憲法改正権の限界
甲斐素直
問題
A党では、わが国で戦後一度も憲法改正が行われないのは、現行憲法96条の定める改憲のための要件が厳しすぎるためであるとして、憲法を改正し、憲法96条の定める発議要件を「3分の2以上」の賛成から「過半数」に緩和することを主張した。
これに対し、B党では、96条を、96条そのものによって改正する事は不可能であるとして、反対した。
AB両党の主張の、現行憲法の解釈上の可否について論じなさい。
[はじめに]
憲法改正手続・国民投票法が成立し、憲法改正も現実の問題として浮上してきた。実を言えば、この問題は同法成立以前から、すでに幾つかの国家試験で出題されている。例えば、平成12年度国税専門官試験で、次の問題が出題された。
「憲法改正について、その意義及び改正の手続、憲法改正行為の性質と限界の点から論ぜよ。」
見た目にはずいぶん違うが、本問や類題と、この問題は、答案構成のレベルで言えば、同じだという事が判らねば、問題に正解することは難しい。
国税専門官試験は、基本的に国Ⅱ格の試験なので、かなりやさしい。どうやさしいかというと、問題文の中に、論点が個別に明確に指定されている、という点である。すなわち、問題文を、最初と最後をつなげれば、「憲法改正について論ぜよ」という出題だということが誰にでも判る。その中間の挿入句の最後が「の点から」となっているのだから、その挿入句に書かれているのがそこで論ずるべき論点だ、ということも、普通に日本語の読める人なら誰にでも判る。
すなわち専門官試験の場合、問題が指定しているとおりの順に、①意義、②改正手続、③性質、④限界と書いていけば、自動的に合格答案になる、という実に親切な問題なのである。逆にいうと、この指定からはずれて書けば、当然、自動的に不合格答案になる。
本問は具体的事例に即した問題なので、必ずしもこのようなステップを踏んでいく必要はないが、基本的にはやはり同じ構成が妥当する。そこで、以下、諸君の知識を整理するという狙いから、不要な論点も含めて、総論部分については、この国税専門官試験の問題に沿って説明したい。
まず第一に強調したいことは、本問を、憲法96条に関する出題、と考えるのは間違いだということである。試みに手近の憲法教科書を開いて欲しい。すると、例えば佐藤幸治『日本国憲法論』、長谷部恭男『憲法』をはじめとする多くの書が、憲法改正を、巻頭の憲法の基本概念に関する議論の中で書いていることに気がつくはずである。一般に、憲法改正とは、結局のところ、憲法制定権力と憲法改正権力の関係が問題になるのだから、憲法総論に属する問題であり、本問もまた、そう考えるのが正しい。仮に、問題がもっと簡略で、単に「96条について論ぜよ」というものであったとしても、その総論部分は、憲法総論に関する議論であって、各論部分に至って、96条の解釈論になると考えるべきである。ところが、出てきた答案はいきなり96条について論じているので、その瞬間に本質的に落第答案になっているということができる。
第二に、憲法改正権の限界というのは普遍的な問題であって、わが国憲法に特化した問題では無い。例えば、人権論が改正権の限界だと一般的にいうのは完全に間違いである。そもそも世界的に見れば、人権規定を持たない憲法の方が多いのである。国民主権が限界だというのも間違いである。憲法制定権力として、国民を考えた場合に、それは結論として導きうるが、天皇主権の憲法の改正権の限界にはなるわけがないのである。
憲法改正規定によって憲法改正規定を改正することはできないというのは通説的な理解と言える。しかし、もちろんそれに拘る必要はない。何時も強調することであるが、論文で大事なことは論理の流れであって、結論が何かと言うことではない。ただ、通説に反対するには、それだけの努力を注ぎ込む必要がある、という違いがあるだけである。
一 総論
(一) 憲法改正の意義
佐藤幸治は、憲法改正に次のような定義を与えている。
「憲法改正とは、憲法所定の手続きに従い、憲法典中の個別条項につき、削除・修正・追加を行うことにより、または新たな条項を加えて憲法典を増補することにより、意識的・形式的に憲法の変改を加えるこという。」(佐藤・第三版・34頁)
諸君がこのような定義をとるかとらないかはそれぞれの基本書と相談して貰うとして、憲法改正の概念に関する一つの学説としてみれば、立派に成り立つ定義である。問題は、これを無造作に書きとばして、これで、論文の第一段の意義に関する議論が終わった、と考えてはいけないということである。
諸君の肝に銘じておいて欲しい。定義というものは、絶対に真空から勝手に湧いて来たり、天からの神の声として聞こえてくるものではない。定義は、それを構成している一言、一言が、すべて他の類似概念との区別、あるいはその概念の本質として、その主張者の把握しているところを表現しているのである。だから、定義を書いたら、どんな場合でも、絶対に、なぜその定義を下したかを書かなければ、論文とはならない。理屈抜きの丸暗記は、短答式までである。論文式では、何を書いても、それに対する理由がいる、と考えなければならない(論文がゼロサムゲームであるが故に、減点覚悟で理由を書く手間を省く、という場合は常にあるが、その場合にはそれを明確に意識してする必要がある。)。
この定義の場合、それを整理すると、
第一に、ここで憲法改正と呼んでいる行為は、成文法としての憲法典の修正行為をいい、実質的憲法の意味ではない、ということである。
第二に、その成文法としての憲法典が硬性憲法という性格を有している、ということである。
第三に、憲法の変遷は憲法改正とは言わない、ということである。
ここで取り上げた諸点が、憲法改正の意義として論ずるべき点である。以下、順次検討してみよう。
1 実質的憲法と形式的憲法
憲法とは、実質的には一国の最高法規を意味する。この意味の憲法は、邪馬台国のように、国家としては極めて素朴なものであろうと、あるいは徳川幕府のようにかなり安定した基盤を持っているとの別なく、何らかの意味で国家が存在していれば常に存在する。徳川幕府であれば、鎖国や士農工商の身分制度などがそれであった。この最高法規を放棄せざるを得ない状況に追い込まれた段階で徳川幕府は滅びることになった。
それに対して、近代にいたって、近代国家が成立するとともに、新しいタイプの憲法が出現した。すなわち、権力保持者の権力濫用を意識的に阻止する目的で定められた憲法である。そうした目的がある場合には、不文法よりも成文法の方が便利なので、それが憲法典と呼ばれるか否かは別として、成文法化されていくことになる。イギリスでスチュワート朝の出現と共に制定された権利請願、オランダのオレンジ公ウィリアムを国王として招致する際の条件として定められた権利章典は、その一つの典型である。
それが形式的意味の憲法である。形式的意味の憲法が成立して始めて、憲法改正という概念が意味を持つ。
アメリカ合衆国憲法をはじめとして、今日の世界各国の憲法では、その名の統一法典を持っていることが多い。しかし、複数の法典で憲法を構成している国も少なくない。
例えばフランス憲法の場合、その名の法典には人権規定が含まれておらず、1789年フランス人権宣言が今も人権に関する法典としては有効である。
ドイツ憲法の場合、ワイマール憲法の一部条項が今日も有効である。
オーストリア憲法の場合、連邦憲法(1929年憲法)の他に、中立連邦憲法(1955年)、EU加盟連邦憲法(1994年)が憲法という名称を持っており、さらにこのほかに国民議会によって連邦法が「憲法規定」として決議される場合がある。その結果、100以上の法律に200以上の規定が存在している。さらに欧州人権条約など一定の国家条約が連邦憲法の構成要素とみなされている。
英国の場合、上述した権利請願、権利章典の他、マグナカルタの一部条項、議会法、下院議院規則、最高裁判所法、人権法など極めて多数の法典が形式的意味の憲法の一部をなすものとして認識されている。その他、A.V.ダイシーなど、重要学者の学説までが憲法点の一部をなすと考えられている。それ以外に、不文の憲法としての憲法刊行が存在していることは言うまでもない。
2 軟性憲法と硬性憲法
形式的意味の憲法、すなわち憲法典が制定された場合に、その改正に通常の法規範よりも厳重な手続を要求するのを硬性憲法という。それに対して、憲法典が存在していても、特に他の法規範と異なる手続を定めていないものを軟性憲法という。
英国憲法の場合、憲法改正に特別の法手続を必要とするという規定が存在しない。その結果、理論として言えば、従来の成文法と抵触する内容の新法を制定しさえすれば、新法は旧法を改廃する、という法学の一般原理に従い、自動的に憲法改正が起きるから、特に憲法改正という行為を必要としない。
例えば、英国は長いこと議会主権を実質的意味の憲法とし、基本的人権という概念を認めてこなかった。しかし、1999年にいたって、EUの圧力で、人権法(Human Rights Act)を制定するに至った。その瞬間に、同法に抵触する限度で、議会主権という憲法原理は修正されたことになる。
わざわざ形式的憲法を制定しておいて、通常の法律で容易に改廃しうるのでは意味がないので、普通は、硬性憲法である。
実を言えば、英国の場合、明確な憲法改正手続が存在しないために、憲法改正は困難なことが多く、常に大変な激論となり、改正後の規定も憲法慣行等の修正を最小にとどめるため、極めて複雑であることが多い。そのため、もっとも硬性度の高い憲法と呼ばれたりする。その意味で、実はこの軟性憲法、硬性憲法という区別は、それほど重要ではない。
3 憲法の変遷
形式的憲法が存在する場合に、憲法改正手続きがとられていない場合にもかかわらず、実質的憲法の内容が、時間の経過とともに変化し、それが一般に承認されるに至った状態を、憲法の変遷という。例えば憲法13条の幸福追求権条項は、憲法制定初期には単なる倫理規範などと考えられていたのに、今日では無名基本権条項と考えられるに至っているのは、その典型である。上記定義は、この点を明確にさせようとしている。安部内閣では、平成19年5月に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、これまで内閣法制局が堅持してきた「集団的自衛権を9条で読むことは不可能」とする見解を覆そうとしたが、これは、いわば意図的に憲法の変遷を起こそうとする行動と評することができる。明らかに違憲の解釈と言うべきである。
(二) 憲法改正の性質と限界
ここで、改めて、憲法改正の限界という概念があり得るかという、今ひとつの中心論点に入る。限界があるとかないとかいうためには、その理論的前提として憲法改正権の性質が問題とならざるを得ない。
その意味で、性質と限界は、まとめて論ずることとしたい。
1 無限界説
今日、わが国において、この説を唱える学者は、私の知る限りでは存在しない。しかし、限界があるという説は、この無限界説に対する批判の上に成立している。その意味で、諸君は無限界説というものが、どのような論理に基づく説であるかを認識しておく必要がある。改正権は無限界であるという結論を導く学説は、理論的根拠から大きく分けると、三説ある。
(1) 法実証主義的無限界説
法学の時間に法実証法思想というものを習ったはずである。簡単にいってしまえば、今日の通説的理解である(「法規範」という用語は、法実証主義の下でしか意味を持たない)。この思想は、それに対立する自然法思想、すなわち自然科学で探求する真実の法則のような形での自然法というものの存在を否定し、少なくとも法学の対象としては、実際に存在することが証明された法のみを取り上げる。この立場から見た場合、憲法が国家の最高法規である以上、これより高次の法の存在を認めない。したがって、憲法改正権は確かに法として存在する権利であるが、国家または憲法以前に存在し、改正権と区別される制憲権は、単なる社会的実力に過ぎないと考える他はない。通常、改正権の限界は、制憲権の授権による限界として説明されるが、制憲権が法的存在でない以上、法的な意味で改正権の限界を生ずるはずがない、と説く。
わが国で、この見解をとる代表は、佐々木惣一(1878年 - 1965年。京都帝国大学法学部長、 立命館大学学長等を歴任)である。すなわち、
「法規はその規律する社会の社会的事情を基礎として存在するものであるのに、社会的事情は変更するものであるから、その社会的事情を基礎として存在する法規が、社会的事情の変更によって変更することのあり得るのは当然である。このことにはその法規がいかなる種類のものであっても変わりはない。即ち根本法たる憲法の法規についても同様である。〈中略〉そこで、国家が、或る法規について、永久に改正しない、ということを定めて見ても、それは実際上無意味である。法制上一見そう定めたと思わせるような文句を用いるものがあっても、その意義は、ただ、容易に改正することをしないことを定めたものに過ぎぬ、と解するべきである。」(佐々木『憲法学論文選』有斐閣平成2年復刊、第1巻「憲法を改正する国家作用の法理」187頁より引用)
また、佐々木は、憲法の価値と意味内容の探求は、自然法的なものとして排除する(同第1巻199頁参照)。
(2) 主権全能論的無限界説
主権は、唯一、絶対、不可分の存在と定義される。そして、憲法改正もまた主権者によってなされる。主権が絶対的なものである以上、主権に基づく改正権は、実質上は制憲権と同質の権力であると考えることができる。しかし、形式上は憲法によって作られた権力である。したがって、改正手続きを改正することはできないが、それを遵守する限り対象については無限界であると考える。
先に紹介した佐々木惣一は、この考え方も合わせ説く。
「憲法改正作用の限界があるであろうか。それがあるとすれば、それは、憲法をつくる者、即ち国権の源泉者たる国民の力に内在する限界であるの外はない〈中略〉もしそうでないならば、国民が主権者であり、国権の源泉者であるのではない、いわざるを得なくなる。〈中略〉故に、わが国の憲法一般についていうと、国民が国家の作用を通じて、現在の憲法を改正し、或る事項を規定する場合に、恒久的に憲法の内容とし得ない、というようなものは存在しない。一時的に憲法の内容としない、というものはあり得る。しかも、そう定めた憲法の規定そのものも、憲法所定の手続きによるときは改正できる。」(同第3巻「憲法改正のこと」269頁より引用)
このほか、結城光太郎(当時山形大学助教授。その後夭折)が説いているのが目立つ。
「憲法改正の究極的主体は、憲法制定権力の主体つまり主権者に他ならない。主権は憲法をつくる力であるから、憲法の外において、その上に存在し、法的には説明のつかぬもので、現にあるということの中にその妥当根源を持つ。憲法改正権は部分的にせよ全面的にせよ憲法を作りかえる力であるから、本質的には憲法制定権力でなければならぬ。したがって、憲法改正権も憲法の外において、その上にあるものであって、単なる『権限』ではあり得ない。憲法制定権力と本質において一体である憲法改正権が、憲法の中に条定され『権限』の形をとっているのは、法的安定性、予測可能性の要請に応じ、憲法制定権力がその発動形式を一定の形に自制したことによる。」(山形大学紀要3巻3号281頁)
(3) 事実行為としての無限界説
わが国では説く者がいないが、ドイツでは、例えばW.ブルクハルト等が説く。
「そもそも憲法改正は国の最高法規に変更を加える作用であるから、もはやそれは法の下の作用ではなく事実の作用にすぎない。事実の作用であってみれば、そこに法的限界があるという考え方はナンセンスである。」
常識論としてはその通りで、現実問題としても、わが国現行憲法は、形式的には明治憲法の改正として制定されている。しかし、法律学としては逆にナンセンスである。この点については、以下に検討していくこととする。
2 限界説
これに対して、限界がある、という考え方をとる場合には、議論が少々難しくなる。議論の前提として、自然法思想を採用する場合には、自然法というものは、いかなる社会や文化の下においても共通のものであるはずであるから、憲法典中、自然法的内容の箇所は改正できない、という結論が容易に導くことができる。
しかし、わが国のたいていの学者は、法実証法思想を採用し、あるいは主権概念については、少なくとも現行憲法下においては否定することはできないと考えている。そこで、その前提に抵触することなく、限界があるという議論を展開する必要があるからである。
(1) 制憲権否定の禁止としての限界説
憲法が国家による不当な諸権利の制限から国民を保護するものであるとする法の支配の考え方からすれば、国家が憲法制定能力を有するとは、泥棒に自らを縛る縄をなわせるのと同じことである。そこに、立法府のような国家機関がこの能力を持つことに対する根本的な矛盾が存在している(英国が軟性憲法であるという大きな根拠に、議会主権が存在している。)。
そこから憲法のいわば上位にある権力としての憲法制定権力と、その憲法によって作り出された権力である憲法改正権を区別して論じようという立場が現れる。
芦部信喜は憲法制定権力を、ドイツのカール・シュミット(Carl Schmitt)の定義を引用して次の様に定義する。
「国家の政治的実存の様式及び形態に関する具体的決断をなす政治的意思」(芦部信喜『憲法制定権力』東京大学出版会1983年刊、1頁)
これを受けて、芦部信喜は、次の様に説く。
「制憲権の概念が成立するためには何よりもまず、憲法が立法権をはじめとするあらゆる国家権力を制約する最高法規たる性格をもつという観念が認められなければならない。」(同2頁)
憲法制定権力という概念と、憲法改正権力という概念を区別して論じたのは、フランス革命の理論的指導者シェイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès、 1748年 - 1836年)に始まる。芦部信喜はシェイエスの説を次の様に紹介する。
「『憲法は、いかなる部分においても…この制憲権の作品である』。そうして、『憲法によって作られた権力』、いいかえれば『いかなる種類の委任された権力も、決して委任の条件を変えることはできない』。いかなる方法においても通常の立法権は制憲権の行使に介入することはできない。立法権が制憲権を行使しないことは、基本的な憲法原則である。『権力のこの分立は、最大限絶対的に必要なことである。』 かような制憲権をもっているのは『国民だけ』である。そうして、この国民の制憲権は単一不可分であり、実質的にも手続的にも法的制限に服さない。」(同17頁)
なお、この後、シェイエスは自然法的な限界論を展開するが、それはわが国の議論には参考にならないので、以下省略する。
このように制憲権という概念を考えると、憲法改正権は、制憲権によって作り出された権限であるから、自己の存立の基盤というべき制憲権を破壊するような改正は自殺行為である、とする。すなわち、上述の主権全能論を承認した上で、しかし、天皇主権から国民主権への変換のような、制憲権そのものを破壊するような場合を改正として説明することはできない、と考えるわけである。例えば、法学協会の次の見解は、その代表である。
「憲法の同一性を失わせるような改正をすることは、その憲法の自殺であり、それは法論理的に不可能である。」(『註解日本国憲法』1425頁)
芦部信喜の次のように表現する。
「憲法改正権とは、憲法以前の始源的な憲法制定権力(「制憲権」)が、近代法治国家の合法性の原理に基づいて、『最初の制憲行為自体に自らを憲法の中に組織化し、自然状態から法的形式に準拠する権力へと転化し』たものであり、いわゆる『制度化された制憲権』として特徴づけうるものである」(芦部・45頁)
確かにこの論理は、先に紹介した佐々木の議論の中にも部分的に顕れている。
なお、近時、長谷部恭男は憲法の外に憲法制定権力という概念を考えること自体を否定して、注目されている。次の様に言う。
「憲法制定権力が改正権のさらに上位に存在するか否かという問題も、限界の存否とは直接には結びつかない。改正権が最高機関であれば、改正に限界がないという議論は、憲法典のみが憲法の領域における実定法であるという誤った前提に立脚したものであり、改正権が最高機関であること自体が、法の運用者によって受け入れられている限りで成り立つという事情を見逃している。」(長谷部『憲法』第5版36頁より引用。なお、詳しい議論に興味のある人は、長谷部「憲法制定権力の消去可能性について」岩波講座憲法第6巻『憲法と時間』2007年刊参照)。
そのような論理を採る場合には、憲法制定権力を根拠として展開するここでの限界論は不要になる。
(2) 現行憲法の基本原理限界説
本問で取り上げた憲法改正規定の改正という問題が、今日突然浮上した最大の理由は、安倍内閣が憲法9条の改正を意図しており、それを容易ならしめる手段として、つまり、城を落とす前にまず外堀を埋める手段としてそれを言い出しているためである。そのため、「平和主義」をもって、改正権の限界と考える、という主張が強くなされている。
確かに現行憲法の基本原理といわれる、国民主権、基本的人権、平和主義の三つが憲法改正権の限界になるとするのは通説だと、多くの書に書かれている。しかし、それを自説として述べている書は案外少ない。芦部信喜や戸波江二がその代表といえようか。
「憲法改正には法的限界があると解すべきであり、憲法制定権力の所在を示す主権原理や、憲法制定権力の下した基本的政治決定は、憲法改正手続によっても改正することができないと解される。日本国憲法の場合には、先ず、国民の憲法制定権力に基づく以上、憲法制定権力の所在を示す国民主権原理は変更できない。また、国民主権原理のよって立つ人権尊重原理もまた、近代立憲主義に基礎を置く日本国憲法の基本的政治決定に含まれ、憲法改正の範囲外にある。さらに、平和主義原理もまた、国民主権および基本的人権尊重原理を支える前提であり、憲法改正の対象とならないと考えるべきである。」(戸波『憲法』新版、502頁)
しかし、憲法制定権力の所在を示す国民主権原理はともかく、それが下した政治決定までもが直ちに限界を形成するという説は、管見の限りでは余り支持者がいない。樋口陽一は次のように批判している。
「憲法の基本原理、すなわち、ひとつの憲法のアイデンティティをかたちづくる基本決定とひとくちにいっても、決定をする主体を指定する原理(日本国憲法でいえば国民主権」と、決定された内容(基本的人権と平和主義)とでは、その法論理的身分が違うからである。」(樋口『憲法Ⅰ』青林書院1998年刊380頁)
しかし、このように述べたからといって、平和主義を改正の限界と考えないというわけではない。ただ、それら否定説の場合には、以下に述べるような論理展開を通していくことになる。
(3) 憲法改正規定限界説
本問で取り上げている中心問題がこれである。
先に議論した制憲権と憲法改正権力を区別し、憲法改正権は、下位にあると理解する場合には、次の様に言う。
「憲法改正権は制度化された憲法制定権であり、主権原理に結びついている以上、主権原理そのものと同様、憲法改正規定の改正も許されないというべきであろう。」(松井茂記『日本国憲法』第2版77頁)
つまり、上述した基本原理限界説の一環として議論を展開することになる。
それに対して、先に紹介した長谷部のように、制憲権という概念を認めない場合には、次のように論じることになる。
「一般に法が存立するためには、それを定める立法機関を構成する授権規範が別に存在している必要がある。法は、その存立の根拠を自らに与えること、つまり自己授権を行うことはできない。立法機関を構成する授権規範は①立法権者、②立法の手続、立法の内容を定める3種類の規範から成り立つ。〈中略〉 憲法改正権も一種の立法権である。それを構成する授権規範は、①改正権者を、国会両院及び有権者としており(憲法96条)、②両院の総議員の3分の2の賛成による発議と有権者の過半数による承認を手続として要求しており、③内容上改正し得ない事項を実体的改正禁止規定として定めている(憲法前文、9条、11条)。これらの授権規定によって構成された憲法改正権は、やはり、自己の権限を構成し、その根拠となっているこれらの規範を変更することは許されない。したがって、改正手続規定を変更することも、実体的改正禁止規定を変更することも許されないという結論がそこから導かれる。」(長谷部・36頁)
今日では、形式的憲法が硬性憲法であることは当然とされており、むしろどの程度の硬性度を持たせるのが妥当かが問題となる。硬性度が高ければ、その分だけ法制度の静的安定性の確保が容易になる。他方、その分だけ社会状況の変化に追随した柔軟な対応が難しくなるからである。どの程度の硬性度を持たせるか、という議論こそが、本問の中心論点である。
わが国現行憲法は、極めて硬性度の高い憲法典であり、かつ、戦後60年以上に渡って一度の改正もなされていない。1949年とわが国よりわずかに遅れて戦後憲法を制定したドイツが、ほとんど毎年のように憲法改正を繰り返してきたこと、あるいはアメリカ憲法が戦後6回の憲法改正を行っていること等を考えると、確かにわが国の憲法改正が異常に少ないことは否定できない。
その原因を現行わが国憲法典の硬性度の高さに求め、96条自体を96条で改正して、より改正しやすい硬度に下げるべきだ、という議論が読売新聞社の憲法改正案をはじめとして積極的に論じられている。ここから、改正条項の改正が可能か、という議論が登場することになる。
しかし、憲法改正がなされない原因を硬性度に求めるのは、次の理由から誤りである。すなわち、例えば、旧憲法は、現行憲法に比べるとはるかに硬性度の低い憲法であった。それにも拘わらず、1889年の制定から1946年の全面改正(廃止?)まで、57年間に渡って一度の改正も行われていない。それに対して、わが国憲法と同様の硬性度を持つ憲法は、欧州を始めとして、各国に例が多いが、いずれも何度かの改正を経験している。わが国では、民法や刑法は普通の法律であるのに、憲法同様、きわめて長期にわたり改正しないままに運用してきたことを考えると、憲法に限らず、基本的な国法を改正したがらないのはわが国の国民性と考えるべきであって、硬性度と直接には関係しないというべきであろう。
では、憲法改正における硬性度はどのように決定されるべきであろうか。本問における実質面の議論である。
その答えを一言にしていえば、憲法改正における硬性度は、その憲法の存在する国家体制に応じて決定するのが、正しいと考えるべきである。
例えば、戦前のわが国は、主権者は天皇であったから、憲法改正の発議権は天皇が独占していた。臣民の側から憲法改正の発議は不可能だったのである。天皇による発議を帝国議会が特別多数で議決することで、改正は行われた(旧憲法73条参照)。
これに対し、連邦国家の場合には、アメリカやドイツに典型的に見られるように、憲法改正は、いずれも連邦議会が発議し、各州がこれに同意することにより行われる(アメリカ憲法5条、ドイツ憲法79条参照)。
これらとの比較でいえば、わが国のように、中央集権制を採用し、半直接代表制を採用する国家の場合には、原則として両議院の議決と国民投票による承認という二つの手続を必要とするというべきであろう。
同様の体制の国家の中にも、硬性度という点からすれば、わが国現行憲法よりも高い国が数多くある。例えば、議会が憲法改正案を可決した場合、議会は一旦解散され、総選挙後の新たな議会において同改正案が可決されたとき、6ヶ月以内に国民投票に付されるとするデンマーク憲法は、その例である。
あるいは韓国の場合には、議会の総議員の3分の2以上の多数の賛成を得たうえで、国民投票に付すという点ではわが国と一緒だが、その際、議会選挙有権者の過半数の投票と、投票者の過半数の賛成を得なければならないとする(大韓民国憲法130条)。
逆に、ある程度は緩和している法制も確かに存在する。例えば、元首・政府もしくは一定数の議員から要求があった場合にのみ国民投票に付するという方法で、要求がなければ、議会の議決のみで改正案が成立するという制度である。スウェーデンやスペインに見られる。一定数の国民が要求した場合にも国民投票を認めるという制度を組み込むことで、議会の議決だけで憲法改正を認めるという方法もある。「50万の有権者から要求があるとき、国民投票に付される」とするイタリア憲法138条2項がその例である。これらの場合には、要求がなかったことにより、いわば国民の黙示の承認があったと構成することが可能になる。
(4) 明示的禁止規定限界説
憲法が明示的に改正を禁じている規定については、制憲権を侵害することになるから、改正規定に基づく改正もできないというべきである。実証法思想からこのことを説く代表的な見解を清宮四郎にみることができる。
「わが日本国憲法は、その前文で、民主制の原理は、『人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する』といっている。民主制の原理を、根本規範、憲法の憲法とみて、明治憲法を排除して日本国憲法をつくったのもこの立場からであり、将来の行為についても、民主制の原理に矛盾する内容のものは、いっさいその成立を排除し、憲法改正の方法によるものであってもこれを許さないというのである。〈中略〉改正の限界について、憲法に特別の規定のない場合はどう考えたらよいか。この場合、憲法の基礎をなし、その究極にある原理を定める根本規範に触れることは許されないと解すべきである。」(清宮『憲法Ⅰ』324頁)
この立場の場合、憲法第9条も、次の文言から限界とされる規定に属する。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
これ以外の代表的なものを紹介していくと、次の規定がある。
まず、前文が人権と国民主権を「人類普遍の一般原理」と言い、「これに反する一切の憲法を・・排除する」と定めているのは、改正権の限界を明示的に規定したものである、と考える。また、以下の条文の次の文言も、同様に、改正権の限界を明示したものと考えることになる。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
3 限界を超えた改正の意義
本問の場合に、この点について論ずる必要はない。しかし、このように限界説を採用した場合には、限界を超えた改正の意義については当然に考える必要があり、場合によっては論ずることを求められることが予想されるので、簡単に説明する。
我々の目の前には、天皇主権から国民主権へと、まさに憲法論の限界を超えた憲法改正の実例が存在しているからである。これに対しては、革命として説明する他はない。宮沢俊義の「8月15日革命説」がその代表的な存在である。これに対しては、ポツダム宣言の受諾だけで革命と呼ぶのは間違いだ、とする実証的な研究がある。しかし、フランス革命が1789年7月4日にすべてが完結したわけではなく、その後、長い時間を掛けて進捗していったのにも関わらず、革命の時点を1789年と呼ぶのと同様な意味で、1945年8月15日を革命の時点と考えるのが妥当であろう。
以上のどの説を採用するかは諸君の自由である。基本書と相談して決めて欲しい。
二 付説:9条の解釈について
ここでは、憲法9条の解釈を検討する。
1 戦争全面放棄説
第1項で、すでに戦争を全面的に放棄したと考えれば、1項を修正せず、2項以下の修正にとどめようとする改正は、基本的に無意味なものといえる。この見解は、古くは宮沢俊義(宮沢著・芦部補訂『全訂日本国憲法』161頁以下)、清宮四郎(『憲法Ⅰ』112頁)があり、現在においては浦部法穂(『憲法学教室』全訂第2版408頁以下)がいる。代表例として、宮沢の見解を紹介する。
「(a)『国際紛争を解決する手段として』の戦争とそれ以外の戦争との区別は、きわめて不明確である。満州事変も、太平洋戦争(大東亜戦争)も、自衛権の発動だと主張されたことは、人の知るところである。そういう経験の後に作られた日本国憲法が、従来からの国際法上の原則どおり、それ以上一歩も出ずに、ただ侵略戦争を放棄しただけだと解するのでは、わざわざ全文で徹底した平和主義をうたい、ことに『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とまでいっていることが無意味になってしまいはしないか。
(b) 日本国憲法の他のどの規定をみても、戦争というものが全然予想されていない。もし自衛戦争や制裁戦争が許されるとするならば、すくなくとも、戦争宣言の手続ー法律で行うか、国会の承認によって内閣が行うか、それとも国民投票で決めるか、などーくらいは、規定されていてしかるべきである。また、戦争が是認されれば、当然に軍隊も是認されようから、義勇兵制とか、徴兵制とかに関する規定もあってしかるべきである。そういった戦争に関する規定がいっさい欠けていることは、たまたま憲法がー単に侵略のための戦争だけでなくーどのような戦争をも予想していないことを推測させるといえよう。」
議論はまだまだ続いているが、ここまでみれば、説の大要は判ると思う。このような見解を採用し、かつ、平和主義が憲法改正の限界になるという説をとる場合には、本問改正案は、改正権の限界を超しており、許されない、と論ずるべき事になる。
2 1項侵略戦争放棄説
通説は、しかし、1項は侵略戦争のみを放棄したものと考える。古くから支持者のいる説であるが、今日における代表例を戸波江二にみてみよう。
「従来、不戦条約や国際連合規約などの国際法規によれば、『国際紛争を解決する手段としての戦争』とは侵略戦争を意味し、自衛戦争や国連による制裁措置を含まないと解されていた。憲法9条の戦争の放棄の規定が、本来、国際関係に関するものであることを考えると、9条1項が侵略戦争のみを放棄した渡海するのが基本的に妥当であろう。」(戸波・前掲書94頁)
この戸波江二の見解は、少し簡略に過ぎるので、立法経過を簡単に説明する。憲法9条が、GHQ民政局がいわゆるマッカーサー草案の作成作業に着手するにあたって、指針としてマッカーサーから交付されたマッカーサー・ノート第二項に由来している。 マッカーサーは、そこで次のように述べた。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」
ここでは、第1項で自衛戦争までも放棄していることはきわめて明白である。しかし、マッカーサーの指令を受けて、実際にマッカーサー草案のとりまとめを行ったケーディス大佐は若干異なる行動をとった。『自己の安全を保持するための手段としての戦争をも』という部分と『日本は、その防衛と安全を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる』という部分をカットし、代わりに国連憲章を受けて、『武力による威嚇、又は武力の行使は』という文言を前段に挿入したである。その理由について、ケーディスはインタビューで次のように説明している。
「自衛権の放棄を謳った部分をカットした理由は、それが現実離れしていると思ったからです。どんな国でも、自分を守る権利があるからです。だって個人にも人権があるでしょ? それと同じです。自分の国が攻撃されているのに防衛できないというのは、非現実的だと考えたからですよ。 そして、少なくとも、これで一つ抜け道を造っておくことができる、可能性を残すことができる、と思ったわけです。」(鈴木昭典『日本国憲法を作った密室の九日間』創元社刊、125頁)
マッカーサーはこれを認めて、マッカーサー憲法草案の該当部分は最終的には次のような文章となって日本国政府に手交された。
「第8条 国権の発動たる戦争は、廃止する。いかなる国であれ他の国との間の紛争解決の手段としては、武力による威嚇又は武力の行使は、永久に放棄する。
陸軍、海軍、空軍その他の戦力を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が国に与えられることもない。」
このような制定経過を見ると、少なくとも立法過程において、自衛戦争を許容すること、および文言を国際法規に一致させるという操作が行われたことがはっきりする。そういう点からも、この文言を侵略戦争に限定するという解釈が通説化する理由がある。
戸波江二は、こうした議論を受けて、9条に関する改正権の限界については、次のように述べている。
「憲法9条についても、戦争の法規を定める1項は改正できないが、自衛軍を保持できるように2項を改正することは、異論はあるが、論理的には可能であると思われる。」(戸波・前掲書502頁)
すなわち、1項をそのまま存置し、2項以下を修正するという見解は、通説的には妥当ということになる。
なお、参考までに、従来の政府の公式見解を紹介する。
「 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。
なお、我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。」(衆議院議員稲葉誠一君提出「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書(昭和56年5月29日提出)=2009年度防衛白書・資料8参照)
(一) 自衛権の承認と戦争条項の必要性
自衛隊を明確に憲法編入しようと考えた場合、単に9条を削除する等の対応ではたらず、戦争条項、つまり誰が何時どのような手続で戦争を開始するかに関する規定が必要である。なぜなのかについて簡単に説明する。
先に紹介した宮沢俊義見解の(b)に指摘されているように、現行憲法には、自衛戦争に限定しようとも、わが国が戦争を行うことを予定した規定はない。しかし軍隊を持つということは、どのような形であれ、戦争を行うことを予定しているからであり、戦争を行うということは、国家として最高度に重要な事項であるから、それに関する規定を憲法に設けなければならないのは、当然である。
例えば、我が国旧憲法は、この点について、次のように定めていた。
第13條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス
誠に簡単な規定であるが、天皇主権国家である以上、これで必要にして十分といえる。
これに対して、民主主義国家の場合には、問題が複雑になる。権力分立制の下において、基本的には国民の直接の代表者で構成される議会が、その決定権者と考えざるを得ないからである。
アメリカ憲法の場合には、次のように議会の権限としてそれが定められている。
第1条第8節 連邦議会は、次の権限を有する。
(11)戦争を宣言し、拿捕及び報復の特許状を発し、陸上及び海上の捕獲に関する規則を定めること。
(12)陸軍を募り維持すること。ただし、そのための歳出は、2年を超える期間であってはならない。
(13)海軍を設け維持すること。
(14)陸海軍の統制及び規律のための規則を定めること。
(15)連邦の法律を執行し、反乱を鎮圧し、侵入を鎮圧するため民兵の招請について定めること。
(16)民兵の編制、装備及び規律について定め、その一部が合衆国の兵として用いられた場合にその部分の統制について定めること。ただし、将校の任命と連邦議会によって規定された規律に従って民兵を訓練する権限は、各州に留保される。
(17)特定の州の割譲と連邦議会の受領により合衆国政府の所在地となる(10平方マイルを超えない)地区について、すべての事項について排他的に立法権を行使すること。及び要塞、弾薬庫、兵器庫、造船所その他の必要な建造物のために、その州の議会の同意によって購入されたすべての場所に対して、同様の権限を行使すること。
しかし、ここで問題は、議会というのものは、常設の機関ではないために、機動的な対応が不可能という点である。そこで、米国合衆国憲法2条2節1文は次のように定める。
「大統領は、合衆国の陸軍及び海軍及び合衆国の兵役のため現に招請された各州の民兵の最高司令官である。《後略》」
このように、民主主義国において戦争を予定する場合には、憲法レベルにおいて軍隊を置く規定を設け、また、戦争を誰の権限でどのようにして開始し、その後の運用はどうするかについての規定が必要なのである。
しかも、わが国の場合には、米国にない特殊な問題がある。それは基本的に平和主義を採用し、専守防衛という点である。したがって、わが国で戦争が始まる時には、不意に敵国が侵略してくるという事態がもっとも考えられる。その場合には、そうした事態をそもそも想定していない米国憲法はあまり参考にはならない。
基本的にわが国と同様に平和主義を採用し、専守防衛を念頭に置き、一方的侵略の事態を想定しているドイツがもっとも参考になる。 これまで、わが国で展開された議論は、9条2項を削除すれば再軍備が可能であるかのごとき論調が多い。例えば、読売新聞が2004年に公表した憲法改正草案における戦争法規関連の規定は次のようになっている。
◆第三章 安全保障◆
第11条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止)〈1〉日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。
〈2〉日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこのような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。
第12条(自衛のための軍隊、文民統制、参加強制の否定)〈1〉日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊を持つことができる。
〈2〉前項の軍隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
〈3〉国民は、第一項の軍隊に、参加を強制されない。
◆第四章 国際協力◆
第13条(理念)日本国は、地球上から、軍事的紛争、国際テロリズム、自然災害、環境破壊、特定地域での経済的欠乏及び地域的な無秩序によって生じる人類の災禍が除去されることを希求する。
第14条(国際活動への参加)前条の理念に基づき、日本国は、確立された国際的機構の活動、その他の国際の平和と安全の維持及び回復並びに人道的支援のための国際的な共同活動に、積極的に協力する。必要な場合には、公務員を派遣し、軍隊の一部を国会の承認を得て協力させることができる。
第15条(国際法規の遵守)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する。
ここでは、ここでは、軍隊をもつと言うことは戦争を行う(自衛戦争であろうとも)ことを意味すると言う自明のことが完全に失念され、誰が戦争の開始をどのような手続で行うかという問題は完全に忘れられている。しかし、戦争の開始を、憲法で明記せず、法律以下の規定に任せるというのは、きわめて危険な発想で、立憲主義に立つ限り、絶対に許されないといわなければならない。