ノンフィクション逆転とプライバシーの限界

甲斐素直

問題

 Xは昭和398月、当時アメリカ合衆国統治下にあった沖縄の繁華街で、友人数名と共に、米兵二人と殴り合いの喧嘩をした際、履いていた下駄を脱いで殴りつけたため、相手に傷害を負わせていた。その後、その喧嘩相手であった米兵一人が現場近くで死体で発見されたところから、X等が加害者と推定され、傷害致死罪で起訴された。

 米国の統治下にあったことから、事件は陪審裁判で審理された。陪審員の審議では、その一人であったYが中心となって、X等の犯行とする証拠がないことが認定され、無罪の答申が行われた。しかし、裁判所では、傷害致死事件に先行して行われた喧嘩の際に傷害を負わせたことを根拠として、傷害罪として懲役3年の実刑判決を下した。このように、極めて重い判決であったため、当時の沖縄では、傷害致死罪で有罪になったという受け止め方が一般に行われた。

 Xはその後昭和4110月に仮出獄した後、東京で前科を秘したまま就職し、結婚もし、平穏な生活を送っていた。

 一方、Yは、この事件について、日本では極めて珍しい陪審事件であったこと、陪審が無罪答申をしたにもかかわらず、実刑判決という逆転が起こったことなどから、被告人等の名誉を救うためにも、そのありのままの事実を伝える必要があると信じ、関係者全員の実名を使用して、ノンフィクション作品を執筆、出版した。出版に当たっては、関係者全てから実名を使用することの同意を得たが、Xのみは消息不明となっていたため、実名を使用することについての同意を得られなかったが、Yは、真実をありのままに伝えることがこの作品の使命である以上、Xだけを例外にはできないと、同意を得ないままに、実名で描いた。

 この作品はノンフィクション作品として高い評価を受け、権威の高い賞を受賞した。そのことを報道しようとしたテレビ局の特集番組スタッフは、ついに東京に暮らしていたXを発見し、その旨を報道した。

 そこでXは、この作品の中で自分の実名が使用されたため前科にかかわる事実が公表されプライバシーの権利を侵害されたとして、Yに対して損害賠償請求をした。

 これに対し、Yは、本件著作はXの無実を明らかにすることを目的とするものであり、右目的を達するためには実名の使用が不可欠であるから、右実名使用はプライバシーの侵害に当たらない事、また沖縄においてはXに前科のあることは公知の事実であり、Xは著名人に当たるからプライバシーは成立しない事、本件著作は公共の利害に関する事実を公益を図る目的で公表したものであり、現実的悪意を欠く公正な論評であるから、違法性がない事などを主張して争った。

 右事例におけるYの主張の憲法上の問題点について論ぜよ。

 

[はじめに] プライバシー概念の多様性と論文を書く際の注意点

 プライバシー権は、法律の規定からではなく、学説によって生まれた結果、一種の連想ゲーム的に様々な概念が、その中に含まれるに至った。したがって、論文を書くに当たっては、自分がどの類型のプライバシー概念を取り上げて論じているかに、十分に留意しなければならない。

(一) その誕生

 プライバシーの権利は、もともとアメリカで20世紀になってから発達した権利概念であり、最初は、名誉毀損の亞型として、明確に私法上の権利であった。すなわち、1890年に「ハーバード・ロー・レビュー第4巻第5号」に若き日のブランダイズ(Louis D.Brandeis)によって発表された『プライバシーの権利(The Right to Privacy)』というタイトルで発表された論文が端緒となっている。この論文は、協同執筆者であるウォーレン(Samuel D. Warren)の妻の社交生活が赤新聞により巨細に報道されている状況がもたらす苦痛を法的にどう解決するかという観点から生まれたものであった。

 この理論はしかしなかなか判例の受け入れるところとならず、最初に州レベルで確立したのは1905年のことであった。事件は知らない間に勝手に自分の肖像写真を広告に利用された人の場合であった(ペイブジック事件、“Pavesich v.New England Life Insurance Co. 122 Ga.190,50 S.E.68(1905)”)。それは保険会社の広告で、その中で彼の写真を粗末な服装で弱々しく見える男性の隣に掲載し、保険に加入した人と、加入する機会を逃した人とを対比して宣伝したというものであった。

 しかし、実定法上の権利ではないために、その後の判決により、その概念内容として様々な内容を付け加えていったので、相当異質な様々な問題が、この私法上のプライバシー権の一環として論ぜられるようになってきた。プライバシー権の分類に関しては、1960年、カリフォルニア・ロ−・レヴュ−(California Law Review Vol.48 No.3)で発表された論文「プライバシ−」において、ウィリアム・プロッサー(William L. Prosser)が行った4分類が有名である。すなわち

(1) 個人的な利益のために他人の名前や肖像を利用すること

(2) 他人の隠遁や孤独な生活や、プライベートな事柄への侵入

(3) 他人に知られたくない個人的事柄の公表

(4) その人物について大衆の誤解を招くような広告をすること

4つである。プロッサーは、この類型のそれぞれが保護法益、成立要件、違法性阻却事由等に差異があり、プライバシー権という統一的な概念が存在していない証拠としてこの4分類を行ったのである。しかし、それが逆にプライバシーに関する判例の正確な描写として一般化した。この分類に拠れば、ブランダイズの論文そのものは第二類型の形で書かれていたが、その背景にあった事件そのものは第三類型であり、バベジッヒ事件は第一類型ということになる。

 このようにして確立するに至ったプライバシー権は、その後の発展の中で、よく古典的プライバシー権と呼ばれたりする。しかし、その様に呼んだのでは今日では使用されない概念であるかのような印象を与えるので、私は、私法上のプライバシーと呼んでいる。

(二) 日本における私法上のプライバシーの受け入れ

 このような私法上のプライバシーを代表する判決が、「宴のあと」事件である。これは、三島由紀夫が有田元外相が社会党から東京都知事選に立候補して落選した顛末を描いた作品であるが、執筆に当たり、モデルとなった夫妻のうち、妻の同意は得ていたが、本人の同意を得ていなかった。小説は当初月刊文芸春秋に連載されたので、元外相がプライバシーの侵害であると抗議した結果、文芸春秋では単行本化を断念した。しかし三島が出版に意欲を燃やしたので、新潮社が単行本とした。その際、『注目の長篇モデル小説』とか、『トップクラスの批評家が“モデル小説の模範”というのです。素材になつた元外相と料亭の女主人、そして都知事選挙という公知の現実が、これほど作品の中で変貌し、芸術的に昇華すると、読者は文句なしに、相寄り相容れなかつた二つの人間像に、そして女主人公の恋の悲劇に感動するでしよう。』といった表現を用いた広告を行うなど、積極的にモデル小説であることをセールスポイントとしたので、訴訟となったものである。したがって、プロッサーの分類では、文芸春秋との関係では第二類型に止まるが、新潮社との関係では第四類型も加わっていると考えることができるであろう。

 東京地裁は、次のように述べて、プライバシー権の私法上の成立を認めた。

「いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。」

 憲法は、国家と私人の関係についてのみ考えられるという通説的前提に立つ限り、ここで問題となっている私人による私人のプライバシーの侵害という問題は、私法の範囲で問題が完結し、憲法レベルにまで発展することはない、ということができるであろう。

(三) 情報プライバシー

 社会における情報化の進展に伴い、国家の保有する膨大な量の個人情報の取り扱いをプライバシー権の中に取り込もうとする主張が現れてくる。これが情報プライバシー権(informational praivacy)である。前記古典的なプライバシー権が私法上でもっぱら論じられる問題であるのに対して、情報プライバシー権は、主として国家との関係で論じられる(膨大な量の個人情報を取り扱う私企業二度の範囲で考えられるかは大きな問題となる)から、これが憲法が主たる対象とする公法上のプライバシー権であることは明らかであり、その結果、憲法学ではこちらの方が大きく注目される。

 これを説明する理論は、人格的自律説からのアプローチと一般的行為自由説からのアプローチは大きく異なる。諸君は、いずれも自己情報コントロール権という理解を示していたが、これはわが国では佐藤幸治の提唱になるものである。佐藤は、情報プライバシー権は、すべての種類の個人情報を法的保護に値するものと見て、「自己情報は情報主体が本来管理すべきものである」「自分の個人情報はすべて自分のものである」と主張する。この場合、しかし、すべての個人情報を一律に法的に保護するときは、その外延がはっきりしないため、行政等が円滑に機能しなくなるおそれがある。ひいては情報社会そのものの崩壊となるところから、幸福追求権とクロスさせて、その一環として絞り込もうとする。すなわち、「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利(佐藤第3453頁)」と定義される。

 だから、この説を採る場合には、その導入部に人格的自律説を採用することを論じることが、絶対に必要である。

(四) 自己決定権としてのプライバシー権

 米国の判例では、1965年のグリスウォールド事件(Grisworld v. Connecticut, 381 U.s. 479)において、避妊の自由が憲法上のプライヴァシー権として承認された。さらに、1973年のロー事件(Roe v. Wade, 410 U.S. 113)においては、堕胎の自由が同じくプライバシーだとされた。この両判決を軸として、1980年代に一連の判決が下され、修正14条のデュー・プロセス概念に、リプロダクションの権利など、高度に個人的な行為を自由に選択する権利が含まれることが確立されるに至った。

 わが国でも、こうした動きを受けて、芦部信喜が、こうした自己決定権に属する諸行為を広義のプライバシーの一環として捉えていることは、諸君の知るとおりである。

(五) 静穏のプライバシー

 伊藤正巳は、大阪市営地下鉄車内放送差し止め請求事件(最判昭和631220日=百選第550頁参照)において、いわゆる囚われの聴衆の問題を、静穏のプライバシーと呼んだ。

*                     *                     *

 このように、今日においては、プライバシー権は、初期の概念から発展して、多種多様な権利概念を含むようになっている。ここで問題なのは、これらの権利概念は、単に定義段階において異なるだけでなく、その要件や結果においても全て異なっているということである。だから、ある型のプライバシーであるという把握したときには、当然、その論文における意義・要件・効果は、その型のプライバシー特有のものとして構成されなければならない。

 学生諸君は、とかく情報プライバシーこそが、現代情報化社会におけるプライバシー概念である、という認識から出発して、どんな問題でも情報プライバシーと把握する傾向を顕著に示す。それどころか、受験予備校の模範答案なるものにも、その傾向は顕著に認められる。そのことは、きちんと理由をつけて説明してくれる限り、構わない。

 問題は、本問に取り上げた私人間のプライバシー紛争の場合には、判例は、宴のあと事件以来、今日まで、例えば石に泳ぐ魚事件においても、一貫して私法上のプライバシーとして議論していることである。これに対し、例えば早稲田大学江沢民事件(最判平成1592日=百選第5版46頁)などでは、明確に情報プライバシー権の問題として論じている。

 諸君は、情報プライバシーと把握したと述べているにもかかわらず、要件の段階になると、とたんに私法上のプライバシー権という把握の下に立論されている宴のあと事件における3要件テストとか、逆転事件における最高裁判決の要旨とかを、平気で書き込む。これでは、木に竹を接いだようなもので、論文としての整合性が認められず、落第答案となる。情報プライバシーという把握の代表というべき自己情報コントロール権と把握する場合には、この説は、人格的利益説からしか導けない説なので、導入部にその説明が絶対に必要である。そして要件の段階においては、身の回りにあふれているあらゆる情報のうちから、自分でコントロールすることが認められるか否かという基準から、情報を分類するという方向に議論が進み、他者のコントロールを全く認めないプライバシー固有情報と他者が一定限度で情報の収集・蓄積・譲渡も認められる外延情報に分類した上で、前科に関する情報は、そのいずれに属するのか、という順序で議論されるべきである。

 

一 私法上のプライバシーの憲法上の問題点

 ウォーレン及びブランダイスによる1890年の論文でいわれたところの「一人でいさせて貰いたい権利 right to be let alone」ないし「私生活をみだりに公開されない権利」(宴のあと事件判決)のように、もっぱら私人間で争われ、公権力の関与することがない権利は、純粋の私法上の権利であって、本来は、憲法学上の問題とはならない。私人による他の私人のプライバシーを侵害する行為は、民法709条の不法行為の成立が問題になるのである。

 先にふれた自己情報コントロール権はあくまでも、国家と国民の関係(憲法を公法規範と考える場合にはその典型的な関係)において発生する。それに対し、本問で問題になっている民法709条に基づく私法上のプライバシー権は、そもそも国家と国民の間においては発生しない点に、最大の相違がある。

 また、本問は私人間の問題であるからと、機械的に私人間効力の議論を書く人が多い。しかし、そもそも民法709条に基づいて私人間で争われることが本来の姿であるプライバシー権や、同じく民法723条に基づいて争われる名誉権が、私人権で効力があるか否かが論点になる方がおかしい。これらは私法上の権利であるが故に、当然に私人間効力はあるに決まっているのである。これに対し、自己情報コントロール権の場合には、それを私人間で主張しようとする場合には、その本質が公法上の権利であるが故に、私人間効力は問題となりうる。但し、現在においては、「個人情報保護法」が制定され、その法律に規定されている範囲内の私人間においては、自己情報コントロール権が認められるに至っているから、その適用対象になるような問題である場合には特に論じる必要はない。

 このように、私法上のプライバシー権の場合には、それが本質的に私法関係であり、したがって憲法を公法の一環として把握する場合には、その対象領域に属さないことになる。しかし、この私法上の権利を問題にした判例は、宴のあと事件を筆頭に、多数、憲法判例集にも搭載されているし、本問のように憲法問題として出題もされる。それは、この私法上のプライバシーを憲法レベルで考える必要が二つの面から発生するからである。

 第一に、公共の福祉に関する内在的一元説によると、人権を制約しうるのは人権のみである。そして、プライバシーの権利は、ウォーレンの事件でも、宴のあと事件でも、表現の自由を抑制する権利として位置づけられた。そうであれば、プライバシーは、人権としての性格を持たなければならない。

 第二に、この私人間の紛争には、損害賠償請求と並んで、出版差し止めや謝罪広告の請求が出されている。その場合、国家機関たる裁判所がそれらの請求を承認し、強制した場合、その限度で、国家権力による表現の自由の事前抑制禁止とか内心の自由の侵害、という憲法問題が起こるからである。

 但し、本問の場合、問題の単純化の狙いから、損害賠償請求だけにとどめているから、この第二の点は現れてこないことになる。

 

二 私法上のプライバシー成立要件

 プライバシー権を憲法の権利として説明する場合、無名基本権の一つとして、13条に基づく権利と説明することになる。この場合、それが、どのような要件を備えている場合に具体的権利性があるのかが問題となる。もし、具体的権利性を備えないのであれば、せいぜいのところ抽象的権利として、立法を待ってはじめて裁判で争いうる権利とされることになる。例えば、情報公開請求権は、そのような権利と考えられてきたため、情報公開法や情報公開条例を必要としたのである。

 しかし、通説・判例は、このような法律を待つまでもなく、一定の条件の下に、プライバシーの具体的権利性を承認してきた。

 その論理を簡単に復習してみよう。

 第一に、13条の無名基本権の法的性格を論じる。この過程で、人格的利益説に立つのか、一般的行為自由説に立つのかを明らかにし、何故そう考えるのかを説明する。これについては、既に説明したところなので、ここでは省略する。

 第二に、プライバシー権がどのような権利なのかを説明する。次いで、13条に基づいて具体的権利性を有するための要件は何かを論じる。

 そして、具体的事件において、どのような要件が存在する場合に、法律を待たずして権利の成立を認めうるかについては、宴のあと事件東京地裁判決が挙げた3要件テストが有名である(東京地裁昭和39928日=百選第5136頁参照)。

@ 私生活上の事実または事実らしく受け取られるおそれがあり、

A 一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められ、

B 一般の人には未だ知られていない事柄である。

 この三要件は重要なので、私人間のプライバシーを論ずる場合、必ず言及してほしい。これを言わない限り、具体的権利性が論証されないから、後は立法論に話が行かざるを得ないのである。同時に、これは上述のとおり、この判例が導入した3要件テストであって、理論的にこの要件が導かれるという性格のものではない。判決が導入したテストが、その後の判例を通じて確立し、その適用内容をみても具体的妥当性があるので、学説としてこれを支持しているのである。学生諸君の論文には、宴のあと判決という言葉を使用しないままに、何の根拠も挙げずに、しかしあたかも理論的に導きうる結論であるかのような表現が、良く見受けられるが、それは間違いなので気をつけよう。

 実際、一連の私法上のプライバシーとして捉えた事件は、全てこの三要件で説明することができる。例えば、映画「エロス+虐殺」事件(東京高裁昭和45413日=百選4140頁、第5版では収録されていない)で、事前抑制が拒絶された理由はBの要件、すなわち一般人にひろく知られている、ということが決め手になった。

 本問のベースとなっているノンフィクション「逆転」事件(最高裁平成628日=百選5138頁)ではA及びBが決め手となって、プライバシー侵害が肯定され、出版が差し止められているのである。近時においては、私小説「石に泳ぐ魚」(最高裁平成14911日=百選第5140頁)事件でも、この三要件がやはり問題となっている。

 

三 プライバシー権の限界

 かつて、宮沢俊義は、憲法13条の公共の福祉という語の理解にあたり、内在的一元論を説いた。そこでは、公共の福祉という人権の外部にある確定的な概念により人権が制限されることを否定した。それに代わって、人権を制約するものは人権であると説明する。二つの人権が衝突し、比較考量して、その調和点として特定の人権が、その場合ごとの限界に服して承認されることになるのだ、と考えるのである。たとえば、人を殺す権利や人の物を盗む権利もあるが、それはそれぞれ他者の生命権や財産権に衝突する限度で否定されると説明するのである。

 このような考え方をする場合には、あらゆる場面において、人権は比較考量に基づいて承認されることになる。本問の場合であれば、プライバシー権と表現の自由が衝突し、両者の比較考量に基づいて、どの限度でプライバシーが認められるかが論文の組み立てとなる。

 しかし、その後、学説は大きく変化した。人権の存在を、人間の尊厳に基づいて当然に認められるという、宮沢流の素朴な理解に換えて、より掘り下げた根拠に基づいて説明するようになったのである。その代表が、人格的利益説と一般的行為自由説である。

 諸君は、自己情報コントロール権という議論をしたくらいだから、人格的利益説に立っていると考えられる。この説は、その前提に社会道徳を置く。したがって、道徳に反する行為は、そもそも人権たり得ないと考えることになる。たとえば、人を殺す権利は、他者の生命権との比較考量を云々するまでもなく、当然に人権ではない、と考えるのである。

 このことを表現の自由に投影して考えてみよう。人の名誉を傷つけたり、人のプライバシーを侵害するような表現行為は、そもそも許されるのであろうか。それは、あきらかに表現行為の乱用と言うべきで、認められないというべきであろう。だからこそ、旧憲法時代から、刑法230条は、名誉毀損を当然に処罰対象と定め、また、民法723条も名誉権の侵害を709条とは別に構成要件を定めてまで、損害賠償の対象と認めてきたのである。

 プライバシーは、新しい権利で、名誉権のような立法上の根拠はないが、ブランダイスの論文以来の経緯をみれば、これが名誉権と同じ性格の権利であるといえよう。したがって、名誉権同様、プライバシーの侵害となる表現行為は原則的に許されない。その意味で、私人間では、プライバシー権は、表現の自由に優越する権利である。この結果、プライバシーと表現の自由の比較衡量という考えは生ずる余地が原則としてない。他者の権利を侵害するような権利行使が許されない(民法709条)のは私法上当然のことといえる。

 しかし、プライバシーが成立する場合にも、人の置かれている立場によっては、それを侵害するような表現行為を忍受しなければならない。その忍受義務が生ずる場合に限り、比較衡量的な議論が必要となる。

 最高裁は、公的地位を有する者であれば、その公的地位の程度に応じてプライバシーが認められても、忍受すべき場合が生ずるとした。しかもその公的地位は、社会的影響力によって決まるのである。例えば、名誉毀損罪に関する事件であるが、最高裁は、次のように述べた。

「私人の私生活上の行状であっても、その携わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条の21項にいう『公共の利害に関する事実』にあたる場合があると解すべきである。」

雑誌『月刊ペン』事件(最判昭和56416日=百選5144頁)

 この判決で、直接論じられているのは名誉毀損であるが、前述の通り、基本的に同質の権利と理解されるプライバシーに属する場合に、その主体の公的地位によっては、その公的活動に対する批判ないし評価の一資料として表現行為が許容される場合が考えられることになる。

 この場合、注意するべきは、表現行為と名誉権・プライバシー権が比較考量されているのではない、ということである。表現それ自体よりも、それが奉仕する対象である国民の知る権利が、プライバシーに対立する権利として登場してきている、と考えるべきであろう。そして、知る権利を重視するべきであると認められる場合には、その限度でプライバシー権が縮減することになるのである。

 さらに、最高裁は、ノンフィクション「逆転」事件において、次のように述べて、そのプライバシー権の限界を、より包括的に明らかにした。

「ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない(引用判決略)。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない(引用判決略)。」

 本問のXの場合、「事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合」に該当することになる。そして、公職に就いている者でも、公職の候補者でもなくて、その持つ社会的影響力から社会的意義が認められた実例としては、月刊ペン事件で問題となった創価学会池田会長(当時)がある。だから、それ類似の社会的意義がないと、プライバシーの制限は認められないことになる。歴史的意義が問題になった好例は、おそらく映画「エロス+虐殺」事件であろう。この事件では、後に衆議院議員となった神近市子が、殺人未遂事件を起こした葉山日陰茶屋事件が描かれている。これは確かに神近個人についていえば、若き日の前科をとりあげられたものであって、本問同様に、触れられたくないプライバシーに属すると言えよう。しかし、この事件はわが国無政府主義の歴史からみても、女権拡張運動の歴史からみても、重要な歴史的事件である。例えば、「葉山日陰茶屋事件」をキーワードに、諸君がインターネットで検索すれば、たちどころに数百件がヒットして来るであろう。

 このような社会的・歴史的意義がある事件であれば、その関係者はプライバシーの侵害を忍受すべきであるという見解を示していることになる。なぜそういえるのか、ということが、本問で本当に諸君に論じてほしいポイントである。先に述べたとおり、簡単に言ってしまえば、一般人の知る権利の優越ということになる。

 なお、文中の最初の引用判例は月刊ペン事件である。第二の引用判例は、憲法判例百選には載っていないが、民法判例百選(2)には掲載されているので、詳細な事実関係等はそちらで確認しておいてほしい。その事件では、最高裁は次のように述べた。

「上告人は昭和302月施行の衆議院議員の総選挙の立候補者であるところ、被上告人は、その経営する新聞に、原判決の判示するように、上告人が学歴および経歴を詐称し、これにより公職選挙法違反の疑いにより警察から追及され、前科があつた旨の本件記事を掲載したが、右記事の内容は、経歴詐称の点を除き、いずれも真実であり、かつ、経歴詐称の点も、真実ではなかつたが、少くとも、被上告人において、これを真実と信ずるについて相当の理由があつたというのであり、右事実の認定および判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、十分これを肯認することができる。

 そして、前記の事実関係によると、これらの事実は、上告人が前記衆議院議員の立候補者であつたことから考えれば、公共の利害に関するものであることは明らかであり、しかも、被上告人のした行為は、もつぱら公益を図る目的に出たものであるということは、原判決の判文上十分了解することができるから、被上告人が本件記事をその新聞に掲載したことは、違法性を欠くか、または、故意もしくは過失を欠くものであつて、名誉毀損たる不法行為が成立しないものと解すべきことは、前段説示したところから明らかである。」

 つまりこの場合は公職の候補者ということになる。