外国人の在留権
甲斐素直
問題
アメリカ合衆国国籍を有するXは、英語教師として就業するために日本に入国し、それ以降10年に渡り沖縄で中学校教員として生活してきた。その間、Xは、米国の普天間飛行場移設政策は誤っていると考え、それに反対するデモや集会に参加した。ただし、デモは警察の許可を得て平穏に行われ、当然、Xもそのデモ行進したことにより、逮捕されたり、起訴されたりしたことはない。平成○年、在留期間の更新を申請したところ、法務大臣Yは、Xが上記デモ等へ参加したことを理由に、出入国管理法21条3項に言う「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由がある」場合に該当しないとして、更新を拒否した。
X
は、本件拒否処分は、国際人権B規約19条2項、日本国憲法21条1項の表現の自由を侵害すると主張し、在留期間更新不許可処分取消を求めて訴えを提起した。 本件に含まれる憲法上の問題点を論ぜよ。 <参考条文 出入国管理及び難民認定法>第二十一条 本邦に在留する外国人は、現に有する在留資格を変更することなく、在留期間の更新を受けることができる。
2 前項の規定により在留期間の更新を受けようとする外国人は、法務省令で定める手続により、法務大臣に対し在留期間の更新を申請しなければならない。
3 前項の規定による申請があつた場合には、法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。
4 略。
[はじめに]
(一) 問題の所在
外国人の出入国関係の問題は、正直、現在の時点では、判例に依拠して論文を書けば良いと思っている人にとっては少々難問である。なぜなら、近時、それに関する立法が急速に変化しているからである。
憲法判例百選には、マクリーン事件、キャスリーン事件、指紋押捺拒否事件と、外国人関係の判例が載っている。しかし、次の様な理由から、これらの判例は現時点では、そのままは読んで論文を書くことができない。すなわち、
1.マクリーン事件は、昭和53年の最高裁判所判決である。しかし、日本はその翌年、国際人権規約を批准した。この判決の内容は、人権規約違反であるから、したがって、この判例内容のかなりの部分は先例性を失っている。
2.キャスリーン事件は、外国人の再入国の自由を問題にしたものである。しかし、これで問題になった再入国の自由については、2009年出入国管理法改正により、2012年以降は、従来の外国人登録証に代わって在留カードを発行するようになっており、その所持者の場合、みなし再入国許可と言って、出国の日から1年以内に再入国する場合は,有効な旅券と在留カードを所持していれば,自由に何度でも出入国できることとなり、特に事前の手続は不要とされている。この結果、この判決の、先例性はまったく無くなった。
3.外国人登録法の指紋押捺制度は2000年にすべて廃止になった。さらに2009年には上述のとおり、外国人登録法そのものが廃止になった。したがって、指紋押捺拒否に関する判例も先例性を完全に失っている。
つまり、百選のこのあたりの判例は、すべて歴史的資料として載っているに過ぎない。だから、これを同じ形で問題にしてもそもそもその様な法律はない、という解答になって終わってしまう。
ただ、以上に紹介した中で、2及び3の判例は法律レベルの改正があったのに対し、マクリーン事件のベースとなった出入国管理法21条だけは、基本的な変革無しで今も存在している。そこで、今の法律状況の中でも、マクリーン事件だけは、一見した限りでは、まだ適用がありそうに見える。そこで、このように関係諸立法が大きく変化している中で、この判例は今日どのように読むべきか、という点を勉強してみるのは悪いことではない。その様な観点から本問はマクリーン事件をそのまま問題化したものである。
(二) 答案構成のポイント
昔の国家試験では、単に「外国人の人権」というタイトルで出題が行われた。例えば、
外国人の基本的人権保障の範囲と限界について説明せよ。
昭和63年度国Ⅰ行政職試験問題
わが国に在留する外国人の表現の自由及び勤労の権利について述べよ。
昭和63年度国Ⅰ法律職試験問題
といった調子であった。しかし、近年では外国人の人権に対する憲法学的な研究が進んだ結果、そのように大きなタイトルで出題されたのでは、国家試験で受験生に与えられる限られた時間と紙幅で論文をまとめることは到底不可能になってきて、何らかの形で問題の絞り込みが行われるようになってきた。そこで、本問のような具体化された設問が普通になってきた。このような問題の解答に当たっては、その絞り込みがどのような点に向けられているかを把握して、その絞り込みに正確に対応して解答するようにしなければならない。
本問の場合、二つの点で絞り込みが行われている。第一に外国人一般ではなく、わが国で就業するために一時的に(つまり永住ではない)居住している外国人に限定している、という点である。第二に、論ずるべき人権は在留権に限定されている、という点である。
したがって、そのような種類の外国人だけを議論の焦点として取り上げなければならない。外国人一般のような書き方をしてしまうと、その段階で落第答案となる。
一 総論
(一) 国家と国民
国という理念は、近代市民革命の嫡出子である。近代以前においては、ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、国家とは同一人に忠誠を誓う人の集団であった。したがって忠誠の対象となる人が存在をやめたり、あるいは忠誠の誓いをしたものがその誓いを放棄した瞬間に崩壊するような脆弱で一時的な存在でしかなかった。
逆に言うと、逆に、どこの土地に生まれ、また住もうとも、王に忠誠を誓えば、国家の一員と考えられた。アーサー王物語で、イングランド国王の筆頭の騎士に、名前からすると、フランス人であるランスロット・デュ・ラックがいて活躍するのがよい例である。
しかし、市民革命によって近代市民国家が生まれ、国民理念が成立すると共に、この国民という集団に属さないものを、外国人として差別的に扱うことが始まったのである。権利も、近代国家出現以前においては、神の法として、すべての人に平等に適用されることを当然としていたが、近代国家は権利の主体を国民とし、それ以外の者の権利を原則的に否定するにいたった。万民の自由を叫ぶ市民革命が、外国人差別の生みの親というのは、ある意味で歴史の皮肉である。
主権国家概念が確立すると、国内において、誰をどのような基準で国民と扱い、また、国民の中での差別ないし外国人に対する差別をどのような形で行うかは、各国の主権に属する問題と考えられるようになった。したがって、他国の価値観から見た場合には著しい差別ないしは弾圧が行われたとしても、それに対して国際社会がクレームを付けることは内政干渉であって許されないとされるに至ったのである。ベルサイユ条約によって民族自決原則が確立した時から第2次大戦にかけてが、こうした国家概念の全盛期と言える。
しかし、ナチスによるユダヤ人の弾圧や虐殺に代表される全体主義の暴虐を、以上の論理から国際社会が各国の内政問題として黙視したことは、結局、第2次世界大戦の惨禍を招くことになった。この苦い経験から、国際社会は、平和と人権は不可分の関係にあること、したがって人権を各国が国内的に保障するだけでは不十分であることを認識した。このことは、国連憲章が平和維持や大小各国の同権と並んで、人権と基本的自由の尊重の達成を国際連合の目的として掲げている点に端的に現れている。この憲章の定める目標を実現するため、国連では早い時点から国際的人権章典の制定を目指して活動を開始した。それがまず政治的宣言としての世界人権宣言に、ついで法的効力を持つ国際人権規約という形で結実したということができる。わが国は、国際人権規約を1979年(昭和54年)に批准し、それは同年9月に発効している。
国際人権規約は、少数民族又は難民のような特定の集団ないし個人ではなく、すべての個人の人権を包括的に保障することを目的とする。すなわち、内外人平等を含む人間平等を基本理念としている。社会権を対象とするA規約と自由権を保障とするB規約とに分かれている(ちなみに、社会権概念が国際的に確立するのは、このA規約が端緒となる。)。
両者はその実施義務に差異が存する。すなわち、A規約は国家にそれを国内法化する義務を課した条約(Non-self-executing)であるのに対し、B規約はそれ自体が国内法としての効力を有する条約(Self-executing)である。また、A規約は漸進的な実現を義務づけているのに対し、B規約が即時の実施を義務づけている。もっとも、この後者の違いは、発展途上国に対する配慮であって、日本にとっては両者間に差異はない。
したがって、条約について国内法的効力及び法律に対する優位を承認する限り、国際人権B規約が発効した瞬間に、それに抵触する法律等はすべてその効力を失い、判例は先例としての価値を失っている。その結果、冒頭に述べたとおり、マクリーン事件は最高裁昭和53年の判決であるので、今日においては人権規約に抵触する限りで、その先例としての意義は失われている、ということになる。学説に関しても、外国人に関して人権を全面的に否定する説や、否定した上で準用を主張する説などは、規約と矛盾するので、やはりその存在の根拠を意味を失ったものと評価することができるであろう。
しかし、国際人権規約発効後においても、森川キャスリーン判決など、問題のある判決が続き、わが国判例における保守色は必ずしも完全に払拭されたとは言いがたい。しかし、政府は、冒頭に述べたとおり、指紋押捺を廃止し、再入国の自由を実質的に承認するなど、積極的な改革を行ってきている。こうした立法状況の中で、法務省が本問に紹介したような行政処分を行うことはまず考えられないが、講壇事例としては成り立つのである。
(二) 外国人の権利の法源
今日、国際化時代を迎えて、外国人の権利には様々な法源が存在している。大きく分けるならば、国内法と国際法とに分類することができる。
国内法は、憲法を最高法規として、それの下に出入国管理法や外国人登録法等の諸法制が存在している。わが憲法の解釈に当たっては、その基本原理たる個人主義、すなわち個人の尊厳の尊重という原理に照らし、すべての人が人権の享有主体であると考えられる(内外人無差別)。したがって外国人にも日本国憲法の人権保障は及ぶと解される。判例も、非常に早い時点から「いやしくも人足ることにより当然享有する人権は不法入国者といえどもこれを有する」(最判昭和25年12月28日)としてこの理を確認している。
形式的根拠としては、日本国憲法の英文をあげることができる。日本国憲法では、その英文は日本語の翻訳ではなく、正文とされているが、第3章の人権に関するすべての規定は広くpeopleを主語としており、主体を日本人に限定したものとはなっていない。
しかし、フランスやドイツの憲法と異なり、わが国現行憲法は外国人の人権については直接論及していない。このため、外国人に関わりのある法律の解釈に当たって、今日においては、そのよりどころとなるのは、憲法よりは、むしろ、次に述べる国際法の方が重要なものとなっている。
国際法は、確立された国際法規(典型的には国際慣習法)と、わが国が締結した条約とに分類することができる(憲法98条2項参照)。条約は憲法に劣後するのに対し、確立された国際法規は、憲法に優越するという大きな相違がある。例えば、外交官特権と呼ばれる権利は、明らかに憲法14条の平等権に反している。しかし、それがわが国国内で承認される理由は、外交官特権の根拠となった国際慣習法(今日においては国連領事条約という成文法になっている)が、憲法14条に優越すると考える以外に無い。
しかし、国際慣習法は、主権国家の絶対性が強く意識されていた時代に成立したものが多く、その後、国際連合の成立を経た現在の世界秩序の下では、大なり小なりその修正は避けられない。こうしたことから、今日、人権の法源として特に重要なのは、国連が中心となって制定した一連の国際法規たる条約、すなわち国際人権規約、女性差別撤廃条約、児童の権利に関する条約、難民条約などの人権条約である。これらの条約においては、いずれも基本的に、外国人を含むすべての個人に対して平等に人権を保障すべき義務を締約国に課している。
これらは法形式としては条約であるが、十分に多くの国が批准した状況の下では、確立された国際法規とみることができる(大陸棚条約に関するオデコ・S・A事件=東京地方裁判所昭和57年4月22日判決参照)。例えば、わが国憲法21条は、集会、結社、言論、出版という、自らの内心にあるものを対外的に表現する自由しか認めていない。しかし、今日、憲法21条で知る権利を読むのは、国際人権B規約があらゆる種類の情報及び考えを、求め、受け及び伝える自由を表現の自由と定めているからに他ならない。
(三) 権利の性質とその分類
上述のとおり、憲法が基本的に内外人無差別の原則を取り、さらに国際条約がその原則の徹底をはかり、例外をきわめて限定していることは、今日疑問の余地はない。
受験予備校の模範答案などでは「憲法の人権規定は可能な限り外国人にも及ぶべきである」とか「どの限度で外国人に人権主体性が認められるかが問題となる」という式の立論をする例があるが、これは誤りである。これは上記内外人無差別原則とは原則と例外を逆転させた、差別することを前提として、例外的に人権を許容できる場合がある、との発想に基づいており、今日の憲法学においては致命的な誤りと評価される。
したがって、ここで問題となるのは、個々の人権について、例外的に外国人にその保障が及ばない場合があるか、あるとすれば、その範囲及び根拠は何か、という点である。すなわち外国人に人権保障が及ばないと結論する場合には、人権の種別及び外国人の地位の別に、特別の根拠を要求するのである。そうした特別の根拠がない限り、外国人の人権を否定することはできない。いわゆる権利性質説は、このように理解されなければならない。
たとえばマクリーン事件という、国際人権規約をわが国が批准する前に下された判決でさえ、次の様に述べている。
「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきである」
これと、先の受験予備校的表現を比較すれば、その差は明らかであろう。したがって、これよりも外国人の権利を制限的に表現する説は、すべて判例違反であるから、それをカバーするだけの強力に理由を展開しない限り、この段階で落第答案と評価される。
諸君の論文では書く必要はないが、本問以外のパターンで外国人の人権が聞かれた時のために、権利性質説における人権の性質と、外国人と分類の関係を以下に整理してみよう。
第1は、人権そのものの本質が、日本国民であることを、その享受の要件としている場合である。いわゆる参政権がこれに該当するとされる。これが問題になるのは、専ら定住外国人である。彼らは、わが国が国籍法あるいは公職選挙法さえ改正すれば、いつでも日本人となる事ができる、準日本人とも言える存在だからである。
第2は、公共の福祉の要求から制限することが許される場合である。これについては権利の性質に応じて、内在的性質にとどまる場合と、政策的制約も可能な場合が存在する。たとえば、定住外国人が公職、特に管理職に就くことができるか、というような問題の場合が専ら論じられる。
ちなみに、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)25条は、次のとおりに規定している。
すべての市民は、第二条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。
(a) 直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、政治に参与すること。
(b) 普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙されること。
(c) 一般的な平等条件の下で自国の公務に携わること。
このa及びbが参政権であり、cが公務就任権である。国際人権規約の他の条文が「人」を主語にしているのに対して、ここでは「市民」を主語としており、少なくとも、これがすべての人に共通に認められる人権ではなく、自らが市民と認められる国との関係においてのみ、認めうる権利であることを明らかにしている。したがって、外国人に参政権や公務就任権を否定することは、少なくとも国際法上何ら非難される問題ではない。
社会権については、かつては、この基準から制限可能であるとする説が強かったが、難民条約の批准の際、すべての法律から日本人条項が削除され、今日では不法在留外国人でさえも、社会権の主体たり得ることが肯定されている(たとえば不法就労者でさえも労災補償が受けられるという点に関し、判例においても学説においても争いはない。)。
第3は、我が憲法の適用範囲の問題である。すなわち、日本国民には属人主義に従い、その居所が国の内外であるを問わず人権保障が及ぶのは当然であるが、外国人については、属地主義に従い、原則として国内にある者にしか保障が及ばない。一般外国人に関する入国の自由との関係で問題となる。
第4に、主権国家としてのわが国が、国内にある外国人を管理するという観点から許される最低限度の規制が考えられることになる。出入国管理法にいう不法入国者や不法就労者などがここで問題となる。
(四) 外国人の意義
上述した外国人の分類は、人権制限の限界を校正するという意味において、今日極めて重要である。かつては、単純に外国人という統一的な概念を使用して、これに人権が保障されるか、という非常にラフな形での議論が一般的であった。しかし、上述のように原則的には内外人無差別であって、ただ、例外的に権利の性質によっては外国人に保障されない人権があると考える場合、すべての外国人が、それらの権利において等しく問題になることはあり得ない。したがって、ある程度外国人を類型に分け、それに応じて、保障され、あるいは保障されない権利を考える必要があるからである。
通常、外国人とは、日本国籍を有しないものの総称であって、大きく外国籍保有者と無国籍者に分けることができる。しかし、権利の性質から見る場合には、このような分類は意味を持たない。
代わって考えられているのが、①定住外国人、②難民、③一般外国人と大きく三者に分けるというものである。
①の定住外国人は、さらに学問上の概念としての定住権者、出入国管理法上の一般永住権者、日韓条約等に基づく特別永住権者などに分類することができる。一般論として述べるならば、定住外国人については、その生活実態を重視し、可及的に日本国民と同様の人権保障がなされるべきである。主として、参政権など、狭義の国民にしか認められない人権の享有主体性を論じる際に、この概念が使用される。
②の難民とは、国際難民条約において難民と認められるもののことで、いわゆる政治難民のみを意味し、経済難民は含まないとされる。難民については、条約はかなり徹底した内外人無差別=世界主義を要求している。これを受けて、同条約の批准に当たり、わが国では、社会権関連の様々な立法においても、すべて外国人を差別する条文を削除した。難民に該当すれば、本問で問題になっている出入国の自由なども、当然に肯定されることになる。外国にある外国人は、すべて入国の自由が認められないと論じることは、難民条約に違反し、誤りである。
③の一般外国人は、さらに正規の滞在者と不法入国者ないし不法残留者に分けることができる。社会権のうちでも、例えば労災保険などは、不法就労者にも認められる一方、生活保護は正規の滞在者にも認められないなど、実務上、複雑な際がこの領域で発生する。
二 居住移転の自由と外国人
居住移転の自由は、伝統的に政策的制約が行われてきた自由である。それを今日の人権思想の下でどこまで承認できるかが、基本的な問題となる。外国人について特に問題になるものとしては、入国の自由、出国の自由、再入国の自由及び在留の自由がある。この権利を考える場合には、再び、外国人の分類が大きな問題となる。
(一) 入国の自由
入国の自由が問題となる外国人は、一般外国人のみである。定住外国人は、国内にある者のことであるから、入国の自由は考える必要がない。難民には、難民条約上、入国の自由が認められているから、これを入管当局が制限することは考えられない。
外国人が初めてわが国に入国する自由については、基本的に人権保障が及ばないと考えられる。すなわち、冒頭にも述べたとおり、外国人に対する憲法保障の効力は基本的に属地主義によるとみられる(難民のように、わが国の批准した条約により例外的に国際主義を採用しているものを除く)。したがって、未だ入国していない外国人に対しては、この入国の自由を憲法上全面的に認める必要はない。
ただし、国際協調主義(憲法98条2項)を採用するわが国としては、かつての国際慣習法のように、入国許可の判断は完全に入管当局の自由裁量に属するというがごとき、鎖国ないしそれに準ずるような入国管理政策を採ることは違憲である。原則的に外国人の入国の自由を認めた上で、国家の独立と安全を侵すとか、公序良俗に違反するとかの行為にでる恐れがある場合に、例外的に入国を拒否できるに止まると解するのが一般である。
なお、この分野で今日、権利性が承認される特殊な場合として、「離散家族の結集権」の問題がある。すなわち、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」(国際人権B規約23条1項)から、それが国境によって隔てられている場合には、結集する国際法上の権利を有するということができる。特に、児童については、児童の権利に関する条約9条3項において「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重」されることとなっている。したがって、そうした者は基本的に入国の権利を有することとなる。ただし、わが国は、この条約の批准に当たり、これが国の裁量権を否定するものではないとの解釈宣言を行っている。しかし、それにしたがう場合でも、これが自由裁量ではなく、羈束裁量に属し、裁量権が大幅な制約を受けることとなることまでは否定できない。
(二) 出国の自由
国際人権B規約12条2項は、「すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる」と定めて、出国の自由の存在を確認している。したがって、わが国国内においては、すべての日本人がこの自由を有し、また、すべての外国人がこの自由を享受できることは明らかである。
密出国等の場合に、この点が論点となる。これに関して、出入国管理法が出国に当たって一定の手続を要求し、この手続を遵守しない者を密出国として処罰することが問題となる。これについて、最高裁は「本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行うという目的を達成する公共の福祉のため設けられたものであって、合憲性を有する」としている(昭和32年12月25日大法廷判決=百選〈第5版〉4頁参照)。
思うに、出入国管理は、主権国家としての当然の権能であり、管理に必要な限りで制限が発生することもまた当然の帰結である。したがって、国の出入国管理という目的達成に必要な限度における出国の制限は、決して出国の自由そのものを否定するものとは言えない。同時に、最高裁判所も明言しているとおり、これは「すべての人」すなわち、日本人であると外国人であるとを問わずに生ずる制限であって、外国人であるが故に生ずる制限ではないことに、注意するべきである。
(三) 再入国の自由
森川キャスリーン事件等で問題になったのが、この権利である。これに関しては、冒頭に述べたとおり、今日では定住外国人に関する限り、国は規制を実質的に放棄し、その結果、この事件が先例性を失ったのは、[はじめに]で述べたとおりである。
これは、再入国の許可権が、事実上出国の自由の制限として機能していたからである。すなわち、わが国が再入国に当たり、制限的な運用をしていた時代にあっては、定住外国人は事前に法務当局の見解を質すのが普通であった。当時は出入国管理法自体が明確にそれを予定していた。その結果、再入国が許可できないとされた場合は、結局、出国そのものを断念しなければならなくなった。そして、出国の自由は、日本人であると外国人であるとを問わず、すべての人に認められるものであることは、国際人権規約が明定し、わが国最高裁判所も承認するところである。したがって、一般外国人の再入国者と異なり、定住外国人の再入国の自由は、その者の基本的な権利として尊重されなければならないのである。
三 在留の自由
これが本問の中心問題であるので節を改めて論じる。
わが国に生活の本拠を有する外国人や日本人と婚姻している外国人に対しても、かつてはその在留許可の期間は比較的短く設定されていたのが普通であった。その理由について、法務省では「本邦への上陸審査において、上陸許可要件のうちにはその性質上十分な審査が困難なものもあることにかんがみて、許された在留期間内における外国人の在留状況からみて、更に在留を認めるか否かについて再審査する機会を確保する必要があるからである」と説明していた(マクリーン事件における法務省の主張より)。この結果、日本人の妻でさえ、3ヶ月というような極めて短期の在留許可が最初は下り、その後、徐々に長くなるというような運用を行っていた。
しかし、2012年7月9日から新しい在留期間制度が開始された。この制度の導入に伴って、外国人登録制度は廃止されることになった。
この新制度では、対象者には,氏名等の基本的身分事項や在留資格,在留期間が記載され,顔写真が貼付された在留カードが交付される。我々日本人が有する住基カードの外国人版と考えれば良い。さらに、在留期間の上限をこれまでの3年から最長5年とすることや,上述した再入国の自由の大幅な拡大も導入された。
実を言うと、最高裁判所は先に出国の自由に関連して引用した大法廷判決で、「外国人といえども、第22条第1項の居住の自由の保障の結果、合理的な理由の存しない限り、ひきつづき在留を求める権利がある」としていたのである。
「なぜなら、第一に在留期間更新時には入国許可申請時とちがつて、外国人はわが国の統治権に服し、憲法で定める基本的人権を享受している。第二に、新規入国の場合には、入国しようとする外国人の人柄もわからず、日本に生活の本拠をもたず、入国後の行動にも不安があるが、期間更新の時点では、人柄もわかつており、日本に生活の本拠を有し、また退去強制事由に触れるようなこともなく、長期にわたつて日本の社会に平穏に居住している者は日本国の安全を脅やかしたり、福祉を妨害したりしない者であることが実証されている。第三に現実の在留期間が在留目的に比し、著しく短く一律に決められ、従つて期間更新が数度にわたり認められることが原則となつている実情のもとでは、外国人は数度の期間更新を期待して在留を開始し、それなりの生活基盤を日本国内で築くのが普通である。以上の点に鑑みれば、在日外国人としては、憲法第22条1項により、公共の福祉に反しない限り、在留目的に照らして合理的な期間内は在留期間の更新を受けることが保障されているというべきであ」るからである(最高裁判所昭和32年6月19日大法廷判決)。
したがって、出入国管理法21条3項の文言にもかかわらず、法務大臣の裁量権は羈束裁量である事は明らかである。
そこで、問題となるのが、マクリーン事件の事実関係で、法務大臣の決定は、羈束裁量権の範囲にあるか否かである。最高裁判所は、次の様に述べて肯定した。
「上告人の在留期間中のいわゆる政治活動は、その行動の態様などからみて直ちに憲法の保障が及ばない政治活動であるとはいえない。しかしながら、上告人の右活動のなかには、わが国の出入国管理政策に対する非難行動、あるいはアメリカ合衆国の極東政策ひいては日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に対する抗議行動のようにわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものも含まれており、被上告人が、当時の内外の情勢にかんがみ、上告人の右活動を日本国にとつて好ましいものではないと評価し、また、上告人の右活動から同人を将来日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者と認めて、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、その事実の評価が明白に合理性を欠き、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえず、他に被上告人の判断につき裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在が確定されていない本件においては、被上告人の本件処分を違法であると判断することはできないものといわなければならない。また、被上告人が前述の上告人の政治活動をしんしやくして在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないとし本件処分をしたことによつて、なんら所論の違憲の問題は生じないというべきである。」
しかしながら、この判決は、その翌年に批准された国際人権B規約のうち、第一に、19条の保障する表現の自由と真っ正面から衝突するものといわなければならない。同条は次の様に定めている。
1
すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。2
すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。3
2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
分解的に説明していくとこうなる。第一に、本問のXには「国境とのかかわりなく」表現の自由がある。だから、日本に来たことを理由に、Xの表現の自由を抑制することは認められない。そして、第二に、Xのデモ行進は静粛に行われ、何の問題も起こしていないのであるから、それが「他の者の権利又は信用」を侵害したわけでも、「国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」を侵害したわけでもない。確かに、米国人も米国の政策に反対しているということは、わが国国内における米軍基地反対闘争を勢いづかせる効果を持つから、マクリーン事件で最高裁判所が述べたように「日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえない」かもしれない。しかし、表現の自由が、そのような漠然とした「おそれ」などで侵害されることが許されることはあり得ない。
そして、第二に、外国人の在留権は、昭和32年判決で最高裁判所自身が明言しているように、居住移転の自由の現れである以上、国家が恣意的に侵害することは許されない。国際人権B規約12条は、次の様に定めている。
1
合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する。2 すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。
3 1及び2の権利は、いかなる制限も受けない。ただし、その制限が、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、かつ、この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は、この限りでない。
4 何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない。
すなわち、外国人の在留権の制限は、「国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要」である場合に限られるのであるが、単なる「おそれ」は、このいずれに該当するともいうことはできないのである。
この結果、今日においては、マクリーン事件と同じ基準による外国人の在留期間の制限は許されないということができる。これが冒頭に述べた、マクリーン事件の先例性が、国際人権規約の批准により失われた、という意味である。