学問自由する法的規制

甲斐素直

問題

  20XX年、国会で、遺伝子組換えがもたらす生命・健康に対する危害の問題が議論された結果、「遺伝子組み換えに関する研究の規制に関する法律」が制定された。

 同法は、第一に「遺伝子組み換え技術を利用した研究を行っている者は、その研究の内容を文部科学省令で定めるところにより、文部科学大臣に届け出なければならず、また、研究成果についても、発表に先行して文部科学大臣に届け出、その許可を得る必要がある」と定めていた。

  第二に「文部科学大臣は、研究内容届け出の内容を検討し、問題があると認める時には、研究の中止または研究方法の変更を命じることができ、また、研究成果届け出の内容を検討し、問題があると認める時には、研究成果公表の制限または禁止を命じることができる」と定めていた。

  Xは、新型インフルエンザの病原性について、遺伝子組み換え技術を使って研究していたが、それを発表すれば、ノーベル賞も十分に可能と思われるきわめて優れた研究成果を得た。そこで、発表に先立ち、同法に従い、文部科学大臣に届け出た。

  文部科学大臣Yは、検討の結果、その研究成果の一般への公表を認めると、テロリストが容易に生物兵器を開発してテロを実行することが可能になると判断し、その成果発表の禁止を命令した。

  そこでYはこの法律は憲法23条に違反するため、成果発表禁止命令は無効であると主張し、Yの処分の取り消しを求めて訴えを提起した。

  本問に関する憲法上の問題について論じなさい。

 

[はじめに]
(一) 問題の背景
 20122月、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授が強毒性鳥インフルエンザH5N1ウイルスが人間を含む哺乳類間で空気感染する仕組みを解明した論文を英国の科学誌ネイチャーに発表しようとしたところ、米政府の科学諮問委員会(NSABB)が生物兵器への転用を懸念して論文の一部非公表を求めた。しかし、4月になって、米政府は「研究内容は公衆衛生にとって重要な価値があり、研究者の間で共有されなければならない」と判断を変更した。また、ネイチャー誌は、独自に掲載の当否を検討した結果、河岡教授の論文は全面公開されることになった。
 同時期にオランダ・エラスムス医療センターの研究者がネイチャーと米科学誌サイエンスに投稿した論文についてもNSABBは公表の自粛をもとめた。これについては、兵器などに悪用される恐れがある技術の輸出を禁じたオランダの輸出管理法に違反するとされたため、まだ公開できない状態という。
 本問は、この事件にヒントを得て、日本でオランダと同種の立法が行われたという想定で作問したものである。
 
(二) 本問への取り組み方法
 表現の自由の亜型として認められる権利について論ずる場合には、それと表現の自由そのものとの異同をきちんと押さえることが合格答案のポイントである。
 19条の保障する内心の自由、20条の保障する信教の自由、23条の保障する学問の自由は、いずれも21条の保障する表現の自由の一亜型である。すなわちそれぞれ、内心の表現の自由(正確に言えば内心を表現しない自由)、信教を表現する自由、学問的表現の自由なのである。だから、21条だけあれば、これらの規定が無くとも、そこから論理的に引き出すことは可能である。それなのに、なぜわが国憲法は、わざわざ別に条文を置いてそれらの権利を保障しているのだろうか。それは、これらの権利が原則的な表現の自由とは、意義・要件・効果において差異を示すからである。
 実を言うと、同じことは21条に列挙されている個別の権利についても言うことができる。すなわち、言論の自由、出版の自由、結社の自由、集会の自由は、それぞれ相互に意義・要件・効果に差異がある。例えば、集会の自由は多数の人が一箇所に参集するという物理的な力を伴っているために、社会、公共に対する影響力において、例えば出版の自由などとは決定的に異なっている。そのために、出版に対する一般的な規制法は存在していないが、街頭における集会に対しては公安条例という一般的な規制法が存在している。事前届け出制である限り、公安条例について違憲とする説は無いが、仮に出版物に事前届出制を導入する立法があれば、その立法そのものが違憲と論じられることになるはずである。
 本問でも、遺伝子組み換え研究に対して事前届け出を求めている。したがって、学問の自由が集会の自由のような権利と考えるのか、出版の自由のような権利と考えるのかによって答えが変わりうるという事が判ると思う。そこで、諸君としては、学問の自由では、一般的な表現の自由とはどこが違うのか、という事を真剣に考えなければならない。それが本問の中心論点である。
 
一 学問の自由とは
 表現の自由は、国際人権B規約192項にあるとおり、今日においては「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」ものと理解されている。これを学問の自由に投影して考えれば、学問の自由とは、学問的真実に関する「情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」のことをいうことになる。
 その下位概念として、第一に、情報を求め、受ける活動、つまり一般的には「知る自由」として知られる概念に対応するものとして「学問的真実研究の自由」が考えられる。「研究遂行の自由」と呼んでも良い。我々社会科学の場合であれば、古今東西の様々な著作を研究、分析する(要するに読む)活動であり、自然科学の場合には、それに加えて実験を通して真実を探求する活動も含まれる。
 もちろん、どんな研究であっても、知った事実に基づいて、内心の自由(19条)の形態をとって行われる部分がある。しかし、それは法学的には独立の概念として把握する必要はない。法学的に意味を持つのは、あくまでも対社会的活動のみだからである。19条は専ら沈黙の自由として理解されるが、学問の自由に関しては、それは意味が無い。
 第二に、その様な研究活動の結果得られた情報または考えを他に伝える自由というものがある。「研究成果発表の自由」と呼ばれる。
 ときどき、学問の自由とは真実研究の自由のことであって、研究成果発表の自由は、それに従たる自由であるとしている人があるが、それは間違いである。
 ニュートンの有名な言葉に「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それは私が巨人の肩に立っていたからである(If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants)」というものがある。どんな天才であっても、過去の研究成果を知ること無しに新たな研究を行うことは不可能なのである。例えば、ニュートンは苦労をして微分学を発見したが、それはその一世紀前に日本の関孝和が発見していた。しかしその事実をわが国の鎖国などが主たる原因となって、ニュートンは知っていなかったから、そこでは巨人の肩には乗ることができなかったのである。
 その様な意味において、研究遂行の自由と研究成果発表の自由は、学問の自由の下で、同等の重要性を持つ下位概念である。
 研究成果発表の自由は、さらに「研究成果刊行の自由」と「研究成果教授の自由」の二つの下位概念に分けて理解することができる。本問は、研究成果刊行の自由の問題である。本問では論点ではないが、大学の自治は、後者の研究成果教授の自由と密接な結びつきを有する概念である。このことからも、研究成果発表の自由のもつ重要性が判る。
 
二 大学の自治のかかわり
 学問の自由は、わが国に重要な影響を与えたドイツと米国では、異なる発展の歴史を有している*[1]。それを簡単にいえば、ドイツでは国家権力から教会類似の独立性を有する存在として大学の自治が保障され、その結果として、そこで行われる学問の研究は、大学教授が有する特権として学問の自由(akademische Freiheit)が保護の対象となった。
 これに対して、米国の場合には表現の自由の一亜型として学問の自由(academic freedom)がとらえられた。すなわち、米国では表現の自由は合衆国憲法第1修正*[2]による保護の対象となっているが、学問の自由に対する言及はなく、表現の自由の亜型として理論的に考えられる概念である。
 したがって、ドイツ型の場合には、大学以外の場における学問研究はあまり保護の対象とならない、という弱点を有し、米国型の場合には、広く学問の自由が保障される代わりに、大学の自治は建前上は重視されないという弱点を有している。
 わが国は、戦前、ドイツの強い影響下に大学の自治の理念が導入された。他方、現行憲法は、米国の強い影響下に成立した。さらにいずれの憲法とも異なり、憲法に明確に学問の自由が保障されている、という構造を持つ。
 その結果、わが国憲法学界は、当初から学問の自由の一環として大学の自治を読む、という点について全く異説を見ない。すなわち、わが国憲法解釈としては、ドイツ流の強力な大学の自治と米国流の広範な学問研究の自由の保障が、同時に肯定されて、いわば両者の長所を兼ね備えた強力な保障が存在している、と理解することができる。
 
三 学問の自由と表現の自由の関連
 学問の自由の基本的概念内容は、すべて表現の自由の中に含まれている。その意味では、表現の自由から当然に導くことのできる下位概念である。このため、独立の条文としてこれを保障している憲法は、世界的にみても大変少ない*[3]。例えば、もっとも充実した人権カタログとなっている国際人権規約においてもその直接的な保障規定は置かれておらず、表現の自由から読むほかはない。
 わが国憲法が学問の自由をわざわざ明文化したのは、京大滝川事件*[4]や天皇機関説事件*[5]あるいは人民戦線事件*[6]に代表されるように、戦前のわが国で、大学における研究活動に対して、政府からの露骨な干渉が存在していたため、特にこれを保障する独自の意義の存在が認められたからである。
 このように、学問の自由を表現の自由から独立して保障した理由は、学問の自由に対してわが国では特に政府からの激しい干渉があったことにあるのであるから、通常の表現の自由以上の強力な、国からの自由が保障されていると考えるべきで、表現の自由の一亜型を単に注意的に保障したと見るのは妥当ではない。
 
四 学問の自由の享受主体
 本問の場合、Xは学問の自由の主体となれるのかが問題となる。Xがどのような身分を有する者かは述べられていないからである。もっとも本問の事例ではごく小さな論点なので、落としても構わない。
 ドイツ流の、大学の自治から学問の自由を考える流れでは、大学教員における研究・教育が学問の自由として保護されることは当然だが、そうした身分をもたない場合には問題になる。
 しかし、上述のように、米国流に学問の自由が広く一般に保障される権利と理解する場合には、その主体となるのが広く民間企業の研究者なども含まれることは疑いの余地がない(島津製作所の田中耕一という民間企業の研究者でさえ、ノーベル賞が受賞できるは知っての通りである)。
 
 念のため、これが主たる論点になる事例はどういうものかを紹介しておく(本問では、こういうことを論じてはいけない。)
 現在、特に論じられているのが、初等ないし中等の教育機関において現実に子どもの教育の任にあたる教師(以下「教員」という。)が、本条に基づく教授の自由を有するか、すなわち公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるか、と言う問題である。
 判例は限定的な肯定説である。すなわち「子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的な要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」として、23条の教授の自由が教員にも存在するとしつつ「大学教育の場合には学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない」として、文部省による画一教育の必要性を優越させている(旭川学テ最判より引用)。
 学説は判例に好意的なものもあるが、大勢としては反対と考えて良い。第1に、本条のそれは、自らの行った研究成果の教授の自由を意味する。もちろん研究は大学のみに許され、または可能なことではなく、初等中等教育機関の教員やその他の一般人も独自の研究を行うことは当然にあり、それもまた本条による保護の対象となる。その場合に、研究成果の教授の自由を当該教員その他が有するのは当然である。しかし、教科書に書いてあることを単に判り易く教育するだけの活動は、研究成果の教授という概念には含まれない。
 第2に、研究成果の教授を、義務教育として当該教員の教育に服することを要求されている児童生徒を対象として行うことは許されない。なぜなら自由権は、決して一方的なものではないからである。教授の自由があるときには、受け手の側には、聴取する自由が保障されなければならない。大学において教授の自由が保障されているのは、聴衆である学生が、大学や学部そのものの選択に加えて、特定の教科についても、誰から教授を受けるかの選択権が存在しているからである。捕らわれの聴衆に自分の欲する内容を教授する自由を、憲法が保障することは、いかなる場合にもあり得ない。
 初等中等教育機関における教育が、教員と児童との人格的触れ合いだとし、そこで教育内容の裁量権が教員に認められるべきだとする最高裁の指摘そのものは正しいものと考える。ただ、ここで言う教授の裁量権は、23条ではなく、26条の、子供達が国民として適切な教育を受ける権利の内容の一部として、教員側に認められるべきものである。
 
五 学問の自由の限界
 学問の自由も、表現の自由一般と同じく、決して無限定の自由を意味するものではない。なぜならノーベルの発明したダイナマイトが戦争そのものの様相を一変させ、さらにアインシュタインの相対性原理がもたらた原爆に代表されるように、研究は往々にして社会に対して大きな交渉を与え得るものだからである。本問の場合には、鳥インフルエンザの生物兵器化の危険というものが、それによってもたらされる具体的な危険として提示されている。
 憲法13条は、文言からする限り、公共の福祉という人権の外にある概念が人権を制約するように読める。その様に理解した場合、かつて美濃部達吉は、その公共の福祉が具体的にどのようなものであるかは、議会制民主主義の下においては、国会が法律という形で決定するのが正しいと論じた*[7]
 しかし、この説に立った場合には、公共の福祉という概念は、結局戦前の憲法が定めていた「法律の留保」が単純に表現を変えたに過ぎないことになる。そのため、今日、この説を採る者はなく、通説判例は内在的一元説、すなわち公共の福祉とは、人権を制約できるのは他者の人権だと言うことを意味していると考える。
 この内在的一元論に従う限り、学問の自由の限界は、あくまでも他者の人権との比較衡量である。そこから生じる最大の問題は、研究の危険性を誰が判断するかという点にある。この点に関して、学説は大きく二つに分かれる。
(一) 自主規制説
 わが国における通説的見解は、戦前の政府による学問の自由に対する干渉の激しさが、この23条という世界でも珍しい規定を作らせたという事を根拠として、政府からの、したがって法律という形での規制を否定する。今日における代表的な主張例として、芦部信喜を紹介しよう。

「時の政府の政策に適合しないからといって、戦前の天皇機関説事件のように、学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない。『学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探究のためのものであるという推定が働く』と解すべきであろう。」(芦部信喜『憲法』第5166頁より引用)

 このように政府の干渉が絶対に許されない以上、可能な規制方法は、学界自身の手による自主規制以外に無い。
 自主規制というと、何か非常に頼りない印象を与えると思うので、この点について、具体的なそれを、本問の基礎となった現実の事件について、もう少し補足説明しておく。
 先に米政府の科学諮問委員会(NSABB)と紹介した機関は、正式名称を「バイオセキュリティのために国立科学諮問委員会(National Science Advisory Board for Biosecurity)」 といい、米国保健社会福祉省(U.S. Department of Healthe & Human Services)の下に設置された機関で、公衆衛生および/または国家安全保障への生物学的脅威を与えるために悪用される可能性がある一方で、正当な科学的な目的とした生物学的研究でもあるという意味で、二重の可能性がある研究のバイオセキュリティの監視、助言、指導、リーダーシップを提供するために設けられた諮問委員会である*[8]。その構成員は個別に任命された者と官職指定により構成員となっている者とに分かれる。官職指定された構成員の官職は、各種国立研究所の所長などである。つまり公職に就いているとは言え、やはり研究者である。したがって、これも研究者の自主規制の一環として理解することができる。そして、委員会権限は勧告や助言に留まっている。
 また、先に述べたように、ネイチャー誌は、米政府の意見とは関係なく、自らの判断で掲載を決定したのであって、英国政府は干渉していない。その際の判断を紹介しておく。
 同誌では、専門家数人に諮問した上で、NSABBが生物兵器への転用を懸念して論文の一部非公表を求めた点については、非現実的と判断したという。

「理由は@内容の一部削除は同じ分野の研究発展を妨げる。A同じ分野の専門家による論文内容の評価(ピアレビュー)*[9]が機能しなくなる。B一部の関係者に全文公開すれば、それが他の人にも広まるのは時間の問題、などだった。これまで、悪用への懸念から、論文の掲載を拒否した例はないが、掲載の利益よりもリスクが大きいと判断した場合には、『掲載の拒否』を唯一の選択肢にしてきた。

 同誌は今後、掲載拒否以外の選択肢について、さらに検討が必要としている。」

2012年5月10日朝日新聞朝刊科学面(大岩ゆり執筆)より引用
 このように、今日においては、世界的に研究者の自主規制という形で対応しているのが通例であり、本問のように法的規制を導入することは、憲法23条違反であり、わが国学問研究を決定的に遅らせる原因になると考えるべきである。
 なお、政府の干渉には、このように禁圧する方向での干渉(negative sanction)の他に、資金援助などの支援という形の干渉(positive sanction)も存在する。この場合にも、政府の視点から見て都合の良い研究だけ支援し、好ましいとは思えない研究は無視するという事を通じて、学問の自由がゆがめられるという点では、禁圧と同様の効果を発揮する。そこでわが国では、この場合にも基本的に自主規制によって行っている。すなわち、科研費の交付決定に当たっては、政府の官僚では無く、それぞれの学会から推薦された審査委員による査読が当否を決定しているのである*[10]。これも自主規制の別の形態である。
(二) 立法規制肯定説
 政府が判断することができる、という有力な少数説が存在する。もちろん、そう考えた場合にでも、学問の自由は表現の自由の一亜型なのであるから、一般的な表現の自由に対する規制と同様に、立法という形式による規制でなければならない。
 冒頭に説明したとおり、オランダの場合には本事例は輸出管理法という形式を通して、研究発表の自由を政府が規制している。
 わが国にも、現実にそのような規制立法が存在している。それは「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」(平成12年法律第146号)という法律である。同法は「特定胚の取扱いは、指針に従って行わなければならない。」(5)とし、さらに「文部科学大臣は、〈中略〉特定胚の取扱いが指針に適合しないと認めるときは〈中略〉当該特定胚の取扱いの方法に関する計画の変更又は廃止その他必要な措置をとるべきことを命ずることができる。」(71)として、学問研究を文部科学相が規制しうることを定めている。この法律の場合には、単に人間倫理を問題にしているのであって、本問のような生物兵器を利用したテロというような現実の危険性ではない。それにも関わらず、こうした規制を導入した点に問題がある。
 わが国のヒトクローン技術規制法について、戸波江二は次のようにいう。
「知の統制という重要な人権を規制するという点でも、倫理的・社会環境的に逸脱した研究を明確にするという点でも、法律によって規制することが必要である。法律でルールが設定されることによって、研究の限界が明らかにされ、かえって研究が促進されるという効果も期待される。」(戸波江二『憲法』新版279頁)
 あるいは、渋谷秀樹も類似した主張を行う。すなわち、ヒトクローン法については、それが「人間の尊厳」を問題にしていることから「研究の自由を制約するルールはこれを対抗利益とした厳格審査に服させるべきである」とする(渋谷『憲法』有斐閣396頁)。
 戸波や渋谷が言っているのは、表現の自由の一亜型として、その様な立法あるいは法に基づく個別の規制にあたっては、厳格な審査基準を使用すべきであり、かつ、その限度で足りるという主張と理解できる。
 特に、戸波の「法律でルールが設定されることによって、研究の限界が明らかにされ」るという主張は、厳格な審査基準から派生される明確性の法理について述べているものと考えられる。すなわち、表現の自由の規制の場合には、不明確な文言を使用した法規範は、「曖昧性故に無効の法理」ないし「過度の広汎性故に無効の法理」によって審査されることとなる、ということである。
 しかし、このような説に依ったとしても、現実問題として学問の自由に対する明確な文言による規制というものは可能なのか、という疑問がある。ヒトクローン規制法に関して言えば、社会倫理というものを明確な文言で定めることがそもそも可能なのだろうか。それが困難だからこそ、法律には具体的内容が定められていない「指針」というものに頼って明確性の補填を行っているのであるが、それで十分に明確になったとは言いがたい。こうした規制法が研究の限界を明確にしておらず、その結果、萎縮効果を発生させていることは、わが国クローン技術研究は、規制法を持たない英国などに比べて決定的に遅れているという事実に端的に表れている。英国を非倫理的な国家と非難するならともかく、そうでないならば、倫理に関する定義の困難性をしめしているといえる。
 本問で想定した遺伝子組み換え規制法の場合には、問題性はさらに明らかである。遺伝子の組み換え研究は、品種の改良などという言葉を通じて人類は、その歴史の始まりより一貫して行ってきており、その概念そのものを決定すること自体がきわめて困難である。さらに、日々に進歩するこの領域の研究技術を考えると、現実問題として、明確性の法理を充足するほどにきちんとした文言を想定することは困難である。
 本問に関しては、作問に当たって、明確性の不存在を明確にする工夫をしてある。すなわち、本問が述べている条文の「文部科学大臣は、研究内容届け出の内容を検討し、問題があると認める時には」という文言は、ヒトクローン規制法のような指針さえ示さず、単に「問題がある」という不確定法概念を使用している点で、明らかに明確性に欠けている。すなわち規制を行うか否かは、文科省担当者が問題があると考えるか否かに係っているのであって、客観的に明確とは決して言えない。したがって、個別具体的な案件の内容に入る以前の文面審査により、文面違憲という結論が導かれる事案である。
 
六 大学の自治はどこから導かれるか
 本問では、大学の自治に言及する必要はない。
 ここでは、上記五で紹介した、大きく分けて二つの説のうち、第一の説からの考え方の流れについて説明しておきたい。なお、ここで書いていることは、諸君が大学の自治という概念を根本的に理解するのに役立つと思われるため紹介しているのであって、例え大学の自治が論点の問題であっても、諸君のレベルの答案に、以下に説明することまで書かなければならないというわけではないので注意して欲しい。
 学問の自由に関しては、政府による干渉は絶対に許されない、と考えた場合、ここから直ちに二つの必要性が導かれる。第一は、政府という強大な権力から個々の研究者を守るための制度的保障の必要性である。そして第二は、研究者側としての自主規制の必要性である。
 この二つの必要性から大学の自治は論理的に導くことができる。すなわち、個々の研究者を守るためには、その研究者の属する組織が一丸となって、その研究者を支える必要がある。先に京大滝川事件を紹介した。その際には、京大法学部に属する全研究者が全員辞表を提出するという形で、滝川幸辰を守ろうとした。当時は、学問の自由に対する憲法的保障がなかったため、佐々木惣一をはじめとする教授の免官あるいは大隅健一郎をはじめとする学者の辞表受理という騒動に発展した。23条が存在する今日においては、滝川個人の学問の自由(この場合にも、具体的には本問同様、研究成果発表の自由)に対する干渉が許されないばかりでなく、京大法学部に対する干渉も許されない、という結論が導かれるべきであることは判ると思う。それを大学の自治と呼ぶのである。
 そして、この場合においては、大学という組織が同時に学問の自由の濫用を禁止するための自主規制の組織としても活動することになる。日大法学部においても、個々の研究者が、研究者にあるまじき異常な行動をとった場合、査問委員会を組織して問題を検討し、教授会が必要な処分を行ったことがある。
 この説明で気がつくと思うが、大学の自治と呼ぶ時の大学とは、学校教育法に言う大学、すなわち財団法人を意味するものでは無い。専門的に言うと、職業的特権身分集団を大学と呼んでいるのである。
 だから、例えば研究者の属する学会もまた、ここで言う一つの大学である。先に米国の 科学諮問委員会(NSABB)や、科研費におけるわが国学会の役割を説明したが、こうした研究者集団が、23条でいう大学であるからこそ、それを自主規制として理解できるのである。そのため、わが国の場合、こうした個々の学会を、さらに上位の機構としての日本学術会議が設置されて、二重に保護する構造となっている(日本学術会議が科学者の国会と呼ばれたりするのはそのためである)。
 学問の自由以外においても、ある者の活動を政府の干渉から守ると同時に、問題行動に対する自主規制を認める必要がある時、その者の属する集団そのものに、一定の自律権を認めるという法構造がよく存在する。中央政府の干渉から地方公共団体を守るための地方自治、内閣の干渉から裁判官を守る司法権の独立の一環としての司法府の自律権などは、学問の自由における大学の自治同様、憲法レベルにおける保障である。また、司法権の独立は、単に裁判官を守ることだけで達成されるのではなく、弁護士の自由を守ることも重要である。弁護士法が、弁護士会に対して強力な自律権を認め、また、弁護士の懲戒処分権など強力な自主規制権を認めているのは、それの法律レベルにおける現れである。
 こうした専門職業集団の自律性の一環として、大学の自治も理解しておく必要がある。それを導く論理が、冒頭に触れた表現の自由と学問の自由の異質性を考えるという議論にあることは判ってもらえると思う。
 これに対して、少数説の、学問の自由を単純に表現の自由の一亜型として理解し、法律による規制を認める立場の場合には、大学の自治を論理の流れとして導くことは少々難しい。この説を採る人は(つまり戸波江二や渋谷を基本書とする人は)、その辺りの論理の展開を、自分なりに慎重に工夫しておく必要がある。
 


*[1] その詳細に興味のある人は、芦部信喜『憲法学V』220頁以下参照

*[2] 第1修正は次のような文言である。

「連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。」

*[3] マッカーサー草案においては次の様な規定があった。

「第22条 学究上ノ自由及職業ノ選択ハ之ヲ保障ス

academic freedom and choice of occupation are guaranteed.)」

 それが、今日のように独立の条文として保護の対象となったのは、日本政府原案の段階からである。すなわち、昭和2132日付けの第1次案では次の様になっている。

「第22条 凡テノ国民ハ研学ノ自由ヲ侵サルルコトナシ」

 これがその後若干の修正を受けつつ、413日の憲法改正草案21条では早くも現在の文言となっており、その後は無修正で日本国憲法として成立したのである。

*[4] 滝川事件:京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授が、193210月中央大学法学部で行った講演「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」の内容が無政府主義的として文部省および司法省内で問題化したことに端を発し、滝川の休職処分に対して、京大法学部教員全員が辞表を提出して抗議の意思を示した。結果として、小西総長は辞職に追い込まれ、滝川自身の他、佐々木惣一、宮本英雄、森口繁治、末川博、宮本6教授が免官となり、恒藤恭および田村徳治の教授2名、大隅健一郎、大岩誠ら助教授5名、加古祐二郎ら専任講師以下8名が辞職した。

*[5] 天皇機関説事件:1935年、美濃部達吉の天皇機関説を国体に背く学説であるとして、出版法違反を理由に美濃部の著書を発禁処分とし、貴族院議員辞任に追い込んだ事件

*[6] 人民戦線事件:コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てたとして大学教授・学者グループが一斉検挙された事件。19371215日の第一次検挙では、代議士の加藤勘十・黒田、運動家の山川・荒畑寒村・鈴木茂三郎・岡田宗司・・大森義太郎など446人が検挙された。193821日の第二次検挙で、大内兵衛・有沢広巳・脇村義太郎・宇野弘蔵・美濃部亮吉や佐々木更三・江田三郎など大学教授・運動家を中心に38人が検挙された。いずれも「国体変革」「私有財産否定」を目的としたとして治安維持法で起訴され、多く(第二次検挙で逮捕された教授グループは全員)は、194492日の二審で無罪が確定したが、加藤・鈴木・山川らは有罪とされた。戦後、1945年に免訴となる。投獄された息子のため、美濃部達吉は急遽弁護士登録して法廷に立った。

*[7] 美濃部『新憲法逐条解説』増補版、日本評論新社昭和31年刊60頁参照

*[8] 興味のある人は、次のホームページを参照

http://oba.od.nih.gov/biosecurity/about_nsabb.html

*[9] この記事でピアレビュー(peer review)と呼ばれているのは、わが国では一般に査読と呼んでいる行為で、その論文に対する執筆者以外のその分野の専門家による評価を言う。研究者の論文では、査読付きの論文の方が高く評価される。そこにネイチャー誌やサイエンス誌がへの投稿が重視される理由がある。

*[10] 科研費(科学研究費)とは、文科省所管の独立行政法人日本学術振興会が行う科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金/科学研究費補助金)による資金で、人文・社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、基礎から応用までのあらゆる「学術研究」(研究者の自由な発想に基づく研究)を格段に発展させることを目的とする「競争的研究資金」であり、ピア・レビューによる審査を経て、独創的・先駆的な研究に対する助成を行うものである。