12期生(4年生)
 

 

小説の映像化ということについて

                                  伊藤 寿彦

 寒さが徐々に厳しくなり、今年もゼミ誌の季節がやってきて、「また一年が経ったのだな」ということを改めて実感します。今回は、「小説の映像化」について書いてみたいと思います。ここに一冊の文庫本があります。三島由紀夫作『豊饒の海(一)春の雪』という小説です。この小説、有名なのでご存知の方も多いかと思いますが、三島由紀夫が生涯の最後に執筆した長編小説『豊饒の海』の第一巻にあたる作品です。そして今年、この小説が映画化され、監督に『世界の中心で愛を叫ぶ』で有名な行定勲さん、女優の竹内結子さん俳優の妻夫木聡さんなどが出演し話題を呼んでいる。当然、“映画好きの私”も公開当初から見に行こうとは決めていたのだが、今回この映画を見に行くにあたってある“試み”をしてみた。「公開に先立って、原作となる小説を読む。」という“試み”である。もちろん、このような“試み”は見る前から結末を知ってしまう事になり映画鑑賞の醍醐味を失わせることになりかねないのだが、以前から私は文学というものに一応の価値を認めながらも、心のどこかで「人は何故、文学作品に惹かれ、小説を読むのか?映像技術が発達した今日、映画やドラマで見れば充分なのではないか?」という疑問を持っていたので、敢えてこのような“試み”に打って出たのである。

そして、偶然にも1125日という三島由紀夫が割腹自殺したその日に私は映画を見に行った。見終わってすぐに私の考えは少し違ったと感じた。 特にこの『春の雪』という作品については、「文学と映像は違うのだ」と言う事が如実に表されていたと思う。

特に感じた事は、当然なのだが、小説を「映画化」することは、作り手の都合や時間という枠に制約される分、監督、その他の「解釈」がそこに入ってしまうということだ。それが、良いか悪いかは別にして、少なくとも小説には読み手にある程度の「想像」が許されている。しかし映画ではこの部分を作ることが決定的に難しい。小説において「想像」許された部分は映像化により監督、その他の「解釈」によって埋められ、つじつまが合わせられてしまうのである。 このことから、映画は想像力を必要としない分、難解な小説が視覚を通じてすんなりと自分の中に入ってくる為、楽で分かりやすいのだが、実際にその小説を、自らその世界や登場人物の内心を想像しながら読み進めた時に比べて、小説の“味”が変わってしまうと感じた。映画ではカットされてしまう、一見すると何気ない一文や、無意味とも思われてしまう情景描写が、小説全体において如何に重要かを感じさせる。特に、三島由紀夫の文章はそれら一つ一つが緻密に計算されて全体の美しい世界をなしていたのだという事を私は痛切に感じた。 今回の“試み”を通じて、私は「小説には読み手にある程度の「想像」が許されている。」と言う事が小説最大の醍醐味であるのだなという事を感じたのだ。

さて、今、私は『豊饒の海(二)奔馬』を読んでいる。 映画は『春の雪』で完結という形をとっているが、本当は『春の雪』でのある登場人物の最後の一言が続編において非常に重要な意味を持つのだが、それも読まなくては味わえないのである。

《コメント》

確かに、映画の原作を、映画を見る前に見るか、後から見るかは難しい問題です。一般論としては、原作がよい作品であればあるほど、先に原作を読むべきだと思っています。

例えば、山本周五郎の傑作『赤ひげ診療譚』を読む前に、私は黒沢による映画化を見てしまいました。おかげで、赤ひげを読んでいても、三船俊郎や加山雄三のイメージがちらつき、私自身としての赤ひげのイメージを持てずにいます。

また、トルストイの傑作『戦争と平和』の場合だと。原作があまりに大部すぎるため、かなり長い映画化の場合でも、所詮は原作のダイジェスト版であるため、原作を読んでいないとストーリの流れそのものが理解できないのではないでしょうか。

逆に言うと、映画のできがよい場合には、むしろ原作は読まない方がよいかもしれません。風と共に去りぬの場合がそのよい例で、私はビビアン・リーのイメージを大切にしたいので、未だにミッチェルの原作には手を出していません。

           

 

ジブリの作品が大好きです

正田 智恵子

 

なんか、毎年このシーズン、ゼミ誌に何を書いたら良いか悩んでいる気がしています。

そして毎年どうでもいいことを書くのです。今年もすでに締め切りを過ぎていて、ゼミ誌係の方に多大なるご迷惑をおかけしていることをこの場を借りてお詫びします。

 

 「あなたの好きなジブリの映画にランキングをつけて上位3つまで教えてください。」

という問いを投げかけられたら、私は、 

1位 風の谷のナウシカ

2位 千と千尋の神隠し

3位 となりのトトロ

と答えます。ちなみにこの後は、風の谷のナウシカについて書くつもりです。

 

1 風の谷のナウシカ

 本当に好きな作品です。ランキングを友達に聞いて、もしナウシカが1位と言われたならば、それだけで15分は語り合ってしまうことでしょう。ちなみに、メーヴェは今でも秘かに欲しいと思っている乗り物です。そして好きな理由ですが、ナウシカがカッコイイところと、内容が深いところです。映画だとそれほどでもないですが、コミックだと生命ついて熱く語っていたりします。あまり書いてしまうとネタばれになるので、ナウシカに出てくる蟲が苦手でない方は是非読んでみてください。好きになれなくても、深いなぁ・・・と思われることでしょう。

 話は変わりますが、ジブリの三鷹の森にも一度友達と行きました。

 となりのトトロと天空の城ラピュタが好きな方はいっても面白いと思います。

 大きなネコバスのぬいぐるみ(子供しか遊べないけど)と屋上にたぶん原寸大のラピュタのロボット兵が佇んでいることでしょう。

ちなみに、建物の構造が冒険心をくすぐるものになっています。

 

《コメント》

私もジブリの作品が好きです。そして、『風の谷のナウシカ』がやはり一番できがよいと思います。作家の原点は常に処女作にあるということのひとつの表れでしょう。しかし、2位、3位になると、少し意見が違います。やはり、宮崎さんの作品の良さは飛翔感にあると思いますから、『ラピュタ』を2位にはあげたいところです。『千と千尋』の場合、この売りを無理矢理話に押し込んで、最後にちょっとだけ空を飛ばしますが、後はよけいなサービスだったように思います。その点を除けば好きな作品なのですが…。『となりのトトロ』は、いかにもぬいぐるみ的なとろろや猫バスの造形が、コマーシャリズムに迎合している感じのあるところが嫌なのでで、基本的な情景そのものは好きですが、ランキングには入れたくありません。ジブリという言い方をして、宮崎さんに限定していないので、3位には、むしろ『おもひでぽろぽろ 』なんかを加えたい気もします。

私は、時々消防大学校から頼まれて講義に行くので、そのときに三鷹駅で降ります。すると、ジブリの森の看板が目に入ってきて、一度行ってみたいと思っているのですが、まさか講義をさぼっていくわけにも行かず、未だにいけずにいます。だいたい、あそこは予約が必要なんですよね。

 

 

               

少数派??          

細川 真代         

私は観葉植物が嫌いです。単に見る分にはどうってことないのだけれど、自分の部屋にあるのは許せない。何が嫌か、考えてみたけれど、気持ち悪いとしか言いようがない。土が部屋にあるって状況が嫌。虫が出てきそうなところも嫌。木のチップみたいなのでも気持ち悪い。なにより、自分以外の生き物がずっと部屋にいるって状況が不気味。しかも自分からは動かないし。植物が歩き出しでもしたらもっと嫌だけど・・・とにかくダメなものはダメ。部屋に置きたくないものなんです。

  生物じゃなければいいか、というと、そうでもない。造花の類なんか、もう、できれば関わりたくない。不自然極まりないじゃないですか!飲食店とかで飾ってあると、なんとなく居心地が悪くなる。100円均一のタグが造花に付いたままの店とかさ、もういっそ飾らない方がマシと思ってしまうわけですよ。

  あと、木目調の電化製品(オーディオとか)も嫌。何であえて木目調?本当に需要があるのか疑ってしまう(持っている方々、ごめんなさい。私は苦手なのです)。電化製品といえば、先日電車の中で見たのですが、某電気店の紙袋が丸太を積み上げたデザインになってました。それもなんとなく落ち着かない。なんで?電気屋でしょ?みたいな。どうも違和感があるんです。

  そして忘れもしない、小学校の卒業記念品。ドングリの苗木でした。私にどうしろと?植木鉢からひょろっと一本、数十センチのドングリの木・・・というか小枝。未だにありますよ。もちろん部屋には入れたくないので外に。数枚しかない、小さな葉を紅葉させてます。生きていると思うと捨てられない。明らかに私にとっては手に余る存在なのに、生きているが故に取り除けない、このしっくりこない感じ。きっとこのドングリが私の観葉植物嫌いを作ったもとなのでしょう。

  こんな私ですが決して植物が嫌いなワケじゃない。木は木で、花は花で、私の部屋になければいい。見たければ木や花があるところに行けばいいんだし、そもそも道を歩けば植えられている。わざわざ部屋で育てなくても十分に楽しめる。そう思うのです。

  以上、ささやかな自己主張でした。

 

《コメント》

 造花のたぐいが不自然だから嫌い、という点は全く同感。ついでに言えば、もう生き延びる見込みがないという点で、切り花も嫌いです。そういうものを部屋に飾る趣味はありません。しかし、鉢植えとなると話は別。私は、東京生まれの東京育ち、それも中央線荻窪駅前の商店街という日本で一番規模の大きな商店街にある家で育ったものですから、身の回りに自然の樹木など、全くない状況でした。今と違って、街路樹等というものは無い時代だったのです。だから私は部屋に鉢植えなどを置きたがる癖がありました。そういう私から見ると、君はたぶん幸せな環境で育ってこられたのだと思います。

 思い出話を続けると、次に越した埼玉県新座市の家は、あの町にたくさんある新興住宅街の中にあったので、やはり周りに緑が少なく、しかし商店街よりは空間に余裕があったので、せっせと鉢植えを増やしたところ、はっと気がついたら、家の脇のほかの家と共用の私道の4分の1くらいは私の鉢で埋まっていました。これはまずいと考えて、とにかく庭のもてる家がほしいと土地を探し回って立てたのが、今の家です(わが国の住宅政策のゆがみのせいで、やすい中古住宅を買う資金はなかったのに、土地を買って家を建てることなら可能だったのです)。

 二階の屋根よりも高いニレケヤキが、うちの庭にはありますが、これはもともとは新座時代に盆栽に仕立てるつもりでいじめていた木です。どうもこの、木をいじめると言うところが好きになれなくて、結局、昔の鉢は全て庭におろしてしまいました。今、我が家は住宅街の真ん中にあって、一軒だけうっそうたる木立に囲まれています。こうなると、鉢植えはする気がなくなり、今のところ、部屋の中に植物は持っていません。

 

 

満員電車の乗り方

浜崎 昌之

1、はじめに

    今回、私がゼミ誌を書くにあたって、これまでの大学生活での一つの体験として、満員電車の乗り方について書いてみることにする。大学に入るまでは、あまり満員電車に乗ることもなかったのであるから、そこで気づいたことを書いてみるのである。これは、あくまで私の電車の乗り方であるので、何か参考になれば良いがならないかもしれない点は最初に断っておく。

2、朝の満員電車の乗り方

(1) さて、題名にあるとおり、満員電車というとおそらく通勤ラッシュの一風景を思い起こすのではないだろうか。ここでは、如何にして楽に、そして快適に乗れるかについて私の乗り方をあげてみたいと思う。  

通勤ラッシュの電車において、一番楽で快適な場所といえば、当然、イスに座ることにあるだろう。イスに座れば、他の乗客から押しつぶされることは、立っている場合に比べてはるかに少なく、また、新聞や本を読むこと、寝ることさえもできるからである。  

では、如何にして座るか。  

その答えのひとつとして始発の電車を待つことである。始発に乗れば、確実に座れるのである。  

しかし、各人の乗る駅によって始発に乗れないこともあると思う。ではどうするか。その答えのひとつとして、降りる人の前に立つことである。こうすれば、そこに座っている人が降りるときには確実に座れるのだ。では、その人を如何にして見分けるのか。

それは、学生、特に、高校生など制服を着た人を探し出し、その人の前に立つことである。高校生は、大半の場合、短時間のうちに降りてしまう確立が高いのである。これは、高校生は、普通、あまり遠い学校に行きたがらないのが普通であるし、また、仮に遠いとしても、他の都県に行くことは、私立の場合は別として、県立の学校では、原則として禁止されているからである。  

だから、高校生の前に立つことは、他の通勤客の前に立つよりも高い確率で座れるのである。

(2) しかし、不幸にも高校生などがいなかったとする。そのときはどうするか。イスに座ることの次に楽なのは何かと考えると、扉の横に立つことではないだろうか。こうすれば、下りるときは楽だし、扉に寄りかかることもできるのである。では、如何にしてその位置を奪い取るか。  

これは、朝の通勤ラッシュでは到底無理である。朝の一分一秒は誰にとっても貴重だから、どんなことをしても乗ろうとする人が大半である。特に、駅のアナウンスで、電車が一分でも遅れている旨が伝えられると、人の押しの強さが物凄く変化する。だから、朝の通勤ラッシュに関してはやめたほうがいいであろう。下手に扉の側に乗れば、荷物が挟まって駅員や他の乗客の人に迷惑がかかるだけである。

(3) そこで、イスに座れなければ、つり革にでもつかまっているのがよいのだと思う。何かにつかまっていなければ、電車のブレーキですぐによろけてしまうからである。

3、帰宅時の満員電車の乗り方

(1) 朝の通勤ラッシュのときと同様に、最も楽なイスに座ることから考えてみる。これは、始発に乗れるのであればそれを待つのがよいし、また、午後6時から7時ごろにかけての下校途中の高校生がいる時間であれば、朝と同じように、彼らの前に立つのがよいと思う。しかし、夜9時・10時になると、高校生の姿などは期待できない。ではどうするか。  

あまり確率は高くないが、すでに座って乗っている人の前に立つことがよいと思う。というのは、座っている人というのは、遠くから乗ってきている人なのである。とすれば、東京の平均的な通勤の時間を考えると、そのうちに降りるかもしれない人なのであり、自分よりも早く降りる可能性が高いのである。ただし、その可能性が高いだけであって、確実とはいえない。

(2) では、扉付近に立つことは可能か。これは、可能であるといえる。  

この場合、列の一番最後に並び、扉が閉まる直前まで電車の外で待っているのである。こうすれば、確実に扉の横につくことができる。では、朝のように押されることはないのか。これは場合にもよるが、あまりないと思う。それは、たいていの人は、無理して乗ることはせず、次の電車を待つからである。 

4、まとめの感想  

まだまだほかにも乗り方があるのだが、とりあえずは、以上のような方法で満員電車に乗れば、多少は楽で快適に乗ることができるのではないか。これらは、当たり前であり、常識であって、私が知らなかっただけかもしれない。とにかく、電車に乗って疲れることほど無駄に体力を使うこともないのであるから、楽に乗れるように慣れれば幸いである。

 

《コメント》

 大学にはいるまで、満員電車に乗ったことがない、というのは、これまたうらやましい育ち方をしましたね。ついでに言えば、君が書いているのは決して満員電車ではありません。単に「少し混んでいる」電車であるにすぎないのです。「かなり混んでいる」ということになると、車内を歩くことはできないから、立つ位置を選ぶという行動そのものが不可能になるからです。では、「満員電車」と「かなり混んでいる電車」とはどこが違うか? 思い出話を書いてみましょう。

細川さんに対する《コメント》に書いたとおり、私は子供時代、中央線の荻窪に住んでいました。中学から中野にある東大付属という学校に通ったのです。この当時の満員電車はすごかったですよ。普通に歩いて乗ることはまずできず、少なくとも1mくらいの助走をつけて体当たりで突っ込むのです。そうしなければ、身体の小さな中学生では、人体の圧力に跳ね返されて、何時までも電車に乗れないという事態になります。こういうのが満員電車の下のレベルです。

しばらくすると国鉄(今のJR)では、「押し込み部隊」と呼ばれるアルバイトを動員して、ぐいぐいと背中を押して、乗るのを助けてくれるようになりました。当然、最後に乗ろうとすれば扉付近に立つことになります。これは当時きわめて危険な行動でした。次の駅に近づいて、ポイントで電車が揺れたりすると、車内の人全員の体重が掛かって来ます。その時、一方が扉だと、その圧力を分散させることができないので、本当に押しつぶされそうになります。ある時、扉に押しつけられていた私の胸の位置から、ガラスに八方に亀裂が走ったことがあります。たぶん、あのとき、ガラスが割れてくれなかったら、私の肋骨の方が折れていたことでしょう。だから間違っても好きこのんで、扉の近くに立つ人などいませんでした。 このあたりが満員電車の中のレベルといえるでしょう。

さすがに国鉄でもこれはまずいと言うことで(ガラスの破損を放置して走らせるわけにはいかないので、押し込むとかえって電車が遅れるわけです)、「押し込み部隊」を「はぎ取り部隊」に変えました。つまり、無理に乗ろうとする人がいると、逆に駅員が無理矢理扉から引きはがすのです。おかげで 冬の着ぶくれラッシュの時期には遅刻の常習になってしまいました。

では、満員電車の上のレベルというとどんなものかと思うでしょうね。

今の家に越したのは1979年のことですが、当時の常磐線はすごかったですね。当時の常磐線は、首都圏の電車のくせに、JRとしてはローカル線扱いで、1時間に1本くらいしか電車がありませんでした。だから何が何でも来た電車に乗らなければ、1時間は最低限出校・出勤あるいは帰宅が遅れることになります。特に土曜日のお昼は、サラリーマンと学生の帰宅時間が重なるので、混み方がひどくなります。ローカル線だと言うことは、自動ドアではない電車があるということです。だから閉まらないドアに乗客が鈴なりになったまま、列車が発車します。命知らずの(?)高校生などは、扉の脇の安全バーを片手でつかみ、片足だけを踏み台にかけて(両足を置く余裕がない)、全身が車外で揺れている状態で乗っていたものです。上層部にばれたら、運行停止になること間違いなしの危険な乗車行為ですが、これに目をつぶらなければ、定時運行はできないものですから、それでもかまわず列車は走っていました。よく事故が起こらなかったものです。

常磐線のラッシュがある程度緩和されたのは、筑波万博のおかげです。それで、各駅のホームが延長されて、15両編成の列車が止まれるようになったのです。常時15両編成の列車が走っているというのは、日本でも常磐線くらいではないでしょうか。それでも、松戸=北千住間は、現時点では日本で一番ひどいラッシュだという話です。筑波エキスプレスが無事に経営が成り立っているのは、このものすごい常磐線にはじめてできた平行線だからでしょう。

 

 

流通コンサルティング

      粕谷 亮太

はじめに

去年、ゼミ誌を書いていたこの時期、それまでの私とは違い、非常に情けないと思う日々を送っていました。あの頃、強い信念も無く、迷走に次ぐ迷走・・・ただ、「情けない」の一言で片付けるだけでは、何の実りも無いと思ったので、あの迷走していた毎日が活かされるきっかけを見出そうと・・・そして、今日、この文章を皆さんに送るのです。長い文章ですが、去年のゼミ誌を書き上げて以後の私は何を考え、どこへ向かって歩んでいくのか、垣間見ることができるのではないかと考えます。

1 就職活動時代

 去年6月17日、私は就職活動を始めた。5月に司法試験受験後、抜け殻のようになり、勉強さえ覚束無かった私が唯一、最後の切り札として立ち上がるきっかけとなったのは、学内における就職ガイダンスであった。今まで、私は何度これに感謝したか知れない。就職活動当初、企業は資金調達無くして業務が行え無い事は理解できていたから、証券会社を希望していた。当然のことながら、外資メリルリンチ、野村、大和の『説明会』や資産運用業務(アンダーライティング)の一端を体感出来る『セミナー』、『社員懇談会』などに参加した。

 去年12月、エン・ジャパンという人材派遣会社主催のセミナーに参加したことがある。そのセミナーにおいて、ビジネスゲームを行った。参加した学生達がグループに分かれ、それぞれのグループには特産品があり、それを他のグループに売り、あるいは他チームから買い、売上・利益及び購入した商品の価値を競い合うゲームである。その時、気付いたことが一つある。参加者は皆、無理矢理にでも商品を多く売りつけようとするし、あるいは、価値の高い商品ばかりを欲しがる事であった。(当然といえば当然であった。これをしなければ、勝てないのは理解できるだろう。)だから、参加者は自分の要求を相手に押し付けてばかりいた。その場においては、相手(顧客)と相談するという雰囲気はまるで無かったのだ。企業が顧客に物を売りつける、しかし、顧客の要求を聞かない、取引先から必要なものを必要なだけ仕入れ、再び顧客へ売りつけるというかつての企業経営と何ら変わるところは無かった。それがきっかけで、商売は顧客と相談するということ(コンサルティング)が出発点になっていることが分かった。それ以来、コンサルティングという業務の行える会社・.に勤めたいと考えるようになった。やがて、私は誰を相手に、何を商売したいかという問題に直面するのである。

2 近所のスーパーの倒産

 かつて、私の近所に7件のスーパーが存在した。その中で、4件が倒産した。その4件のスーパーの中に、私が頻繁に利用していたスーパーが在った。そのスーパーでしか買えない商品も在り、私の好物でも在ったので、その商品を今後も買い続けたいと考えていた。私のようにその店で繰り返し商品を買い続ける顧客は、そのスーパーにとって『ロイヤルカスタマー』と経営学用語では表現される。

 企業が売上を伸ばすには二つの手段がある。@新規顧客開拓(初めてこの店に来ました、と言う顧客を増やせば売上を上げることが出来るだろう)、Aロイヤルカスタマーによるリピート数(同じ顔の顧客が商品を買い続けてくれれば売上を上げることが出来るだろう)

「顧客を引き付け、維持するという企業目的を達成するために、総力を挙げて取り組まなければならない全ての事を、一手に引き受けるのがマーケティングである。」(ハーバード・ビジネス・レヴュー2001年11月号 セオドア・レビットのマーケティング論 p110)

では、企業は利益を目的にしてはならないか。

「バブルの反動からか、一部の批評家の間で、「企業の利益至上主義は悪徳である」が如く言われているが、これは誤りである。企業の利益追求は、何ら恥じることでは無いし、高収益であることは、やはり誇るべきことである。」なぜなら、社会的責任の基本は、倒産しないことであり、健全な利益をもって健全な事業活動を営むことである。」からだ。(『コーポレート・アーキテクチャー』 「環境適合型」から「自己創造型」経営へのトータル・リ・デザイン 横山禎徳 安田隆二 p24)

 あのスーパーでは、近所のライバルスーパーに無い商品を取り揃え、安売りや期間限定サービスなどのあらゆるマーケティング戦略を打ち出していた。商品を買い続ける顧客もいた。仕入れ時の物流費も徹底して低く抑えていたことだろうし、店員はアルバイトさんにすることにより人件費も徹底して抑えていた。利益確保のあらゆる努力を経営者はしていたことだろう。それでも、倒産してしまったのは一体どうしてだろう?

 このような問いを考えているうちに、私は、企業経営者をサポートする仕事がしたいことに気づき始めていた。企業経営者を相手に自分の頭脳を売りにしたいと・・・それがきっかけとなって、『シンクタンク(THINKTANK)業界』に目を向けるようになった。

3 物流会社との出会いと納豆工場の消滅

 ある日、私は『株式会社野村総合研究所』のセミナーに参加した帰り、『丸善東京駅前本店』に立ち寄った。その時、日本通運総合研究所に所属する物流コンサルタントが書いた本に気付いた。つまり、物流会社の子会社に『総合研究所(シンクタンク)』が存在することを、初めて知ったのである。物流コンサルタントはトラックのドライバーから自分の力で這い上がって、物流コンサルタントになり、顧客企業との相談業務や物流の効率性の研究・講演会・執筆活動その他・・・をしていることを知った。

 その頃、私の家の近所では、(聞くところによると18年以上も経営していたらしい)納豆工場が失火原因による火事に遭い、消滅した。その工場経営者は70歳前後と思われる男性であった。火事の翌日、その男性は、焼け落ちた納豆工場を前に呆然と立ち尽くしていたという。その男性にとって、納豆作りは毎日の生きがいだったのではなかろうか。火事の翌日から、その生きがいは失われてしまったのだろう。私は、あの倒産したスーパーの経営者を思い浮かべていた。その人も、スーパーの経営に毎日、やりがいを感じていたはずである。倒産翌日から、そのやりがいは失われてしまったことだろう。

 あのスーパーや納豆工場の経営者達を、シンクタンク業界に勤めている経営コンサルタントたちは救うことが出来ただろうか?上記の経営者達だけに限らず、どの企業の経営者達もシンクタンクに救われているだろうか。私の父は、『東証1部上場企業沖電気工業株式会社』の経営陣の一人である。「企業では既に経営哲学は確立されている。シンクタンクからわざわざ哲学の講義なぞ聞きたくない。シンクタンクは詐欺師だ。」と父は言う。

「シンクタンクはデータやある種の指針は出しますが、絶対に責任は取らないのです。」(吉本興業常務取締役木村政雄 『笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道』p146)シンクタンクが真の企業サポート役として機能していれば、@富士銀行が第一勧業銀行及び日本興業銀行と合併しなければならなくなるような事態は避けられただろう。(富士銀行のシンクタンクは富士総研、現在は『みずほ総合研究所』。第一勧銀のシンクタンクは第一勧銀総研、現在は『みずほ情報総研』)同じことは、A三和銀行のシンクタンクである三和総研、現在の『UFJ総研』、Bさくら銀行のシンクタンクであるさくら総研(旧三井銀行総研)、現在の『日本総研』、C大和證券のシンクタンクである『大和総研』(真の経営サポートが出来ていれば、金融機関である証券会社が資金繰りに困り、住友銀行(現在の三井住友銀行)から資金を融通してもらうという事態にはならなかったはずである。)・・・これらどのシンクタンクにもいえるのだ。自分達の親会社のサポートすら満足に出来ないシンクタンクに未来なぞ在ろうはずが無い、と私は考えた。

 私は、経営のサポートとは一体何だろう?と考えるようになった。メーカーは、物流無くして成り立たないのは間違いないだろう。物を作ったら、全て運ばなければならないからである。物流なくして販売が出来ない小売業界も同じである。要するに、「これなくしては、その顧客企業の経営自体が成り立たない」場合、真の経営サポートといえるのは間違い無いようである。最後に、そのサポートにコンサルティングという付加価値を付ければ良いわけである。

このように考え続けた私は、シンクタンク業界に背を向け、流通コンサルタントを目指して物流業界に身を置く決意をした。トラックのドライバーから始めようと・・・数年で、流通コンサルタントになれるものでもないが、いつか必ず・・・

あのスーパーに商品を運んでいた物流会社は、どうして倒産の危機に瀕している時点で、マーケティング戦略のコンサルティングサポートができなかったのだろう?来年から物流会社の社員となる私は、そこまで付加価値をつけてサポートすべきだ、そこまでサポートするのは物流会社の社員の役割だ、と考えている。売れる商品は作り続けられるので、常にその商品は運ばれる。運んでいる人間が消費者のニーズに気付かないはずが無い。ニーズの移り変わりも敏感に肌で感じることができるだろう。だから、マーケティング戦略企画立案は、物流会社の社員の役割であると・・・。

あの納豆工場経営者のように日々、商品を作ることに生きがいを見出している人はいくらでも世の中にいると思う。その商品を運ぶ人間としては彼らにその生きがいを持ち続けて欲しいと思う。

4 不用品を収益化へ

 マーケティング戦略だけでは、企業の売上・利益に限界があるのは、私にも分かっている。そこで、新たな収益構造を見出していく必要がありそうである。

松下電器産業が、売れ残りが原因で、倉庫保管し、時が経つにつれ、時代にそぐわなくなってしまった商品を大量に抱えたことがある。その時、松下幸之助は、「これ、もう売れんのやろ?これは人力車が自動車に変わったようなものや。無理して売っても、お客さんが後悔されるだけや。しゃあない、全部捨てい。よう捨てられんかったら、わしが買うたるわ。」(『説得の法則』 唐津一 p111)と言ったといわれている。商品を作りながら、廃棄処分するということは、松下にとって多大な赤字を出すということである。その在庫は、物流会社の倉庫で保管されているわけであるから、日々その在庫が増えていることに気付けば、何とか手を打たなければと考えるべきである。そして、どのようにしてその不用品を収益に変えていくか、これも、物流会社の社員の役割だろうと考えた。

@企業の不用品を収益化できるのであれば、家庭における不用品を回収して収益化することも出来るだろう。

A顧客企業が不用品から収益化できるなら、その不用品を運ぶ物流会社も売上を伸ばせるだろう。

5 物流業界の現状

 現在、どの業界も、新たな収益源を確保する道を模索させられている。物流業界だけに限られた話では無い。だが、@物流会社はコスト削減のターゲットにされる、A顧客は有名企業に運送を要請する傾向在り、Bライバル企業が多数存在する(全国に物流会社は58146社、存在する(平成15年3月31日の資料:『平成16年版トラック輸送産業の現状と課題』 p29))などを考えれば、非常に厳しい業界といわれている。(余計なことだが、IT企業は全国に7000社あるといわれている。それに比べれば、物流会社は途方も無い数といえよう。その上、毎年、物流会社は1000社ほど新たに設立されているという。10年後までに生き残れる物流会社は、現在の10分の1といわれる。)

集荷業務、全国の(物流)路線会社との提携に基づく到着業務は年々減り続けている。物流会社御三家といわれる佐川急便(売上約8000億)、日本通運(JRとの提携による貨物輸送は以前から存在した。売上約1兆6669億)、ヤマト運輸(クロネコヤマト:売上約1兆113億)が今までやらなかった長距離輸送に参入し、従来の路線会社(西濃運輸:売上4177億、札幌通運:売上326億、トナミ運輸:売上1267億、名鉄運輸:売上937億・・・など)に殴り込みをかけるといわれている。物流業界は、ますます混沌としてくるだろう。

6 物流会社に対する顧客企業の態度の変化

 今まで、どの企業も物流会社にはお金を支払うだけであった。だから、物流費用削減が経営会議においても議論の焦点にされていた。だが、製品を販売店まで運ぶ以上、どんなに物流費用を抑制しても0には出来ない。そこで、物流会社のおかげで、@マーケティング戦略、Aシステムによる業務効率化や経費削減などに頼らない、第3の利益確保手段を模索すれば、物流会社に対する顧客企業の見方も変わるだろう。これが出来る会社かどうかで、物流業界を生き残ることが出来るかどうかが掛かってくるのである。

 野球の試合を思い浮かべていただきたい。野球の試合は点取りゲームである。ピッチャーが相手打線を0点に抑えることは嬉しいかもしれない。だが、@いつも0点に抑える事を期待するのは無理というものだろうし、A点を入れなければ試合には勝てない。これからの物流会社は、ピッチャーからバッターの役割に転換する必要があるだろう。

7 コンビニエンスストアが利用する物流会社

 私は、午後11まで新宿三井ビルにある『シズラー(Sizzler)』でアルバイトをしている。ほとんど毎日、私が家にたどり着くのは、24時過ぎ頃である。家の最寄り駅(中浦和駅)に着くと、駅前に在る『ファミリーマート』に商品を運ぶ物流会社のトラックが止まっている。24時。こんな時間でも商品を運ぶ物流会社が、クロネコ(ヤマト運輸)に限らず、あるのだと驚かされる。さらに驚くことは・・・『ファミリーマート』は自社で物流会社を保有しているのだが、自社の物流会社を利用しないで、アウトソーシング(外注)により他社に運送を任せている場合もあること。自社で物流会社を保有しながら、それを活かせないようでは、近い将来、ファミリーマートを初めとするコンビ二業界のロジスティックスは物流会社に買い取られることになるだろう。コンビニだけに限らず、ロジスティックスにコア=コンピタンス(他社には真似出来ない程の圧倒的優位性)を確立させるつもりの無い会社も同様であろう。

ちなみに、『シズラー』でアルバイトをしている理由について・・・外食産業も食品が無ければ経営は成り立たない。食品を運ぶ会社は、やはり物流会社である。つまり、物流会社にとってレストラン等は顧客企業である。食品は永遠に人々から必要とされる。いつ、どのような食品を消費者は食するかによって、マーケティング戦略は変わってくるはずだと考えたからであった。企業経営は顧客企業との協同によって成り立つわけだから、顧客企業から必要とされ続ける限り、その戦略策定は物流会社の営業社員の仕事だと考える私は、「レストランで一度、仕事をしなければ、分かろうはずが無い。」と考えたわけである。外食産業のマーケティング戦略を垣間見るだけでも、食品専門商社や食品加工メーカー等の食品関連会社に応用できるのではないか?

アルバイトをしているうちに学んだこと・・・@マーケティング戦略だけでは、顧客数、リピート数、売上、利益に限界が生じる事、Aサービス担当者(主に、接客担当者)がサービスに徹することによって、サービスの質が向上すること(ウォッシャー(Washer)はサービス担当者を如何にサポート出来るか、に全てが掛かってくる。)例えば、『松屋』という牛丼屋は、接客担当も食器洗い担当もキッチン担当も、同一人物が行っている(一応、役割は分担されていることも確かだが・・・ちなみに、以前、『松屋』でアルバイトをした事がある)。これでは、サービスの質の向上に限界があろう。

8 物流事業の定義を再考せよ

 「事業の定義は、当事者が思うとおりに決めればよいと突き放してしまうわけにはいかない。なぜなら、事業の定義をどのように行うかによって、マーケティング=マネジメントの基本的な前提となる様々な問題に影響が及ぶからである。したがって、事業の定義は、単なる当事者の価値観や信念の発露ではなく、戦略的な洞察を備えた意思決定でなければならない。そのためには、事業の定義が、マーケティング=マネジメントにどのような影響を及ぼすのかを多面的に理解しておかなければならない。」(ゼミナールマーケティング入門 石井淳蔵 p173〜174)

「事業の定義にあたっては、近視眼(マーケティングの近視眼)に陥らないようにしなければならない。あまり近くを見すぎると、肝心な点を取り違えてしまうからである。その名付け親は、ハーバード=ビジネス=スクールのセオドア=レビット教授である。

レビット教授の論文の中に、『4分の1インチ=ドリル』という有名なエピソードが出てくる。かつて、全米で『4分の1インチ=ドリル』が1年間に100万個売れたことがあった。これを見て、「4分の1インチ=ドリルを購入した人達は、何が欲しかったのだろうか?」と問うた人がいる。

「おかしな事を尋ねるものだ。『4分の1インチ=ドリル』が欲しかったから買ったに決まっているではないか。」と答えたくなるが、少し考えてみて欲しい。ドリルを買った人達は、本当にドリルが欲しかったのだろうか?この人達が本当に欲しかったのはドリルではなく、そのドリルで開けた「4分の1インチの丸い穴」だったのではないだろうか?4分の1インチの丸い穴さえ手に入れば、ドリルなぞ必要無い。玄関の飾りになるわけでもないし、趣味で集めているわけでもない。

我々は毎日の生活の中で、往々にして手段と目的とを取り違えてしまう。同じことはビジネスの世界でも起こる。そして、レビット教授は、この取り違えが企業を滅ぼしてしまうことがあると指摘している。」(マーケティングゼミナール入門 石井淳蔵 p175)

「主要産業といわれるものなら、一度は成長産業だったことがある。成長に沸いていても、衰退の兆候が顕著に認められる産業がある。成長の真っ只中にいると思われている産業が、実は成長を止めてしまっていることもある。いずれの場合も成長が脅かされたり、鈍ったり、止まってしまったりする原因は、市場の飽和にあるのではない。経営に失敗したからである。失敗の原因は経営者にある。詰まるところ、責任ある経営者とは、重要な目的と方針に対応できる経営者である。」(ハーバード・ビジネス・レヴュー2001年11月号 セオドア・レビットのマーケティング論 p53)

「写真フィルムを製造できる企業は、世界に4社ほどしかない。十数層にわたってフィルムに化学液を塗布する技術は、他のどの企業も真似できない技術だといわれてきた。そして、あれ程鮮明な画像をわずか数十円で手に入れられるサービスには、他の画像技術は追いつけないと考えられていた。コダックを初めとする4社は、それこそ永遠に高収益を上げ続けるように見えた。

しかし、現実は違った。もし、富士写真フィルムやコニカミノルタが自社の技術を誇りに思い、自社を『写真フィルムメーカー』と考えていたら、両社とも、きっと今頃地球上から消えていただろう。デジタルカメラの普及が一挙に市場の状況を変えてしまったからだ。

しかし、両社ともいち早く、自社が提供するものを『フィルム』から『画像処理』へと定義替えしていた。フィルム以外の様々な画像処理技術を取り込んでいたのである。その中に、PPC(普通紙用コピー機)やデジタル画像の技術があったことはいうまでも無い。

(1)事業の定義に当たっては、『顧客が本当に求めているものは何か』を良く考えることが重要である。顧客が本当に求めているものに気付くだけで、新たなビジネスチャンスが開けることがある。

例えば、アート引越センターは、顧客が求めているものは何かをよく考えることで、引越業のイノベーションを起こした。アート引越センター(旧寺田運輸)がユニークだったのは、「引越しの荷物を運びたいと言ってくるお客さんは、本当のところ何を求めているのか?」という問いを、真剣に考え抜いた後に出した答えであった。引越しをしようとしている消費者が本当に欲しいのは、トラックでもなければ運送サービスでもない。「消費者が本当に求めているのは、荷物の移動では無く、生活の移転だ」と気付いたとき、『引越しビジネス』が誕生した。

(2) 事業の定義に当たっては、『そもそも何をすべきなのか』についてよく考えることも重要である。物事を正しく行うことは大切だが、そもそも何をすべきかを考えることはもっと重要である。これまで多くの企業の栄枯盛衰があったが、企業が衰退していく理由の一つとして、『何をすべきか』という事業の定義が間違っていたことが挙げられる。

難しいのは、『何をすべきか』が、時間の流れの中で変化していくということである。」(ゼミナールマーケティング入門 石井淳蔵 p176〜178)

私は、まだ『物流事業』について明確な定義を設定できない故、今後、仕事を実際に行っていく上での課題となろう。参考までに、次のような意見を述べる学者もいることを記しておく。

 「先日、講演会がありました。運輸会社の人が来ておられました。その運輸会社は戸別配達で良い事をしているように見えるけれども、私には不満だという話をしました。不在票を配達員が置いていくときに、誰から何を、ということを書いていない。それを書くのに4秒しか掛からない。物を人に届けるというプロセスの最終的な仕事をするのが配達の人ですが、その最後の仕事が完璧であることによって運輸会社全体が輝くのです。

 そこで、私は何を申し上げたか?彼らは配達者であって、商人ではない。受け取った人にとっては、誰から何が届いているということは感動のメッセージなのです。もし商人なら、通知書ではなく、不在票でもなく、メッセージを書くべきですね。

 たったそれだけのことがなぜできないのか?これは針の先の差です。針の先の差も無いかもしれません。たった、誰々様から何々、そして担当者名を書くだけです。さらに、「何かおいしく香るもの、マツタケのようです。貴方の配達人 誰々」と書いていたら、嬉しくは無いですか?なぜ喜ばすメッセージに変えないのだろうかというのが、私の不満です。告知のメッセージから感動のメッセージに変えるというのが、最終的にお伝えする人ではありませんか。これが出来ない日本になっています。」(『村田昭治のマーケティング=ゼミナール』 p132〜133)

9 物流業界と流通業界

(船井幸雄の著作を今後読むかもしれない方のためにちょっとした説明と私の考えを記しておきました。)

 この2つは、同じ事を指していると考えてくれても良いと私は考えるのだが、船井幸雄という物流コンサルタントの著作を読むと、どうやら同じとばかりいえないようである。彼は、商品を個人顧客に手渡す役割を担う業界、そしてその中心となるのは、小売業と百貨店であると考えているらしい。彼の著作の中でタイトルに『流通業界』という文字の躍るものは、全体的に『小売業と百貨店』についてばかり書かれている。物流に関しては、ほんの触り程度である。

 そこで、流通業界とは、『商品を個人顧客に手渡すまでの仕事を全て担う業界』と考えた方がよいかもしれない。物流業界は、流通業界のほんの一部ということになりそうである。そうなると今後、流通業界の範囲が広がっていくことだろう。

 私は、この文章のタイトルに『流通』という言葉を記した。それは、『物流』に関してだけひたすら文章を書くのではなく、様々な観点も加味しながら、『物流』について深く考え直して見ようとの想いを含めたかったからである。

 ちなみに、余計な事を言うのかもしれないが、新聞に『流通業界』という言葉が記されるが、新聞記者は良く考えないでこの言葉を使っているのではないかと気がかりになることがある。

10 トラックを見た時の最近の私は・・・

物流会社に就職先が決まって以来、私はトラックを非常に気にするようになった。トラックの発見が趣味かと思うほどに。

物流会社でのインターンシップの時の記憶が甦る。各物流会社(『飛脚』又は『潮騒?』が描かれたトラック(佐川)、ペリカン(日通)、クロネコ、カンガルー(西濃)、福山、サカイの引越し、アリ、ゾウ(松本引越し)、ドラえもん(アート引越し)・・・)のトラックや営業社員のおかげで、何度となく自分の仕事に対する使命感を認識させてもらったことを・・・その度ごとに内なる力が生じた。

今日も、トラックを見つけるごとに、頑張って物を運ぶ彼らのおかげで生きる活力・仕事(アルバイトなど)に対する意欲が多大に生じている。それは、私の歩む方向性を忘れたくない故だろう。                        

                          以 上

《コメント》

 なかなか積極的に将来の方向を模索してくれていることが伝わってきて、非常に心強く思いました。同時に、まだ社会経験が十分にない学生だから仕方がないといえるでしょうが、かなり近視眼的なところがあって、気になりました。ちなみに、私は会計検査院というものは、行政活動の違法性をチェックすることが仕事ではなく、経済性、効率性を増進させることが仕事だ、という信念で働いてきました。実際、違法な行政活動について、それは法規の方が間違っているとして是正させたこともあります。その意味で一種のコンサルタント業務ともいえるでしょう。だから、君が問題にしていることについて、かなりの程度実際の体験から判断できるのです。

 しらみつぶしに指摘していく余裕はありませんから、特に問題の大きい一点を指摘してみましょう。君は、「驚くことは・・・『ファミリーマート』は自社で物流会社を保有しているのだが、自社の物流会社を利用しないで、アウトソーシング(外注)により他社に運送を任せている場合もあること。自社で物流会社を保有しながら、それを活かせないようでは、近い将来、ファミリーマートを初めとするコンビ二業界のロジスティックスは物流会社に買い取られることになるだろう。」と述べていますが、これは完全な間違いです。自社で輸送手段を保有しているということと、外注を併用させるのは、きわめて健全な企業行動です。そうした行動をとる原因はいくつも考えられます。

 もっとも一般的な原因は、業務量の変動です。業務量が上下に変動する状況下で、その最大量に合わせて輸送手段を保有するということは、最大量の業務が発生する数少ない時点を除き、常に自社の輸送手段が遊休していることを意味します。これが馬鹿げていることは明らかです。最低の業務量プラスアルファを自社の輸送手段で運び、それからはみ出した分を外注するのがもっとも経済的な方法といえます。

 あるいは、物流会社が提供していない輸送手段については、費用の如何に関わらず、自社で運び、物流会社が提供している分については外注という使い分けも考えられます。例えば、物流会社が冷凍車を十分に保有していない状況下では、冷凍食品の輸送は基本的に、自社の冷凍車を使用するしかない、ということになるわけです。

 これ以外にも、外注と自社保有を使い分けなければならない状況は幾通りも考えることができます。実をいうと、現在、行政法の現場で最大の問題になりつつあるPFI(Private Finance Initiative)というのは、それを国の様々な行政で、何をどこまで公務員が行い、何を外注するのか、ということを個々的に真剣に考えさせることを要求しているのです。刑務所業務の一部民営化等という、従来の常識では信じられないような話が、今の日本で現に進行中なのです。

 

 

東京の夜、そして朝

 芳賀 千恵子

 

東京タワーの隣に、月。

これが今、私が住んでいる所から見える夜の風景である。文京区にある学生会館の屋上からは、新宿方面を除き(向かいの建物がもうちょっと低かったらなぁ・・・)東京を一望できる。ここに住むようになってから、よく来るお気に入りの場所である。ここで、東京の美しい夜景をぼんや〜り見るのが、贅沢なひと時。(冬はちょっと寒いけど・・・。)

東京ドームホテルの青いライト。東京タワーの赤。六本木ヒルズやシャンシャイン60などの高層ビルの明かり。東京の夜空には、様々な色が浮かび出されている。秋葉原方向から六本木ヒルズの方向へ向かって、夜でもひっきりなしに飛行機が飛んでいるのを見ながら、本当に東京は眠らない街なんだなぁ、と思う。日が落ちるとたちまち真っ暗になり静まり返る田舎とはまるで違う。「一日が終わる夜」。こんな修飾語が使えないのが、東京なのかもしれない。

 ビルの間から、山。

ビルとビルの間から昇る朝日が見える。これも東京ならではの朝の光景だと思う。地元に居たときは、専ら海から昇る朝日ばかり見ていた。(やっぱり、海から昇る朝日の方がきれいで好き。)

ところがもう一つ、朝の風景がある。これは、本当によく晴れて空気の澄んだ日の早朝の特権である。屋上の端に立ち、池袋から少し新宿寄りに目を向けると、ビルとビルの間から山が見える。初めて見た時は、まだ山頂に雪があり、思わず富士山(!?)と思ってしまうほどきれいだった。きっと富士山でもなく、有名な山でもないと思う。でも、都心に居て山が見えるとは思ってもいなかったので、とっても感動した。最近は、立冬の日に久しぶりに見た。

方々を山に囲まれている中で見る山とは一味違う、ビルの間から見る山。「山々が連なる」。こんな表現で表せない風景もあると教えてくれた、東京の朝。

・・・東京に住んで約4年。“住めば都”というけれど、ここにもいろんな夜と朝があった。すっと地元に居たら見られなかった風景がここにはある。東京の夜、そして朝が。

 

《コメント》

 文京区から、新宿方向を見て、雪の積もった山らしい格好の山が見えたのなら、それは間違いなく富士山です。東京というところからは意外なほど山が見えません。関東平野から見える山らしい山は、富士山と筑波山しかないので、今より遙かに空気が澄んで障害物がなかった時代に作られた万葉集等にも、この二つの山しか出てこないのです。しかし、筑波はまるっきり方向が違いますから、可能性としては富士しかありません。確かに、その方向には丹沢山塊 、少し北には秩父山塊もあるのですが、これらは基本的になだらかな山々で、雲と見間違えることはあっても、富士と見間違える心配は絶対にありません。

 

 

 

渡邊 佳孝

 もうすぐ卒業なので、自分の夢について書いてもいいですか?

 せっかく人間として生きて産まれてきたんだから、魅力的な人間になりたい。かっこいい人間になりたい。

自分にとってどんなのがかっこいいのかというと、例えばペンギン。鳥なのに、飛ぶように泳ぐ。その、自由に水中を飛んでいる姿がいい。ナックルボールもいい。投げてみないとどう変化するのか判らないところがいい。ロナウジーニョもいい。どうやら、変則的で意外性があって、自由度が高いのがいいらしい。

できればペンギンやナックルボールになりたいのだが、今のところそんな機会は無いのでファンタジスタになろうと思う。でもサッカー選手でもない。ということなので、一般人としてファンタジスタを目指そうと思う。

 例えば道を歩く時、魅せる歩き方を習得したい。歩き方といえばデューク更家だが、あれはちょっと恥ずかしい。キーーーーンと両手を広げるのも楽しそうだが、腕がぶつかりそうなのでアウト。交通ルールやマナーというものがネックになりそうだ。ルールの中でトリッキーなプレーを決めなければいけない。

 そういえば、スポーツ選手のインタビューで、「ファンのおかげです」とかいうのがよくある。それが自分の応援している選手の場合には、こちらまでグッときてしまう。これは凄くかっこいい。自分もこれを見習って、これからは、感謝の気持ちをつぶやきながら歩こうと思う。これなら誰にも迷惑をかけない。

 甲斐先生、稚拙な論文やふざけたゼミ誌に、丁寧に講評を付けて下さってありがとうございました。

11期の先輩方、ノリの悪い自分を力強く引っ張ってくれてありがとうございました。みんな強かったです。

その先輩達のまた先輩の方々、大漁旗かっこいいです。ありがとうございました。

可愛い後輩達、放任主義に耐えてくれてありがとう。ゼミ長を大事にしたってくれ。

そして12期のみんな。まとまりが無いとか言いながら、何かあるときは必ず協力くれてありがとう。上手くまとめられなくてごめん。たまに相談に乗ってくれたときは嬉しかったです。どうもありがとう。 

そんな夢を昨日見ました。

 

《コメント》

夢のはなしだから、まじめに《コメント》とをつけなくともよいとは思うのだが、ペンギンというのはどうもよくわからない。だって、鳥のくせに飛べないし、陸を歩く時にもおよそ不きっちょだし。「鳥なのに、飛ぶように泳ぐ」ところがよいのなら、いるかやアザラシも、『獣なのに、飛ぶように泳ぐ』意外性を持っていることにはならないのだろうか。