ブロッケン山の蒸気機関車

甲斐素直

 欧州のことを、一口に、ピレネーからウラルまでの、何一つ遮るもののない広大な大平原と称します。私は昔から、東ドイツの、西ドイツとの国境に近いあたりに広がる、ブロッケン(Brocken)山を主峰とするハルツ山地をなぜ完全に無視するような表現をするのか、と不思議に思っていました。なぜなら、ブロッケン山といえば、二つのことで世界的に有名だからです。

 一つは「ブロッケン現象」です。すなわち、太陽などの光が見る人を通り越した所にある雲や霧に散乱され、見る人の影の周りに虹色の光輪となって現われる現象の名前の元となった山です。

 もう一つは「ワルプルギスの夜」です。これはメイディ、つまり51日の前夜のことです。ドイツの伝説によると、毎年このブロッケン山で、この夜に魔女達が欧州中から箒などに乗って集まってきて、悪魔と饗宴を催すというのです。この伝説は、かのゲーテがその代表作である「ファウスト」の中で描き、グノーがオペラ化したことで有名になりました。ちなみに、ワルプルギスというのは,8世紀頃の英国生まれの聖女の名です。魔法及び疫病に対する守護聖人で、その記念日、つまりワルプルギスの日が51日です。クリスマスイブが、クリスマスの前夜を意味するのと同じ理屈で、ワルプルギスの夜は、その前夜と言うことになりまです。悪い魔法から人々を守護する聖人の日に、魔女が饗宴を催すというのですから、これはある意味で権威に対する挑戦という話なのです。

 どちらの話からも、なんとなく峨々たる山地を想像しませんか? だから、何とか一度はブロッケン山に登ってみたいと、長いこと考えていました。しかし、これまで、その機会がありませんでした。

 ドイツにはじめて行って以来、今年で25年、ちょうど四半世紀になります。しかし、最初の頃は、東西ドイツが分裂し、激しく対立していましたから、東ドイツの山に、物見遊山の登山に行くなどということは全く不可能でした。西ドイツとの国境地帯であるため、要塞が建設されいたといわれます。東ドイツ人でさえ立ち入り禁止の地帯だったそうです。

 1990年に東西ドイツが統合された後も、これまでの私のドイツ訪問は、常にミュンヘンを中心とする南ドイツに偏っていたため、なかなか北ドイツにあるハルツ山地の傍には行けませんでした。

 今回の旅行は、ニーダーザクセン州にあるゲッティンゲン大学とオスナブリュック大学で開かれますから、本来なら、同州の州都ハノーファ空港におりるのが順路としては一番適しています。しかし、この紀行文の最終回で紹介する予定ですが、旅がベルリンで終わる計画になっていました。したがって、日本からの飛行機をベルリンで降りて、列車でゲッティンゲンに行くことにしました。始めは愚直に、まっすぐゲッティンゲンに行くつもりだったのですが、地図を眺めると、ちょうどコースがハルツ山地を横切っていることに気づきました。そこで、時差呆け対策を兼ねて、早めにドイツに行って、ブロッケン山に登ればよい、と気がつき、さっそく計画を変更したわけです。

 インターネットで調べてみると、ブロッケン山の麓にヴェルニガローデ(Wernigerode)という古くて美しい町があって、今日では高級観光地になっており、そこからブロッケン山へ、蒸気機関車が引く登山列車がでている、と判りました。ブロッケン山の山頂駅は、蒸気機関車が到達する駅としては、世界中でもっとも高度が高いにある駅だ、等という説明があります。今時、蒸気機関車に乗れるというのはそれだけでロマンがあります。旅先で本格的な登山をするとなると、靴その他の装備を日本から持っていかねばなりませんから大変ですが、汽車で山頂直下までいけるというのなら、タウンシューズでも十分可能です。そういうことで、いよいよ山に登る意欲が高まった訳です。

 もっとも、実際に行く計画を立てるのは簡単な話ではありませんでした。もし今のようなインターネットの時代でなかったら、まず無理だったといえるでしょう。問題はドイツの鉄道にあります。日本のように南北に長く、中央に山脈の走る地形では、鉄道は基本的に海沿いに幹線が走り、そこから支線が山にはいるという構造をとります。ところがドイツのような、ただ一面の平原の国では、日本のような感覚での幹線ルートというものがありません。国土全体を網の目のように鉄道網が覆っており、どれが幹線というものではないのです。だからドイツで時刻表を買うと、日本の倍以上の厚さがあります。以前、ドイツに住んでいた頃に、どこかに行こうと考えた時には、分厚い時刻表のあっちを引き、こっちを見て悪戦苦闘して、ようやく旅行ルートを決定したものです。まして、その時刻表が手に入らない日本にいて、旅行計画を立てる、などということは、昔なら絶対にできない相談というものでした。

 しかし、今ではインターネットでドイツ鉄道(DB)にアクセスして、出発地にベルリン、到着地にヴェルニガローデと入れて、乗る時間を指定してやれば、たちどころに乗るべき列車のリストが出てきます。しかし、それを見ると、どの列車を選んでも、途中、2回も乗り換えなければならないのですが、あきれたことに、どの列車をとるかにより、全部乗換駅が違うのです。改めて、網の目のような鉄道網であることを痛感しました。ついでにあきれたのが、そのように複雑な乗り換えになるので当然ですが、特急(IC)に乗っても、急行(RE)に乗っても、所要時間にほとんど差がないことです。ドイツの場合には、急行料が不要ですから、料金差は三倍くらいに達します。それに気づいたものですから、とうぜん急行で行く計画に変更しました。

 実際にベルリン空港に降りて、汽車の旅を始めたのちも、このインターネットには感謝したものです。予めインターネット情報で、自分の乗った列車は何番線に着き、乗り換えるべき列車は何番線に来るかが判っているので、すいすい乗り換えができましたが、そうでなければ、駅ごとに、その駅での時刻表に首っ引きで、何番線に来るのかを調べなければならず、かなり怖い思いをしたはずです。

 泊まるべき宿を確保するのも、インターネットのおかげで簡単でした。もっとも、町のホームページに載っているホテルのリストの大半は、住所と電話・Fax番号だけでした。私としてはEメイル宿泊申込みをしたいので、それが可能なところを捜したら、驚いたことに、日本語のホームページまで造っているホテルがありました。白鹿亭(Weiser Hirsch)というホテルで、地図を見ると、市の中心の市場広場(Marktplatz)に面しています。実際にヴェルニガローデの駅に下りた時、当然駅に町の地図くらいはあると思っていたのですが、これが全くないのです。だから、あらかじめインターネットからプリントアウトしていた地図を頼りに、マルクト広場を捜したものです。その点でもインターネットのおかげを被りました。

 さて、ブロッケン山に登っている登山鉄道ですが、正式名称をハルツ狭軌鉄道(Harzer Schmalspurbahnen)有限会社といいます。ドイツ語の名称のSchmal(小さい)という言葉に引きずられたのではないかと疑っているのですが、日本のインターネットにでている紹介には、かわいい蒸気機関車が引っ張る、と書いてあるものがありました。だから、漱石の「坊ちゃん」に登場するような、マッチ箱のような機関車を予想していたのですが、なかなか堂々たる機関車でした(写真@参照)。

調べてみると、狭軌といっても軌道幅は1000mm、つまりちょうど1mもあります。日本の通常の鉄道が1067mmですから、それより心持ち狭いとはいえ、殆ど遜色ありません。

 ハルツ狭軌鉄道会社は、単にブロッケン山の登山列車であるだけでなく、ハルツ山地の中を縦横に鉄道網があり、総延長営業キロ数は131.24kmというのですから、なかなかどうして大したものです。ちなみに、日本の私鉄だと、箱根山の麓まで走っている小田急電鉄の総延長営業キロが120.5kmですから、これに箱根登山鉄道を足したものと、似たような規模と業務内容を持っている会社ということになります。さらにいえば、会社そのものは東西ドイツ統合直後の1991年に設立され、1993年から営業を開始しています。ドイツ鉄道(DB)は、いまでは国有鉄道ではなく、日本と同じように民営化されていますが、それ以外の、ドイツ最初の私鉄でもあります。

 この鉄道の売りは、なんと言っても現に生きている保護対象記念物という点です。全部で25台も蒸気機関車を持っているのですが、そのうち一番古い2台は1897年に造られたものといいますから、100年以上も前の骨董品です。一番新しいものでも1956年製造と言いますからもう50年近くたっています(http://www.harzbahn.de/というホームページを開くと、個々の蒸気機関車ごとに、その製造年から始まる様々なデータやスナップ写真を見ることができます)。そういう貴重品が博物館に飾ってあるのではなく、現に毎日、乗客を運んでいる点が素晴らしいところです。

 ヴェルニガローデからブロッケン山の登山列車の場合、朝、710分が始発で、夕方410分の終列車まで、ほぼ1時間に1本のペースで走らせています。私は、DBのヴェルニガローデ駅に隣接して立っている、ハルツ鉄道の始発駅から乗りました。乗ったのは、925分発の、始発から数えて3本目の列車でした。全部で8両も客車をつないでいるのですが、がら空きの状態で発車しました。こんなに無駄に空車を引っ張って、エネルギー効率というものを考えないのだろうか、親方日の丸的な体質の会社なのだろうか、などと批判的に眺めていたものです。しかし、駅に止まるごとにどんどん新たな乗客が乗ってきて、いよいよ本格的にブロッケン山に登りにかかる頃には、座席が全部埋まるどころか、外のデッキにまで乗客が鈴なり、という状態でした。もっとも、デッキにいる乗客のかなりは、景色をじかに楽しみたくて、好きこのんでそこにいるという感じでした。蒸気機関車であり、しかも古い客車であるために、車窓を通すと、景色はお世辞にも見やすいものとはいえないからです。しかし、ハイキングシーズンまっただ中のの日曜日という条件があったにせよ、この乗客数から見る限り、日本の下手な第三セクターよりも、会社の経営基盤はよほど健全そうに思えました。

 ヴェルニガローデの標高が234mです。ブロッケン山の山頂駅の標高が1125mです。その間の891mの標高差を、汽車は2時間弱の時間を掛けて登ります。アプト式ではない、普通のレールで走る汽車としては欧州で最大の斜度を登るのだ、というのですが、樹海の中を走っていてあまり視界が利かないこともあり、日本人の感覚だと、ほとんど平地を走っているという感じです。ゆっくりゆっくり、蒸気機関車は這うような感じで走ります。8両もの客車を引っ張って坂を上るのですから、とてもばく進するという訳にはいかないのです。

 山頂について唖然としました。山頂という以上、日本人の感覚では、尖っていないまでも、円錐状くらいはしているものとの期待していたのですが、ただのだだっ広い広場なのです。まして、ブロッケン現象やワルプルギスの夜という言葉から私が連想していた峨々たる山頂などどこにもありません。やたら背の高い展望台を備えたホテルと、電波塔があるばかりでした(写真A参照)。

少し捜すと、広場の真ん中の大岩に、「ブロッケン山頂1142m」という銘板が打ち込んであるのが見つかりました。先の述べたとおり、山頂駅の標高は1125mですから、そこから17mも高い地点であるわけですが、あまりに山頂がだだっ広いために、それだけ登ったということさえ感じさせないのです。

 しかし、さすがに山頂で、周りの山々がよく見えました。どの山も、緩やかに大地がうねっているという程度のもので、漢字の「山」という格好をしているものなど、まったくありません(写真B参照)。

今ひとつ、さすがに山頂と思ったのが、非常に寒かったことです。さすがに1000mをのぼっただけのことはある、と感心しました。

 あまりに寒くて、とても下りの汽車が発車するまでの1時間を我慢する根気がなかったので、山頂駅の一つ手前のシールケまで歩いて下りることにしました。誠に淡々とした下り坂ですぐに歩くのに飽きてしまうほどです(写真C参照)。

しかし、ドイツでは目下ハイキングが大ブーム。スキーの時に使うストックそっくりの杖を両手に持って、続々と登ってきます。歩き出してすぐ、シールケまで10kmという看板にぶつかり、がっくり。汽車がものすごくゆっくり走っている感じだったので、30分もあれば歩けると思っていたのですが、やはり乗り物は速いのです。あまりに平坦な下り坂なので、途中で飽きて、木道の続く山道を見つけたのでそちらに入ったのですが、それはさすがにタウンシューズでは無理でした。30分ほど歩いていい加減あごがでたところで、また線路にぶつかったので、線路沿いの道に逃げて、後はだらだら下りをおとなしく下りて行きました。シールケで、汽車の来るのを待って、駅のキオスクで買って飲んだ生ビールのおいしかったこと。

 一度登った後であれば、ヴェルニガローデの城山からでも容易にブロッケン山が識別できました(写真D参照)。写真でおわかりになると思いますが、山頂のホテルの展望台と無線塔が突き出しているので、そこが山頂だと判ります。しかし、それがなければ、下からでは、まるっきり平らな稜線に見えます。

 こんなところで、なぜブロッケン現象が最初に発見されたのか、いよいよ首をひねってしまいました。いろいろ調べて、ようやく答えが判りました。私自身は好天に恵まれて気がつかなかったのですが、この山頂は、年間を通じて霧がでやすく、眺望を楽しめる日など、年に何日もないのだそうです。平らで、至って登りやすい山なのですから、そういうきりの日に登っていけば、いやでもブロッケン現象にであう、ということでしょう。そのように、霧に包まれて薄気味悪い感じのところで、しかも多人数の饗宴を開けるだけの平らな広場のある山頂ですから、ワルプルギスの夜の伝説が生まれたのも、理解できるというものです。

 また、この稜線を見れば、このハルツ山地を無視して、一口にピレネーからウラルまでの大平原という言葉が生まれたのも、よく理解できるというものです。ドイツは、東西の統合後でさえ、わが国の国土面積の9割程度しかない狭い国です。しかし、このように広大に広がる大平原のおかげで、わが国より可住面積ははるかに広いのだ、と改めて痛感しました。だからこそ、特定の大都市ではなく、中小都市が発達しうるのでしょう。