国政調査権司法権独立

-浦和事件-

甲斐素直

問題

 夫Aは生業に就かず、自らの全財産を処分して賭博にふけっており、妻浦和充子と3人の子を顧みないため、浦和充子は、前途を悲観して、1948(昭和23)年47日、親子心中をはかり、3人の子供を絞殺したが、自分は死にきれず自首した。

 この妻浦和充子に対し、浦和地裁は「犯行動機その他に情状酌量すべき点がある」として懲役3年・執行猶予3年の判決を下した。

 これに対し、翌年5月から「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」を行ってきた参議院法務委員会は、同年10月、これを「検察及び裁判の運営に関する調査」とあらため、翌年3月、当該事件を取り上げ、被告人である母親や元夫、担当検事らを証人として呼び出し、調査した結果を同年5月「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」の報告書にまとめ、「検察官および裁判官の本件犯罪の動機、その他の事実認定は不満足であり、執行猶予付きの懲役3年の刑は軽きに失し当を得ない」と結論づけた。

 この動きに対し、最高裁判所は、「司法権は憲法上裁判所に専属するものであり、法務委員会が、個々の具体的裁判について事実認定もしくは量刑等の当否を精査批判し、又は司法部に対し指摘勧告する等の目的をもって、前述の如き行動に及んだことは、司法権の独立を侵害し、まさに憲法上国会に許された国政に関する調査、いわゆる国政調査権の範囲を逸脱する措置といわねばならない」として強く抗議した。

 これに対して参議院法務委員会は次のような声明を行った。「国会は、国権の最高機関で、国の唯一の立法機関である。国政調査権は単に立法準備のためのみでなく、国政の一部門である司法の運営に関し調査批判する等、国政の全般にわたって調査できる独立の権能である。司法権の独立とは、裁判官が具体的事件を裁判するにあたって、他の容かい干渉を受けないことで、したがって、現に裁判所に係属中の訴訟事件の調査は問題があるとしても、すでに確定判決を経て、裁判所の手を離れた事件の調査のようなものは、司法権の独立を侵害するものではない」。

 上記に係る最高裁判所と参議院法務委員会の、司法権の独立に関する見解の相違について憲法上の問題について論ぜよ。

[はじめに]

(一) 問題の所在

 浦和充子のおこした事件そのものは、最近話題の児童虐待死とでもいうべき残虐な犯行で、このような犯行に執行猶予をつけるというのは現行憲法の定める個人の尊厳、特に児童の尊厳を無視し、子を親の私物視した封建的発想の判決といわざるを得ない。しかも、判決確定後の、つまりもはや司法権に対する影響の与えようのない時点での調査なので、何が問題なのかといいたくなるような事件であった。しかし、当時国政調査権に関しては、立法の補助権能説が強力に唱えられており、それに基づけば、あきらかに国政調査権の逸脱というべきものであった。それが主たる争点であったことは、参議院の声明に独立権能説が強く主張されていることにもあきらかである。

 そこで、本問における中心論点は、国政調査権と司法権の独立の関係と言うことになる。

(二) 問題の基本構造

 憲法統治機構における基本的問題は、自由主義と民主主義の相克をどう止揚するかという点にあることは、これまでも度々強調してきたところである。すなわち、自由主義の派生原理たる権力分立制は、各権力の独立を求める。これに対し、民主主義は、すべての権力が国民の信託に基づくものであることを根拠に、国会への権力集中を求める。この相矛盾する要求を調和させる手段として、どの限度でどちらを優越させるか、ということが統治機構に関するほとんどの問題での基本的な論点となる。

 本問は、その典型である。

 ある機関が存在すれば、その有する権能の行使を補助する目的で、調査権を有することは当然のことである。例えば、行政機関が生活補助を行おうとすれば、まず申請者の生活が本当に困窮しているかどうかを調査しなければならない。裁判所が判決を下そうとすれば、その判決の基礎となる司法事実や立法事実を調査する必要がある。この様な意味において、国家機関がその有する権能を補助する権能として、調査権を有することは、憲法上にその旨の規定があるか否かを問わず、自明のことと言える。

 そして、このような調査権は、本来有している権能を補助する範囲においてしか行使することができない。例えば、保健所が飲食店の営業を許可するに当たり、調査できることはその設備の衛生状態等に限定され、その飲食店が出店すれば、その付近の飲食店が過当競争に陥るのではないか、というようなことは調査できないのである(警察消極の原則という。)。

 国会が、自らの権能の補助権能として国政調査権を有することは、憲法62条の存在を待つまでもなく、自明である。問題は、それがどのような理由から、どの範囲で認められるかについてである。

 なぜならば、行政機関や司法機関と異なり、国会は、憲法41条において「唯一の立法機関」と「国権の最高機関」という二重の機関性を有している、とされているからである。立法機関を補助する権能としての調査権が存在することは、他の二機関との比較から言っても当然のことである。その場合には、当然のことならが、立法を行うに当たり必要な範囲に調査権は限定される。もし、国会が立法権しか持たないのであれば、本問における最高裁判所の主張のとおり、立法目的が存在しない場合における調査は許されないのは当然である。

 その結果、問題は、41条の規定する今ひとつの地位である「国権の最高機関」という地位を補助する調査権というものも考えることができるか否かである。いま、国権の最高機関という言葉は政治的美称であって法的意味は有しないと考えると、国会の有する法的地位は立法機関性のみと言うことになる。そうなれば、国会の有する調査権も立法の補助権能だけということになる。

 それに対して、国会に「国権の最高機関」という民主主義原理に基づく法的地位があると考える場合には、この最高機関たる地位に伴い発生する法的権能を補助する調査権も当然に肯定することができる。

 後述するように、今日では学説がゆがんでいるが、学説の対立が生じた当初の段階においては、立法の補助権能のみを主張する説を「補助権能説」と呼んだ。それに対し、そのような立法補助の調査からは独立して、国権の最高機関性を補助する目的から国政全般に対して調査権能を有するとする説を「独立権能説」と呼んだ。

 以上の説明から判るとおり、この問題の答案の前半は、我がゼミの入室試験問題である「憲法41条について論ぜよ」という問題の前半と、ほとんど違いが無い。当然、我がゼミ生諸君は楽勝で合格答案を書ける…はずなのだが、現実には残念ながらそうはなっていない。やむを得ないので、このレジュメは、入室試験の解説まで立ち戻ってスタートしなければならない。

一 国権の最高機関

 この問題は、諸君としても一度は説明を聞いて判ったつもりになったことなので、多分要点を聞けば、正確な議論の細部は思い出してもらえると期待し、簡単に述べる。

 わが国憲法が国民主権原理を採用している点については、学説の対立はない。しかし、その国民主権とは何を意味するかについては、人民主権説と狭義の国民主権説が対立している。そして、狭義の国民主権と解する説が通説である。

 狭義の国民主権説を採用した場合、主権者たる国民とは「老若男女の別なく全国民」を意味すると考える。その結果、この意味の国民には国家機関性がない。単に国家機関が正当に存在していることを説明する手段にすぎない。芦部信喜いうところの正当性の契機としての国民がこれである(芦部信喜『憲法』第541頁参照)。

 この考え方の下において、最高の国家機関性を持つ機関は何かというと、全国民の代表者で組織される国会と言うことになる(憲法前文1文参照)。その意味で、憲法41条の文言が正当な表現である事はきわめて明白である。

 ところが、わが国現行憲法は、そのような典型的な国民主権憲法ではない(だからこそ、人民主権説が有力に主張され得るのである。)。すなわち、憲法改正や最高裁判事の国民審査において、その決定権者として「国民」という概念を使用している。そこにいう「国民」は、上述した全国民ではなく、その時点における有権者集団の意味である。そして、この有権者集団は憲法を改正し、あるいは最高裁判事を罷免するという権力を有している。すなわち国家機関である。これが芦部信喜いうところの権力性の契機としての国民である。そして、特に憲法改正における規定を見ると、この「国民」は明らかに国会より上位の国家機関である。したがって、憲法41条が国会を国権の最高機関と呼んでいるのは誤りと言うことになる(このような説明は、どの教科書でも41条や62条では無く、主権論の下りに書かれている。教科書は全体を通して理解しなければならないと、常に強調するのはこのためである。)。

 狭義の国民主権説に立つ限り、ここまでの理解に、学説の対立はない。学説の対立はこの先に発生する。

 第一の考え方は、政治的美称説である。上記のように国民主権原理的に言って、国会が国権の最高機関で無いのだとすると、この規定にはそもそも法的意味はまったく無い、と考える。しかし、そのような結論を下すには、国民主権原理的な可能性以外にも、あらゆる法的意味で、最高機関と考える余地はないと論証する必要がある。そこで、次のように論じる。

「国会は主権者でも統治権の総覧者でもなく、内閣の解散権と裁判所の司法審査権によって抑制されていることを考えると、国会が最高の決定権ないし国政全般を統括する権能を持った機関であるというように、法的意味に解することはできない」

(芦部信喜[第5版]285頁より引用)

 つまり、この引用文は、これ自体として完結している文章では無く、上記のように主権論で展開した議論を、この41条に関して補完した文章なのである。したがって、権力性の契機としての国民に関する議論を抜きにして、この文章だけを記述して政治的微笑説の理由を述べたつもりになると、落第答案と評価される。

 第二の考え方は、国民主権原理的には意味が無いとしても、何か「国権の最高機関」という言葉を使っておかしくない法的権限を有しているのではないかと考え、その可能性を追求した説である。すなわち、上記権力性の契機としての国民という言葉に代表されるように、法学の世界では、本来の語義とは違う意味に言葉が使われることがある。だから、国権の最高機関にも、その本来の語義である「最高の決定権ないし国政全般を統括する権能を持った機関」というもの以外の用法があるのではないかと検討するわけである。

 そうすると、我が憲法は、例えば議院内閣制とか国会中心財政主義のように、明白に立法権とは異なる権能を国会に与えている。そして、これらの権能には、三権機関が相互に対立した際、それを総合的に調整する権能であると考えられる。そこで、憲法41条が国権の最高機関と呼んでいるのは、こうした諸権能の帰属する機関であると考える。これが総合調整機関説と呼ばれる考え方である。

二 諸外国とわが国の沿革

 上述のとおり、議会の調査権は、その活動の当然の要請だから、どこの国でもその権限は認められている。しかし、どのような制度の国で、どのような形で認められるかを知ることは、わが国の制度について議論する際にも重要なことであるので、以下紹介する。

 しかし、当然のことながら、このようなことを諸君の論文のレベルで書く必要はない。つまり、間違っても諸君の答案で外国制度を引用して論じてはいけない。不十分な知識に基づく不用意な引用は、落第答案への近道である。それにも関わらず、これを書くのは、諸君の先輩達の答案で、しばしば外国もそうだから、というような記述が行われるからである。

(一) イギリスの場合

 16世紀に下院が選挙調査を行ったことに始まり、徐々に内閣その他の行政機関の不正行為に対する政治調査、立法準備のための立法調査などに拡大していき、19世紀にほぼ確立した。ただし同国においては、議院内閣制の下、内閣に協力する道具として考えられているといわれ、行政庁を統制する手段としての機能は低い。議院内閣制では、議会の多数派と内閣とが常に一致しているのであるから当然といえる。

 この点、わが国の通説は、議院内閣制という前提から、いきなり行政庁統制手段としての国政調査権を導くが、この議論は少しきめが粗いことが判る。おそらく、後述のドイツ法の理論が混入しているためであろう。

(二) 米国の場合

 憲法には議会調査権に関する規定はなく、黙示の権限(implied power)として考えられた。したがって、憲法上明文で議会の権限とされた権限、特に立法権の補助機能として構成される必要があったのは当然である。同国は厳格な三権分立理念を採用しているので、国政調査の対象は立法府の権限内の事項に限定されることになるから、国政調査権に行政府の監督機能は含まれないものとされている。

 ただし、学説的には立法府の権限とは関係のない独立権限として構成しようとする有力説が存在する。その場合、立法府として、選挙民に対する情報提供を行う義務があるという、政治責任を根拠に構成することになる。わが国最近の少数説の根拠はここにある。

 後述の補助権能説の論者が、アメリカからの継受法であることを、その説の根拠の一つとして書く例が多いが、その場合、立法権のみの補助権能と考えないと、説が矛盾する点を注意するべきである。

(三) ドイツの場合

 プロイセン憲法では、プロイセン1850年憲法81条は「各院は、王に上奏文を提出する権利を有する。」とさだめ、その3項で、「各院は、大臣に上奏文を転送し、その文書に対する情報を求めることができる。」とさだめていた。判りにくい文言だが、これは議会が国王に対して上奏文を提出するにあたり、事実調査を求める権限があるという意味とされていた。そしてドイツ流の考え方では、事実の認定とそれに対する評価は峻別されるところから、この調査権で行政府の活動に対する評価を行うことは許されないとされたため、低調に推移した。

 この点を反省したマックス・ウェーバーは、議会調査権が①行政府統制手段として機能すべきこと、②院内少数者の請求があれば調査権を発動する必要のあること、③調査は公開で行われるべきこと、という3原則を説いた。

 ワイマール憲法及び現行ボン基本法では、これを受けた形で議会調査権に関する規定が置かれた。現行基本法を紹介すれば、その44条で、調査の主体は委員会であること、議員の4分の1以上の請求があれば必ず調査委員会を設けなければならないこと、調査は公開で行われることを原則とすること、証拠調べには刑事訴訟法の規定が準用されること、裁判所及び行政官庁は法律上及び職務上の援助を行う義務を有すること、等を定めている。

 この影響から、わが国では国政調査権を語るとき、前述の通り、一般に行政監督権の補助権能と述べることが多い。そのこと自体に異論はないが、少数意見の尊重というメカニズムが組み込まれていないわが国で、その点を強調するのには無理がある。この点、「調査権の主体」論の一環として後述する。

(四) わが国の沿革

 わが国明治憲法は、プロイセン憲法を継受したが、事実調査委員会については、その設置さえも、議会の行政府に対する侵害になると把握し、意識的に排除した。ただ、議院法(現在の国会法に相当する)においては調査権を承認したが、国務大臣及び政府委員以外との交渉を禁ずるとともに、必要な報告または文書の提出を政府の裁量に委ねていたため、ほとんど実効性を確保することができなかった。

 現行憲法の制定に際し、マッカーサー草案54条では、次のような強力な国政調査権が予定されていた。

「国会は調査を行い、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を求めることができる。これに応じないものを処罰することができる。」

 だが、このように強力な調査権を導入することには日本側に強い躊躇いがあり、ここから処罰規定を削除した形で、62条は制定された。しかし、現行憲法制定直後の第1回国会において、早くもこうした規定の不備が痛感され、昭和22年に議院証言法が制定されるに及んで、ようやくわが国の国政調査権は、出頭や証言に強制力を伴う現在の姿になったのである。

三 権限の性質

 国政調査権の性質については、一で説明したとおり、憲法41条の「国権の最高機関」という文言をどう理解するか、という点にストレートに繋がる形で、二つの大きな学説の対立がある。[はじめに]で簡単に説明したが、再度、少し細かく説明する。

(一) 補助権能説

 41条で政治的美称説を採用すると、62条では自動的に補助権能説を採用することになる。この場合、補助権能を認める国会の権能に関する見解の相違から、権能の内容についての理解は、大きく二つに分かれる。

  1 立法権補助権能説

 憲法41条の最高機関性の法的意味を否定する以上、国会の権能の中心は立法機関であるとして、国政調査権は、法律案及び予算案の審議議決に必要な事項に限定して肯定されるとする見解である。米国の通説・実務に近い立場ということができ、また、イギリスの実務とも近い。継受法解釈が大きな根拠となる。かつては通説であった。予備校答案では、この名残から外国法制に言及する例が多いのだが、以下に説明するとおり、それは間違いである。

 すなわち、国会における実務は、この浦和事件に典型的に見られるとおり、立法権に拘らず、幅広く国政調査権の行使を承認している。このため、この説をとると、現実の国会活動は、憲法制定当初からほとんどすべて違憲といわなければならなくなる。そのため、最近では支持する例を見ない。

  2 全面的補助権能説

 41条の議論を離れて、憲法が立法の外、国会中心財政主義による広範な財政権を認めること、議院内閣制を基礎に広範な行政監督を承認し得ることなどにもとづいて、立法の他、財政や行政に関する幅広い機能の補助機能性を認める見解である。清宮四郎、芦部信喜などが代表的存在で、今日では補助権能説はもっぱらこの形で説かれる。この説をとる場合には、事実上、次に述べる独立権能説との差異はほとんど存在しなくなる。

(二) 独立権能説

 国権の最高機関という文言に法的意味を認めるという場合にも、上記政治的美称説の主張を否定しているわけではない。学説は、国民主権原理を基礎に、国民の直接の代表者によって組織される国会が、権力分立によって分裂した国家活動を総合調整機能を有していると理解する。この総合調整機関のことを憲法が最高機関と呼んでいる、と考えるのである。この場合、この総合調整機能の行使を補助するために国政調査権があると考えられるので、国政調査権は、立法権の補助目的が無い場合にも、それからは独立して行使し得ることを認めることになる。そこで、「独立権能説」と呼ばれる。

 しかし、上記のとおり、国権の最高機関という地位の補助権能として認めているのであるから、その行使によって、他の権力の活動を侵害するようなことは当然許されない。

 補助権能説の根拠として、独立の権能などはない、という式の書き方をして、独立権の右折を批判しているつもりの人がよくいるが、独立権能という言葉は、単に、補助権能説との対比でそう呼ばれているだけで、調査権が完全に独立の権能として存在すると主張しているわけではないので、誤解に基づく批判である。特定の説を記述している基本書だけを読んでいると、他説の内容や根拠についての正確な知識を得ることは難しい。したがって、いつも強調するとおり、他説を批判は危険なのでやめ、ひたすら自説の積極的根拠付けに力を入れるのが正しい論文の書き方となのである。

(三) 国民の知る権利に奉仕する権能説

 昔はこの二説の対立だったのだが、今では第三の有力説が存在している。他説の批判を論文中に書いてはいけないということの、今ひとつの根拠である。すなわち、他説の批判を書くならば、存在するすべての説を批判しなくては意味が無いが、そんなことをしていたら、大変な紙幅と時間を費消することになってしまうのである。

 この説は、国政調査権を、議会権能の補助目的ではなく、国民の知る権利へ奉仕する権利として考える。その結果、主として国民に対する情報提供、世論形成の目的で行使することができると説くのである。この説は、先に紹介した米国の議会調査権に関する少数説をけいじゅしたものである。このアメリカ流の把握をそのまま肯定するものとしては、奥平康弘がある(有斐閣叢書『憲法Ⅲ』)。

 独立権能説に立ちつつ、補足的にこの説を援用する者として、佐藤幸治(第3197頁)がいる。すなわち

「国会は国権の最高機関として国政の中心にあって世論の表明・形成の中心であることが期待されるのであるから、国政調査権の持つ国民に対する情報提供機能・争点提起機能は軽視さるべきではなく、むしろ調査権のそのような機能を前提とした上で、他の政府利益や国民の基本的人権との現実的調整がはかられるべきものと解される。」

 同様の結論を、わが憲法が国民主権ではなく人民主権であるとする解釈に基づいて、これを肯定するものとして杉原泰雄がいる。

四 司法権独立の意義

 本問における今ひとつの大きな論点が司法権の独立である。

 司法権の独立は、二つの視点からとらえる必要がある。

 第一のそれは、個々の裁判官がその職務の執行に当たり、他のいかなる権力・勢力からも干渉を受けることなく、独立してその職務の執行に当たるという視点から論じられるものである。これを特に「裁判官の独立」という。およそ権力の行使は基本的にその担い手である個人に帰着するものであるから、三権のいずれにおいても同質の問題が発生する。立法府の場合には、担い手個人に対する保障は、国会議員の特権という形で議論されることは承知のとおりである。

 第二のそれは、統治の機構における権力分立システムの中における位置づけとしてのそれである。すなわち、司法府を立法府及び行政府と並ぶものと位置づけ、司法権の行使に対する他の2権力府からの干渉を排除する、という視点から論じられるものである。これもまた、基本的には他の2権それぞれについて言われる独立性と同質のものである。立法府の場合には議院の自律権という形で議論されることは承知のとおりである。このような権力機構の対外的独立が承認されなければならないのは、その権力の実際の担い手である個人を真に守るには、単に身分保障等だけでは不十分であるため、さらにその個人の属する組織に、自律制を与え、その組織の力によって守るという二重構造を採用していることを意味する。

 このような意味においては、司法権の独立は、権力分立制を採用する場合に必然的に随伴する現象であって、決して司法権に特有の問題ではない。ただ、司法府が今日において置かれている特殊な立場、すなわち、第1に、日本国憲法の下に置ける裁判所は、主権者たる国民の基本的人権を擁護するための最後の砦として、違憲審査も含めた権限を持つものとして位置づけられていること、第2に、その重要性にも関わらず、民主的基盤を有していない為、相対的に他の2権に比べて弱い立場にあること、第3に法原理機関として、政治的判断を排除した純粋の法原理の追求を使命としているため、その判断に政治的立場からの批判が生じ易いこと、等の要素があるため、特に論ずる必要が発生するのである。

五 裁判官の独立

 裁判官の独立は、職権の独立と身分保障という二つの要素から成立している。職権の独立こそが保障の中核であり、身分保障はそれを制度的に保障するための派生原理である。

 本問で問題となるのは、裁判官の良心の問題である。

 憲法第76条第3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定して職権の独立原則を明らかにしている。ここで問題となるのが「良心」という言葉の意味である。すなわち、現行憲法には今1ヶ所、第19条に「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」と言う規定がある。この19条の良心が、各人の主観的良心を意味することには争いがない。

 通説は、76条に言う良心は、19条のそれとは異なり、「裁判官が適用する法のうちに客観的に存在する心意・精神、いわゆる『裁判官としての良心』を意味する」ものと解する(清宮四郎『憲法I』[第3版]357頁より引用。以下、「客観的良心説」という。)。

 これに対して、憲法というものを統一的に理解する立場から、裁判官に、そのような個々人ごとに異なる主観的良心の自由を、裁判の場で保障したと解する有力な異説がある(平野竜一「裁判官の客観的良心」ジュリスト480号等。田中耕太郎最高裁長官も同旨のことを述べている。以下「主観的良心説」という。)。この説に対して通説は、それを認めるときは、「裁判がまちまちになり、しかも、法を離れて行われる恐れがあるので妥当ではない」(清宮上掲参照)と非難するのが一般的である。

 しかし、これは異説をきちんと理解しないままにをあえて曲解するものである。すなわち、主観的良心説は、本条に従い、憲法及び法律に拘束される事を前提としての良心を説いているので、この説の場合にも、憲法や法律を無視して自己の良心にしたがう事は当然許されないからである。

 換言すれば、両説の相違は、成文法の解釈の基準として主観的良心による事ができるか、と言う問題と、成文法の存在しない領域の問題を解決するに当たって主観的良心というものを法源とできるかという問題の二つの領域で具体的に現れる。この二つは基本的には同質の問題であり、法学の分野ではふつう「条理の法源性」という形で議論されている。条理とは「歴史的、社会的秩序から導き出される道理ないし筋道(高梨公之『民法総則』7頁)」である。

 後者に関する成文法としては、有名なスイス債務法第1条は「法律に規定がないときは、裁判官は慣習法に従い、慣習法もないときには、自分が立法者ならば法規として規定したであろうと考えるところに従って裁判するべきである。」と述べている。すなわち、法規範がない場合に、裁判官は自己の主観的良心に従って裁判してはならないのであって、あるべき客観的法規範と推考されるものに従って裁判しなければならないものとされている。

 このように、近代司法にあっては裁判官の主観的良心はいかなる場合にも法源とはならず、法律がない場合には、いくつかの判断可能性の中から、可及的に法の客観的意味ないし社会が法として支えているであろうところのものを探究し、それに従って裁判すべき職責を担っていると言うべきである。成文法の解釈に当たっていくつかの解釈可能性がある場合にも、また同様に解するべきである。

 このような事から、結論的には通説をもって妥当とするべきであろう。しかしこの理解が、通説の解釈と決定的に違うところは、通説が、裁判官は「憲法及び法律にのみ拘束され」るのであって、「『良心に従い』と言う文言に特別の意味はなくなる(清宮上掲参照)」と解するのに対して、この解釈による場合には、本条は条理の法源性を認めた規定として重要な意味を持つ事になる点である。

 このように良心を理解する結果、「独立して職権を行ひ」とは、その職権行使に当たって、精神的内面的独立を心構えとすべき事を示すものであると解することとなる。

六 司法権の独立の濫用とその防止制度

 裁判所は、上記のとおり、強力な独立性が保障されているが、その結果、裁判所が暴走し、国民の利益に反する行動をとるようになる危険を無視することはできない。例えば、フランスにおいて、パリ大法院は、革命に最後まで抵抗し、旧体制(Ancien régime)の牙城と呼ばれた。これを妥当するためには文字通り、首を切るしかなかったのである。

 また、米国において、大恐慌により危機的状況にある一般国民を救済するためにルーズベルトが採用したニューディール政策に対して、当時の米国連邦最高裁判所が次々と違憲判決を下して、それを崩壊させたことはその端的な例である。特に米国の場合、この連邦最高裁判所の暴走に対して、ルーズベルトが果敢に挑戦し、国民がこれを支持したことから、連邦最高裁は大きく判例を変更した。この事件を、米国では憲法革命(Contitutional Revolution)と呼ぶ。これより前の連邦最高裁をオールド・コートと呼び、以後をニュー・コートと呼ぶ。そして、諸君が学ぶ二重の基準論その他の憲法所訴訟論は、基本的にこのニュー・コートの判例から抽出されたものである。

 そこで、わが国現行制度は、裁判所(裁判官)の暴走により国民の権利が侵害されるのを防ぐため、次のような民主的コントロール制度を用意している。

(一) 最高裁判所に関する民主的統制

  1 最高裁判所判事の内閣任命権(憲法62項)、(791項)。

  2 最高裁判事の国民審査(792項)。

  3 最高裁判所判事の定年制(795項)。

(二) 下級裁判所に関する民主的統制

  1 下級裁判所判事の内閣任命権(801項第1文)。

  2 下級裁判所判事の任期は10年とし、再任されることが出来る(同第2文)。

  3 下級裁判所判事の定年制(同3文)

(三) 裁判官一般に対する民主的統制

  1 公の弾劾制度(78条)(64条)。

  2 国政調査権(62条)。

  3 表現の自由の保障(21条)及び報道の自由

七 司法権独立の侵害可能性

 上記のように、様々な民主的統制の必要を肯定する場合、それら民主的統制手段が即、司法権の独立の侵害につながる可能性を無視することはできない。それは最終的には個々の場合における世論の認識に係ってくることになる。

 そこで、こうした民主的統制手段に関する濫用の危険をどう減らすのかが大きな問題となる。代表的な例を以下に紹介する。

(一) 下級裁判所裁判官の任命

 憲法は、この場合に最高裁判所に名簿作成権を認めることにより、その濫用を防止しようとしている。制度の趣旨に照らし、内閣には実体的な任命権が存在するものと考えられる。すなわち、内閣はなんら特段の理由をあげることなく、名簿掲載の判事の任命を拒否し、新たな名簿の提出を要求することが出来る。ただし、憲法自身が最高裁に名簿作成権を保障した趣旨に鑑み、内閣には、最高裁の名簿を可能な限り尊重する責務が存在している。過去においては、最高裁側は内閣の任命権を尊重して、名簿に任命を予定している者に加えて1名の補欠を登載することとし、他方、内閣は最高裁の名簿作成権を尊重して、本来の候補者をそのまま任命する慣行となっているという。

(二) 下級裁判所裁判官の再任

 制度設立の際に予定されていたところと異なり、裁判所法は法曹一元的な運営を行う代わりに職業裁判官制度を導入した。こうした現実の法制及び運営を前提とする限り、制度の当初に想定されていた名簿登載ないし任命行為の自由裁量を承認することは、裁判官の身分保障を空洞化し、独立性の侵害につながることとなる。したがって、今日の制度の下においては、再任は所定の排除事由に該当しない限り、内閣として行う義務があるとする羈束裁量説が説かれることになる。すなわち、免官、罷免、欠格事由が存在する場合に再任拒否できるのは当然であり、それ以外に、著しく成績が悪いものや弾劾事由に該当すると考えられる場合も含まれるであろう。

(三) 弾劾裁判

 本論に入る前に、吹田黙祷事件について紹介しておきたい。

 日本共産党は、かつては大変戦闘的な政党で、高田事件判決(最大昭和471220日=百選第5268頁参照)で知られる1952年(昭和27年)7月に愛知県名古屋市中区大須で発生した大須事件など、数多くの騒擾事件を起こしていた。その一つに1952624日から625日にかけて、大阪府吹田市・豊中市一帯で発生した吹田騒擾事件がある。この事件は、当時激戦が展開されていた朝鮮戦争に関連して、北朝鮮系在日朝鮮人が、北朝鮮軍を支援すべく、日本各地で反米・反戦運動を起こし、これを日本共産党が支援して起きた事件である。

 1953727日、朝鮮戦争が休戦となった。その2日後729日に行われた吹田事件の公判冒頭で、被告人たちは佐々木哲蔵裁判長に朝鮮戦争休戦を祝う拍手と朝鮮人犠牲者に対する黙祷を行いたいと申し出た。これについて佐々木は「裁判所は止めもしなければ激励もしない、裁判所は中立性を表明する」とした。検察は佐々木の対応を不服とし、保守系議員に働きかけて佐々木を国会の裁判官訴追委員会にかけた。これがいわゆる吹田黙祷事件である。訴追委員会は佐々木の喚問を決定するが、佐々木は裁判の公平性が損なわれるとして拒否し、最高裁判所は、全国の裁判官に宛てた通達において、佐々木の訴訟指揮を「まことに遺憾」としたが、司法関係者による相次ぐ反対のため、喚問は行われなかった。

 このように、憲法の定める弾劾裁判制度においても、司法権の独立侵害の危険性が問題となることがあるのである。

八 国政調査権と司法権の独立

 以上のことを前提として、本問のメインテーマである国政調査権の場合についての議論を紹介する。

 この点に関するオーソドックスな主張を、芦部信喜の述べるところに依ってみてみよう。

「第一に、ワイマールドイツの場合と同様『およそ裁判の内容の批判によって司法権を抑制することは、立法部の権限の範囲内に属しない』(団藤重光)のみならず、第二に、憲法41条によって司法がいかに作用するか調査するなど議会の司法に対する一定のコントロール権限を認めることができるとしても司法権独立の原則に制約されることは先に述べたとおりであり、しかも司法権独立の意義は単に裁判官が法上他の機関の指揮命令に服さないことにあるだけでなく、裁判官の法的確信形成の自由を担保維持するところに実質的意義があること、第三に裁判の内容の当否の審査・批判は裁判所の専権に属する事実認定を云々すること必至であり、裁判の事後審査は判決のみによって行われるべきであること、かような理由によって、いやしくも議院もしくはその委員会が裁判の内容とくに事実の認定・刑の量定等を調査・批判することは、判決確定の前後をとわず違憲の行為と考えるべきだと思われる。」

(芦部信喜『憲法と議会政』162頁)

 これは、欧米の国政調査権制度までも紹介した大変長文の論文の一部で、文中で団藤とか、宮沢と括弧書きした部分は、ここでは手抜きして紹介しているが、原文では、その出典までがきちんと注記されている。

 また、近時、長谷部恭男は、これとは少し角度の違う次のような主張を行っている。

「過去の裁判事件あるいは現に裁判所に継続中の事件についても、裁判所と異なる目的からであればかならずしも訴訟と平行する調査が禁じられるわけではないが、いずれの場合も裁判類似の手続、つまり事実を確定し、それに法を適用して具体的な量刑等を結論するような手続で調査することは、司法権に対する不当な干渉として許されない。」(長谷部『憲法』第5版、343頁)

 このように、浦和事件のような調査は、司法権の独立に対する侵害になると考えるのが我が国の通説であり、諸君として、そのいずれかの説を採用して論文を書いて、何ら差し支えない。

 しかし、私自身は、この問題に関してはこれらとは若干違う異端の考えをもっている。せっかくの機会なので、簡単に説明してみたい。

 先に述べたとおり、司法権の独立とは裁判官の独立の意味であり、裁判官の独立とは、裁判官の良心の自由を意味する。しかし、最高裁判所の主張、そしてそれを是とする芦部信喜等の主張は、裁判官の主観的良心の自由を主張しているのに他ならないのではないだろうか。ところが、芦部信喜も含め、良心の自由とは客観的良心であるという。これは論理矛盾と言うべきであろう。客観的良心、すなわち社会常識は判決に対する健全な批判を通して形成される。そうであるならば、むしろ、国民世論の批判がある判決については、その批判に正面から向き合うのが裁判官の使命と言うべきである。もし、国会の行った批判の内容が不当なものであると考えた場合、それに対する反論をするのは当然に裁判所の使命である。しかし、司法権の独立の名の下に、既に下った判決に対する批判をすべて封殺するのが正しい態度とは到底思えない。

 さらに、最高裁判所の主張は、今ひとつの矛盾をはらんでいる。それは、全く同じ内容の批判であっても、それは立法の補助権能としてならば、許容されると主張しているのに等しいことである。例えば、国会が親による児童の虐待死に対する裁判所の量刑に対して問題意識を持ち、それを是正する目的で、刑法を改正して「卑属殺人」という新たな構成要件の犯罪を制定することは、国会の当然の権能であって、司法権の独立に対する侵害とは言えないはずである。そして、そのような法改正を行うためには、その前提として、児童の虐待死に対して、裁判所がどのような判決を下しているかを正確に調査することは、むしろ国会の責務と言うべきであり、当然に国政調査権に含まれるはずである。そのためには、判決の事実認定や判決の量刑についての調査を、大々的に行う必要がある。つまり、立法の補助権能説に立った場合にも、浦和事件のような調査が肯定される場合は当然にあり得るのである。したがって、芦部信喜の主張するような全面的否定が、国政調査権の本質から導けるとは、私には考えられない。