平成13年度参院選の議員定数

問題

 参議院における1票の格差が拡大していたことから、国会は平成12年に公職選挙法の一部を改正する法律(平成12年法律118号)で定数是正を行った。この改正は、中央省庁の改革や国家公務員の定員削減等が行われている状況において,行政を監視すべき地位にある立法機関である参議院においても定数を削減して事務の効率化等を図る必要があるとの声が高まったのを受けて,参議院議員の総定数を10人削減して242人とした。定数削減に当たっては,改正前の選挙区選出議員と比例代表選出議員の定数比をできる限り維持する方針の下に,選挙区選出議員の定数を6人削減して146人とし,比例代表選出議員の定数を4人削減して96人とした上,選挙区選出議員の定数削減については,直近の平成710月実施の国勢調査結果に基づき,平成6年改正の後に生じたいわゆる逆転現象を解消するとともに,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差の拡大を防止するために,定数4人の選挙区の中で人口の少ない3選挙区の定数を2人ずつ削減した。本件改正の結果,いわゆる逆転現象は消滅したが,上記国政調査結果による人口に基づく選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は14.79であって,本件改正前とほとんど変わらなかった。また,改正後、本件選挙実施までの間に生じた人口移動の結果、本件選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1506に達し、改正前よりも悪化していた。

 そこで、東京都選挙区の選挙人であるXは、改正後の公職選挙法14条,別表第3の参議院(選挙区選出)議員の議員定数配分規定は憲法141項等に違反し無効であるから,これに基づき施行された本件選挙の上記選挙区における選挙も無効であると主張して、選挙無効訴訟を提起した。

 この事例における議員定数に関する憲法学上の論点を指摘し、論ぜよ。ただし、論ずるに当たっては、次の事実を考慮せよ。

 仮に本件改正後の定数を前提とし、選挙区を都道府県と一致させ、かつ、参議院における半数改選制を考慮して各選挙区に偶数の議席を配分するという前提の下で、平成7年の国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を機械的に実施すると、選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は14.81となり、平成12年改正法に基づく当初の最大較差よりもかえって拡大する結果となる。そして、今、仮に格差を減少する手段として、偶数配分を前提とせずに、上記国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を行うとすると、47選挙区のうち15選挙区が定数1人の選挙区となる。すなわち、これらの選挙区では、6年に1度しか参議院(選挙区選出)議員の選挙が行われないことになる。

[はじめに]

 本問で合格答案を書くためには、何が中心論点であるかを正確に把握し、きちんと答案構成をしなければならない。

 本問は、参議院議員選挙に関する問題である。したがって、参議院議員の選挙における特殊性を論じない限り、決して合格答案にはならない。では、参議院の特殊性とは何か。

 憲法は、衆参両院を等しく全国民を代表する占拠された議院から構成されると述べて、第2院に関して、旧憲法における貴族院型や米国憲法における連邦型を排した。しかし、同時に半数改選制を導入し、また、任期において、衆議院よりも5割も長い期間を設定した。したがって、絶対に触れなければならない論点が、この明文で定められている半数改選制を議員定数の決定に当たりどこまで考慮すべきか、という問題であり、また、任期の長期化に表れている安定性指向が、選挙制度の構築に当たって、どの範囲の立法裁量を国会に認めているか、という点にあることは明らかである。

 そして、それがずばり問題になるという点に、本問で取り上げた選挙の最大の特徴が存在している。問題文でも十分に読み取れると思うが、改めてその点を説明しておきたい。本選挙以前の議員定数訴訟では、いずれも前回の法改正後に一定期間経過後に選挙が行われたために、法制定後に生じた人口変化のために違憲状態が発生した、という主張であったといえる。ところが、この選挙の場合には法改正の翌年に実施された結果、法改正内容の妥当性そのものが問題になっているのである。しかも、参考事実に示したとおり、この平成12年の法改正は、都道府県を選挙区とするという方法及び憲法の要求する参議院における半数改選制をうけての偶数配分を墨守した状況下における最善の人口比例となっていたといえる。したがって、この二つの前提を変更しない限り、より正確に人口比例をさせるべきだ、という主張は不可能となっている。

 諸君の中には、議員定数訴訟の論文に対しては、いともあっさり12を超える人口比は違憲であると書く人が往々にしているが、少なくとも、本問の場合には、そのような単純な回答は許されない。どのようにして、というところまでの解答がほしいのである。

 こうした状況から、平成13年参院選挙違憲訴訟に対する最高裁判所平成16114日大法廷判決は、最高裁長官自身が補足意見を書き、あるいは元最高裁判所調査官である泉徳治が反対意見を書くなど、15名の判事全員が何らかの個別意見を表示している、という点でも歴史に残るものとなっている。それを簡単に要約すると、15人の裁判官のうち9人が合憲、6人が違憲とし、合憲とした9人のうち4人までが、次回選挙で漫然と現状が維持されれば違憲判断の余地があるとする判断を示した。つまり、全体としては合憲判決だが、15人中10人が格差是正の必要性を強調したことになる。

 今仮に、10年前であれば、文句なしに参議院議員選挙に関する合格答案であった答案を、諸君が正確に記述したとする。しかし、それは、本問に関しては、合格答案ではない。16年判決が提起した論点に触れていないからである。

 ところが、国会はこの指摘に全く応えないままに、平成16711日に参院選を実施した。それに対する判決が、平成18104日最高裁判所大法廷判決である。この判決は、基本的には16年判決を継承したもので、新たな論点提起はないが、個々の論点をより深める形の違憲が付されているので、併読する価値がある。

 今ひとつ、論文を書く上で重要なのが、これまでも議員定数については、最高裁判所判決が繰り返し下されているということである。その結果、最高裁判所判決では、過去の判決で明言され、特に変更する意思のない点については、その判決を参照と書いて、それ以上の記述を省略することができる。しかし、諸君は、参照と書くわけにはいかない。そこで、上記中心論点にたどり着くまでのすべての論点を取り上げ、論じなければならないのである。

一 主権論と参政権の性格

 本問の最初の論点は主権論と参政権の法的性格である。すなわち、国民主権論を採れば参政権に関する二元説が導かれ、人民主権説を採れば権利説が導かれる。

 問題は、これらの論点をどの程度まで論ずるかである。国家試験本番における論文は、ゼロサムゲームである。限られた時間の中では、あらゆる論点に等しくきちんと論じていくことはできない。そこで、何を書いて、何を切るかの選択に迫られることになる。当然のことであるが、大きく配点されているものを書き、配点の低いものを切るのである。一般に、原点に近いものほど配点が低く、中心論点に近いほど配点が大きい。

 したがって、本節で取り上げた論点については、単にその結論だけを述べ、理由を省略する、という戦略があり得る。つまり、単に「国民主権説を支持しているので、二元説を妥当と考える」とだけ書いて、理由を省いてしまうのである。いうまでもないが、このように理由を省けば、その分だけ減点される。だから、それ以上の点数をメインの論点で稼げる自信がなければ、やってはいけない。

 ついで、できるだけ簡略に理由を述べるという無難な戦略がある。その場合、第一に主権論について、なぜそれを採用するかの理由が必要であり、第二に参政権論での理由が必要である。

 人民主権論を採用した場合に、権利説を導くのは比較的問題が少ない。それに対して、国民主権から二元説に至る記述の場合には失敗する例が多い。往々にして、諸君は、主権論について理由を書きながら、二元説についての理由を省いている傾向を示すのである。しかし、上記のゼロサムゲームの理屈からすれば、どうしても、どちらかの理由を省かないと紙幅が足りなくなるというのなら、主権論の方を省いて、二元説ではきちんと書く、というのが正しい戦略である。二元論の内容については、別講で詳しく説明しているので、そちらを参照してほしい。

二 憲法14条の適用について

 14条については、かなり中心論点に近づいているので、省くことは許されない。ここでも、人民主権説にたつ権利説を採る場合には比較的議論が単純なので、以下では国民主権論に立つ二元説に限定して説明する。

 参議院に関してもっとも古いのは、昭和3925日大法廷判決で、同時に国会議員定数に関する最古のものである。この判決で、最高裁は次のように述べた。

「憲法432項は『両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。』とし、同47条は『選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。』と規定する。すなわち、憲法が両議院の議員の定数、選挙区その他選挙に関する事項については特に自ら何ら規定せず、法律で定める旨規定した所以のものは、選挙に関する事項の決定は原則として立法府である国会の裁量的権限に委せているものと解せられる。〈中略〉そして、憲法14条、44条その他の条項においても、議員定数を選挙区別の選挙人の人口数に比例して配分すべきことを積極的に命じている規定は存在しない。

 もとより議員数を選挙人の人口数に比例して、各選挙区に配分することは、法の下に平等の憲法の原則からいつて望ましいところであるが、議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは、選挙人の人口比率であることは否定できないところであるとしても、他の幾多の要素を加えることを禁ずるものではない。例えば、憲法46条の参議院議員の三年ごとの半数改選の制度からいつても、各選挙区の議員数を人口数に拘らず現行の最低二人を更に低減することは困難であるし、その他選挙区の大小、歴史的沿革、行政区画別議員数の振合等の諸要素も考慮に値することであつて、これを考慮に入れて議員数の配分を決定することも不合理とはいえない。前述の如く議員定数、選挙区および各選挙区に対する議員数の配分の決定に関し立法府である国会が裁量的権限を有する以上、選挙区の議員数について、選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であつて、議員数の配分が選挙人の人口に比例していないという一事だけで、憲法141項に反し無効であると断ずることはできない。」

 この最高裁判決は現時点においても基本的に先例性を失ってはいない。では、この障害を、昭和51年衆議院議員定数違憲判決がどのように超えたかを見よう。

 まず第一に、14条の平等権が選挙権にも実質的に及ぶことを論証しなければならない。参政権は、前述のとおり、国民主権原理の下において二重の性格を有すると一般に説かれる。すなわち、人権としての性格と同時に公務としての性格も有するから、他の人権と異なり、平等権の適用があるか否かは必ずしも自明ではないからである。

「憲法は、141項において、すべて国民は法の下に平等であると定め、一般的に平等の原理を宣明するとともに、政治の領域におけるその適用として、前記のように、選挙権について151項、3項、44条但し書の規定を設けている。これらの規定を通覧し、かつ、右151項等の規定が前述のような選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映であることを考慮するときは、憲法141項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右151項等の各規定の文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれども、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが、相当である。」

 この記述でポイントとなるのは、4行目にある「選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映である」という表現である。これを抜きにして、14条の適用を肯定することは難しいのである。

 先に述べたとおり、このあたりは、減点覚悟で若干手を抜くという戦略を採ってもよい。しかし、きちんと論じた場合には、どうなるかを紹介しておこう。

 このように、一応14条の平等規定が適用されることが保障されると考えても、実は、そのことから直ちに1票の価値の同一という結論を引き出すことはできないのである。最高裁判所はいう。

「投票価値の平等は、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。けだし、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みのいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れないからである。

 代表民主制の下における選挙制度は、選挙された代表者を通じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけのものではない。わが憲法もまた、右の理由から、国会両議院の議員の選挙については、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(432項、47条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのである。それ故、憲法は、前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それぞれについて他にしんしゃくすることのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的に決定することができるのであり、投票価値の平等は、さきに例示した選挙制度のように明らかにこれに反するもの、その他憲法上正当な理由となりえないことが明らかな人種、信条、性別等による差別を除いては、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解されなければならない。〈中略〉投票価値の平等は、常にその絶対的な形における実現を必要とするものではないけれども、国会がその裁量によって決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することのできる重要な政策的目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならないと解されるのであり、その限りにおいて大きな意義と効果を有するのである。それ故、国会が衆議院及び参議院それぞれについて決定した具体的選挙制度は、それが憲法上の選挙権の平等の要求に反するものでないかどうかにつき、常に各別に右の観点からする吟味と検討を免れることができないというべきである。」

 ここから、「衆議院及び参議院それぞれについて」内容の異なる立法裁量論が導かれることになる。

三 本件定数配分規定の改正の経緯

(一) 参議院における1票の格差

 参院選挙が開始された時から、1表の価値には差があった。すなわち、選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は、参議院議員選挙法制定当時は1262と、すでに12を超えていた。その後、次第に拡大した結果、あいついで議員定数違憲訴訟が提起された。昭和58年大法廷判決は、昭和52年施行の参議院議員選挙における最大較差1526について、また、最高裁第2小法廷631021日判決は、昭和61年施行の参議院議員選挙における最大較差1585について、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りないと、判示していた。しかし、平成8年大法廷判決は、平成4年施行の参議院議員選挙における最大較差1659について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。

 しかし、この時は、国会は、この判決に先んじる形で、平成6年に公職選挙法の改正を実施していた。これは基本的には選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差を是正する目的で行われたもので、前記の参議院議員選挙制度の仕組み自体には変更を加えることなく、直近の平成2年の国勢調査結果に基づき、できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして、参議院議員の総定数(252人)及び選挙区選出議員の定数(152人)を増減しないまま、7選挙区で改選議員定数を44減した。上記改正の結果、上記国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員1人当たりの人口の較差は、最大1648から最大1481に縮小し、また、いわゆる逆転現象は消滅することとなった。

 平成12年に再度の法改正が行われた。この時には、比例代表選出議員の選挙制度をいわゆる非拘束名簿式比例代表制に改めるとともに、問題文に記したとおり、参議院議員の総定数を10人削減して242人とした。この定数減のために、いわゆる逆転現象を解消するのが精一杯で、議員1人当たりの人口の最大較差は1479となった。要するに、国勢調査の結果に基づいてわざわざ法改正をしたにもかかわらず、改正前途ほとんど変わらない格差が存在したのである。さらに、実際の選挙までの間に格差はさらに拡大したことから、この改正公職選挙法に基づいて実施された平成13年度の参院選挙における議員定数の合憲性が争われることになったのである。

四 合憲説の各裁判官の意見

 多数意見を構成したのは、最高裁長官町田顯以下、金谷利廣、北川弘治、亀山継夫、横尾和子、上田豊三、藤田宙靖、甲斐中辰夫、島田仁郎の計9名の判事である。

 多数意見は、結論的に合憲説を採った判事の意見の最大公約数を記述したものである。先に述べた各判事の間の意見の激しい対立を反映して、これは必然的にきわめて簡単なものにならざるを得なかった。そこで、以下に全文を引用する。

「本件改正は、憲法が選挙制度の具体的な仕組みの決定につき国会にゆだねた立法裁量権の限界を超えるものではなく、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。したがって、本件定数配分規定が本件選挙当時憲法に違反するに至っていたということはできないとした原審の判断は、是認することができる。」

 これでは、法律論としては、何を言っているのかさっぱり判らない。そこで、以下、各判事の意見を見ていくことにしよう。

(一) 第1補足意見

 これは、最高裁長官である町田顯および金谷利廣、北川弘治、上田豊三、島田仁郎の5人の共同意見で、いわば保守派の見解を代表するものである。換言すれば、これまでの国会議員定数違憲訴訟に関する最高裁判所の見解を要領よくまとめたものとなっている。だから、従来の判例の抜き書きを紹介する代わりに、これをそっくり紹介することにしよう。もし、諸君が、従来の判例の見解を是とする価値観を持っているならば、この記述の仕方は非常に参考になるはずである。この意見は、まず14条が議員定数に適用になる根拠を次のように説明する。

「憲法は、国会の両議院の議員を選挙する国民固有の権利につき、選挙人の資格における人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入による差別を禁止するにとどまらず、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求していると解するのが相当である。しかしながら、憲法は、国会の両議院の議員の選挙について、議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条、47条)、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の広い裁量にゆだねているのであるから、投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、投票価値の平等は、原則として、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものとしていると解さなければならない。それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないものと解すべきである。」

 その上で、今度は参院選挙の特殊性を次のように説明する。

「(現行の)参議院議員の選挙制度の仕組みは、憲法が二院制を採用した趣旨から、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによって参議院の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し、政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、都道府県を構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって、公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会の有する立法裁量権の合理的な行使の範囲を逸脱するものであるということはできない。」

 これを受けて、議員定数が人口に正確に比例しないことについて次のように説く。

「上記のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないといわざるを得ない。また、社会的、経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の変動につき、それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要するものであって、その決定は、種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられている。したがって、議員定数配分規定の制定又は改正の結果、上記のような選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせたこと、あるいは、その後の人口の変動が上記のような不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮しても、その許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数配分規定が憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。」

 そこで、裁量権の限界は、具体的にはどのような数字として理解されるべきかが問題となる。問題文中で紹介したとおり、現行選挙制度の仕組みに従い、本件改正後の定数を前提として、平成7年の国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を計算すると、選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は14.81となり、前記最大較差よりもかえって拡大する結果となる。そこで、本件事件の場合、上告人は、各選挙区の定数を偶数とする配分方法又は都道府県単位の選挙区割りを改めることにより上記較差を是正することが可能である、と踏み込んで主張せざるを得なかった。しかし、原審が試算したところ、偶数配分を前提とせずに上記国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を試みた場合には、47選挙区のうち15選挙区が定数1人の選挙区となってしまう。これらの選挙区では、6年に1度しか参議院(選挙区選出)議員の選挙が行われないことになるから、このような議員定数配分規定の下では、定数2人以上の選挙区と定数1人の選挙区との間において投票機会の著しい不平等が生ずることになり、憲法上の疑義が生じかねない。したがって、可能な改革としては、都道府県単位の選挙区編成をやめることしか考えられない。その点については、この補足意見は次のように述べる。

「従来の都道府県単位の選挙区を合区又は分区して新たな選挙区とした場合には、地域社会の歴史的成り立ちや政治的、経済的、社会的な結び付き、地域住民の住民感情等からかけ離れた選挙区割りとなり、政治的にまとまりのある単位を構成する住民の意思を集約的に反映させることにより地方自治の本旨にかなうようにしていこうとする従来の都道府県単位の選挙区が果たしてきた意義ないし機能が果たされなくなるおそれがある。また、憲法の定める半数改選の要請にこたえて偶数配分を行うためには、人口の変動に合わせて合区又は分区を繰り返さなければならなくなり、従来のように参議院が国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能を担うことにより二院制の実効性を高めることが困難になることも考えられるのであって、上記のような選挙区割りが従来の選挙区割りに比して憲法の趣旨により適合する合理的なものであることが明らかであるとまでいうことはできない。」

 要するに、本件改正が導入した以上の優れた選挙区制が見あたらない、と認定しているのである。さらに、本件改正は、定数削減に当たり、最高裁判所の前記各判決を考慮しつつ、いわゆる逆転現象の解消と較差拡大の防止を図るために行われたものであり、これにより逆転現象が消滅したことをも勘案すると、本件改正の結果においても前記のような較差が残ることになったとしても、上記較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、本件改正をもって立法裁量権の限界を超えるものということはできない、と結論することになる。

 島田仁郎判事は、この補足意見にさらに補足して意見を述べている。かなり長文のものであるが、その要旨は、次の文章に表れていると考える。

「私は、現在の参議院選挙区選挙制度の基本的な仕組み、すなわち選挙区を都道府県単位とした上、各選挙区の定数を偶数にして選挙の都度半数改選とするという仕組みを維持しつつ、さらに、定員を増やさないことを前提とする限り、各人の投票価値の平等を図るには技術的な限界があり、人口の大都市集中化の著しい現在の人口分布の在り方からは、およそこの程度の較差が生じるのはやむを得ないということから、今回、合憲と判断したものであることを強調しておきたい。」

 要するに、ゼロから出発して選挙区を作ることができた当初の制度においてさえ、最大較差12.62の存在を認めざるを得なかったことに如実に示されているとおり、現行制度の基本的な仕組みを維持する限り、これを認めざるを得ない、というのである。

(二) 第2補足意見

 冒頭に述べたとおり、今回の判決が大きな関心を呼んだ理由の一つは、多数意見が大きく二つの補足意見に分かれた点にある。第2補足意見は、第1補足意見が従来の判例を基本的に継受しているのに対して、むしろ司法積極主義の方向に大きく踏み出した点にある。これに与するのは、亀山継夫、横尾和子、藤田宙靖、甲斐中辰夫の計4判事である。

 この第2補足意見が、第1補足意見と大きく違うのは、立法裁量の幅に関してである。立法裁量権について、まず次のような哲学が述べられる。

「一般に、何らかの国家機関がその権限を行使するに当たって裁量権が与えられるということは、いうまでもなく、その権限をほしいままに行使してよいということを意味するわけではなく、法が、そのような裁量権を与えた趣旨に沿った権限行使がなされるのでなければならない。そして、本件で問題となる立法府の裁量についていえば、何よりもまず、立法府は、選挙制度の在り方について法律によって定めることを憲法上義務付けられているのであり(憲法47条)、ここでの裁量権は、専らこの義務を果たすための手段として与えられているものであることを明確に認識する必要がある。すなわち、立法府に裁量権があるといっても、そこには、『何もしない』という選択をする道はない。言葉を換えていうならば、ここでの立法裁量権の行使については、憲法の趣旨に反して行使してはならないという消極的制約が課せられているのみならず、憲法が裁量権を与えた趣旨に沿って適切に行使されなければならないという義務もまた付随しているものというべきである。」

 要するに、立法の不作為は、それ自体が違憲になるということである。第1補足意見がまさしく指摘したように、従来の参院選挙制度は、地域的利益、半数改選制、人口比例という三要素にもとづいて定められていた。ところが、現在はこの三要素間における均衡が著しく崩れているので、三要素を等しく尊重する、という姿勢を示す限り、第1補足意見が必然の結論となる。である以上、ここで求められる積極的な立法裁量は、必然的に、この三要素を何らかの形で修正したものにならざるを得ない。

 その時、第1に問題になるのは、三要素は、果たして対等の重要性を持つ問題なのか、という点である。第2補足意見は、この点について、次のように述べる。

「投票価値の平等のように、憲法上直接に保障されていると考えられる事項と、立法政策上考慮されることは可能であるが憲法上の直接の保障があるとまではいえない事項、例えば、地域代表的要素あるいは都道府県単位の選挙区制等が対等な重要性を持った考慮要素として位置付けられ得るか、という問題があるが、従来の多数意見が、この点どのような理論的前提に立つものであるのかは、必ずしも明確でない。私たちは、この問題は単なる立法政策上の問題ではなく法問題であって、司法権が判断し得るし、また、判断しなければならない問題であると考えており、その判断に当たっては、当然、憲法上直接の保障がある事項、とりわけ国民の基本的人権の一つである投票価値の平等を重視しなければならないものと考えている。」

 同じく、半数改選制が憲法上の要求であることもまたはっきりしている。ということになれば、こうした憲法上の要求を満たすことができるように、都道府県単位の選挙区制の見直しをすることが、国会に要請されていることになる。その作業に国会が着手しないことは、立法の不作為と評価されることになるであろう。立法の不作為が成立しないのは、そこに、合理的な理由が認められる場合である。そこで、次のように結論が下されることになる。

「上記のような前提に立って考えるとき、我が国の立法府は、これまで、上記の諸問題に十分な対処をしてきたものとは到底いえず、これらの問題について立法府自らが基本的にどう考え、将来に向けてどのような構想を抱くのかについて、明確にされることのないままに、単に目先の必要に応じた小幅な修正を施して来たにとどまるものといわざるを得ない。これでは、立法府が、憲法によって与えられたその裁量権限を法の趣旨に適って十分適正に行使して来たものとは評価し得ず、その結果、立法当初の選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差からはあまりにもかけ離れた較差を生じている現行の定数配分は、合憲とはいえないのではないかとの疑いが強い。」

 ただ、第1補足意見も指摘したとおり、本件改正によって定数が削減され、逆転選挙区が解消されたことなどから、今回の改正作業にそれなりの合理性が認められることを否定することはできない。その意味において、私たちは、今回の改正の結果をもって違憲と判断することには、なお、躊躇を感じざるを得ない、として多数意見に与したのである。その結果、

「例えば、仮に次回選挙においてもなお、無為の裡に漫然と現在の状況が維持されたままであったとしたならば、立法府の義務に適った裁量権の行使がなされなかったものとして、違憲判断がなさるべき余地は、十分に存在する」

と明言することになる。

 この第2補足意見には、さらに亀山継夫判事と横尾和子判事の補足意見がある。そのうち、後者は特にユニークな意見で、紹介に値する。

「憲法47条の規定を受けて参議院議員選挙法及びそれを受け継いだ公職選挙法が定める参議院の選挙制度の仕組みである都道府県を単位とする選挙区の設定、各選挙区への偶数の定数配分、配当基数(各選挙区の人口を基準人口(総人口を選挙区選出議員の総定数で除したもの)で除したもの)が2未満の選挙区へも定数2を配分し配当基数が2以上の選挙区への定数配分は人口比例を考慮することは、憲法の定める二院制の趣旨及び参議院の性格並びに都道府県の意義に照らして立法府にゆだねられた立法裁量権の合理的行使として是認できるものと解する。

 そうすると、人口のいかんを問わずに定数2を配分された配当基数2未満の選挙区相互の間及びそれらの選挙区と配当基数2以上の選挙区との間については、議員1人当たりの人口に不均衡があっても違憲の問題は生じない。」

五 反対意見

 反対意見には、福田博、梶谷玄、深澤武久、濱田邦夫、滝井繁男、泉徳治の6判事が加わっている。しかし、反対意見といっても、各人の間にはかなりの見解の相違があるので、多数意見同様、反対意見も、その最小公倍数をとって、きわめて簡略なものである。

「本件選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1506にまで達していたのであるから、本件定数配分規定は、憲法上の選挙権平等の原則に大きく違背し、憲法に違反するものであることが明らかである。したがって、本件選挙は違法であり、これと異なる原審の判断は是認することができない。」

 以下、合憲違憲の場合と同様に、各判事の反対理由をみていくことにしよう。

(一) 福田反対意見

 この説は、意見中には明言されていないが、参政権を権利として把握している。したがって、人民主権ー権利説の前提と採っていない限り、採用困難な説である。

 福田博判事は1票の価値の平等を、参議院においても強く要求する。各国制度や司法権との関係までも論ずるきわめて長文のものであるが、ここでは次の点だけを紹介しておく。

「これは憲法141項に定める法の下の平等に反するのみならず(141項を前後段に分け、後段に『住所』が特記されていないので、住所により投票価値に差が出ても、違憲の問題とはならないというような議論は、法の下の平等の本質を理解しないものである。もしそのような解釈で良ければ、例えば所属する『政党』(141項には特記されていない。)によって投票価値に差を設けても、憲法上の問題とはならないはずであるが、そのような説が受け入れられないことは現代の民主政治体制の下ではもとより当然のことである。」

 しかも、その平等性の要求はきわめて強い。

「反対意見の中には現在の公職選挙法で認められている1票の較差を違憲とするものの、最大較差2倍までを合憲として許容する立場のものも多い。この考えは、長年にわたり大きな較差が存続している情況の中で、較差の是正に向けて、やや現実との妥協を図って提案されているものであり、それなりに好意的な受け取めをされることがある。私も、平成8年大法廷判決における反対意見で、この考えに同調したことがある。しかし、この提案は、やはり正しくないというのがその後の私の考えである。すなわち、現代民主主義政治における投票価値の平等とはあくまでも11を基本とするもので、1211ではない(別の言い方をすると、12が認められるのであれば、どうして1314が認められないのかは、理論的に説明できない。)。」

 そして、違憲の結果として、今回の選挙に関してはいわゆる事情判決の法理により、主文において本件選挙の違法を宣言するにとどめるのが適当とする。しかし、これは今回限りと主張する。

「次回平成16年に行われる参議院議員選挙以降、現行の選挙制度が基本的に維持された形で選挙が行われるのであれば、選挙区選挙については、今後は定数配分規定の違憲を理由に、選挙の無効を宣言すべきものと考える。このことは、仮に、行政区画にすぎない都道府県を選挙区として各選挙区において3年ごとに選挙を行うという、現行の仕組みを温存するのであれば、選挙が無効とされないためには、多くの選挙区について大幅な定員増を行うことが必然的に必要となることに帰着する。それはとりもなおさず、参議院の選挙区選出議員数の大幅増大を招来する。そのような結果は、国会が、現代民主主義体制にあって、最も基本である選挙権の平等を軽視した制度に固執し続けることから生ずるのであって、これから生ずるすべての問題解決の最終責任は、あげて国会自身にあることは言を俟たない。」

(二) 梶谷反対意見

 梶谷玄判事はできるだけ11に近づけるべきであるが、12を超える較差が生じたときは違憲とする説である。したがって、やはり権利説に立っていると見られる。

 平等選挙とは、11票のことであるから、12を超える最大較差が生じたときは、実質的に1人に2票を与える結果となり、投票価値の不平等が看過できない程度に達したものとして違憲という主張である。

 この説は、国会の裁量権を巡ってきわめてユニークに展開する。半数改選制は、偶数を要求するものではない、とするのである。

「各選挙区偶数配分制については、憲法46条は、単に3年ごとに議員の総数について半数の議員を改選することを定めたものであって、投票権の平等原則に反してまで各選挙区において3年ごとに必ず議員1人を選出することを保障したものとは解されない。したがって、参議院議員について、投票価値の平等原則上必要があれば、3年の改選期ごとに同一選挙区における議員の改選数を変え、あるいは議員を選任しないこととしても憲法上何らの問題も生じない。なぜなら各選挙区の人口に比例した数の議員が参議院において活動することによって憲法に定める投票価値の平等原則は確保され得るからである。」

(三) 深澤反対意見

 深澤武久判事の主張は、基本的には第2補足意見にきわめて近い。

「(現行の参院選挙の)仕組みの中で憲法が定めるのは3年ごとの半数改選のみであって、その他は憲法上の要請によるものではないのである。現在の仕組みの中では憲法の定める法の下の平等の許容する最大較差を超えることが技術的に避けられないとするならば、民主政治の根幹をなす選挙権の平等を保持するために、現在の選挙の仕組みにこだわらず、その変更も含む抜本的な検討がされるべきである。都道府県単位の選挙区と偶数配分は、憲法上の要請ではなく、投票価値の平等を損なってまで維持されるべき制度ではないのである。」

 この反対意見は、むしろ判決の効力を巡って現れる。事情判決はもはや手ぬるいと主張するのである。諸君も感心があると思うので、関係する全文を紹介する

「(事情判決)は国権の最高機関としての国会が、投票価値の不平等の解消について、真摯に取り組み、多くの国民が納得できる相当な期間内に合理的な解決をすることを期待して、司法権を謙抑的に行使したものと考えられる。選挙によって選出された議員によって構成される国会が行う選挙制度の改革は、各議員の利害にかかわるため様々な問題が生じることは避けられないとしても、憲法は、各議員が全体の奉仕者であるとの立場にたって、個々の利害を超えて議会制民主主義の根幹を成す選挙制度の改革がなされることを期待しているのである。しかるに、本件改正においては、較差の減少を立法目的とした積極的な検討をしたとは認められない。投票価値の不平等が、かくも広く長期にわたって改善されない現状は、事情判決を契機として、国会によって較差の解消のための作業が行われるであろうという期待は、百年河清を待つに等しいといえる。したがって、本件において選挙無効の判決をすることが違憲立法審査権の適正な行使であるといわざるを得ないのである。私は衆議院議員選挙についても選挙無効の判決ができる場合があると考えるが、特に参議院議員選挙においては、選挙無効の判決をしても、その対象は改選された議員だけであり、半数の非改選議員及び比例代表選出議員の地位には影響を及ぼさないのであるから、衆議院議員選挙について無効の判決をした場合とは異なり、変則的であるとしても、公職選挙法の改正を含む参議院の活動は可能であり、選挙無効の判決をするについて上記判決の指摘するような不都合が生ずるとは考えられない。本件選挙当時の議員定数配分規定は、憲法141項、44条ただし書の規定に反し、同法981項によって無効であって、それに基づいて行われた本件選挙は無効であるから、原判決を破棄して本件選挙の無効の判決をすべきものである。」

(四) 濱田反対意見

 濱田邦夫判事と泉徳治判事は、細部において異なるが、ほぼ同様の意見を持っているので、共通部分については、ここではまとめて紹介することにする。

 ここでは、従来から繰り返してきた事情判決という手法が限界にきているという問題意識が明確である。

「 これらの警告にも関わらず、立法府は我が国の選挙制度における投票価値の不平等状態につき適切な対応を長期間放置してきている。私は、以下に述べる理由により、本事案については、憲法上の要請である投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないような投票価値の著しい不平等状態が生じ、かつ、それが相当期間継続して、その是正措置を講じないことがその許される限界を超えた状態に達していると判断すべきであると考える。

 憲法上違憲立法審査権を与えられている当審がその権限の適正な行使に当たりあまりにも謙抑的であることは、民主主義社会と憲法の擁護の任にある司法に対する国民の期待と付託に背くことになる、と私は考える。〈中略〉もっとも、諸般の事情に照らし、いわゆる事情判決の法理に従い、本件選挙を違法と宣言するにとどめ、これを無効としないのが相当であるが、私は、今後も上記の違憲状態が是正されないまま参議院議員選挙が繰り返されることを防ぐために、当審としては、諸外国の一部の憲法裁判所制度で採用されているように、違憲状態にある議員定数配分を一定期間内に憲法に適合するように是正することを立法府に求め、そのように是正されない定数配分に基づく将来の選挙を無効とする旨の条件付宣言的判決の可能性も検討すべきものと考える。」

(五) 滝井反対意見

 滝井繁男判事も、1票の価値の平等をきわめて重視するから権利説に属する。解決策としては、半数改選制に衝突する恐れのある偶数配分にさわるのは避け、代わって地域性の要素を否定する。

「投票価値の平等は、形式化されたものとして解されなければならず、その実質的な意味を探ろうとすることは許されない。したがって、ある選挙区における選挙人の数と議員の数が比率の上で平等を欠くとき、そのことを他の理由を持ち出して正当化することは許されないのである。例えば、過疎地の住民に代表権の配分を厚くすることによって実質的平等を図ろうとする、などという配慮をすることは許されないのである。このような個別政策問題の実現は、正当に選ばれた全国民を代表する議員(憲法431項参照)から成る国会における論議のなかで図られるべきことであって、選挙制度を定める場合に、国民が等しく持っている選挙権の価値にどの地域に居住するかによって軽重をつけることによってなすべきではないからである。〈中略〉立法機関が裁量権を持つのは、憲法上の権利として国民の持つ平等な選挙権の行使が先に述べた形式的な意味において尊重されたうえでのことであり、国民の意思が公正かつ効果的に反映し得るように制度を作るということの中においてのことである。」

(六) 泉反対意見

 泉徳治判事の見解はかなり長文で、多岐にわたる。それを強引に整理すると、一つのポイントは、参院の重要性を強調している点である。法律その他の制定権を比較した上で、次のように述べる。

「参議院は、衆議院にほぼ等しい権限を与えられているといっても、過言ではないのである。そうすると、国民は、参議院議員の選出についても、基本的に平等な選挙権を与えられなければならず、参議院議員は、全国民を代表する存在でなければならないのである。仮に、法律案の議決についても、衆議院に絶対的な優越権を認めた上で、参議院を衆議院の行き過ぎや偏りを抑止するための慎重審議の場、修正案提議の場にとどめるのであれば、参議院議員の選出について人口比例の原則をある程度後退させ、各都道府県代表の性格を強く持たせるということも考えられないではないが、現在の参議院の有する権限を考慮すると、それは許されないと考える。」

 今ひとつのポイントは、国会の立法裁量権をきわめて狭く解釈することである。

「憲法47条は、議員定数の配分を含む選挙に関する事項につき、それがすべて憲法上の要請に沿うべきものであることを当然の前提として、その具体化は政令・省令等でなく法律によるべきであるという、選挙事項法律主義の原則を示したものにすぎず、この規定を根拠に国会の広範な裁量権を導くことは許されない。」

六 まとめと私見

以上、かなり駆け足に、多岐にわたる各判事の見解を紹介してきた。諸君もまた、このような広範な選択肢の中から、今後の論文の方向を探るようにしなければならない。

 私自身は、これらのいずれともかなり異なる見解を有している。簡単に述べる。

 冒頭にも述べたとおり、半数改選制は、憲法の要求であるから、これを無視してはならない。その結果、昭和3925日大法廷判決において既に指摘されていたように、書く選挙区の定数は、最低で2でなければならないと考える。特定の地域について、6年に1回しか選挙権を行使できないとすれば、それ自体が明らかに14条違反と評価できるからである。したがって、1票の格差を是正する手段は、選挙区を大きくする方法しかないことになる。

 しかし、都道府県を基盤とする選挙区を廃止できるかといえば、否定的である。単にアメリカやドイツに見られる連邦制型の第二院にとどまらず、フランスやイタリアに見られる全国民代表型の第二院の場合にも、現実の立法においては、一般に第二院の場合には地域代表という性格を強く付与している。理由は単純で、第一院が厳密に人口比例制を導入するほど、それと異なる選挙制度を採用しなければならない憲法上の責務を負っている第二院では、地域代表という性格を付与するのが妥当だからである。仮に第一院が、完全に理想的な人口比例制を採用している場合に、第二院がそれと同じく理想的な人口比例制を採用した場合には、第二院は、第一院の単なるコピーないしバックアップに過ぎないことになるが、それは可能な限り異なる選挙制度を要求している憲法に違反するものであると考える。

 もちろん、衆議院と異なる選挙制度としては、地域代表以外にもいくつかの選択肢がある。憲法制定当時予定されていた職能代表制は、その代表的なものである。しかし、現実に採用されている立法裁量が地域代表である以上、そして憲法47条が選挙区や投票の方法について立法裁量権を承認している以上、そのことを前提に議論しなければならない。

 そこから先は、地方自治制度論になる。地域の歴史的、文化的、経済的一体性が確保されている結果として、県を超えた広域が、団体自治でいうところの団体としての一体性を有するようになっている場合には、その一体性ある地域を選挙区として設定して悪いことはない。しかし、そのような共通のコンセンサスが成立しているといいうるには、公職選挙法に先行して、地域における議論が尽くされ、例えば、道州制への移行が行われている必要がある。

 一体性のない地域を、単に1票の平等のために統合した場合には、結局、その統合地域の代表になるのは、より人口の多い地域の代表者であるはずだから、狭い地域の声は国会には届かず、国政の上で無視されることになる。それでは、国会が全国民の代表者によって構成されているとは言い得ないのである。すなわち、国会に声の届かない地域を作り出すような制度改正は、憲法43条違反と評価しうる。

 現在の1票の格差論には、もう一つの落とし穴があると考えている。それは、現行制度の下では、すべての人が2票の投票権を持っているということである。比例代表制の下では、各人の投票権は厳密に11の価値を持っており、地域による格差はない。その結果、各人の意見の現実の国政への反映率というものは、比例代表制と選挙区選挙の和の半分になる。すなわち、比例代表制を併用することにより、1票の格差は半分に縮減しているのである。そのことを無視して、選挙区選挙についてだけ論ずること自体が不当なものであると考える。

 最後に、より根本的な問題指摘をしておきたい。現行公選法の参院議員に関する規定は、これまで指摘してきたとおり、@偶数配分、A都道府県単位、B1票の価値の平等という3本の柱から成立している。これまでの議論は、@の偶数配分を修正するか、Aの都道府県単位を修正するかすることにより、Bの1票の価値の平等の実現を目指していた。そこで、生ずる疑問は、逆に@やAを保存して、Bを修正するという選択肢はあり得ないのか、ということである。

 私はあり得ると考えている。二院制の下で、理論的にも、第1院の議員定数には厳格な人口比例が要求される。仮に、少数意見の何人かが強調していたように、第2院にそれと同様の厳格な人口比例が要求されるとした場合、それは第1院のイミテーションになってしまい、本当には二院制の要求する異なる選挙制度ということにはならないのではなかろうか。第1院が厳格に人口比例を求める以上は、第2院には、本質的にそれとは異なる選挙制度を追求することこそが、二院制の要求と考えるべきではないだろうか。

 より具体的には、米国連邦型に類似した地域代表という性格をもつ制度を参議院に導入することは不可能なのだろうか。すなわち、米国上院と同様に、すべての都道府県に、その人口を無視して、一律に同一の議席を配分する(偶数配分制から2議席ないし4議席となるであろう)ことも、私は違憲ではないと考える。厳格な人口比例が要求される第1院が主として東京などの過密地域の意見を強く反映するのに対し、すべての都道府県が同一の発言力を有する第2院は相対的に過疎地域の意見を強く反映することとなり、二つの院全体としては、バランス良く全国民の代表者としての議会たり得ると考える。