神社への世俗目的の奉納と政教分離

甲斐素直

問題

  X市は、住民から強く反対されてきたダムの建設について、地域住民の理解を得るため、住民の多くが信奉する甲神社に甲神社社務所の名目で、実質的に住民会館を設置することを決め、その建設費用、維持費等を甲神社に奉納という形で支出することを決定した。

 これに対し、X市住民Yが、地方自治法242条に基づき監査委員に対し住民監査請求を行ったが、却下されたので、同242条の2第1項に基づき支出の差し止めを請求した。

 X市の措置について憲法上の問題点を論ぜよ。

 

[はじめに]

 平成4年度の旧司法試験問題に次の出題があった。

 A市は、市営汚水処理場建設について地元住民の理解を得るために、建設予定地区にあって、四季の祭を通じて鎮守様として親しまれ、地元住民多数が氏子となっている神社(宗教法人)境内の社殿に通じる未舗装の参道を、2倍に拡幅して舗装し、工事費用として100万円を支出した。なお、この神社の社殿に隣接する社務所は、平素から地区住民の集会場としても使用されていた。A市の右の措置について、憲法上の問題点を挙げて論ぜよ。

 本問はそのバリエーションとして、より世俗目的を強調する形で作問されている。津市地鎮祭で最高裁判所が開発した目的効果基準だと、すべての要件を充足しない限り合憲と判断されるから、本問のように世俗目的の奉納である場合には、自動的に合憲になる。そこで愛媛玉串判決が導入したレモンテストとエンドースメントテストの議論が重要になるのである。

 目的効果基準とレモンテストは同じものである、と書く人がよくいる。しかし、この二つは本来は全く関係がない。両者が結びついた経緯を、山元一は次のように説明している。

「芦部先生は、1977年の津市地鎮祭事件最高裁の少数意見の方に本当は賛成しておられたが、判例としては目的効果基準説が定着しているので、実践的見地からこれを厳しく読むことはできないか、として論陣を張られた。それで、精力的にアメリカの判例を調べられて、レモンテストというものを一つの基準にする。これは、@世俗的目的を持ち、A主要な効果が宗教を促進したり抑制したりせず、B宗教との過度の関わり合いをもたらさないという、三つの条件です。〈中略〉レモンテストと比べてみると、こちらでは『関わり合い』というのが注目されていない。それからレモンテストでは、@ABのどれかに当たれば違憲であるのに対して、日本の最高裁の場合は、全部当てはまらなければ違憲とならないと考えているようだ。」

(日本評論社刊『憲法判例に聞く』64頁より引用)

 つまり、すなわち、目的効果基準とレモンテストは、単に第3の過度の関わり合いという要件が落ちているという以上の、異なる基準なのである。そして、愛媛玉串訴訟判決は、政教分離における審査基準を、従来の目的効果基準から、レモンテストに切り替えた、という意味で、きわめて重大な判例変更なのである。だからこそ、最高裁判所は大法廷を開く必要があったと理解してほしい。愛媛玉串判決を軽視し、津市地鎮祭判決のレベルで答案を書く人が良くある。それは、愛媛玉串判決が、目的効果基準に換えてレモンテストを導入したことを無視している。

 この判例変更による答案構成に与えた影響は、きわめて大きい。山元一の指摘するとおり、目的効果基準では、二つの要件のいずれにおいても違憲という結論が出て、始めて全体として違憲と結論を下すことができる。それに対し、レモンテストでは、三つの要件のうち、どれか一つについて違憲と結論が出れば、それで違憲という答えが確定する。実際、愛媛玉串判決では、第3の過度の関わり合いという点についてだけ検討して、違憲という結論を導いているのである。つまり、津市地鎮祭判決当時の予備校本などにしたがって、三つの要件のそれぞれについて違憲か合憲かの議論を書いたりすると、その書き方自体で減点されかねないことになる。

 また、愛媛玉串判決は、過度の関わり合いの判断に際して、エンドースメントテストという補助的な審査基準を導入したことも、絶対に書き落としてはならないな論点である。

 

一 宗教概念について

(一) 欧米の宗教概念と神道の特殊性

 わが国における信教の自由の持つ意義を正確に理解するには、神道を理解しなければならない。

 すなわち、欧米流の宗教は「特定の教祖、教義、教典を持ち、かつ教義の伝道、信者の教化育成」等を目的とするものである。これに対して、わが国の神道の本質には、教祖も教義も教典も無く、したがって教義を伝道するという目的が存在することはあり得ない。それは単に「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、至高の存在等。なかんずく、神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」(「」内はいずれも津市地鎮祭名古屋高裁昭和46514日判決から引用)であるにすぎないのである。

 つまり、しっかりした教義体系を持つものだけを宗教と考える場合には、神道は宗教たり得ない。

(二) 戦前における国家神道非宗教論と現行憲法

 このように、欧米流の宗教概念と大きく懸け離れたところに神道が存在するために、神道非宗教論、すなわち「いわゆる国家神道または神社神道の本質的普遍的性格は、宗教ではなく国民道徳的なものであり、神社の宗教性は従属的、偶然的性格である」(戦前における政府の公式見解)という主張が容易に導かれる。明治政府は、このことを更に強調するために、神社に対して宣教活動と葬儀の実施を禁ずるという取扱いを行う。もっとも、神道においては、江戸後期の国学者平田篤胤(1776年〜1843年)が宗教性を付与するまでは、宣教活動をすることはなかったし、葬儀を実施したことがなかったから、これはむしろ平田国学による影響を除去して、神道本来の姿に戻したと言って良い。以後、明治憲法下において、行政的には神社は非宗教、すなわち国民道徳として取り扱われることになる。

 他方、旧憲法28条は、一般に信教の自由の保障を行ったが、この条文からは法律の留保条項がはずされており、代わりに、信教の自由に優越するものとして「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていた。そこで、安寧秩序や臣民の義務に抵触すると解された場合には、法律を要せず、警察命令によって取り締まることが可能と解釈されていた。これを受けて、行政監督が厳しく実施された。

 この結果、旧憲法下においては、天皇を中心とする神道に事実上国教的な取扱いがなされ、その行う宗教行事への参加は臣民としての義務とされた。

 このような二つの要因から、旧憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。

 しかしながら、このような事態は、第二次大戦の終了とともに一変した。昭和201215日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(正式には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が示された。

 現行憲法20条が、通常の欧米型の宗教との関係であれば何よりも問題とされる宣教活動を拒否する自由を問題とすることなく、一足飛びに「宗教行事への参加を強制されない(2)」と規定しているのは、わが国神道が宣教活動を行うことなく、一般人に宗教行事への参加を求める(例えば氏子町に住んでいるという理由から信者であるか否かに関わりなく、を担ぐことを求める)という特殊性に鑑みてのことである。

 ちなみに、戦後、自由民主党では何度か、靖国神社国営法の制定を試みた。その場合にも、理論の支柱は、靖国神社の非宗教性にあった。しかし、内閣法制局が、その法案制定の条件として、靖国神社にすべての祭事を禁止する条項を挿入したので、靖国神社側の抵抗により廃案になっている。要するに、神道を宗教ではない、というのは、神社関係者に対する重大な侮辱となるのである。

                   

 以上に述べたところから明らかなように、わが国において政教分離を論ずる場合、神道を避けて通ることはできず、したがって、神道を念頭に置いて宗教概念を構成する必要がある。また、わが国で厳格分離ということがいわれる根拠も、こうした神道との関わりの中から生まれたことを見落としてはならない。仮に、諸君が、神社が宗教では無い、という結論を下す場合には、本問はこの段階で終わるのである。

 

二 政教分離の意義

 わが国では、上述のように神道があることからくる宗教概念の特殊性から、政教分離概念についても、また、欧米諸国の概念をそのまま持ち込むことができない。すなわち、わが国特有の概念と把握する必要が発生する。そもそも、政教分離という概念は、欧米においてすら、きわめて多義的な概念であって、厳密に定義を下さない限り、議論が噛み合うことがないのである。

(一) 政教分離の「政」の概念

 政教分離というとき、それが「政治」と「宗教」の分離ということであれば、これは祭政一致(宗教理念にしたがって政治を行う)の反対語であって、近代民主主義国家でこれを採用していないところはない。今日の世界では、わずかに、イスラム原理主義者によって、そうした理念が実行されている国が一部に存在する程度である。イギリスのように、国教制度を採用している国においてすら、宗教理念にしたがって政治が行われているわけではないから、政教分離が実現されていることは明らかである。

 したがって、ここで論ずる必要があるのは、政治と宗教の分離という意味での政教分離ではない。すなわち国家と宗教の分離として論じなければならない。したがって、「国教分離」という表現の方が、本当は正確である。政教分離という用語は、慣行的に使用されているが、その真の意味については、十分に注意しなければならない。

(二) 政教分離の「教」の概念

 今ひとつの問題となるのが、「教」という部分が教会(宗教団体)を意味するのか、それとも宗教を意味するのかという点である。欧州においては、一般に、国家と教会の分離(separation of Church and State)が、政教分離という用語の下においては問題とされている。その場合、国家は特定の教会(宗教団体)に有利にならない限り、宗教活動を行うことは何ら問題にはならない*[1]。すなわち、国家の非宗教性は、ここでは要求されない。

 これに対して、わが国では、国家と宗教の分離(separation of Religion and State)を意味する、と解するのが、国家と教会の分離だと主張する若干の異説はあるが、通説・判例である。

 しかし、異説があるということは、これが論点だと言うことであり、したがって、こう述べるには、根拠が必要である。通説・判例であるということは、理由付けはそうくどく書く必要はないということを意味するだけで、書かなくてよいということではないのである。さらに、ここで注意しておく必要があるのは、憲法201項は明確に宗教団体について述べ、また、89条前段は、公金の支出等を禁ずる対象として「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持」ということを上げている点である。一般に、89条前段は203項の財政的表現と説かれるが、条文上は明らかに、国家と教会(宗教団体)の分離を定めているのである。さらに、継受法解釈からすれば、米国法は国家と教会の分離だという点も、通説・判例にとって不利な点である。ありがたいことに、しかし、そうしたことを根拠に国家と宗教団体の分離だと主張する説は少数説だから、諸君が通説的立場に依る限り、あまりくどく反論を書く必要はない。それでも、基本的なポイントは押さえておかねばならないので、いきなり論拠について説明する前に、世界各国における政教分離には、どのような形態があるのか、という点から見ていくことにしよう。

(三) 政教分離の形態

 そもそも諸君は、政教分離は万国共通の原理であるかのように誤解している場合が多い。しかし、政教分離の程度には、国ごとに様々な差異がある。ここから説明することは、まちがっても諸君の論文に書き込む必要のないことであるが、自説の根拠付けにあたり精確さを確保するためには、是非理解してくれねばならないことである。

 広い意味での政教分離は、国教制度を採用しているイギリスにさえ認めることができる。狭義の政教分離、すなわち、日本のような国家と宗教の分離制度を採用している国は、欧米にはない。米国と日本は完全分離という点で同一というような書き方をする人がいる(一流の教科書でさえ、そう書いてあるものがあることは承知している)が、上述のとおり、米国で論じられるのは国家と教会の分離であるから、この重大な差異を度外視して同一呼ばわりすることは、明らかに問題がある。

 国家と教会(宗教団体)の分離に限定しても、各国で、かなり異なる制度が見られる。それを行う政治的動機により三つに分類することができる。部分的分離主義、完全分離主義及び敵対的分離主義である(この分類方法は、田中耕太郎『教育基本法の理論』有斐閣昭和36年刊、534頁以下に準拠している。)。

  1 部分的分離主義

 部分的分離主義は、一定の宗教を国教として認めることをせず、すべての宗教団体を社団として認めるが、それらの社会的重要性、人心に対する良好な影響等を考慮して公法上の社団として他の普通の社団よりも有利な待遇を与える、というものである。ドイツやベルギーにおいて採用されている。

 ドイツの場合、信仰の自由は基本法4条において明確に保障されている。しかし、同73項は「宗教教育は、宗派に関わりのない学校を除いて、公立学校においては正規の授業科目である。宗教教育は、国の監督権を妨げることがなければ、宗教団体の教義にそって行われるものとする。いかなる教師も、その意思に反して宗教教育を行うことを義務づけられるものではない。」と定める。この結果、公立学校において正規の授業科目として、その児童の信ずる宗教教育が行われている。仏教など、その学校の校区内に居住する信者の数の少ない宗派の児童や宗教を持たない児童については、その時間には倫理教育が行われている。

 さらに、同140条は、ワイマール憲法136条〜139条および141条の規定は「この基本法の構成要素である」と宣言している。要するに過去の憲法の一部の条項がそのまま現行憲法の一部となっている。この条項のうち、特に注目する価値があるのが、137条である。同条5項は「宗教団体は、従来公法上の団体であった限りにおいて、今後も公法上の団体である」とし、これを受けて6項は「公法上の団体たる宗教団体は、市民的課税台帳に基づき、ラントの法の規定の基準にしたがって、課税する権利を有する」と定める。要するに、教会は、教区民から教会税を徴収する憲法上の権利を有しているのである。

 現実には、その教会税の徴収は、教会自身が行うのではなく、国家の租税徴収機関(日本流にいえば税務署)が、その本来の租税を徴収する傍ら行う。そして、その租税徴収機関管内に居住する各宗派の信者の比率に応じて分配するのである。

 このように、部分的政教分離では、国家がすべての宗教団体に協力的な態度をとる点に特徴がある。

  2 完全分離主義

 完全分離主義の下においては、部分的分離主義と違って、宗教団体を公法人とするなど、国の活動の一部に組み込むことは認められない。しかし、宗教に対する好意的な立場から、すべての宗教団体に対して一般私法の社団法の基礎の上に、一様に結社の自由が認められる。米国が典型である。

 米国の場合、政教分離とは、国教の禁止を意味する(米国憲法第1修正「連邦議会は、国教を樹立し、または宗教上の行為を自由に行うことを禁止する法律〈中略〉を制定して*はならない」)。そして、この国境樹立の禁止を確保するための手段が、政教分離である。その結果、国家と宗教団体の分離で十分ということになる。だから、議会、裁判所、軍隊等には公務員としての地位を有する聖職者を置き、その施設内で、施設を利用して、その庇護の下に宗教活動を行う自由を認める。大統領就任式や国葬など主要な国家儀式はすべてキリスト教式で行われていることは広く知られているとおりである。

 それどころか、全米の初等中等教育において、忠誠の誓いを毎日国旗に向かって行わせている。その文言は次のとおりである。

 I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)

 ここで神の下という文言は、これまでも信教の自由に対する侵害では無いか、として米国においても、多くの憲法訴訟の対象となってきたが、今日においても維持されている*[2]

  3 敵対的分離主義

 敵対的分離主義の下においては、宗教団体の組織権を一般私法の枠内で認める点では完全分離主義と同様であるが、反宗教的な立場から、他の社団に許容する自由を宗教団体に関しては根本的に制限することになる。その例は、フランスやかつてのソ連にみられる。

 フランスの場合、国家の非宗教性(Laicite de l'Etat)ということがいわれる。革命によって生まれたフランス共和国の政教分離はきわめて先鋭的で、すでに1886年の時点で「宗教を排除した義務教育」や「教師の宗教的中立義務」に関する法律を制定している。1790年以降の第1共和制下においては、徹底的な宗教弾圧が行われた。すなわち教会財産は国有化され、修道院は当初統廃合され、後に解体された。従来聖職者であった者は、当初は公務員とされたが、後には聖職の放棄と妻帯の強制が行われた。これにより、3万人以上の聖職者が国外に亡命し、ほとんどは王政復帰後にも戻らなかった。

 1789年のフランス人権宣言には信教の自由の保障条項はなく、その後1791年に制定されたフランス最初の憲法以降、今日の第5共和制憲法に至るまで、信教の自由の保障規定はない。現行第5共和制憲法において信教の自由に関わりのある唯一の規定は第1条「フランスは、不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは出生、人種または宗教による差別なしに、法の前の平等を保障する」という文言のみである。

 現在においても、敵対的政教分離が生きていることは、2004年にフランス議会が「公立学校における宗教的シンボル禁止法」を圧倒的多数で可決した点に端的に見ることができる。これは広くは宗教を理由とした公共ルール違反を認めるべきではないとの問題意識に立っているが、直接には、公立学校でイスラム教徒の女性がスカーフを頭に着けていることを禁止するものである。この法律は20049月に施行されたが、10月には早くも頑としてスカーフをはずさずに公立学校に登校した12歳及び13歳の女生徒が、この法律に基づき退学処分となった。これを皮切りに、今日までに数十人の女生徒が退学処分を受けている。また、20114月には通称ブルカ禁止法、正式には「公共空間で顔を隠すことの禁止に関する法(Loi interdisant la dissimulation du visage dans l'espace public)」が施行された。これはイスラムのブルカやニカブという女性衣装を狙い撃ちにして、それを着ての外出を禁止したものである*[3]

(四) わが国における分離形態

 この分類の中でどれかに無理矢理位置づける、という前提をとるならば、確かにわが国は、完全分離主義に属する。フランスのように用に宗教を敵視してはいないが、ドイツのように受け入れてもいないからである。そこで、従来、わが国の政教分離を論ずる際にも、完全分離主義の典型たる米国における憲法理論を導入して論ずることが行われてきている。しかし、わが国にいう政教分離とは、欧米とは異なり、国家と宗教の分離ということを考えるとき、その継受に当たっては慎重でなければならない。

 問題は、なぜ継受法や文言にも拘わらず、国家と宗教の分離を意味するものとして、すなわち最高裁の言葉を借りれば「国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの」という結論が導かれるのか、という点にある。

 宮沢俊義は、この国家の非宗教性を「宗教をまったくの『わたくしごと』にする必要がある」から、と説明している(『憲法U』新版、355頁)。なぜそうする必要があるかというと、「明治憲法の政教一致主義の下で信教の自由がまったく否定されていたことにかえりみ、かような国家の非宗教性または政教分離を採用することにした」と説明する。国家と宗教の分離と解する根拠について言及している教科書では、一般にこのような戦前との決別を理由としてあげている(例えば長谷部恭男『憲法』第2196頁、浦部法穂『憲法学教室』全訂第2137頁等)。

 私も、そうした理由があることは否定しない。しかし、国教樹立の否定というだけの問題であれば、米国憲法レベルの分離でも十分なのである。すなわち、米国は、英国国教会の弾圧を逃れた清教徒から出発した国であり、国教樹立の禁止には極めてセンシティブなのであるが、そこが宗教団体との分離で十分としている以上、宗教そのものとの分離まで要求する根拠としては、比較法的に見て不十分と言わざるを得ない。

 私見によれば、次の点が決定的な理由となる。すなわち、わが国信教の自由の、諸外国に比べての大きな特徴は、憲法20条2項が宗教行事への参加強制の禁止を規定している点に端的に示されるとおり、明確に宗教を信じない自由を予定している点にある。これは米国憲法第1修正が、国教の禁止という形で信教の自由を保証しているのにとどまる点と大きな違いである。

 わが国において、無宗教の自由の尊重される理由は、キリスト教諸国やイスラム教諸国等と異なり、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているために、特定の宗教が国民の日常生活を規制する機能が低下し、ひいては宗教を有しない者の数が非常に多くなっている点に求められるであろう。宗教行政を所轄する文化庁が毎年、刊行する『宗教年鑑』をはじめ各種統計資料にも、各宗教教団から提出された宗教別信者数の総合計が、21600万人と日本の総人口の1.8倍にもおよぶ数値が示されている。他方で、世論調査で、「あなたは何か、信仰とか信心とかを持っていますか」と聞いた場合の回答では、無宗教と答える人の割合は確実に70%を超えるのである。

 これに対して、例えば米国では、無宗教者はほとんどいない。次の表には、全米人口に対してわずか03%の比重しか持たない宗教までが載っているが、無宗教は載っていない。すなわち、無宗教というのは、米国においては、このような統計レベルでは現れてこないほどの少数者である。したがって、すべての宗教を等しく有利に扱うことにより、信教の自由の保護が事実上可能なため、国家と教会を分離すれば十分であって、国家から宗教までも排除する必要はない。その結果、すべての宗教団体に、等しく特権を与え、若しくは公金を支出する行為は、米国では、政教分離原則違反とはならないのである。

 

米国における宗教人口 (2001)

宗教

成人教徒人口 ()

全米人口に対する割合 (%)

キリスト教

159,030,000

76.5

ユダヤ教

2,831,000

1.3

イスラム教

1,104,000

0.5

仏教

1,082,000

0.5

ヒンズー教

766,000

0.4

ユニテリアンユニバーサリスト教会

629,000

 

 

0.3

 

 

出典:Yearbook of American and Canadian Churches 2002

 これに対して、わが国では、米国におけるキリスト教徒に匹敵する割合が、無宗教者なのである。したがって、わが国における信教の自由を論ずる場合には、宗教を信じない自由を無視することはできない。何らかの宗教を信ずる者を等しく有利に扱うことは、無宗教者を相対的に不利に扱うことを意味するから許されない、というべきである。

 このように理解した場合、201項で宗教団体に対する特権の付与を禁じ、あるいは89条で公金等の支出を禁じたのは、きわめて厳格な禁止を意味するものと理解しなければならない。後に説明するレモンテスト、エンドースメントテストの使用にあたり、注意するべき点である。

 

三 政教分離の法的性格

 わが国の政教分離の法的性格に関しては、激しい説の対立が存在している。通説判例は、制度的保障説であるが、人権説、制度説及び客観的禁止説がこれに厳しい批判をあびせているのである。これら三説は基本的に制度的保障説の批判を基礎としているので、どの説を採る場合にも、制度的保障説の正確な理解を欠かすことはできない。

(一) 制度的保障説の問題点

 政教分離が制度的保障であるかどうかを考えるには、まず、制度的保障そのものがどのような概念なのかを明らかにする必要がある。この概念は、法律の留保を説明するためにドイツのカール・シュミットが考えだしたもので、一般に、組織された既存の制度に対して、憲法的保護を与え、その制度の核心(本質的内容)の侵害されないことを立法権からも保障する法的保障であると説かれる。制度的保障の対象になっているのは制度自体であって、個人の人権そのものではない。すなわち制度は、原則として自由と峻別される。しかし、両者は無関係なものではなく、制度が個人の自由の保護、強化に仕えるという補充的な性格を持つ点に特徴が顕れる(制度の中核をなしているのが自由権である、と書いたりする人が時々いるが、間違いである)。制度そのものを改変したり、廃止したりするには憲法改正によらなければならない。その反面で、制度の周辺的な要素については法律による規制が可能である。

 政教分離を制度的保障と把握する場合の議論の内容は後に紹介することにして、ここでは最初に、変則的であるが、制度的保障説にどのような問題点があるかを見ておくことにしよう。

 制度説に反対する学説は、基本的に、制度的保障という理論を使用すること自体を拒否する。その理由は大きく三点に求めることができる。

 第1に、制度的保障説は、もともと「法律の留保」を伴う憲法規定の説明手段として開発されたものであるから、わが国現行憲法のように法律の留保なく、すべての人権が立法権に対して保障されている法制の下では、その必要性が低下している。

 第2に、自由権は一般に国家からの自由という性格を有しているのであるから、国家を前提とし、その法律によって人権が規制されることを予定している制度的保障説は、基本的に相容れない性格を有するこは否めない。その結果、当該制度的保障が奉仕すべき人権規定の保障がかえって弱められるおそれがある。

 第3に、政教分離に関しては、憲法は、国教制度の内容を定めてそれを明確に忌避(政教分離原則の明確化)しているのであって、制度を積極的に創設することにかかわる制度的保障の理論によるべき場合ではない(制度の本質的内容を云々する余地がない)。

(二) 人権説

 人権説は、主として第1と第2の批判の上に立って、信教の自由の保障は、政教分離を行わない限り、不可能であるから、信教の自由と政教分離は統一的に理解されなければならないと説く(芦部信喜)。このように、政教分離原則自体が人権であるなら、政教分離原則違反の事態が発生すれば、常に誰でも違憲訴訟を起こせそうに思える。しかし、芦部信喜は、「政教分離原則と狭義の信教の自由とを統一的に解するといっても、政教分離原則の違反を理由として(住民訴訟による場合は格別)直ちに違憲訴訟が一般的に認められるわけではない。」(芦部著『演習憲法』有斐閣新版82頁)と述べているので、現実問題として、制度的保障説とどれだけ違うのか、不明なためである。芦部説を採って論文を書く人は、ここに紹介した演習憲法のほか、『憲法判例を読む』(岩波書店)及び『憲法学』(有斐閣)までは最低限併読して、自分なりの説明を確立するように努力してほしい。教科書の記述だけでは、論文としては不十分である。

(三) 制度説

 佐藤孝治は、上記の第3の点を重要な根拠として、政教分離は、特定制度の不存在が保障されている、とする(佐藤幸治『憲法』第三版498頁参照)。その指摘するところによれば、本来ドイツのカール・シュミットが主張した制度的保障説は制度の積極的な創設に関わるものであって、政教分離のように特定制度の不存在にかかるものではないとする。その上で、政教分離原則は、「個人の信教の自由の保障を完全なものにすることに向けられた制度であり、その内容は憲法上明示されており、その明示したところに従って公権力を厳格に拘束する」ものと解する。

 佐藤幸治自身は、「制度としての人権」という概念を有しているが、政教分離に関しては、そのような理解ではなさそうである。制度的保障と同様の、客観的制度として把握しているように思われる。したがって、制度的保障説との差異は、政教分離を、制度の現状の保障(Status-quo-Garantie)を行うと把握していると理解することが許されるだろう。すなわち、単に制度の中核ばかりでなく、憲法がいう政教分離に相当する制度のあらゆる面において絶対的不可侵を保障したものと解しているのである。

 しかし、このように主張するときは、後に述べる、分離の限界という困難な問題とぶつからざるを得なくなる。そこで、佐藤は、1項及び2項に言う宗教と、3項の宗教とでは、概念の内容が異なると説くことで、これを解決しようとする。すなわち「前者の『宗教』は広く解するべきであるが、後者の『宗教』は、何らかの固有の教義体系を備えた組織的背景を持つものと解される」(佐藤500頁より引用)。したがって、佐藤説に従った場合にも、本問では、組織性が無い神道の宗教性が否定されることになる。但し、その根拠として、佐藤は「不合理な結論が導かれるから」ということしか上げていない。このような記述では、諸君の論文では合格点をあげる訳にはいかないので、佐藤説を採る場合には、この点についての補完を自ら試みなければならない。

(四) 客観的禁止原則説

 戸波江二は、佐藤と同じく上記第3の点を根拠として、制度的保障と解するのを拒否し、客観的禁止原則という(戸波『憲法』新版、ぎょうせい刊129頁参照)。この客観的禁止原則については、同書228頁で次のように説明している。

「政教分離原則は、〈中略〉国家が宗教に関与することを客観的に禁止する原則とみるのが妥当である。とはいえ、それは個人の信教の自由を強化・保護するためのものであり、国家と宗教の分離は厳格でなければならない。」

 これだけではちょっと判りにくいので、もう少し補足して説明すると次のようになる。第一に「客観的」とつけたのは、上記権利説との違いを強調する趣旨なので、この付加語は本来は必要ではない。「禁止」とは、政教分離原則が国家が宗教と結びつき、あるいは宗教に関与することを禁止した、という意味である。例えば憲法9条が、「戦力は保持しない」とする規定は、国家が戦力を保持することを禁止した規定だが、それと同じように憲法203項を理解する。ここで「原則」としたのは、制度的保障との区別を強調する意味である。すなわち、制度的保障の観念は、前述のとおり、本来、特定の制度があって、それを特別に憲法上保障した規定をさす。政教分離原則は、先に制度的保障の問題点として指摘したとおり、国家に対する禁止規定であって、保障されるべき特定の制度をもたないと考えるので、この表現になるのである。例えるならば、制度的保障説は、餡ドーナツみたいなもので、中心にある餡の部分が保障されていると考える。それに対し、禁止原則説は、真ん中に穴の開いたドーナツみたいなもので、真ん中の穴を何かで埋めることが禁止されていると考えるのである。

 この考え方は、制度的保障という言葉を使用しない点を除くと、通説の理解ときわめて近い。というより、通説で、制度的保障という伝統のある言葉を使用することから発生する弱点を、客観的禁止原則という表現によってカバーしている点を除くと、通説の理解とほとんど違いがない。その意味で、現在存在する説の中ではもっとも妥当性の高い説と私は考えている。その場合、上記1及び2の弱点をどうカバーするかが問題となる。この点は、通説である制度的保障説でも同じことなので、項を改めて次に併せて説明する。

(五) 再び制度的保障説について

 上述のとおり、権利説ないし制度説には十分な説得力がないと思われるので、制度的保障説ないし客観的禁止説に依拠して書くのが、学生の論文としては無難である。その場合、上記問題点の特に1及び2についての説明方法として、多くの論者の賛同を得ているのは、戸波師の説くところである。

 それによれば、通常、制度的保障説で最大の問題点と指摘されることの多い、何が制度の不可侵の核心(本質的内容)か、を決定するのは、理論そのものの問題ではない。「本質的内容をどのように確定するかという問題がそもそも優れて実践的な解釈問題であって、本質的内容の広狭は究極的には解釈者の価値判断によって定まる。」そして、このように本質的内容の範囲がこの理論自体から論理必然的に導かれないとすれば「結局のところ、いかなる立法が制度的保障の本質的内容を侵して違憲となるかの判断にあたっては、実は、制度的保障の理論は何の役にも立っていないことを意味する。」では、制度的保障理論の意義はどこにあるかといえば、それは制度的保障だとされる特定の憲法規定が人権を直接に保障する規定ではなく、一定の制度を客観的に保障する規定であることを明らかにする規定であることを説明する「一種の説明概念」にすぎず、「そこから何らかの具体的な法的帰結が導き出されるという意味での解釈論的道具概念ではない。」「最も重要なことは、制度的保障とされる憲法規定を個別に検討し、それぞれの法的性格をその規定の特質に応じて確定することである。」(「」内は、いずれも『筑波法政』7号掲載の戸波江二論文より引用)。

 この理論を政教分離に当てはめると次のようになる。制度的保障と把握することにより、はじめて「政教分離原則の侵害の有無は、憲法20条2項の宗教の自由侵害の有無と異なり、個人に対する『強制』の要素を必要としない。すなわち、国又は地方公共団体が行政主体になって特定の宗教活動を行えば、一般市民に参加を強制しなくとも、それだけで政教分離原則の侵害となる。政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害となることを恐れなければならない」(津市地鎮祭、名古屋高裁判決より引用。)と解し得る。

 このような説明を導きうるという点において、説明の道具として制度的保障概念を使うことが優れているのである。当然、この論理は、この説明の考案者である戸波江二自身の客観的禁止原則説でも使用可能である。

 以上のように政教分離の法的性格を制度的保障ないし禁止原則と理解した場合、政教分離原則違反が訴訟で争いうる場合は、次の場合があり得る。

 第1に、客観訴訟が認められている場合である。住民訴訟の形態で行われた津市地鎮祭訴訟や愛媛玉串訴訟は、この典型例である。

 第2に、問題となった政教分離違反行為が、同時に特定個人の信教の自由を侵害する場合である。典型的には、殉職自衛官合祀事件(最大昭和6361日=百選100頁)がある。この場合、原告の殉職自衛官の妻の宗教的人格権の侵害を契機として訴訟が提起された場合に、その侵害の違法性に関する主張の一環として政教分離原則違反の主張を行うことができるのである。

 

四 国家と宗教の分離の限界

(一) 総論

 前節に論じたように、制度的保障〜客観禁止原則と理解した場合には、国家がどの範囲で宗教に関与しうるかは、基本的にはその国家における価値観で決まることになる。先に述べたとおり、わが国は戦前における事実上の神道国教化という不幸な経験及び無宗教者の権利保護という二つの理由から、国家と宗教の分離を要求していると考える以上、その分離は厳しく理解しなければならない。理想的には、米国においていわれるのと同様に、完全分離が求められるべきである。しかし、国家と宗教団体の分離と異なり、国家と宗教の完全な分離は不可能である。なぜなら、宗教は、個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常だからである。

 この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたつて、宗教との関わり合いを生ずることを免れえないこととなる。更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて関係者の人権を侵害するという不合理な事態を生ずることを免れない。

 この問題は三つの場合に分けて考えるべきである。

 第一に、宗教とは異なる理由で行われる国家からの援助の受け手として宗教団体が存在する場合である。例えば特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をしたり、文化財保護の一環として、神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のために国が宗教団体に補助金を支出したりする行為である。わが国は先に述べたように宗教に対して敵対的分離主義を採用しているわけではないから、これらは許される。仮に、それが許されないということになれば、そこには、宗教との関係があることによる不利益な取扱い、すなわち宗教による逆差別が生ずることになるからである。すなわち、社会国家における給付の平等性に反するからである。

 第二に、個人の信教の自由の保護のために、国家が宗教と関わりを持つことが要請される場合である。刑務所等における教誨活動がその典型である。刑務所においては、受刑者の信教の自由は、その身体的自由の制限のために事実上制限されている。したがって、教誨活動を認めないときは、国家による消極的侵害という結果を招くことにもなる。人権と人権の衝突の場合には、比較考量によってどちらの人権がどの限度で承認されるかを検討する。政教分離原則と人権の衝突の場合にも、同様の比較考量が許されるべきであろう。

 第三に、元々宗教行事であったものが、今日のわが国において、単なる社会習俗と化している場合がある。例えば、わが国が今日採用している休日のほとんどには宗教的背景が存在している。すなわち、日曜(キリスト教の安息日)、土曜(ユダヤ教の安息日)、正月(神道の祭日)、春分・秋分の日(仏教の祭日)などである。また、クリスマスもわが国ではキリスト教信仰とは切り離された形で一般的祝い事とされている。社会習俗化している場合には、政教分離原則に違反しないということができる。

 このような本来的宗教行事が、既に社会習俗化しているのか、それとも依然として宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならないといえるであろう(津市地鎮祭最高裁判決参照)。すなわち、このような認定の限度において、津市地鎮祭判決は、依然として拘束力を有している。

 

(二) 津市地鎮祭訴訟最高裁判所判決の今日における問題点

  1 神道の除外性

 最高裁判所は、津市地鎮祭訴訟で、目的効果基準を導入した。すなわち、最高裁は、20条3項の国の行為を、次のように定式化した。

「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。」

 この基準の持っている本質的な問題は、この基準による限り、神道は常に問題外になるという点である。すなわち、この基準は、宗教とは、「布教、教化、宣伝等の活動」をするものだ、という定義を採用していることになる。これは宗教とは「特定の教祖、教義、教典を持ち、かつ教義の伝道、信者の教化育成」等を目的とするものである、と定義しているのと同じことである。これは結局、戦前の神道非宗教論と同一のものである。

 それに対して、神道は「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、至高の存在等。なかんずく、神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」(「」内はいずれも津市地鎮祭名古屋高裁昭和46514日判決から引用)であるにすぎない。本問におけるB神社は、その典型的な例である。このような本来的な神道は、基本的に教義を持たないから、それを「布教、教化、宣伝等の活動」をすることはあり得ない。もちろん、神道であれば必ずそうだ、というわけではない。そうした欠陥を、是正しようという試みは行っている。例えば仏教の教義を借りてして、神道の教義とした本地垂迹説、逆本地垂迹説などがそれである。しかし、明治元(1868)年に、神仏判然令が出されて神社付属の社僧は復飾させられ、宮寺制は解体して、このような神仏習合体制は終わりをつげた。だから、今日における普通の神道を前提とする限り、目的効果基準を採用すれば、自動的に基準該当性が否定されるという結果を招くのである。

 ここから、宗教とは何か、という議論の必要性が表れることになる。だから、機械的に宗教を論じても、基準を論ずるところで、上記のことをいわなければ意味がない。逆に言えば、基準で、こうしたことを議論するつもりが無ければ、宗教概念を論ずる必要はない。

  2 レモンテストとの異同

 この目的効果基準を、往々にしてレモンテストそのものと書く諸君があるが、冒頭に紹介した山元一の述べたとおり、それは間違いである。最高裁判所の使用した目的効果基準は、レモンテストと異なり、第1に、地鎮祭という事実行為に適用したものであり、第2に、過度の関わりという三番目の要件が切り捨てられたものであり、第3に、全てを満たして初めて違憲となるものである。

 愛媛玉串判決は、第1点は維持したが、第2点では変更し、過度の関わり合いという要件を加えた。さらに、第3点についても、3つの要件のいずれか一つで違憲となれば、全体として違憲となるとした。この第3の点については、愛媛玉串訴訟判決(最大平成942日)で、可部少数意見は次の様に述べている。

「二要件を充足する場合に、それが憲法203項にいう『宗教的活動』として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモンテストにおいて、〈三つの要件を述べた部分を省略〉の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう」

(三) 愛媛玉串訴訟最高裁判所判決のポイント

 この判決は、その理由中で、津市地鎮祭判決をかなり長く引用して議論しており、そこだけをみれば、その採用した目的効果基準をそのまま維持したように見える。しかし、実際の判断の段階では、これとは異なる議論が展開されている。すなわち玉串料の宗教的意義について検討をした後、次のように、国家と宗教団体の関わり合いを問題とする。

「これらのことからすれば、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀に関わり合いを持ったということが明らかである。そして、一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料等を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式の場合と異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず、一般人が本件玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つと評価しているとは考え難いところである。そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである。」

 ここでは、津市地鎮祭判決で問題となった地鎮祭と、例大祭を対比しつつ、宗教性は、本人の主観的意図ではなく、一般人を標準として決定することが述べられている。冒頭に指摘した基準の客観化の努力の一つである。だから、本問の場合、Xの主観的意図が世俗目的であるか否かは問題にはならず、一般人がどう受け取るかが問題点となる。

 しかし、本判決で最大のポイントは、目的効果基準から一歩踏み出して、過度の関わり合い(entanglement)を要件として認め、さらに過度の関わり合いが存在しているか否かの判断基準として、エンドースメントテスト(Endorsement test)を導入した点にある。換言すれば、この点を述べない限り、今日において、政教分離原則に関する論文は、合格レベルに達しない。

 ここで使われている"endorse”とは、本来、手形などの裏書きの意味であるが、それと同様に、国が特定の宗教団体を積極的に支援する姿勢を示すことにより、その特別性を保障する否かを、政教分離の重要な要素として把握する、という考え方である。この理論は、米国最高裁判所のLynch v. Donnelly (1984)判決での同意意見の中で、オコナー判事が提唱し、Wallace v. Jaffree (1985)判決で発展させた基準である。その内容は、過度の関わりがあるか否かを判断するためのテストとして「宗教を是認または否認するメッセージを政府が送っているかどうか」、すなわち「その宗教を信じない者に、その者達がよそ者であり、政治共同体のまったき構成者ではないとのメッセージを送り、信仰者に、仲間内の者であり政治共同体で優遇されるとのメッセージを送る」者であるかどうかを基準として、政教分離原則違反か否かを判断するというもののである。

 この基準が愛媛玉串判決で採用されていることは、次の文章に極めて明確である。

「本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことからすれば、地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。」

 この文章が頭に入っていれば、本問のXの行動が、この記述とぴったり噛み合っており、まさにその特定宗教への関心を呼び起こしていることにも、容易に気がつきうるであろう。つまり、本問に愛媛玉串判決の論理をそのまま適用すれば、違憲という結論が導かれる可能性が高いことになる。

 この判断の決め手となったのは「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれない」という事実であった。

 冒頭に述べたとおり、学説は、そもそもレモンテストをわが国にそのまま適用することを妥当と考えているわけではない。

 例えば、戸波江二は次のように説明する。

「この基準は、国家と宗教との一定の関わりを前提とするものであって、必ずしも厳格な基準というわけではない。しかし、国家と宗教との間に線を引くための基準として一応の妥当性を有し、また日本の判例でも一般的な基準となっている以上、この基準を基本的に維持して三要件違反の有無を厳格に審査し、他方で、国家行為の宗教性を具体的・実質的に判断していくのが妥当であると思われる。」新版227*[4]

 まことに奥歯に物の挟まったような、不明確な支持理由であるが、わたしも賛同する。先に述べたとおり、米国では、国家が宗教と関わりを持つことを禁じているわけではなく、国家と教会の関わりを禁じているにすぎないから、そのまま日本に適用すれば必ず問題が起こるからである。君たちも、三要件を導入するという説を採る場合(当然そうだと思うが)、こうした表現を覚えて、諸君の論文中に再現するという努力が必要になる。



*[1] 例えば、オバマ大統領は大統領就任に辺り、リンカーンが大統領就任に辺り使用した聖書を取り寄せ、それに手を置いて「I do solemnly swear that I will faithfully execute the office of President of the United States, and will to the best of my ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States」(合衆国憲法218文)と述べ、最後に“So help me God”と付け加えた。これが政教分離原則違反と評価されないのは、米国では国家と宗教団体の分離が求められるにとどまり、国家と宗教の分離では無いからである。

*[2] 1940年に合衆国最高裁判所は、マイナースヴィル学区対ゴビティス裁判(Minersville School District v. Gobitis1940)において、国旗への敬礼を偶像崇拝と見なすエホバの証人の子弟であっても、公立学校の生徒に対しては忠誠の誓いの暗誦を拒否した場合に放校処分にしたことを是認する判決を下した。ただしWest Virginia State Board of Education v. Barnette1943)では宣誓拒否権を認めた。

 なお、無神論者のNewdowが忠誠の誓いの違憲を訴えた事件が2002年に起き、連邦高等裁判所はこれを認めたが、2004年、連邦最高裁判所は原告適格の欠如を理由に訴えを門前払いをし、忠誠の誓いそのものの合憲性については判断を示さなかった。

*[3] 違反者に対して150ユーロの罰金や講習会の受講を義務付け、女性にブルカなどの着用を強制した者に対しては最大1年の禁固刑か15000ユーロの罰金を科す内容。

*[4] 少し長文なので、ここには引用しないが、芦部信喜『憲法第5版』157頁以下にも基本的に同趣旨の記述がある。この箇所の記述は、目的効果基準とレモンテストとが同趣旨のような書き方をしていて、大変ミスリーディングであるが、その理由は、本稿冒頭の山元一の文章で理解できると思う。