国民健康保険料と租税法律主義
甲斐素直
問題
1. D県A市は、国民健康保険法(昭和33年法律第192号、以下「法」という。)及び地方自治法(昭和22年法律第67号、以下「自治法」という。)に基づく国民健康保険事業を運営する保険者であり、法及びA市国民健康保険条例(昭和34年A市条例第5号、以下「本件条例」という。)の定めるところによって国民健康保険料(以下「保険料」という。)を徴収している。
YはA市の市長である。
A市では、従来は法76条1項の定めるところにより、健康保険料を、地方税法703条の4第1項に従い、国民健康保険税を課すという方法で徴収してきた。しかし、仙台高等裁判所秋田支部昭和57年7月23日判決が、憲法84条の租税法律主義は、地方自治体においては租税条例主義と読み替えるべきであり、また、「(秋田市国民健康保険)条例2条の課税総額規定は、上限内での課税総額の確定を課税権者に委ねた点において、課税要件条例主義にも課税要件明確主義にも違反するというべきであって、憲法92条、84条に違反し、無効といわざるをえない」と述べたことを受けて、昭和58年に本件条例を改正し、上述のとおり、国民健康保険料を徴収することとし、今日に至っている。
2. Xは、平成16年4月12日、A市が保険者である国民健康保険の、本件条例8条に規定する一般被保険者資格を取得した者であって、Xを世帯主とし、一人で一つの世帯を形成している。Xの保険料は、世帯主であるXから徴収される(法76条及び本件条例8条の3)。
3. Xに対する平成16年度保険料の賦課額は2万7380円と決定され、平成16年7月14日付で平成16年度国民健康保険料納入通知書がXに送付された。
これに対し、Xは、平成16年8月3日、平成16年度の保険料の減免を申請した。申請の理由は「平成15年度の収入は約90万円で生活保護基準の約45%から50%であるから、生活保護適用に準じて、国民健康保険料を免除されたい。」ということであった。
減免基準は本件条例19条1項及びA市国民健康保険条例施行規則(以下「規則」という。)23条の3に定められており、Xの減免申請理由はこれら減免基準に該当しないことから,Xに対し、同月10日付で減免非該当の通知がされた。
Xは、平成16年度の国民健康保険料賦課処分及び同保険料減免非該当処分を不服として、平成16年9月5日、D県国民健康保険審査会(以下「審査会」という。)に対して審査請求をした。審査会は、これに対して、平成17年2月24日、原告の請求を棄却する旨の裁決を行った。
4. そこで、Xは、A市及びYを相手取って、Xに対してした、平成16年7月14日付平成16年度国民健康保険料賦課処分を取り消すよう求めて、平成17年4月10日に訴えを提起した。訴えに当たり、Xは、次のように主張した。
憲法84条は、租税法律主義を定めるが、国民健康保険における保険料は、租税である。本件条例は、保険料率を定率・定額で定める等何ら具体的に規定するところがないから、同条に反し、無効である。
特に保険料決定の基礎となる賦課総額の内容は意味不明であり、保険料を賦課された者がこれを理解して自らに賦課された保険料が正しいのか否か検証することは不可能である。Yらは、保険料の算出過程において、種々の裁量を加えており、そのことからも本件条例の一義的不明確性は明らかである。
Xの主張の憲法上の当否について論じなさい。
[はじめに]
わが国最高裁判所で、平成18年3月1日に、国民健康保険料が実質的意味の租税に該当するか否かを巡る大法廷判決が出た。本問は、それをある程度まで忠実に事例化したものである。ある程度、と断ったのは、完全に忠実にしたのでは、少々諸君には難しすぎる問題になってしまうので、その論点を外してあるからである。したがって、諸君としては、実際の判例の議論とは切り離して、本問では、どのような情報が与えられ、どのような回答が求められているか、問題を慎重に読んで分析しなければならない。与えられていない情報に基づいて答えたり、求められていない回答を与えたりすると、自動的に落第答案になってしまうから注意しよう。
さて、この問題には、小さな論点と、大きな論点の二つがある。
小さな論点は、問題文1に明記してあるが、憲法84条の租税法律主義は、地方公共団体に関しては租税条例主義と読み替えることが許されるか、というものである。何時も強調するとおり、判例法主義をとる英米法と異なり、わが国においては、判例に法源性はない。したがって、いくら問題文に判例があると書かれていても、その点についてはきちんと理由付けが必要なのである。
大きな論点は、国民健康保険料というものは、実質的意味の租税ということができるか、というものである。これを問題文4で与えられた情報に基づいて判断しなければならない。
この大きな論点の意味を正確に理解するには、わが国における社会保険制度の中核ともいえる国民健康保険制度そのものを理解する必要がある。そこで、ここでは、諸君の今後の参考のために、わが国の社会保障制度、社会保険制度、医療保険制度の概括的な紹介を行った上で、国民健康保険制度についての説明を行い、その上に立って、本問では取り上げていない点も含めて判決内容を紹介し、検討することとした。
一 租税条例主義への読み替え
憲法上、三つの条文が、規制を法律によることを求めている。すなわち、憲法29条の財産権、同31条の罪刑法定主義、そして同84条の租税法律主義である。これらを規制する法規範を条例という法形式で定めることが許されるかという問題は、分類としては、地方自治の問題になる。いずれも非常に大きな問題で、三つを束ねて「憲法が法律で規制することを求めている場合に、それを条例で規制できるか」というような形で出題されることもあれば、個別に、例えば、奈良県ため池条例事件のように「憲法29条2項により、財産権の制限は法律で行う必要があるから、条例で財産権の使用を制限することは違憲・無効である、という主張の憲法上の当否について論ぜよ。」というような個別の問題として出題されることもある。
いずれも十分に出題可能性があるので、諸君としてそれに対する論文は書けるようにしておかねばならない。束ねた場合と個別の場合では、論文の書き方に違いが生じる。
本稿は、財政の問題として企画されたので、この地方自治に関する論点については要点のみを指摘しておく。
地方自治の問題は、常に非常に型にはまった答え方をしなければならない。すなわち、何が出題されようと、第一の論点になるのは、必ず憲法92条の解釈論である。基本的なパターンとしてはまず制度的保障説を採る(なぜ?)ことを述べ、その侵すべからざる中核を、92条は地方自治の本旨と呼んでいると考える(なぜ?)とし、その内容として、団体自治、住民自治及び補完性理論が導かれる(なぜ?)と述べる。そこからは、各問の個性に従って議論が分かれる。本問の場合であれば、団体自治から自主立法権及び自主財政権を導く。そして、自主立法権からは、92条と94条の法律の範囲内における条例の意味を論じる。その上で自主財政権は、課税高権*[1]を意味するとしなければならない*[2]。ここで大事なことは、租税法定主義とは、「課税要件明確主義」の要求である、と論ずることである。
以上の紹介で判るとおり、この問題は、これで一問分の回答量がある。しかし、本問では相対的に小さな論点であるから、うっかり長く書くと、大きな論点のための紙幅が残らないことになる。これをどの程度に切り詰めて論じられるかが、答案構成上の勝負となる。
この辺りの議論の流れについては、問題文にも示したとおり、国民健康保険税の条例による課税をめぐって争われた秋田市健康保険税条例事件において、仙台高裁秋田支部が述べたことが参考になる。問題文にこの判決を明記したのは、参照して欲しいという趣旨だったのだが、横着をして見ていない人のために、少し長いが、以下にこの点に関係する部分を紹介する。
「いわゆる租税法律主義とは、行政権が法律に基づかずに租税を賦課徴収することはできないとすることにより、行政権による恣意的な課税から国民を保護するための原則であつて、憲法84条の『あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。』との規定は、この原則を明らかにしたものと解されるが、地方自治に関する憲法92条に照らせば、地方自治の本旨に基づいて行われるべき地方公共団体による地方税の賦課徴収については、住民の代表たる議会の制定した条例に基づかずに租税を賦課徴収することはできないという租税(地方税)条例主義が要請されるというべきであつて、この意味で、憲法84条にいう『法律』には地方税についての条例を含むものと解すべきであり、地方税法3条が『地方団体は、その地方税の税目、課税客体、課税標準、税率その他賦課徴収について定をするには、当該地方団体の条例によらなければならない。』と定めているのは、右憲法上の要請を確認的に明らかにしたものということができる。そして、右地方税条例主義の下においては、地方税の賦課徴収の直接の根拠となるのは条例であつて、法律ではないことになり、地方税法は地方税の課税の枠を定めたものとして理解される。
そして、租税法律(条例)主義は、行政権の恣意的課税を排するという目的からして、当然に、課税要件のすべてと租税の賦課徴収手続は、法律(条例)によつて規定されなければならないという課税要件法定(条例)主義と、その法律(条例)における課税要件の定めはできるだけ一義的に明確でなければならないという課税要件明確主義とを内包するものというべきである。」
仙台高裁秋田支部昭和57年7月23日判決=百選〔第4版〕434頁参照
答案にこのまま移すには不要な記述も多いが、全体として非常に簡にして要を得た記述であることが判ると思う。このように、租税法律主義とは課税要件明確主義のことであり、それを確保する手段として法定が要求されている、と考える場合には、要件を明確にする法規範を、法律に限定する必要はないことになる。国レベルの課税において法律が要求されているのは、自由主義の理念に基づき、国民の代表者である国会が制定する法規範を要求しているためだ、と考える場合には、地方レベルの課税においては、地方住民の代表者が制定する条例がそれにあたると考えるのが妥当ということになるのである。
二 社会保障について
社会保障とは何か、ということについては、その論ずる者の依る立場に従って、いろいろな定義がある。しかし、もっとも標準的な定義は、社会保障制度審議会が昭和25(1950)年に行った勧告の中で、下したものであろう。
「いわゆる社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥ったものに対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることを言う」
この定義によると、社会保障は二つの方法によって行われる。第一は保険的方法である。第二は直接公の負担において行う方法である。本問に出てくる健康保険は、このうちの保険的方法により社会保障が実施される場合なので、以下ではそれだけを説明する。
三 社会保険
(一) 社会保険の意義
保険的方法というのは、商法に定められていた「保険」(平成20年以降『保険法』に移行した)を、健全に運営していくために開発された諸々の技術を利用して、社会保障を行うことである。
商事法上の保険というのは、「いかなる名称であるかを問わず、当事者の一方が一定の事由が生じたことを条件として財産上の給付を行うことを約し、相手方がこれに対して当該一定の事由の発生の可能性に応じたものとして保険料を支払うことを約する契約をいう。」(保険法2条1号) 営業的な商行為とされている(商法502条9号)。すなわち、個別にそうした契約を結ぶだけでは商行為にはならない。しかし、営業として行う場合であれば商行為となる。商行為性が認められるくらいであるから、当然、保険料と保険給付の間には対価性がある。すなわち、より多くの保険料を払うほど、より多くの事故が保険でカバーされたり、事故にあった時に、より多くの保険給付を受けられるという比例関係が成り立っている。
この商法上の保険制度は、通常の商行為と異なり、商人の勘と経験にだけ頼った形で営業を行うことはできない。の法則*[3]が成立する極めて大きな人々の集団を対象として、統計的技法を駆使して商品開発を行うときに、始めて健全な商行為として成立しうる。そうした大きな集団を対象として健全な営業活動を行うためには、様々な特殊な技術の開発が必要であった。
社会保障においてもまた、大数の法則が十分に成立し得るほどの大きな人々の集団を対象とすることがある。その場合に、商行為としての保険事業を健全に運営するために開発された様々な保険技術を借用して、社会保障事業を行うことを、社会保険という。すなわち、前記社会保障の概念で論及された様々な生活上の困難を保険事故としてとらえ、これに対する保険給付という形で国民の生活を経済的に保障することを目的とする制度のことを、社会保険と呼ぶ。
(二) 社会保険の特徴
公的扶助と対比した場合の社会保険は、二つの点を、その特徴としてあげられる。
第一の特徴は、一定の者から徴収する保険料を、その保険給付の全部又は一部の原資とする場合が多いという点である。保険料を徴収される者は、通常は社会保険により保障を受ける場合が多く、その場合には原資の分担といえる。しかし、直接保障を受けない者から徴収する場合もある。例えば、被用者を対象とした医療保険(職域保険)では、保障の対象者である被用者負担分の他に、事業主にも一定の負担を課している。この事業者負担分はその典型である。
但し、保険料の徴収制度の存在は、社会保険の必須の要素ではない。原資の全額を公費で負担しながら、社会保険の形式だけを利用する場合もあるからである。社会福祉の充実で有名なスウェーデン等の社会保障は、公費をもって原資としつつ、保険形式で処理している。また、わが国でも、無拠出制年金*[4]は、内容的には直接公費負担の制度でありながら、給付に当たって保険形式を利用している。商業を通じて磨き抜かれた保険制度は、給付方式として評価しても、優れた技術性を有しているからである。
それは、保険給付に当たって、ミーンズテスト*[5]が不要という点である。これが社会保険の第二の特徴である。社会保障として公費を個人に支給する場合(例えば生活保護)には、給付額を決定するためにミーンズテストを行う必要がある。これは当然、時間と費用を要する作業である。しかし、保険形式を採用する場合には、一定の保険事故が発生していると認定できる場合には、自動的に一定額の保険給付を行えることとなる。そのため、受給者側及び行政側双方の負担が軽減するのである。
(三) 社会保険の対象
社会保険の対象となるべき社会問題は、上記保険の特徴から限られたものとなる。すなわち、第一に、大数の法則が成立する程度に大きな人々の集団に、統計的に発生する困窮でなければならない。第二に、ミーンズテストを行うことなく、画一的な処理を行うのに適しているものでなければならない。
すべての国民が共通して遭遇する生活上の困難は、基本的に大数の法則が成立するような大きな人の集団を基礎としており、かつ、保険事故そのものが定型化しやすいので、保険的手法を採用しやすいと言える。具体的には、医療、年金、失業及び災害に対する社会保障は、どの国民も共通に遭遇する問題なので、保険形式で対応するのが容易である。
これに対して、国民のうち特別の者だけが遭遇する社会的困難は、保険形式で対処することが難しい。なぜなら、社会保障を必要とする困難性は、それぞれの国民ごとに異なるので、大数の法則が成立しない。しかも、給付を必要とする度合いも人それぞれで異なる。したがって、行政庁による個別のミーンズテストが必要となる。具体的には、貧困とか心身の障害はあくまでも特定の国民についてのみ発生する問題だから、生活保護や心身障害者保護制度で処理するのに適していることになる。
(四) 保険料徴収を伴う社会保険の特徴
上記のとおり、保険料の徴収は社会保険にとり必須の要素ではない。しかし、社会保険は、特にわが国においては、その受益者集団からの保険料の徴収を伴うのが普通である。
保険料の徴収を伴う社会保険制度には、「二重の性格」が出現する。二重の性格の第一は「保険原理」と呼ばれる。商事上の保険の技術を借りたところから発生する性格である。保険事故発生の確率(これを「危険」と呼ぶ。)及びそれにより行われる保険給付の大きさが、受益者の拠出する分担金の大きさと忠実に比例関係にあるべきであることを要請する原理である。第二の性格は、「扶養原理」ないし「扶助原理」と呼ばれる。社会的・経済的弱者を救済しようとする社会的要求を満たすために、分担金との関係を顧慮する事なく、必要な保険給付を行うべきであるとする、社会保障機能から要請される原理である。
今日、わが国には、多数の社会保険制度が存在し、さらに同一の社会保険制度の中でも、その対象者や保険料の徴収方法、保険給付の実施方法などの関係から、この二つの原理の現れ方は必ずしも同一とはならない。しかし、個々の局面を捉えれば、制度の構成により、どちらかの原理が強く現れてくるのが通常である。本稿のテーマとの関係でいえば、保険原理が優勢であれば保険料の実質的意味の租税性は否定され易く、扶養原理が優勢であれば肯定され易くなるという関係になる。扶養原理が十分に優勢である結果、実質的意味の租税に該当すると認められる場合には、保険料という言葉を使用している場合であっても、その決定・徴収に当たっては、租税法律主義が適用され、課税条件等のすべてを法律(地方レベルの問題である場合には条例)で、定めることが要求されることになる。
したがって、保険という語が用いられるという一事により、単純に対価性が承認できるということができないのはもちろん、拠出制の社会保険の場合にも、保険料と保険給付の間に対価性があると直ちに言えると考えるのは間違いである。それの決定に当たっては、個々の制度における保険原理と扶養原理の優越劣後の関係を精査する必要がある。
それとの関連で、意味を確認しておくべき言葉がいくつかある。
1 強制加入
わが国では、例えば医療保険については、昭和36年から国民皆保険制度に移行した。その結果、その職業などを基準として、すべての国民がそのいずれかに加入することが強制されている。したがって、今日では、医療保険に加入すると否との選択権はもちろん、公的医療保険のうちのどの保険に加入するかの選択権も各個人には認められていない。
判例に依れば、この強制加入制度は保険原理の要求であるとされる。すなわち、国民健康保険の強制加入者とされたものが保険料を納付しなかったことが争われた初期の事件*[6]において、第一審判決は「強制加入の原則は国民健康保険の公共性を高めると共に、逆選択を防止し危険分散を行わんとする技術的考慮に基く」であると言い切った。上告を受けた最高裁も次のように述べた。
「国民健康保険は、相扶共済の精神に則り、国民の疾病、負傷、分娩又は死亡に関し保険給付をすることを目的とするものであつて、その目的とするところは、国民の健康を保持、増進しその生活を安定せしめ以て公共の福祉に資せんとするものであること明白であるから、その保険給付を受ける被保険者は、なるべく保険事故を生ずべき者の全部とすべきことむしろ当然であり、また、相扶共済の保険の性質上保険事故により生ずる個人の経済的損害を加入者相互において分担すべきものであることも論を待たない。」
すなわち、一審判決ほど明確ではないにしても、基本的に強制加入を相扶共済という保険の基礎概念と結びつける言い回しを行って、これを支持したのである。ここで最高裁が医療保険を保険原理を基礎として理解する考え方を打ち出したことは、その後の判例に大きな影響を与えた。本判決にもそれが現れている。
2 逆選択
上記の小城町国民健康保険事件の一審判決中に「逆選択」という言葉がある。これは保険技術上の言葉で、被保険者が保険事故発生後に保険加入を選択することを、保険者側が是認することを意味する。商業上の保険は、保険加入者中の不特定の、一定割合の者だけが保険事故にあうことを前提として、多数人から少額の保険料を徴収しながら、保険事故に遭遇したものに多額の保険給付を行うことを可能にする商品設計を行っている。したがって、逆選択を認めることはできない。それを許したならば、被保険者としては、少額の保険料を納付することにより、同時に直ちにはるかに多くの保険給付を受給することができるので、合理的制度としての保険は破綻する。保険を商行為として運営することは不可能になる。これが、逆選択が商業上の保険において禁止される理由である。
この逆選択防止という保険技術上の理由から、直ちに強制加入が必然的に導きだせるものだとすると、任意加入を基礎としている商法上の保険は商行為として成立することはあり得ないという、非論理的な結論が必然に導かれるはずである。判例の採る論理は、明らかに自己矛盾し、破綻していると言わざるを得ない。
逆選択の防止は、商法上の保険として実施される医療保険の場合、現に病気に罹っておらず、しかも若年者など罹患の危険自体が一般に低い段階でしか保険加入を選択することを許さない、という要請を意味している。これに対して、地域住民のすべてに加入を強制するということは、その時点で罹患の危険の非常に高い人はもちろん、既に罹患している人に対しても保険加入が強制されることを意味する。その結果、既に罹患している者は、加入後直ちに、すなわち全く保険料を支払わない段階でさえも保険給付を受けられることとなる。したがって強制加入は、むしろ逆選択とは全く対極的な、扶養原理に基づく価値観に立った制度なのである。すなわち、強制加入制度の存在は、むしろ医療保険の保険料が租税的な性格を有していることを端的に示しているということができる。
この強制加入から導かれる扶養原理という性質は、医療保険に限らず、加入強制を伴う社会保険制度のすべてに共通していえることである。
四 医療保険
(一) 概要
国民が、病気や怪我をしたときに、その医療費を保障することを目的とする社会保険を総称して医療保険という。
わが国で最初の健康保険制度は第一次世界大戦以後の大正11(1922)年に初めて制定され、昭和2(1927)年に施行された。はじめは鉱山労働などの危険な事業に就く労働者を対象として始まったこの制度は、その後、徐々にその対象を広げた。最後まで制度整備が遅れた農民等の自営業者を被保険者とする国民健康保険制度が設立されることにより、国民皆保険、すなわち全国民が何らかの医療保険に加入している状態が達成されたのは、昭和36(1961)年である。
わが国の医療保険は、こうした長い歴史を引きずっているため、単一の制度ではなく、別個の期限を有する七種類の医療保険立法から成り立っている。
大きく分類すると、被保険者が被用者であるか否かにより被用者保険と住民保険に分かれる。被用者保険は一般の民間被用者を対象とする健康保険法(大正11年法70)と日雇い労働者を対象とする日雇労働者健康保険法(昭和28年法192)とに分かれる。これ以外に、医療保険に加えて年金部門を含む総合的保険立法として船員保険法(昭和14年法73)、国家公務員等共済組合法(昭和33年法128)、地方公務員等共済組合法(昭和37年法152)、私立学校教職員共済組合法(昭和28年法245)がある。住民保険は、本稿で取り上げる国民健康保険法(昭和33年法192)である。
(二) 国民健康保険
国民健康保険の事業主体になるのは、同業の自営業者(弁護士、医師、薬剤師など)の組合の場合と市町村の場合がある。ここでは市町村が事業主体の場合について説明する。
市町村の区域内に住所を有するもので、他の医療保険に加入していない者は、生活保護を受けている者を除き、全員が、その意思のいかんにかかわらず、自動的にその市町村の国民健康保険に加入することになっている(国民健康保険法5条、6条参照)。先に述べた強制加入である。「国民」健康保険というが、外国人も、外国人登録を行い在留資格がある場合には、原則として被保険者となる。
国民健康保険においては、保険者である市町村は世帯主等から保険料を徴収しなければならない(同法76条)。ただし、国民健康保険税(地方税法703条の4)を課するときはこの限りではないとされている。つまり、各市町村では、保険料という形で徴収するか、保険税の形で徴収するかを選択することができるのである。
保険料と保険税は、名称の相違を除けば、実質的な効果の点でほとんど差異はない。しかし、賦課決定の期間制限、消滅時効、滞納処分の場合の先取特権の順位、ほ脱行為に対する制裁措置などの諸点で、税とされる場合の方が、通常の地方税と同様に取り扱われる結果、強い効果を伴うので、市町村の圧倒的多数は保険税方式を採用していた。ところが、秋田市国民健康保険税訴訟で、仙台高裁秋田支部の判決により、租税法律主義に違反し、違憲であるという判決が確定した。その結果、多くの市町村が保険料の方に修正した。そこで、今度は、保険料については、租税法律主義との関係はどうなるのか、という点が注目を集めていた。本件判決は、それをまさに問題にしたものである。
そこで最初に、かつて一般的だった、健康保険税方式における課税額の決定方法について説明する。
各市町村において、各加入世帯から徴収する国民健康保険税額を決定するには、まず標準課税総額を計算し*[7]、一定の課税方式に従ってこの標準課税総額を加入している各世帯から配分するという方法による。その課税方式においては、課税要素として所得割額、資産割額(この二つをあわせて「応能割額」と呼ぶ。)、被保険者均等割額、世帯別平等割額(この二つをあわせて「応益割額」と呼ぶ。)という四要素をその基礎として予定している。市町村は、どの要素を採用して課税額を決定するかについて、一定の幅の選択権が認められているが*[8]、いずれの方式を採用する場合にも、最終的には応能割額50%、応益割額50%という割合にならねばならない。応能割額は財産を基礎とする定率法と考えることができるのに対して、応益割額は明らかに定額法である。この結果、地域保険は、職域保険と異なり、定率法と定額法の両要素から成り立っているということができる。
国民健康保険料という名称で、徴収する方式をとる場合にも、ここまでの決定方法は、基本的に同一である*[9]。
五 旭川国民健康保険料訴訟について
わが国において、国民健康保険料に関して、どのような論点が存在し、それに関してどのような判例や学説があるのかということを簡単に説明しながら、本判決を紹介し、併せてそれに対する批判を述べたい。
(一) 実質的意味の租税概念
本訴訟における第一の論点は、憲法上の租税概念である。この点に関しては、傍論としてこれに触れた判例はあるが、本事件が、初めてそれを具体的な論点としたのである。
先に言及した秋田市国民健康保険税事件に関しては、形式的に、それが租税であることは明らかである。それに対し、本件事件における保険料は、形式的には租税ではない。したがって、実質的意味の租税といわなければ、そもそも租税法律主義の適用はない。
1 学説の状況
憲法第84条の定める租税法律主義は、実質的な租税概念を意味しているのであって、形式的に法律が租税と呼んでいるものに限定して適用されるものではないことは、憲法学においても税法学においても基本的には異論がない。
問題は、この実質的意味の租税概念をどのように定義するか、という点にある。この点に関しては、憲法学界と租税法学界で極端な差異があった。
憲法学界の従来の通説は、実質的租税概念に関しては「公権力により国民に対し金銭債務を一方的に賦課する」(以下「広義A説」という)*[10]場合であるとか、「形式的には租税といわれなくても、実質的に租税と同じように、国民の自由意志にもとづかないで定められ、徴収されるもの」(以下「広義B説」という)*[11]と説いてきた。特に、この後者の広義B説は、今日においても、憲法学界においては多数説ということができる。
租税法学界では、これに対し、実質的意味の租税概念を、ドイツ公課法(Abgabenordnung)3条「租税とは、特定の給付に対する反対給付としてではなく、法律が給付義務をそれに結びつけている要件に該当するすべての者に対し、収入を得るために公法上の団体が課する金銭給付をいう。」に準拠して理解する、というのが通説といえる。
そして、今日では、憲法学界においても、租税の定義に該当する場合にだけ憲法84条の適用を考えるとする者*[12]、対価性のある手数料については租税性を否定する者*[13]、国の法的独占事業については租税性を肯定するが、事実上の独占事業については租税性を否定する者*[14]というように、従来の通説に比べてかなり狭く解する立場も増えてきている。
2 本判決
本判決は、日本で実質的意味の租税について争い、最高裁判所に到達した最初の事件である。すなわち、本事件における最高裁判所判決の最大の意義は、実質的租税概念を確定したことである。
「国又は地方公共団体が,課税権に基づき,その経費に充てるための資金を調達する目的をもって,特別の給付に対する反対給付としてでなく,一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は,その形式のいかんにかかわらず,憲法84条に規定する租税に当たるというべきである。」
これと同じことを、最高裁判所は既に、いわゆるサラリーマン税金訴訟*[15]で既に述べている。しかし、サラリーマン税金訴訟の場合には、争点となったのは所得税という典型的な租税である。すなわち、実質的意味の租税概念は、単なる傍論として述べられたに過ぎない。その意味で、本判決は重要である。この概念確定を受けて判決は次のように論ずる。
「市町村が行う国民健康保険の保険料は,これと異なり,被保険者において保険給付を受け得ることに対する反対給付として徴収されるものである。前記のとおり,被上告人市における国民健康保険事業に要する経費の約3分の2は公的資金によって賄われているが,これによって,保険料と保険給付を受け得る地位とのけん連性が断ち切られるものではない。また,国民健康保険が強制加入とされ,保険料が強制徴収されるのは,保険給付を受ける被保険者をなるべく保険事故を生ずべき者の全部とし,保険事故により生ずる個人の経済的損害を加入者相互において分担すべきであるとする社会保険としての国民健康保険の目的及び性質に由来するものというべきである。したがって,上記保険料に憲法84条の規定が直接に適用されることはないというべきである(国民健康保険税は,前記のとおり目的税であって,上記の反対給付として徴収されるものであるが,形式が税である以上は,憲法84条の規定が適用されることとなる。)。」
この下り、意識的に問題における情報提供から除外した。なぜならば、ここは理論的に見て完全に間違った部分だからである。
先に小城町国民健康保険事件に関する最高裁判決の問題点を説明した。ここは、それを継承し、「保険料が強制徴収されるのは…社会保険としての国民健康保険の目的及び性質に由来する」という説明は、完全に誤りである。その結果、国民健康保険料を、反対給付性が維持されていると断じた点も完全に誤りである。
仮に、保険料を多く支払うほど、より多くの保険事故が給付対象になったり、多額の保険給付を受けたりする構造にあれば、保険料の全体に占める割合が低くとも、その限度では保険原理の支配が認められるから、公費負担の存在により、「保険料と保険給付を受け得る地位とのけん連性が断ち切られるものではない」といえるかもしれない。しかし、保険料の算定基礎になっている諸要素に、保険原理を認めることは困難である。
なぜなら、保険給付は、その世帯が病気や怪我をする割合が高いほど、増加する。それに対して、保険料は、市町村によって違いがあるが、先に紹介したとおり、基本的に所得割額、資産割額、被保険者均等割額、世帯別平等割額という4つの要素によって算定される。所得割とは、世帯の所得が増えるほど、保険料が増加することを意味する。また、資産割とは、その世帯の資産評価額が高いほど、保険料が増加することを意味する。しかし、所得や資産に応じて疾病率が上がるかといえば、そんなことはない。むしろ、所得や資産が多い世帯ほど、食生活のレベルも高く、また、住環境もよいはずであるから、むしろ疾病率は下がるはずである。つまり、保険料額の50%を占める応能割額に関する限り、保険料と保険給付の間に牽連性は断ち切られているということができる。応益割額を構成する二つの要素のうち、被保険者均等割とは、被保険者の頭数で割った割合ということである。仮に、誰でも疾病率がほとんど変わらないと考えた場合には、これはある程度、牽連性が肯定できるであろう。それに対し、世帯別平等割額とは、一世帯を構成する人数に関わりなく(つまり一世帯構成人数が1人の場合でも、10人の場合でも等しく)、各世帯ごとに平等に同じ額を徴収するということである。被保険者均等割額が保険原理を反映している考えた場合、そのことから直ちに世帯別平等割額は、扶養原理の表れであって、保険原理ではない、ということができる。つまり、保険料を構成する4つの要素のうち、3つまでは扶養原理であり、残る一つだけが保険原理を反映している可能性がある、ということである。
もちろん、このように4つの要素すべてを使用するかどうかは、各市町村の裁量の問題である。ここで具体的に争いの対象となった旭川市の場合、同市の国民健康保険条例は次のように定めている。
第9条 保険料の賦課額のうち一般被保険者に係る基礎賦課額は,当該世帯に属する一般被保険者につき算定した所得割額及び被保険者均等割額の合算額の総額並びに当該世帯につき算定した世帯別平等割額(一般被保険者と退職被保険者等とが同一の世帯に属するときは,当該世帯を一般被保険者の属する世帯とみなして算定した世帯別平等割額)の合計額とする。
すなわち、4要素のうち、唯一保険原理を反映している可能性があると判断した被保険者均等割額を除外した3要素方式によって保険料を算定しているのである。この結果、旭川市の場合、保険料の算定も、100%扶養原理によって算定していると評することが可能である。したがって、特段の理由を挙げることなく、牽連性が存在していると断じた点は、明らかに誤っていると評するべきなのである。
また、先に論理的に完全に誤った判決として紹介した小城町国民健康保険事件最高裁判決に盲従したものである。当然に適切なものとは言えない。
以上のことからすれば、旭川市の国民健康保険料は、100%扶養原理の支配下にあるので、実質的意味の租税に該当すると判断するべきである。判例に賛成することはできない。
なお、この文章の括弧書きも判例としては重要である。すなわち、実質的意味の租税性を持たない形式的意味の租税についても、租税法律主義の適用があるということを明言したのである。先に述べたとおり、秋田市健康保険税判決では、国民健康保険税を租税であるとした。しかし、本判決の論理が正しければ、それは実質的意味の租税ではないことになる。そこで、形式的意味の租税には、憲法84条が適用になると括弧書きで注記することにより、判例の整合性を確保したわけである。そうでないと、再び、保険税方式の市町村に関して、訴訟を誘発しかねないからである。その意味で、理解はできるが、明らかに誤った論理である。
(二) 租税法律主義と課税要件明確主義
第一の論点における最高裁の記述は、上述のとおり誤っているので、そこを論点とする論文は諸君の手には負えないと考えた。そこで、そこを論点から外して、以下に説明することを本問の論点とすれば、判例を参照しつつ、容易に書けるだろうと想定して、問題文を工夫している。しかし、問題文を読み解く努力を諸君があまりしてくれなかったために、この点についての議論は非常に不徹底なものとなった。
1 学説及び判例の状況
第二の論点は、租税法律主義の概念内容である。
これについては、最高裁判所(大法廷)昭和37年2月21日判決が先例といえる。
「これらの規定は担税者の範囲、担税の対象担税率等を定めるにつき法律によることを必要としただけでなく、税徴収の方法をも法律によることを要するものとした趣旨と解すべきである。」
この判決により、租税法律主義とは、課税要件法律主義を意味することが明確になった(以下、「課税要件法律主義最高裁判決」という)。
憲法学でも、基本的にはこの見解を受け入れていると言える。問題は、先に紹介した広義説を採る場合、現実問題として狭義の租税以外の領域で、この定義を文字通り適用するのには無理があることである。そこで、「本条の原則が適用になる」(広義A説)とか「租税と同様に扱われるべきである」(広義B説)というような曖昧な表現で逃げている。しかし、この曖昧さが具体的にどのような意味を持つのか、という点まで論じた者は皆無といえる。要するに、原則の適用とは何を意味するのか、ということが、学説的には判らないままだったのである。その点に関して、一つの回答を与えた点に、本判決の第二の大きな意義がある。
第三の論点は、課税要件明確主義である。これに論及している判例はいろいろあるが、明確にこれが論じられたのは、国民健康保険税と租税法律(条例)主義の関係を述べた秋田市健康保険税判決である。
同判決は、まず課税要件明確主義について次のように述べる。
「租税法律(条例)主義は、行政権の恣意的課税を排するという目的からして、当然に、課税要件のすべてと租税の賦課徴収手続は、法律(条例)によって規定されなければならないという課税要件法定(条例)主義と、その法律(条例)における課税要件の定めはできるだけ一義的に明確でなければならないという課税要件明確主義とを内包するものというべきである。」
そして、課税要件法定主義については次のように述べる。
「課税要件明確主義の下でも、課税要件に関する定めが、できるかぎり一義的に明確であることが要請されるのであるが、租税の公平負担を図るため、特に不当な租税回避行為を許さないため、課税要件の定めについて、不確定概念を用いることは不可避であるから、かかる場合についても、直ちに課税要件明確主義に反すると断ずることはできないし、その他の場合でも、諸般の事情に照らし、不確定概念の使用が租税主義の実現にとつてやむをえないものであり、恣意的課税を許さないという租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものではないと認められる場合には、課税要件に関して不確定概念を用いることが許容される余地があるというべきである。ただし、立法技術上の困難などを理由に、安易に不確定、不明確な概念を用いることが許されないことはもとより当然であり、また、許容されるべき不確定概念は、その立法趣旨などに照らした合理的な解釈によって、その具体的意義を明確にできるものであることを要するというべきで、このような解釈によっても、その具体的意義を明確にできない不確定、不明確な概念を課税要件に関する定めに用いることは、結局、その租税の賦課徴収に課税権者の恣意が介入する余地を否定できないものであるから、租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものとして許容できないというべきである。」
つまり、ここでは、課税要件明確主義は、不確定法概念との関係で論じられている。この判決で注目してほしいのが、課税要件明確主義が求められる理由は、「租税の賦課徴収に課税権者の恣意が介入する余地」をなくすことにあるとしている点である。この理由は本判決でも維持されている。
2 本判決
本判決は、租税法律主義の適用範囲を、租税以外に拡大するという論理で、憲法学の通説である広義説への敬譲を示す。
「(84)条は,国民に対して義務を課し又は権利を制限するには法律の根拠を要するという法原則を租税について厳格化した形で明文化したものというべきである。したがって,国,地方公共団体等が賦課徴収する租税以外の公課であっても,その性質に応じて,法律又は法律の範囲内で制定された条例によって適正な規律がされるべきものと解すべきであり,憲法84条に規定する租税ではないという理由だけから,そのすべてが当然に同条に現れた上記のような法原則のらち外にあると判断することは相当ではない。そして,租税以外の公課であっても,賦課徴収の強制の度合い等の点において租税に類似する性質を有するものについては,憲法84条の趣旨が及ぶと解すべきである」
ただ、あくまでも趣旨が及ぶというにとどまるため、具体的適用においては、純粋の租税法律主義とは違う内容になるという。すなわち、
「その場合であっても,租税以外の公課は,租税とその性質が共通する点や異なる点があり,また,賦課徴収の目的に応じて多種多様であるから,賦課要件が法律又は条例にどの程度明確に定められるべきかなどその規律の在り方については,当該公課の性質,賦課徴収の目的,その強制の度合い等を総合考慮して判断すべきものである。」
そこで、その変容の内容・程度が次の問題となる訳である。
租税法律主義が準用されるということになれば、当然保険料に課税要件明確主義が準用されることになる。
原告は、第1審以来一貫して「特に保険料決定の基礎となる賦課総額の内容は意味不明であり、保険料を賦課された者がこれを理解して自らに賦課された保険料が正しいのか否か検証することは不可能である。」と主張してきた。また、「被告らは、保険料の算出過程において、種々の裁量を加えており、そのことからも本件条例の一義的不明確性は明らかである。」とも主張している。両者をまとめていえば、要するに規定が明確ではない、ということである。
この点について、最高裁判所は次のように述べる。
「市町村が行う国民健康保険は,保険料を徴収する方式のものであっても,強制加入とされ,保険料が強制徴収され,賦課徴収の強制の度合いにおいては租税に類似する性質を有するものであるから,これについても憲法84条の趣旨が及ぶと解すべきであるが,他方において,保険料の使途は,国民健康保険事業に要する費用に限定されているのであって,法81条の委任に基づき条例において賦課要件がどの程度明確に定められるべきかは,賦課徴収の強制の度合いのほか,社会保険としての国民健康保険の目的,特質等をも総合考慮して判断する必要がある。」
先に触れたとおり、社会保険は、保険原理と扶養原理という二重の性格を有するので、それにより、明確性という概念そのものが、純粋の租税の場合と異なる現れを見せるといっているのである。
そして、明確性については次のように認定を下す。
「本件条例8条は,保険料の賦課総額を,同条1号に掲げる額の見込額から同条2号に掲げる額の見込額を控除した額を基準として算定した額と規定しているところ,同条1号に掲げる額の見込額は,国民健康保険事業の運営に必要な各種費用の合算額の見込額であり,同条2号に掲げる額の見込額は国民健康保険事業に係る収入(保険料を除く。)の合算額の見込額である。国民健康保険の保険料は,国民健康保険事業に要する費用に充てるために徴収されるものであるから(法76条本文),当該年度の費用から収入(保険料を除く。)を控除したその不足額の合理的な見込額を基礎として賦課総額を算定し,これを世帯主に応分に負担させることは,相互扶助の精神に基づく国民健康保険における保険料徴収の趣旨及び目的に沿うものであり,本件条例もこれを当然の前提としているものと解される。そして,本件条例8条各号は,この費用及び収入の見込額の対象となるものの詳細を明確に規定している。
また,本件条例8条は,賦課総額を,同条1号に掲げる額の見込額から同条2号に掲げる額の見込額を控除した額そのものとはしないで,この額を『基準として算定した額』と定めている。これは,前記の保険料徴収の趣旨及び目的に照らすと,徴収不能が見込まれる保険料相当額についても,保険料収入によって賄えるようにするために,賦課総額の算定に当たって,上記の費用と収入の見込額の差額を保険料の収納率の見込みである予定収納率で割り戻すことを意味するものと解される。そうすると,同条の上記の定めをもって不明確であるということはできない。」*[16]
最高裁判所が、ここで論じているのは、第1審原告が問題とした点、すなわち、客観的な明確性ではない。それに代わって、課税要件明確主義が要求される根拠として、秋田市健康保険税判決でも述べていた「行政権の恣意的課税を排するという目的」を基準としている。恣意的課税のおそれがなければ、明確性が確保されているというのである。だから、市側が保険料の算出過程において、種々の裁量を加えていて、そのために「本件条例の一義的不明確性は明らかである」場合でも、保険料の明確性は確保されていると論じているのである。
通常、租税法律主義の根拠としては、行政庁の恣意的課税の防止と並んで、納税者から見た場合の、予見可能性の確保ということが言われる。つまり、最高裁判所は、租税法律主義の直接適用ではない、という前提の下における租税法律主義の意義から、予見可能性の確保という点を切り落としたのである。
しかし、文字通りの手数料などについては、本判決で述べているのと同じように、行政の恣意的課税を防ぐメカニズムが整備されて運用されているという現実と、この判決はよく噛み合っている。今後、憲法84条の原則の適用ないし類推適用ということがいわれる時、その具体的意味内容として、この判例が支配的学説となる可能性があると評価している。
(三) 下位規範への委任の限界
問題文の末尾に「Yらは、保険料の算出過程において、種々の裁量を加えており、そのことからも本件条例の一義的不明確性は明らかである。」という一文を入れておいた。その箇所が提起する問題が、ここに説明することである。
1 学説及び判例
課税要件法定主義の下における下位規範への委任の限界について、昭和37年最高裁判決は「義務の内容の一部たる記載事項の詳細を命令の定めるところに一任しているに過ぎない」場合には違憲にならないとしている。また、上記秋田健康保険税判決は、その点について、もう少し詳細に、次のように述べている。
「課税要件法定(条例)主義といっても、課税要件のすべてが法律(条例)自体において規定されていなければならず、課税要件に関して、法律(条例)が行政庁による命令(規則)に委任することが一切許されないというものではなく、ただ、その命令(規則)への委任立法は、他の場合よりも、特に最小限度にとどめなければならないとの要請が働くものとして理解されるべきである」
しかし、最小限という曖昧な表現では具体的限界がどこにあるかが判りにくいと言える。
2 本判決
最高裁判所は、次のように論じている。
「このように,本件条例は,保険料率算定の基礎となる賦課総額の算定基準を明確に規定した上で,その算定に必要な上記の費用及び収入の各見込額並びに予定収納率の推計に関する専門的及び技術的な細目にかかわる事項を,被上告人市長の合理的な選択にゆだねたものであり,また,上記見込額等の推計については,国民健康保険事業特別会計の予算及び決算の審議を通じて議会による民主的統制が及ぶものということができる。
そうすると,本件条例が,8条において保険料率算定の基礎となる賦課総額の算定基準を定めた上で,12条3項において,被上告人市長に対し,同基準に基づいて保険料率を決定し,決定した保険料率を告示の方式により公示することを委任したことをもって,法81条に違反するということはできず,また,これが憲法84条の趣旨に反するということもできない。」
すなわち、下位法規への委任が問題とされるのは、それが法律(条例)で定めるべき事項について、実質的に行政権の恣意に委ねる可能性があるからだというのである。しかし、予算・決算の審議を通じて民主的統制が及ぶ場合には、そうした恣意的課税が防がれるので、その限度で下位規範への委任が許容されると論じているのである。そして、告示は単に行政的に決定された数値の公示手段に過ぎないとしているのである。
法治主義(憲法41条)は、権力分立制を前提として、公権力、特に行政権の行使を、法律に基づいてのみ行われることを要求している。憲法84条が定める租税法律主義は、一面では、このことの租税法における確認である。しかし、租税徴収には対価性というような理論的限界というものが存在せず、担税力のある限り無限に徴収される危険が存在するので、租税の賦課徴収における手続きのすべてが、法定されている必要があるのである。
また、国民の予見可能性を確保するために、課税要件は、法律のレベルで一義的に明確に定められていなければならない(課税要件明確主義)。すなわち行政庁の自由裁量は許されない。行政庁に執行命令・委任命令を発する権限を広く認めることはできない。しかし、下位規範に委任することが一切許されない、とまでは解されていない。
*1 高権とは、ドイツ語のHoheitsrechtの訳語であって、支配下にある個人に対して自らの意思を貫徹する固有の権力を意味する。団体自治の下において、自主財政権を有するということになると、その固有の権限として課税権を持つという意味が、高権という言葉を使用することによって明示される。仮に、課税高権のかわりに単に徴税権という言葉を使用した場合には、固有のものか、それが法律によって授権される必要があるのかが表現されていないので、別途、ソン点を論じる必要が生じる。
*[2] 憲法84条に関する通説は、84条は、83条の国会中心財政主義を受けてそれを租税に関して再確認したものとする。このような理解に立つ場合には、83条は財政権を国会の専権事項としているのであるから、84条の法律という言葉は国会の権限を意味していることになり、これを条例と読み替えることは許されない、という結論が必然的に導かれる。実際、そうした見地から84条の法律を条例と読み替えることを違憲とする租税法学者も存在する。すなわち、84条を租税条例主義と読み替えるためには、国会中心財政主義の側から論じてはいけない。
*[3] 経験上の確率と数学的確率との関係を示す確率論の基本法則。観測回数に対するその事象の実現回数の割合(例えばさいころを n 回振って r 回1の目が出たなら n 分の r )は観測回数を多くすると計算上の確率(ここでは6分の1)に近づくという法則。
*[5] ミーンズテスト(means test)とは、直訳すれば資力調査である。すなわち、直接的公費負担制度を採用する場合には、社会保障対象者が受給資格を備えているか否かについて、担当行政庁による個別の資産及び収入等の調査を必要とする。
*[6] 九州の佐賀県町において強制加入の合憲性が争われたという事件は、次のようなものである。まだわが国が国民皆保険制度を導入していなかった昭和23(1948)年当時において、佐賀県小城町が同年に行われた国民健康保険法の大改正に基づき、同法第8条の12「市町村は国民健康保険を行わんとするときは国民健康保険に関する条例を制定すべし。」の規定に基づいて、健康保険条例を制定し、さらに同法第8条の14「国民健康保険を行う市町村の被保険者は其の区域内の世帯主及其の世帯に属する者とす。」との規定に準拠して、その条例で、同町の住民すべてを強制加入者とすることとした。これに対して、加入を拒否し、保険料の滞納処分を受けた住民が「元来国民健康保険制度は、幾多の不備、欠陥を包蔵し住民を強制してその加入を求むべき性質のものではないのに小城町条例は、その加入を強制し、更に保険料と称して国民の財産権を侵害しているから、該条例は、憲法19条、29条1項、98条に違反する」と主張して、その合憲性を争った。
*[7] 国民健康保険税の標準課税総額は、当該年度の初日における一般被保険者に係る療養の給付、特定療養費及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額から要用の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の100分の75に相当する額、並びに老人保健医療費拠出金の納付に要する費用の額から当該費用に係る国の負担金の見込額を控除した額の合計額とされている(地方税法703条の4第2項)。この標準課税総額を計算すると、国民健康保険制度における総医療費の4割となる。
*[8] 市町村が選択できる課税方式としては、次の三通りが法律上用意されている(地方税法703条の4第3項)。すなわち、@所得割額40%、資産割額10%、被保険者均等割額35%、世帯別平等割額15%という割合で四要素すべてを使って算定する方式、A所得割額50%、被保険者均等割額35%、世帯別平等割額15%という割合で、三要素から算定する方式、B所得割額50%、世帯別平等割額50%という割合で、二要素のみから算定する方式、である。漆博雄が、1995年に公刊した論文によれば、当時、全3257市町村のうち、@を選択しているものが3014(92.5%)、Aを選択しているものが199(6.1%)、Bを選択しているものが42(1.3%)だったということである(漆博雄著「国民健康保険及び老人保健制度の財源問題」社会保障研究所編『社会保障の財源政策』1995年刊、145頁以下参照)。いわゆる平成の大合併により、多数の市町村が合併した。合併後の状況は、把握できていない。
*[9] 国民健康保険法には、地方税法と異なり、直接に保険料を定めた規定はない。すなわち、同法76条1項が次のように定めているにとどまる。
「保険者は、国民健康保険事業に要する費用(老人保健拠出金及び介護納付金の納付に要する費用を含み、第81条の2第1項の規定により厚生労働大臣が定める組合にあつては、同条第2項の規定による拠出金の納付に要する費用を、健康保険法第179条に規定する組合にあつては、同法の規定による日雇拠出金の納付に要する費用を含む。)に充てるため、世帯主又は組合員から保険料を徴収しなければならない。ただし、地方税法の規定により国民健康保険税を課するときは、この限りでない。」
そして、81条が次のように定める。
「この章に規定するもののほか、賦課額、料率、賦課期日、納期、減額賦課その他保険料の賦課及び徴収等に関する事項は、政令で定める基準に従つて条例又は規約で定める。」
そこにいう政令とは国民健康保険法施行令29条の7第二号のことであり、そこにおいて、地方税法が掲げているのと同一の表を掲げている。その結果、各市町村は政令で、保険税の場合と同一の方法により、保険料の場合も徴収されることとなる。
*[10] 宮沢俊義著・芦部信喜補訂『日本国憲法』日本評論社刊、710頁以下参照。正確に言うと、宮沢俊義は、定義自体はドイツ公課法に準拠した定義を採用する。その上で、「固有の『租税』に属するものでなくとも、すべて公権力により一方的に賦課・徴収される金銭については、本条の適用があると解すべきである」と論ずる。すなわち、強制賦課の性質を有する場合には、それが負担金、手数料その他、名称の如何を問わず、本条の適用があるとする。
*[11] 清宮四郎著『憲法T』有斐閣昭和32年刊、211頁より引用。ここにあげている定義に該当する具体例として特許料などの課徴金、煙草の価額や鉄道料金を挙げ、さらに財政法3条を特に説明を加えることなく引用している。すなわち、「法律上または事実上国の独占に属する事業における専売価格もしくは事業料金」も租税に含まれると解していると見ることができる。
*[13] 対価性のある手数料については租税性を否定する者の代表として、芦部信喜と佐藤幸治がいる。諸君の中に芦部信喜説をとるものが多いことを考え、該当箇所を紹介する。芦部信喜も定義自体はその師宮沢俊義と同じくドイツ公課法を採用し、宮沢俊義と同じく拡大する。その上で、次の様に述べて、宮沢俊義と差異を示す。
「83条との関係で『国会の議決』を要するとしても、右手数料をすべて84条にいう『租税』に含めて解するのは、妥当ではない。租税は特別の給付に対する反対給付の性質をもたないので、右手数料等とは区別して考えるべきである。」(第5版350頁)
*[16] 参考のため、旭川市国民健康保険条例8条の4を示す(判決が8条と呼んでいる規定である。)。
第8条の4 保険料のうち国民健康保険法(昭和33年法律第192号。以下「法」という。)第8条の2に規定する被保険者(以下「退職被保険者等」という。)以外の被保険者(以下「一般被保険者」という。)に係る基礎賦課額(第17条の規定により基礎賦課額を減額するものとした場合にあつては,その減額することとなる額を含む。)の総額(以下「基礎賦課総額」という。)は,第1号に掲げる額の見込額から第2号に掲げる額の見込額を控除した額を基準として算定した額とする。
(1) 当該年度における療養の給付に要する費用(一般被保険者に係るものに限る。)の額から当該給付に係る一部負担金に相当する額を控除した額,入院時食事療養費,特定療養費,療養費,訪問看護療養費,特別療養費,移送費及び高額療養費の支給に要する費用(一般被保険者に係るものに限る。)の額,老人保健法の規定による医療費拠出金の納付に要する費用の額から,法第70条第1項第2号に規定する負担調整前老人保健医療費拠出金相当額に同号に規定する退職被保険者等加入割合を乗じて得た額を控除した額,保健事業に要する費用の額並びにその他の国民健康保険事業に要する費用(国民健康保険の事務(老人保健拠出金及び介護納付金(介護保険法(平成9年法律第123号)の規定による納付金をいう。以下同じ。)の納付に関する事務を含む。次号において同じ。)の執行に要する費用を除く。)の額(退職被保険者等に係る療養の給付に要する費用の額から当該給付に係る一部負担金に相当する額を控除した額,退職被保険者等に係る入院時食事療養費,特定療養費,療養費,訪問看護療養費,特別療養費,移送費及び高額療養費の支給に要する費用の額並びに介護納付金の納付に要する費用の額を除く。)の合算額
(2) 当該年度における法第70条の規定による負担金(介護納付金の納付に要する費用に係るものを除く。),法第72条の規定による調整交付金(介護納付金の納付に要する費用に係るものを除く。),法第72条の2の規定による都道府県調整交付金(介護納付金の納付に要する費用に係るものを除く。),法第72条の3第1項の規定による繰入金,法第74条及び第75条の規定による補助金(介護納付金の納付に要する費用に係るものを除く。),同条の規定による貸付金(介護納付金の納付に要する費用に係るものを除く。)その他国民健康保険事業に要する費用(国民健康保険の事務の執行に要する費用及び介護納付金の納付に要する費用を除く。)のための収入(法第72条の2の2第1項の規定による繰入金及び法第72条の4の規定による療養給付費等交付金を除く。)の額の合算額