参議院議員定数の合憲性
甲斐素直
問題
(1)昭和22年に最初に参議院議員選挙が行われた時点では、公職選挙法という統一的な法典ではなく、参議院議員選挙法が制定された。同法は、参議院議員総数を250人とし、これを全国選出議員100人と地方選出議員150人とに区分し、地方選出議員については、その選挙区及び各選挙区における議員定数を別表で定め、都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとした。そして、各選挙区ごとの議員定数については、定数を偶数としてその最小限を2人とする方針の下に、昭和21年当時の人口に基づき、各選挙区の人口に比例する形で、2人ないし8人の偶数の議員定数を配分した。
地方選出議員については、昭和25年に制定された公職選挙法の参議院議員定数配分規定は、上記参議院議員選挙法の規定をそのまま引き継いだものであり、その後、沖縄返還に伴って沖縄県選挙区の議員定数2人が付加されたほかは、平成6年公職選挙法の改正まで、上記議員定数配分規定に変更はなかった。
選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は、参議院議員選挙法制定当時は1対2.62であったが、その後、次第に拡大した。昭和52年に施行された参議院議員通常選挙では最大1対5.26に拡大したが、最高裁昭和58年大法廷判決は、いまだ違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示した。平成4年に施行された参議院議員通常選挙では最大1対6.59に拡大したところから、最高裁平成8年大法廷判決は、結論において同選挙当時における上記議員定数配分規定が憲法に違反するに至っていたとはいえないとしたものの、違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていたものといわざるを得ない旨判示した。
これに対し、国会では平成6年に直近の平成2年実施の国勢調査結果に基づき、8増8減の修正を行った結果、最大較差は1対4.81に縮小した。
公職選挙法の平成12年改正により、地方選出議員の定数を6人削減して146人とし、直近の平成7年実施国勢調査結果に基づき調整した結果、最大較差は1対4.79となった。
同改正法の下において平成13年に施行された参議院議員通常選挙では最大較差は1対5.06となったが、これに対し最高裁平成16年大法廷判決は、その結論において、同選挙当時、上記議員定数配分規定は憲法に違反するに至っていたものとすることはできない旨判示したが、同判決には、判事6名による反対意見のほか、漫然と同様の状況が維持されるならば違憲判断がされる余地がある旨を指摘する判事4名による補足意見が付された。
平成16年大法廷判決を受けて、国会では、当面の是正策としては、平成17年実施の国勢調査結果に基づき、4増4減を実施した結果、最大較差は、1対4.84に縮小した。
平成22年に上記改正規定の下での2回目の参議院議員通常選挙が行われたが、この時には最大較差は1対5.00に拡大していた。
最高裁判所平成24年大法廷判決は、「現行の選挙制度は、限られた総定数の枠内で、半数改選という憲法上の要請を踏まえた偶数配分を前提に、都道府県を単位として各選挙区の定数を定めるという仕組みを採っているが、人口の都市部への集中による都道府県間の人口較差の拡大が続き、総定数を増やす方法を採ることにも制約がある中で、このような都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の実現を図るという要求に応えていくことは、もはや著しく困難な状況に至っているものというべきである。」と指摘し、「本件選挙が平成18年改正による4増4減の措置後に実施された2回目の通常選挙であることを勘案しても、本件選挙当時、前記の較差が示す選挙区間における投票価値の不均衡は、投票価値の平等の重要性に照らしてもはや看過し得ない程度に達しており、これを正当化すべき特別の理由も見いだせない以上、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたというほかはない」と述べつつも、結論としては、諸般の事情を考慮した結果、「本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるものとはいえず、本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたということはできない。」とした。
これに対し、国会では平成24年11月に参院については4増4減を実施することにより、最大格差は1対4.75倍に縮小させるが、それ以外の選挙制度そのものについては何も修正しない改正案を可決した。25年7月に実施される参院選から「4増4減」が適用される。
(2) Xは、平成25年7月の参議院議員選挙後に、最高裁判所が違憲状態としたにもかかわらず、最高裁の求める抜本改正を行わないままに行われた選挙は憲法違反であり、無効であるとする訴えを提起する予定である。
Xの訴えの憲法上の問題点について論ぜよ。
[はじめに]
本問で合格答案を書くためには、何が中心論点であるかを正確に把握し、きちんと答案構成をしなければならない。
本問は、参議院議員選挙に関する問題である。したがって、第一に、国会議員選挙に関する一連の論点を取り上げて論じなければならない。第二に、参議院議員選挙が衆議院議員選挙に対して有している特殊性を論じなければならない。この両者が論点であり、第一の論点だけで終えたり、第二の論点に触れても、その特殊性を正当に評価しない限り、決して合格答案にはならない。
では、参議院の特殊性とは何か。憲法は、衆参両院を等しく全国民を代表する選挙された議員から構成されると述べて、第2院に関して、旧憲法における貴族院型や米国憲法における連邦型を排した。しかし、同時に半数改選制を導入し、また、任期において、衆議院よりも5割も長い期間を設定した。したがって、絶対に触れなければならない論点が、この明文で定められている半数改選制を、議員定数の決定に当たりどこまで考慮すべきか、という問題であり、また、任期の長期化に表れている安定性指向が、選挙制度の構築に当たって、どの範囲の立法裁量を国会に認めているか、という点にあることは明らかである。
そして、それがずばり問題になるという点に、本問で取り上げた選挙の最大の特徴が存在している。問題文でも十分に読み取れると思うが、改めてその点を説明しておきたい。本選挙以前の議員定数訴訟では、いずれも前回の法改正後に一定期間経過後に選挙が行われたために、法制定後に生じた人口変化のために違憲状態が発生した、という主張であった。ところが、この選挙の場合には法改正の翌年に実施され、その結果、最大格差は5未満にとどまっている。それに代わって、それしか法改正を行わなかったという、法改正内容の妥当性そのものが問題になっているのである。
諸君の中には、議員定数訴訟の論文に対しては、衆参いずれについても、いともあっさり1対2を超える人口比は違憲であると書く人が往々にしている。しかし、少なくとも、本問の場合には、そのような単純な回答は許されない。どのようにして、というところまでの解答がほしいのである。
今仮に、10年前であれば、文句なしに参議院議員選挙に関する合格答案であった答案を、諸君が正確に記述したとする。しかし、それは、本問に関しては、合格答案ではない。平成16年判決以降の一連の最高裁判所判決が提起した論点に触れていないからである。
国会はこの指摘に全く応えないままに、平成16年7月11日に参院選を実施した。それに対する判決が、平成18年10月4日最高裁判所大法廷判決である。この判決は、基本的には16年判決を継承したもので、新たな論点提起はないが、個々の論点をより深める形の違憲が付されているので、併読する価値がある。
今ひとつ、論文を書く上で重要なのが、これまでも議員定数については、最高裁判所判決が繰り返し下されているということである。その結果、最高裁判所判決では、過去の判決で明言され、特に変更する意思のない点については、その判決を参照と書いて、それ以上の記述を省略することができる。しかし、諸君は、参照と書くわけにはいかない。そこで、上記中心論点にたどり着くまでのすべての論点を取り上げ、論じなければならないのである。
一 主権論と参政権の性格
この問題は、基本構造そのものは高田事件同様、立法の不作為が論点となる。立法の不作為が成立するには、高田事件解説で説明したとおり、権利存在の明確性と立法のための相当期間という二つの要件を議論しなければならない。
しかし、第一の要件の段階で、すでに決定的な違いがある。それは、高田事件であれば、「迅速な裁判を受ける権利」というものが憲法上存在していることは極めて明白だったということである。その結果、その人権侵害にどのような法律効果を認めれば良いか、というだけの単純な議論になる。
ところが、この問題の場合、そもそも憲法がどのような権利を保障しているのか、よく判らない。そこで、まず、それが何かを議論するところから論文は始まらねばならない。
それに対する一応の答は「参政権」という権利が侵害されたというものである。ところが、参政権がどのような権利なのか、という段階で、主権論との絡みから議論が分かれてしまう。すなわち、国民主権論を採れば参政権に関する二元説が導かれ、人民主権説を採れば権利説が導かれる。
問題は、これらの論点をどの程度まで論ずるかである。国家試験本番における論文は、ゼロサムゲームである。限られた時間の中では、あらゆる論点に等しくきちんと論じていくことはできない。そこで、何を書いて、何を切るかの選択に迫られることになる。当然のことであるが、大きく配点されているものを書き、配点の低いものを切るのである。一般に、原点に近いものほど配点が低く、中心論点に近いほど配点が大きい。この結果、答案は三角形に書くのが、すなわち上位の論点はある程度手を抜いて、直接的な論点に近づくほど手厚く書くのが正しい。
したがって、本節で取り上げた論点については、単にその結論だけを述べ、理由を省略する、という戦略があり得る。つまり、単に「国民主権説を支持しているので、二元説を妥当と考える」とだけ書いて、理由を省いてしまうのである。いうまでもないが、このように理由を省けば、その分だけ減点される。だから、それ以上の点数をメインの論点で稼げる自信がなければ、やってはいけない。
ついで、できるだけ簡略に理由を述べるという無難な戦略がある。その場合、第一に主権論について、なぜそれを採用するかの理由が必要であり、第二に参政権論での理由が必要である。
人民主権論を採用した場合に、権利説を導くのは比較的問題が少ない。それに対して、国民主権から二元説に至る記述の場合には失敗する例が多い。往々にして、諸君は、主権論について理由を書きながら、二元説についての理由を省いている傾向を示すのである。上記の通り、論文は三角形に書くという観点からするとどうしても、どちらかの理由を省かないと紙幅が足りなくなるというのなら、上位の主権論の方を省いて、下位の二元説の方はきちんと書く、というのが正しい戦略である。二元論の内容については、本稿では触れている余裕がないので、判っていない人は、各自調べておいてほしい。
二 憲法14条の適用について
ほとんどの人は、前節では国民主権論を根拠に、参政権を二元論的に理解するという議論をすると思われる。以下、それを前提に説明する。
そうなると、高田事件の場合と異なり、国会に広範な立法裁量の余地を認めることになり、したがって確定的に何が権利の内容なのかを言うことはできない、という結論が出てくることになる。
その場合、権利の内容を絞り込む手段として、配分的正義の概念から、「等しいものは等しく」と主張する事になる。つまり、憲法47条に、14条を重ねる形で、参政権の内容を明確にしようと試みることになる。この議論は、かなり中心論点に近づいているので、省くことは許されない。
このあたりの基本的な問題意識を、参議院に関してもっとも古い最高裁判所判決である昭和39年2月5日大法廷判決に依って見てみよう。この判決は、同時に国会議員定数に関する最古の判決である。この判決で、最高裁は次のように述べた。
「憲法43条2項は『両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。』とし、同47条は『選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。』と規定する。すなわち、憲法が両議院の議員の定数、選挙区その他選挙に関する事項については特に自ら何ら規定せず、法律で定める旨規定した所以のものは、選挙に関する事項の決定は原則として立法府である国会の裁量的権限に委せているものと解せられる。〈中略〉そして、憲法14条、44条その他の条項においても、議員定数を選挙区別の選挙人の人口数に比例して配分すべきことを積極的に命じている規定は存在しない。
もとより議員数を選挙人の人口数に比例して、各選挙区に配分することは、法の下に平等の憲法の原則からいつて望ましいところであるが、議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは、選挙人の人口比率であることは否定できないところであるとしても、他の幾多の要素を加えることを禁ずるものではない。〈中略〉前述の如く議員定数、選挙区および各選挙区に対する議員数の配分の決定に関し立法府である国会が裁量的権限を有する以上、選挙区の議員数について、選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であつて、議員数の配分が選挙人の人口に比例していないという一事だけで、憲法14条1項に反し無効であると断ずることはできない。」
この最高裁判決は現時点においても基本的に先例性を失ってはいない。では、この障害を、昭和51年衆議院議員定数違憲判決がどのように超えたかを見よう。
まず第一に、14条の平等権が選挙権にも実質的に及ぶことを論証しなければならない。参政権は、前述のとおり、国民主権原理の下において二重の性格を有すると一般に説かれる。すなわち、人権としての性格と同時に公務としての性格も有するから、他の人権と異なり、平等権の適用があるか否かは必ずしも自明ではないからである。
「憲法は、14条1項において、すべて国民は法の下に平等であると定め、一般的に平等の原理を宣明するとともに、政治の領域におけるその適用として、前記のように、選挙権について15条1項、3項、44条但し書の規定を設けている。これらの規定を通覧し、かつ、右15条1項等の規定が前述のような選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映であることを考慮するときは、憲法14条1項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右15条1項等の各規定の文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれども、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが、相当である。」
この記述でポイントとなるのは、4行目にある「選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映である」という表現である。これを抜きにして、14条の適用を肯定することは難しいのである。こう述べることにより、44条但書は、14条の注意規定であって、14条を排除する趣旨はない、といえるのである。
このように、一応14条の平等規定が適用されることが保障されると考えても、実は、そのことから直ちに1票の価値の同一という結論を引き出すことはできないのである。最高裁判所はいう。
「投票価値の平等は、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。けだし、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みのいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れないからである。」
要するに、選挙制度というものは1種類だけしか考えられないものでは無い。大選挙区制、中選挙区制、小選挙区制、比例代表制など様々な選挙方法を考えることができ、そのどれを採用し、あるいは組み合わせるか、ということは国会の自由裁量に委ねられているのである。
ちなみに、アロー(Kenneth Joseph Arrow)というノーベル経済学賞受賞者がいる。彼がノーベル賞に輝いた業績の一つに「不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)」というものがある。経済学的な表現はややこしいのでここでは紹介しないが、結論的に言えば、完全に民意を反映する選挙制度を構築することは不可能である、ということを厳密に数学的に証明したと言うことである。
だから、高田事件のような厳格さで、どのような選挙制度をとるのが憲法的に正しい、というようなことを裁判所が判決するのは、本質的に不可能なのである。その結果、最高裁は次の様に述べる。
「代表民主制の下における選挙制度は、選挙された代表者を通じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけのものではない。わが憲法もまた、右の理由から、国会両議院の議員の選挙については、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条2項、47条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのである。」
そういうことになれば、特定の選挙制度の下における投票価値の平等ということも、絶対的な要求ではあり得ず、他の何らかの要求により、変更・修正されることもありうるといわなければならない。
「それ故、憲法は、前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それぞれについて他にしんしゃくすることのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的に決定することができるのであり、投票価値の平等は、さきに例示した選挙制度のように明らかにこれに反するもの、その他憲法上正当な理由となりえないことが明らかな人種、信条、性別等による差別を除いては、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解されなければならない。」
しかし、絶対的な要求ではない、ということは、決して軽視して良いと言うことにはならない。その結果、最高裁は次の様に論じる。
「投票価値の平等は、常にその絶対的な形における実現を必要とするものではないけれども、国会がその裁量によって決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することのできる重要な政策的目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならないと解されるのであり、その限りにおいて大きな意義と効果を有するのである。それ故、国会が衆議院及び参議院それぞれについて決定した具体的選挙制度は、それが憲法上の選挙権の平等の要求に反するものでないかどうかにつき、常に各別に右の観点からする吟味と検討を免れることができないというべきである。」
ここから、「衆議院及び参議院それぞれについて」内容の異なる立法裁量論が導かれることになる。
つまり、ここまでは衆参両院選挙で共通に論じなければならない問題である。ここから先は、衆参どちらが出題されているかで分けて論じていく必要が生じることになる。
三 参議院の特殊性
問題文にも記したとおり、参院選挙が開始された時から、1表の価値には差があった。すなわち、選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は、参議院議員選挙法制定当時は1対2.62と、すでに1対2を超えていた。
それまで、わが国には参議院という制度は存在しておらず、したがってゲリマンダリングのような選挙区を既得権者が歪めるというような問題は存在しておらず、理論的にもっとも好ましい形に形成したはずである。それなのに、なぜ1対2以内に格差を収めるよう選挙区を作ることができなかったのだろうか。
最初に紹介した昭和39年判決は、その点について次の様に述べている。
「憲法46条の参議院議員の三年ごとの半数改選の制度からいつても、各選挙区の議員数を人口数に拘らず現行の最低二人を更に低減することは困難であるし、その他選挙区の大小、歴史的沿革、行政区画別議員数の振合等の諸要素も考慮に値することであつて、これを考慮に入れて議員数の配分を決定することも不合理とはいえない。」
今ひとつの問題は、この参議院選挙法を制定するに当たって、歴史的沿革を考慮し、人為的に選挙区を作らず、都道府県をそのまま選挙区とするという立法裁量を行ったことである。
これらが、なぜ1票の価値と関係するのか、具体的数字を使って説明したい。
(一) 解決策その1=議席数を増やす
2010年の国勢調査結果を見ると最大の人口は東京都の13,159,388人に対し、最小人口は鳥取県の588,667人となって、その間に実に22.4倍の格差が存在している。だから、鳥取県に2議席を与えるとしているのだから、東京都には45議席を与えなければ、1票の価値が等しくならない。この計算方式をこのまま単純に日本全体に拡大すると、参議院議員数は435議席程度あれば、ほぼ1票の価値は等しくできることが判る。
しかし、国会議員数がやたらと多いのは、国会の設備や歳費が増大することになるのでやはり問題である。そこで、国会は、その立法裁量として、当初の段階では参議院の地方区選出議員総数を150人に制限し、後にはさらに減らして146人とした。この結果、いま現在、参議院の東京都選出議員数は 10人である(5人宛の半数改選)。これを、上述の鳥取を基準とした理論値と比べると、鳥取と東京の1票の価値には1対4.5の格差が生じることになる(これは全国の両極端からの単純計算なので、実際には問題文の通り、1対4.75となっている。)。つまり、1票の価値を平等にすることは、議員定数さえ自由に増加することを認めればきわめて容易なのである。
例えば、ドイツの場合、いま現在連邦議会議員総数は598人であるが、2012年に実施された選挙結果に対し、ドイツ憲法裁判所が違憲判決を下したので、そのための対策を各党で協議しているが、議員総数を七百人程度にする方向でまとまりそうである。日本の場合、総人口1億28百万人に対し、衆議院議員定数は480人なので、平均すると26万7千人に一人の割で代表者がいることになる。これに対し、ドイツ人口は82百万人なので、598人は13万7千人に一人の割で代表者がいる計算になり、現状でも日本の倍の比率で議員がいることになるになる。
つまり、日本でも、議員定数を増やすことを認めれば、1票の格差を1対2以内にとどめるどころか、1対1に限りなく近づけることさえもきわめて容易である。しかし、議員定数の増加を認めない、あるいは減らしたい、という基本的スタンスの下で、どうしたらよいのであろうか。
(二) 解決策その2=都道府県単位の選挙区をやめる
平成24年最高裁大法廷判決の多数意見は、「都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式を改めるなど」と踏み込んで、現行の選挙制度の仕組みを見直す立法的措置の必要がある旨述べる。
例えば、鳥取1県を選挙区とするのをやめて、隣の島根と合体させて一つの選挙区にするということを考えてみよう。島根県の人口は2010年国勢調査の場合、717,397人なので、鳥取と合体させると1,306,064人となる。これに定数2を割り振ることとし、これを基準に東京都の定数を計算すると20議席という答になる。これは現実の東京都の定数10の2倍であり、したがってこれにより確かに1対2に何とか収めることができそうである。
これに対しては次の様な批判がある。
「従来の都道府県単位の選挙区を合区又は分区して新たな選挙区とした場合には、地域社会の歴史的成り立ちや政治的、経済的、社会的な結び付き、地域住民の住民感情等からかけ離れた選挙区割りとなり、政治的にまとまりのある単位を構成する住民の意思を集約的に反映させることにより地方自治の本旨にかなうようにしていこうとする従来の都道府県単位の選挙区が果たしてきた意義ないし機能が果たされなくなるおそれがある。」(平成18年判決における町田顯長官、金谷利廣、北川弘治、上田豊三、島田仁郎各判事の補足意見)
抽象的で何を言っているのか、ピンとこない人もいるかもしれない。先に挙げた、鳥取と島根が合体するという例で考えてみよう。ここに、いままで島根から当選していた人と、鳥取から当選していた人が立候補したとする。島根71万人、鳥取59万人という人口差から推定すれば、普通は島根県の人が当選するだろう。すると、国政レベルで島根と鳥取の利害が対立するような事態が起こった場合、その議員は多分島根の利益を擁護する。つまり、選挙区の合体とは、鳥取の利益を国政レベルで主張してくれる議員がいなくなってしまうことを意味する可能性が高い。1票の格差の是正の美名の下で、実質的に参政権が奪われる可能性が存在していると言うことである。
それ以外にも問題がある、と上記補足意見は言う。
「憲法の定める半数改選の要請にこたえて偶数配分を行うためには、人口の変動に合わせて合区又は分区を繰り返さなければならなくなり、従来のように参議院が国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能を担うことにより二院制の実効性を高めることが困難になることも考えられるのであって、上記のような選挙区割りが従来の選挙区割りに比して憲法の趣旨により適合する合理的なものであることが明らかであるとまでいうことはできない。」
参議院議員に関する憲法の規定は、任期を衆議院よりも5割も長くし、かつ半数改選とすることにより、長期に安定的な構成が維持されるように定めている。しかし、人口変動に応じて合区又は分区を繰り返さすということは、議員が6年という長い任期を満了した時には、自分を選出した選挙区が消滅しているという可能性が生じることを意味する。それでは、到底安定的に地域の意見を表明することはできないのである。
(三) 解決策その3=奇数配分を認める
平成16年大法廷判決における梶谷玄判事の反対意見は、半数改選制は、偶数配分を要求するものではない、とする。
「各選挙区偶数配分制については、憲法46条は、単に3年ごとに議員の総数について半数の議員を改選することを定めたものであって、投票権の平等原則に反してまで各選挙区において3年ごとに必ず議員1人を選出することを保障したものとは解されない。したがって、参議院議員について、投票価値の平等原則上必要があれば、3年の改選期ごとに同一選挙区における議員の改選数を変え、あるいは議員を選任しないこととしても憲法上何らの問題も生じない。なぜなら各選挙区の人口に比例した数の議員が参議院において活動することによって憲法に定める投票価値の平等原則は確保され得るからである。」
例えば、鳥取県に配分する議員定数を、現行の2から1とする。先に述べたとおり、東京都にはその22.4倍の議席を配分すれば良い。四捨五入すれば22議席ということになる。東京都の現実の議席数10と比べると、1対2.2ということになり、かなり格差が是正されることは判る。
しかし、この結果、鳥取県の有権者は6年に1回しか投票できなくなる。つまり、中間の通常選挙の際には、他の都道府県の参政権者は投票権があるのに、鳥取県だけはゼロとなる。これは、ある意味、究極の不平等なのではないだろうか。
* * *
このように、最高裁が例示しているどの解決策も、抜本的改革になるとは思えない。ここに、国会において、抜本改正の作業が遅々として進まない最大の原因がある。
どのように、この問題の答を構成するかは、諸君の自由であり、何が正解という事はない。ただ、議員定数を変えれば国費負担が大幅に増加し、しないという条件の下で1対2にするためには、こういう様々な制約や問題が発生するというのに、それらを何も考えないで、機械的に1対2以内でなければ違憲であるというような論文は自動的に落第答案と言わざるを得ない。
四 あてはめ
本問の答がどうなるかを考えよう。確かに最高裁判所は、1対5の上下で最大倍率が変動を続けるのは、選挙制度それ自体に問題があり、抜本改正をしろと行っている。しかし、抜本改正とは、日本の戦後史そのものを書き換えるような大きな変動である。その調査、検討、そして結論を下すには、かなりの長期が必要であることは明らかと言える。
24年判決の場合、違憲という判断を下さなかった理由、すなわち、問題文に書いた諸般の事情とは具体的には次の様な点であった。
「当裁判所が平成21年大法廷判決においてこうした参議院議員の選挙制度の構造的問題及びその仕組み自体の見直しの必要性を指摘したのは本件選挙の約9か月前のことであり、その判示の中でも言及されているように、選挙制度の仕組み自体の見直しについては、参議院の在り方をも踏まえた高度に政治的な判断が求められるなど、事柄の性質上課題も多いためその検討に相応の時間を要することは認めざるを得ないこと、参議院において、同判決の趣旨を踏まえ、参議院改革協議会の下に設置された専門委員会における協議がされるなど、選挙制度の仕組み自体の見直しを含む制度改革に向けての検討が行われていたこと(なお、本件選挙後に国会に提出された前記2(6)の公職選挙法の一部を改正する法律案は、単に4選挙区で定数を4増4減するものにとどまるが、その附則には選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行う旨の規定が置かれている。)などを考慮すると、本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるものとはいえず、本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたということはできない。」
同じような状況は、本問で取り上げた25年7月の参院選挙でも存在していること、倍率が5倍を下回っていることも合わせ考えれば、再び同様の判断が下される可能性が高い。
五 私見
冒頭にも述べたとおり、半数改選制は、憲法の要求であるから、これを無視してはならない。その結果、昭和39年2月5日大法廷判決において既に指摘されていたように、各選挙区の定数は、最低で2でなければならないと考える。特定の地域について、6年に1回しか選挙権を行使できないとすれば、それ自体が明らかに14条違反と評価できるからである。したがって、1票の格差を是正する手段は、この24年大法廷判決の多数意見がいうとおり、選挙区を大きくする方法しかないことになる。
しかし、都道府県を基盤とする選挙区を廃止できるかといえば、私は否定的である。単にアメリカやドイツに見られる連邦制型の第二院にとどまらず、フランスやイタリアに見られる全国民代表型の第二院の場合にも、現実の立法においては、一般に第二院の場合には地域代表という性格を強く付与している。理由は単純で、第一院が厳密に人口比例制を導入するほど、それと異なる選挙制度を採用しなければならない憲法上の責務を負っている第二院では、地域代表という性格を付与するのが妥当だからである。仮に第一院が、完全に理想的な人口比例制を採用している場合に、第二院がそれと同じく理想的な人口比例制を採用した場合には、第二院は、第一院の単なるコピーないしバックアップに過ぎないことになるが、それは可能な限り異なる選挙制度を要求している憲法に違反するものであると考える。
もちろん、衆議院と異なる選挙制度としては、地域代表以外にもいくつかの選択肢がある。憲法制定当時予定されていた職能代表制は、その代表的なものである。しかし、現実に採用されている立法裁量が地域代表である以上、そして憲法47条が選挙区や投票の方法について立法裁量権を承認している以上、そのことを前提に議論しなければならない。
そこから先は、地方自治制度論になる。地域の歴史的、文化的、経済的一体性が確保されている結果として、県を超えた広域が、団体自治でいうところの団体としての一体性を有するようになっている場合には、その一体性ある地域を選挙区として設定して悪いことはない。しかし、そのような共通のコンセンサスが成立しているといいうるには、公職選挙法に先行して、地域における議論が尽くされ、例えば、道州制への移行が行われている必要がある。
一体性のない地域を、単に1票の平等のために統合した場合には、結局、その統合地域の代表になるのは、より人口の多い地域の代表者であるはずだから、狭い地域の声は国会には届かず、国政の上で無視されることになる。それでは、国会が全国民の代表者によって構成されているとは言い得ないのである。すなわち、国会に声の届かない地域を作り出すような制度改正は、憲法43条違反と評価しうる。
現在の1票の格差論には、もう一つの落とし穴があると考えている。それは、現行制度の下では、すべての人が2票の投票権を持っているということである。比例代表制の下では、各人の投票権は厳密に1対1の価値を持っており、地域による格差はない。その結果、各人の意見の現実の国政への反映率というものは、比例代表制と選挙区選挙の和の半分になる。すなわち、比例代表制を併用することにより、1票の格差は半分に縮減しているのである。そのことを無視して、選挙区選挙についてだけ論ずること自体が不当なものであると考える。
最後に、より根本的な問題指摘をしておきたい。現行公選法の参院議員に関する規定は、これまで指摘してきたとおり、①偶数配分、②都道府県単位、③1票の価値の平等という3本の柱から成立している。これまでの議論は、①の偶数配分を修正するか、②の都道府県単位を修正するかすることにより、③の1票の価値の平等の実現を目指していた。そこで、生ずる疑問は、逆に①や②を保存して、③を修正するという選択肢はあり得ないのか、ということである。
私はあり得ると考えている。二院制の下で、理論的にも、第1院の議員定数には厳格な人口比例が要求される。仮に、少数意見の何人かが強調していたように、第2院にそれと同様の厳格な人口比例が要求されるとした場合、それは第1院のイミテーションになってしまい、本当には二院制の要求する異なる選挙制度ということにはならないのではなかろうか。第1院が厳格に人口比例を求める以上は、第2院には、本質的にそれとは異なる選挙制度を追求することこそが、二院制の要求と考えるべきではないだろうか。
より具体的には、米国連邦型に類似した地域代表という性格をもつ制度を参議院に導入することは不可能なのだろうか。すなわち、米国上院と同様に、すべての都道府県に、その人口を無視して、一律に同一の議席を配分する(偶数配分制から2議席ないし4議席となるであろう)ことも、私は違憲ではないと考える。厳格な人口比例が要求される第1院が主として東京などの過密地域の意見を強く反映するのに対し、すべての都道府県が同一の発言力を有する第2院は相対的に過疎地域の意見を強く反映することとなり、二つの院全体としては、バランス良く全国民の代表者としての議会たり得ると考える。