国政調査権の意義と限界

甲斐素直

問題
 東京地検特捜部が、ある建設会社の取締役Aを競売入札妨害罪の疑いで逮捕したところ、新聞社数社が、Aには談合にかかわって元大臣である衆議院議員Bへの闇献金ないし贈賄の疑いがあり、検察官によるAに対する捜査が、Bの絡んだ政治資金規正法違反事件ないし贈収賄事件に発展すらかもしれないと報道した。
 そこで、参議院議員において多数を占めるC党は、Bに対する疑惑を解明し、政治倫理確立のために必要な措置を検討するために

 

[はじめに]

 ある機関が存在すれば、その有する権能の行使を補助する目的で、調査権を有することは当然のことである。例えば、行政機関が生活補助を行おうとすれば、まず申請者が生活困窮者であるかどうかを調査しなければならない。あるいは裁判所が判決を下そうとすれば、その判決の基礎となる司法事実や立法事実を調査する必要がある。この様な意味において、国家機関がその有する権能を補助する権能として、調査権を有することは、憲法上にその旨の規定があるか否かを問わず、自明のことと言える。

 そして、このような調査権は、その機関が本来有している権能を補助する範囲においてしか行使することができない。例えば、保健所が飲食店の営業を許可するに当たり、調査できることはその設備の衛生状態等に限定され、その飲食店が出店すれば、その付近の飲食店が過当競争に陥り、連鎖倒産を起こすのでは無いか、というようなことは調査できないのである(警察消極の原則という。)。

 国会が、自らの権能の補助権能として国政調査権を有することは、憲法62条の存在を待つまでもなく、したがって、自明である。問題は、それがどのような理由から、どの範囲で認められるかについてである。

 なぜならば、行政機関や司法機関と異なり、国会は、憲法41条において「唯一の立法機関」と「国権の最高機関」という二重の機関性を有している、とされているからである。立法機関を補助する権能としての調査権が存在することは、他の二機関との比較から言っても当然のことである。その場合には、当然のことならが、立法を行うに当たり必要な範囲に調査権は限定される。例えば、本問のように、立法目的が存在しない場合における調査は許されない(それに対し、「政治倫理法改正のために必要な資料を収集」する目的であれば、許される。)。

 問題は、そうした立法の補助権能から離れて、国権の最高機関という地位を補助する調査権というものも、別個に考えることができるか否かである。いま、国権の最高機関という言葉は政治的美称であって法的意味は有しないと考えると、国会の有する法的地位は立法機関性のみと言うことになる。そうなれば、国会の有する調査権も立法の補助権能だけということになる。それに対して、国会には立法権能以外の法的権能も有していると考えれば、それらの法的権能を補助する調査権も当然に考えることができる。

 後述するように、今日では学説が歪んでいるが、学説の対立が生じた当初の段階においては、立法の補助権能のみを主張する説を「補助権能説」と呼んでいた。それに対し、そのような立法補助の調査からはなれて(つまりそれとは「独立」に)、国権の最高機関性を補助する目的から国政全般に対する調査権能もあるとする説を「独立権能説」と呼ぶ。

 以上の説明から判るとおり、この問題の答案の前半は、我がゼミの入室試験問題である「憲法41条について論ぜよ」という問題の前半と、ほとんど違いが無い。当然、我がゼミ生諸君は楽勝で合格答案を書ける…はずなのだが、現実には残念ながらそうはなっていない。やむを得ないので、このレジュメは、入室試験の解説まで立ち戻ってスタートしなければならない。


一 国権の最高機関

 この問題は、諸君としても一度は説明を聞いて判ったつもりになったことなので、多分要点を聞けば、正確な議論の細部は思い出してもらえると期待し、簡単に述べる。

 わが国憲法が国民主権原理を採用している点については、学説の対立はない。しかし、その国民主権とは何を意味するかについては、人民主権説と狭義の国民主権説が対立している。以下では、狭義の国民主権説についてだけ考える。

 狭義の国民主権説を採用した場合、主権者たる国民とは「老若男女の別なく全国民」を意味すると考える。その結果、この意味の国民には国家機関性がない。つまり、狭義の国民主権説とは、単に国家機関が正当に存在していることを説明する手段にすぎない。芦部信喜いうところの正当性の契機としての国民がこれである(芦部信喜『憲法』第541頁参照)。

 この考え方の下において、最高の国家機関性を持つ機関は何かというと、全国民の代表者で組織される国会と言うことになる(憲法前文1文参照)。その意味で、憲法41条の文言が正当な表現である事はきわめて明白である。この結果、国民主権原理の下においては、「議会は、男を女に変えること以外にはあらゆることを行うことができる」という古い格言に示されるように、現実問題としては議会が主権者そのものであるかのように振る舞う。英国議会がその典型で、このため議会主権(Parliamentary Sovereignty)と称される。

 ところが、わが国現行憲法は、そのような典型的な国民主権憲法ではない(だからこそ、人民主権説が有力に主張され得るのである。)。すなわち、憲法改正や最高裁判事の国民審査において、その決定権者として「国民」という概念を使用している。そこにいう「国民」は、上述した全国民を意味してはおらず、その時点における有権者集団の意味である。そして、この有権者集団は憲法を改正し、あるいは最高裁判事を罷免するという権力を行使することができる。すなわち国家機関である。これが芦部信喜いうところの権力性の契機としての国民である。そして、特に憲法改正における規定を見ると、この「国民」は明らかに国会より上位の国家機関である。したがって、憲法41条が国会を国権の最高機関と呼んでいるのは誤りと言うことになる(このような説明は、どの教科書でも41条や62条に対する箇所では無く、主権論の下りに書かれている。教科書は全体を通して理解しなければならないと、常に強調するのはこのためである。)。

 狭義の国民主権説に立つ限り、ここまでの理解に、学説の対立はない。学説の対立はこの先に発生する。

 第一の考え方は、先にも言及した政治的美称説である。上記のように主権論にみれば、国会は国権の最高機関で無いのだとすると、この規定にはそもそも法的意味はまったく無い、と考える。しかし、そのような結論を下すには、主権論以外にも、あらゆる法的意味で、最高機関と考える余地はないと論証する必要がある。そこで、典型的には次のように論じる。

「国会は主権者でも統治権の総覧者でもなく、内閣の解散権と裁判所の司法審査権によって抑制されていることを考えると、国会が最高の決定権ないし国政全般を統括する権能を持った機関であるというように、法的意味に解することはできない」(芦部信喜・285頁より引用)

 つまり、この引用文は、これ自体として完結している文章では無く、上記のように主権論で展開した議論を、この41条に関して補完した文章なのである。したがって、権力性の契機としての国民に関する議論を抜きにして、この文章だけを記述して政治的美称説の理由を述べたつもりになると、落第答案と評価される。

 第二の考え方は、主権論的には意味が無いとしても、何か「国権の最高機関」という言葉を使っておかしくない,別の法的権限があり、それをこう呼んでいるのでは無いかと考え、その可能性を追求した説である。すなわち、上記権力性の契機としての国民という言葉に代表されるように、法学の世界では、本来の語義とは違う意味に言葉が使われることがある。だから、国権の最高機関にも、その本来の語義である「最高の決定権ないし国政全般を統括する権能を持った機関」というもの以外の用法があるのではないかと検討するわけである。

 そうすると、我が憲法は、例えば議院内閣制とか国会中心財政主義のように、民主主義に基づき、明白に立法権とは異なる権能を国会に与えている。そして、これらの権能には、三権機関が相互に対立した際、それを総合的に調整する機能であると考えられる。そこで、憲法41条が国権の最高機関と呼んでいるのは、こうした諸権能の帰属する機関であると考える。これが総合調整機能説あるいは総合調整機関説と呼ばれる考え方である。


二 諸外国とわが国の沿革

 上述のとおり、議会の調査権は、その活動の当然の要請だから、どこの国でもその権限は認められている。しかし、どのような制度の国で、どのような形で認められるかを知ることは、わが国の制度について議論する際にも重要なことであるので、以下紹介する。

 しかし、当然のことながら、このようなことを国家試験論文のレベルで書く必要はない。つまり、間違っても諸君の答案で外国制度を引用して論じてはいけない。不十分な知識に基づく不用意な引用は、落第答案への近道である。

(一) イギリスの場合

 16世紀に下院が選挙調査を行ったことに始まり、徐々に内閣その他の行政機関の不正行為に対する政治調査、立法準備のための立法調査などに拡大していき、19世紀にほぼ確立した。ただし同国においては、議院内閣制の下、内閣に協力する道具として考えられているといわれ、行政庁を統制する手段としての機能は低い。議院内閣制では、議会の多数派と内閣とが常に一致しているのであるから当然といえる。

 この点、わが国の通説は、議院内閣制という前提から、いきなり行政庁統制手段としての国政調査権を導くが、この議論は少しきめが粗いことが判る。おそらく、後述のドイツ法の理論が混入しているためであろう。

(二) 米国の場合

 憲法には議会調査権に関する規定はなく、黙示の権限(implied power)として考えられた。したがって、憲法上明文で議会の権限とされた権限、特に立法権の補助機能として構成される必要があったのは当然である。同国は厳格な三権分立理念を採用しているので、国政調査の対象は立法府の権限内の事項に限定されることになるから、国政調査権に行政府の監督機能は含まれないものとされている。

 ただし、学説的には立法府の権限とは関係のない独立権限として構成しようとする有力説が存在する。その場合、立法府として、選挙民に対する情報提供を行う義務があるという、政治責任を根拠に構成することになる。わが国最近の少数説の根拠はここにある。

 後述の補助権能説の論者が、アメリカからの継受法であることを、その説の根拠の一つとして書く例が多いが、その場合、立法権のみの補助権能と考えないと、説が矛盾する点を注意するべきである。

(三) ドイツの場合

 プロイセン憲法では、プロイセン1850年憲法81条は「各院は、王に上奏文を提出する権利を有する。」とさだめ、その3項で、「各院は、大臣に上奏文を転送し、その文書に対する情報を求めることができる。」とさだめていた。判りにくい文言だが、これは議会が国王に対して上奏文を提出するにあたり、事実調査を求める権限があるという意味とされていた。そして、そして、これを受けて82条は「各院は,情報を求めるため、事実調査委員会を任命する権限を有する(Eine jede Kammer hat die Befugniß, Behufs ihrer Information Kommissionen zur Untersuchung von Thatsachen zu ernennen.)」と定めていた。しかし、ドイツ流の考え方では、事実の調査とそれに対する評価は峻別されるところから、この調査権で行政府の活動に対する評価を行うことは許されないとされたため、低調に推移した。

 この点を反省したマックス・ウェーバーは、議会調査権が①行政府統制手段として機能すべきこと、②院内少数者の請求があれば調査権を発動する必要のあること、③調査は公開で行われるべきこと、という3原則を説いた。

 ワイマール憲法及び現行ボン基本法では、これを受けた形で議会調査権に関する規定が置かれた。現行基本法を紹介すれば、その44条で、調査の主体は委員会であること、議員の4分の1以上の請求があれば必ず調査委員会を設けなければならないこと、調査は公開で行われることを原則とすること、証拠調べには刑事訴訟法の規定が準用されること、裁判所及び行政官庁は法律上及び職務上の援助を行う義務を有すること、等を定めている。

 この影響から、わが国では国政調査権を語るとき、前述の通り、一般に行政監督権の補助権能と述べることが多い。そのこと自体に異論はないが、少数意見の尊重というメカニズムが組み込まれていないわが国で、その点を強調するのには無理がある。この点、「調査権の主体」論の一環として後述する。

(四) フランスの場合

フランスの場合にも、英米と同じく,憲法には根拠規定はない。歴史的にはナポレオン没落後の王政復古時代になってその原型が出現するが、確立するのは第3共和政になってからである。

 フランスにおける議会調査権の大きな特徴は、立法の補助権能では無かった点である。

「フランスの調査権は、かように『国民代表に帰属する一般的な権限に由来し』、『なかんずく行政権に対する立法権の監督権を基とする』慣行の所産であり、『審議し議決し決定し、かつこの目的のために真実を知る必要がある権限に固有のもの』として、立法・行政監督および弾劾または選挙訴訟の裁判・議員の資格判定等の憲法上の権限から生ずる問題のみを調査できる補充的権限である。」(芦部信喜『憲法と議会政』東京大学出版会1971年刊21頁より引用)

 これが、強制権を伴うものに発展したのは1914年に制定されたロシェット法によるものという。

(五) わが国の沿革

 わが国明治憲法は、プロイセン憲法を継受したが、事実調査委員会については、その設置さえも、議会の行政府に対する侵害になると把握し、意識的に排除した。ただ、議院法(現在の国会法に相当する)においては調査権を承認したが、国務大臣及び政府委員以外との交渉を禁ずるとともに、必要な報告または文書の提出を政府の裁量に委ねていたため、ほとんど実効性を確保することができなかった。

 現行憲法の制定に際し、マッカーサー草案54条では、次のような強力な国政調査権が予定されていた。

「国会は調査を行い、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を求めることができる。これに応じないものを処罰することができる。」

 だが、このように強力な調査権を導入することには日本側に強い躊躇いがあり、ここから処罰規定を削除した形で、62条は制定された。しかし、現行憲法制定直後の第1回国会において、早くもこうした規定の不備が痛感され、昭和22年に議院証言法が制定されるに及んで、ようやくわが国の国政調査権は、出頭や証言に強制力を伴う現在の姿になったのである。


三 権限の性質

 わが国では、国政調査権の性質について、二つの大きな学説の対立がある。これは、しかし、国政調査権そのものに関する対立というよりも、憲法41条にいう「国権の最高機関」という文言をどう理解するか、という点に関する学説の対立が、国政調査権に反映している、と理解するのが正しい。

(一) 補助権能説

 先に説明したとおり、41条で政治的美称説を採用すると、62条では自動的に補助権能説を採用することになる。なお、政治的美称説とは、国会が政治的には国政の最高機関として活動していることを承認しているのであって、最高機関という言葉がまったく無意味と主張しているのではないことに留意してほしい。

 この場合、補助権能を認める国会の権能に関する見解の相違から、権能の内容についての理解は、大きく二つに分かれる。

 1 立法権補助権能説

 憲法41条の最高機関性の法的意味を否定する以上、国会の権能の中心は立法機関であるとして、国政調査権は、法律案及び予算案の審議議決に必要な事項に限定して肯定されるとする見解である。米国の通説・実務に近い立場ということができ、また、イギリスの実務とも近い。継受法解釈が大きな根拠となる。

 かつては通説であった。しかし、国会における実務は、立法権に拘らず、幅広く国政調査権の行使を承認しているため、この説をとると、現実の国会活動をほとんどすべて違憲といわなければならなくなる。そのため、最近支持者を減らしており、現役の学者ではその例を知らない。

 2 全面的補助権能説 

41条の議論を離れて、憲法が立法の外、国会中心財政主義による広範な財政権を認めること、議院内閣制を基礎に広範な行政監督を承認し得ることなどにもとづいて、立法の他、財政や行政に関する幅広い機能の補助機能性を認める見解である。清宮四郎、芦部信喜などが代表的存在で、今日では補助権能説の中ではこちらが通説となってきているといえるであろう。

 この説をとる場合、事実上、次に述べる独立権能説との差異はほとんど存在しなくなる。しかし、独立権能説が,いわばフランス法と同様に、『国民代表に帰属する一般的な権限に由来』する権限と統一的に考えているのに対し、統一的な視点を持たないので、その分、調査権の及ぶ範囲は,理論的には狭くなると考えるのが妥当であろう。

(二) 独立権能説

 国権の最高機関という文言に法的意味を認めるという場合にも、上記政治的美称説の主張を否定しているわけではない。学説は、国民主権原理を基礎に、国民の直接の代表者によって組織される国会が、権力分立によって分裂した国家活動を総合調整機能を有していると理解する。この総合調整機関のことを憲法が最高機関と呼んでいる、と考えるのである。この場合、この総合調整機能の行使を補助するために国政調査権があると考えられるので、国政調査権は、立法権の補助目的が無い場合にも、それからは独立して行使し得ることを認めることになる。そこで、「独立権能説」と呼ばれる。

 しかし、上記のとおり、国権の最高機関という地位の補助権能として認めているのであるから、その行使によって、他の権力の活動を侵害するようなことは当然許されない。

 補助権能説の根拠として、独立の権能などはない、という式の書き方をして、独立権能説を批判しているつもりの人がよくいるが、独立権能という言葉は、単に、補助権能説との対比でそう呼ばれているだけで、調査権が完全に独立の権能として存在すると主張しているわけではないので、誤解に基づく批判である。特定の説を記述している基本書だけを読んでいると、他説の内容や根拠についての正確な知識を得ることは難しい。したがって、いつも強調するとおり、他説を批判は危険なのでやめ、ひたすら自説の積極的根拠付けに力を入れるのが正しい論文の書き方となのである。

 この説の論者としては、古くは佐々木惣一、大石義男等があり、今日では佐藤幸治、阪本昌成等がある。

(三) 国民の知る権利に奉仕する権能説

 この点に関する付随的な論点として、国政調査権を、議会権能の補助目的ではなく、主として国民に対する情報提供、世論形成の目的で行使することはできるか、ということが論じられるようになってきている。

 この説は、米国の議会調査権について説明したとおり、従来の独立・補助の対立とは異なる根拠から説明する、第三の説であり、既存の国会の権限から説明しないという点からは第二の独立権能説ともいうべきものである。このアメリカ流の把握をそのまま肯定するものとしては、奥平康弘がある(有斐閣叢書『憲法Ⅲ』)。

 独立権能説の立場から、こうした拡大した権能の存在を承認とするものとしては、佐藤幸治(第3197頁)がいる。すなわち

「国会は国権の最高機関として国政の中心にあって世論の表明・形成の中心であることが期待されるのであるから、国政調査権の持つ国民に対する情報提供機能・争点提起機能は軽視さるべきではなく、むしろ調査権のそのような機能を前提とした上で、他の政府利益や国民の基本的人権との現実的調整がはかられるべきものと解される。」

 同様の結論を、わが憲法が国民主権ではなく人民主権であるとする解釈に基づいて、これを肯定するものとして杉原泰雄がいる。

 反対に不可とするものとしては小嶋和司、伊藤正己などがいる。

 論理的にいって、独立権能説を採れば、こうした論理に拡大することが可能であるが、補助機能説を採りながら、この見解を採ることは、通常は不可能ということができる。


四 調査権の主体

 本問では、この点は論点とならないが、参考のため論じておく。

 調査権の主体としては、憲法上は、議院が予定されている。実行上は、議院がその決議により常任委員会または特別委員会に対して、その主たる権限内に属する事項について授権するという方法をとられるのが普通である。常任委員会に対する授権に当たっては、本来はそのために個別に授権するべきであろう。が、実際上は、常任委員会の所管事項とされるものをほぼそのまま、列挙して、それに関して授権するという議決を国会の冒頭で行っている。

 少数者保護という点も、わが国の場合の一つ問題である。議院内閣制を採用している場合には、与党はこのような特別の規定がなくとも、行政その他の調査を事実上行うことが可能である。したがって、こうした権限を特に憲法で認める場合には、ドイツボン基本法に見られるように、当然少数者保護が考慮されなければならない。わが国では、特にこの点についての法的保護は与えられておらず、政争の対象となっているのは問題であろう。本来は憲法それ自体が定めるべきであった。しかし、法律で定めることも可能であるので、立法的解決の期待されるところである。

五 調査権の行使方法

 本問では、この点も論点ではないが、参考のため論じておく。

 憲法は調査の行使方法として「証人の出頭及び証言並びに記録の提出」を要求できることとしている。これを受けて、国会法は、調査のための議員の派遣(国会法103条)、官公署に対する報告又は記録の提出の要求(同104条)及び証人又は参考人の証言(同106条)という三通りの調査方法を予定している。このうち、特に証人の証言については、議院証言法が制定され、刑事罰を伴う強制力が認められている。

 これに関連して、調査手段として逮捕、捜索、押収等の権限を立法的に導入することが憲法上許されるか、という問題がある。

 一般に不可と解されているが、その理由を明記している論者は見あたらない。その結果、論及する場合には、自分で理由を考えてつけ加えなければ、十分な加点を期待することはできない。

 思うに、マッカーサー草案のように、議会に明示的にそれを予定していた場合はともかく、削除されている現行憲法の下においては、我が憲法の採用している令状主義から見て、司法官憲にしか、そのような許可は行うことができない。したがって、議会にそうした権限を直接付与することは立法によってもできないというべきである。

 ただ、議会が裁判所に申請して、司法官憲による令状発布を求める、という立法であれば、令状主義に違反しないので、合憲といえるのではないか、と考えている。

六 調査権の限界

 ここからがいよいよ本問の本格的な論点である。

 補助権能説に立つにせよ、独立権能説に立つにせよ、国政調査とは、

「国会の権能を有効適切に行使するために行う調査を意味する。したがって、国会の権能とはまったく関係のない事柄、たとえば個人の純然たる私的行動などは、ここにいう『国政』に含まれず、国政調査の対象になり得ない。また、国家作用であっても、国会の権能の外にあるものは、ここにいう『国政』に含まれない。」(宮沢俊義『全訂日本国憲法』芦部信喜補訂版、471頁より引用)

と考えるべきことに異論はないであろう。

 したがって、国政調査権は、二つの大きな限界を有していることになる。

 第一に、「国会の権能とはまったく関係のない事柄」に関する調査である。これが具体的に何かが、本問の中心論点である。

 第二に、「国家作用であっても、国会の権能の外にあるもの」である。これは、三権分立制から発生する限界と理解すればよい。独立権能説であると、補助権能説であるとを問わず、三権機関の一に過ぎない国会の構成機関である議院として、その有する権能の補助として調査権を行使できるに過ぎないから、他の二権、すなわち司法府及び行政府に対して憲法が保障する自律権、独立権を侵害するような調査を行うことはできない。具体的には行政権及び司法権に対する干渉となるような行使は許されない。これは本問と直接関係はないが、せっかくの機会なので後で説明したい。

(一) 民間企業に対する調査

 民間企業の活動は、それ自体としては調査対象とならない。かつて日本相撲協会に対して、その経理状況等について国政調査が行われたが、清宮四郎先生は、講義中にこれは明らかに越権行為であると非難されていたのを想い出す。

(二) 人権

 国政調査権といえども、個人の人権を侵害することが許されないのは当然のことである。


七 権力分立制に伴う限界

(一) 行政の中立性による限界

 わが憲法は議院内閣制を採用しているため、国会は広範な行政監督権を有すると考えるのが通説である。この立場では、厳格に三権分立が貫かれている憲法の下にある場合に比べて、国政調査権の限界は比較的緩やかに考えられることになる。

 この点は、先に述べたとおり、比較法的には明らかに無理のある解釈であって、学説としては猛省を要するところであるが、君たちの論文レベルでは気にする必要はない。

 しかし、それは決して無限定に行政権に対して国政調査が可能という意味ではない。現行法上認められる限界としては、検察に関する場合と、一般行政に関する場合とで違いがある。

 1 検察権の自律性

 検察事務は、本来行政作用であるから、犯罪捜査、公訴提起、不起訴処分など検察事務の運営方法についてその妥当性を調査することは、原則として国政調査権の内容となる。しかし、同時に検察活動は準司法活動ともいうべき性質を有するため、直接の上司である法務大臣でさえ、個々の事件の取調又は処分については検事総長のみを指揮することとされている(検察庁法14条参照)。議院内閣制が,議会が国政調査権を有する根拠である以上、内閣が行政庁に対して行使できない指揮・監督権は、国政調査権の行使としても行使できない。したがって、個々の検察官に対する指揮・監督を国政調査権の行使としてできないのは当然である。しかし、それ以外の一般的な指揮・監督に対する場合でも、検察庁の自律権を侵害するような行使を行うべきでは無く、議院はその行使を自ら自制する必要があると考えられる。

 そこで、本問で問題とされている、現に検察が調査中の事件を同時並行的に国政調査することが許されるか否かが論じられることになる。これは会計検査院の報告に端を発したいわゆる「二重煙突事件」において、実際に問題となった。

 この点については現に犯罪としての捜査や公訴が進行中の事実については、同時に議院が調査を行うことは許されない、とする見解も古くはあった(小嶋、伊藤正己等)が、捜査中の事件や継続中の事件と同一の社会的事実の併行調査も、検察行政や司法作用に干渉し、これらに支障を与えるようなやり方をしない限り、差し支えない、とする見解の方が今日では一般的である(芦部信喜、清水睦、杉原、作間等)。

 日商岩井事件に関して、東京地裁は、次のように述べた。

「行政作用に属する検察権の行使との並行調査は、原則的に許容されているものと解するのが一般であり、例外的に国政調査権行使の自制が要請されているのは、それがひいては司法権の独立ないし刑事司法の公正に触れる危険性があると認められる場合(たとえば、所論引用の如く、(イ)起訴、不起訴についての検察権の行使に政治的圧力を加えることが目的と考えられるような調査、(ロ)起訴事件に直接関連ある捜査及び公訴追行の内容を対象とする調査、(ハ)捜査の続行に重大な支障を来たすような方法をもつて行われる調査等がこれに該ると説く見解が有力である。)に限定される。」(昭和55724日判決)。

 また、調査の唯一の目的が、個人の有罪性の調査にある場合も、検察ないし裁判の機能を国会が行おうとするものであって、違法である。実際に問題となったものとしては、いわゆる「吉村隊長事件(シベリアの捕虜収容施設で、日本側の隊長が『暁に祈る』その他の捕虜虐待を行ったといわれる事件)」を昭和24年に参議院在外同胞引き揚げ特別委員会が調査した例がある。

 以上のことから、本問の場合、いずれについても、国会として調査権行使にあたり、検察の自律性を侵害しないよう、自制の要があるが、憲法上は何ら問題は無いと言える。

 2 公務員の守秘義務(国家公務員法100条、議院証言法5条参照)

 本問では、この第二の点は論点にはならないが、一応論じておく。

 公務員は国家公務員上守秘義務を負っており、その義務は上司によって解除されない限り、国政調査に対しても主張しなければならない。この場合、議院は、その上司に対して守秘義務の解除を要求することができる。最終的には、行政の頂点に立つ内閣総理大臣の決定事項となる。内閣総理大臣が拒むと決定した場合には、実定法解釈としては、議院としてはこれを受け入れるほかはない。ただし、そうした決定に対して、議院が内閣総理大臣に政治的責任を追及するのは、別の問題となる。

 これに対して、秘密性があるか否かを議会が認定できるという考え方もある(厳格説)。この場合には、現行の議院証言法は違憲と解することになるであろう。権力分立制との関連において、そもそも、行政上の秘密がなぜ国政調査権の対象から除外されうるのか、という点からの考察が必要な部分である。この点については、そう難しい問題ではないので、改めて自分の力で考えてみよう。

(二) 司法権の独立に伴う限界

 司法権に対しては、特にその独立性が憲法上強く保障されているため、その限界に関する議論もまた厳しい形で展開される。

 第一に、現に裁判で係争中の問題に関して、議院が独自に並行的に調査することが許されるか、という問題である。本問では、起訴後にはどうか、という形で聞かれている。

 第二に、確定判決後に、裁判そのものを対象として調査することは許されるか、という問題がある。本問では、判決後にはどうか、という形で聞かれている。

 前者については、現実問題としてかなり行われており、裁判所としても必要とあれば、拘置所から被疑者を国会に送るについてこれを協力するなどの行動に出ている。要するに、捜査中の事件と同じ観点から、その当否を論ずることが可能となる。この視点の調査は、あくまでも裁判とは異なる視点で行っているのだから、判決確定後ももちろん問題なく国政調査ができる。

 後者について問題となった事件としては「浦和充子事件」がある。これは、参議院が同院法務委員会に対して「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」を命じたのを受けて、同委員会が判決確定後において浦和事件を調査し、「裁判官の量刑は当を得ないものである」と決議して、その刑が軽いことを非難したのに対して、最高裁判所が抗議したものである。本問の場合、「真相究明」という言葉が検察の行う活動と同種の調査と考えた場合には、捜査中及び裁判中に許されないのは当然として、判決確定後にはどうか、という形で論じられることになる。

 これについては、国政調査は、司法権の独立を侵すか否かにかかわらず、元々裁判批判のための権限ではないのだから、事実認定や判決の当否について調査できないとする立場(芦部信喜『憲法と議会政』162頁)もある。しかし、裁判批判を通じてはじめて現行の訴訟関係法の当否が判断できることを考えると、このような全面的否定が妥当性を有するとは考えられない。ドイツボン基本法が明文で許容していることも考え併せるならば、原則的には司法権も対象となるものであり、ただ、自制が要求されると考えるべきであろう。

 これに関連して問題となるのが、国会が裁判官の弾劾裁判所としての権能を持つことから、その訴追手続きの前段階として、訴追委員会による具体的事件における裁判官の訴訟指揮の当否に対する調査を行うことが許されるか、という問題がある。

 具体的には、「吹田黙祷事件」において、委員を派遣しての現地調査を実施したり、裁判長を証人として喚問しようとして問題になった例がある。

 弾劾という憲法の与えている権限の性質から考えて、これを原理的に否定することはできないであろう。ただ、その運用が司法権の独立を侵害することの内容に、相当の自制が要請されるとするべきであろう。