自己に不利益な供述を拒否する権利

(黙秘権)

問題

 Xは、乗用車を運転中、前方不注意の結果、歩行者Yに接触し、負傷させた。そこで、Xは直ちにYを最寄りの病院に搬送するなどの救護措置を執った。しかし、道路交通法に定める警察官への通報をしなかったため、業務上過失傷害罪に加え、報告義務違反の罪で起訴された。

 これに対し、Xは、721項の事故の内容の報告義務は、自己に不利益な供述を操縦者に強要するものであり、憲法381項に反すると主張した。

 この訴訟における憲法上の問題点について論ぜよ。

参照条文:

 道路交通法721項:車両等の交通による人の死傷又は物の破損があつたときは、当該車両等の運転者その他の乗務員は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。この場合において、当該車両等の運転者は…、警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度、当該交通事故にかかる車両等の積載物並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。

 同119  次の各号のいずれかに該当する者は、三月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。

10  第72条(交通事故の場合の措置)第1項後段に規定する報告をしなかつた者

[はじめに]

 ずいぶん奇妙な事実関係と考えた人も多いと思う。かつて憲法38条の供述拒否権が問題になった判例は、いずれも、基本的にひき逃げで、それに酔っぱらい運転だの何だのと付加的にいろいろなさらに悪質な事情が上乗せになったものだった。

 しかし、今日では、その様な事件で、本問の報告義務を論ずる必要はない。そもそも、これを論ずる実益は併合罪(刑法45条)にある。すなわち、「併合罪のうちの二個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその二分の一を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。」(同47条)とされる。つまり、ただの業務上過失傷害罪よりも重く罰する目的で、報告義務違反まで起訴していたのである。

 しかし、ひき逃げ事件では、原則として保護責任者遺棄罪(刑法219条)が成立する。少なくとも道交法721項前段の救護義務違反は成立する(道交法117条)。これは5年以下の懲役又は50万円以下の罰金である。また、酔っぱらい運転は酒気帯び運転で、1年以下の懲役又は30万円以下の罰金(道交法117条の43項)、酒酔い運転というレベルに達したら、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金(道交法117条の21項)というように、いずれも道交法上の処罰が規定されている。これら、憲法上何の問題もない犯罪を併合することができるから、その上に、憲法上の疑問のある報告義務違反まで手間暇かけて起訴する実益はない。

 そこで、本問のように、報告義務違反を問題にする以外には何の併合罪も考える余地がないような場合に、始めて論ずる価値が生ずることになる。しかし、現実問題としては、このような場合には、被害者との示談に応じようとしないなど、特殊事情がない限り、まず起訴猶予になるであろう。だから、実際にありうる事例と言うよりは、憲法上の頭の体操的な問題といえる。ただし、これは本問に関しての話で、道交法以外の法領域まで見れば、かなり問題がある場合が多い。この点については後述する。

一 黙秘権の概念内容

 本問で取り上げている「自己に不利益な供述を強要されない権利」については、供述拒否権と呼ばれたり、自己負罪拒否特権と呼ばれたりするが、一番多いのが黙秘権という言い方なので、以下、この名称で説明する。しかし、ここで気をつけなければならないことは、この憲法381項の保障する「黙秘権」と、刑事訴訟法311条でいう「黙秘権」とは、直接には関係がないということである。単にこう述べてもわからない諸君も多いと思うので、簡単に説明しよう。

 学説は、一般に、38条の黙秘権について、次のように説明する。

「自己の刑事責任に関する不利益な事項である限り、刑事手続上のみならず、民事・行政手続においても、さらには議院における証言の場合にも、一切その供述を強要されない。つまり、不利益供述を強要されないのは、単に被疑者・被告人だけでなく、文字どおり『何人も』である。」

(浦部法穂『憲法学教室』全訂第2版日本評論社2006304頁)

 憲法38条の黙秘権がこういうものであるということを前提に、刑訴法311条と比べると、第一に刑訴法311条は、主体を被告人のみに絞っている点、第二に、公判廷における供述のみに絞っている点、第三に黙秘権の放棄が可能であることを明確に予定している(2項)点で異なる。要するに、憲法38条の権利を前提に、刑事訴訟手続きに特化させて立法されたものがこれである。

 それに対して、本問で問題となっているのは、直接には、公道上の事故現場における報告義務が、38条の黙秘権に反するものとして違憲・無効といいうるか否かである。だから、刑事訴訟法上の黙秘権とは全く関係がないことがわかると思う。

 議論を本道に戻そう。なぜ先に示したように、幅広い解釈を、学者は一般に採用しているのだろうか。それは、本条は米国合衆国憲法修正5条を承継するものだからである。同条は、かなり長い条文で、しかも全体が一文となっているので、引用しにくいのだが、元の文章から関係部分を抜き出して、一文に直すと、次のような規定である。

No person shall be compelled in any criminal case to be a witness against himself

(何人も、刑事事件において自己に不利な証人となることを強制されない。)

 したがって、本条が、本来は、刑事罰のみを対象としたもので、行政罰を対象としたものではないことははっきりしている。そのことからすれば、本問で問題になっているような、行政事件には適用可能性がないということができる。

注:行政罰と刑事罰の区別がよく判らないという人があると思うので、行政罰の定義を示すと、行政罰とは、行政上の義務違反に対して制裁として行われる処罰のことをいう。行政処罰ともいう。刑事罰(刑法違反に対する制裁)、懲戒罰(特別権力関係による監督権に基づく制裁)、執行罰(行政上の義務の不履行に対する強制手段としての制裁)と対比して使用される言葉である。過去の義務違反に制裁を科することにより義務者に心理的圧迫を加えて行政法規の実効性を確保することを目的とする。行政罰の手段としては、過料にとどまる場合が多いが、刑罰(死刑・懲役・禁固・罰金・科料・拘留)が科される場合もある。普通は裁判手続きにより司法府から言い渡されるが、通告処分(国税犯則取締法14条)、課徴金(独占禁止法7条ノ2)、交通反則金(道交法125条~130条ノ2)のように、行政庁で課すことが可能な場合も存在する。

 しかし、このことから単純に、本条が行政事件に適用されないという結論を出すべきではない。なぜなら、この修正5条は、イギリスにおけるコモン・ロー上の『何人も自分を告発するよう強制されない“No man is bound to accuse himself, nemo tenetur seipsum accusare”』という広義の法原則を反映したものだからである(奥平康弘『憲法Ⅲ』有斐閣法学叢書1993年刊353頁参照)。本問の報告義務も、まさに官憲に対して、自らを告発するように求めている点で、この範疇に属するのである。

 このようなことから、学説は一般に先に示したような定義を採用し、その結果として、行政手続きにも適用があると考えるのである。

 判例もまた、最高裁判所は、川崎民商事件(最判昭和471127日)で、次のように述べた。

「本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。」

 この表現は、38条のほか、35条も含めてのものである。しかし、次に詳しく説明するとおり、これが判例の主流となっている。

二 行政手続きと黙秘権

 道交法上の問題に関しては、頭の体操と[はじめに]で述べた。しかし、もう少し広く行政手続き全般を見れば、これは今日でも重要な問題である。そして、後述するように、学者のあいだでは、今日でも道交法の報告義務についてどのように考えたらよいのか、は深刻な問題である。

 そして、学者にとって深刻な問題は、試験に出題されるという意味で、学生諸君にとっても、当然に真剣に理解しておかねばならない問題である。その意味では、頭の体操と片付けず、真剣に検討する必要がある。なるほど、この問題が論文式に出題された例はないが、例えば、平成14年度の旧司法試験短答式試験では、次の問題が出た。

 次のAからEまでの各記述は、行政上の手続において自已にとって不利益な供述等を義務付けられることがあること及びそれを正当化する理由を述べたものである。最高裁判所の判例の趣旨に照らし正しいものを組み合わせたものはどれか。

A 納税義務者は、税務職員から所得税に関する調査を受ける際、その質間に答える義務がある。それは、この手続が刑事責任の追及を目的とするものではなく、そのための資料の取得収集に直接結び付く作用を一般的に有するものでもない上、公益上の目的を実現するために必要かつ合理的であるからである。

B 交通事故を起こした運転者は、警察官に対し、交通事故発生の日時場所、死傷者の数などを報告する義務を負う。運転免許取得それ自体が公道において自動車の運転をすることができるという特権を受けるものであり、運転者はこれと引き換えに不利益供述拒否権を放棄したと見ることができるからである。

C 本邦に入国した外国人は、不法入国者であっても一定期間内に外国人登録申請をしなければならない。出入国管理事務は極めて高い公共的な価値を有しており、不法入国者が刑事責任を負うことにつながるような自己に不利益な供述をせざるを得なくなったとしても、その程度の制約はやむを得ないからである。

D 麻薬を取り扱う者は、店舗等に帳簿を備え、取り扱った麻薬の品名、数量、取扱年月目を記載する義務を負う。麻薬を取り扱うことを自ら申請して免許を得た者は、麻薬取締関係法規による厳重な監査を受け、それによる命令に服することをあらかじめ承認しているものといえるからである。

E 本邦に入国しようとする者が貨物を携帯して輸入しようとする場合、たとえ輸入禁制品であったとしても、その貨物の品名、価格等を税関長に申告しなければならない。それは、この手続が関税の公平確実な賦課徴収及び税関事務の適正な処理のために行われるものであり、刑事責任の追及を目的とするものではないからである。

1AD  2BE  3CA  4DB  5EC

 この問題中のBが、本問に対応するものである。だから、この問題で、行政手続きと黙秘権の関係には、それ以外にも少なくとも4つの、問題になりうる類型がある事が判ると思う(ここにあがっている判例以外で有名なものとしては、古物商の報告義務に関する判例がある)。簡単にこれの答えを紹介すると、次のとおりである。

  (1) 税務調査における重要な判決に川崎民商事件がある。同判決は先に一度引用したが、重要なものなので、あらためて租税調査に関する部分を引用する。

「収税官吏の検査は、もつぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない。

 また、右検査の結果過少申告の事実が明らかとなり、ひいて所得税逋脱の事実の発覚にもつながるという可能性が考えられないわけではないが、そうであるからといつて、右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならない。けだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであって、所得税の逋脱その他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。」

 このような個別の認定の上に立って、次のような物差しを提示する。

「もつぱら所得税の公平確実な賦課徴収を目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続ではなく、また、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもないこと、および、このような検査制度に公益上の必要性と合理性の存すること」

 だからAの記述は判例通りである。

  (2) 本問で取り上げている中心問題である交通事故の報告義務については、最高裁判所は次のようにいう。

「交通事故発生の場合において、右操縦者、乗務員その他の従業者の講ずべき応急措置を定めているに過ぎない。〈中略〉同条二項掲記の『事故の内容』とは、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すものと解すべきである。したがつて、右操縦者、乗務員その他の従業者は、警察官が交通事故に対する前叙の処理をなすにつき必要な限度においてのみ、右報告義務を負担するのであつて、それ以上、所論の如くに、刑事責任を問われる虞のある事故の原因その他の事項までも右報告義務ある事項中に含まれるものとは、解せられない。」(最判昭和3752日)。

 だから、Bの記述は判例と違っている。

  (3) 外国人登録については、最高裁判所は、上記川崎民商事件の物差しを使用して、「外国人の居住関係及び身分関係を明確にし、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続でないことはもとより、そのための資料収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもない」とした(最判昭和561126日)。だから、Cの記述は判例とは違う。

  (4) 麻薬取扱いについては、最高裁判所は、麻薬取扱者たることを申請して免許を得た者は、そのことによって当然麻薬取締法規による厳重な監査を受け、その命ずる一切の制限または義務に服することを受諾しているというべきであるとした(最判29716日)。だからDの記述は判例通りである。ちなみに、このように黙秘権の事前放棄という理論を使用したのは、この判例だけである。だから、このことを知っていれば、Bが違うということは、そこからも判ることになる。

  (5) 密輸に関しては、最高裁判所は、やはり上記川崎民商事件判決の物差しを前提に、「関税の公平確実な賦課徴収及び税関事務の適正円滑な処理を目的とする手続であって、刑事責任の追及を目的とする手続でないことはもとより、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもない」とした(最判昭和54510日)。だからEの記述は判例通りである。

  (6) おまけとして、古物商の場合について言えば、古物取引の実状を明確にし、その取引の適正を担保しようとしているもので、それ自体、何ら刑事上の責任を問われるおそれのある事項についての供述を強要している訳のものではない、としている(最判昭和3754日)。

 このように、判例は、様々な理由を動員して、行政上の報告義務に対し、憲法38条の適用を否定しているのである。

 大きく分ければ、①川崎民商事件が定立した、他の目的の制度であって、刑事責任を追及する一般的作用ではない、という型、②麻薬取扱い帳簿事件が定立した黙秘権放棄型の2類型があるということができる。古物商事件や本問で取り上げている事故報告では、“何ら刑事上の責任を問われるおそれのある事項”という言い方をしていて、川崎民商事件とは表現が違っているが、要するに刑事責任を追及する一般的作用を持っているわけではないといっているわけだから、判例的には先んじているが、基本的には同じ類型と考えることができるからである。

 したがって、川崎民商判決の基準が、行政上の報告義務に関する最高裁判所判決の主流となっている。その流れの延長線上に、国税犯則取締法に基づく質問(同法1条及び10条参照)についての判決がある(最判昭和59327日)。この判決では、「実質上刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する」として、国税犯則取締法に基づく質問に対し、憲法38条による供述拒否権を認めている。

三 学説の状況

(一) 合憲説

 多くの憲法学者は、何らかの形で、行政上の報告義務を認めようとする傾向を示す。但し、判例のように緩やかに幅広く認めようとする者はまずおらず、特定の問題について、何らかの形である程度厳しい要件の下で、認めようとする。代表的な学説を示そう。

  1 黙秘権の放棄説

 麻薬取締事件における最高裁判所の見解に見られるような、特権の事前放棄という説がある。今日の代表的な主張を長谷部恭男に見ることができる。彼は、本問で問題となっている交通事故の報告義務に関して、上記最高裁判決を支持するとして、次のように述べる。

「高度の危険性を帯びる自動車運転については、公共の利益をはかるため、この種の報告義務により一定限度黙秘権を縮減させることを前提として、はじめて運転が許される制度が設営されていると見るべきであろう。」(『憲法』第3版新世社2004年刊267頁)

 高橋和之も、麻薬記帳の場合に限ってという条件付きながらこれを支持している(『憲法Ⅰ』野中俊彦他共著387頁)など、支持者の多い考え方である。

 しかし、これに対しては、そもそも憲法上の人権を、事前に包括的に放棄することが可能なのか、という基本的な疑問が存在する。しかも、現実の免許証交付時に、その様な自己負罪特権の放棄書類に署名させているならともかく、所詮は擬制説である。擬制を支えるメカニズムが明確でないという疑問もある。諸君がこの説を採る場合には、こうした点に対する自分なりの説明を考えておく必要がある。

  2 憲法が許容する情報管理システム説

 奥平康弘は、問題を二つに分ける。本問で問題になっている自動車事故の報告義務と、麻薬・古物商等の事業に伴う報告・記帳義務とは、異質なものだと主張する。まず、自動車事故報告を除く場合についての記述を紹介する。少し長いが、下手に抜粋するとかえって判りにくくなる文章なので、そっくり引用する。

「公衆衛生、環境保全などなど社会公共の観点(公共の福祉の観点)から見て、ある種の事業にはある種の事前規制があるべきであるとか、あるのが望ましいとしよう。そして考えられる効果的な事前規制の仕組みの一つに、当該事業遂行内容を表現するデータを作成し保管し、必要とあらば、監督機関に提示するとか、場合によれば、世間一般に公開するという方式があるとしよう。この方式を加味することが、公衆衛生の確保、消防、防犯などの見地から有効適切だと立法者が判断したならば、これを採用するのは、立法裁量の問題であろう。つまり、憲法上許容され得る社会統制であるだろう。さてところで、この方式を採った場合、たまたま違法な事業行為をおこなった者は、正直に記帳し正直に報告すれば、『自己に不利益な供述』をすることになるというリスクを負うことになるのは否定できない。けれどもこの方式は本来、そうした特定の違法行為をあぶり出すのが目的なのではなくて、一般には違法な事態を未然に防ぎ、効率よく社会公共の安全・個人の健康・個人の財産などなどを守るのが目的である。この一般措置のために、特定の事業者の悪事があぶり出されるということがあったとしても、それは単に付随的、単に偶然的な現象でしかないのである。ともあれ、この、不運にもあぶり出された事業者が、『自分には黙秘権がある。自分は、自分に不利益な情報を保管しておかねばならない義務はなく、ましていわんやこれを当局に開示する義務はないのである』と、主張したとしよう。この場合、もしこの抗弁が、憲法381項にもとづく憲法上正当な権利主張であるとして承認されたらどういうことになるか。すなわち、こうした事業者には、記帳記載義務、報告義務その他の義務が憲法上免除されるほかないとしたら、どういうことになるか。事業者一般に対して洩れなく事業情報を保管し、これを要求に応じて一般的に開示させるとか、社会代表としての監督機関に提示せしめるといった仕組みは、瓦解せざるを得ないことになる。その結果、社会的な害悪発生を未然に防止するという制度は、重要な一角を欠くことになる。私にはしかし、この規制領域において憲法381項が、そのような破壊力をもっているとはとうてい考えないのである。」

 これは多くの支持者を集めている説である(例えば、注解法律学全集『憲法Ⅱ』青林書院1997年刊367頁=佐藤幸治執筆部分)。確かに、これまで判例に現れたもの以外にも、多くの場合に、法制度は一定の帳簿等の作成を義務づけている。例えば、会社法上の計算等の規定に基づく記帳義務がある。これも、本来の目的はともかく、粉飾決算等の犯罪行為を行った者から見れば、自己負罪の問題が発生することになる。

(二) 憲法違反説

  1 全面的違憲説

 このような報告義務一般について、憲法38条違反と考える立場がある。浦部法穂は、先に紹介したように、黙秘権は刑事、民事、行政事件の別なく、刑事責任を追及する虞がある場合には認められるとし、そして、川崎民商事件を紹介した後に、次のように言う。

「憲法381項は、どのような手続きにおいてであれ、自己の刑事責任に関する不利益供述の強要を禁止するものであるから、この判決は、381項の規定の意味を誤解している。」

 したがって、先に短答式で紹介したあらゆる場合について、それらの規定は、違憲と考えていることになる。諸君として、これに依拠して、違憲説を採っても構わない。但し、浦部法穂以外にあまりいない説なので、彼の教科書をしっかり読み込んで、彼の説を採っているのだ、ということが採点者に伝わるようなメリハリのきいた書き方をしなければ行けない。紙幅の関係から、私はごくわずかしか引用していないが、それだけをいきなり書いておしまい、というような書き方をしたのでは、自ら落第を希望しているようなものになる。

  2 事故報告義務違憲説

 これは、違憲説と表題を付けたけれど、厳密に言うと、最高裁判所判決の批判説であるに過ぎない。先に、奥平康弘が問題を二つに分けた、と説明したが、その第二の部分である。奥平は、先に紹介した第一の場合には、制度そのものの目的は不利益な供述を吐き出させることにあったのではないのに対して、自動車事故の報告の場合には、明らかに事故を起こした運転者にとって、不利益な供述をさせることを目的としている、という。例によって、要約しにくい文章なので、少し長く引用する。

「最高裁によれば、道路交通法がもとめる『事故の内容』は、『刑事責任を問われる虞のある事故の原因その他の事項』をふくむものではない、と言う。けれども、判決も摘示しているがごとく、報告事項には『死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等』がふくまれており、そしてこれら事項は明らかに犯罪の構成要件たり得るものなのである。最高裁は、『刑事責任を問われる虞』という基準を設定することによって、事故原因者・事故関係者の主観的、責任的な要素を重視し、問題の『事故の内容』報告義務は、この方面の『供述』をふくんでいないのだ、と説明するだろう。けれども、憲法381項で言う『不利益な供述』とは、犯罪事実の発見の手がかりになるような事実をふくむのでなければ、態をなさないのである。道交法が報告を義務づけている『事故の内容』には、犯罪事実の発見に手がかりを与える情報がみちみちている場合がむしろしばしばであるのではなかろうか。刑事訴訟法146条は、憲法の趣旨を受けて『何人も、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる』と定めている。問題の『事故の内容』は、『自己が刑事訴追を受け…る虞のある証言』を混入する傾向にあると見るべきであろう。

 私の観察は偏見の所産であって、最高裁の物の見方が正しいのだとすれば、単に自動車事故における報告義務だけではなくて、社会生活のさまざまな領域で生ずる、いろんな事故、いろんな不都合につき、事故原因者・事故関係者に報告義務を課することに、憲法上なんの困難もないことになる。自動車事故という特定の原因を問わず、およそひとを死傷させた者、ひとの財物を損壊させた者は、ただちに最寄り警察に、当該『事故』に関する客観的情報を報告しなければならないという義務制度を設けても、それは憲法381項と矛盾抵触することなく、有効に存立し得ることになる。これにより、社会公共の秩序は比類なく安定する世の中になるかもしれない。しかしこれは、新たな『警察国家』の出現を意味するであろうし、憲法381項をはじめ憲法秩序は、こうした事態を許容するものとは思えない。そうだとすると、自動車事故の報告義務に関する最高裁的な憲法論には、もう一つ何か歯止めがなければならないではなかろうか。」(前掲書360頁より引用)

 この後、その何かが何であるかを模索した文章が続くが、割愛する。最終的に奥平は「その、なにかが、なんであるのかいまの私にはわからない」という誠に正直な、しかし、学生諸君としては、全く論文を書くときの足しにはならない言葉で文章を締めくくっている。この考え方にも支持者が多い(先に紹介した佐藤幸治の他、例えば辻村みよ子『憲法』第3版日本評論社2004年刊305頁等)。

 仮に、諸君が奥平説に依拠して論文を書くならば、上記引用箇所の最後から二つめの文章、「憲法381項をはじめ憲法秩序は、こうした事態を許容するものとは思えない」を締めくくりに持ってきて、違憲説という体裁で書くのが、一番無難ではないか、と考える。

 このように、判例にも若干の分かれがあり、学説もあまり深く検討していない分野なので、諸君としては、どれに依拠して書いても、あまり問題はない。理由をしっかりと書くことが合否のポイントである。