はじめに
去年、ゼミ誌を書いていたこの時期、それまでの私とは違い、非常に情けないと思う日々を送っていました。あの頃、強い信念も無く、迷走に次ぐ迷走・・・ただ、「情けない」の一言で片付けるだけでは、何の実りも無いと思ったので、あの迷走していた毎日が活かされるきっかけを見出そうと・・・そして、今日、この文章を皆さんに送るのです。長い文章ですが、去年のゼミ誌を書き上げて以後の私は何を考え、どこへ向かって歩んでいくのか、垣間見ることができるのではないかと考えます。
1 就職活動時代
去年6月17日、私は就職活動を始めた。5月に司法試験受験後、抜け殻のようになり、勉強さえ覚束無かった私が唯一、最後の切り札として立ち上がるきっかけとなったのは、学内における就職ガイダンスであった。今まで、私は何度これに感謝したか知れない。就職活動当初、企業は資金調達無くして業務が行え無い事は理解できていたから、証券会社を希望していた。当然のことながら、外資メリルリンチ、野村、大和の『説明会』や資産運用業務(アンダーライティング)の一端を体感出来る『セミナー』、『社員懇談会』などに参加した。
去年12月、エン・ジャパンという人材派遣会社主催のセミナーに参加したことがある。そのセミナーにおいて、ビジネスゲームを行った。参加した学生達がグループに分かれ、それぞれのグループには特産品があり、それを他のグループに売り、あるいは他チームから買い、売上・利益及び購入した商品の価値を競い合うゲームである。その時、気付いたことが一つある。参加者は皆、無理矢理にでも商品を多く売りつけようとするし、あるいは、価値の高い商品ばかりを欲しがる事であった。(当然といえば当然であった。これをしなければ、勝てないのは理解できるだろう。)だから、参加者は自分の要求を相手に押し付けてばかりいた。その場においては、相手(顧客)と相談するという雰囲気はまるで無かったのだ。企業が顧客に物を売りつける、しかし、顧客の要求を聞かない、取引先から必要なものを必要なだけ仕入れ、再び顧客へ売りつけるというかつての企業経営と何ら変わるところは無かった。それがきっかけで、商売は顧客と相談するということ(コンサルティング)が出発点になっていることが分かった。それ以来、コンサルティングという業務の行える会社・.に勤めたいと考えるようになった。やがて、私は誰を相手に、何を商売したいかという問題に直面するのである。
2 近所のスーパーの倒産
かつて、私の近所に7件のスーパーが存在した。その中で、4件が倒産した。その4件のスーパーの中に、私が頻繁に利用していたスーパーが在った。そのスーパーでしか買えない商品も在り、私の好物でも在ったので、その商品を今後も買い続けたいと考えていた。私のようにその店で繰り返し商品を買い続ける顧客は、そのスーパーにとって『ロイヤルカスタマー』と経営学用語では表現される。
企業が売上を伸ばすには二つの手段がある。@新規顧客開拓(初めてこの店に来ました、と言う顧客を増やせば売上を上げることが出来るだろう)、Aロイヤルカスタマーによるリピート数(同じ顔の顧客が商品を買い続けてくれれば売上を上げることが出来るだろう)
「顧客を引き付け、維持するという企業目的を達成するために、総力を挙げて取り組まなければならない全ての事を、一手に引き受けるのがマーケティングである。」(ハーバード・ビジネス・レヴュー2001年11月号 セオドア・レビットのマーケティング論 p110)
では、企業は利益を目的にしてはならないか。
「バブルの反動からか、一部の批評家の間で、「企業の利益至上主義は悪徳である」が如く言われているが、これは誤りである。企業の利益追求は、何ら恥じることでは無いし、高収益であることは、やはり誇るべきことである。」なぜなら、社会的責任の基本は、倒産しないことであり、健全な利益をもって健全な事業活動を営むことである。」からだ。(『コーポレート・アーキテクチャー』 「環境適合型」から「自己創造型」経営へのトータル・リ・デザイン 横山禎徳 安田隆二 p24)
あのスーパーでは、近所のライバルスーパーに無い商品を取り揃え、安売りや期間限定サービスなどのあらゆるマーケティング戦略を打ち出していた。商品を買い続ける顧客もいた。仕入れ時の物流費も徹底して低く抑えていたことだろうし、店員はアルバイトさんにすることにより人件費も徹底して抑えていた。利益確保のあらゆる努力を経営者はしていたことだろう。それでも、倒産してしまったのは一体どうしてだろう?
このような問いを考えているうちに、私は、企業経営者をサポートする仕事がしたいことに気づき始めていた。企業経営者を相手に自分の頭脳を売りにしたいと・・・それがきっかけとなって、『シンクタンク(THINK−TANK)業界』に目を向けるようになった。
3 物流会社との出会いと納豆工場の消滅
ある日、私は『株式会社野村総合研究所』のセミナーに参加した帰り、『丸善東京駅前本店』に立ち寄った。その時、日本通運総合研究所に所属する物流コンサルタントが書いた本に気付いた。つまり、物流会社の子会社に『総合研究所(シンクタンク)』が存在することを、初めて知ったのである。物流コンサルタントはトラックのドライバーから自分の力で這い上がって、物流コンサルタントになり、顧客企業との相談業務や物流の効率性の研究・講演会・執筆活動その他・・・をしていることを知った。
その頃、私の家の近所では、(聞くところによると18年以上も経営していたらしい)納豆工場が失火原因による火事に遭い、消滅した。その工場経営者は70歳前後と思われる男性であった。火事の翌日、その男性は、焼け落ちた納豆工場を前に呆然と立ち尽くしていたという。その男性にとって、納豆作りは毎日の生きがいだったのではなかろうか。火事の翌日から、その生きがいは失われてしまったのだろう。私は、あの倒産したスーパーの経営者を思い浮かべていた。その人も、スーパーの経営に毎日、やりがいを感じていたはずである。倒産翌日から、そのやりがいは失われてしまったことだろう。
あのスーパーや納豆工場の経営者達を、シンクタンク業界に勤めている経営コンサルタントたちは救うことが出来ただろうか?上記の経営者達だけに限らず、どの企業の経営者達もシンクタンクに救われているだろうか。私の父は、『東証1部上場企業沖電気工業株式会社』の経営陣の一人である。「企業では既に経営哲学は確立されている。シンクタンクからわざわざ哲学の講義なぞ聞きたくない。シンクタンクは詐欺師だ。」と父は言う。
「シンクタンクはデータやある種の指針は出しますが、絶対に責任は取らないのです。」(吉本興業常務取締役木村政雄 『笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道』p146)シンクタンクが真の企業サポート役として機能していれば、@富士銀行が第一勧業銀行及び日本興業銀行と合併しなければならなくなるような事態は避けられただろう。(富士銀行のシンクタンクは富士総研、現在は『みずほ総合研究所』。第一勧銀のシンクタンクは第一勧銀総研、現在は『みずほ情報総研』)同じことは、A三和銀行のシンクタンクである三和総研、現在の『UFJ総研』、Bさくら銀行のシンクタンクであるさくら総研(旧三井銀行総研)、現在の『日本総研』、C大和證券のシンクタンクである『大和総研』(真の経営サポートが出来ていれば、金融機関である証券会社が資金繰りに困り、住友銀行(現在の三井住友銀行)から資金を融通してもらうという事態にはならなかったはずである。)・・・これらどのシンクタンクにもいえるのだ。自分達の親会社のサポートすら満足に出来ないシンクタンクに未来なぞ在ろうはずが無い、と私は考えた。
私は、経営のサポートとは一体何だろう?と考えるようになった。メーカーは、物流無くして成り立たないのは間違いないだろう。物を作ったら、全て運ばなければならないからである。物流なくして販売が出来ない小売業界も同じである。要するに、「これなくしては、その顧客企業の経営自体が成り立たない」場合、真の経営サポートといえるのは間違い無いようである。最後に、そのサポートにコンサルティングという付加価値を付ければ良いわけである。
このように考え続けた私は、シンクタンク業界に背を向け、流通コンサルタントを目指して物流業界に身を置く決意をした。トラックのドライバーから始めようと・・・数年で、流通コンサルタントになれるものでもないが、いつか必ず・・・
あのスーパーに商品を運んでいた物流会社は、どうして倒産の危機に瀕している時点で、マーケティング戦略のコンサルティングサポートができなかったのだろう?来年から物流会社の社員となる私は、そこまで付加価値をつけてサポートすべきだ、そこまでサポートするのは物流会社の社員の役割だ、と考えている。売れる商品は作り続けられるので、常にその商品は運ばれる。運んでいる人間が消費者のニーズに気付かないはずが無い。ニーズの移り変わりも敏感に肌で感じることができるだろう。だから、マーケティング戦略企画立案は、物流会社の社員の役割であると・・・。
あの納豆工場経営者のように日々、商品を作ることに生きがいを見出している人はいくらでも世の中にいると思う。その商品を運ぶ人間としては彼らにその生きがいを持ち続けて欲しいと思う。
4 不用品を収益化へ
マーケティング戦略だけでは、企業の売上・利益に限界があるのは、私にも分かっている。そこで、新たな収益構造を見出していく必要がありそうである。
松下電器産業が、売れ残りが原因で、倉庫保管し、時が経つにつれ、時代にそぐわなくなってしまった商品を大量に抱えたことがある。その時、松下幸之助は、「これ、もう売れんのやろ?これは人力車が自動車に変わったようなものや。無理して売っても、お客さんが後悔されるだけや。しゃあない、全部捨てい。よう捨てられんかったら、わしが買うたるわ。」(『説得の法則』 唐津一 p111)と言ったといわれている。商品を作りながら、廃棄処分するということは、松下にとって多大な赤字を出すということである。その在庫は、物流会社の倉庫で保管されているわけであるから、日々その在庫が増えていることに気付けば、何とか手を打たなければと考えるべきである。そして、どのようにしてその不用品を収益に変えていくか、これも、物流会社の社員の役割だろうと考えた。
@企業の不用品を収益化できるのであれば、家庭における不用品を回収して収益化することも出来るだろう。
A顧客企業が不用品から収益化できるなら、その不用品を運ぶ物流会社も売上を伸ばせるだろう。
5 物流業界の現状
現在、どの業界も、新たな収益源を確保する道を模索させられている。物流業界だけに限られた話では無い。だが、@物流会社はコスト削減のターゲットにされる、A顧客は有名企業に運送を要請する傾向在り、Bライバル企業が多数存在する(全国に物流会社は58146社、存在する(平成15年3月31日の資料:『平成16年版トラック輸送産業の現状と課題』 p29))などを考えれば、非常に厳しい業界といわれている。(余計なことだが、IT企業は全国に7000社あるといわれている。それに比べれば、物流会社は途方も無い数といえよう。その上、毎年、物流会社は1000社ほど新たに設立されているという。10年後までに生き残れる物流会社は、現在の10分の1といわれる。)
集荷業務、全国の(物流)路線会社との提携に基づく到着業務は年々減り続けている。物流会社御三家といわれる佐川急便(売上約8000億)、日本通運(JRとの提携による貨物輸送は以前から存在した。売上約1兆6669億)、ヤマト運輸(クロネコヤマト:売上約1兆113億)が今までやらなかった長距離輸送に参入し、従来の路線会社(西濃運輸:売上4177億、札幌通運:売上326億、トナミ運輸:売上1267億、名鉄運輸:売上937億・・・など)に殴り込みをかけるといわれている。物流業界は、ますます混沌としてくるだろう。
6 物流会社に対する顧客企業の態度の変化
今まで、どの企業も物流会社にはお金を支払うだけであった。だから、物流費用削減が経営会議においても議論の焦点にされていた。だが、製品を販売店まで運ぶ以上、どんなに物流費用を抑制しても0には出来ない。そこで、物流会社のおかげで、@マーケティング戦略、Aシステムによる業務効率化や経費削減などに頼らない、第3の利益確保手段を模索すれば、物流会社に対する顧客企業の見方も変わるだろう。これが出来る会社かどうかで、物流業界を生き残ることが出来るかどうかが掛かってくるのである。
野球の試合を思い浮かべていただきたい。野球の試合は点取りゲームである。ピッチャーが相手打線を0点に抑えることは嬉しいかもしれない。だが、@いつも0点に抑える事を期待するのは無理というものだろうし、A点を入れなければ試合には勝てない。これからの物流会社は、ピッチャーからバッターの役割に転換する必要があるだろう。
7 コンビニエンスストアが利用する物流会社
私は、午後11まで新宿三井ビルにある『シズラー(Sizzler)』でアルバイトをしている。ほとんど毎日、私が家にたどり着くのは、24時過ぎ頃である。家の最寄り駅(中浦和駅)に着くと、駅前に在る『ファミリーマート』に商品を運ぶ物流会社のトラックが止まっている。24時。こんな時間でも商品を運ぶ物流会社が、クロネコ(ヤマト運輸)に限らず、あるのだと驚かされる。さらに驚くことは・・・『ファミリーマート』は自社で物流会社を保有しているのだが、自社の物流会社を利用しないで、アウトソーシング(外注)により他社に運送を任せている場合もあること。自社で物流会社を保有しながら、それを活かせないようでは、近い将来、ファミリーマートを初めとするコンビ二業界のロジスティックスは物流会社に買い取られることになるだろう。コンビニだけに限らず、ロジスティックスにコア=コンピタンス(他社には真似出来ない程の圧倒的優位性)を確立させるつもりの無い会社も同様であろう。
ちなみに、『シズラー』でアルバイトをしている理由について・・・外食産業も食品が無ければ経営は成り立たない。食品を運ぶ会社は、やはり物流会社である。つまり、物流会社にとってレストラン等は顧客企業である。食品は永遠に人々から必要とされる。いつ、どのような食品を消費者は食するかによって、マーケティング戦略は変わってくるはずだと考えたからであった。企業経営は顧客企業との協同によって成り立つわけだから、顧客企業から必要とされ続ける限り、その戦略策定は物流会社の営業社員の仕事だと考える私は、「レストランで一度、仕事をしなければ、分かろうはずが無い。」と考えたわけである。外食産業のマーケティング戦略を垣間見るだけでも、食品専門商社や食品加工メーカー等の食品関連会社に応用できるのではないか?
アルバイトをしているうちに学んだこと・・・@マーケティング戦略だけでは、顧客数、リピート数、売上、利益に限界が生じる事、Aサービス担当者(主に、接客担当者)がサービスに徹することによって、サービスの質が向上すること(ウォッシャー(Washer)はサービス担当者を如何にサポート出来るか、に全てが掛かってくる。)例えば、『松屋』という牛丼屋は、接客担当も食器洗い担当もキッチン担当も、同一人物が行っている(一応、役割は分担されていることも確かだが・・・ちなみに、以前、『松屋』でアルバイトをした事がある)。これでは、サービスの質の向上に限界があろう。
8 物流事業の定義を再考せよ
「事業の定義は、当事者が思うとおりに決めればよいと突き放してしまうわけにはいかない。なぜなら、事業の定義をどのように行うかによって、マーケティング=マネジメントの基本的な前提となる様々な問題に影響が及ぶからである。したがって、事業の定義は、単なる当事者の価値観や信念の発露ではなく、戦略的な洞察を備えた意思決定でなければならない。そのためには、事業の定義が、マーケティング=マネジメントにどのような影響を及ぼすのかを多面的に理解しておかなければならない。」(ゼミナールマーケティング入門 石井淳蔵 p173〜174)
「事業の定義にあたっては、近視眼(マーケティングの近視眼)に陥らないようにしなければならない。あまり近くを見すぎると、肝心な点を取り違えてしまうからである。その名付け親は、ハーバード=ビジネス=スクールのセオドア=レビット教授である。
レビット教授の論文の中に、『4分の1インチ=ドリル』という有名なエピソードが出てくる。かつて、全米で『4分の1インチ=ドリル』が1年間に100万個売れたことがあった。これを見て、「4分の1インチ=ドリルを購入した人達は、何が欲しかったのだろうか?」と問うた人がいる。
「おかしな事を尋ねるものだ。『4分の1インチ=ドリル』が欲しかったから買ったに決まっているではないか。」と答えたくなるが、少し考えてみて欲しい。ドリルを買った人達は、本当にドリルが欲しかったのだろうか?この人達が本当に欲しかったのはドリルではなく、そのドリルで開けた「4分の1インチの丸い穴」だったのではないだろうか?4分の1インチの丸い穴さえ手に入れば、ドリルなぞ必要無い。玄関の飾りになるわけでもないし、趣味で集めているわけでもない。
我々は毎日の生活の中で、往々にして手段と目的とを取り違えてしまう。同じことはビジネスの世界でも起こる。そして、レビット教授は、この取り違えが企業を滅ぼしてしまうことがあると指摘している。」(マーケティングゼミナール入門 石井淳蔵 p175)
「主要産業といわれるものなら、一度は成長産業だったことがある。成長に沸いていても、衰退の兆候が顕著に認められる産業がある。成長の真っ只中にいると思われている産業が、実は成長を止めてしまっていることもある。いずれの場合も成長が脅かされたり、鈍ったり、止まってしまったりする原因は、市場の飽和にあるのではない。経営に失敗したからである。失敗の原因は経営者にある。詰まるところ、責任ある経営者とは、重要な目的と方針に対応できる経営者である。」(ハーバード・ビジネス・レヴュー2001年11月号 セオドア・レビットのマーケティング論 p53)
「写真フィルムを製造できる企業は、世界に4社ほどしかない。十数層にわたってフィルムに化学液を塗布する技術は、他のどの企業も真似できない技術だといわれてきた。そして、あれ程鮮明な画像をわずか数十円で手に入れられるサービスには、他の画像技術は追いつけないと考えられていた。コダックを初めとする4社は、それこそ永遠に高収益を上げ続けるように見えた。
しかし、現実は違った。もし、富士写真フィルムやコニカミノルタが自社の技術を誇りに思い、自社を『写真フィルムメーカー』と考えていたら、両社とも、きっと今頃地球上から消えていただろう。デジタルカメラの普及が一挙に市場の状況を変えてしまったからだ。
しかし、両社ともいち早く、自社が提供するものを『フィルム』から『画像処理』へと定義替えしていた。フィルム以外の様々な画像処理技術を取り込んでいたのである。その中に、PPC(普通紙用コピー機)やデジタル画像の技術があったことはいうまでも無い。
(1)事業の定義に当たっては、『顧客が本当に求めているものは何か』を良く考えることが重要である。顧客が本当に求めているものに気付くだけで、新たなビジネスチャンスが開けることがある。
例えば、アート引越センターは、顧客が求めているものは何かをよく考えることで、引越業のイノベーションを起こした。アート引越センター(旧寺田運輸)がユニークだったのは、「引越しの荷物を運びたいと言ってくるお客さんは、本当のところ何を求めているのか?」という問いを、真剣に考え抜いた後に出した答えであった。引越しをしようとしている消費者が本当に欲しいのは、トラックでもなければ運送サービスでもない。「消費者が本当に求めているのは、荷物の移動では無く、生活の移転だ」と気付いたとき、『引越しビジネス』が誕生した。
(2)
事業の定義に当たっては、『そもそも何をすべきなのか』についてよく考えることも重要である。物事を正しく行うことは大切だが、そもそも何をすべきかを考えることはもっと重要である。これまで多くの企業の栄枯盛衰があったが、企業が衰退していく理由の一つとして、『何をすべきか』という事業の定義が間違っていたことが挙げられる。
難しいのは、『何をすべきか』が、時間の流れの中で変化していくということである。」(ゼミナールマーケティング入門 石井淳蔵 p176〜178)
私は、まだ『物流事業』について明確な定義を設定できない故、今後、仕事を実際に行っていく上での課題となろう。参考までに、次のような意見を述べる学者もいることを記しておく。
「先日、講演会がありました。運輸会社の人が来ておられました。その運輸会社は戸別配達で良い事をしているように見えるけれども、私には不満だという話をしました。不在票を配達員が置いていくときに、誰から何を、ということを書いていない。それを書くのに4秒しか掛からない。物を人に届けるというプロセスの最終的な仕事をするのが配達の人ですが、その最後の仕事が完璧であることによって運輸会社全体が輝くのです。
そこで、私は何を申し上げたか?彼らは配達者であって、商人ではない。受け取った人にとっては、誰から何が届いているということは感動のメッセージなのです。もし商人なら、通知書ではなく、不在票でもなく、メッセージを書くべきですね。
たったそれだけのことがなぜできないのか?これは針の先の差です。針の先の差も無いかもしれません。たった、誰々様から何々、そして担当者名を書くだけです。さらに、「何かおいしく香るもの、マツタケのようです。貴方の配達人 誰々」と書いていたら、嬉しくは無いですか?なぜ喜ばすメッセージに変えないのだろうかというのが、私の不満です。告知のメッセージから感動のメッセージに変えるというのが、最終的にお伝えする人ではありませんか。これが出来ない日本になっています。」(『村田昭治のマーケティング=ゼミナール』 p132〜133)
9 物流業界と流通業界
(船井幸雄の著作を今後読むかもしれない方のためにちょっとした説明と私の考えを記しておきました。)
この2つは、同じ事を指していると考えてくれても良いと私は考えるのだが、船井幸雄という物流コンサルタントの著作を読むと、どうやら同じとばかりいえないようである。彼は、商品を個人顧客に手渡す役割を担う業界、そしてその中心となるのは、小売業と百貨店であると考えているらしい。彼の著作の中でタイトルに『流通業界』という文字の躍るものは、全体的に『小売業と百貨店』についてばかり書かれている。物流に関しては、ほんの触り程度である。
そこで、流通業界とは、『商品を個人顧客に手渡すまでの仕事を全て担う業界』と考えた方がよいかもしれない。物流業界は、流通業界のほんの一部ということになりそうである。そうなると今後、流通業界の範囲が広がっていくことだろう。
私は、この文章のタイトルに『流通』という言葉を記した。それは、『物流』に関してだけひたすら文章を書くのではなく、様々な観点も加味しながら、『物流』について深く考え直して見ようとの想いを含めたかったからである。
ちなみに、余計な事を言うのかもしれないが、新聞に『流通業界』という言葉が記されるが、新聞記者は良く考えないでこの言葉を使っているのではないかと気がかりになることがある。
10 トラックを見た時の最近の私は・・・
物流会社に就職先が決まって以来、私はトラックを非常に気にするようになった。トラックの発見が趣味かと思うほどに。
物流会社でのインターンシップの時の記憶が甦る。各物流会社(『飛脚』又は『潮騒?』が描かれたトラック(佐川)、ペリカン(日通)、クロネコ、カンガルー(西濃)、福山、サカイの引越し、アリ、ゾウ(松本引越し)、ドラえもん(アート引越し)・・・)のトラックや営業社員のおかげで、何度となく自分の仕事に対する使命感を認識させてもらったことを・・・その度ごとに内なる力が生じた。
今日も、トラックを見つけるごとに、頑張って物を運ぶ彼らのおかげで生きる活力・仕事(アルバイトなど)に対する意欲が多大に生じている。それは、私の歩む方向性を忘れたくない故だろう。