エムズ河の河口堰

甲斐素直

 日本だと、学会というのは文字通り、学者達が特定の会場に集まって、誰かが基調となる報告をし、それに関してみんなで討論をして、終われば散会、という経過をたどります。しかし、ドイツで開かれる学会では、たいていの場合、学会が終わると、おまけの遠足というのがついています。遠足費用は、特に徴収されることはなく、学会員が日頃払っている学会費から充当されます。だから、ドイツの学会というのは、割と学会費が高いようです。1998年にドイツに滞在していた折りに、ポツダムで開催されたドイツの公法学会に参加させて頂いたことがあるのですが、その折りには、学会費を払っていない私やその家族まで、学会終了後のバスでの遠足に無料で参加させて頂き、恐縮したものです。実をいうと、バス遠足の費用が学会費で賄われているなどと言うことは、その遠足のおりに、ドイツ公法学会長を捕まえてくどくど聞いて、初めてそれと知ったのですが・・。

 今回の学会は、公法学会のような恒久的な学会組織を背景にしたものではなく、今回のシンポジウムで取り上げた「世界の憲法裁判」というテーマに関心を持つ日独の学者が集まって討論したものです。当然、事前に学会費が徴収するなどということはありませんし、シンポジウムに参加するための参加料も払っていません。単に各自が自腹で参加している、というにとどまります。

 「しかし」とオスナブリュック大学法学部長であるイプセン教授は考えたようです、「せっかくはるばる日本からたくさんのお客が来るのに、バス遠足もやらないのでは申し訳ない」と。さりとて、オスナブリュック大学にも、そのための予算はありません。どうやったら、無から有を生じさせることができるか。イプセン教授が考え出した奇策が、弁護士として成功し、大変な富豪であるシュテュア教授(Professor Dr. Bernhard Stuer)に費用援助をしてもらう、という方法です。多分、そういうことをすれば、シュテュア教授としても、税金の控除対象になるなどの特典があるのではないか、と私は憶測しています。いくらシュテュア教授が富豪とはいえ、まったく無私のサービスというのは考えにくいですからね。

 とにかく、シュテュア教授はバスのチャータ料負担を快く引き受けてくださり、そればかりではなく、オスナブリュックにおける我々のシンポジウムそのものも、普通なら大学の教室を借りてやるところを、市の郊外にあるシュテュア教授の豪邸の一画にある建物で行われました。昼食も、シュテュア教授負担による豪華なケータリング・サービスで賄われたという次第。個人の住宅の中に、全部で50人近い人数が討論できるだけの部屋があるのだから、大したものです。シュテュア教授の話だと、シュテュア邸は、骨董品的な価値のある昔の農家に徹底的に手を加えたものだそうです。そしてシンポジウムの会場として使われた部屋は昔は納屋兼馬小屋だったというのです。しかし、ここも、それに徹底的に手を加え、多人数用の豪華な食堂に改造してあったのです。写真@は、その会場で報告を行うシュタルク教授です。右に、司会を務めるイプセン教授が写っています。昔ながらの太い木の柱や梁があるのが判ると思います。実は、この柱や梁は飾りで、天井との間には隙間がありました。

 そして、いよいよ本番のバス遠足。その日は土曜日でもあり、我々日本人としては、ドイツ語を使って学問的討論をドイツ人学者とする、という誠に厳しい試練は終わったことではあり、肩の凝らない物見遊山の一日というつもりでいました。しかし、スポンサーであるシュテュア教授の考えは違いました。教授は行政法学者で、その中でも、地方自治法、都市計画法、環境法といった領域を専門としています。私の憶測では、普段から教授は、ゼミの学生を連れて、自腹で、行政計画等の現場を見せるためのバス遠足というものをやっているのです。そして、この日、教授が我々のために設定してくれたバス遠足のコースというのは、その学生向けコースの一つなのです。

 なぜそう憶測するか、というと、教授はバスが発車するなりマイクをつかんで、いかにもものなれた様子で、ドイツ地方自治法の、初心者向け講義を始めたからです。これに対して、日本人一同、唖然としたわけです。一般に、日本の憲法学者は行政法に関心を持っていません。その特殊領域である地方自治法や環境法に関心を持っている人はさらに少ない訳です。日本の制度についてすら関心がない人が、ドイツの地方自治法に関心を持ちようがないのです。だから、ほとんどずっこけた、という感じの反応でした。

 しかし、私は、同じ憲法学者でも、行政法との境界領域に強い関心を持っています。早い話、ドイツの地方自治制度については、論文を書いたことがあるくらいです(拙著『予算・財政監督の法構造』信山社刊、387頁以下参照)。そこで、ほかの人たちは寝かせておいて、私一人でせっせと質問して、大事なスポンサーのお話をうかがったわけです。少なくとも、私にとっては非常に興味深い話でした。

 教授はいろいろなことを話してくれたのですが、中でも面白かったのが、表題に掲げたエムス河の河口堰問題です。ドイツには、ライン河やドナウ河のように、有名な大河が何本かありますが、エムズ河はそうした大河でもなければ、大河の支流でもありません。ニーダーザクセン州の一画であるエムスランド郡を縦断して、エムデンの町で北海に注ぐ中小河川の一つにすぎません。ただ、ドイツの常で、ほとんど標高差がないためにゆったりと流れるので、水運が発達しています。

 このエムス河に面して、河口から40kmも離れたパーペンブルク(Papenburg)という人口35000人ほどの小さな町があります。そこに、マイヤー造船所(Meyer-Werft)という世界的に見ても大きな造船所があります。この造船所の所有者は、元々ヤンセンという姓だったのだそうですが、長くドイツに暮らしながら、そんな北欧人のような名前はおかしいから、マイヤーと変えなさい、と町長に命じられ、以来、マイヤー造船所となったそうです。その名前で造船所が作られたのが1795年というのですから、それからでもすでに200年以上の歴史があるという大変な老舗の造船所です。今日では、キールにあるHDWについて、ドイツ第二の大造船所となっています。直接の従業員が2400人、関連企業の従業員が5000人といいますから、それだけで、同町の人口の5分の1に達します。同町は、その意味で完全な企業城下町といえるでしょう。

 マイヤー造船所は、まだ、船が皆木造だった時代に、いち早く鋼鉄船の建造に乗り出して飛躍のきっかけをつかみました。ガスタンカーや家畜運搬船その他いろいろな船種を建造します。初期に建造された船の一つが、ハンフリー・ボガート主演の映画「アフリカの女王」で、映画のタイトルそのものになったあのポンコツ船だそうです。

 しかし、同社がもっとも得意としているのはなんといっても豪華客船(クルーザー)です。豪華客船は、露天で建造するのは好ましくないため、どこの造船所でも引き受けるということができないのです。そのため、1987年に、屋内式のものとしては当時世界最大の建造用ドックを建設しましたが、注文が殺到するため、1990年には早くもそのドックの長さを100mも延長し、長さ370m、幅102m、深さ60mのものとしました。さらに2000年には第二の屋根付きドックの建造に着手しています。こちらは長さ375m、幅125m、深さ75mとさらに巨大なものとなっています。当然、この第2ドックは、屋根付きドックでは、いま現在の世界最大規模です。写真Aは、インターネットから捜してきた同社の今の全体風景です。

 このような特殊な船種は、内装その他に、それに対応した様々なノウハウが必要であるため、世界的な客船ブームを背景に、注文がとぎれることがない、ということです。私達が、シュテュア教授の案内で見学に訪れた際にも、船台にもうすぐ進水という巨大な客船が載っている一方で、その脇のわずかな空きスペースを利用して、既に次の船の一部の組み立て作業が開始していました。

 建造のために特殊なノウハウが必要になるということは、その職員構成に面白い影響を与えています。普通、ドイツの企業では、企業内教育は行わず、完全な技術者を必要に応じて雇用します。しかし、マイヤーは、その技術の特殊性の故に、企業内教育を行わざるを得ません。その結果、マイヤーは、平均勤続年数が13年と長いにもかかわらず、2400人の労働者の平均年齢は36歳で、これは造船所としては世界でもっとも低いものなのだそうです。ついでにいえば、長い歴史を持つ地元密着型の企業であるために、親子代々がここの社員になっている例が多く、したがって、同時に親子が働いている例も多いといいます。

 この造船所は、単にパーペンブルクの町における最大の職場であるだけでなく、年間20万人以上の見物人を引き寄せてくれるのですから、観光産業という観点からも大事な企業といえます。パーペンブルクの町では、この古くからの造船の町というイメージを大事にしています。この町の観光案内所は、なんと町役場の前の川岸に係船した木造帆船の中に置かれているのです(写真B参照)。

 問題は、この世界最大のドックで建造される船を、どうやって海まで出すか、という点にあります。前述のとおり、この造船所が面しているエムズ河は、中小河川で、もともとの水深はせいぜい5mくらいしかありません。しかしマイヤー造船所が建造する豪華客船は、大型化の一途をたどっていました。したがって、河を浚渫しない限り、船が出て行くことは不可能です。これまで述べてきたように、同社は、単にエムズ地方にとどまらず、ニーダーザクセン州全体にとっても、したがってドイツ全体にとっても重要企業です。

 そこで、連邦首相とニーダーザクセン州首相のトップ会談などが行われた結果、80年代に、連邦水運庁では、同社の豪華客船が海に出られるように、エムズ河の浚渫計画を決定しました。マイヤー造船所で建造される船が巨大化するにしたがって、浚渫計画は次々に改定されました。まず、1980年段階では、長さ200 m、幅 26 m、喫水が5.70 mある船が、海まで到達できるように計画されました。しかし、上述のように、同造船所の第1ドックは大幅に1990年に大幅に拡張されました。そこで、90年に常時6.30 m、満潮時等には6.80 mの船でも通行できるようにという計画に変わりました。しかし、豪華客船の大型化はなおも進行します。最終の浚渫計画は、19945月に決定されたもので、それによると、基準水深は海面を基準にして7.04mの深さとされ、したがって実際には7.40mまで浚渫する、というものでした。これにより、喫水が7.30mの船であれば、外海に到達することが可能になります。

 ところが、同社が建造する客船の大型化は、それでは止まりませんでした。企業としては、そこのドックで建造可能であれば、注文のある限り、さらに大きな船を建造しようとするのは当然です。

 しかし、連邦水運庁としては、エムズ河の浚渫を無限に続けるわけにはいきません。一つには、浚渫は毎年繰り返して行わないと、すぐに埋まってしまうからです。94年度に立案された浚渫計画だと、浚渫コストは以後、毎年100億マルクに達していました。より水深を深くすれば、このコストがさらに増大するのはあきらかです。さらに大きな問題は、そのように河が深くなると、高潮被害の危険が、より内陸にまで及ぶようになることです。

 そこで、政府では、1997年に、これ以上の浚渫をあきらめ、代わって、エムズ河の河口に大きな堰を建設することに決めました。このエムズ河河口堰(Emssperrwerk)には二つの狙いがあります。第一に、エムズ河流域の高潮被害を防ぐことです。第二に、造船所から大型船が出てくるときには、一時河をせき止めて、水深を海面よりも3.7mほど高くすることです。先に述べたとおり、浚渫により7.30mの船が通れるようになっていましたから、堰き止め効果を加えれば、10m以上の喫水の船であっても、外海に到達できるようになります。この第二の狙いは、一私企業の利潤獲得のためですから、税金を投入する理由にはなりません。だから、建前的には、メインの理由は第一の高潮被害の防止にあり、マイヤー造船所の船が外海に出られるようになるというのは副次効果である、とされたのは当然です。

 この河口堰建設計画に対しては、自然保護団体や堰予定地付近の私人から、環境破壊を理由として、早速反対運動が起こされました。すなわち、河がせき止められて水深が上がるということは、その間、河川敷が冠水するということです。したがって、河川敷に営巣している野鳥などが被害を受けるとか、堰により海水と淡水の混じり方が変わることで、河の魚類が被害を受けるという事態が予想される訳です。これに対しては、行政側でも配慮していて、1998年に改定された計画によれば、一回あたりの堰き止め時間は12時間を超さないとか、年間を通して河川敷が冠水する合計時間は104時間以内に限るというようなきめ細かい対策がしめされました。河の増水は、自然の要因でも起こるのですから、冠水をその程度の時間内にとどめる限り、自然破壊にはつながらないはずだ、という訳です。しかし、自然保護団体等は納得せず、河口堰建設差し止め訴訟が提起されるに至りました。

 ニーダーザクセン州の行政裁判は二審制ですが、第一審のオルデンブルク行政裁判所の原告全面敗訴判決は、2000614日に下り、建設にゴーサインが出されました。判決文は、90頁超という膨大なものです。ドイツの環境訴訟は、EU法、連邦法、州法と錯綜しており、とうてい素人の私に簡単にできるものではありませんが、要するに、行政側の計画で十分に環境被害は防げると認定した、と考えて良いでしょう。

 我々の案内をしてくれたシュテュア教授は、どうやらこの河口堰訴訟において、行政側の弁護人として活躍したようです。だから、土曜日というのに、我々が行くというので、パーペンブルクの町では、町長が正装の金の鎖を付けて出迎えてくれました(写真C)。実をいうと、週末で、レストランなども近くには手頃なのがない、ということで、町役場を開けさせて、昼食をごちそうして貰ったというのが、本当のところのようです。

 少し脱線します。前回紹介したオスナブリュック市でも市長が金鎖を付けて現れたので、金鎖姿にであうのは、この度では二回目になります。そこで、ニーダーザクセン州の憲法裁判所長官であるシェンケル教授に、この金鎖の意味を聞いてみました。これは、中世ドイツにおいて、一定の格式を備えた町の風習だ、ということでした。但し、ハンザ同盟に属する諸都市、例えばハンブルクやブレーメンでは、そのような虚飾を排除する、ということから、金鎖がないのだそうです。だから、多分第二回に紹介したヴェルニガローデも、その古色蒼然たる佇まいにもかかわらず、金鎖はないはずです。今、わが国では市町村について、平成の大合併が進行中です。ドイツでも1970年代に大合併が推進されました。そこで、町によっては二つも三つも金鎖を持っているところがあるのではないか、と訪ねてみたところ、多分そういうことはないだろうという返事でした。なぜなら、ドイツの大合併は、金鎖を持っているような大きな町が、周辺の村を吸収するという形で行われたのであって、日本のように、複数の大きな町が合併する、ということはなかったからだ、という話でした。閑話休題。

 河口堰建設工事そのものは、1998年に改定された計画を受けて、989月に着工されました。ドイツの場合、日本の抗告訴訟が原則として行政行為を止めないのと違って、差し止め訴訟が起こると、その間、工事がストップする方が普通です。そのため、訴訟の進行中、たびたび工事も中断しましたが、200211月に完成し、現在は本格稼働を開始しています。総工費は22640万ユーロ(約3000億円)に達しました。

 この河口堰は、パーペンブルクの町から北に40kmほど離れた河口の町エムデン(Emden)のすぐ傍にあります(D河口堰位置図参照)。

  そこでもシュテュア教授の威光で、堰の管理人が休日出勤して我々を出迎えてくれました。写真Eは、この河口堰のホームページからダウンロードした全体図です。

一箇所切れている部分がありますが、ここをマイヤー造船所が建造した船が通る訳です。普通、水門は、上部構造物がありますが、ここの場合には、何せ巨船が通過するというのが建設の前提ですから、ご覧のように、水門が開いているときには完全に何もないという状態になっています。その仕掛けを示しているのがFの図です。水門本体の重量は約1000tあるのだそうですが、普段は本体は写真Eのように水面下に沈んでいます。水門を閉じるということになると、水門を取り付けた円盤が回転して、写真Fのようにあがって、川を堰き止める訳です。堰の中に設置されている水門を動かすためのモーターというのも、わざわざ鍵を開けて見せてくれたのですが、意外に小さいものでびっくりしました。油圧機構を巧みに使うことで、モーター本体はそう大きなものにする必要がない、ということのようでした。

 これだけの巨費を必要とする一連の騒動は、マイヤー造船所がパーペンブルクという立地に拘った性です。仮に、エムズ河の河口に位置するエムデンの町に新しいドックを最初から建設していれば、何のトラブルもなく、すんなりと船は外海に出ることができたはずです。パーペンブルクとエムデンは40kmしか離れていませんから、車社会のドイツでは、通勤距離としても問題になるほどのものではありません(Dの位置図を参照)。最終的に解決したとはいえ、仮に環境訴訟で連邦・州側が破れたりしたら、マイヤー造船所は、巨大なドックを抱えて倒産する危険が明白にありました。そのことを予見できなかった訳はないのです。マイヤー造船所がいくら地元密着型の企業であるとはいえ、すこしパーペンブルクに拘りすぎているのではないか、というのが私が、一日見学旅行をしての感想でした。しかし、この疑問をシュテュア教授にぶつけようとしても、なぜか言を左右にして逃げられてしまいます。

 そこで、夜になってから、シェンケル教授を捕まえて聞いてみました。シェンケル教授は、ニーダーザクセン州の憲法裁判所長官であると同時に、州高等行政裁判所の長官でもあるからです。つまり、この事件は、教授が裁判官として関わりのある事件でもあるのです。

 シェンケル教授の答えはきわめて簡単なものでした。パーペンブルクの町は、エムズランド郡の北端の町で、そこから河口までは、東フリースランドという別の郡になるからだ、というのです。郡が違うと、企業進出ができない? きょとんとした私に、教授はさらに語を継いで説明してくれました。フリースランドには、フリースランド人という少数民族が居住しており、言葉もフリースランド語という、ドイツ語とは別の言葉なのだ、と。これは、オランダの主流をなす民族であり、フリースランド語というのも、オランダ語と同じ言葉だというのです。つまり、東フリースランドというところは、民族単位で国境線を引けば、オランダに入るべき地域なのです。それが、なぜか今日までドイツの一部として残っているということなのです。実際、河口堰から眺めても、クラシックな風車が見えたりして、きわめてオランダ的な風景の土地でした。

 ドイツの少数民族問題。どうやら、そこには、ドイツ第二の規模を誇る造船所が、企業論理からすれば当然に選択するべき企業立地を選べないほどの複雑な問題が隠れているようです。しかし、短い時間の会話では、この複雑な問題について、これ以上理解することはできませんでした。もし、どなたか、この問題について詳しい方がいらしたら、是非ご教示くださるよう、お願い申し上げます。