「この五十年の間、日本国民は、アメリカのニューディーラーの考えを植え付けられて、世界で流通している諸価値観から隔離されて、壁で仕切られてきた。ニューディーラーの思想は、敗戦後の占領時代に日本社会に移植され、根を生やした。そしてその結果として、日本は外側世界との深刻な知識・情報面での食い違いを生じるようになった。 C.P」(「悪の経済学」副島隆彦著、この文の原文は、英語であるが便宜上訳しておいた。)この文章に、よって日本の秘密が明らかになった。現在日本の新聞の論調、政治家の主義主張はみんなこの「植え付けられた」思想に毒されている。片岡鉄哉教授(スタンフォード大学フーバー研究所研究員)をして「毒をまかれた」と言わしめた。ではその「毒」(Gift)とは何か?social engineering(社会工学的措置)である。即ち、「伝統的部族社会を人為的に文明かすること」である。アングロサクソン社会の保守派は、恣意的に人間関係を弄繰り回すことをその様に呼び、忌み嫌う。このことを日本政治史担当の秦教授に自分は質問した。「してはならぬことをしたのでは?」その答えは「超法規的措置である」と、蓋し日本はあまりにも酷いことをしたのがその理由である。では「毒」をまかれた我国はその五十年余りを経た後どうなったか。「このsocial engineeringが狙っていたものは、戦前の保守党の右派を撫で斬りにし、残った左派を戦後政界の右端に据える。その左で中央に『the great middle course of moderate democracy』としての社会党を構築する。そして、左翼に共産党を置くというものであった。」(『日本永久占領』片岡鉄哉著、講談社文庫)かくて、「日本は、主権国家として外交を行う権利を喪失し、完全な属国になった。」(同上)中国の次はアメリカである。その証は、「朝貢形式」外交である。現在は日本の首相が代われば必ず挨拶にア
メリカに行くことを見ればよい。
現在の世界覇権国家はかつて「グローバル」を唱えていた。それを日本は真似をしてマスコミ・知識人は「グローバル」を唱えはじめた。国際交流の為に多角的な物事の考え方が必要であるとの理由で。そして、誰もが人口を膾炙にしたころ、それが全然聞えてこなくなった。聞えなくなった理由、それは世界帝国が言わなくなったからである。そもそも英語で「グローバリズム」(globalism)や「グローバリスト」という場合、世界の常識的な理解は、日本の国内とは全く異なったものである。(世界常識と日本の常識が異なっていることは前述した通りである。)即ち、「地球全体を米国の意志と力で管理、指導、支配、統制、教育すべきものだという考え方、或いはそうすべきだと考える人々」という理解である。そこで所謂「グロ
ーバリスト」達は嫌がるようになり、この呼び名は使わなくなった。しかし未だにこれを使う人がいる、本当の意味を知ってか知らずか「グローバルな考え方で」などと次のように言う。「もはや国家中心の時代ではない。国境線はどんどん消えつつあり、世界は一つになりつつあるのだ」と唱える人々である。このような理想主義者ほど外国旅行するときには日本政府発行の菊の紋章入りのパスポートを握り締めて、自分が日本国に守られていることを痛感するのである。何をか況やである。そして現在の日本が存
在している。
最後に、いつの時代の、何処の国の話かを当てるクイズを一つ。
「大都会のデパートが、煌びやかで退廃的な贅沢品を飾り窓にならべて女性達を誘惑するとき。若者が腕輪をぶら下げ、華奢な指輪をはめ、目に青い隈をつけて、女のように腰を振って街を歩くとき。解放された女性が「結婚は売淫である」と罵倒するとき。ジャズが流行し、ポルノグラフィが家庭にまで侵入し、ホモが現われ、他方では女丈夫が活躍するとき。そういう時こそ、民主主義が危機に落ち込んだときであり、一撃を加える必要のある時である。」(『二十世紀の神話』アルフレット・ローゼンベルク)本の名前を出したから既にお分かりであろう。正解は、「第二次世界大戦前夜」の「ドイツ国」である。現在の何処ぞの国と酷似していません?