳孝

なんかもう、必死でしょ

     

 

 

 

 

法科大学院と法学部の将来

        甲斐 素直

 

 法科大学院の設立を文部科学省に申請する書類の一環として、法科大学院の設立が法学部の将来にどのような影響を与えるか、ということを分析したものが要求されていました。非常に限られた時間の中で作成することを要求されたので、あまり衆知を集めて推敲するという余裕はありませんでした。そこで法学部の執行部に属するごく一部の先生方で作文をして、本部を経由して文部科学省に提出されたわけです。

 その原案を見たとき、私は様々な点に問題を感じました。しかし、その中でも一番大きな問題は、それらの文章から、なるほどと首肯できるだけの法学部の将来像を感じることができなかった、ということです。そこに書かれている小手先の対策では、法科大学院後の、法学部の新しい将来を切り開くことにはとうていならない、と思えたことが多かった、ということです。

 それをきっかけに、私は、法科大学院の設立後、法学部はどうなるのだろう、あるいはどうなるべきなのだろうということを、折に触れて考えるようになりました。最近、一応の結論に到達しました。それを一言で表現すれば、「法学部に将来はない」ということです。現に法学部教員であるものとして、そして来年4月以降も、兼担という形で法学部教員であり続ける者として、これはどう考えても嬉しい結論ではありません。

 そこで、私が考えている悲観材料を、皆さんならどう評価するか、知りたいということから、この文章を書き出したものです。是非、以下に書いているようなことにはならないはずだ、法学部にもバラ色の未来が待っている、という反論を聞きたいと考えています。

 

一 司法試験と法学部

 法科大学院というアイデアは、もともと司法制度改革の一環として、現行の非人間的といいたくなるほど厳しい司法試験を改善し、法曹として必要な幅広い知識・経験を持つ者を育てる場として構想されたものです。当初言われていたところによれば、法科大学院出身者の7〜8割が司法試験で合格できるようにする、ということでした。そのとき考えられていたのは、たぶん、法科大学院の総定員を4000名程度と考えて、毎年3000名程度に法曹資格を与える、というアイデアであったはずです。実際には、現時点での全国の法科大学院の定員を単純に合計しても約6000名になっています。近い将来には、16年度に開校が間に合わなかった法科大学院が加わり、あるいは既存の大学院が定員増を行って、1万人程度にふくれあがるはずです。だから、7〜8割の合格率という話はどこかに吹き飛んでしまいました。それでも、合格者総数が3000名程度という話は依然として生き残っています。

 この数字は何を意味するかが問題です。

 私が司法試験の受験者だった頃は、毎年の合格者は400名〜500名程度でした。そのころは、法曹資格保有者に対する需要は大変強い一方で、修習修了者の多くが弁護士を志望していました。その結果、判事や検事については、慢性的に定員割れ、という状態が続いていたのです。しかし、法務省が司法試験合格者を増やし始めるとともに、状況が急激に変化しました。合格者総数が800人くらいに増えると、俗にイソ弁(居候弁護士)といわれる若手弁護士の就職先はほとんどすべてなくなり、その結果、判事・検事の志願者が殺到して、その欠員はあっという間にすべて埋まってしまいました。合格者数が1200人に達している今日では、修習生たちは、修習期間も後半にはいると就職先探しに連日狂奔せざるを得なくなり、研修所の方でも、そのための欠席を大目に見ざるを得ない状況に陥っています。

 このような観点から見ると、法曹が毎年3000人も生み出される時代には、法曹界も完全に今とは違う状態になっていると思われます。今まででしたら、弁護士はすべてゼネラリストで、法学部や司法試験で勉強したかどうかに関わりなく、どんな事件でも引き受けていました。しかし、そのころになると、そのように広く浅く、では、お客が来なくなるでしょう。医師は、資格としては何でもやれることになっていますが、実際には、内科とか外科とか小児科というように専門を持って開業しています。それと同じように、法曹も試験そのものはゼネラリストとして合格しても、実際には、何か専門分野を持つようになると思われます。

 医師の場合であれば、医師の資格を取った後、医局に残ってインターンとして働くことで、専門技能を身につけています。しかし、法曹の場合には、総合病院のようなものがあるわけではありませんから、法曹資格を取る前にそうした専門技能を身につける方向に動くのではないかと思っています。16年度から開校される法科大学院にも、すでに医師や弁理士の資格を有する人からの問い合わせが相次いでいますが、将来は、それが普通になってくると思うのです。すなわち、まず医学部に行って、医師の資格を取得した後、法科大学院にきて法曹資格を取り、医事法の専門家として開業するとか、理工学部に行って弁理士資格を取得した後、法曹資格を取って、工業所有権法専門の事務所を開くといった調子です。

 その場合、法学部にきても、法曹資格を補完するような資格を取るのは非常に難しいことです。確かに法学部でも、司法書士や行政書士など様々な資格が取れますが、これらはいずれも弁護士資格さえ持っていれば、特に試験を受けるまでもなくその仕事を行うことが認められている業務ばかりです。したがって、法科大学院が定着すると、少なくとも法律学科に入学して、法科大学院を目指す者はいなくなるのではないか、というのが私の予想、というか恐怖なのです。

 

二 法学部と公務員

 法学部に学ぶ学生のかなりの者は、公務員試験に挑戦してきました。そこで、先に言及した法学部が作った将来像では、司法試験が法科大学院に移行しても、公務員試験受験を目指す者は今後もおり、それが今後の法学部教育の中心になる、という予想を書いています。しかし、これは間違いです。

 平成14日に行政改革推進本部が決定した「採用試験の抜本改革の在り方」という文書の中で、政府は、理工系の国家公務員が大学院卒が大半を占めているのに対して、文系ではほとんどいないことを問題として指摘し、「法科大学院創設への対応」と題して、次のように述べています。

 「 I種・II種事務系の国家公務員の採用に当たっては、学部等を卒業した段階の高いポテンシ

 ャルを有する有為な人材を引き続き獲得していくことが必要であるが、法科大学院も重要な人

 材ソースの一つとして捉えて対応していく必要がある。

  法科大学院においては、法学以外の幅広いバックグラウンドを有する者を積極的に受け入れ

 るとともに、その教育プロセスを通じて、司法はもとより行政や経済等の各分野においても、

 法律に関する深い知識と理解の下、リーガルマインドを持って政策立案や実務に活躍できる

 ような広い視野を持った人材を養成することが期待される。」

 ここで注目するべきは、主語が国家T種だけでなく、U種も含めたものとなっていることです。これは政府としての指針ですが、政府がそうした見解を示した以上、各省庁も遅かれ早かれ、それにしたがうようになると思われます。ということは、将来的には法学部から国家公務員になる道は非常に狭いものになる、ということです。4年生で国Tないし国Uに合格できれば採用されまずが、そこで落ちれば、専門職大学院に進まねばならないのです。現在、国Uでさえも、現役合格率は30%で、後は卒業生ないし大学院生という現状を考えると、専門職大学院の比率は、このまま移行しても70%になるということです。

 なお、国家T種法律職は、将来は司法試験に取って代わられることになると思われます。上記文書の中で、政府は「法科大学院を修了した司法試験合格者については、一定の要件の下で、人事院が実施する試験の種目を免除する」と述べているからです。すなわち、国Tには司法試験合格組が座り、その補佐として、法科大学院を卒業したが、司法試験は合格できなかった、という組が入ってくるわけです。

 国家公務員がこのようにシフトした場合、地方公務員試験だけが、従来のままというのは楽観がすぎるというものです。したがって、公務員試験は、現役合格する人をのぞき、基本的に法学部の対象から抜け落ちると考えるべきでしょう。

 

三 法学部と民間企業

 今まで、法律学科に来る学生のうち、司法試験や公務員に挑戦する者はほんの一握りで、後は民間企業へ就職していました。したがって、将来も、それは変わらない、と考える人もいると思います。しかし、これもまた甘い話です。

 諸君の先輩たちで、民間企業に採用になった人たちは、もちろん、他学部出身者と何ら差異のないポジションに回されている場合も少なくありません。しかし、実力がある場合には、間違いなく、法務部その他、法律知識を必要とする部署に回されるのが普通ですし、先輩たちもそれを希望して就職するのが普通でした。

 しかし、法科大学院が本格的に稼働し始めると、おそらく状況が変わります。先に述べたとおり、司法試験合格者は、3000人ですが、法科大学院の総定員は今でも6000人、将来は1万人になる可能性があります。ということは、毎年、せっかく法科大学院を卒業したけれども、司法試験を合格できない人が、最初の段階で毎年3000人、後からは7000人もわいてくることを意味しています。彼らも、当然、司法試験をあきらめた後は、民間企業への就職を目指すに違いありません。

 さて、君たちが、企業の採用責任者であるとして考えてみてください。法務部などの職員として、法学部の卒業生と、法科大学院の卒業生のいずれを採用するでしょうか。答えははっきりしていると思います。司法試験に合格しないまでも、それに準ずる実力を持っていることがはっきりしている法科大学院卒業生を採るはずです。

 そうなると、特に法学部に入ったからといって、特に他学部と差異をつけることが難しくなります。

 

 

四 公共政策大学院と法学部

 この段階では、したがって、将来の法学部は政経学科や管理行政学科が中心になるのではないか、と考えていました。ところが、驚いたことに、それに対しても、公共政策大学院なる専門職大学院が計画され、できれば平成16年度から、遅くとも17年度には開校する、というのです。そうなると、ここでも上記と同じような問題が起こり、公共政策大学院が魅力的なものになればなるほど、政経学科や管理行政学科に行く必要が低下するはずです。

 おそらく、近い将来、新聞専門職大学院というものも生まれるに違いありません。そうなると、現在の日大法学部というものは、いったい何を目標に存在していけばいいのでしょうか。

 今、アメリカには、法学部というものはありません。外山先生の話によると、昔はあったのですが、法科大学院制度が確立するとともに姿を消してしまったのだそうです。日本でも、そのような事態が起こりうると私は考えています。10年もすると、法学部というものは姿を消しているかもしれません。

 

 

 

 

4年生(10期生) 

今、私達に求められるもの

         新井 宏史

 

 今、私達の生活は、衣・食・住、共に十分に満足した生活を送っているといえよう。しかし、ほんの少し前、敗戦直後は物品が欠乏し、人々は物を大切にしていた。従って、物に対する価値基準は現代人と比べて異常に高かったといえる。しかし、現代人(私も含め)は「物」に対する価値の意識は薄れ、「物」のもつ本来の意識すら何も感じなくなってきているようでもある。

 私は、この物にあふれた豊かな社会を警戒している。何故なら物が何でも手に入ってしまうことは、自己の欲望を規制から開放させ何に対しても節制をわきまえなくなるからである。そのため今、社会の風紀の乱れや礼儀作法、社会ルールの無視、常軌を逸脱した、少年・成年者の犯罪等は、豊かな社会が生み出したと言っても過言ではないはずだ。では、私達はこの豊かな社会をどう生きていけばよいのか?。ここで、まず私は一つ、物にまつわる話をする。これは実際の出来事をやや物語にアレンジした。だが、事実であることに変わりはない。

 ――時は第二次対戦、私の祖父は神社の近くに家を構えていた。当時、神社には各地から召集された兵士が祈願をしていた。生きて帰ってこられるようにと…。祖父も兵士達が無事に戻ってこられるように祈っていたに違いない。すると一人の体格の良い兵士が家に訪ねてきた。彼は祖父に「茶を一杯もらえないでしょうか」と言った。祖父は快くその兵士に茶を与えた。「ありがとうございます。この恩は一生忘れないでしょう。」

 時は過ぎ、敗戦を迎え、その後国民生活は奇跡の復興を遂げた。そんな時折、ある品物が家に届いた。北海道から送られた大きな鮭である。さらに時は過ぎ、私の祖父は私が幼年の頃に他界した。しかし、祖父が亡くなってからも贈り物は届けられたのである――。

 さて、現在に話を戻そう。ここで私が言いたいのは、贈り物をして下さった祖父の友人は、「物」(茶をもらったこと)に返礼として行った行為だけであろうか? ということである。私は、返礼の他に、恩義という目に見えないものを「物」という形に変えて伝えたに違いないと言いたいのである。

 物を大切にしてきた人達は、「物」が何かに形を変えて訴えかけていることを感じ取ることが出来た為に、「物を大切にする」という結果を導いてきたのではないだろうか。従って、豊かな社会で生きていく為には、まず物を大切にすることが必要であると考える。

 しかし、現在のように大量に物があふれる社会で、物を大切にするということは可能なのか? そこで私はもう一つ重要なことを必要とすると考える。そして、節制こそが自己抑制の最も根幹を成すものであり、我々の美しい社会、人間関係を取り戻す為の唯一の手段であるだろう。最後に、物を大切にし、勤勉で節制を重んじ、品性高潔であることこそが私達に求められる豊かな社会ではなかろうか。

 

<コメント>

 うーん。言うは易く行うは難しというのを地で行く話ですね。

 

読書

                            井上 剛

 

 私はどちらかというと飽きっぽい性格で、色々な趣味はあるのだが、どれも一年やそこらでやめてしまう。

 唯一、小さな頃から続いていることが読書だ。

 両親の影響で、昔(といっても10年と前ではないが)は時代小説ばかりを読んでいた。

 大学生になり、一人暮らしをするようになり、両親の本棚から勝手に読むことが出来なくなったので、自分で買うようになった。

 初めはどんな本が良いか分からず、手当たり次第、まさにオールジャンルといった感じで読んでいた。

 そのうちに、自分の好みが分かってきた。

 私は、話の筋や展開などには興味がなく、登場人物(又は作者)の考え方やもののとらえ方、広くいえば哲学に関心がある。その人がどう感じ、何を考え、どういった自らの哲学により行動するのか、そのプロセスにである。それを知ることにより、自分と比較対照し、自分の長所や短所を把握できる。そして自分の血と肉にしてゆくことで、なんとなく成長した気になっているのである。悪く言えば流されるということだが、私の考えでは、自分自身が考えついた哲学によって生きている人間などはほとんどいない。大多数の人は、(読書を含めて)経験によって、自分の行動を決定しているのだと思う。(まぁ、私や私の周りの人がそうだから、そう感じるのかもしれないが。)

 最高に質の良い一冊と出会ってしまうと、その本を読むことで一日が終わってしまう。読んでいる時はよいのだが、次の日からやり残した学業が重くのしかかる。「少年老い易く学成り難し」の例にならぬよう、先人の英知にほくそ笑みつつ、ほどほどにしていきたいものである。

 

<コメント>

 私は、読書は趣味のうちに数えていない。息をし、あるいは寝るのを趣味という人がいないのと同じで、私にとっては、生きるということと本を読むことは同義語で、本が切れると禁断症状を起こして精神の均衡が危なくなる。だから、司法試験でシャカリキになって勉強していた当時も月に20〜30冊程度、小説を読むのだけは辞められなかった。だから、いまでも、商売のための専門書を抜きにしても、月に30冊〜40冊程度は読んでいる。そこで自信を持って断言するのだが、余計な罪悪感は持たずに、面白い本は気楽に読みなさい。それが明日からの学業のための大事な精神的基盤を作ってくれるのだから。

 

好きです川崎愛の街

               生方 悟史

 

 私は4年間この日本大学法学部に通ってきたが、知り合いに誰一人として川崎住まいは居なかった。という訳でみなさんに川崎について知って欲しくなったので簡単に説明することにします。

 私は生まれも育ちも川崎である。川崎は工場地帯というイメージがあるかもしれないが、それは昔の話である。確かに今も工場はたくさんあり、自宅から海の方を見れば(結構海に近い。車で10分位)炎や煙がいやというほどあがっているが、川崎病がでて以来最近は空気もきれいになってきた。駅周辺では都市開発が行われている。

 ただ、駅の東口では西武がつぶれ、その並びにある丸井も来年にはなくなってしまう。東側の住人としてはさみしいかぎりである。西武の跡地には日本最大級のヨドバシカメラができるが、丸井の跡地はよく知らない。川崎にヨドバシカメラがもう一軒あり、歩いて5分位だから2軒も必要ないって感じるが、どういうつもりなのかなって思う。もう一つ、東口にダイスというデパートができ、これは川崎に今までにない店がたくさんありとても良い。

 そして最後にラ・チッタデッラができ、そこは映画館、カフェ、ゲームセンターなど色々ある。芸能人もよくいるらしい。芸能人に会いたい方はぜひ寄ってみてください。

 次に西口についてはあまり知らない。西口方面に足を踏み入れるのは年に一回あればいいほうで、それだけ西口は寂れており、行く理由がない位本当になにもない。知っているのは東口の丸井がつぶれた理由は西口に移る事だけである。

 今、川崎は変わってきているが良い所だと思っている。他にも色々楽しい所があるので近くに来た方はぜひ寄ってみてください。

 

<コメント>

 歯の浮くようなタイトルだと思ったら、これ、川崎市の歌の題なのだそうですね。もっとも今のところ正式のものではないけれど、ゴミ収集のテーマソングなどに使われているから、川崎市民なら知らない人はいない歌なのだとか。できればその辺からコメントしてくれるともう少し魅力的な文になったのではないかと思う。

 ところで、川崎病というのは、川崎の公害病のことではありません。1967年に当時東京渋谷区の日赤中央病院(現在の日赤医療センター)小児科の川崎富作という医師が、それまで世界で知られていなかった新しい病気として、自分の名を付けて発表した子供のかかる奇病です。高熱が続き、両目が赤く充血し(目やには出ない)、唇が真っ赤になり、舌がイチゴ状に赤くなり、喉の粘膜も赤く腫れ、手足や体に大小さまざまな形の発疹が出、首のリンパが腫れて痛がり、手足が硬く腫れ、手のひらや足の裏が全体に赤くなります。熱が下がる頃、指先の皮がむける等の症状が特徴的ということです。原因は不明ですが、かかるとかなりの率で心臓に疾患が残るという恐ろしい病気です。諸君も、将来結婚して子供ができたときには、是非注意して欲しいものです。

 

読書嫌い

                         大谷 恵介

 

 恥ずかしながら、私は、大学2年ぐらいまで積極的に本を読むということをしてこなかった。その理由は単純なもので、活字を読むのが面倒で、つまらないと思っていたからでる。

それまで私は、本といえば、漫画や学校の教科書しか読まなかった。学校の授業で国語ほど退屈なものは無く、それゆえ、読書感想文というのは、私にとってとても嫌なものだった。また、よく親から「漫画ばかり読んでないで、本を読め。」と言われていた。その時の返答はいつも決まって「読んでるじゃん、本。」と言っていた。すると、「そんなものは本じゃない。」と、いつもこの繰り返しだった気がする。私の心の中では、いつかは読むだろうと、思っていた。しかし、全くと言っていいほど読まずに大学まで来てしまった。自分でもやっぱり本は読まないと駄目だなとは思い始め、読もうとした。

しかし、今まで本を読んだことが無い私にとって、‘何を読んだら良いのか’かが分からなかった。「そんなもの自分の好きなものを読め」と言われるかもしれないが、本が嫌いだった私にとって、自分がどんな本が好きかも分からないし、本屋に行っても本がありすぎて、どこにどうゆう本があって、どんなものが面白いのかも分からない有様だった。今思えばひどいものである。そうこうしている内にまた時が過ぎていった。

そんな私に本を読むきっかけとなったのが、テレビゲームであった。それは、光栄の『三国志Z』であった。ゲームは好きで、良くやっていた。しかし、こういった歴史系のゲームは難しかったので、やっていなかったが、今までやっていたものも飽きてきて、もっと頭を使うものをやりたいなと思ってやったのがきっかけだった。やってみるの面白く、実際の三国志にも興味がわき、吉川英治さんの「三国志」を読み始めた。

読んでみると非常に面白く、通学の電車の中や授業中は、それを読みっぱなしになっていた。そこで私は初めて「本を読む楽しさ」を実感したわけである。そこから今度は、中国の歴史に興味をもち、太公望や項劉記などを読むようになって行き、次は日本の戦国時代といったように読んでいくようになった。私は小、中、高校と歴史は好きではなく、むしろ嫌いだった。しかし今では、歴史さえも好きになりだしている。ひとむかし前までの自分では想像もしなかったことである。今では、休み時間など良く本屋に行くようになった。これも昔では考えられなかったことである。本が好きと言う人からすれば、何のことでもないだろうが、私にとっては大きな一歩と言えるのである。やはり、何事もきっかけというものが大事である。

一冊の本から得られるものは多大である。一冊読み終わるごとに、何か自分の中で変わって行く気がする。また、新たな自分を発見する時もある。今まで20年間、本の無い生活を送ってきたわけだが、読書が趣味と言えるぐらいになりたいと思う今日この頃である。

 

 

<コメント>

 読書を好きになりたいという希望は、先に述べたとおり、私には理解不可能なものです。しかし、吉川英治。懐かしい名前ですね。ちょうど私が小学校の低学年の頃に、彼の「宮本武蔵」(バガボンドの原作)のシリーズが逐次刊行になっており、叔父が本屋に注文して、入荷する都度届けさせていたのですが、私が先に読んでしまうものだからずいぶん怒られたものです。

  ついでにいうと、私は漫画も立派な読書と思います。あれは、わが国が世界に誇ることのできる文学といえるのではないでしょうか。江戸時代、馬琴の南総里見八犬伝などは、絵草紙という形で刊行され、女中さんや丁稚さんが、雀の涙ほどの小遣いで、貸本屋から借りて読みふけっていたわけですが、その現代版というわけです。

 

 

 

プロ野球について

                  柏木 進

 

 私は読売ジャイアンツと千葉ロッテマリーンズのファンである。それにしても、ここ数年、マリーンズが弱い。いっつもBクラスである。しかし、そんなマリーンズも強い年があった。ちょうど私が中学生くらいの頃であろうか。ボビー・バレンタイン(前ニューヨーク・メッツ監督)が広岡達郎ゼネラルマネージャーとやっていた年に、その前年が、記録があるわけではないので正確ではないが、最下位であったのに、二人が就任した年に、なんと2位にまで躍進した。ちなみに、その年の優勝チームはオリックスブルーウェーブ。なぜ、その年、急に強くなったのであろうか。

 やはり監督によるところもあるが、選手も粒よりであった。その前年までの選手で有名どころを挙げると、ピッチャーでは伊良部、小宮山、園川などが、野手では初芝、堀、定詰などがいた。これらの選手に加えてバレンタイン監督の連れてきた、フランコ、インカビリア、ヒルマンなどがいた。この年の外国人は粒ぞろいで、フランコは年間通じて4番を打ったし、ヒルマンは伊良部、小宮山と並ぶ働きをした。例外としてインカビリアがいる。インカビリアとフランコは、共に野手で同じように大リーグで活躍していた。とくにインカビリアは、フランコ以上にバリバリのメジャーリーガーであった。来日当初はフランコより期待が大きかった。そんな彼はシーズン途中で帰国している。バリバリのメジャーリーガーと言われる選手は、よくシーズン途中で帰国するように思う。最近では、中日にいたディンゴ選手、阪神にいたグリーンウェル選手、ダイエーにいたミッシェル選手などが有名だろう。インカビリアが彼らほど言われることがないのは、成績が中途半端だったからであろう。ディンゴは成績が悪すぎ、グリーンウェルは成績は良かったが、たった数試合で怪我をして帰国。このようなことが無かったからであろう。

 話を元に戻して、とにかく、その年のマリーンズは強かった。最後までイチロー率いるブルーウェーブに食らいついた。今でも私の語り草となっているのが、マジック1となって迎えた直接対決三連戦、ブルーウェーブはホームであるグリーンスタジアム神戸で優勝を決めたい。このマリーンズ三連戦で一つでも勝てばいい。三戦のうち一勝でもいいわけだから、楽勝に思えた。しかしブルーウェーブは負けた。三戦全て。これで私はマリーンズの虜になった。それなのに、最近のマリーンズは弱すぎる、選手もフロントも全てがおかしい。とくにフロントがおかしい。なぜ前年に最優秀防御率のタイトルをとった選手をクビにする、意味がわからない。そんなこんなで、とにかく私としては、千葉ロッテマリーンズに強くなってもらって読売ジャイアンツと千葉ロッテマリーンズの日本シリーズが見てみたい。私としては何ができるわけではないが、ひたすら応援するだけである。

 

<コメント>

 残念ながら、私は野球はやらないし、自分のやらないスポーツは見て面白いものではないので、当然ながらプロ野球も見ない。だから、柏木君が情熱を込めて紹介している人名も、ほとんど心当たりがない。

 

妹よ

                           今野 拓也

 

 先日、免許の更新に行った際に渡された交通の教則本に載っていた被害者の手記です。

  

 妹よ

「A子がぁ、A子が死んだぁ!」

 私の両肩を激しく揺すり、泣き崩れる父。母が、遠くで呆然と立ち尽くしていました。何も知らず、その朝、家族はそれぞれの職場へと向かい、突然私を迎えにきた父。それが、妹の死を知った瞬間でした。私の身体の中の血が全て足下に落ちて、全身が冷たくなっていくのが分かりました。

 その年、妹は高校を卒業し就職したばかりで、まだ18歳の、これからたくさん楽しいことがあるはずだった妹の青春が、心無いドライバーによって踏み潰されるなんてひどすぎます。

 父と母にとって、妹をこんな形で失ったことは、想像以上に辛く悲しいものでした。私達は笑うことを忘れ、何をしていても妹のことを思い出しては泣き、父と母は口もきけない日々が続きました。私には、そんな両親をどうやって慰めたらいいのか全く分かりませんでした。「さようなら」の言葉も言えず、最後に妹の顔を見ることさえできなかったあの時の悲しみ、辛い悔しさは、九年経った今も決して癒えることはありません。

 今、私も母になり、子供を亡くした両親の心の痛みは、あの時以上に分かるようになりました。

 一歩家を出ると、

猛スピードで走り去る車

ヘルメットをかぶらずに走り去るオートバイ

携帯電話をかけながら片手運転する人

お酒を飲んでいるのに「大丈夫」と言って平気で車を運転する人

を見かけます。そんな人達に是非、知って欲しいのです。あなたたちにとって、大切な人を失うということがどれだけ悲しいものか。死ぬということが、どういう姿になることか。加害者も被害者も、今まで築き上げてきた幸せな生活も思い出も、すべてメチャクチャになり、堪え難い苦痛が待っているのです。これが、交通事故の現実なのです。

 

 みなさんも気をつけましょう。

 

<コメント>

 ひょっとして、これ、最初と最後の2行だけが今野君のオリジナル? もし本当に引用なら、原著者の名義をきちんと示さないと、著作権法に引っかかりますよ。

 

実現できないこと

                 杉本 智志

 

一人暮らしをするようになって一番面倒なのが掃除だ。食事は外食やコンビニ弁当でまかなえるし、洗濯はボタンひとつでできる。しかし、掃除は自分の力でやらなければならない。それに掃除すべき場所なんていくらでもあるので時間もかかる。そうした理由で、私はほとんど掃除をしていない。

 こんな私だが、唯一掃除をしたいと思うところがある。それは自分の体の中である。自分の食生活の問題や地球の環境問題などから、絶対体の中が汚れているはずだ。

もし、体の各部位を自由に取り外せることができたら、まず歯を一本一本外して、歯ブラシで丁寧に磨いていきたい。背骨を取り外してたわしでゴシゴシ洗い、細かい所は使い古しの歯ブラシで磨きたい。腸は細長くて丸いスポンジのヤツが適切だろう。肺は、煙草を吸ってないからまあいいけど、とりあえず洗濯槽や洗面台の流しに使うカビ取り剤でも入れておこう。眼球はメガネを洗う液体に浸ける。皮膚は洗濯機で洗って日干しだな。脂肪はお湯に入れて十分に油抜き・・・。

もしこれらのことができたら、どれほど気分爽快だろうか。時間も惜しみなく使うかも。おそらく、暇があればどこか洗っているだろう。

自分の体にはこれだけ手間をかけてもいいと思うのだが、他のもの、部屋の方になると億劫に感じてしまう。それはやはり重要度が違うからだろう。もしくは、体のことを気遣うようになるくらい歳を取ったってことかもしれない。

・・・とまあ、私の妄想をタラタラ書いてきましたが、結局は掃除しないわけにもいかないので、今後は部屋の方にも気を使うことを実現させていかねばならないのだ。

 

<コメント>

 自信を持って断言するのだが、部屋の掃除をしない人は、たとえ、自分の身体の中を掃除する技術が確立しても、やっぱり掃除をしないと思いますね。早い話、今現在、どんな身体によいことをやっています? 時間を惜しまず、食事ごとに歯を磨いたりしていれば、信用できるのですが・・。

 

 

至福の一杯

                      馬場口 龍輔

 

 実は、私には生まれてこの方、食べ物の好き嫌いは特に無い方だった。食生活も肉、野菜、魚介類も満遍なく取るほうだが、そんな私でもどうしても譲れないのがラーメンです。週に一度は、店でもインスタントでもいいから食べないと気が済まないくらいだったりします。私の地元の横浜では、家系総本山の吉村家やラーメン博物館に出展している六角家があり、ふと食べたくなった時に身近に有名店があるのは、結構うれしい限りなのですが。

 巷では今、絶大なラーメンブームのようで。旨い店の特集を組んだテレビ番組や雑誌が出るに留まらず、全国の有名店舗を網羅している本が出版される程まできている。現在では、全国で営業しているラーメン屋は10万店以上にも上り、毎年1000店舗前後が閉店、開店を繰り返し、飲食店の中でも入れ替わりの激しい業界である。だからこそ、例え口コミであれ情報誌あれきっかけは何であっても、一度捕まえた客を手放すような事になるのは致命傷に近いのである。また最近では、有名店舗になれる条件には、見せのオーナーではなくプロデューサーがカギを握っていることもあるようだ。コンビニでは、各社ごとで限定のカップラーメンまで出している程の過熱ぶりを見ると、これは単なるブームでは済まない、一つのビジネスチャンスにもなり得るわけである。そこで、ブームと知ると見境無く突き進み、その情報にあっさり流されてしまうのが日本人らしいところなんだろうか、と思うときがある(そんな自分も流されてしまった一人です)

 雑誌の記事を見て行った店の中には、「本当に旨いのか?」という期待外れの店もしばしばあったりするのだが、そこに並んでまで食べに来ている人達は何なんだろう、とか考えながら足早に店を後にしている。私にとっては、カップラーメンなんかで食べるくらいなら支店であっても実際に店に出向きたいし、あまりにも有名すぎる店でいちいち並ぶよりは口コミレベルで美味しい店で食べる方が良いのだ。どんなに厳選された素材を使っていようと独自のこだわりの製法で作っていようと、そこに大量生産の雰囲気が感じられると、食べててもどこか物足りなくなってしまうのだ。ラーメン作りをビジネスとしている人よりは生業としている人の方が、食べる側としても最後のスープの一滴を飲み干したときに、満腹感と同時に有難味も沸き出でくる気がするからだ。ただのラーメン好きの戯言に思われるかもしれませんが、私にとっては作り手側の温もりが伝わってくるものを選んでいきたいと考えているのである。

 

<コメント>

 ラーメンと言うことで思い出した話を書きます。ラーメンブームなるものは、いわゆるB級グルメという奴ですね。私は子供の頃、東京の荻窪に住んでいました(水道橋から総武線に乗って30分弱でつきます)。小学校のクラスメイトに、簡君と萩生田君がいました。簡君の家は漢珍亭というラーメン屋で、萩生田君の家は丸福というラーメン屋でした。どちらの味も大好きで、せっせと通っていたものです。後に、ラーメンブームが爆発すると、どちらも教祖的な人気を博したのには仰天しました。特に丸福など、お客が5〜6人しかすわれないという小さな店なのですが、数億円の脱税で摘発されてまたびっくり。

 

アクセント

                       山田 善貴

 

 地方の若者が上京して、コンプレックスになりやすいものの一つに言葉の問題がある。方言やアクセントといったものはいわば体の一部みたいなもので、容易に変えられるものではなく、しかも、コミュニケーションの際にはどうしても必要なものなので、嫌でもこの問題に突き当たる。最近流行りの県民性についての本を読んでみたりすると、地元の言葉に引け目を感じて性格まで控えめになっている、なんて事まで書いてある。同じ単語でもアクセントが違っただけで別の単語と取られてしまい、会話自体がかみ合わなかったりする事もある位だから意識してしまうのもある意味で当然のことかもしれない。

 しかし地方出身者みんなにとっての悩みかといえば勿論そんな事は無い。東京においてもバリバリ地元の方言でぶつかっていく強者の中には故郷や地元の文化に誇りを持っている者もいるだろうし、単にこうした事を全く気にしないだけという者も結構な数に上るだろう。また、方言と共通語を完全に使い分けられるテクニシャンもよく見受けられるが、読書を重ねてもアクセントまでは身につかないので、それだけ幼少の時からテレビやラジオに浸かってきているということであろうか。自分は福島出身であるが、時々、完全に使い分けられる“バイリンガル”を羨ましく思う事がある。正しいアクセントの標準語は喋れない。そうかと言って地元の方言も使えない。標準語を話したいのにどうしても地元アクセントに引きずられる感じといったら良いだろうか。何とも中途半端である。だから言葉だけで見ると、時々地元での会話でさえ違和感がある。

 田舎者の悲しい性とでも言うのだろうか(それとも東北コンプレックス?)。自分で“標準語”が話せないのを知っているだけに、東京で大勢の前で話せばならないような時、どうしても意識してしまうのだ。

 「言葉自体は直すことは出来ても、アクセントは直すのは無理」と聞いた事がある。東北は元々話し方に抑揚があまりないらしく、周囲で聞いていると棒読みに近い話し方に聞こえるかもしれない。“直すのは無理”かどうかは分からないが、アクセントの修正が困難なのは、やはりそれが‘音’であるからだと思う。言葉遣いというのは会話以外にも本や新聞といった文字メディアを通して接しているわけであるが、これは、ゆっくり読んだり何度も読んだり、或いは一文字ずつ確認してといった事が容易な、能動的アプローチが可能なメディアである。それに対しアクセントというのは音そのものであり、会話にせよテレビにせよ音楽にせよ、基本的に流れてくるものをリアルタイムで受けて流していくことしか出来ない消極的なアプローチに偏ってしまうため、あらためて学習するには非常に困難なように思える。

 しかし、こうした事情にも拘らず、東京に出てきてから言葉に関心を持って過ごしてきて、その奥深さに結構な感銘を覚えた。例えば駅の構内放送を九官鳥のように真似てみるだけで、自己アクセントとのずれがはっきり分かる。これは面白い!

 まず、アクセントをどの音に付けるのかと言うのは、どこまでを一つの単語として扱うか(どこまでを一息で読み通すか)によって異なってくる。例えば関東の大動脈の一つ、『京浜東北線』。以前駅のアナウンスにて「け」と「と」の音にアクセントを置いたアナウンスを聞いたときはっきりと違和感があった。つまり普段聞き慣れているのは『京浜東北』で1語として扱っているのに、そのアナウンスでは『京浜』と『東北』で2語の単語に区切っていたからである(まぁどちらが正しいかというのは別として…)。

 また、興味深い問題としては、新しい単語が登場してきたとき、それはどのようにしてアクセントが付けられるのだろうか。JR東日本が2年前から導入した『Suica』(Super urban intelligent card)、これなどは全くの新語なのにも関わらず、当初から果物のスイカと混同されることはなかった。JRの宣伝のおかげ?それとも同じカード類の『プリカ』(プリベイトカードの略)や『トレカ』(トレーディングカード)に倣って?

 くだらないかもしれないが、こうした類の事を考えながら過ごしてきたら何となくアクセントをコントロール出来てきたような感じがする。早口で会話すると処理が追いつかないが(笑)、ちゃんと考えてから話す事を意識していればいつか標準語グループに仲間入りできるかも!? 英単語だって、間違えていたら覚え直していっている訳だし!

 『カレー』と『カレイ(鰈)』なんていう、アクセント混同の典型的なものを間違えるとさすがに恥ずかしいが、言葉というのも非常に奥が深い。法学もまた言葉の学問。これもまた、田舎に居たままでは一生気付かないかもしれない、大学生活で得られた発見の一つである。

 

<コメント>

 私は上述のとおり、東京の荻窪生まれ・育ちなので、アクセントの苦労というのはしたことがなく、そんなものかと感心するばかり。

 もっとも、その分東京方言と標準語の差がよく判らず、例えば七は「ひち」と読むのが正しいとばかり思っていたから、質屋(しちや)との掛詞になぜなるのかが、ずいぶん後まで判らなかったというような経験はあるのだが。

 

 

3年生(11期生) 

 

セキララ(関裸裸?)

              関 正文

 

 大学に入学して4年目(現在3年生ではあるが)。入学してから思っていたことがいくつかある。普段は取り立てて言うことではないが、せっかくこういう場があるのだから、いってみようと思う。

 まず、大学は面白い、と言うか好き。やる気とお金と時間と人脈があれば自分の好きなように生活を送れるからだ。大学に入るまで、小学校・中学校・高等学校・専門学校と計14年間、学生生活をそれなりに送ってきたが、いまいちだった。もちろんそれは、自分自身に多くの原因があると、今では思う。

 特に高校生時代。工業高校ということもあり、女性がいない。いないということは、道は大きく分けて3つ。1、アイドル・アニメに走る 2、合コンに走る 3、男に走る、といった感じだろうか。勉強やスポーツに走ると言うことはありえない。なぜなら、いくらがんばっても報われない。報われないと言うのは、見てくれる女の子がいないという意味です、あしからず。ちなみに俺の場合は1でした・・・

 さて、大学生活の話だが、なんと言っても、授業が面白い。出席しているほとんどの授業を毎週楽しみにしている。だから、「たりー」とか「つまんねー」とか言っている方々にアドバイス。大学は義務教育の場ではないから、来なくて良い場所だし、つまらないものに年間数十万円のお金を出すなんて、正気の沙汰とは思えない。確かにつまらない授業や自分に合わないものもあるし、つまらなくとも、「大学卒業」という肩書きを手に入れることはできる。しかし、これも難関大学であるなら価値の高いものになるが、本学の場合、そこまで付加価値を期待することは難しい(と思う)。

 さらに、そういう人に限って、授業の最中に話し出す。携帯メールくらいなら許容範囲だが(少なくとも自分には)話したり、「はあー」とか「アーアー」とため息やあくびを、人の耳障りになるくらいの音量で流すのは、非常に不愉快。

 愚痴はこれくらいにして、自分にとって楽しい授業とは、「先生が熱い」ことである。高校時代まではだいたい50分授業で、一眠りすれば授業は終わっていたが、大学の場合、90分あり、一眠りして起きると、教授一人で盛り上がっている。こういう人が好き(ちなみに、「眠っているなら、その授業つまんないんじゃないの?」と言う突っ込みはやめてね。これはたとえ話ですので)。特に好きなのは、西洋法制史、民法(債権各論)と統計学。

 あと、学食が安くて助かる。幸い、「食」に対しては、栄養が取れればよく、味は気にしないので、安くて、品数がそれなりに用意されていれば満足できる。いつもカレーと冷奴を食べるが、これで290円だから食費がかからない。たまに飽きると経済学部へ行き、山菜そばを食べるが、これは200円と格安。貧乏学生には本当にありがたい。

 最後に。私は二部の学生だが、昼間から学校に来ていて、目に付くことがある。それはマナーの悪さ。昼間はタバコの吸殻は落ちていないのに、夜になると廊下に散乱している。私が見た限り、二部の学生が吸殻を灰皿に入れないことが多い。頭がよろしくない分、せめてマナーをよくしようとか、ルールを守ろうとか思わないのだろうか。同じ二部の学生として恥ずかしい限りである。

 

<コメント>

誠に正論。教師にとってありがたい限りの学生です。

 

 

ウルトラスペシャルどうでもいいこと

    橋 祐介

 

 最初に書いておく。本当にどうでもいいことなので、時間が余りに余っているという方以外は読まない方がいいだろう、きっと。

私はかなりの雑趣味家である。というか雑収集家である。基本的になんでもかんでも集めたがる。現在の収集品をまともなものから順番にあげていくと、切手、テレカ、小説、漫画、カードゲーム、チョロQと、多岐にわたっている事がわかる。最初の4つ目までは収集品としては、まあ普通のものであるが、問題はカードゲームとチョロQである。

カードゲームはMTG (Magic The Gathering)とGW(GUNDAM WAR)をやっている。

特にMTGは非常に奥が深い。そのゲーム性たるや、他の追随を許さないほど完成度が高いのである。その起源は1993年アメリカの数学者リチャード・ガーフィールドが、ボードゲームから戦闘部分のみを抽出し、トレーディングカードと組み合わせた新しいスタイルのカードゲームを生み出したことに始まる。この全く新しいジャンルのカードゲームはアメリカで瞬く間に大流行し、世界中に広まっていったのである。(私は高校1年の冬から始めたのだが、)日本にも1995年には入ってきて、現在ではプロツアーなども行われている。プレイヤー人口は世界60ヶ国で約600万人、日本国内だけで70万人以上いる、といわれている。今日巷で出回っている、数あるカードゲーム(遊○王、アク○リアン○イジetc.)の原型となっているといっても過言ではない。現在、カードゲームのブームは、一時期に比べて、一段落して落ち着いているが、競争の激しいカードゲーム市場でMTGが安定した人気を誇っているのは、元祖ならではの明快なゲームシステムや、洋物感あふれるファンタジー性など、MTGの持つ優れたオリジナリティーによるものである。

GWはいわずと知れた、かの有名なアニメ、ガンダムシリーズがそのままカードゲーム化されたものである。なかなか面白い。(因みに私のお気に入りはティターンズ。)1998年に第1弾のエキスパンションが発売されて以来、徐々にプレイヤーを増やし、現在約5万人がプレイしている。この数は国産カードゲームとしては随一を誇る。このゲームは、前述したが、ガンダムの世界観をそのまま投影したシステムとなっているので、そういう点でもファン受けしやすいのであろう。

次に、チョロQ。日本有数の玩具メーカーの一つTAKARAから出ている、昔なつかしの、あのプルバックシステムエンジンを搭載した玩具である。小さい頃、男なら皆1台は持っていたのではなかろうか。チョロQの歴史は古い。昭和50年代には発売されており、すぐ大人気となり、その後も継続的に売れに売れた。そうして近年バージョンとなって生産され、現在に至る。私のチョロQの楽しみ方は「愛でる」ことである。子供のようにぶつけ合って遊ぶ、というような野蛮なことはしない。傷がついてしまう。そう、最近のチョロQはなかなか作りが細かいのだ。実在の車がそのままデフォルメ化され、小さくなっているのだ。まさに芸術品。だから私は陳列して、愛でる。美しい。

カードとチョロQ、この二つの趣味はなかなか仲間というものが身近に存在しない。快楽を共有するものがいないのは結構寂しいものである。求む、同志。

ほかのものについて少し書いておくと、切手・テレカは、まぁ、普通の「コレクター」である。馴染みの切手商があるという、それなりにコアな部類に属することは確かである。ただ、テレカは最近の携帯電話の急速な普及によりその需要が大幅に低下してきており、今ではなかなか見られなくなってしまった。そろそろ潮時かもしれない。

小説は、私が読むのはもっぱら長編軍事スペクタクル小説。近未来、過去等のいわゆる「If小説」が好きだ。好きな作家は檜山良昭(『大逆転』シリーズ)、荒巻義雄(『紺碧の艦隊』、『旭日の艦隊』シリーズ)。なお参考までに、私は戦争を美化するつもりは全くない、ということを記述しておく。

漫画は面白ければどんな系統のものでも読む。たとえば、『美味しんぼ』(雁屋哲 花咲アキラ)や『沈黙の艦隊』、『ジパング』(かわぐちかいじ)を読む。特に『沈黙の艦隊』はひじょうに考えさせられる。漫画にしては若干重々しすぎる感は否めないが、それを補ってなおあまりある、かわぐちかいじ氏の構成力、ストーリー性、そしてかわぐち氏の世界観のあり方・視点に脱帽である。こっち方面の共感者もまた少ない。求む、同志(2回目)。あと、最近は少女漫画でもなかなか面白いものがある。ただ、このことの欠点は、本屋で少女漫画を男(かなり見た目「親父」な私)が買おうとすると、レジのお姉様方に「あんたがこれ買うの?」という目で見られることである。正直視線が痛い。(→これは妹に買いに行かせることで解決できることに最近気付いた。)

以上が私の趣味である。本当にどうでもいいことである。こんな文章をゼミ誌に載せていいものか甚だ、疑問ではあるが、平にご容赦願いたい。

 

(因みに本文章の題名は、『フルーツバスケット』(白泉社 花と夢コミックス/高屋奈月)の中で作者が余談を書くコーナーの小題として使っているものである。これも趣味の一つである。)

 

<コメント>

 他のものの収集はともかく、カードの収集というのだけはどうもよく判らない。単にコナミを喜ばせるだけで、収集というものに必然的に含まれているべきオリジナリティに欠けると思うのだが。

 戦争物の小説が好きということだが、是非ダグラス・リーマンやクリス・ライアンど、欧米作家の作品を少し読むことをお薦めする。

 なお、沈黙の艦隊は、出だしはいやな作品と思っていたのだが、巻を追うごとにレベルが上がって驚いた。単行本になった段階で、作者のコメントを見たら、別に最後までの構想を持って始めたのではなく、いつの間にかああいう作品になったと会ったのでもう一度びっくりした。あれだけ骨太な作品が、でたところ勝負で書けるなんてことが本当にあるのだろうか。

 

 

マスカラとちょんまげと

           田中 美佳

 

 日々、疑問に思うことが多々あるものである。最近では、マスカラの限界について気になっている。女性にしか分からない題材ではあるが、マスカラは、いつ新しいものと交換すべきか皆目見当がつかない。悩みどころである。男性から見れば、無くなったら換えろよ、といったところだろうが、それが分からないから困っているのである。マスカラの形態上、無くなったかどうか確認できないので、マスカラの限界は謎である。

 そういえば、もうひとつ気になることがあった。時代劇を見ていて思ったのだが、お侍さんの頭はいったいどうなっているのだろう。もっと言うと、ちょんまげがのっている、あのツルッとした頭頂部はどうなっているのだろう。調べたところによると、あれは月代というらしく、剃っているらしい。もちろん、毎日少しずつ伸びてくるので、幕臣ともなれば、毎朝月代を剃って髷を結いなおすのだそうだ。それが男のみだしなみらしい。ここで新たな疑問が生まれてくる。どうしてそうまでして、ツルッとさせたいのか。不思議である。

 このことに関して、もうひとつ疑問がある。大名の月代は、専門の髪結ではなく、小姓が剃るらしい。このとき、大名の肌には触れてはいけないらしく、かなり不自然で危険な剃り方をしていることが予想される。大名だって、内心ドキドキしていたことだろう。「無礼だから、大名の肌には触れない。」そんなことより、毎朝お殿様をドキドキさせている方が無礼ではないだろうか。無礼とはいったい・・・。

 無礼ついでにもう一つ。大名の移動には、専ら駕籠が使われているが、駕籠の中では履物を脱いでいるのが普通である。そして駕籠から降りる際に履物を履く。この履物は誰が用意しているのか。それは、草履取と呼ばれる専門の人である。この人達は、比較的身分が低かったようで、駕籠の側まで近付けなかったらしい。では、どうやって履物を差し出していたのだと疑問に思われるだろうが、答えは簡単である。殿様に向かって投げていたのだ。これを投げ草履というらしい。駕籠に近づくことより、草履を投げるほうが無礼だと思うのは私だけだろうか。疑問である。

 そして、最近一番の疑問は友人Eの電話である。その日、友人Eから電話がかかってきたのは、午前三時を過ぎていた。何かあったのかと思いきや、Eは開口一番こう言った。「イチョウって、裸子植物?」 ・・・。

 世間では、イチョウが裸子植物か、被子植物かということが、そんなに重要なポジションにあるのだろうか。どうぞ誰か教えてください。

 このように、どうでもいい疑問はそこここに転がっているのだが、まともな答えにたどり着ける疑問は、僅かだということをいうことに最近気がついた。

 

<コメント>

 一部事実誤認があるようです。

 髪結いで毎日月代をそるのは庶民です。そのため、誰でも毎日床屋に一度は顔を出すものですから、式亭三馬の『浮き世床』を読んでもわかるとおり、江戸時代には髪結い床というやつが、町内のわかい衆の、寄りあい場所になっていました。また、床屋に行く暇のない大きな商店主などは、渡り髪結いというのを毎日店に通わせて剃らせていたわけです。ついでにいうと、そのころは、男は髪結い床でひとに髪を結わせるのに対して、女のほうはめいめいじぶんで、髪を結ったものです。女髪結いというのが現れるのは、江戸もかなり末になってからです。

 これに対して、幕臣など、武士の場合には、八丁堀の同心などのように庶民的な武士をのぞくと、そこに奉公している小姓や若党が剃るのが普通でした。年頃の男の子がいる場合には、その息子が父の頭を剃ります。というのは、武士は、官僚で、誰でも下からはじめて、だんだん偉くなります。名家の子供も主君の頭を剃る必要があるから、父が自分の頭を練習台に差し出したわけです。したがって、小姓になれるほどの名家の武士はたいてい、町の髪結い顔負けの剃刀使いの名手でした。

 大名の肌に触れてはいけないなどというのはもちろん嘘です。医者が大名の肌に触れることが禁じられるので、糸脈といって、手首に糸を結んで隣の部屋から脈を診た、というのと同じたぐいで、講釈師が作ったフィクションです。

 同様に、草履取りが身分が低いから駕籠のそばに寄れない、ということは絶対にありません。もしそうなら、さらに身分の低い駕籠かきが、駕籠を担ぐこと自体が不可能になります。要するに、身分の上下とは別に、職制上、主君のそばに寄れる人というのは当然にいるわけです。たとえば、お庭番というのも、身分は低いのですが、職制上将軍のそばにいて直接に対話することができます。八代将軍吉宗は、それに目をつけて、直属のスパイを、すべてこのお庭番に任命していました。

 しかし、投げ草履というのは本当にありました。ただ、駕籠でするのではありません。馬に乗って遠乗りをするときに、草履取りは走ってお供します。当然馬の方が足が速いわけで、目的地について主君が馬から下りるときに、まだ草履取りは追いついていません。そういうとき、数間も手前から草履を投げるわけです。名手が投げると、両方ともがきちんとそろった形で、どんぴしゃり、主君の足下に決まったそうです。

 

死の意識と教育

                    永井 裕

 

 「死」を、あなたはきちんと考えたことがありますか?自分がいつ死んでもおかしくないのだと、意識して生きていますか?

 きちんと考えましょう。意識しましょう。そうすると、「生」の大切さを感じることができます。いつ死んでも良いように、精一杯生きておこうという意欲が沸いてきます。

 このようなことを、果たして現在、学校は教えているのでしょうか。少なくとも、私は学校で教わった記憶がありません。意識したのは、中学三年以後だと思います。

 そんなものを学校で教える必要はないと考える人がいるかも知れません。でも、本当にそうでしょうか。ちょっと考えてみましょう。

 最近の子供は、頭が良いです。インターネットも使いこなしますし、完璧な嘘で親を騙します。もちろん、これはあくまで私が平均だと考える子供であり、実際にはピンからキリまであります。パソコンなど触れたこともない子供だってたくさんいますし、果ては株を買い、会社を経営するような子供もいます。また、単純に「子供」といっても、年齢、地域、環境、経験などでぜんぜん違います。ですが、一応ここではインターネットが使える子供を想定します。

 さて、子供はインターネットやテレビで様々な情報を得ます。また、その情報を身近な子供に伝えます。

 問題は、その情報の中身です。高度経済成長期の輝かしい時代ならいざ知らず、やれ不況だリストラだ、やれ殺人事件だと、心が荒むような情報が溢れています。大人達でさえ心が荒み、生きていたってろくなことがない、もう死にたい、等と口々に漏らしています。

 このような現状において、子供達は、がんばって勉強しよう、未来には無限の可能性があるんだ、等と信じるでしょうか。それはいくら何でも無茶というものです。

 しかし、それが現実です。どんなに子供を隔離し、情報から遠ざけようとしても、必ず子供は知ってしまいます。そして、頭の良い子供であればあるほど、その現実を直視し、生きているのに耐えられなくなります。

 そこで、私は思うのです。先んじて子供に「死」について考えさせておくべきではないのか、と。

 確かに、現在でもカウンセリングというシステムはあります。専門的なことは分からないですけど、これは、精神的に不安定な子供に対し改善措置を行うものだ、というように認識しています。

 ですが、私はそれだけでは足りないと思うのです。教育課程において、子供一人一人が「死」を意識する段階を設けることがが必要だと思うのです。

 これに対し、そんなものを子供に教えるのはかえって危険だ、と思う人もいるでしょう。現在のカリキュラムには「道徳」もあるし、教師や親が個別に教えることもできる。それで十分ではないか、と。

 しかし、少なくとも私が経験した「道徳」の授業は、きれい事の並べられた教科書を読むだけのものでした。私も、実際に未遂に至るまでにはいきませんでしたが、精神的に不安定になり、何度も真剣に自殺を考えたことがあります。私でさえこうなのですから、全国にはまだまだ多くの「自殺未遂予備軍」がいることでしょう。

 とはいえ、「自殺未遂予備軍」が実際に自殺を図るまでには、実は大きなハードルがあります。

 まず、現代の子供の多くは、あまり痛い思いをしたことがありません。ですから、いざ手首を切ろうとしたり、高いところから飛び降りようとしても、痛い思いをするのが怖くて躊躇してしまいます。

 また、人はやはり死ぬのが怖いものです。死んだら自分が消えてなくなるのではないか、不安で一杯になります。睡眠薬をたくさん飲もうとしても、なかなか踏ん切りがつきません。

 でも、これらは実は「最後の砦」です。一度手首を切ってしまえば、次に手首を切るときの躊躇は格段に少なくなります。一度死の覚悟を決めて睡眠薬を飲んでしまえば、死への恐怖は軽減されます。魂の存在を信じている者もいるでしょう。

 このことは、専門のカウンセラーの方々が一番良く分かっているかも知れません。「最後の砦」を一度越えた者の再発を防止するのが、いかに難しいか。

 だからこそ、私は思うのです。精神的に不安定な状態、本人にとっては孤独な状態で「死」に向き合わせるより、あらかじめ「死」を意識しておくべきではないかと。

 ただし、同時に「生」の大切さをも実感させておくべきだと、わたしは思います。ただ「死」を意識するだけでは、「どうせいつか死ぬなら今死のう」となりかねません。もちろん、精神的に成熟している大人であれば、「生」の価値に気づくまで放っておいてもいいのですが、未熟な子供はちゃんと誘導してあげる必要があります。

 では、「死」から「生」へとたどり着く為に必要なものは何でしょうか。これがとても難しいです。 一番手っ取り早い方法として、自らが存在する為の確率を説明することが考えられます。

 人間は、何億何万分の一の確率で受精卵となります。また、私の考えですが、人間という種族になるにも、日本に生を受ける為にも、気の遠くなるような確率をくぐり抜ける必要があります。

 だからこそ、我々はいつ死ぬか分からないのです。生まれるまでのどの段階で死んでもおかしくなかったのだから、これから先いつ死んでもおかしくないのです。

 これらの説明を踏まえた上で、我々には無限の可能性があるんだ、と説明すればどうでしょうか。少しは子供達も信じる余地があるでしょう。

 どんなに「死」と「生」について意識させたとしても、完全に自殺を止めることは不可能だと思います。成人した大人は自己責任ですから気にしないとして、子供が現実に嫌な経験をした場合、精神的に不安定となり、自殺まで突き進んでしまうことがあるのはどうしようもないことです。

 けれども、「死」を土台にした自分の「生」の大切さを知ることは、少なくとも自殺を止める歯止めにはなるのではないでしょうか。

 

<コメント>

私が死について集中的に考えたのは、中2の頃だったと思います。よく判らないものですから、有島や芥川をせっせと研究し、それをレポートの形でまとめて教師にコメントするように強制して悩ませたことを懐かしく思い出します。

 私が当時下した結論は、要するに人は肉体だけで生きるのではない、ということです。早い話、芥川は、彼の作品を通じて今も生き生きと存在しています。私も、後に残るような作品を世に残すことで、肉体の死を超越できると考えました。以来、日常的に大量の文章をつづるようになって今日に至っています。私が文章を書くのを苦にしないのは、こういう長い修練のたまものです。

 

極私的スーパーカー論

             松下 和也

 

 私はクルマが好きである。特にスポーツカーや、スーパーカーと言われるものが大好きである。普通のクルマに比べたら使いづらい、燃費も良くない、などのデメリットもあるが(よくよく考えてみると、メリットよりデメリットのほうが多い)、運転しているときの気持ち良さ、楽しさは最高である。

 また、スーパーカーを観るのも楽しみのひとつである。フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェといった今の自分では乗ることのできないスーパーカーを道で見かけるたびに、「生きていてよかった!」と思うのである。モーターショーやクラシックカーショーなどに足を運ぶのも、私の大切な行事なのだ。クラシックカーを観ていると、その時代の流行だった形やインテリアが見えてくる。そして今度はメーカー別に年代を追って観ていくと、そのメーカーのクルマ造りに対する考え方、ポリシー、さらにはメーカーがどんな道を辿って生きてきたのかが見えてくるのである。とても奥の深い、魅惑の世界がそこにはある。素晴らしい至福の時を過ごすことができるのだ。

 そんなわりとマニアックな観察を日々行っているのだが、ひとつ発見をすることがあった。各々の年代の、種類のちがうクルマを観ても、それがどこのメーカーのクルマであるかが一目でわかるのである。例えば、50年代のフェラーリと一番新しいモデルのフェラーリを見ても、すぐに「これはフェラーリだ」と分かるのである。あまり上手く説明できないのだが、年代やモデルが違っても、それぞれのメーカーの匂いというか、存在感のようなものが一貫している様に感じ取ることができるのである。そういった一貫性は目で見ても分かることができる。

 例えば、エンブレム。フェラーリなら「跳ね馬」、ランボルギーニは「闘牛」、ベンツなら「スリーポインテッドスター」など、ずっと一貫したエンブレムを使いつづけている。エンブレムには、その会社が作られた由来などが盛りこまれたりしているので、割と面白いものである。BMWのエンブレムは円を白と青で4分割したものだが、白い部分がプロペラ、青い部分が空もしくはバイエルン州のイメージカラーで、元々飛行機のエンジンをつくっていた会社である。バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ。バイエルンのエンジン製造工場という意味で、頭文字を取るとBMWになる。フェラーリのエンブレムの「跳ね馬」は「カヴァリーノ・ランパンテ」と呼ばれ、第一次世界大戦のイタリアの伝説的パイロット、フランチェスコ・バラッカの戦闘機に描かれていたもの。エンツォ・フェラーリがレーサー時代に初勝利した際に、幸運の証としてバラッカの遺族から譲り受けたものだそうだ。でも、この跳ね馬、実はドイツのシュトュットガルト市の紋章なのである。バラッカが撃墜した飛行機の操縦士だったドイツ人がシュトュットガルト出身で、シュトュットガルト市の紋章を使っており、それをバラッカも気に入ってしまったのだという話である。そしてポルシェのマークの中心にあるのは、本社のあるドイツ・シュトュットガルト市の紋章である「跳ね馬」。なんと、フェラーリのマークと同じなのである。シュトュットガルトとはドイツ語で、STUTTは牝馬、GARTは園という意味。黄色い部分に黒で描かれているものは鹿の角を表し、これはドイツ・ヴュルテンブルク州の紋章。また赤いラインは「知」を、黄色は麦の色から「豊かさ」を表しているのだそうだ。その他、様々なメーカーのエンブレムにも、そのメーカーの由来が込められているのである。

 また、各メーカーの代表的なボディーのデザインやカラーリングにも、存在感が見える。

フェラーリの赤い色(ロッソコルサという色)はフェラーリにしかない色である。ベンツも、ベンツシルバーという独自の色を持っている。ランボルギーニといえば、ガルウイングドア(ドアが横ではなく、縦に開く)だったり、ポルシェならば911というモデルのかえるのようなヘッドライトといった、何らかの特徴的なものが存在しているのである。

 また、メーカーがデザインを担当するだけではなく、カロッツエリアと呼ばれるカーデザイナーが在籍する会社(ピニンファリーナ、ベルトーネ、イタルデザインなど)に依託され、そこから素晴らしいクルマたち(私的に言えば「作品」になりますが。)が数多く産まれている。そして、カロッツエリアから独立をしたカーデザイナーたちが新たなカロッツエリアを設立し、素晴らしい作品を私達に披露してくれているのだ。最近では、日本人のデザイナーもいて、フェラーリやアウディなどのデザインを手掛けていたりする。なんだかそれだけでも、涙が出てくるほど嬉しくなってしまう。(そういう気持ちにになるだけです。本当に流していたら変人ですし。)彼らがデザインしたクルマには、そのカロッツエリアのエンブレムがボディの横あたりに付いていることが多い。デザイナーに敬意を表している様でとても好きである。乗る人間も自慢できるだろう。

 さらに、大体のスーパーカーが機械ではなく、ほぼハンドメイドで作られていたりすることも魅力的である理由のひとつでもある。(これらのお陰で値段が暴力的に高いのだが。

でも、スーパーカーなのだから、値段も馬力もスーパーで良いと思う。そうあるべきだと思う。)とにかく、どこをどう見ても魅力的なのだ。

 上記は、スーパーカーをみることでのメーカーのポリシーやこだわりなどを見てきたが、逆に、メーカーの歴史を見ることによって分かってくることも多い。ひとつのメーカーから枝分れしてできたメーカーがあったり、経営難の末、色々なメーカーをたらい回しにされてしまったりしたメーカーなどもあるのだ。こちらも数奇で魅力的であるが、来年書くことにしようと思う。忘れていなければの話であるが。

 

<コメント>

 私はプロ野球に興味がないのと同様に、車にも興味がありません。というのも、自分では運転しないからです。やらないことには、見る興味もない、というのは私の精神構造の大きな特徴のようです。

 

危険に避けられる女

            山田  奈美子

 

 なんでもいいといわれるのが一番困るものである。人に知らせるほどの趣味など持ち合わせていないし、特定の深い知識もない。しかたがないので、履歴書に書けない特技の自慢でもしようかと思う。

 昔は道路向かいにある八百屋の野菜の値段が見えた。虫歯が一本もなかった。体がやわらかかった。

では今は?

 事故に遭わない。これしかないかも?

 昔から自転車には良く乗っている。猛スピードで走る母の後ろを子供用の自転車で追いかけていたので、わりと鍛えられた。つまり、それなりには速い。

 そして母に似て、自転車の乗り方が荒い。ごく普通の自転車は2年で乗り潰す。パンク、スポーク折れる、チェーンはずれる、チェーン切れる、は普通の出来事である。

 そんな私でも事故に遭わない。いや、毎日事故に遭いそうにはなる。正しくは、事故をぎりぎりでかわすことができる、である。

 きっと事故のほうが私を避けるのであろう。記憶に残る事故に避けられた話を2つばかり。

 1つめ。

雨の日だった。私は住宅街の中を、傘をさしながら走っていた。交差点にさしかかった時右側からスクーターが来るのがわかった。多分私は急に飛び出したのだ。あっ、ぶつかるなと思った次の瞬間。

スクーターが転んでいた。

 ハンドルを切り損ねたらしい。しかも運転手にあやまられた。彼は特にけがもないようでよかったが、なんともいえない気分だった。

 2つめ。

 私は急いでいた。住宅街の中の、薄暗くかなり急な坂道をほぼブレーキかけずにくだっていた。しかもおなかがすいていたので、右にチョコ、左にパックジュースを持ちながら、である。やっぱり交差点で、今度は左からKトラがくるのがわかった。ブレーキかけなきゃと思ったがかけられず(チョコとジュース持っているから)、車にぶつかった。

 今度はぶつかった。さて私はどれくらいけがをしたか?右ひざにあざができただけだった。

 運転手はあわてまくり。「いや〜急にとびだしてくるもんだから…」聞かれてもいないのに見ていた人に釈明する。病院いくかといわれたが、特にけがしていないし、急いでいたし、両手にチョコとか持っていたことがばれるとまずいので逃げた。私はあざだけだが、彼の車はきっとへこんでしまっただろう。ちょっと申し訳ないことをした。

 幸運なのはいいことだ。そして強運でもある。

 これを読んでくださった心優しい方へ。安全運転してくださいね。(←お前が言うな!)

 

<コメント>

 いや本当に、生活習慣そのものを改めないと、命が危ないです。航空産業では、ニアミスは、事故と同視してやかましく原因追及しますし、マスコミも同様です。 このようにニアミスを事故のうちに数えれば、実は君は既に事故に遭っているわけで、本当に事故から避けられているわけではないのです。

 君の年齢の時には、私はそういうものも含めて一度も事故にあったことはありませんでした。君の場合、その年で既に2回の経験があるということは、むしろ事故に遭いやすいタイプであることは明らかです。

 もっとも世の中、本当に事故から避けられている人もいます。私の友人のある弁護士は、粗暴の固まりのような運転をするのですが、数十年、無事故です。逆に、これも私の友人のある公務員は、慎重の固まりのような運転をするのですが、例えば踏みきりで止まっていると、後からやってきた車に追突されるという式のもらい事故に毎年のようにあうという、運の悪い人もいるのですが。

 

 

2年生(12期生)

 

 

私は何者か? 

                  粕谷 亮太

 

 ここにこれから書くことは、「私は何者か?」について書くわけではないことを一言述べておく。主題に書いたことについては読者に尋ねていることは確かなことである。今の私がどのようにして生きているのか、何を目的として生きているのか、なぜここにいるのか、どこからやってきたのか、といったことがまるで分からない人間などではない。昔の江戸時代、ある記憶喪失した女が次のように言っていた。「探してんのさ。だけど他人を訪ねてんじゃない。あたい自身を探しているの。ある時気がついたらある宿場の橋のたもとに立っていたの。それが秋だったから自分をあきと名をつけたの。下女をやりながら、この宿場へ流れてきたの。だけどそれまでのあたいが何処の誰だかちっとも思い出せないの。」さらに続けて、「昔がなければ明日もない。」(カムイ外伝第8巻心旅編p153)これを聞いていた抜忍カムイが心に思ったことは次のようなことで、実を言うと私にはこの意味が分からない。「自分の明日を得るために昔を尋ねる心旅」(前掲p158)。

 私は今までに多くの信じることのできる友人達に支えられてきたことを確信している。今でもその友人達に対し「信義」をもって報いていると考えている。その友人達は私を様々な言葉を尽くして評価している。これがまさに主題に掲げた問題に対する友人達なりの答えとなるわけである。もちろん、私なりの答えもある。そこで、以下にその答えを紹介していく。これはちょうど法律の解釈学に生じる学説の分かれと変わらないほど混沌としている。それはある意味、当然のことではある。なぜなら、十人十色と言われる通り、人の考えていることは様々だからである。

(一) 単に風変わりな人であると考える説(奇人説)がある。これは、私が中学2年生の時から友人である「西瓜」と呼ばれている人物が唱えている説である。後に、「イカ」と呼ばれる人物も賛同するようになる。中学3年生の時に初めてこの人物の存在性を知るのだが、今では西瓜とイカが極めて私のために尽くしてくれている人物と言えるかもしれない。私はこの両名から私の生き方を今でも支えられているのである。今ではこの考え方を唱えているのは私の友人の中ではこの両名に過ぎないので、「ダブルイカ説」とも呼ばれている。

(二) 変な人であると考える説(変人説)がある。これは、西瓜と同じ頃友人となった「ジョリ」という人物が唱えている説である。

(三) 狂人であると考える説(狂人説)がある。これは、何を隠そう私が唱えている説である。

(四) 何でも強引に押し通そうとするところは軍人であると考える説(軍人説)がある。これは「わたや」と呼ばれている人物が唱えている説である。今、彼はこの世に存在しているのか確信が持てないほど定かでない。わたやとは中学2年生以来の友人である。西瓜やジョリと出会った頃と同じ頃である。このようにに考えていくと、私にとって、中学2年生になると今も住んでいる場所に引っ越してきて、間もなくして今の友人ができたあの頃は、私にとって大変幸せな頃であったように思える。

(五) 普通の人間と何ら変わりはないと考える説(凡人説)がある。これは、私と同じ幼稚園に通っていた「オグチリソース」と呼ばれている友人がそのように言っている。あちらこちらと転勤により引越しばかり重ねてきた私にとって2人しか幼馴染がいない中で、そのうちの一人である。

(六) 奇人・変人・狂人・軍人・凡人といった議論はそもそも無意味であり、全てを兼ね備えた人物と考えれば足りると言う説(総合説)がある。これは、私が中学3年生の時に存在性を知り、高校1年生以来の友人である「ドラゴン」と呼ばれている人物が唱えている説である。今でもこの説を唱えているのはドラゴンだけであり、賛同する友人はいない。それ故、「ドラゴン説」とも呼ばれている説である。

 ここまで読んできた人は自分がどの説を取ろうか迷うであろうが、どの説を取ってもかまわない。また、自分なりの説を作り出してもかまわない。読者はこの文章を通じて私が「何者か?」のイメージさえ持つことができれば、この文章の役割は十分果たされたと言ってよかろう。

 

<コメント>

私が学生の頃、楳図かずおの「猫目小僧」という作品がヒットしていました。猫目小僧というのは、妖怪猫又の子供でありながら、目が猫そのものである点を除き体付きは人間そっくりという奇形児であるため、妖怪世界から追放され、妖怪と戦うという話なのですが、彼が死闘を演ずる敵の団体に妖怪百人会というのがありました。これが受けて、私は「法職変人百人会会長」と呼ばれるようになりました。ここで注目して欲しい点は、私をそう呼んだ連中も、少なくとも自分が変人百人会の会員であることは認めていた、という点です。ま、法職の連中が、普通の人間であるわけがないのです。

 

自分と司法試験

          島村 隆志

 

私は高校三年までずっと日本史が好きだったので日本史の教師になりたいと思っていた。日本の歴史を知ることが楽しいし、なによりも私はカタカナが苦手なので漢字だらけの日本史は親しみを持って勉強することが出来ていた。ちなみに恥ずかしいことに未だにカタカナは苦手で大学一年生の時に、あるシュークリーム屋さんでカスタードクリームのシュークリームを注文するときに、『マスタードください』と言ってしまったことがある。中学生の時には、地理の試験でヨーロッパを、『ユーロッパ』と書いて満点を逃したことさえあるように、どうしてもカタカナの言葉は苦手だ。

 ところでなぜそんなに好きだった日本史をやめたかというと、日本史には暗記しかないし、知っていても悪く言えば雑学のようなものなので、普段の生活においてはあまり役に立たないと感じた。そのため、生涯やっていこうとは高校三年のころには思わなくなっていた。

そこで登場したのが法律学である。ちょうど日本史に対する意識が変わり始めていた高校三年生の頃に、日本史の授業でボアソナード民法を学び、もっと細かく法律というものを学びたい、法律がわかるようになりたいと感じるようになった。そのため史学科に行くのをやめて法律学科に入学した。

法律学は日本史と同じようにカタカナが少ない。しかし、暗記するだけでは足りず、解釈する能力が必要であり、暗記するだけでは物足りなかった自分にとって楽しいものであり、また法律を理解していることは社会に出て自立する上でとても生活上役に立つ知識であるのでやりがいがある。

では、なぜ司法試験を目指したいとまで思ったのか。それは幼少時代に答えがある。

私は五歳ぐらいの時に水痘症と言う脳の病気になった。その当時、この病気はとても手術は難しく、もし成功したとしても目が見えなくなるか、耳が聞こえなくなるか、とにかくなにかしら障害が残ってしまう可能性の高い難しいものだった。現に同じ病気で入院していた同室の子は、目に障害が残ってしまったと聞いている。ただ私は偶然にもこの手術に関しては日本で五本の指に入る様な凄腕の先生が担当医であったおかげで無事成功し普通の生活を送れている。

このように、私は人に助けてもらえたおかげで今の自分がいる。だから将来自分も人を助けられるような仕事に就きたい、そう昔から考えてきた。だからこそ平凡に会社に就職して自分のために働くのではなく、司法試験に合格し、そして身につけた法律の知識を使って人の役に立てるようになれたら、最高である。が、どうなるかはこれからの自分次第。

<コメント>

失礼ながら、これまであまり教師に恵まれなかったようですね。

ヨーロッパをユーロパと書いてどこが悪いのでしょう。同じ発音を、昔の日本人がヨと聞いたかユと聞いたかというだけの違いであるにすぎません。ユーラシア大陸という発音で判るとおり、あれをユーロパと発音するのは正しいのです。そういう細かいところにこだわる教師に会ったのが身の不運でしたね。

日本史についても同じことで、私は日本史は大好きですが、未だ日本史が暗記科目と考えたことがなかったので、仰天しています。ここでも、あれほど自由な発想を要求される科目について暗記科目と教えるような教師に会ったことが不運でしたね。

念のために、付言すると、私は日本史に関してはセミプロです。すでに10年以上も、ある月刊誌に日本史の論文を連載しています。私の日本史は、5代将軍綱吉や9代将軍家重が名君で、8代将軍吉宗は人間のくずであるとか、田沼意次は名宰相で、松平定信は人間のくずである、といった調子の、通説に大きく挑戦することを、緻密に事実を積み上げて主張するものですから、講談社が出している「再現日本史」という週刊誌も時々私に聞きに来ますし、先日もある大学の史学科の学生が、卒論に私の話を引用させてくれ、と申し込んできました。

運が悪いと、法律学も暗記科目である式の教育をされるおそれがありますが、そうではなく、理解力が勝負なのだ、ということを把握して頑張ってください。ついでにいうと、例えば君が感激したボアソナードの本などは、ひらがなの代わりに全てカタカナが使われているなど、これは日本史も同じことですが、法律学では、ちょっと文献調査をするとカタカナを避けて通れません。それで嫌気がささないことを祈っています。

 

ナンカきそうだよ地震

            正田 智恵子

 

最近、日本のあちこちで地震が起きていていつどこで起こるかもわからない。正確に言えば、世界中のあちこちで起きているみたいだ。

 当たり前だといえば当たり前の話なのだが、事前にいつどこに来ると予測できればいいのだがそんなに上手くはいかない。

 それに、予測することは違法らしい。(あまり良く知らないが)でも法に反しない程度に地震予測をしている人たちがいる、ある意味私は彼らに信者なのだ。

 信じない人もいるかも知れない。まぁ、別に私は、何信じているんだよ。と馬鹿にされてもあんまり気にしない。

 正直信じろと言う方が無理なのだから、けれど、ちょっと興味がある人は覗いて見るといいと思う。

 

S◎S  http://www.bekkoame.ne.jp/~gekka/

 

 

あとは、そうちょっと便利なことでも書こうと思う。

 

 <防災セットに必要なもの>

1、水(500のペットは最低限)

2、食料(遅くても3日後には炊き出しが始まると思われるのでそれまでの分)

3、軍手とゴミ袋とマスク

4、ガムとか漫画とか音楽の聴けるものとか(リラックスできる物が無いと辛いらしい)

5、傷薬や飲み薬など

6、ラジオ(第一報にはたいてい修正が入るので、第二報を聞いてから逃げよう)

 

 <こうした方がいいのでは−実践編−>

1、目の悪い人は、眼鏡をケースに入れて枕元に置く(眼鏡って意外とキャシャいので)

2、枕元に笛を置く(家具に潰された時に助けを呼ぶのに便利)

3、ベットから届く位置に靴を置く(ガラスが散乱していて危なかったりするので)

4、大きそうだったら脱出路の確保(ドアが変形していて開かなくなったら嫌なので)

 

 最後にちょっと怖いこと

 新宿のど真ん中に細菌を研究する施設があるらしい。つまり、大きい地震がおきたら外に出ちゃいけない細菌が細菌兵器となる可能性がかなり・・・・・。

 そして、浜岡原発は巨大地震に耐えられるかは怪しいらしい。(嫌だなぁ)

 

 地震が来ないことを祈るばかりだ。

 

<コメント>

 法律家の卵のくせに、法的にいい加減なことを無造作に書き並べてはいけません。このように法的に関わりのある問題については、常に法的意味をきちんと確認して記述する習慣を身につけないと、将来、職業的な自殺をする羽目に陥りますから、気をつけてください。

 この文について私がフォローしておくと次の通りです。

 

○ 地震の予知をすることが違法、というのは不正確な記述です。地震予知は、もちろん違法ではありません。あちこちの研究家が、官民を問わず、日夜それを可能にするべく、研究に励んでいることはご存じの通りです。

 それに対し、神のお告げ式の、科学的な根拠のない予知を公表すれば、例えば軽犯罪法にいう「虚構の犯罪又は災害の事実を公務員に申し出た者」として処罰されることなど

があるわけです。

 

○ 新宿云々というのは、東京・新宿区にある国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)のことと思われます。これに関して細菌兵器云々というのは不正確な記述です。

 細菌を取り扱う施設は、その取り扱う危険のレベルに応じて、一番安全度の高いP1から、一番危険度の高いP4まで、4段階に分かれています。細菌兵器にもなりうる細菌の遺伝子を組み換えて研究するP4レベルの研究施設は、日本では、東京都武蔵村山市にあるこの感染研の分室と、私の住む牛久市の隣町であるつくば市にある理化学研究所ライフサイエンス筑波研究センターの2ヵ所があります。しかし、感染研分室は、武蔵村山市議会の反対に遭って、81年以来稼動しないまま現在に至っています。また、理化学研究所も、2度、危険な実験をしただけで、本格稼動はなされていません。

 これに対し、新宿の感染研は、P3施設ですから、実質的に稼働している細菌施設としては一番危険度が高いという話になるわけです。しかし、P4が、 抜本的な遺伝子組み換えを使って、生物兵器にも使えるような新種の生物を研究しているのに対して、P3ですから、既往の伝染病、例えばペスト、0−157、赤痢、チフス、マラリア、結核といったものの研究が行われているだけです。これらは、既往の治療手段が無効な細菌兵器と違って、あくまでも既往の病気ですから、既往の治療手段が有効です。その意味で、細菌兵器となる可能性云々というのは明らかな誤りです。

 ただ、P3施設も、内部から病原菌が外に漏れ出すときわめて危険です。そのため、陰圧をかけて(つまり、外の気圧より施設内の気圧を低くして)細菌が外に出るのを防いでいます。大地震が起きて、そのエア・シールドが破れると、ペストやチフスの病原体が外に出てくる可能性があります。その意味で、私自身も、この研究所の周りに住みたいとは思いません。

 この研究所のある場所は、新宿のど真ん中というと、まるで歌舞伎町にでもある感じですが、実際は戸山公園に隣接しており、閑静な住宅街にあります。早稲田大学のすぐ隣です。日大教授でよかった!

 

○ 「浜岡原発が巨大地震に耐えられるかは怪しいらしい」というのも、不正確な記述です。わが国の原発は、いずれもM8・5の大地震にも耐えられる強度で設計されており、静岡県浜岡町にある原発もその例外ではありません。東海地震の想定震度は8.0です。8.5はこれを上回っており、その意味では少しも怪しくないのです。

 問題は、浜岡は東海地震の想定震源域の真上に位置している点です。我々は地震による破壊のメカニズムを完全に把握しているわけではありません。阪神大震災の際には、想定以上の大きな震度に見舞われた地域があり、被害を拡大しました。仮に東海地震が発生し、浜岡原発を直撃した場合に、したがって予想外の重大事故が起こることはない、と断言することは誰にもできません。そして、そうした事故がおきた場合には、放射能漏れで震災復旧活動は不可能となり、被ばくと震災の犠牲者は無数にのぼる可能性があります。

 こういうことを、東海地震説を最初に公表したことで有名な神戸大の石橋克彦教授(地震学)は2003年7月7日に、札幌市で開かれた第23回国際測地学・地球物理学連合の総会で講演した、ということです。そして、前地震予知連絡会会長の茂木清夫・東大名誉教授(地震学・岩石力学)もやはり、同総会で講演し「世界で、M8クラス地震の想定地域に原発があるのは浜岡だけ。最悪の立地条件にある」と指摘していました。茂木名誉教授は「原発事故が起こってから『想定外だった。次に生かす』というのは許されない。認識が甘すぎる」と安全性を主張する政府などの姿勢を批判したのです。
 つまり、浜岡原発それ自体が怪しいというのではなく、東海地震が浜岡を直撃する可能性があるという点が問題になっているのです。安全サイドに立つならば、そういう危険な立地にあることが明らかになれば、 施設にどれだけの強度があるかを論ずる以前に、操業の中止という選択肢を検討するべきなのです。そうした観点から、浜岡原発については、現在、地元住民が操業中止の仮処分を申し立てています。

 同じように、島根県敦賀原発が、最近の調査で活断層の上に位置しているらしいことが判って問題になっています。 従来、電力会社は、原発を活断層の上には作ることはしないと明言していたのですが、その後、活断層の上にあることがわかると、今度は安全性は十分あるから、と操業を続ける構えです。

 

○ 日本にいて、地震のこないことを祈るほど、無意味な祈りはありません。必ずくるのです。目先の利益にとらわれて、地震がきたときに、無用な被害を拡大すること がないように、日頃から、安全サイドに立って、様々な対策を講じたいものです。

 

私の趣味

                      芳賀 千恵子

 

 私の趣味と言えるものには、2つあります。それは華道とソフトボールです。

 まず、華道ですが、華道というと伝統を重んじ、着物姿に正座して生けるという堅苦しいイメージがあるかもしれません。でも実際は、金槌や鋸までも使う機会があり、活動的な面があります。(最近、TV等で出演している華道家、假屋崎省吾さんを思い出してもらえると分かりやすいのですが。)

 小学校6年生の時、母が習い始めたのを機に、私も習いたくなり始めました。

 華道を始めて思うことは、なにも改まった形式にとらわれ過ぎず、その辺の道端に小さく咲いている花でも、その花の美しさを多くの人に気付いてもらえるように生けることが大切ではないか、ということです。そして、生けている自分自身が自然や四季の美しさを感じることが1番だと思います。ふと一息つき、いつもの生活とは違った空気を味わえるのが魅力です。

 2つ目は、ソフトボールです。ソフトボールは野球に類似したスポーツです。中学校の部活動で始めて、大学の体育までソフトボールを専攻してしまいました。大学の体育は、約70人中女子3人という特異な環境でしたが、毎回の授業がとても楽しかったです。

 ソフトボールは、団体競技です。チーム一丸となって頑張らないと勝てません。これはソフトボールに限らず、多くのスポーツに共通して言えることなのかもしれません。でも、1つの試合の中で失敗をしても、それを他のメンバーが庇い合い、夢中で1つのボールを追いかけ、一生懸命になれるので、ソフトボールが好きです。

 華道もソフトボールもまだまだ上手とは言えませんが、夢中になり、自分の思いを形に表現したり、仲間と笑ったりできる時間なので、私にはとても貴重なものです。

 最後に、失敗も多い私ですが、甲斐ゼミで一生懸命頑張っていこうと思っています。皆さんと楽しく充実したゼミを送りたいと思っていますので、どうぞ宜しくお願いします。

 

<コメント>

華道というからおとなしいものかと思っていたのですが、違うのですね。国家試験は体力勝負です。華道とソフトで培った体力を生かして頑張ってください。

 

とりとめのない話

               浜崎 昌之

 

 まず、初めて書くので、まずは自分の名前の紹介をしたいと思います。僕の名前は「浜崎 昌之」(はまさき まさゆき)といいます。名字の「さ」は濁音でないことに注意してもらいたいです。なぜ濁音ではないのか、ということですが、これはおそらく、僕の家系が関西出身だったことにあると思います。そういうのも、関東では濁って発音する人が多いようですが、関西ではその逆が多いからです。これはきっと言葉の違いによって生じたものだと思います。ぜひ、濁らない「さ」の発音でよろしくお願いします。

 さて、今回、「内容は何でも良い」とのことなのですが(何でも良いというのが、何を書いたらいいか一番困ってしまうのですが)、僕の最も好きなアーティストである、サザンオールスターズについて少しお話をしたいと思います。

 僕がこのグループを好きになったのは、中学生の時でした。当時、僕は部活やクラス、そして高校受験を控えていることなど、いろいろと悩んでしまうことが多かったのです。そんな時、たまたま聞いた曲が彼らのデビュー曲である「勝手にシンドバッド」という曲でした。最初に聞いた時は、「これはなんだ?」という感じもしましたが、その曲から少し元気をもらえたと思います。

 そのようなきっかけで好きになっていったのですが、彼らの曲には名曲といわれるような曲がある一方、全く逆の曲もあります。僕自身は、これらの曲すべてが好きです。それは、これら両方の曲が一方に偏らないうまいバランスを保っているからです。そして、このバランスの取り方が、僕にとって好きになせる要因となりました。

 また、以前ライブに行った時のことですが、彼らは何万という客を一体にして盛り上げていました。僕自身、この時は鳥肌が立つ思いをしました。ここでもやはり、「すごいなぁ」と感心してしまいました。

 以上のようなことの他にも、まだまだ数多くの思いがあり、簡単には説明できません。ただ、1つ言えることは、これからさまざまなことにチャレンジする際、大変な苦労をするかもしれないけれども、サザンオールスターズの曲を聞いてがんばっていこうと思うことです。

 題名の通り、本当にとりとめのない話となってしまいましたが、どうかよろしくお願いします。

 

 

<コメント>

 漫画「釣り馬鹿日誌」に登場の現代の超人、浜ちゃんが、ハマザキと呼ばれる都度、厳しくハマサキと修正するのになじんでいるので、澄んで発音する点については何ら違和感はありませんね。      

 

自分について

                    古谷 圭

 

 書くことがないので、自分について考えてみました。

 自分は、せんべいで有名な埼玉県草加市出身です。長所はこれといってありません。短所は自分に甘いことです。長所と言えるものがあるとすれば、短気ではないと思うことです。電車が遅れても、怒りません。それは、高校時代、駅員の補助のアルバイトをしていたからです。なぜアルバイトをしていたかというと、高校では野球部に在籍していたからです。野球部というのは、とにかくお金がかかります。毎週の遠征をする、そのたびに電車賃やタクシー代などの通行費や道具などに使うお金を足したらきりがありません。そのつど、親からお金をもらっていては、お小遣いをもらえる状態ではありません。だから、朝、駅でアルバイトをしました。

 バイト中、人身事故などが起こり、大幅にダイヤが乱れた場合、お客の怒りの矛先は駅員に向きます。私もヤクザ風のおじさんなどに怒られました。その時に、仕事というものが大変だと実感しました。だから、電車が遅れても大丈夫なように、自分が電車に乗るときは早く家を出るようにしているし、遅れても冷静に対処しようと心がけています。

 最初に、自分に甘いと書きましたが、これからは自分に厳しく、将来の目標に向かって頑張っていきたいと思います。

 

<コメント>

 本当にこれは中身に乏しく、あまりコメントすることがありませんね。日頃、論文を書く練習を重ねていくことで、こうした文を書くことも容易になりますから、毎週確実に論文を提出するように努力してください。

 

最近

                           細川 真代

 

 無事12期生となれ、ゼミ誌に載せる文章を書いています。えー、どうしたら良いのかわかりません。普段、パソコンに向かって文を書くということをしないものですから・・・。とりあえず最近感じたことを書いてみたいと思います。

 

 数日前、学校に行くために電車に乗りました。空いていた席に座ると、横の人が突然ぶつぶつ言い始めたんです。「首かっ切るぞ」って。びっくりしました。ほかにも、血が、や、髪引っこ抜くぞ、など。高校時代、ボランティア活動をしていた私。多少はそういった方たちと関わったこともあり、普段はたいして気にもしません。でもさすがにここまで敵意むき出しにされたことがないものですから、怖くなって次の駅で降りました。こんなときは、どうすれば良いのでしょう。

 さて、電車を降りた私、次の電車に乗りました。降りた駅から四つ目の駅で、女子高生が乗ってきたんです。彼女は音楽を聴いていました。ヘッドフォンからドラムの音が聞こえます。そうです、音漏れってやつです。これも普段はあー、聞こえるなって思うだけです。でもこの日は体調があまり良くなかった上、先ほどの出来事による衝撃のためか、やたら気になるんですよ。もうイライラ、ムカムカ。

 私の友人は、音漏れを気にするあまり、音量を最小にし、自分でもあまり聞こえない状態で使用していました。彼女曰く、迷惑かけるよりは。と。さすがに、みなさんそうすべき、と思ったりはしません。私自身、最小で使ったことはありませんし。ただ気にはします。漏れてないか確認くらいはします。私の場合、最近では聞くこと自体がなくなっているのですが。ともかく、この程度の気遣いを望むのも、もはやいけない時代なのでしょうか。

 先述の高校生、思わず私が振り返って見たためか、音量調節してくれました。まだ聞こえてはいたのですが・・・。それでもましになったな、と思った矢先のことです。きっと電車が走り出し、聞こえなかったのでしょう。最初よりも大きな音で聞き始めたんです。・・・頭が痛くなり次の駅で降りました。

 注意さえできない自分を反省しつつ、怖いのでとても注意などできないのだろうな、と感じている最近です。

 

<コメント>

 難しい問題ですが、注意することだけが正しい対応ではないはずです。人はそれぞれ、その欲するところにより行動する自由を有しているのです。一本列車を遅らせる余裕が君にある日には、他の人のカセットを 聞く自由を尊重してあげることも又、相互受忍で成り立つ現代社会の正しい生き方と思います。相手の人も、静かな車内であれば、ボリュームを下げる良識のある人であれば、社会正義感から、注意しない自分を責める前に、我慢してあげた自分をほめてもいい話だと私は思います。

 

なんかもう、必死でしょ

           渡辺 佳孝

 

 「なんかもう、必死でしょ。最近のケータイ」で始まる某携帯会社のCM。画面に映っているのは松本人志の顔だけ。このCMが結果として売上に貢献したかどうかは別として、今回はその内容について考えてみた。

 まず、松本人志のキャスティングについて。彼は一言で言えば、ズバ抜けた発想力と鋭い観察力と干されるのも恐れない毒舌を売りにする、力の抜けたコメディアンである。彼が万人ウケするコメディアンとはいいがたいが、発せられる独特の言葉は、それなりに影響力を持つ。「話せりゃええやん」というのは、まさに彼の言いそうなセリフである。TU−KAが着目したのも、この点にあるものと思われる。まさにベストチョイスだと思う。目の丸い犬を使って大多数の人に好感を持たせたり、派手な演出で積極的に視聴者を惹き付けようとする他の多くのCMとは対照的に、一人のクセのあるコメディアンが、ただしゃべっているだけ。たしかに、シンプルさを推しているTU−KAにマッチするのが松本人志だったともいえるだろうが、これは明らかに、他のCMを意識して作られたものであろう。他とは違った角度から攻めることによって、独特の感性と存在感を表し、コイツはちょっと違うな(いい意味で)といった印象を視聴者に与える、という戦略であろう。これによって、TU−KA加入者はセンス抜群なので、あなたも入りませんか?といって、加入者を増やそうということである。このことから、TU−KAがセンス抜群の松本人志をキャスティングしたことは、センス抜群である。

 次に、TU−KAの売り出し方について。そもそも、「話せりゃええやん」ということは、単純に、通話機能だけあれば充分であるということである。ところがTU−KAでは、メールも静止画もインターネットサービスも行っている。そこで「話せりゃええやん」ということは明らかに矛盾している。ということは、これは結局松本人志の意見に過ぎず、TU−KAの意見ではないことになる。すなわち、TU−KAのCMで松本人志がただ自分の意見をしゃべっているだけ、ということである。TU−KAとしては、松本人志様様の効果によって、なんとかして売上を伸ばしたいのだろう。

 もう気付いている方もいると思うが、一応オチをつけておく。

 

 本当に必死なのは、最近のケータイではなく、最近のTU−KAである。

 

<コメント>

 私はあまりテレビを見ないから、ここで問題とされているCMを見た記憶がなく、又、そもそも携帯を持っていないから、この話、今ひとつ理解できない。

 しかし、TU-KAが松本を起用して売っている携帯が、本当に渡辺君の言うとおりメイルや静止画送信機能までついている商品であるならば、CMで宣伝しているものとは異なる、購入者の希望しない機能まで押しつけているという点で、明らかに虚偽の広告であり、許されるべきではない、と思う。

 実をいうと、先日、ミュンヘン大学のバドゥラ先生が来られた際、その10日ほど、学部から携帯を持たされていた。実にいろいろな機能のある代物なのだが、必要最小限度の機能を使うためだけに でも、常時厚さが1cm以上もある分厚い取扱説明書を持ち歩き、首っ引きで調べねばならず、いい加減音を上げたのである。本当に、通話以外の余計な機能を持たない携帯があればともかく、今のままの携帯なら、近い将来絶対に買わない、と決意したものであった。それだけに、ここで取り上げているCMが、単なる CMタレントの意見を流しているにすぎず、商品の実態を反映したものでないのであれば、公正取引委員会が取り締まるべき誇大広告と確信する次第である。