そもそもの事の始まりは明大前に住む友達の自転車に乗った時。普段壊れた自転車(1km毎にチェーンが外れ、ペダルがやたら重い)に乗っていた僕は、なんて軽いペダルなのだ・・・この自転車ならどこまででも行ける!と感動に打ち震えた。これがこの自転車との運命の出会いの日だった。この日以来、僕はこの自転車に恋心をよせ始め、いつしか頭の中は彼女(自転車)のことでいっぱいとなっていた。いつかこの自転車を自分の物にしてやりたい、いや何が何でも自分の物にしてやると一種の略奪愛に目覚めていた。このままいけば窃盗罪で捕まるところであった・・・やもしれぬ。
そんな犯罪者ギリギリの僕のところへ、ある日、突然その友達から吉報が届いた。「自転車駅前に置いていたら撤去されちゃって、取りに行くの面倒臭いから新しく買っちゃった。」と友人。これはまたとないチャンス!早速僕は友達に撤去された自転車の回収代金を支払うから譲ってくれとの契約を締結(ここらへんは法学部生っぽく、キドっておこう)した。長年の片想いを成就させたのだ。これはおそらく、神様か愛のキューピットが実際に見ていて、普段の行いの良い僕にキセキを起こしてくれたのだろう。・・・とまで言うと、おそらくみなさんはこんなに恋心をよせている自転車なのだからさぞかし立派な自転車なのだろう、とお思いになるかもしれない。ちょっと以下に簡単に彼女(以下便宜上甲と呼ぶ←ここでも法学生っぽくキドって)の説明をしておく。甲はMIYATA出身である。身長はおそらくは27型であろう。ギア機能など洒落たものはついておらず、アクセサリーに銀色のカゴ(シルバーアクセサリーとも呼ぶ)がついているのみである。これだけだと分かりづらいと思うので風貌を写真で載せておこう(左絵)。
一見すると普通の自転車だが、実際にはワンランク下のママチャリである。売買されるとしたら3万円程度であろうか。
ちなみに参考までに自転車愛好家で全国的に知られている(通説・判例)我が甲斐先生(甲斐先生のHP一般随筆参照)は、僕の夢の中ではメーカー希望価格60万円!のポルシェ製高級自転車にお乗りになっていた(右絵)。
なにはともあれ僕はこの自転車と運命的に出会い、そして結ばれたのだった。ここでめでたしめでたしで済めば良かったのだが、2人の恋の行方はロミオとジュリエット並みに茨の道であった。なんといっても僕は住んでいるのが千葉県の成田。2人が結ばれた場所は明大前(新宿から京王線で3駅)。明大前から成田まで何キロあるかは分からないが(100キロ弱?)、通常ママチャリで移動する距離でないことだけは確かである。しかし、「甲とならどんな苦難でも乗り越え、どこまでも走っていける」とはじめての出会いの時に確信した以上怖気づくわけにはいかない。甲斐先生には、「そんなことをするのは正気の沙汰とは思えない(甲斐先生レジュメ:冬合宿スキーでの注意点参照)」と叱られそうではあるが、ここに甲との明大前→成田への旅を開始した。
甲と共に成田を目指すのは良いが、時期は夏真っ盛りであったため、己と甲の体力と相談し、2日にわけて目指すことにした。
第1日目
第1日目・・というか、自転車を受け取った日であるが、とりあえず京王線沿いに新宿に行こう。新宿に行って総武線沿いに走り船橋まで行こう!とノープラン丸出しで僕は地図も無しに盗んだ譲り受けたバイク(甲)で走りだした。
・・・が、やはりノープラン地図無しはまずかった。
笹塚から新宿までは京王線は地下鉄になるため、どこが線路なのかわからない。笹塚からは己の勘のみを信じて新宿を目指す。こう見えても僕は結構方向感覚がよい。新宿に着く自信は十分だ。
そして幾多の坂道を汗だくで走ること30分、ついに!・・・阿佐ヶ谷についた(笑)要は方向が90度まるで違っていたということだ。一日目の最初から出鼻を挫かれ、無駄に体力を失った僕は甲とは阿佐ヶ谷駅で離婚して、電車(乙)と再婚することを本気で考えたが、慰謝料請求が怖かったのでやめた。
その後はひたすら総武線沿いに甲を踏みつけること1時間半。やっとのことで錦糸町に到達。再び乙との浮気心が頭をよぎり・・・今度は負けた(笑)甲にばれると仕打ちが怖い。浮気の現場を見られないために、甲を錦糸町駅前マルイデパートの駐輪場に丁寧に縛り付け、総武線→京成本線と乗り継ぎ成田へ帰る。
帰宅後、笹塚での失敗を反省し、インターネットで地図を検索し、翌日の第2日目に備えた。
第2日目
15時45分。まだまだ太陽が照り付けている中、甲を迎えに行き、1日ぶりの再会を果たす。成田へ向けてのお互い気合は十分。しかも今日は24時間TVの日。丸山弁護士が走るなら俺もいくぞ!ってノリですね。
しかし残念なのは、@丸山氏は弁護士:僕はプー。A丸山氏には待っている人がいる:僕にはいない。B丸山氏には歓声がある:僕には無い。の3点か。Bはなんとか改善することができるのではないかとゼミ長にメールで応援要請するも、「バカじゃん(笑)」と一掃される。←後々ちゃんと応援メールくれました。ありがとう!ゼミ長!ゼミ長は人望が厚い。
さて、いよいよ2日目日程スタート。
まずは軽快に錦糸町から中川まで14号線を走る。途中人が多いし、横断歩道がなくて歩道橋だったりして走りにくい。しばらくすると荒川に到着。いやーでっかいね。うんでっかい。
初めてちゃんと見たよ。これはもう海だよ海!(とても大げさ
川を越えたところで左折。小岩方面へ。まっすぐいって江戸川を越えちゃえば一番早いのだけど、僕の予想(あくまで勘)ではまっすぐいく道は車専用で自転車では通れないのではないかなぁと。高速道路かもしれない。従って迂回。急がば回れ。急いでないけど。
小岩で右折。今度は江戸川。いやー、でっかいねぇ。うんでっかい。初めてちゃんと見たよ。これはもう(以下同文
川の横には朝通学電車で見ている和洋女子大学が・・・ふと、立ち寄ってみたい衝動に駆られたが彼女(甲)が一緒にいて見張っているため断念。
そして船橋競馬場までひたすら直進。この道にはスナックがやたらとたくさんあったが、まともな店はほとんど存在していなかった。どう見ても物置にしか見えない店や、なぜか入り口に汚い水槽を4つ置き、亀を飼っている店など謎な店が多い。友達の名前と同じお店を見つけては写メに撮り送信を繰り返すなど、この時にはまだ旅(悪戯)を楽しむ余裕があった。
競馬場から左折今度は296号線へ!しばらく行くと行列のできているラーメン屋を発見!その名も「弁慶」
自称B級グルメな僕。ちょうどお腹もへってきたし・・・と思ったが、あいにく道の反対側だったので面倒でやめる。どうせすぐまた良い店があるでしょう。っと思いきや・・・・・・・無い・・・無い・・・
行けども行けども(回転)寿司屋しかない。
なんじゃこりゃぁああああ(松田U作風)
自転車トリビア「国道14号、296号は寿司屋だらけ。特にスシローとかっぱ寿司」
もうだめ、お腹へって死ぬ・・・と思っていたところに救世主登場!行列できていますよ!ラーメンだよ!その名も「かいさん」
おいしいらしく、雑誌の紹介記事が店の入り口に貼ってあり、行列もできている。
なに!?「かいさん」とは甲斐ゼミ生としてはなんとしてでも行かなければならない、と気合満々で行列に参加する。(のちにお店の名刺を見て気づいたのだが「かいさん」ではなく「かいざん」だった。甲斐先生すみません。)
食べたのはラーメン+もやし+ネギ丼。とんこつベースのラーメン。うん、けっこうおいしい。でも成田家(俺の家のすぐ近くにある横浜家系列の店)の方がおいしい←行列できないのが不思議。短時間の観察の結果「かいざん」が行列できていたのはどうやら親子連れの客が多く、食べるのが遅かったからと判明しました。
よし、お腹も膨れたし残り一気に行こうかなと思いふと道路標識をみると・・・成田まであと37キロの表示・・・まだそんなにあるか・・・お腹が膨れた直後だけに脱力感に襲われる。
しばらく甲を漕ぐものの、食事前とは比べ物にならないほど体力の消費がはげしい。
うう、暗くなってきたよ・・・
うう、道が凸凹だよ・・・
うう、お尻が痛いよ・・・
うう、坂が多くなってきたよ・・・
うう、宝くじ当たらないよ・・・
うう、一之江二郎(有名ラーメン屋)行けばよかった・・・
うう、亀戸二郎(上記の系列店)でもよかった・・・
真夏に乗り慣れない甲にまたがり長時間見たこともない道を走り、疲れきった身体で考えられることはこの程度であった。しかもすべてマイナス思考。あとは漕ぐ。ひたすら、黙々と漕ぎつづける。いつの間にか日は沈み周りはまっくら。道も国道とは呼べないほどに狭くなり、やがて目印にしていた道路脇の国道のマークも無くなる。本格的に田舎になってきて、道が折れ曲がり、坂が多くなりきつくなる。フィーリングの旅は恐ろしいと実感。暗い夜道、しかも道が合っているのかどうかさえ分からないのに漕ぎ続ける。
午後6時50分。あと成田まで20キロ。街灯もなくなる。両脇が森で覆われた一本道で漆黒の闇というものを初めて経験する。怖い・・・本当に怖い・・・
死んだらこんな感じの真っ暗闇で1人ぼっちなんだろうか、とか普段では考えないことまで考えだす。はるか遠くに見える信号の光だけを頼りにのぼり坂(もちろん歩道などない)を駆け上る。しかし、そこを抜けた時成田まで11キロの表示が!あと一息ラストスパート。時刻7時30分
気合を入れなおし漕ぐこと30分、成田の有名デパートやショッピングセンターの看板がちらほらと現れ始めた。もうすぐ帰れる!帰れるんだ!と頭の中は喜びにあふれた。今までに増して坂道が増えたがそんな事もなんのその、目的地が目の前とあらば俄然やる気100%。最後の力を振り絞って甲を漕ぐ。
そしてついに!「ここより成田市内」の標識を通過!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!俺はやり遂げたんだ!」という感動と共に、道って本当に続いているのだなぁ、としみじみして涙が出てきた。きっと人生ってこんな風に、目的地へ向かって走りつづけることなのだろう。時には迷い、時には寄り道をし、また時には逆走をする。それでもなんとか地図で道を探し、暗く、怖い時にも一漕ぎ一漕ぎ確実に目標に向かっていけば必ずそこにたどり着く。当たり前のことかもしれないが大切なことを身をもって体験した旅。
おそらく、法曹や国家公務員を志している僕らは、今将来の不安などを抱え、暗闇を各々迷走しているところであろう。自らの目標への道程が合っているのか否かわからない者もいるだろう。こんな僕らの、目的地への手がかりである地図であり、暗闇を照らす街路灯であるのが、我々が所属する「甲斐ゼミナール」なのではないでしょうか。みなさん、この地図と光を頼りに突き進み、目的地で会いましょう!!
《コメント》
君から自転車愛好家というお墨付きを頂いた私の権威に掛けて申しますが、写真で見る限り、君の愛車である甲くんは、ママチャリではありません。メーカーが『シティウォーカー』あるいは『シティサイクル』等と呼んでいる種類です。
ママチャリとは、ママが乗るチャリンコの略語ですから、ある自転車をママチャリというためには、ママ達の日常の使用に耐える構造になっている必要があります。
第1に女性用の構造であること。ここで言う女性用とは、スカートをはいたまま乗れる構造になっていることです。写真を見ると、甲くんは、チェーンが上にカバーが着いているだけで、下半分はむき出しになっています。これだと、スカートの裾がチェーンに巻き込まれるおそれがあります。近所で、実際にママ達が乗っている自転車をよく見てほしいのですが、必ず、チェーンが完全に被覆され、外からは全然見えない構造になっていることが判ります。ついでに言えば、ママチャリは、後輪にスカートの裾が巻き込まれるのを防ぐために、かならず後輪のシートの下部分にプラスティックその他の網が被せてあるものです。甲くんはこの点からもママチャリ失格です。
第2に、荷台がついていることです。ママ達がママチャリを走らせる最大の目的は、お買い物です。したがって、前の篭だけでは積載量が不足します。それらを積むために、荷台がほしいのです。あるいは、ママと普通の女性を区別する最大のポイントは、幼児がいることです。そこで幼児が乗るためのチャイルドシートを載せる場所としても、荷台が必要です。この点でも甲くんがママチャリ失格なのは判ると思います。
第3に、これは絶対的な条件ではありませんが、普通、ママチャリは3段変速になっているものです。重量物を積んで買い物から帰ってくるためには、普通の女性にはそうしたアシストがないとつらいからです。この点は写真からでははっきりしませんが、どうも変速ギアはついていないように見えます。また、27インチという大きさもママチャリではまず存在しない大きさです。女性は男性よりも一般に上背がないものなので、26インチでさえも女性用としてはあまりない部類に入ります。普通のママチャリは、23半ではないでしょうか。
話は変わって、君の夢の中ではなく、私が現実に乗っている自転車ですが、これは『ロードランナー』と呼ばれる種類です。君の夢の自転車は、明らかにマウンテンバイクですが、これは第1に、市街地を走行するのにはよけいな力が必要であり、第2に泥よけがないので、雨の日などに走行不可能であり、第3に前後の荷台がないので、長距離走行に欠かせない荷物を載せることができない等、数多くの欠陥があるため、私は絶対に使いません。
ロードランナーは、ドロップハンドルが原則である点を除くと、サイクリング車とも違う種類です。サイクリング車は、長距離を高速で走るために、極力車体を軽量化しているために、マウンテンバイクとは対照的にものすごく細いタイヤをつけていますが、それを除くとマウンテンバイクと似た特徴を持っています。つまりやはり泥よけも荷台もないのです。荷物や修理器具などは、伴走する自動車に積んで,別途持ってこさせるという発想の自転車といえます。ツール・ド・フランスを考えてもらえば判ると思います。
これに対して、ロードランナーは、そうした自動車の伴走なしに長距離を走ることを前提とした設計の自転車です。車輪は、甲くんなど、シティウォーカーと同じ、1・3/8というちょっと幅広の頑丈なものになります。サイクリング車の細くて薄いタイヤで市街地を走ると、直ぐにパンクしてしまうからです。雨の日でも、泥道でもびくともせずに走れるように、前後の泥よけも必須のものです。そして、泊まりがけの旅行にも耐えられるように、ママチャリを上回るしっかりした荷台が前後についているわけです。
当然フレームも、そうした重量に耐えられるように、サイクリング車に比べるとがっちりしています。
最近、日本の自転車業界が、外国のやすい部品メーカーに押されて凋落し、事実上国産車が無くなりました。それに伴い、昔は普通に売られていたこのロードランナーが、メーカーのカタログから姿を消して久しいものがあります。今私が乗っているのは、ブリジストンが最後に販売したロードランナーの、さらに最後の商品です(販売店に、どこかで売れ残っているのがないか、と探させて購入したものです)。性能的にはかなり不満があるのですが、何しろ最後の商品なので、嫌も応もなく買ったものです。これが壊れ、そしてブリジストンに部品のストックが無くなったら、自転車そのものを特注するしか無い状況にあります。