救 済 法

甲斐素直

問題

 

X10人は、日本の現状を憂え、これを改革するには革命を起こすしかないと考えた。革命を成功させるためには、日本の治安を乱すことが大事であると考え、交番や派出所で警察官が1人で立哨しているのを発見すると、数人で襲撃し、殴る蹴るの暴行を加えることと決め、この計画に基づいて、○○年1月、A派出所を襲撃し、立哨していた警察官に暴行を加えたのを皮切りに、合計10箇所で同様の事件を起こした。
 他方、C等が日本の現状に対する抗議集会を○○年2月にB市で開催し、これと思想を同じくするX10名は全員がこの集会に参加していた。集会は、次第に過激化し、約300名が隊伍を整え旗、プラカード等を押立て或はスクラムを組み「ワッショイ、ワッショイ」と口々に喚声を発して集団示威行進を開始し、B警察署の前に来るとこれに投石し、構内に乱入して右構内をジグザグ行進をしつつ、施設に放火し、パトカー数台を損壊した。
 この事件で逮捕されたX等は、A派出所等襲撃事件及びB市における騒擾事件の被告として起訴された。

 

X等に対し、A派出所等襲撃事件に対して当初○○年11月に第一回公判が開かれたが、はるかに規模の大きい重大事件であるB市騒擾事件の審理が優先されたため、その審理に費やされた約16年間というものは、A派出所等襲撃事件に関しては全く公判期日が開かれることなく過ぎた。

 

B市騒擾事件の判決が下ったので、改めてA派出所事件の公判期日が指定された。その公判期日において、X等は、憲法371項は、刑事被告人に迅速な裁判を受ける権利を保障しているところ、裁判所の都合により16年余も放置されていたことは、この権利を侵害している。したがって、刑事訴訟法3374号を準用して免訴とするべきである、と主張した。
 これに対し、検察官Yは、次の様に主張した。
 本件公判が著しく遅延したことは認めるが、しかし、現行刑訴法には裁判の遅延から被告人を救済するなんらの規定も見当らない。それ故、裁判が迅速を欠き、そのため被告人の憲法上の権利が侵害されたとしても、場合により係官の責任の問題が生ずるかも知れないが、それだけの理由で免訴ないし公訴棄却の形式裁判により訴訟を打ち切るというような訴訟法的効果を生ずるものとは解せられない。裁判の遅延からいかなる方法をもつて被告人を救済するかは、憲法41条の定めるところに従い、立法により解決されるべき問題であり、法解釈によつてこれを救済する余地はないものといわなければならない。いいかえると、刑事被告人の迅速な裁判を受ける憲法上の権利を現実に保障するためには、いわゆる補充立法により、裁判の遅延から被告人を救済する方法が具体的に定められていることが先決である。ところが、現行法制のもとにおいては、未だかような補充立法がされているものとは認められないから、裁判所としては救済の仕様がないのである。したがって、請求通り公判を行うべきである。

 

X及びYの主張の憲法上の問題点について論ぜよ。

参照条文

 刑法

204  人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

208  暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

 刑事訴訟法

2502項 時効は、人を死亡させた罪であつて禁錮以上の刑に当たるもの以外の罪については、次に掲げる期間を経過することによつて完成する。

 死刑に当たる罪については二十五年

 無期の懲役又は禁錮に当たる罪については十五年

 長期十五年以上の懲役又は禁錮に当たる罪については十年

 長期十五年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については七年

 長期十年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については五年

 長期五年未満の懲役若しくは禁錮又は罰金に当たる罪については三年

 拘留又は科料に当たる罪については一年

337  左の場合には、判決で免訴の言渡をしなければならない。

 確定判決を経たとき。

 犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。

 大赦があつたとき。

 時効が完成したとき。



[はじめに]
 本問は、有名な高田事件(最大昭和471220日=百選[第5版]268頁)を簡略化し、事例化したものである。
 本問は、誰にも論点がつかめるように、かなり平易に作問している。すなわち、Xの主張を見れば、憲法37条が問題になることははっきりしている。Yの主張を見れば、Xの主張を実現するには法律が必要であるが、その法律が存在していないことがはっきりしている。したがって、基本的論点として、「立法の不作為」を論じれば良い、ということは誰の目にも明白なはずである。
 しかし、高田事件は、単に立法の不作為という問題にとどまらず、憲法訴訟論の最重要テーマである救済法に関する最重要な判例である。そこで、本稿ではその点について、ある程度詳しい説明を試みた。
 憲法981項によれば、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」から、本来、違憲判決は、法律や行政行為を無効とすることである。
 確かに、裁判において問題となっている国民の権利が自由権に属する場合には、それに対する規制立法の違憲性を宣言することにより、違憲状態を終局的に解消することができる。なぜなら、憲法において自由とは国家からの自由を意味するからである。換言すれば、自由を制約する立法がある場合、その法を無効として排除しさえすれば、それにより自動的に、元の完全な自由が回復するからである。しかし、それ以外の人権の場合には、このような違憲=無効という論理によっては、違憲である法律の被害者を救済することはできない。そのためには被害者を救済するための新たな立法が必要なのである。
 シャピロ・エステル・華子事件において、東京高裁は原告・控訴人に対し「誠に気の毒なことである」と述べつつも、結論的には次のように判決した。
「憲法によって裁判所に与えられた違憲立法審査権は、存在する規定についてそれが違憲であるかどうかを審査し、違憲と判断したときにはこれを無効として、つまりいわば存在しないものとして、適用しないことを本質とする。ある規定が実定法上に存在しないとき、それがいかに憲法上望ましいものであろうとも、違憲立法審査権の名の下に、これを存在するものとして適用する権限は裁判所に与えられていないのである。」
 これが、本問におけるYの主張(これは高田事件名古屋高裁判決の一部を引用し、修正したものである)と同一のものであることが判るであろう。要するに、違憲立法審査権は、憲法41条との関連において権力分立制を重視する場合には、その効果は立法の無効を宣言することに尽きるのであって、さらに進んで実質的に積極的な立法に属する活動をすることはできないとしたのである。
 このように考える場合には、事情判決の手法を使用して違憲宣言を下すに留まり、実質的な救済は、その違憲宣言に触発されて国会が立法しない限り不可能というのが一応の結論になる。しかし、その場合に、国会が判決を無視して、何もしなかったらどうなるのであろうか。そのような事態が発生した場合には、もう少し積極的な救済を行う余地が認められていない限り、事情判決の強制力が失われるのではないか、ということが論じられる。司法権が有する、その究極的な解決手段を救済法(remedial law)という。

一 ブラウン判決
 救済法を語るとき、米国ブラウン判決を避けて通ることはできない。それは、立法・行政両権が長きにわたって無策であった状況下で、司法権が積極的に介入することで、問題を解決した事件である。そこで、ごく簡単にその概要を紹介しよう。
(一) その前史
 米国合衆国憲法の人権条項は、本来は連邦に対する制約であって、各州の立法を規制するものではなかった。その状況を大きく変えたのが、南北戦争の終了を受けて、南部諸州の立法に干渉する目的で作られた修正13条(1865年)、修正14条(1868年)、及び修正15条(1870年)である。これを受けて、連邦議会は一連の公民権法(Civil Rights Acts)を制定した。その一つ、1875年法は、黒人に対し、旅館、鉄道、船舶、劇場等の公共的施設を白人と対等に利用する権利を保障した。
 これに対し、連邦最高裁は、1883年、この法律を憲法は私人間に適用がないことを根拠に違憲と判決した。これに勢いづけられた南部諸州は相次いで人種差別立法を行った。その一つにルイジアナ州議会が1890年に制定した「乗客の慰安を促進する法律」がある。同法は、鉄道会社に黒人専用車を増結する義務を課し、乗客は白人及び黒人専用車に振り分けて乗る義務を課していた。公民権グループは、祖母に黒人を持ち、その結果8分の1だけ黒人の血を持つプレッシー(Homer Plessy)に依頼して、同法の違反行為を行わせた。彼は外見上は完全に白人であるにも拘わらず、同法に依れば、混血児として黒人扱いになるのである。彼は裁判所で同法違反として300ドルの罰金を言い渡された。ルイジアナ州最高裁は全員一致で同法を合憲としたので、プレッシーは連邦最高裁に上告したが、1896518日、「分離すれど平等"Separate but Equal"」は違憲ではないとして、連邦最高裁も71で合憲とした(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537 (1896))。この判決は、ブラウン事件まで破られることはなかった。
(二) ブラウン判決(Brown v. Board of Education of Topeka, Kansas
 この事件の原告は、カンザス州トピーカ市に住む小学3年生のブラウン(Linda Brown)であった。彼女は、カンザス州法が黒人と白人の通学校を分離することを認めていたため、自宅からわずか5ブロック離れた所に白人の小学校があるにも関わらず、21ブロック(約1.6km)も離れた黒人小学校まで通学しなければならなかった。リンダの父オリバー・ブラウンは娘を近くの白人校に入学させようとしたが、拒否された。そこで1951年に、トピーカ市教育委員会を提訴したのがこの事件である。1953年に連邦最高裁長官に就任したウォーレン(Earl Warren)は、連邦最高裁を率先指揮して、ウォーレン・コートと呼ばれるリベラルな判決で知られる一時代を築いたことで名高いが、その筆頭に来るのが、このブラウン判決である。連邦最高裁判所は1954517日判決において、次のように述べた(第1次ブラウン判決=347 U.S. 483 (1954))。
「この問題に対処するに当たっては、我々は、時計の針を修正14条が採択された1868年に、あるいはプレッシー対ファーガソン判決の書かれた1896年に戻すことはできない。我々は、公教育をその完全な発展と全国におけるアメリカ人の生活の中での今日的位置に照らして考慮しなければならない。このような方法によってのみ、公立校における隔離が上告人から法の平等保護を奪っているか否かを決めることができるのである。」「人種だけを理由に彼ら(黒人)を年齢も資格も同じ他の者から隔離することは、社会における彼らの地位について劣等感を与え、彼らの心にいやしがたい影響を及ぼすかもしれない。」「公教育の分野において『分離すれども平等』の立場は存在し得ず、分離された教育施設は本来不平等である。」
 しかし、影響する範囲が大きいため、救済については引き続き審理する、とした。翌1955531日、連邦最高裁は、黒人生徒を人種的に統合された学校に「適切な速度で(with all deliberate speed)」入学させるために、必要かつ適切な措置を教育委員会にとらせるため、事件を連邦地裁に差し戻す判決を下した(第2次ブラウン判決=349 U.S. 294 (1955))。すなわち、教育委員会は、連邦地裁の指示と監督の下に、適切な速度でそれぞれの管轄区域内の公立学校の人種統合を実現する義務を負わされたのである。換言すれば、裁判所が、立法府や行政府に代わって人種隔離制度の撤廃に向けての推進者としての役割を引き受けたことになる。
 実際には、トピーカ市では地方裁判所の判決後に選挙があり、政治状況に変化が生じていた。その結果、トピーカ市教育委員会では、19538月には学校の統合作業に着手しており、19561月には全ての統合が完了していた。したがって、第2次ブラウン判決が実際に機能を発揮することは、なかったのである。なお、このブラウン事件における原告チームを率いたマーシャル(Thurgood Marshall)は、1967年に米国初の連邦最高裁黒人判事に就任した。
(三) スウォン判決(Swann v. Charlotte-Mecklenburg Board of Education
 南部諸州においては、ブラウン判決の「適切なスピードで」という言葉は絶好の逃げ口上となり、白人校と黒人校の統合は遅々として進まなかった。そこで、全米有色人種地位向上協会(NAACP)は、第2次ブラウン判決の発動を狙った訴訟を計画した。
 北カロライナは穏和な地域で、統合への抵抗も他に比べると弱かったが、それでもシャーロット・メクレンバーグ教育委員会の校区をみると、若干の黒人は白人校に通学していたが、大多数は依然として黒人校に通学していた。そこで、公民権グループでは、6歳のスウォン(James Swann)に訴えを提起させた。スウォンが選ばれたのは、彼の父親が神学の教授であり、地域からの仕返しを受けにくい立場だったからである。地方裁判所は、校区内の白人対黒人の人口比である7129の比率を各学校で実現させるための対策を教育委員会に検討させるとともに、外部の専門家にも検討を依頼した。教育委員会は十分な対案を提出しなかったのに対し、外部専門家はバス通学を提案したので、地裁はこれを採用してして、同校区にある105校に上る学校を人種的に統合するよう命じた(このため、地裁判事は地域から阻害され、彼の事務所や自宅、車は爆破された)。
 連邦最高裁はバーガーコートの時代に入っていたが、この命令の当否を巡る上告審で、最高裁判所は90で、地裁の決定を支持した(402 U.S. 1 (1971))。判決は、問題の地域が第2次ブラウン判決が出た後も、故意に人種隔離を維持し、地裁裁判官の忍耐強い努力にも拘わらず、承認を得られるような独自を案を推し進める明白な義務の履行を怠ったことを強調している。この判決により、全米にバス通学が広がることになる。


二 わが国における救済法
(一) 学説の状況
 ブラウン事件及びスウォン事件におけるバス通学の強制は、裁判所が実質的意味の立法と行政の双方を行使したことを意味する。立法についての救済法を、わが国で導入することはどうなのだろうか。
 これは、基本的には、立法の不作為に関して提起される問題に対応する。立法の不作為を争う方法としては、大きく分けて、通常訴訟による方法と、国家賠償法による方法があった。救済法が問題になるのは、このうち通常訴訟による方法である。そのとき、どのような判決を下しうるかが、ここでの中心問題である。
 わが国では、この問題は、議員定数違憲判決との関連で論じられてきた。前に言及した事情判決が、立法府から無視された場合に、司法府としてどのような対策があり得るかが問題になったからである。
 積極説に立つ代表的な存在として、田中英夫の主張を、その論文「定数配分不平等に対する司法的救済」(ジュリスト83041頁以下)に述べたところに従って紹介しよう。
 わが国現行司法制度、特に違憲立法審査権に関して、米国法の継受という要素を否定する者はいない。そうであれば、米国の司法権に発動可能な救済法も、当然にわが国で可能と考えることができるはずである。それに対する反論としては、米国における救済法は、米国司法府特有の権限に基づくものであり、その点についてはわが国司法は継承していないという主張が存在する。具体的には、救済法は米国裁判所の有するエクイティ上の権限に基づいたものであり、日本の裁判所にはエクイティ上の権限がないからそういうわけにはいかない、といわれることが多い。
 若干補足すると、ここにエクイティとは、衡平法裁判所あるいは大法官裁判所と訳される裁判所の準拠する法の意味である。イギリスにおいて大法官とは、法務大臣のことなので、大法官裁判所は行政処分的な活動を行いうるのである。すなわち、コモンロー裁判所が付与し得る救済が金銭賠償に止まるのに対して、衡平法裁判所は、ある行為をすること又はこれを自制することを直接禁止したり命じたりする権能があるとされる。米国裁判所は、コモンローとエクイティとの融合が大いに進められた以降のイングランド法を承継したので、連邦裁判所とほとんどの州裁判所では、同じ裁判所がコモンローとエクイティの双方を管轄する。それゆえ、原告は、一回の手続でコモンロー及びエクイティ双方の救済を得ることができる。
 田中は、上記問いかけに対して、次のように答える。
「我々が問題とすべきなのは、エクイティという歴史的観念及びそれに由来する制度ではなく、こういう救済手段を裁判所が案出していくことが司法作用の本質に反するものとして許されないと考えるべきか否かという問題ではなかろうか。」
 上述の論文では、記述の順序は前後するが、司法作用の本質について、田中は次のように、救済法は司法権の本質から来る要求であるとする。
「司法についての一つの基本原理は、裁判所は、紛争の解決に直接・間接に資する場合でなければ、訴訟を取り上げるべきではないということである。損害賠償とか差し止め命令とかいった、司法的救済手段の発動が予定されていない場合には、特段の事情がない限り事件を取り上げないというのが、(その法技術的内容は時と所によって異なるが)『確認の利益』が要求されることの基本精神なのではなかろうか。」
 確かに、紛争の終局的解決が訴訟の一つの要件であることは、ほとんど異論のないところであろう。このことから、次のように結論づける。
「こういう角度からみれば、〈裁判所は政治問題については一切判断を示さないのがよいとする立場〉は、違憲と宣言する判決をしても、それが議会によって従われない可能性がかなりあり、その際に有効なエンフォースメントの手段を用意できない以上、空しい確認判決をすることは避けるべきであるという態度をとったものといえる。」
 このように述べて、事情判決のように違憲を宣言した以上は、立法府がそれに従わない場合には、その終局的な解決を司法的手段で実現することを覚悟するのが、司法権の本質に合致すると主張する。
 そして、実質的に積極的立法に該当する活動を行うことについては、次のように述べる。
「今日では、判例による法形成機能という点では、先例の『拘束性』に関するたてまえをはじめ、英米法と大陸法との間に質的差異は存在しない。わが国でも判例による法形成は盛んに行われている。」
と述べて、縮小解釈や拡張解釈、例文解釈などを例に引く。要するに、判例法の形成を肯定する場合には、その限度で実質的立法権を肯定できるとするのである。
 こうして、議員定数違憲判決の場合、裁判所は必要とあらば定数表の作成をすることも可能であると結論する。
 こうした主張は、例えば高橋和之も支持するところである(「定数不均衡違憲判決の問題点と今後の課題」ジュリスト84421頁以下参照)。あるいは芦部信喜も次のように述べて、基本的に賛成であることを明言する。
「私は『裁判所による立法を認めることであり、司法権の本質から来る限界を超える』という批判には直ちに賛同しないけれども、この方法は、むしろ将来効的選挙無効判決との組み合わせの形で用いる方が実際的ではなかろうかと思う。」(芦部『人権と憲法訴訟』有斐閣269頁より引用)
 あるいは、平成5年判決において、園部逸夫判事も、次のように意見を述べている。
「選挙無効判決に併せて、国会に対して、速やかに議員定数配分規定の改正をすることを義務付ける判決をするか、あるいは、当該選挙管理委員会が判決の趣旨に従って再選挙を施行するために必要かつ具体的な方策を示すのでなければ、当該定数訴訟を提起した当事者の権利の救済に何ら資することにはならないと考える。〈中略〉私は、これらの手段を裁判所が案出することが司法作用の本質に反するものとは考えないけれども、諸般の事情にかんがみれば、現在の段階では、その機が熟していないといわざるを得ない。」
 この場合、結論としては法廷意見に賛同しているのであるが、救済法は、少なくとも司法権の本質に反していないと考える点において、ここに紹介した諸説と一致している。
 ここに紹介した諸説に見られるように、救済法はわが国でも可能と考えるのが、今日ではわが国でも多数派になっていると見ることができる。そこでの問題は、上記芦部論文や園部意見に見られるように、それをどの限度で承認し、あるいは限界を超えたとして承認しないとするのか、という基準になる。
(二) 高田事件
 わが国で救済法を語るとき、避けて通れないのが、高田事件判決である。少なくとも、この判決の論理の限度においては、判例も救済法を承認していると考えることができるからである。
 事件の概略を紹介する。被告人は、昭和276月、愛知県瑞穂警察署高田巡査派出所等を襲撃する事件を起こして起訴され、公判が開始されていた。しかし、被告人は、同年7月に起きた大須事件(日本共産党とその傘下団体によるデモ隊が、火炎瓶を投げて警官隊に抵抗し、400人余が検挙され、騒乱罪の成立が認められた事件。デモ隊と警官隊のどちらが先に仕掛けたかが争点となって裁判が長期化した。)の被告ともなったため、大須事件の審理が優先された結果、高田事件の審理が中断した。大須事件の結審は昭和445月になったため、高田事件の審理が再開されたのは、同年6月になってからで、中断期間は15年以上に達した。そこで、弁護人は、再開した第1回法廷において、憲法371項が保障する迅速な裁判を受ける権利の侵害を理由に公訴棄却あるいは免訴による審理の打ち切りを申し立てた。
 第1審裁判所は次のように述べて、これを受け入れた(名古屋地裁昭和44918日)
「憲法に違反する訴訟遅延が生じた場合の被告人の救済方法について現行刑事訴訟法上は何らの具体的な明文規定を設けていないが、そのことから直ちにそのような訴訟遅延に対して裁判所が何らの訴訟法的措置を採らなくてよいとか、採るべきでないということにはならないのであつて、場合場合に応じて、憲法の理念を全うするべく、個個の法条を合目的的にかつ時にはある程度弾力性をもたせて解釈し、もつて妥当なる結論に到達するようつとめなければならない。本件においては、先きに述べた如く、その実体は正しく公訴時効が完成したかの如き効果が発生しているのであり、刑事訴訟法第1条に掲げられた刑罰法令の適正且つ迅速な適用実現の理念は同法各条文を解釈運用する際の指針となるべきものであることを考えると、結局本件においては公訴時効が完成した場合に準じ、刑事訴訟法第337条第4号により被告人らをいずれも免訴するのが相当である」
 これに対して、控訴審裁判所は問題文でYの主張として紹介したところの論理を展開して、Xの救済を拒否した(名古屋高裁昭和45716日)。念のため再録すると、次のとおりである。
「裁判の遅延からいかなる方法をもって被告人を救済するかは、立法により解決されるべき問題であり、法解釈によってこれを救済する余地はないものといわなければならない。いいかえると、刑事被告人の迅速な裁判を受ける憲法上の権利を現実に保障するためには、いわゆる補充立法により、裁判の遅延から被告人を救済する方法が具体的に定められていることが先決である。ところが、現行法制のもとにおいては、未だかような補充立法がされているものとは認められないから、裁判所としては救済の仕様がないのである」
 そこで、被告人側から上告された。最高裁は次のように判決して、第1審を支持した(最大昭和471220日)
「当裁判所は、憲法371項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくても、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。
 もつとも、『迅速な裁判』とは、具体的な事件ごとに諸々の条件との関連において決定されるべき相対的な観念であるから、憲法の右保障条項の趣旨を十分に活かすためには、具体的な補充立法の措置を講じて問題の解決をはかることが望ましいのであるが、かかる立法措置を欠く場合においても、あらゆる点からみて明らかに右保障条項に反すると認められる異常な事態が生じたときに、単に、これに対処すべき補充立法の措置がないことを理由として、救済の途がないとするがごときは、右保障条項の趣旨を全うするゆえんではないのである。
 それであるから、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判の保障条項によって憲法がまもろうとしている被告人の諸利益が著しく害せられると認められる異常な事態が生ずるに至つた場合には、さらに審理をすすめても真実の発見ははなはだしく困難で、もはや公正な裁判を期待することはできず、いたずらに被告人らの個人的および社会的不利益を増大させる結果となるばかりであつて、これ以上実体的審理を進めることは適当でないから、その手続をこの段階において打ち切るという非常の救済手段を用いることが憲法上要請されるものと解すべきである。」
 ここで最高裁判所が導入したのは、法律のない場合には、憲法の直接適用により問題を解決するという手法である。同様に、法律が不存在の場合に、憲法の直接適用により問題を解決するという手法は、河川附近地制限令事件でも採られており、救済法としては確立した感がある。
 ここでは、したがって、立法の不作為論を前提に、に憲法規定を直接適用するための要件が何かを検討すれば良いことになる。


三 立法の不作為

 立法の不作為とは、憲法上、立法府として当然に行うべき立法を行わないことである。あるべき法が存在しないこと、といった方がわかりがよいかもしれない。
 誤解しないで欲しいのだが、憲法が制定を要求している法が存在しないということは、決して直ちに憲法上の問題になるということではない。例えば、憲法96条は、憲法改正の要件として国民投票を要求しているが、つい最近までそのような法律は制定されていなかった。これも間違いなく立法の不作為であり、立法論のレベルでは問題であるが、現実に憲法改正の手続に取りかかりながら、そうした法律が不存在であるがために断念した、というような事態が起こっていないので、国民に具体的な影響を与える問題にはならない。そして、国民に具体的な影響が発生しない限り、付随的審査制の下では、司法審査の問題にはならない。すなわち、本問は、単に立法の不作為が存在しているだけでなく、その不存在に基づいて、人権侵害が発生している、という事態を考えて、始めて問題足りうる。
(一) 司法審査の可能性
 かつては「立法の不作為の問題は、その性質上、政治過程の中で処理されていくべきもので、原則として裁判過程に馴染むものではない」と一般に考えられていた(佐藤幸治『憲法』第3346頁参照)。これは、自由国家理念と密接に結びついた理由である。
 自由国家理念の下においては、立法の不作為は司法審査の対象となる可能性自体を持ち得ない。なぜなら、自由とは国家からの干渉のない状態であり、したがって法律が存在していなければ完全な自由状態を享受できるから、法律の不存在により人権の侵害が発生すると言うことはあり得ないからである。もちろん、これは自由権についての問題であって、国務請求権や参政権については、自由国家理念の下でも、法律の不存在により人権侵害の問題は発生してくるのである。しかし、自由国家においては、その自由を確保するためのメカニズムとしての権力分立制には絶対的なウェイトが置かれる。現に存在する法律に対する違憲審査でさえも、それが消極的な立法としての性格をもつが故に問題視される状況下においては、立法の不作為を司法府が論ずることは、まさに司法による積極的な立法行為を意味するだけに、当然に違憲と判断されることになる。
 しかし、今日の国家の把握として、かっての自由国家から社会国家、福祉国家、積極国家としての把握が通説となるとともに、それに伴う国家任務の増大が認識され、社会的公正を実現するための立法活動が強く要求されるようになったことによって、この観念が司法上、肯定されるに至った。そこで、先に紹介した佐藤幸治は、先に紹介した文章に続けて、「けれども、個人の重要な基本的人権が立法の不作為ないし不備によって実際に侵害されていることが明確な場合には、憲法訴訟における争い方如何によっては、司法審査の対象となりうることがあると解される」と述べている。
 さらに、憲法訴訟理論が深められたことにより、国民の憲法上の権利保護の手法が研究されるようになり、広く認められるに至ったといえる。
 この点を論ずるに当たり、注意を要するのは次の二点である。
 第一に、司法審査を否定する学説(つまり本問
Yのような考え方)は既に過去の遺物である。今日において、そのような立場を墨守する者はいない。したがって、この点を論点でない、とはいわないが、これに力点を置いて論ずるのは誤りである。国家試験レベルであれば、せいぜい23行以上をこの点について使用してはいけない。書いて減点されるわけではないが、これにつぎ込む行数があれば、次項以下に述べる数多くの重要な論点における議論を深めるために投入すべきである。これについて詳しく論じた結果、重要論点を落としてしまえば減点されたのと同じことになる。この点は完全に落としても、以下の議論をしっかりと書けば、問題なく合格答案となる。これはその程度の重要性しか持たない、と認識しておけば十分である。
 第二に、上述のように、社会国家化に伴い、立法の不作為が問題になるようになった、という議論の代わりに、時々社会権で立法の不作為が問題になるように書く人がいる。しかし、「社会国家」と「社会権」とは別の概念である。確かに立法の不作為には、堀木訴訟のように社会権が中心論点となっている判例も多い。しかし、在宅投票制度復活訴訟や衆議院議員定数不均衡是正訴訟)のように参政権ないし平等権が問題になったものもある。さらに、第3者没収(最大昭和371128日=百選[第5版]430頁)や河川附近地制限令事件のように財産権ないし適正手続きが問題になったもの、本問の高田事件のように迅速な裁判を受ける権利が問題になったものなど、自由権が問題になった事件も多いのである。
 このように、あらゆる人権の領域で社会国家概念に基づく国家の積極立法義務は普遍妥当するのであって、社会権だけがこの概念から導かれる人権ではない。むしろ、社会権の場合には、自由権などと違って、国会の裁量の幅が広がるので、立法の不作為という主張を退ける例が多い。
(二) 立法の不作為の実体的要件
 わが憲法は、社会国家理念を基本的に採用しているが、それは権力分立制などに代表される自由国家理念を否定したことを意味するのではない。したがって、この二つの基本的な国家理念の折衷点をどこに求めるかにより、立法の不作為にどのような要件が存在する場合に、司法審査を可能ならしめるか、を論ずる必要がある。
 これをこのレジュメでは、実体的要件と呼ぶことにする。決して実体法上の要件という意味ではなく、後述する司法手続き上の要件と区別するための呼称である。
 これについて、在宅投票制度復活訴訟において、札幌高裁は次のように述べた。
「国会が或る一定の立法をなすべきことが憲法上明文をもつて規定されているか若しくはそれが憲法解釈上明白な場合には、国会は憲法によつて義務付けられた立法をしなければならないものというべきであり、若し国会が憲法によつて義務付けられた立法をしないときは、その不作為は違憲であり、違法であるといわなければならない。」(札幌高等裁判所昭和53524日判決)
 1 憲法上の立法義務の存在
 立法の不作為に違憲性が認められるための第一の要件は、ここに述べられた憲法上の立法義務の存在である。それは憲法の条文に明示されている場合に限らず、黙示、すなわち解釈上明白に認められる場合であっても良い。
 なぜこの要件が要求されるのだろうか。それは、繰り返し強調するが、司法権が実質的意味の立法を行わないためである。国会の行うべき立法の内容が、憲法そのものから明確であれば、裁判所があるべき法律の内容を確定しても、権力分立制を侵したことにはならない。例えば、本問の迅速な裁判を受ける権利の場合、高田事件のような事例の下では、それが侵害されていることは明確なのである。
 2 相当の猶予期間
 第二の要件は、国会が憲法の即して立法を行うための相当の猶予期間の存在である。衆議院議員定数違憲訴訟に関する最高裁大法廷昭和60717日判決(百選[第5版] 338頁)は、そのことを明言した。
 相当の猶予期間が必要なのは、立法は、機械的な作業ではなく、あるべき状態を作り出すために必要な一定の範囲内に存在する選択肢から、何が最善かを検討、審議するために一定の時間が必要であるためである。特に、例えば先に挙げた情報公開請求権のように、その問題について各方面の意見が分かれている場合には、それにかなりの長期間を要するのにも無理のないところがあるからである。これに対して、立法の不作為により侵害されている国民の利益が一義的に決定できる場合には、立法の猶予期間は必要ではない。本問の迅速な裁判を受ける権利の場合、そこに立法裁量の余地はないから、猶予期間を論ずることはないのである。
 相当の猶予期間があった、というためには、それに先行して国会が、違憲状態の発生を認識していなければならない。上記衆議院議員定数の場合には、それに先行して51年の違憲判決などがあったので、違憲状態の発生を認識することが容易であった。マスコミ等で繰り返し違憲状態の発生を論議していたからである。
 これに対して、参議院議員定数不均衡の場合には、むしろ最高裁は衆議院において違憲と認定した状態をはるかに上回っていた場合にも合憲という判決を出し続けた。この結果、平成4年の選挙において、1票の価値に16.5の格差が生じていたことをもって最高裁は違憲状態の発生を認定したが、国会にそのことを認識する契機が存在していなかったことを理由に、立法裁量権の限界を超えるという認定をすることができなかった(最大平成8911日=百選[第5版]340 頁)。それが最大どの程度の期間となりうるかについては、60年最高裁判決から、一般に最大5年間といわれている。