教育の自由と生活保護
甲斐素直
問題
Y市に居住する夫婦であるA及びBは、いずれも体が弱く、十分に就労することができないことから、生活保護の対象となっていた。
生活保護法(以下「法」という)による保護は、夫婦及びその子弟等で構成される世帯を単位として、保護の必要があるか否かが認定されることとなっている。法は、生活保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われるものとしている(4条1項)。これがいわゆる補足性の原理で、その具体化として、保護は、厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとしている(8条1項)。また、保護の種類は、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、出産扶助、生業扶助及び葬祭扶助の7種類と定められており(11条1項)、各類型ごとに保護の行われる範囲が定められている。したがって、既に保護を受けている被保護者が新たに資産や収入を得た場合も、法8条1項に基づき被保護者の収入として認定し、それに応じて保護費を減額するのが許されることは当然のことであり、このような変更処分は、法56条の正当な理由があるということになる。
生活保護世帯の子弟の高校進学に関しては、当初は、子弟(修学者)の生計を当該保護世帯から分離するいわゆる世帯分離によって高校修学を容認する方法がとられたため、教育費(高校修学の費用)だけでなく修学者の生活費も保護の対象とならず、高校に修学するためには、自ら又は他からの援助によってこれらの費用をまかなうことができる場合に限られた。その後、高校修学が被保護世帯の自立助長に資するとの観点から、昭和36年以降、世帯内修学、すなわち子弟が被保護世帯と生計を共にし、したがって、生活費等について保護を受けながら高校修学を認める運用がされるようになり、その対象となる学校の範囲も順次拡大されていった結果、昭和45年にはすべての高校について、さらに昭和51年には高校に準ずる各種学校についてそれぞれ世帯内修学が一般的に認められるようになった。また、教育費調達先の要件も緩和され、修学費用に充てる目的で他から修学者に対して恵与された収入等については、これを最低限度の生活を維持すべき収入として扱わない旨の収入認定除外の運用がされるようになったため、子どもの稼働能力を活用しなくとも、被保護世帯の子弟が高校に進学することができる余地が広がった。
しかし、高校修学のためには、学費等の学校教育費のほか、制服制帽等の購入費や通学費などの間接的な経費を要する(これらの経費は生活保護の対象とされていない)上、入学に際しては、受験料、入学申込金、施設費及びその他の校納金等のまとまった金員を要し、特に私立高校に修学する場合には、その金額も多額であるところ、これらの費用に充てるため各種の奨学金や貸付金の制度を利用するにしても、その対象者が成績優秀者に限られていたり、借受けについて保証人を要するなどその要件が厳格であるほか、金額の点でも、また、貸付け時期の点でも、一般の被保護世帯が、これらの制度を活用することによってその子弟を高校に修学させるのは、事実上、困難な状況にある。
そこで、Aは、当時3歳の長女Xを被保険者として、郵政省の保険全期間払込18歳満期の学資保険(保険料月額3000円、満期保険金50万円)に加入した。この保険料の原資は、生活保護による給付金等であった。学資保険は、郵政省を事業主体とし、子を被保険者、親を契約者とする養老保険の一種であって、本件18歳満期コースでは被保険者が高等学校に入学する15歳の時に、保険金の1割に当たる生存保険金(お祝い金)が支払われ、卒業期の18歳の時に満期金が支払われる仕組みになっていた。
Aは、Xの高校進学に当たり、本件学資保険から5万円のお祝い金を受け取ったほか、学資保険を担保として郵政省から20万円を借り受け、これらにより、Xの高校進学に伴う経費を賄った。その後も、Aは毎月、保険料を支払うとともに、借入金の返済を行った。その結果、Xが18歳になった時点で、Xは満期金50万円から、未返却借入金を差し引いた44万余円を受領した。
これに対して、Y市では、この満期金を本件世帯の収入と認定し、それ相当額を、満期金受領月から半年間に案分して、毎月の給付金を減額するとする保護変更決定処分を下した。これに対して、Xは、この処分は憲法25条及び26条の権利を侵害しているとして、その取り消しを求めて、訴えを提起した。
本件における憲法上の問題点について検討せよ。
[はじめに]
この問題自体は、 平成16年3月16日に最高裁判所第三小法廷が下した判決を事例化したものである。但し、同判決自体はひたすら生活保護法の解釈論として問題を解決しており、憲法25条について論じたわけではない。しかし、それはこの事例に憲法違反としての要素が存在していないことを意味するものではない。憲法違反事件と解決可能なものであっても、法律の解釈を通じて解決ができるものであれば、憲法判断を回避することをブランダイスルールは求めているからである。本問は、その隠れた憲法違反を発掘することを求めたものである。
普通であれば、このように訴えの形で問題になる場合には、審査基準論が大きな論点となる。しかし、本問では、審査基準論に到達する以前の、憲法判断回避の準則で消えてしまった論点の問題だから、審査基準論を展開する必要はない。
諸君から論文が出てこなかったので、諸君がどの当たりを難しいと考えているのか、見当も付かないが、おそらく25条そのものが理解できていないのだと想定して、その当たりの説明から入ってみる。
論文は、学説の対立しているところについて、自分の学説を述べ、なぜそう考えるのかを説明するものである。
その観点から見ると、本問の第一の論点は、実は社会権という概念は何を意味しているのか、という点にある。実は、25条以下の条文に対する現在の憲法学の理解と、個別法領域、例えば社会保障法や労働法の分野における理解にはかなりのギャップがある。そこで、どうしても、自分が社会権と考えているのはどんな権利か、という議論が必要にならざるをえないのである。
第二の論点は、これは権利の性格である。すなわち、プログラム規定なのか、抽象的権利なのか、具体的権利なのか、である。これがまた、凄まじく学説の対立するところである。
これらをクリアして、ようやく本問の具体的議論には入れることになる。
一 憲法25条の意義
(一) 生存権的基本権としての把握
1 我妻栄の見解
憲法25条から28条までの人権条項を、生存権的基本権という概念で統一的に理解すべきことを、わが国で最初に主張したのは、民法学者の我妻栄であった。昭和23年に発表された「新憲法と基本的人権」という論文が、それである(我妻栄著『民法研究Ⅷー憲法と民法』有斐閣、昭和45年刊89頁以下参照)。その中で、我妻は「19世紀の憲法の基本的人権の内容は『自由』という色彩にいろどられている」のに対して「労働の能力と意欲を有するものはすべてのそれによって幸福な生存を保つことができるように、国家が特別の配慮をするということであるから、生命・自由・幸福追求物質的手段として『労働の権利』を保障する20世紀の憲法の基本的人権の内容は『生存』という色彩に彩られている」という質的差異がある。そこで「19世紀の憲法の特色をなすものを『自由権的基本権』と呼び、20世紀の憲法の特色をなすものを『生存権的基本権』と呼ぼう」と主張した。すなわち25条から28条までを一括して「生存権的基本権」と呼ぶこととし、また25条をその総論的規定と位置づけたのも、我妻をもって嚆矢とする。
我妻の論文出現以前においては、たとえば美濃部達吉が受益権と分類していたことに代表されるように、当時の憲法学界は、これらの人権条項の真の意味を理解できないでいた。その中で、我妻栄は生存権的基本権という概念を明確に確立することにより、その説は一気に通説的地位を獲ち得たのである。
その法的性格について、我妻は、
「生存権的基本権は、自由権的基本権のように、個人をもって国家と対立するものとは考えない。個人と国家とが有機的に結合した個と全との関係に立つものと考える。また、自由権的基本権のように、個人がそれ自らのための自由を有し、国家はただ外部からこれに対して最小限度の制限を加えることを任務とするものとは考えない。個人の自由は、国家全体とともに文化の向上に尽くすべき責任を伴うものであり、国家は個人の自由の発展のために積極的関与をなすべき義務を負うものと考える。」
また、生存権的基本権の法的性格としては、プログラム規定とした。すなわち、
その実現は常に「政府が、財政その他とにらみ合わせて、攻究立案しなければならないものである。そして、そこに、政府の政策の特色がありまたその責任がある。もし、これを裁判所が決定して政府に強制してやらせることになれば、行政は司法の手に移ることになり、責任内閣制は破れることになる。のみならず、『生存権的基本権』の実現のためには、法律を作ることを必要とする場合が非常に多い。その場合に、国会が必要な法律を作らないからといって、裁判所が代わって法律を作ったり、国会に命じて法律を作らせたりすることができるものとなす事は、到底許されないことである。なぜなら、立法と司法の分立が破れるだけでなく、国会が国権の最高機関であることも否定されることになるからである。」
この、我妻が発見した生存権的基本権という概念の特徴は、一つの権利が、国務請求権的側面と自由権的側面という二つの側面を持つと考える点にある。
すなわち、第一の国務請求権的側面では、「これらの権利は、いずれも国権の積極的な関与によって保障されている。」。しかし、「国家が右の責務を等閑に付し、必要な立法や適当な施策をしないときには、国民はこれを要求する方法はない」とされるのである。換言すれば、この側面はプログラム規定にとどまり、法的権利性を持たないと考えるわけである。
これに対して、第二の自由権的側面では、「国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすときは、その立法は無効となり、その処分は違法となる」と考えるのである。したがって、その限度で法的権利性を有し、しかもそれは具体的権利性であると考えるわけである。このように国家による生存権的基本権の侵害行動は違憲とされる結果、労働基本権の行使に対する刑事制裁に対しては、裁判所は違憲、無効とすることができる。同様に、個人による生存権的基本権の侵害も違憲となるから、雇い主と労働者の契約又は労働協約が労働者の団結権を妨げたり、公民権の行使を困難ならしめるような内容の時にも、裁判所はそれを無効とすることができる。すなわち、生存権的基本権の自由権的側面は私人間効力の否定される典型的な自由権と異なり、私人間に直接適用のあることが承認される。
2 我妻説の学界における受け入れ
上記我妻の主張を、憲法学界で直接的に継承して論じたのは法学協会編の『註解日本国憲法』であり、その後においても、佐藤功などに継承されている。また、労働法学界においては、石井照久、石川吉右衛門等がこれを継受した形で労働権を論じており、同学界においては今日においても通説的理解ということができるであろう。
(二) 社会権という理解について
これに対して、憲法学の分野では、我妻の認識の画期的な意義は認めつつも、それとは一線を画した社会権という概念に属すると認識する者が現れるようになってきた。このように、生存権的基本権という理解に変えて、社会権という理解が現れた大きな原因は、戦前よりのドイツ法継受の伝統の中で社会権(Sozialrechte)という概念が受け入れやすかったという点が大きいと思われる。社会権という認識に立った場合にも、その権利の内容に関する見解はかなり多岐に分かれている。
1 生存権的基本権の言い換え説
もっとも単純な形態としては、我妻栄の創称になる生存権的基本権の概念内容をそのままに、単に名称だけ社会権とする者である。このような見解を示す者は、初期の時代から今日に至るまで一貫して存在している。
2 抽象的権利説
生存権的基本権説とは一線を画した概念として、社会権という用語を使用する場合に、その法的権利性を承認する場合にも、抽象的権利と考え、国家に対して立法を請求する権利とは考えても、裁判において争い得る権利とはかんがえない立場が主流を占めた。ただし、その内容においては、時期により、また人により、大きな差異を示している。
たとえば、宮沢俊義は次のように述べた(宮沢俊義『憲法Ⅱ』有斐閣昭和34年刊90頁以下参照)。
「憲法上、国民の利益にまで、ある種の国法の定立(処分を含む)が要請される場合がある。たとえば、勤労の意欲のある者には適当な職を与えるような国法を定立することが、憲法上、立法者の義務とされる場合は、これである。ここでは、国民は、国法に対して、積極的な受益関係に立つことができる。ここでも、国民は、国法の利益を受ける地位にあるが、(消極的な受益関係とは違い)、それは、積極的に国法を定立することが義務づけられている結果である。国民のこのような地位を社会権と呼ぶことにする。」
宮沢俊義は、この記述に引き続いて、次のように、美濃部説を批判する形で、社会権の具体的権利性を否定すると明確に述べている
「社会権は、ときにイエリネックのいう積極的な関係における権利ー受益権とか積極的公権と呼ばれることがあるーと同じ性質を有すると説かれることがあるが、それは正しくない。イエリネックのいう積極的な地位における国民は、国家の具体的な行動に対する請求権を有するのであるが、ここにいう社会権は、そういう具体的な請求権を含むものではない。」
したがって、ここにいう社会権の法的効果は、結局、生存権的基本権の国務請求権的側面と変わらないことになる。
佐藤幸治は、基本的分類として宮沢の社会権概念を使用しつつ、社会権の本質的属性は国民が「国家権力の存在を前提として、そうした権力を自らの手におさめ支配しあるいはそれを利用しようとする」(佐藤幸治『憲法』第三版408頁以下参照)点にあると理解する結果、社会権を基本的には抽象的権利として把握しつつ、我妻の自由権的側面を認めることになる。労働基本権についても、社会権としての性格から当然に刑事免責などの効果が導かれる。
芦部信喜は、個人的請求権としての面があることは承認する。ただ、自由権を不作為請求権(権利の行使を妨げる国の行為の排除を請求できる権利)、社会権を作為請求権(国に対して積極的な作為を請求する権利)と、単純な構造で理解する。この結果、我妻説の場合には、生存権的基本権の典型と理解される「労働基本権に至っては、歴史的に見ても、自由権(結社の自由、言論表現の自由など)がその基礎に存する点で、社会権の中でももっとも自由権的性格が強い」(芦部『憲法学Ⅱ』有斐閣83頁)というように、完全に原則と例外とが逆転した形での理解が行われることになる。戸波江二の場合にも芦部信喜と同じように、自由権を不作為請求権、社会権を作為請求権として理解する(戸波『憲法』ぎょうせい254頁)。その結果、労働基本権などについても同様の見解を示す。
この用語法には批判も強い。しかし、今日もっとも支持を集めている用語法ということができるであろう。その簡明さは非常に魅力的である。
なお、この抽象的権利という理解の場合でも、我妻説にいう自由権的側面、すなわち、国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすときは、その立法は無効となり、その処分は違法となるという点に関しては、一様に承認している。
3 具体的権利説
このように、通説が抽象的権利という限度で法的権利性を承認しているのに対して、これを具体的権利として構成しようとする試みが生ずるのは、学説の発展という観点から見れば当然の結果である。その代表を大須賀明に見ることができる(大須賀明『生存権論』日本評論社刊参照)。
抽象的権利説と大須賀における「具体的権利説」との相違はただ一点に過ぎない。それは、本条を具体化する立法が存在しない場合においても、国の不作為の違憲性を確認する訴訟を提起できるか否かである。大須賀明は、第一に、形式的根拠として13条の幸福追求権に対する立法の尊重義務の存在を指摘する。特定の歴史的社会的条件の下においては本条の健康で文化的な最低生活という概念は絶対的確定が可能であると主張し、そこから立法の不作為の場合に国会の作為義務を認める。第二に、プログラム規定説及び抽象的権利説が問題としていた予算の裁量性については予算の法規範性から、通常の法律と同視し得るものと主張し、司法審査の対象となり得ると結論する。
これを徹底していくと「言葉通りの意味における具体的権利性を承認する立場が現れてくる。棟居快行はその代表である(棟居快行「生存権の具体的権利性」長谷部恭男編『リーディングズ現代の憲法』日本評論社1995年刊、160頁以下参照)。抽象的権利にとどめるべきだとする論拠を一つ一つ検証することにより、「『健康で文化的な最低限度』を下回る特定の水準については、金銭給付を裁判上求めることが可能である」との結論を導いている。長谷部恭男もこれに賛同して、「抽象的権利説に基づいて司法の介入を求める手がかりとなる具体的な制度が存在しない場合には、この『ことばどおりの意味』における具体的権利説がその役割を発揮する余地がある」(長谷部恭男『憲法』新世社、1996年、270頁参照)と主張する。
(三) 人権であることの否定説
一般的行為自由説を採用する阪本昌成は、自由、すなわち国家の不作為を通じて保障される消極的な自由によって支えられるものだけを人権と称すべきことを主張する。このようなスタンスに立てば、25条以下の権利が人権であることを否定するのは必然の結論ということになろう(阪本著『憲法理論Ⅲ』成文堂刊315頁以下参照)。
「この立場からすれば『生存権』を中心とする『社会権』は、一定の資格・身分を前提としてはじめて保障される権利である以上、人権ではなく、憲法典上の権利または制度化された権利である、と位置づけられることになる」
この考え方の場合にも、類型的にはプログラム規定説的理解となるのではないかと思われる。ただし、阪本昌成自身は、プログラム規定か否かという論争を詳細に紹介しつつ、それよりも25条がどの程度立法裁量を拘束する法力を持つか、という視点を問うことの方が有益であるとする。
(四) 私見
私は、以上の何れとも違う独自の見解を有している。良い機会であるので、簡単に私見を述べておきたい。
私のこの問題に対する考えは、「行政庁が、行政活動を行うことが許されるのはなぜ」かという疑問から出発する。そして、その答えは、行政は主権者の意思の実現だというものである。そして、その主権者たる国民の意思は、国民主権原理の下においては、憲法の保障する人権という形で現れる。したがって、人権の具体的な実現を目指す活動を行政と呼ぶことになる。
ドイツのフォルストホフという学者は、現実に社会国家で展開されている行政を研究し、そこに従来の、自由国家における侵害行政とまったく異なる理念に支配された行政類型を発見し、これを給付行政(
Leistungsverwaltung)と名付けた。そして、この給付行政を支配する理念として生活配慮(Daseinsvorsorge)を主張した。このことを憲法的に見るならば、国民には、国家に対して生活配慮を要求する権利があり、この国民の要求を満たすために行われるのが給付行政である、ということができる。そして、この国家に対する生活配慮請求権を、我々憲法学者は社会権と呼んでいると理解することができる
以上に述べたように、社会権の要求に基づく行政活動を給付行政と考える時、そこでもっとも重視するべきは、それに基づき、国に課される義務の広汎性である。給付行政は一般に供給行政、資金助成行政、社会福祉行政の三つに区分される広大な活動であり、その割合は現実のわが国行政活動のおそらく99%以上に達する。
ここでもう一つ考えておかねばならないことが、社会権全体の中に占める憲法25条の意義である。それは、総論規定であり、社会権における無名基本権規定であると一般に解されている。すなわち、自由権において憲法13条が占めるのと同じ地位を25条は占めているのである。
憲法13条の幸福追求権については、伊藤正己のように、13条のみからは客観的な基準を読み取ることはできないから、抽象的権利性しか認められず、その具体的実現は法律に待たなければならない、とする説もある。しかし、通説的には、むしろ13条から具体的権利性を引き出しうる場合があるとする。引き出す手段を巡って、人格的自律説と一般的行為自由説が対立していることは、諸君も知るとおりである。
このような13条における議論と比較してみると、25条の解釈に当たり、佐藤幸治や芦部信喜などが、かたくなに具体的権利性が認められる場合を一切否定するのはおかしいと言える。近時の学説が棟居快行や長谷部恭男に代表されるように、具体的権利性を承認する方向に動いているのは、その意味で当然である。
同時に、13条の議論でも、例えば情報公開請求権については、一般に抽象的権利性が認められるにとどまり、その具体的実現は情報公開法の制定に待たなければならなかったことにしめされるとおり、一律に具体的権利性が承認されるわけではない。まして、先に述べたとおり、給付行政に属する活動はきわめて広汎であるから、その全体について一律に、その性格を決定することはできないと考える。供給行政の多くは、例えば道路や港湾の整備に向けた行政活動のように、人権の側から評価する場合には、プログラム規定、すなわちその実現の方向に向けて国家として努力する政治的責務があるにとどまり、法的権利性があるとはとうていいうことはできない。資金助成行政の多くは、例えば住宅建設資金や中小企業の事業資金の貸し付けのように、法的権利性を認めることはできるが、抽象的権利にとどまり、それを具体化する法律が存在しない限り、裁判所の救済を求めることはできない。それに対して、社会福祉行政の多くは、例えば本件の生活保護のように、仮に法律が存在しないとしても、国家として健康で文化的な最低限度の生活を送るのに必要な援助を行うべきであろう。
二 生活保護世帯における預貯金
被保護世帯において、生活扶助のために支給する資金を節減して、預貯金などの金融資産を形成することが許されるか否かは難しい問題である。本件事件で国の側がその問題性について、次のように要約している(高裁判決より引用)。
「① 保護費等によって金融資産を形成すると、その間、被保護者は、最低限度の生活を下回る生活を余儀なくされるが、これを容認することは、被保護者が保護を受けながら最低限度の生活を下回る生活を送ることを認めることになり、また、いったん最低限度の生活を下回る生活を送った以上もはやこれを回復する余地はないから、最低限度の生活を保障する法の趣旨に反する結果となる。
② 保護費等によって形成された金融資産は、その原資の性質からすると、それまでに下回った最低生活の回復あるいは維持のために活用すべきであるということができても、これを最低限度の生活に含まれない子弟の高校修学の費用に充てることを認める根拠とはなり得ない。
③ 新たに生活保護を受けようとする世帯に高校修学を予定している子弟がおり、学資保険等の金融資産を蓄財している場合には、その活用が求められ、その保有を継続することが許されないことと均衡を失し、法2条の無差別平等の原則に反する。
④ 仮に新たに生活保護を受けようとする世帯との均衡を図るため、金融資産の保有目的を考慮すべきこととすると、その目的どおりに使用されたかどうかその使途についても問題になるところ、保護の実施機関にとっては、前者の保有目的いかんを識別すること自体に困難が伴う上、金融資産の使途が限定されていない以上、後者の使途の識別については一層の困難が伴うこととなり、不都合である。」
しかし、この国側の、一切の預貯金を認めないとする主張には、高校進学というような問題を抜きにして、通常の生活扶助だけを考えた場合にも、基本的な無理がある。なぜなら、生活保護法31条は「生活扶助のための保護金品は、一月分以内を限度として前渡するものとする」という原則を立てているからである。もちろん、特別の理由がある場合には、「これによりがたいときは、一月分をこえて前渡することができる」とされている。しかし、行政事務の常として、例外的扱いを敏速かつ機動的に行うことは期待できないから、臨時に特別の必要が生ずるときのために、生活保護世帯としては、月々の給付額の一部を貯蓄して、そうした不時の支出に対応する努力をするのは、むしろ法が非保護者に課している義務(法60条)の当然の要請ということができる。
このことから、高裁判決は次のように結論を下している。
「のみならず、憲法25条の生存権保障を具体化するものとしての生活保護制度は、被保護者に人間の尊厳にふさわしい生活を保障することを目的としているものであるところ、人間の尊厳にふさわしい生活の根本は、人が自らの生き方ないし生活を自ら決するところにあるのであるから、被保護者は収入認定された収入はもとより、支給された保護費についても、最低限度の生活保障及び自立助長といった生活保護法の目的から逸脱しない限り、これを自由に使用することができるものというべきである。そうである以上、しかも、実際の生活にも幅があり、支出の節約を図り最低限度の生活を維持しながら保護費等の一部を貯蓄に回すことが可能である(法60条は、被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、その他生活の維持向上に努めなければならないとする。)ことをも考慮すると、被保護者において、支給された保護費等を直ちに費消せず、将来の使用に備えてその一部を貯蓄に回すことも、それが国ないし保護実施機関によって最低限度の生活維持のために使用すべきものとして支給ないし保有が認められたものであるとの一事をもって、許されないものと速断することはできない。」
このように貯蓄を認める以上、結論として、本件事件に関し、高裁、最高裁判所は、揃って次のように述べている。
「法も、保護費等を一定の期間内に使い切ることまでは要求しておらず、被保護者が、使用を留保した保護費等をその支給の趣旨目的に沿う目的を設定して貯蓄した場合には、これによって、なお、保護費等としての性格を失うものではないと解すべきである。」
そして、このようにいったん国が支給した金員を貯蓄することを認める場合には、その貯金を引き出してきた場合に、それを再度収入認定するのにはできないというべきである。その点について、高裁判決は明確に次のように述べている。
「いったん収入認定された収入や支給された保護費は、最低限度の生活を維持するために用いることが前提となっており、保護実施機関がそれ自体を再度の収入認定の対象とすることは許されず、したがって、法4条1項の資産等や、8条1項の金銭等に当たらないものというべきである」
三 教育と生活保護
(一) 教育を受ける自由
本問で問題となっているのは、生活保護を受けている者の教育を受ける自由である。
教育権の主体は、本人である。すなわち、本人が自分の受けるべき教育内容を決定する権利を持つ。すなわち、人はその全生涯にわたって、自らを教育する自由を有する。
ただし、本人が幼児その他の若年者であるため、自分がどのような教育を受けるのが適当かについて十分な判断能力を持たない場合には、親または親権者がその教育内容を決定する権限を持つ(民法820条)。これは家族を基本とする身分権を、人格権の拡張としての人格的共同体と把握した場合に、その必然的結果として導かれるものである。なお、世界人権宣言26条3項は「親は子に与える教育を選択する優先的権利を有する」としている(なお、児童の権利に関する条約5条はより包括的な表現を採用しているが、同趣旨と理解して良いであろう)。憲法26条2項は、逆に親の教育の義務の側から定めているが、これも、その権利性を肯定した上での規定と理解することができる。
本来、教育は私人がその教育の自由の行使として、私人としての立場から行うものであった。これを「教育の私事性」と言い、こうした教育の原点としての教育理念を「私教育」という。家庭内において、親が子に行う躾その他の教育は、その典型である。
教育を受ける自由を個人の力で実現できる範囲には、しかし限界があるところから、社会権ないし生存権的基本権の請求権的側面が現れる。この結果、国として、各人の能力に応じた教育を受ける権利を保障する義務を負うことになる。このように、福祉国家理念の下に、児童生徒の教育を受ける権利を保障するものを「公教育」という。
現行生活保護法には、生活扶助とは別に教育扶助制度が設けられているが、その保護はきわめて手薄なものといわなければならない。同法13条は次のように述べるにとどまる。 教育扶助は、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して、左に掲げる事項の範囲内において行われる。
一 義務教育に伴つて必要な教科書その他の学用品
二 義務教育に伴つて必要な通学用品
三 学校給食その他義務教育に伴つて必要なもの
すなわち、義務教育の範囲を逸脱すれば、教育に対する扶助は行われなくなるのである。当初は、生活保護世帯の子弟が、高校へ進学した場合には、生活扶助さえも行われなくなり、あるいは高校進学のための資金援助を受けた場合には、その額相当額が世帯全員に対する扶助額から減額されるなどの措置が執られた。したがって、生活保護世帯の子弟は、かつては実質的に教育を受ける自由が否定されていたということができる。
その後、徐々に要件が緩和された状況は問題文にしめされているとおりである。しかし、いかに緩和されたとはいえ、上述の通り、高校での費用は教育扶助の対象とはならないのであるから、そのための費用は、生活扶助費その他、本来は教育以外の目的のために給付された生活保護費を節約して、そこから流用しなければならないという基本的状況に変化はないのである。
しかし、憲法25条は、単に健康な最低限度の生活を保障しているにとどまるものではない。同時に文化的な最低限度の生活もまた保障しているのである。そして、同26条は、この文化的な最低限度の保障という言葉の具体化として、能力に応じて教育を受ける権利を保障している。その観点からすると、生活保護世帯の子弟であるという理由にもとづいて、義務教育を限度として、それ以上の教育を受ける自由が実質的に否定されるのは、あきらかに憲法違反と評価されなければならない。
したがって、少なくとも、高校以上の教育を受けるための貯蓄までが禁止された場合には、もっとも社会権(生存権的基本権)の権利性を低く考えるプログラム規定によった場合にも、その自由権的側面については、具体的権利性が承認されるから、違憲と評価するべきことになる。すなわち、先に引用したところであれば、「国家はこれらの権利の実現に努力すべき責務に違反する行動をなすときは、その立法は無効となり、その処分は違法となる」のである。この自由権的側面の具体的権利性は、それ以降のあらゆる学説の承認しているところである。
(二) 学資保険の貯蓄としての性格
本問で問題となっている学資保険は、学資のための貯金と生命保険制度が合体したものである。すなわち、被保険者が高校あるいは大学へ進学するかあるいは社会人として独立する、15歳、18歳あるいは22歳までの期間を目標に貯蓄を行い、満期時貯蓄額に利息が付されたものが交付されるのであって、それ自体は定額預金ときわめて類似した性格を有している。仮に、本問で行われていたのが、定額預金そのものであれば、満期日に満期金の交付があったとしても、それが他からの臨時の収入と見なされるべきものではなく、法60条の定めた義務の履行と評価されるべきである。
学資保険と定額預金の相違は、学資保険の場合には、第一に保険契約者が加入後亡くなった場合などには、その後の保険料は払込みを要することなく、満期金が受け取り可能になるという点である。その点で、漫然と定額預金を行うよりも被保護世帯にとり有利であり、法60条の科している自助努力義務に一層かなったものということができる。
第二に、保険契約者貸付制度により、満期時の還付額の範囲内で資金の貸し付けを受けることができる。したがって、預金を引き出したり、あるいは預金を担保に貸し付けを受ける場合よりも大きな金額を借りることが可能になり、臨時の必要に柔軟に対応できる。また、金利は消費者金融などに比べて著しく低金利であり、特に学資保険の場合、保険契約者の死亡又は重度障害により、保険料の払込みが不要とされることとなった場合には、すでに借りている資金の金利も低減されることとなっているから、その有利さはあきらかといえる。本事件の場合、問題文にもあるとおり、高校進学のため必要になった一時金をこの契約者貸付制度でまかなっており、これもまた、法60条の定める自助努力の顕著な例ということができる。
このように、実質的に預金とその満期金である点を考えれば、これを臨時収入とした扱いは、憲法25条に違反し、無効であることはきわめて明白といえる。
(三) 教育を受ける権利について
本問に関しては、上述のとおり、教育を受ける自由について論じてもらえればそれで十分である。しかし、問題を若干変更して、高校以上の教育に対して、法13条が、教育扶助を予定していないことに関する合憲性を問題とされた場合には、どのように考えるべきであろうか。それについては、独立行政法人日本学生機構(かつての日本育英会)が基本的にはその任に当たっている。しかし、高校で奨学資金を給付されるには、特に優れた学生及び生徒で経済的理由により著しく修学困難な者、というような厳しい条件が存在している。しかし、高校進学率がほとんど100%に達している現状において、被保護世帯の子弟であるというだけの理由で、そのような厳しい条件をクリアしない限り、高校進学を認めないとするのは、能力に応じた教育を受ける権利を否定するものといえる。