13期生(3年生)

 

最近思うこと

                                                              後藤 清隆

 

僕の出身地は群馬県。東京からリッチに新幹線を使うと一時間足らずで着く場所である。しかし、群馬にはまだまだ田舎くささが残っている。

 交通の便は非常に悪く、電車は一時間に数本…バスは二時間に数本…(笑)その代わり一家庭当たりの自動車の保有率全国上位!!(ひょっとしたら一位かも!?)悪いことばかりでなく、自然も多く残っているし、食べ物も旨い。

 だが、最も特筆すべきは「近所付き合い」である。高校卒業までの十数年間、近所を歩いていて挨拶をしなかった日はない。それと同時に、見た事がない人もほとんどいない。周囲は農家が多いため、学校から帰ると、玄関の前に差出人不明の野菜の山ができている…なんてことは頻繁にあった。休日家にいれば、玄関でもない所から突然人が話しかけてくることもあった。僕にとってはそれが常識であり、当時はあまり違和感なく生活していたが…今考えれば「近所の監視網」とでも言うような、周りの干渉の中生きていたと言っても過言ではないくらい、近所の人とは密にお付き合いをしていた。

 東京に出てきて三年目、最近ふと思うのは、こっちは近所の繋がりがほとんどないということである。駅では制服を着た高校生が平気でタバコを吸い、夜中になっても多くの中高生が駅近くをうろついていたりする。僕の地元でしようものなら、近所のおじさんに怒鳴り散らされて話は終わりだ。しかし、こっちではそれを注意するのが警察官しかいない…なんか気づいたら愚痴のようになっているが、こっちに来てしばしば目の当たりにするこんな光景に、初めは驚いた。

 つい先日、東京都の町田市で、女子高生が殺害される事件が起きた。犯人は近くに住む男子高生だった。マスコミの話では、事件当時30分もの間、被害者である女の子の叫び声が聞かれていたが、不審に思って助けに行った人は誰一人いなかったという。誰か大人が行っていれば…なんて思ったりもするが、所詮きれい事である。

 都会で生活をしていると、近所の人と付き合ったために事件に巻き込まれた…なんてこともないとは言えないため、何が正しいのか全くわからない。それゆえ、いまよく言う「自分の身は自分で守る」ことが大切なのかもしれない。東京で生活する以上、自分も気を付けなければ…と思いつつ群馬のことを考える今日この頃。

 

そうだ…群馬に帰ろう!!(笑)

《コメント》

 本当にそんなに、全県的に田舎田舎しているのですか? 確かに自動車保有率は高いけれど(私の調べたところでは、2004年度は群馬は一位の座を滑って、福井が一番で、群馬は二番)、同じような条件の県はほかにもある(例えば栃木の自動車保有率が群馬よりぐっと下がるのはなぜなんだろう)し、もっと交通の便の悪い県もある( 例えば北海道や岩手県)のに群馬ほどは高くないわけです。

 いろいろ考えた末に、私が思いついたのは、群馬県といえば昔の上州のことだということです。上州といえば空っ風と並んでかかあ天下が名物。つまり、今日の言葉で言えば、伝統的に女性の社会的地位が高い地方なのです。だから、家庭内での発言力の強い主婦が、ファミリィカーとは別に、自分の専用車を要求している性で、一家に二台ということではないでしょうか。

 

 

コレからは、どうしたって卒業できません…

田 名奈子

 

 私がどうしても卒業できないもの…それは、漫画です。小さい頃から漫画と共に育ってきた私にとって、漫画は私の一部となっています。そこで、今回は今気になっている漫画について熱く語ってみようと思います。 

 とりあえず私が今一番気に入っている漫画は『ハチミツとクローバー』(集英社ヤングユー(休刊後コーラスへ移籍)で連載中/羽海野チカ)です。本屋で発見して以来気にはなっていたのですが、購入の決め手となったのはアニメでした。絵がきれい&挿入歌がスピッツ&内容もおもしろいってことで、まさに「ハチクロキタ=====!!」(古い?)という感じでしたね。内容は、登場人物がみんな片思いというなんとも切ない話なのですが、泣けるだけではなく笑えます!小ネタが随所にちりばめられています!でもなんといってもそれぞれの恋が切なくてたまらないのです…うぅ。あんまり話してしまうともったいないので、内容はこのくらいで。(そして私の文章力ではあのすばらしさは伝えられません!)ちなみに宣伝文句(?)は、「トキメキ☆逆走ラブ・ストーリー」です。こんなに熱い想いを抱いている私ですが、実は今の時点でまだ4巻までしか持っていません。現在8巻まで出ているのですが…早く揃えたいです。気になる…。あと、木彫りの小鳥のブローチがほしいです。木素材は、「堅めでよくかわいてて」「白っぽいヤツ」がいいです。自分で作っちゃおうかな…。気になってしまった人はとにかく読んでみてください。そして一緒にほんわかしましょう。 

 最近いろんな漫画の完全版がでてきました。今はお金がなくて買えませんが、来年絶対買おうと思っているのは『封神演義』(集英社週刊少年ジャンプ/藤崎竜)と『花より男子』(集英社マーガレット/神尾葉子)です。封神完全版はまずカバーデザインがいいです!フジリュー最高!早く集めて本棚に並べたいです。これはもうお金ためてまとめて買います。花男は高校時代に友達に借りて読んでいたのですが、高校卒業後は借りていないので結末を知らないのです。気になります。また最初から読み直して思いっきり泣きたいです。 

 もっとたくさん語りたいことはあるのですが、キリがないのでそろそろ終わりにしたいと思います。私の性格を形成するのに一役買った漫画たち、今までありがとう。そしてこれからもよろしくね。くだらない且つひとりよがりな話にもかかわらず最後までお付き合いしてくださった方、いらっしゃいましたらありがとうございました。あと、オススメがありましたら教えてください。

 

《コメント》

 御金がなかったら、食費を削ってでも、自腹でフルセットそろえないうちは、卒業できない、というほどはまっているうちには入らないと思いますよ。最近はよい時代になって、昔の本で、一般に 刊行されていないものでも、オン・デマンド出版といって、注文すれば、特別に印刷・製本してくれるようになったので、そろえるのも楽になりました。

 昔、私が学生時代、巨人の星を法職研究室にそろえようと思い立ったことがあるのです。その当時は、そもそも特定の漫画だけを抜き出して単行本にしたもの、なんて言うものはサザエさんくらいしかなかったから、巨人の星をそろえるとは、少年マガジンのバックナンバーをそろえるのとイコールの意味です。ありがたいことに、あのころは、マガジンのバックナンバーがちゃんと神保町の古本屋で売られていたので、神保町中 を歩き回って、無事そろえられました。あれは、その後も、法職研究室の誇り(?)だったのですが、学園紛争の騒動の中で、法職研究室自体が消えてしまい、未だに復活していません。あの本はどこに消えたのでしょうね。

 

 

 

睡眠時間

 〜眠気の中で犬死にしないための方法序説〜

                          河野 通雅

 

まず、初めに、なぜサブタイトルが方法「序説」なのかというと、ぼくはこの言葉が好きなのである。基本的にこの手の文章というものは自分について「ほんとのこと」を書くのが礼儀であり、筋だ。しかし、「ほんとのこと」とは何か。これがムズカシイ。この問いは、いつになったら大人かという設問に似ている。あるひとは満20歳になれば大人であるというし、またあるひとはサンタクロースが来なくなったら大人であるというかもしれない。つまりこれらの設問はいくら身を入れて考えても結果的にうまくいかない点で似ている。自分の内面的心理的領域の「ほんとのこと」など誰がわかろう。しかもぼくは文学部なわけでもないし、文学青年なわけでもない。しかも、この上、量の問題もある。よく、メールをしている時に思うことだが、自分の伝えたいことを限られた文字に表現するのもまたムズカシイ。だから、ぼくはほんのわずかばかりのことを、不十分に伝えるだけに甘んじ、結局は無念の涙をこらえながら悲嘆にくれるわけだ。

そして量的に十分でない「ほんとのこと」は「ほんとのこと」ではないのではあるまいか。だからもしありあまる時間と技巧に恵まれた場合は続きを書くぞってなわけで「序説」なのだ。もし。

 さて、ぼくの一日の睡眠時間はだいたい3〜12時間である。つまりは決まっていないということだ。ぼくはつねづね睡眠時間を自由に管理できる方法があるならば、それは人類の英知と呼ぶことができるだろうと思う。考えてみてください、自分の寝る必要があるときに寝られ、起きる必要があるときに起きられる。なんて素晴らしい。と、ひとりよがりなことを書いているが実は大半のひとはこれができる。なぜ?なぜこのようなことをひとは実践できるのかいまだぼくにはわからないが、なぜぼくがこれを実践できないのかはよくわかっている。それは極度の宵っ張りと朝の弱さ(意思の弱さともいう)のせいだ。このふたつは同じカードの裏表のように感じられるが、実はちがう。いくらたくさん寝ても朝はつらいのである。これらについて考えていきたい。

 ぼくは夜が好きだ。散歩は朝よりも夜の方がいいし(ケーサツのヒトに呼び止められなければ)、ぼくの好きな音楽は夜に合うものの方が多い。例えば「朝に聞くクラシック」なんて苦手中の苦手だ。例えばペールギュントなんか小学校の朝の放送しか連想されない。朝には星も見えないし。なんといっても寝てしまっては一日が終わってしまうが、起きていれば何かあるかも!という期待感というかロマンスは消しがたい。修学旅行の夜、寝てしまうのがもったいない様なものだ。ちなみに修学旅行の夜に誰よりも長く起きているとロクなことは無い。みんなが勝手気ままに寝るので自分が寝るスペースはないし、みんなのいびきのシンフォニーのなかで寝なければいけない。しかもちょっとさみしい。しかし、ぼくの夜を愛するという性質はぼくの中で深く息づいているし、ぼく自身気に入っているので直すわけにもいかない。そんなぼくだからか、自然と夜型体質になっているのだ。   

十数年間も夜型の生活を送っているともういけない。朝に散歩なんかすると体がびっくりして、違和感なんかを覚えてしまう。でも、朝型の方が実生活にむいている。講義があるのもテストがあるのも仕事があるのも朝だ。何度も朝型人間に自分を改造しようとしてみたが、ゴムの棒を曲げているようなものでちょっと気を抜くとぼくの体の内部に存在する夜型弾性力がボヨヨ〜ンとぼくを夜の闇につれもどす。しかもぼくは寝入りが極端に悪い。そんなわけでぼくは宵っ張りの人生を甘んじているわけである。

 もうひとつの問題にして最大の問題は朝起きるときである。ぼくは常々、幼稚園のころから朝ごはんを食べる時間があるならそのぶん寝ていたいと考え、その通り生きてきた(ぼくは低血圧なので朝は食欲がないし)。実際、朝起きる寸前の睡眠は値千金に感じる。しかし、ぼくだって由緒正しい日本の朝ごはん的な白米、味噌汁、おしんこ、焼き魚、のりに憧れないわけではないのだが食べられないのだからしかたがない。そしてぼくは21年の人生の中で気持ちよく起きられたためしが数えるほどしかないのである。日曜日の朝、目が覚めると窓から光が差し込み、鳥の囀りが聞こえ、ゆっくりとのびをし、今日の予定に思いを馳せる…。ぼくは起きたばかりだと認識力が著しく低下しているので鳥の囀りどころかその日の天気さえよくわからないのが現状だ。寝返りの回数も少ないらしく朝起きると体のふしぶし(特に首)が痛むし。しかし、朝一時間早く起きればもちろん一日の行動時間が一時間増えるわけだし、何よりも頭に怠惰という名の王冠をかぶって生きていたいわけでは決してない。断じてない。そんなぼくは毎日必ず、まるでどこかの異星にきてしまったかのような重苦しく、粘着力のあるベッドの上でのたうちまわったあげく「あと5分」という屈辱の敗北宣言を発した後、泥のような眠りに引き込まれ後になって歯噛みするということを繰り返している。

 これらの元凶はすべてぼくの意志の弱さである。ぼくは全般に及ぶ意志の強さという絶対目標は望まない。ただ、朝、睡魔に対して発揮できる意思の強さだけでいいのである。ぼくはこれまでいろいろな作戦を決行してきた。例えば、時計を極端に進めておく。これは有効だった。寝過ごして、飛び起きてシマッタ!!と思った3秒後に自らが行った作戦を思い出し、そのときには見事睡魔撃退完了。しかしこの作戦はすぐに慣れてしまうことと、決行するとぼくの心臓に著しい負担がかかるということに欠陥がある。

他にも目覚ましが鳴った瞬間に掛け布団と枕を放り投げるということもやったが結果は風邪をひいたにとどまった。この睡魔とのゲリラ戦のなかで唯一ぼくが悟ったのは人間の欲求の深さである。

 しかし、最近ぼくはこの泥沼のゲリラ戦にけりをつけるべく最終兵器の投入に踏み切った。それは「開き直り作戦」である。こう書くとただのナマケモノだが、実際は違う。この作戦の肝要な部分は「どうせ起きられないからいいんだ〜!」と開き直るのではなく、「ぼくは起きようと思いさえすればいつだって起きられる人間である。」と根拠も無く胸をはることである。これによって敵に背中は見せられぬ、ということで起きられることを実際に見せ付ける義務が発生する。また、肩肘張らずにゆったりとした気分で枕から頭をもぎ離すことができるのだ。二つの三角形が合同であることを証明するように「ぼく≡起きられる人間」を証明することで根拠の無い自信を根拠のある自身にすりかえるのだ。そうして、この絶大なる自信の下でナイル川のように悠々と朝目覚められるようになる…はずである。理論上は。

 もしこれで駄目だったら通販で売っている、起きる時間が来ると勝手に上体を起き上がらせてくれるマットレスを購入する計画をたててみます。モトム、眠気の中で犬死にしないための方法序説完全版。結局、他人任せでスンマセン。

 

《コメント》

 低血圧だろうが、なんだろうが、朝、すっきりと起きられる、絶対に効果のある方法があります。ただし、そのためには、夜型人間から朝型人間に変わるのだ、と基本的に価値観を転換してもらう必要がありますが。その転換なしには、これから説明する方法は、有効ではありますが、短期的な効果しかありません。

 その絶対に有効な方法とは、休みに入ったら、アメリカに2〜3週間勉強に出かけていくことです。仮に君がロサンゼルスに行ったとします。いくら夜型の君でも、朝11時まで寝ていたら、問題なくすっきりと起きられるでしょう?その時、日本では朝の4時です。それから2時間も布団でぐずぐずしていても、まだ6時にしかなっていません。

 つまり、アメリカの時間になじんでから、日本に帰ってくると、どんな人でも最初は朝型になります。後は、日本でもアメリカ時間のまま暮らせば、自動的に朝型人間に変われます。

 

     

 

走れママチャリ

此島 大地

 

そもそもの事の始まりは明大前に住む友達の自転車に乗った時。普段壊れた自転車(1km毎にチェーンが外れ、ペダルがやたら重い)に乗っていた僕は、なんて軽いペダルなのだ・・・この自転車ならどこまででも行ける!と感動に打ち震えた。これがこの自転車との運命の出会いの日だった。この日以来、僕はこの自転車に恋心をよせ始め、いつしか頭の中は彼女(自転車)のことでいっぱいとなっていた。いつかこの自転車を自分の物にしてやりたい、いや何が何でも自分の物にしてやると一種の略奪愛に目覚めていた。このままいけば窃盗罪で捕まるところであった・・・やもしれぬ。

そんな犯罪者ギリギリの僕のところへ、ある日、突然その友達から吉報が届いた。「自転車駅前に置いていたら撤去されちゃって、取りに行くの面倒臭いから新しく買っちゃった。」と友人。これはまたとないチャンス!早速僕は友達に撤去された自転車の回収代金を支払うから譲ってくれとの契約を締結(ここらへんは法学部生っぽく、キドっておこう)した。長年の片想いを成就させたのだ。これはおそらく、神様か愛のキューピットが実際に見ていて、普段の行いの良い僕にキセキを起こしてくれたのだろう。・・・とまで言うと、おそらくみなさんはこんなに恋心をよせている自転車なのだからさぞかし立派な自転車なのだろう、とお思いになるかもしれない。ちょっと以下に簡単に彼女(以下便宜上甲と呼ぶ←ここでも法学生っぽくキドって)の説明をしておく。甲はMIYATA出身である。身長はおそらくは27型であろう。ギア機能など洒落たものはついておらず、アクセサリーに銀色のカゴ(シルバーアクセサリーとも呼ぶ)がついているのみである。これだけだと分かりづらいと思うので風貌を写真で載せておこう(左絵)。

 

   

 

一見すると普通の自転車だが、実際にはワンランク下のママチャリである。売買されるとしたら3万円程度であろうか。

ちなみに参考までに自転車愛好家で全国的に知られている(通説・判例)我が甲斐先生(甲斐先生のHP一般随筆参照)は、僕の夢の中ではメーカー希望価格60万円!のポルシェ製高級自転車にお乗りになっていた(右絵)。

 

 なにはともあれ僕はこの自転車と運命的に出会い、そして結ばれたのだった。ここでめでたしめでたしで済めば良かったのだが、2人の恋の行方はロミオとジュリエット並みに茨の道であった。なんといっても僕は住んでいるのが千葉県の成田。2人が結ばれた場所は明大前(新宿から京王線で3駅)。明大前から成田まで何キロあるかは分からないが(100キロ弱?)、通常ママチャリで移動する距離でないことだけは確かである。しかし、「甲とならどんな苦難でも乗り越え、どこまでも走っていける」とはじめての出会いの時に確信した以上怖気づくわけにはいかない。甲斐先生には、「そんなことをするのは正気の沙汰とは思えない(甲斐先生レジュメ:冬合宿スキーでの注意点参照)」と叱られそうではあるが、ここに甲との明大前→成田への旅を開始した。

甲と共に成田を目指すのは良いが、時期は夏真っ盛りであったため、己と甲の体力と相談し、2日にわけて目指すことにした。

第1日目

 第1日目・・というか、自転車を受け取った日であるが、とりあえず京王線沿いに新宿に行こう。新宿に行って総武線沿いに走り船橋まで行こう!とノープラン丸出しで僕は地図も無しに盗んだ譲り受けたバイク(甲)で走りだした。

・・・が、やはりノープラン地図無しはまずかった。

笹塚から新宿までは京王線は地下鉄になるため、どこが線路なのかわからない。笹塚からは己の勘のみを信じて新宿を目指す。こう見えても僕は結構方向感覚がよい。新宿に着く自信は十分だ。

 そして幾多の坂道を汗だくで走ること30分、ついに!・・・阿佐ヶ谷についた(笑)要は方向が90度まるで違っていたということだ。一日目の最初から出鼻を挫かれ、無駄に体力を失った僕は甲とは阿佐ヶ谷駅で離婚して、電車(乙)と再婚することを本気で考えたが、慰謝料請求が怖かったのでやめた。

 その後はひたすら総武線沿いに甲を踏みつけること1時間半。やっとのことで錦糸町に到達。再び乙との浮気心が頭をよぎり・・・今度は負けた(笑)甲にばれると仕打ちが怖い。浮気の現場を見られないために、甲を錦糸町駅前マルイデパートの駐輪場に丁寧に縛り付け、総武線→京成本線と乗り継ぎ成田へ帰る。

 帰宅後、笹塚での失敗を反省し、インターネットで地図を検索し、翌日の第2日目に備えた。

 

第2日目

 15時45分。まだまだ太陽が照り付けている中、甲を迎えに行き、1日ぶりの再会を果たす。成田へ向けてのお互い気合は十分。しかも今日は24時間TVの日。丸山弁護士が走るなら俺もいくぞ!ってノリですね。

しかし残念なのは、@丸山氏は弁護士:僕はプー。A丸山氏には待っている人がいる:僕にはいない。B丸山氏には歓声がある:僕には無い。の3点か。Bはなんとか改善することができるのではないかとゼミ長にメールで応援要請するも、「バカじゃん(笑)」と一掃される。←後々ちゃんと応援メールくれました。ありがとう!ゼミ長!ゼミ長は人望が厚い。

 さて、いよいよ2日目日程スタート。

まずは軽快に錦糸町から中川まで14号線を走る。途中人が多いし、横断歩道がなくて歩道橋だったりして走りにくい。しばらくすると荒川に到着。いやーでっかいね。うんでっかい。
初めてちゃんと見たよ。これはもう海だよ海!(とても大げさ
川を越えたところで左折。小岩方面へ。まっすぐいって江戸川を越えちゃえば一番早いのだけど、僕の予想(あくまで勘)ではまっすぐいく道は車専用で自転車では通れないのではないかなぁと。高速道路かもしれない。従って迂回。急がば回れ。急いでないけど。

小岩で右折。今度は江戸川。いやー、でっかいねぇ。うんでっかい。初めてちゃんと見たよ。これはもう(以下同文
 川の横には朝通学電車で見ている和洋女子大学が・・・ふと、立ち寄ってみたい衝動に駆られたが彼女(甲)が一緒にいて見張っているため断念。

そして船橋競馬場までひたすら直進。この道にはスナックがやたらとたくさんあったが、まともな店はほとんど存在していなかった。どう見ても物置にしか見えない店や、なぜか入り口に汚い水槽を4つ置き、亀を飼っている店など謎な店が多い。友達の名前と同じお店を見つけては写メに撮り送信を繰り返すなど、この時にはまだ旅(悪戯)を楽しむ余裕があった。

競馬場から左折今度は296号線へ!しばらく行くと行列のできているラーメン屋を発見!その名も「弁慶」

自称B級グルメな僕。ちょうどお腹もへってきたし・・・と思ったが、あいにく道の反対側だったので面倒でやめる。どうせすぐまた良い店があるでしょう。っと思いきや・・・・・・・無い・・・無い・・・
行けども行けども(回転)寿司屋しかない。
なんじゃこりゃぁああああ(松田U作風)
自転車トリビア「国道14号、296号は寿司屋だらけ。特にスシローとかっぱ寿司」
もうだめ、お腹へって死ぬ・・・と思っていたところに救世主登場!行列できていますよ!ラーメンだよ!その名も「かいさん」

おいしいらしく、雑誌の紹介記事が店の入り口に貼ってあり、行列もできている。

なに!?「かいさん」とは甲斐ゼミ生としてはなんとしてでも行かなければならない、と気合満々で行列に参加する。(のちにお店の名刺を見て気づいたのだが「かいさん」ではなく「かいざん」だった。甲斐先生すみません。)


            


 

食べたのはラーメン+もやし+ネギ丼。とんこつベースのラーメン。うん、けっこうおいしい。でも成田家(俺の家のすぐ近くにある横浜家系列の店)の方がおいしい行列できないのが不思議。短時間の観察の結果「かいざん」が行列できていたのはどうやら親子連れの客が多く、食べるのが遅かったからと判明しました。
 よし、お腹も膨れたし残り一気に行こうかなと思いふと道路標識をみると・・・成田まであと37キロの表示・・・まだそんなにあるか・・・お腹が膨れた直後だけに脱力感に襲われる。

 しばらく甲を漕ぐものの、食事前とは比べ物にならないほど体力の消費がはげしい。

うう、暗くなってきたよ・・・
うう、道が凸凹だよ・・・
うう、お尻が痛いよ・・・
うう、坂が多くなってきたよ・・・
うう、宝くじ当たらないよ・・・
うう、一之江二郎(有名ラーメン屋)行けばよかった・・・
うう、亀戸二郎(上記の系列店)でもよかった・・・

真夏に乗り慣れない甲にまたがり長時間見たこともない道を走り、疲れきった身体で考えられることはこの程度であった。しかもすべてマイナス思考。あとは漕ぐ。ひたすら、黙々と漕ぎつづける。いつの間にか日は沈み周りはまっくら。道も国道とは呼べないほどに狭くなり、やがて目印にしていた道路脇の国道のマークも無くなる。本格的に田舎になってきて、道が折れ曲がり、坂が多くなりきつくなる。フィーリングの旅は恐ろしいと実感。暗い夜道、しかも道が合っているのかどうかさえ分からないのに漕ぎ続ける。
 午後6時50分。あと成田まで20キロ。街灯もなくなる。両脇が森で覆われた一本道で漆黒の闇というものを初めて経験する。怖い・・・本当に怖い・・・
死んだらこんな感じの真っ暗闇で1人ぼっちなんだろうか、とか普段では考えないことまで考えだす。はるか遠くに見える信号の光だけを頼りにのぼり坂(もちろん歩道などない)を駆け上る。しかし、そこを抜けた時成田まで11キロの表示が!あと一息ラストスパート。時刻7時30分

 気合を入れなおし漕ぐこと30分、成田の有名デパートやショッピングセンターの看板がちらほらと現れ始めた。もうすぐ帰れる!帰れるんだ!と頭の中は喜びにあふれた。今までに増して坂道が増えたがそんな事もなんのその、目的地が目の前とあらば俄然やる気100%。最後の力を振り絞って甲を漕ぐ。

そしてついに!「ここより成田市内」の標識を通過!

「あぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!俺はやり遂げたんだ!」という感動と共に、道って本当に続いているのだなぁ、としみじみして涙が出てきた。きっと人生ってこんな風に、目的地へ向かって走りつづけることなのだろう。時には迷い、時には寄り道をし、また時には逆走をする。それでもなんとか地図で道を探し、暗く、怖い時にも一漕ぎ一漕ぎ確実に目標に向かっていけば必ずそこにたどり着く。当たり前のことかもしれないが大切なことを身をもって体験した旅。

おそらく、法曹や国家公務員を志している僕らは、今将来の不安などを抱え、暗闇を各々迷走しているところであろう。自らの目標への道程が合っているのか否かわからない者もいるだろう。こんな僕らの、目的地への手がかりである地図であり、暗闇を照らす街路灯であるのが、我々が所属する「甲斐ゼミナール」なのではないでしょうか。みなさん、この地図と光を頼りに突き進み、目的地で会いましょう!!

 

《コメント》

 君から自転車愛好家というお墨付きを頂いた私の権威に掛けて申しますが、写真で見る限り、君の愛車である甲くんは、ママチャリではありません。メーカーが『シティウォーカー』あるいは『シティサイクル』等と呼んでいる種類です。

 ママチャリとは、ママが乗るチャリンコの略語ですから、ある自転車をママチャリというためには、ママ達の日常の使用に耐える構造になっている必要があります。

 第1に女性用の構造であること。ここで言う女性用とは、スカートをはいたまま乗れる構造になっていることです。写真を見ると、甲くんは、チェーンが上にカバーが着いているだけで、下半分はむき出しになっています。これだと、スカートの裾がチェーンに巻き込まれるおそれがあります。近所で、実際にママ達が乗っている自転車をよく見てほしいのですが、必ず、チェーンが完全に被覆され、外からは全然見えない構造になっていることが判ります。ついでに言えば、ママチャリは、後輪にスカートの裾が巻き込まれるのを防ぐために、かならず後輪のシートの下部分にプラスティックその他の網が被せてあるものです。甲くんはこの点からもママチャリ失格です。

 第2に、荷台がついていることです。ママ達がママチャリを走らせる最大の目的は、お買い物です。したがって、前の篭だけでは積載量が不足します。それらを積むために、荷台がほしいのです。あるいは、ママと普通の女性を区別する最大のポイントは、幼児がいることです。そこで幼児が乗るためのチャイルドシートを載せる場所としても、荷台が必要です。この点でも甲くんがママチャリ失格なのは判ると思います。

 第3に、これは絶対的な条件ではありませんが、普通、ママチャリは3段変速になっているものです。重量物を積んで買い物から帰ってくるためには、普通の女性にはそうしたアシストがないとつらいからです。この点は写真からでははっきりしませんが、どうも変速ギアはついていないように見えます。また、27インチという大きさもママチャリではまず存在しない大きさです。女性は男性よりも一般に上背がないものなので、26インチでさえも女性用としてはあまりない部類に入ります。普通のママチャリは、23半ではないでしょうか。

 話は変わって、君の夢の中ではなく、私が現実に乗っている自転車ですが、これは『ロードランナー』と呼ばれる種類です。君の夢の自転車は、明らかにマウンテンバイクですが、これは第1に、市街地を走行するのにはよけいな力が必要であり、第2に泥よけがないので、雨の日などに走行不可能であり、第3に前後の荷台がないので、長距離走行に欠かせない荷物を載せることができない等、数多くの欠陥があるため、私は絶対に使いません。

 ロードランナーは、ドロップハンドルが原則である点を除くと、サイクリング車とも違う種類です。サイクリング車は、長距離を高速で走るために、極力車体を軽量化しているために、マウンテンバイクとは対照的にものすごく細いタイヤをつけていますが、それを除くとマウンテンバイクと似た特徴を持っています。つまりやはり泥よけも荷台もないのです。荷物や修理器具などは、伴走する自動車に積んで,別途持ってこさせるという発想の自転車といえます。ツール・ド・フランスを考えてもらえば判ると思います。

 これに対して、ロードランナーは、そうした自動車の伴走なしに長距離を走ることを前提とした設計の自転車です。車輪は、甲くんなど、シティウォーカーと同じ、1・3/8というちょっと幅広の頑丈なものになります。サイクリング車の細くて薄いタイヤで市街地を走ると、直ぐにパンクしてしまうからです。雨の日でも、泥道でもびくともせずに走れるように、前後の泥よけも必須のものです。そして、泊まりがけの旅行にも耐えられるように、ママチャリを上回るしっかりした荷台が前後についているわけです。 当然フレームも、そうした重量に耐えられるように、サイクリング車に比べるとがっちりしています。

 最近、日本の自転車業界が、外国のやすい部品メーカーに押されて凋落し、事実上国産車が無くなりました。それに伴い、昔は普通に売られていたこのロードランナーが、メーカーのカタログから姿を消して久しいものがあります。今私が乗っているのは、ブリジストンが最後に販売したロードランナーの、さらに最後の商品です(販売店に、どこかで売れ残っているのがないか、と探させて購入したものです)。性能的にはかなり不満があるのですが、何しろ最後の商品なので、嫌も応もなく買ったものです。これが壊れ、そしてブリジストンに部品のストックが無くなったら、自転車そのものを特注するしか無い状況にあります。

 

 

 

和敬塾という場所

森塚 康博

 

1、和敬塾とは

和敬塾とは現在私が住んでいる男子学生寮のことである。また、村上春樹の「ノルウェーの森」の舞台となり、村上春樹自身も半年間生活していた場所でもある。さらに、現日大ロースクールの某教授の出身寮である北寮に私は3年前の2003年3月30日に入寮した。和敬塾には現在、東西南北寮と巽寮がある。東西南北寮は大学生用の寮で巽寮は大学院生用の寮となっている。私が和敬塾へ入塾した当時は東西南北の4寮のみで大学生から大学院生・留学生まで様々な大学の出身地の異なる人たちが一緒に生活していたが、今年から巽寮ができ、大学生と大学院生とが区別されるようになった。

2、和敬塾での生活

 私は、高校の先生の紹介で和敬塾に入ったが、和敬塾に入って2日で辞めたいと思った。なぜなら、私が和敬塾へ入り最初に感じたことはこの寮は軍隊だと思ったからである。入塾して2日目に10時間以上の声だしから始まり2年生以上の先輩の部屋を1週間程で全て廻るということが新入生に課せられた課題だった。しかも全てスーツで行うのである。大学の入学式の時には、喉は潰れ、スーツは少し汚れていた。私の大学生の第一歩はこうしてスタートした。

しばらくして、新歓行事の1つである花見が行われたが、新入生はそこで先輩から、お酒の注ぎ方、注がれ方を身を挺して教えてもらうことになるのだ。「身を挺して」というところからこの後新入生がどうなったかは言うまでもないであろう。

前期の印象として残っているのは上記の2つだが、厳しい団体行動を強制させられ、苦しさを共に分かち合ったからこそ同期との繋がりができ、一生を通じて付き合える仲間ができた。また、花見という少し荒っぽい歓迎では、社会に出たときに必ず知っておかなければならない最低限のルールというものを学んだ。現在様々なパーティーや飲み会に参加する機会があるが、みんなお酒も注げないのかと思うことがしばしばある。

 後期になると、和敬塾最大のイベントである体育祭が行われる。体育祭といってもこれまで経験したことのない凄まじいものである。和敬塾の体育祭は東西南北の4つの寮が優勝旗をめぐって争うのである。このときばかりは和敬塾にいる「男」が「漢」になるのだ。期間は練習から数えると1ヵ月半程も続き、最後の見せ場である騎馬戦は毎年救急車で運ばれる人が出る程過激なものである。また、この時期は彼女がいる人が一番別れる確立が高い時期とも言われている。

体育祭が終わると3年生は就職活動を行う様になり、塾独自の就職説明会が始まり、ほとんどの学生が希望の就職先に内定していくのである。また、毎年様々な著名人の方々を招いて講演をして頂いたり、プロの楽団の人たちを招いて演奏をして頂いたりしている。著名人の方々を招くといっても、主に学生が主体となって計画し、アポを取るところから始まるのである。ちなみに、私が手がけたものとしては、昨年は北朝鮮問題があったので、重村智計教授(現早稲田大学国際教養学部教授)を招いて講演して頂きました。

3、和敬塾に入塾して感じたこと

この様な経験は普通の寮やアパートでは出来ないと思う。何よりも和敬塾に入って良かったと思うのは、寝食を共にし、喜びや苦しみを共有することによって一生を通じて付き合える仲間が出来たことである。それも日本全国はもちろん、外国(アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリス・中国・韓国etc)の人たちと知り合うことができ、いつでも連絡を取ることが出来る仲間が出来たことは私にとっての財産になったと思う。また、和敬塾に入って変わったと思うのは、ある先輩から、部屋廻りの際に「せっかく和敬塾に入ったのだから後悔しないように行動しろ」と言われて、自分から行動出来る様になったということである。ここでは、自分から何かアクションを起こせばみんなが応えてくれる環境が整っているのである。

 和敬塾とは、普通の人が経験しようと思っても簡単には経験できない事を経験させてくれる場所でもあり、仲間と切磋琢磨することにより自分自身を磨き成長させ、限られた時間の中でどの様に行動したらよいかを学ばせてくれる場所なのである。

 

《コメント》

 面白い組織があるのですね。知りませんでした。しかし、君のこの文章からすると、この塾では、新歓行事で組織的に未成年者禁酒法に違反しているわけですね。これは少しまずくないかなア。

 

 

 

挑戦の年

山口 芽久美

 

今年は受験生ということもあり、バイトをしたり、友達とワイワイ遊んだりしているわけでもないので、特に面白話がない。だから、最後の最後までゼミ誌について何を書くか非常に困った。しかし、今の自分を振り返って、公務員試験の勉強を通して学んだこと、業務説明会に参加して感じたこと、日々の自分の成長の変化を実感し始めたことについて書きたいと思う。

まず、公務員試験勉強を通して学んだことについて。勉強というのは、己との戦いであり、自分自身を成長させる術のひとつである。ひとつ何かに取り組めば、取り組んだだけの壁にぶつかる。また何かひとつ取り組めば、やっと克服したのにまた違った壁にぶつかる。常にこのような出来事の繰り返しなのだろう。今迄は挫折したままだったり、逃げていたりした。しかし今は、よき友達と出会え、切磋琢磨して日々を過ごせるようになったので、もう逃げずに、敢えて自分から壁にぶつかっていくようになったのは確かである。

次に、業務説明会に参加して感じたことについて。自ら一人で未知の世界に飛び込んで、世の中というものを分からされた。その他にも、現時点での自分と現状とのギャップを分からされたことによって、自己改革のひとつの目標になった。行動すればするほど壁にぶつかり、悔しくて泣いたときもあったが、行動力の大事さを改めて知った。

最後に、自分の成長の変化について。私は他の人と比べて基礎が足りなかったので、もう無我夢中で勉強をやった。時には少し?いや、おかしくなったときもあったが、やっと今になって自分に自信を持てるようになった。あくまでも自論だが、今まで沢山の方と接して、感じたことが、「自信」をつけるということはどれだけ壁を乗り越えられ、どれだけ努力したかの固まりなのかもしれない。良い意味での「要領が良い」とは、経験と習得した情報量に比例するのかもしれない。こう自分に自信を持てるようになったのも、甲斐ゼミに入って、いろいろ語り合えたり、力を合わせ、協力し合いながらやってきたからかもしれない。

以下は、私の好きな名言集を紹介したい。私の好きな名言『為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ』(武田信玄) 『汝自身を知れ』(ソクラテス) 『学ぶほど、練習するほど、自分には運が向いてきた』(ゲイリー・プレイヤー) 『あきらめぬ強さがあれば、幸運は必ずや訪れる』(エンニオ) 『自分の人生は、自分にしか作ることはできない』(ニキ・ラウダ) 『幸運とは、自ら動かない限りは決して訪れないものだ』(スティーブン・リーコック) 『成功の9割は、信じる気持ちから生まれる』 (ウッディ・アレン)

今迄の自分を振り返り、反省をし、今後の自分に対してどう生かせるかという励ましの言葉(参考した本の名は、GOOD LUCK)『幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。』、『下ごしらえを先延ばしにしてしまえば、幸運は絶対に訪れてはくれない。どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと。』、 『自分の知っていることがすべてとは限らない。幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。』

 幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。これが今の私の原動力であり、あらゆることに対して貪欲でいられ、探究心が旺盛でいられるひとつだと思われる。

 

《コメント》

実に気合いが入っていて、うれしい限りです。がんばってください。

 

 

今年の明るい話題と暗い話題

林 健司

 

最近はめっきり日も短くなり、寒くなってきて(今年は暖冬らしいが・・・)よくよく考えてみると今年も残りわずか1ヶ月たらずで終わりを迎える。年々一年が早く過ぎ去るようになる気がする。ゼミ誌を書く時期にもなってきたため何を書こうか考えてみたが、なかなかいいネタが思い浮かばなかったため、自分が感じた今年の明るい話題と暗い話題について簡単に書いてみることにする。

今年の明るい話題は何かと考えたところ、個人的にはスペースシャトルディスカバリー号が宇宙に行ったことかと思う。特に日本人宇宙飛行士として野口総一さんが宇宙に行ったことである。数いる希望者の中からメンバーに選ばれただけでも快挙であるし、地球を飛び立つ前にトラブル続きで延期になったにもかかわらず宇宙での仕事は完璧にこなした。ある意味延期になった分訓練時間が増え、宇宙で迅速な仕事が出来たと言えるかもしれない・・・。宇宙から野口さんが送ったメッセージが胸に響いた。地球に帰還してからもいろいろな発言をしているが、何か言葉に説得力というか、力を感じた。普通の人とは何か違う気がした。自分は人からそんな風に感じてもらえる人間になれるだろうか・・・。きっといつかは・・・。

さて、暗い話題についてはごく最近のことを持ち出してくると、姉歯建設設計事務所による構造計算書偽造の問題だろう。事件が発覚してから設計事務所、検査機関、不動産会社、建設会社のそれぞれが責任を転嫁し合っている有様で、なんとも見苦しい限りだ。住民には寝耳に水で、住民の不安は計り知れないだろう。4月に起きたJR福知山線脱線事故にしても、構造計算書偽造の問題も乗客ないし住民のことを最優先にするべきで、2件ともその考え方が著しく欠落しているといわざるを得ない。

人に希望や喜びを与える人間もいれば、人に絶望や不安を与え犯罪者となりさがる人間もいる。人生一寸先は闇だ。後者にはなりさがりたくないものだ・・・。来年こそ明るい話題が1つでも多く生まれることを切に願ってこの辺で筆をおくことにする。

《コメント》

 確かに気象庁は暖冬だといっていましたね。しかし、実際に冬になってみれば、記録的な大雪に秋亜新幹線さえも運休するほど、近年珍しいほどの冷たい冬になっています。

スペースシャトルにしても、基本的に失敗設計で、まともに運行できたことが無く、たぶん、この辺で引退になると思います。

こう数えてくると、なかなかよい話題はありません。せいぜい諸君が受験・就職戦線でがんばって、明るい話題を作ってくれるように祈っています。

 

 

 

鐘の音

向 善雄

 

 一度、聞いてみたい音がある。祇園精舎の鐘の音を。何でもその鐘の響きは諸行無常の音がするとか・・・。きっとその音を聞いたら、世の無常を目の当たりにしたら、どんな人だって相当ヘコむだろう。でも、やっぱり聞いてみたいな。だってそれはこの世の真実なんだから。

 去年のゼミ誌で大型SUVの売れる理由を書きましたが、この一年で状況が変化し(あぁ、無常)アメリカにおいてSUVの売り上げが低下し始めました。それに関連して、世界最大の自動車メーカーであるGMの経営が一気に危うい状況になってしまいました(あぁ、無常)

状況の変化その1

 SUVが売れなくなってしまった直接の原因は、去年暮れからジリジリと上がり始めて現在に至る原油高+ハリケーンによる原油高騰です。ハッタリかまして乗り回そうと買ったのはいいけど、ガソリンが高いと、燃費の悪いSUVは維持費が大変です。石油の値段が下がる気配もないし結局、手放すしかありません。

 SUVを多く生産しているのはGMですが、このような状況になったため、代わりに燃費のいい車を作って売ればいいのですが、自動車はそう簡単には開発はできません。それに燃費のいい車は日本車が一番得意とするところ。ちょっとやそっとじゃあ太刀打ちできません。じゃあ生産を減らせばいいとなるが、減らせないGMのお家事情があります。それは、GMの子会社である「デルファイ」というアメリカ最大自動車部品メーカーの労働組合がとても強く、生産を減らすためにリストラなどを進めようとするものなら、即刻ストがおき、部品の供給がストップして1台も車を作れない状態になるのを経営陣が恐れたからです。そんなわけで、「売れないのに生産」→「在庫が膨れる」→「叩き売り」→「儲けゼロ、っていうか売れば売るほど赤字」→「経営破たん寸前」ってな具合になってしまいました。しかもデルファイの工員の時給がこれまたすごい、なんと時給65ドル!だそうです。売れない車の部品を作って時給65ドル(約7800円)。賃金下げようものなら「ストやっちまうぞ!」って脅してこの時給(ほとんどヤクザやん)。なるほど、これじゃあ会社がもつわけありません。GMは経営改革のためこの会社と手を切り、デルファイは今年の秋に破綻しました。

状況の変化その2

さらに、最近のロハス(LOHAS)な生き方が流行っているのも一因であると考えられます。アロハな生き方ではありません(笑)、「ロハス」です。私も詳しいことは分かりませんが「かっこよくエコロジー!」ってノリでしょうか。数年前にL・ディカプリオがアカデミー賞の授賞式に、他の俳優はでっかいリムジンで乗り付けたのに対し、ディカプリオはトヨタのハイブリットカーであるプリウスで会場にやってきました。当初私は「ホントはウン千万の車買えるくせに、エコロジーカーで来るなんて、なんて偽善的なんだ」と思いましたが、これもロハスな生き方なのだそうです。そう言われると、なんかカッコいい感じがしないでもありません。このロハス的な考え方に対して、地球環境にやさしくなく、他人に威圧的な大型SUVを乗り回す人たちって、ちょっとおバカさんに見えてきますよね。

このような状況の変化により(ちょっと前からヤバイといわれてましたが)世界的巨大企業GMは経営危機に陥ってしまいました。現在の有利子負債は30兆円だそうですが、今後どうなるか見ものです。

一方、トヨタはどうでしょう?ハイブリットカーを作らせたら世界一、コンパクトカーから高級車まで、性能の良い車を作り続けており磐石の布陣です。GMに変わり世界一の自動車メーカーになるのは時間の問題だと思います。

思うに、このトヨタの成長の最大の理由は、トヨタが常に提唱し続け、そして、世界に通用する日本語のひとつにもなった「kaizenn(改善)」を怠らなかったからだと考えます。

社会が複雑化し、先の読めない時代において、将来を予測するのにも限界があるでしょう。この世に常なるものはないと肝に銘じ、現状に甘えることなく、「kaizenn」を心がけることが大切ではないかと、沈みゆく大巨人GMを見て思いました。

(説教クサくなってしまいましたが)ゼミ生はとりあえず、来週提出するゼミ論文の「kaizenn」から始めてみましょう(笑)。

 

《コメント》

 話題として出していながら、そのフォローが不足しているようなので、LOHASについて補足すると、これは Lifestyles of Health and Sustainability の頭文字をとった略語で、ローハス or ロハスと発音します。「健康と地球環境」意識の高いライフスタイルを指しています。

京都議定書を批准するどころか、ハリケーン・カトリーナでニューオリンズが壊滅しても、なおがんとして反対を続けているアメリカ人に言われたくない、と思わせる言葉ではあります。