税務調査権と憲法31条

甲斐素直

問題

 Xは、和菓子の製造・販売業を営んでいるが、Xの住所地を管轄するA税務署に、平成XX315日に当該年度の所得額に関する確定申告書を提出した。

 A税務署職員Bは、同年316日に所得税法234条に基づく調査のため、事前に通知することなく、Xの営業時間中に、Xを訪れ、Xの申告書の内容に疑問があるとして、帳簿書類及び工場内を見せる事を求めた。これに対し、Xは、現在営業時間中であり、顧客への対応のため、Bの要求に応える余裕がないこと、漠然と帳簿とか工場といわれても困るので、どのような書類が見たいのか、また工場内のどのような箇所が見たいのか、予めを通知してくれなければ、対応のしようがない旨を述べて、Bの調査を断った。その翌日も、Bは予め通知することなく、他の数名の職員とともに、Xを訪れて同様の要求を行った。Xは、これに対し、Bがこのように連日押しかけてきて店頭で騒ぐのは営業妨害であるとして、断固として調査を拒否した。

 このため、Xは、所得税法2429号に基づき、調査拒否罪に問われ、起訴された。

 これに対して、Xは、所得税法234条は憲法31条に違反して無効である事、仮に同条が合憲であるとしても、Bが行おうとした営業妨害となるような曖昧な目的による調査に適用するのは違憲である旨主張して争っている。

 Xの主張の憲法上の問題点について述べよ。

参照条文 所得税法

234条   国税庁、国税局又は税務署の当該職員は、所得税に関する調査について必要があるときは、次に掲げる者に質問し、又はその者の事業に関する帳簿書類(その作成又は保存に代えて電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他の人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)の作成又は保存がされている場合における当該電磁的記録を含む。次条第2項及び第242条第十号(罰則)において同じ。)その他の物件を検査することができる。

 納税義務がある者、納税義務があると認められる者又は第123条第1項(確定損失申告)、第125条第3項(年の中途で死亡した場合の確定申告)若しくは第127条第3項(年の中途で出国をする場合の確定申告)(これらの規定を第166条(非居住者に対する準用)において準用する場合を含む。)の規定による申告書を提出した者(二号以下略)

 前項の規定による質問又は検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。

242条  次の各号のいずれかに該当する者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。ただし、第三号の規定に該当する者が同号に規定する所得税について第240条(源泉徴収に係る所得税を納付しない罪)の規定に該当するに至つたときは、同条の例による。

九 第234条第1項(当該職員の質問検査権)の規定による当該職員の質問に対して答弁せず若しくは偽りの答弁をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ若しくは忌避した者

[はじめに]

(一) かつて、行政手続に憲法31条が適用になるか否かは、激しく争われた。しかし、今日では、通常の行政処分は、問題文に注記したとおり、行政手続法の定めるところにより、告知・聴聞等の手続きを踏むことが要求されている。したがって、告知・聴聞の不存在等は、法律違反の問題になるので、憲法違反を論ずる必要はない。しかし、本問の税務調査に代表される行政調査については、同法314号により、同法が適用除外とされている。これは、場合によっては抜き打ち調査など、事前告知が不適切な場合もあるからである。したがって、その様な特殊な場合を除いては、やはりこの結果、憲法違反を争うほかに、適切な争訟方法がない。つまり、今日ではこの種事件に限り、憲法問題になるというわけである。

(二) 税務調査権は、大きく分けて3種類ある。

 第一は、納税義務確定のための資料集を目的とする調査権である。本問で問題となっている所得税法234条の調査権がその典型である。この調査権は、その性質上、被調査者の同意・協力を前提とする任意調査である。それにもかかわらず、被調査者は調査を受忍する義務を負い、応じない場合には罰則による制裁を受けるという点に特徴がある。したがって、間接強制力を持っているといえる。

 第二は、租税徴収のための調査権である。滞納処分を下すためには、滞納者の財産を把握する必要があり、この調査権は、そのために、国税徴収法で認められているものである。この場合には、すでに滞納という違法状態が発生しており、これを受けて、現行法は、納税者が協力しない場合には、第三者や警察官の立ち会いを認めるなど、直接的強制力を一定限度で認めている。

 第三は、犯則事件のための調査権で、国税犯則取締法が定めるものである。犯罪事実の確定を目的としたものであり、その結果、判例が、憲法38条の黙秘権を認めていることに現れるように、犯罪捜査の性格を明確に有している。

 この三つは、このように、それぞれ法的性格がかなり違うので、ある調査権を行使するそのついでに行うとか、密かに他の調査権の目的を達成するようなことは許されない。そのことは、所得税法2342項の明言するところである。

二 適正手続き

 上記第一の論点を、別の表現で表すと、憲法31条の法定手続きの保障とは、英米法にいうデュープロセス概念と読む、ということを意味する。31条の抽象的な表現に、告知、弁解、防御の機会を読み込むことは、文言的には不可能で、英米法の伝統と重ねる以外にはあり得ないからである。

 英米法におけるdue process of lawの理念とは「手続及び実体要件の双方について法定されなければならないのみならず、内容も共に適正なものでなければならない。」というものである。すなわち、デュープロセスは、さらに実体的デュープロセスと手続き的デュープロセスとに分けて論じられる。しかし、ここで本問で論点としている告知、弁解、防御の機会というのは、そのうち手続き的デュープロセスを意味する。ちなみに、実体的デュープロセスは、わが憲法学では一般に幸福追求権として論じられる概念にきわめて近い。わが憲法において、13条で手続き的デュープロセス概念も読もうとする説は、この点から導かれてくる。

 due process of lawにいうlawとは、法律の意味ではなく、法的正義の意味である。すなわち、ドイツ流の罪刑法定主義が、罪と刑の双方を法律という法規範で制定することを要求するのに対して、ここでは、それが正義の理念にかなったものであることを要求する点に最大の特徴がある。

 その源流は、マグナカルタ39条にまでさかのぼるといわれる。すなわち、

 「いかなる自由人も、その同輩の合法的裁判によるか、または国土の法によるのでなければ、逮捕、監禁、差し押さえ、法外放置、もしくは追放され、または何らかの方法によって侵害されることはない。」(樋口=吉田編『解説世界憲法集』より引用)

  •  米国合衆国憲法の場合には、修正5条でこれが謳われている。すなわち、

  •  「何人も・・法の適正な過程によらずに生命、自由または財産を奪われることはない。」(同上)

     同条の場合、連邦機関による恣意的な権力行使の抑圧を目指し、専ら手続き的デュープロセスを定めているにすぎない。これに対して、南北戦争後に、戦後処理の一環として黒人差別の禁止などととも制定された同修正141節は、逆に連邦による州に対する干渉権を認めて、次のように定める。

     「いかなる州も法の適正な過程によらずに、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。」(同上)

     この規定の場合、名宛人として州が明確に定められている点で、連邦最高裁の権限が拡張され、しかも、連邦最高裁によってこれが実体的デュープロセス(substantive due process)規定であると解釈された。特に20世紀初期の段階における実体的デュープロセス概念は、憲法革命前夜の連邦最高裁のとる司法積極主義の下に、米国の社会権立法に致命的な打撃を与えた。特に、19351月から翌年5月までのわずか17ヶ月間に、ルーズベルトのニューディール政策を支える世界大恐慌対策の12の立法を違憲無効と宣言して、ニューディール政策を崩壊に追い込んだことから、その威力がひろく認識されるに至った。

     わが国現行憲法の原案と言うべきマッカーサー草案を起草したのは、その中心人物であったケーディス大佐に代表されるように、ニューディール政策の支持者であったため、わが国現行憲法からは意識的にデュープロセス規定が排除された。憲法31条の文言も、「法律の定める手続きによらなければ(except according to procedure established by law)」という表現をとっていて、“due process of law”いう表現はあえてとられていないのである。

     ここから、上述の第一の論点の問題は出てくる。すなわち、立法過程においてあえて排除したデュープロセス概念を、ここにいう法定手続き保障という言葉に読み込むことが可能か、という問題である。

     同様に第二の論点の問題も出てくる。英米法のデュープロセス概念は、行政手続きにも及ぶことははっきりしている。しかし、31条は、少なくとも直接には刑事手続きを対象としたものだからである。

    三 学説の推移

    (一) わが国では、上記のような制定経緯を受けて、憲法31条が米国流のデュープロセス概念を採用したものではない、という説が初期においては通説であった(美濃部達吉『新憲法逐条解説』1947年刊70頁参照)。その後においても、例えば日本国憲法制定過程の研究者であり、米国のデュープロセスの研究者である田中英夫が「憲法31条(いわゆる適正手続き条項)について(『日本国憲法体系』有斐閣1965年刊、第8巻、165頁)」という論文において、31条は米国のデュープロセス概念とは無関係である、と断じている。これら消極的な考え方の根拠には、この立法経緯の影響が大きい。

    (二) しかし、徐々にではあるが、同条を手続き的デュープロセスと読む学説が登場してくる。その最初期の例の一つを法学協会編『註解日本国憲法』に見ることができる。

    「被告人の言い分を充分聴取(rechtliche Gehör)しないで処罰したり、曖昧で、広い内容を持った刑法を制定したりしたときなどのように、憲法のどの条文に反すると明らかにはいえないが、憲法の精神に反するといわざるをえない場合がある。このような場合本条によって救済するのが妥当である。この限度で英米法の『適法手続』を採用したと解するのは、全体として英米法の影響を受けたわが憲法の解釈として不当ではないと思われる。」(1953年刊、588頁より引用)

     但し、同書も、第二の論点である行政法への適用に関しては、消極的である。

    「本条は、刑事に限定されたものであろうか、それとも、ひろく生命、自由、財産に対する一切の侵害に対する保障を規定したものであるか。アメリカ憲法は後者である。しかし、わが憲法は、『生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科せられない』としているのであって、アメリカ憲法のように、たんに『生命、自由、財産を奪われない』としているのとは異なる。条文の位置からいっても、刑事手続きに関する一群の規定の最初に置かれている。また、わが憲法には、自由権、平等権、財産権、労働権について、幾多の規定が設けられているから、本条によって、アメリカ憲法のように経済活動までも含んだ包括的な自由保障の規定と解する実質的な必要も存在しない。このような理由から、本条は、少なくとも主眼としては刑罰に関する規定と解するのが妥当であろう。」(同書、584頁)

     すなわち、ここでは本条の射程距離は刑罰に限定され、行政手続きにおけるデュープロセスは考慮の外になっている。

    (三) こうして、少なくとも刑罰規定に関しては、31条を英米法にいうデュープロセスと保障した規定と読むことが急速に通説化していく。例えば、宮沢俊義はほとんど根拠をあげることなく、次のように述べる。

    「『法律の定める手続』は、かような意味において、いわゆる『妥当な法の手続』(due process of law)とその趣旨を同じくするといえよう。」(宮沢俊義『日本国憲法』1955年刊、285頁)

     さらに宮沢俊義は、行政手続きへの準用を肯定する。

    「かならずしも刑罰の場合以外は、『法律の定める手続き』によらずに、自由を侵していいという意味ではない。そういう場合には、当然、本条が、ことの性質に応じて、準用されるべきものとおもう。たとえば、少年法による保護処分や伝染病予防法による強制収容などは、やはりそれぞれの性質に即した『法律の定める手続き』によるべきものである。」(同書286頁)

     しかし、ここで準用と呼んでいるのは、実質的に刑罰と同じ作用を行う行政手続きだけをその射程距離に考えているのであって、行政手続き一般に米国流の手続き的デュープロセスを肯定しようという考えではないことに注意すべきである。

    (四) 31条を全面的に行政手続きへ適用することを肯定する説が登場するのは、したがってかなり遅れてくる。

    「現代国家において増大してやまない行政権力をこの手続き的保障の埒外に放してしまったのでは、国民の自由保障の核心が失われるであろう。憲法上記の文言の単なる形式論理的解釈ですますことなく、個々の手続き的保障の本旨と個々の行政手続きの性質に即して、具体的に慎重に検討されなければならない。」(高柳信一「行政手続きと人権保障」清宮・佐藤功編『憲法講座』21963年刊、260頁)

     しかし、この場合にも、ここに引用した議論に引き続いて、「行政強制と令状主義」「行政と黙秘権」というように議論を展開していくことに示されるとおり、刑罰類似の作用を行う行政手続きを専ら念頭に置くものであり、米国法が行政手続きにデュープロセスを適用するときに、その中心となる告知・聴聞の問題を取り上げたものではなかった。

    (五) ここまでくれば、無条件に行政手続にも31条の適用を肯定する説が登場してくるのも時間の問題といえた。今日における代表的な肯定説を見てみよう。

    「こんにちにおいては、かつての『消極国家』の時代とは違って、刑罰権のみを制約することだけで人権侵害の危険性がのぞかれるものではない。『積極国家』という言葉で表されるように、こんにちの国家は国民生活に多種多様な形でー単に秩序維持・弊害除去といった消極的な形だけでなく、より積極的に特定の政策目的を推進するなどの形でーかかわりをもつようになっている。ここでは、必然的に、行政権の役割が増大する。このように、行政権の機能が増大し国民生活に大きくかかわるものになってくると、行政権の行使による国民の権利・自由侵害の危険性が、刑罰権の発動による場合と同じく、(あるいはそれ以上に)、重大な問題とならざるを得ない。そうであれば、人権保障のためには、行政権の発動についても、適正な手続きによるべきことが要請されなければならないことになる。」

    (浦部法穂『憲法学教室』全訂第2版271頁)

     ここでは、条文の文言がどうか、という問題は度外視し、行政手続におけるデュープロセスの適用の必要性が正面に押し立てられているということができる。

    (六) 他方、同じような発想をしながらも、31条が歴史的にも文言的にも、デュープロセス概念を継承したものではないところを重視する立場からは、米国流のデュープロセス概念を基本的には13条で読み、31条は、その刑事に関する特別法と解する説が登場してくる(佐藤幸治『憲法』第3587頁参照)。その立場からは、行政手続へのデュープロセスの適用は、13条を根拠に行うという結論が導かれる。

    「公権力が法律に基づいて一定の措置をとる場合、その措置によって重大な損失を被る個人は、その措置がとられる過程において適正な手続き的処遇を受ける権利を有すると解される。この点、31条を根拠にこの権利を肯定する説もあるが、31条の表現及び憲法体系上の位置に照らし、基本的には13条の『幸福追求権』の問題とすべきである。」(同書462頁)

    (七) 興味ある学説として、「手続的法治国家説」というものが、行政法学の分野から登場した。ドイツ法系にいう法治主義(Gesetzmäßigkeit)という概念もまた、論理の流れは違うが、結論的に適正手続を要求する。その考え方を憲法解釈に導入して問題を解決しようとする説である。

    「これは、憲法の具体的条文によるのではなく、日本国憲法における法治国の原理の手続法的理解の下に、国民の権利・利益の手続き的保障が憲法上の要請であるとするのである。」(塩野宏『行政法Ⅰ』有斐閣1994年刊、226頁)

     ドイツ流の法治国家理念と米国流のデュープロセス理念の架橋の試みとして、興味ある説である。内容的には憲法31条に関して、前に述べた歴史的、文言的経緯から否定するばかりでなく、13条に基づいて考える場合についてさえも、その裁判規範性を否定し、結局、立法によって解決すべきであると論ずる。この点で、何とか憲法の裁判規範性を拡大して問題を解決したいと考える憲法学者としては、受け入れがたい説となっている。

    四 学説の内容

     こうして、かつての通説とは異なり、近時はデュープロセスを何らかの形で行政手続きにも肯定するのが多数説となりつつあるが、では、その学説の内容として、どのような点が論じられているか、というと、必ずしも明確ではない。

  • (一) 刑罰と実質的に同様の機能を果たす秩序罰や、執行罰としての科料

  • (二) 身体の拘束を伴う行政処分(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律29条以下に基づく知事の強制入院など)

  • というような実質的に刑罰類似の機能を果たす行政活動について、手続き的保障が及ぶという点についてはほとんど異論がない。しかし、では、上記場合に令状主義がとられていないことを直ちに違憲というか、という点についてはとたんに明確性が欠ける。

  • (三)  より一般的に行政手続きにデュープロセス保障は及ぶか

  • という点になると議論が分かれてくる。松井茂記は、この状況を、批判的に次のように要約している。

    「行政手続きにおける手続き的デュープロセスの問題は、概して、そもそも憲法31条が『行政手続き』に適用されるかどうか、という形でしか論じられなかった。しかも憲法31条の要求が『行政手続き』にも適用されるべきだといわれながら、その適用されるべき『行政手続き』というのが具体的にはいかなる手続きを指すのか、いっこうに明らかにはされなかった。

     さらに従来の学説は、そもそも憲法31条が行政手続きに適用されるか否かというレヴェルでの議論に終始したため、憲法31条が適用された場合、いかなる手続きが要求されるのかというレヴェルでの議論が全く欠けてしまった。つまり、具体的な行政の手続きが手続き的デュープロセス違反だとして裁判所で争われたときに、裁判所が手続きの合憲性を判断する具体的な基準の議論が存在しなかったのである。」

    (松井茂記「行政手続きにおけるデュープロセス」ジュリスト1089273頁)

     要するに、そうした点については、憲法学は、判例と行政法学に任せていた、といっても過言ではない状況だったのである。

     幸いにも、行政法学は、この責任をきちんと果たしてくれている。そこで、諸君としても、憲法学に関する問題でも、基本的に、行政法学の説くところにしたがって記述すればよい。それによれば、行政手続きにおける適正手続きの内容については、適正手続き四原則というものの存在を認めることができる。塩野前掲書222頁に準拠しつつ簡単に概念内容を紹介すれば、次の通りである。

      1 告知・聴聞

     行政処分をする前に、相手方に処分内容及び理由を知らせ、その言い分を徴する事により、処分の適法性、妥当性を担保し、公権力の侵害から国民の権利・利益を守ろうとするものである。

      2 文書閲覧

     聴聞に際して、処分の相手方が当該事案に関し、行政側の文書等の記録を閲覧することをいう。告知によって、相手方はどのような理由で処分がされることを知ることができるが、文書閲覧を認めることにより、それがどのような証拠によって支えられているかを知ることができることになる。これによって、当事者は聴聞の段階で的確な意見を述べることが可能になるわけで、聴聞の意義を実質的に支える機能を有する。

      3 理由付記

     行政処分をするに際して、その理由を処分書に付記して相手方に知らせることをいう。これにより行政処分の恣意抑制機能、慎重配慮確保機能、不服申立ての便宜機能等が確保され、行政手続きにおける公正、透明性の向上に資することになる。最高裁判所は、司法修習生の裁判官任官拒否を行うに当たり、その理由を明らかにしない方針をとっているが、これはこの原則に対する明らかな違反ということができる。

      4 審査・処分基準の設定・公表

     申請に基づく利益処分であれ、不利益処分であれ、行政庁が処分する際によるべき基準を設定し、これを事前に公表しておくことである。

    五 判例の推移

     ここで、上述したところをふまえつつ、簡単に判例の推移を見てみよう。

    (一) 第3者没収違憲判決=最大昭和371128日(憲法判例百選 246頁)

      「第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であつて、憲法の容認しないところであるといわなければならない。けだし、憲法291項は、財産権は、これを侵してはならないと規定し、また同31条は、何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定しているが、前記第三者の所有物の没収は、被告人に対する附加刑として言い渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであるから、所有物を没収せられる第三者についても、告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であつて、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで、財産権を侵害する制裁を科するに外ならないからである。」

     最初の違憲判決としてあまりにも有名なこの事件について、内容を説明する必要はないと思う。ここで注目してほしいのは、このように古い時点ですでに判例は、刑事事件における適正手続きが、学説がいうような令状主義というようなレベルの問題ではなく、明確に米国デュープロセス概念にしたがった「告知、弁解、防御の機会を与えること」こそが核心的権利である、と指摘していた点である。

    (二) 個人タクシー事件 最判昭和461028日(行政判例百選28頁)

     行政手続きへの適正手続き条項の適用を巡るもっとも有名な事件で、最近の憲法教科書の多くはこの事件に論及するようになっている(例えば佐藤幸治『憲法』第3462頁、戸波江二『憲法』新版326頁等)。しかし残念なことに、この判決は憲法判例百選には掲載されておらず、行政判例百選を見なければならない。

     事件は、個人タクシーの免許を陸運局長に行ったのに対して、陸運局長は申請人に事前に告知・聴聞することなく、一方的に却下したので、その取消を求めた訴訟である。第1審東京地裁判決は、憲法13条、31条は「国民の権利、自由が実体的のみならず、手続き的にも尊重さるべきことを要請する趣旨を含む」と述べ、事実認定につき、「行政庁の独断を疑うことが客観的にもっともと認められるような不公正な手続きをとってはならない」として、告知・聴聞が法律的には要請されていなかったにも関わらず、それを欠いた点で行政手続きを違法とし、取り消した。東京高裁もこの判決を支持した。最高裁判所は次のように述べて、下級審判決を支持した。

    「多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の拒否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもっともと認められるような不公正な手続きをとってはならないものと解せられる。」

     すなわち、実質的に見れば、行政手続きへの適正手続き条項の適用を肯定したのである。内容的に見れば、告知聴聞を要求するばかりでなく、内部的基準の設定・公表も要求しているのであって、かなり進んだものといえる。ただし、それにあたって行政法の解釈論として処理し、憲法上の根拠に論及するのを慎重に避けた点に、この判決の限界がある。

    (三) 川崎民商事件=最大昭和471122日(憲法百選260頁)

     税務署員の質問・検査に被告人が抵抗したことから刑事事件になったものである。この事件では31条ではなく、35条の行政事件への適用が問題になったという点で、前に紹介した学説の流れには乗りやすく、憲法教科書で必ず触れられる判例となっている。

    「憲法351項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続きにおける強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続きが刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続きにおける一切の強制が当然右規定による保障の枠外にあると判断することは相当でない。しかしながら前に述べた諸点を総合して判断すれば、旧所得税法7010号、63条に規定する検査は、予め裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからと言って、これを憲法35条の法意に反するものとすることはできない。」

     この判決は、憲法学者の説く令状主義の行政事件への適用をリップサービス的に認めたために、どの憲法教科書でも引用される重要判例となっているが、実際問題として行政事件に裁判所の令状を要求するという判例も立法例も皆無である点で、あまり意味がない。

    (四) 群馬バス事件   最判昭和50529日(行政判例百選29頁)

     個人タクシー事件と並んで、行政における適正手続を述べたことで有名なこの判例も、憲法判例百選には搭載されておらず、行政判例百選を見なければならない。

     群馬バスが、営業路線の延長を求めて運輸大臣に免許申請をした。これ対して、陸運局長は法の定めるところにしたがい、聴聞を行い、かつ、運輸審議会に諮問して、本件申請は却下すべきであるとの答申を得て、却下処分にした。

     これに対して、群馬バスでは、聴聞が不十分であり、また、審議会の審理手続きについても不公正であると主張して裁判になった。1審は群馬バスが勝訴したが、2審は逆に何ら違法はないとして国側の勝訴となった。最高裁判所は次のように述べた。

    「行政庁が行政処分をするにあたって、諮問機関に諮問し、その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは、処分行政庁が、諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のない限りこれに反する処分を行わないように要求することにより、当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保する事を法が所期しているためと考えられるから、かかる場合における諮問機関に対する諮問の経由は、きわめて重大な意義を有するものというべく、したがって、行政処分が諮問を経ないでなされた場合はもちろん、これを経た場合においても、当該諮問機関の審理、決定(答申)の過程に重大な法規違反があることなどにより、その決定(答申)自体に法が右諮問機関に対する諮問を経ることを要求した趣旨に反すると認められるような瑕疵があるときは、これを経てなされた処分も違法として取り消しを免れないこととなるものと解するのが相当である。」

     ここでは、告知聴聞は単なる形式として存在していればたりるのではなく、実質的妥当性を有するものであることが明言されている点が大きい。憲法論としては、ここでも最高裁判所は、法律の解釈として公正・妥当を要求したのであって、憲法上の根拠に論及しなかった点に大きな限界があった。

    (五) 成田新法事件=最大平成471日(憲法百選252頁)

     このように、最高裁判所は実質的には行政手続きについて幅広く手続き的デュープロセスを肯定しつつ、それを憲法上の権利として明言するのを避ける姿勢をとり続けたのであるが、この基本姿勢に関して、歴史的な転換を示したのが、成田新法事件である。

     きわめて重要な判例であるので、簡単に事実関係及び関係法規の説明をしたい。

     東京新国際空港(成田空港)は、1966年の閣議で建設が決定され、1978年に開港が予定されていた。しかし、政府の地元無視の姿勢に怒った農民を中心に当初から空港建設反対闘争が繰り広げられており、1968年頃からはこれに過激派集団が介入して、反対闘争が激化するようになった。過激派集団は、空港反対の拠点として、新空港周辺に合計37箇所の要塞とか団結小屋と称する工作物を設置し、これを拠点に空港施設等に対する過激な破壊活動を展開し、警官に死者が出るなどの事態となり、開港延期に追い込まれていた。そこで、こうした過激派の取り締まりのために急遽制定されたのが成田新法(正式には「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法(昭和53年法律第42号)」)である。同法は、次のような目的で制定された。

    「第1条 この法律は、新東京国際空港及びその周辺において暴力主義的破壊活動が行われている最近の異常な事態にかんがみ、当分の間、新東京国際空港若しくはその機能に関連する施設の設置若しくは管理を阻害し、又は新東京国際空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する暴力主義的破壊活動を防止するため、その活動の用に供される工作物の使用の禁止等の措置を定め、もつて新東京国際空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資することを目的とする。」

     その中心となり、本件訴訟で問題となって争われた31項は次のように定めている。

    「第3条 国土交通大臣は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物について、その工作物が次の各号に掲げる用に供され、又は供されるおそれがあると認めるときは、当該工作物の所有者、管理者又は占有者に対して、期限を付して、当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができる。

    一 多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用

  • 二 暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の製造又は保管の場所の用

  • 三 新東京国際空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用」

  •  本事件では、本条に基づいて、使用禁止命令を発する際に、告知・弁解・防御の機会を与えるとの規定が存在していないことが問題となった。それに対して、同判決が示した見解が、本問の問題文である。同判決は、問題文に引用した箇所に引き続き、上記31項の解釈論として、次のように述べている。

    「本法31項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法31項が憲法31条の法意に反するものということはできない。」

     また、行政手続きへ憲法35条の定める令状主義が適用されるか否かについては次のように述べた。

    「行政手続きにおける強制の一種である立ち入りに全て裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、当該立ち入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、刑事責任追及のための資料収集に直接結びつくものであるかどうか、また、強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。」

     こうして、行政手続きにもデュープロセス概念を肯定すること、及びその根拠が憲法上31条に求められることは判例上明白になった。しかし、実際に令状主義を肯定したわけではなく、その意味で、川崎民商事件と同様、令状主義に関する限りリップサービスと評する方が妥当であろう。

    六 税務関係の判例

     民主商工会(民商)とは、共産党系の中小企業者の組織で、昭和23年に荒川民主商工会が誕生したのをきっかけに全国に広がり、現在では会員数35万人を数える大組織に成長している。民主商工会は、かなり戦闘的で、例えば堺税務署事件(最判昭和521219日)では、徴税虎の巻を税務署職員に持ち出せて、秘密漏洩罪に問われるという事件を起こしている。そういうこともあり、税務当局は民商を非常に嫌い、嫌がらせ的な税務調査を全国的に展開した。その結果、最高裁判決だけをとっても、川崎民商事件(最判大昭和471122日)、荒川民商事件(最判昭和48710日)、京都民商事件(最判昭和631220日)、奈良民商事件(最判平成6624日)と有名事件が続出することになる。川崎民商事件は先に紹介したが、本問と関係がないものも含めて、他の事件をここに紹介する。

    (一) 荒川民商事件  最判昭和48710日(租税判例百選第4206頁)

     工場の入口で、所轄税務署の職員から質問を受け、また書類の提示を求められて拒んだ事件で、最高裁判所は、次のように基準を述べた。

    「税務署その他の税務官署による一定の処分のなされるべきことが法令上規定され、そのための事実認定と判断が要求される事項があり、これらの事項については、その認定判断に必要な範囲内で職権による調査が行なわれることは法の当然に許容するところと解すべきものであるところ、所得税法2341項の規定は、国税庁、国税局または税務署の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請、申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合には、前記職権調査の一方法として、同条一項各号規定の者に対し質問し、またはその事業に関する帳簿、書類その他当該調査事項に関連性を有する物件の検査を行なう権限を認めた趣旨であつて、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な程度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられている」

     この判例では、明らかに税務署員の裁量権を幅広く認める、という基本的な姿勢を示している。

    (二) 京都民商事件 昭和631220

     民商関連の事件で、最高裁判所の流れが変わった感があるのが、この事件である。事実関係は、荒川民商事件と良く似通っている。当初、所轄税務署職員が、所得税調査のため、店舗を訪問したが、店主は「今日は仕事で忙しいから、調査に応じられない」と調査を拒絶した。そこで、その日は簡単な事情聴取にとどめ、その後も再三訪問したが、常に多忙を理由に断られた。そして、問題の訪問時には、従業員から店主が不在であることを告げられたにもかかわらず、本当に不在かどうかを確かめるため、内扉の止めがねを外し、店内に侵入したという事件で、荒川民商事件の基準を引用した上で、「質問検査権の範囲内の正当な行為とはいえ」ないとして、国家賠償が認められた。

    (三) 奈良民商事件  最判平成5311日=行政判例百選第4版314

     奈良税務署職員が、自営業者宅を、その所得税の調査のため、数回にわたり訪問し、帳簿書類の提示を求めたが、自営業者側は、奈良民主商工会の事務局員の立会いを要求してこれに応じようとしなかった。そこで、その得意先や取引銀行を調査して(これを「反面調査」という。)所得金額を算定し、更正決定を下した。それに対し、自営業者が取り消しの訴えを提起した結果、控訴審では、更正決定を取り消す旨の一部認容判決を受け、同判決は,上告がなく確定した。

     そこで、違法な構成決定によって損害を受けたとして国家賠償を請求したのがこの事件である。控訴審は、「奈良税務署長が職務上通常尽くすべき義務に著しく違反したことによる違法な処分というべきである」として、国家賠償を是認した。これに対して、最高裁判所は、国家賠償法上の違法という概念を次のように限定解釈することで、違法はないとした。

    「税務署長のする所得税の更正は、所得金額を過大に認定していたとしても、そのことから直ちに国家賠償法11項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく、税務署長が資料を収集し、これに基づき課税要件事実を認定、判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正をしたと認め得るような事情がある場合に限り、右の評価を受けるものと解するのが相当である。」

    七 本問への適用

     以上に述べたことを要約すると、諸君としては、次のような形で論文を構成していく事になろう。

     第一に、31条が英米法流のデュープロセス概念を継承したものであって、その内容は告知・弁解・防御の機会を与えることとしたという点については、肯定するのが妥当であろう。ここで否定してしまうと後の議論が続かなくなる。問題は理由付けである。

     近時の教科書では、例えば「この規定は、〈中略〉アメリカ憲法にいう『法の適正な手続き』(due process)条項に由来し、国民の権利・自由を手続きの点から保護することを目的としている」(戸波江二・新版322頁より引用)というように、あっさりとデュープロセスを読む傾向が強い。だから諸君もそれに倣って書いても、何の問題もない。

     ただ、本講で述べたように、文言そのものは明確にデュープロセスを排除する意図で書かれていたことなどを考えると、法学協会の「英米法の『適法手続』を採用したと解するのは、全体として英米法の影響を受けたわが憲法の解釈として不当ではない」という押さえた表現の方に、私としては与したい。

     第二に、デュープロセスの行政手続きへの適用を肯定しなければ、これまた議論が続かない。この点は議論が少し難しくなる。アメリカ法において幅広く行政手続きへの適用が肯定されていること、わが国判例の流れを受けて、通説は、行政手続き一般への適用ないし準用を肯定している。したがって、諸君もまた、原則的には肯定して良いと思う。しかし、学説的には依然として制限的に解している立場も少なくない。例えば成田新法事件判決における園部判事の意見は、次のように述べている。

    「個別の行政庁の処分の趣旨・目的に照らし、刑事上の処分に準じた手続によるべきものと解される場合において、適正な手続に関する規定の根拠を、憲法31条又はその精神に求めることができる」

     ここには、依然として先に紹介した宮沢俊義や高柳信一の見解と同じように、刑事処分に準じた限りでの適用(その精神とある箇所は準用を意図したものか)であって、行政手続き一般への適用は考えない、という姿勢が見える。熊本信夫はこの流れの延長線上で次のように述べている。

    「私は判例の発展によって憲法31条が行政手続きにも及ぶ、という解釈を導くことには、その文言、成立の背景から考えてなお困難であると考える。結局、行政手続きについては憲法31条の趣旨・精神を立法政策上適切に生かすことによって、一般法の制定によるべきと考える。」(平成4年度重要判例解説51頁参照)

     この立場による場合には、行政手続きとの関係では、31条は良くて抽象的権利、おそらくは背景的権利と読むにとどまり、間違っても具体的権利を保障したものではないことになる。このような立場に立って論文を書いても良い。その場合には、本問で問題となっている所得税法234条が、それを具体的権利化した規定と読んで議論を展開していけばよい。

     このあたりの議論をうまく書けば、一層の加点を期待できる箇所である。どのような基本的立場で臨み、どの程度論文に書き込んでいくかは、諸君の使っている基本書と相談して慎重に決め、その上で意欲的に取り組んで欲しい。

     最大の論点になるのは、第三の、これは原則を示したものであって、場合によっては例外として、告知・弁解・防御の機会を与えなくとも良い場合がある、という点であろう。この点に関しては、学説はかなり分かれて対立しているので、諸君のセンスの示しどころというべきである。

     さて、ここまで議論が進んで、はじめて、荒川民商事件の判決の当否を論ずることが可能になる。荒川民商事件では、先に、最高裁判所が詳しく論じた部分のみを紹介したが、実際には様々な点で、31条違反が論じられた。

     第一に、所得税法234条は、刑罰による威嚇で遵守を強制したものであるにもかかわらず、曖昧不明確な点で、曖昧性あるいは過度の広汎性故に無効という主張である。これを論ずる場合には、文面審査=文面違憲の理論をある程度しっかり書き込む必要がある。

     第二に、調査目的を達するについて他に可能な調査手段が存する場合には質問検査は許されないと言うことが定められていない点で、LRA基準違反という主張である。例えば、奈良民商事件では、税務署側が調査拒否に対して234条の調査を刑罰で強制する代わりに、反面調査で構成決定を行った。このように、他に代わる手段がある限り、任意捜査である234条で刑罰を課するのはおかしいといえる。こちらはその様な論理である。

     これらについては、余力があれば書けばよい。しかし、本問の中心論点が、告知・聴聞にあることは明らかなので、時間的に、あるいは能力的に限界がある場合には、そこをしっかり書いてほしい。野中俊彦は、成田新法事件に対する意見として、次のように述べる。

    「一般論としては必ずしもおかしくはない。しかし少なくとも事前手続の必要がある場合と無い場合の大まかな区分けとその理由を示す必要があったと思われる。そうでないと総論賛成、各論留保のようなことになってしまい、せっかくの意義のある判示がどう生かされるのかが見えてこない。」(野中俊彦「『成田新法』訴訟大法廷判決について」ジュリスト100931頁より引用)

     そして、全部で37箇所もあった団結小屋や要塞などの空港反対活動の拠点のうち、第1期工事期間中に使用禁止命令が発されたのは3箇所のみであること、1986年から始まった第2期工事においても使用禁止命令は15箇所に増えたにとどまること、除去・封鎖が行われたのはさらにその半分くらいであったこと、などという事実を背景に次のように結論するのである。

    「手続が不十分という場合ではなくて、本法のようにまったく手続規定を欠く場合は、違憲と判断すべきが筋であるように思われる。本法に『高度かつ緊急の必要性』という特別の事情があったとしても、実際には禁止命令が出されたのはしばらくは一握りにも満たない数であって、禁止命令を受けない工作物との異なる取り扱いの正当性を示すためにも、やはり事前手続が必要だったのではなかろうか。」

     こうした議論は、当然、税務調査の場合にも妥当する。実は、税務当局が作成している『税務調査の法律知識』という書でも、このことは認めている。すなわち、事前通知が必要か否かについて「税務調査を行うにあたっては、原則として調査対象者にあらかじめ調査日時を連絡(事前通知)することとしている」と述べているのである。もっとも、法律上の要件ではない、としている。これについて、北野弘久は次のように述べる。

    「憲法13条、31条との『適正手続』の要請や、調査不協力犯等の犯罪構成要件に関すること、憲法31条、35条、38条違反の疑いを回避する等の見地からも、現行法に明文規定がなくとも事前通知をすることは質問検査権行使の適法要件と解するのが妥当であろう。〈中略〉被調査者に右の事前通知をせずに、税務職員がいきなり調査に来た場合にはその様な調査は不適法であり、被調査者は調査を適法に拒否できる」(『税法学原論』第5版青林書院374頁より引用)

     要するに、31条にしたがった法の運用をしない限り、具体的場合においては適用違憲という結論を導けると述べているのである。

     本問は、このような結論が容易に導けるように作問したつもりである。すなわち、A税務署員Bは、特に例外とするべき理由もないのに、事前通知をすることなくXを訪問しており、しかも商店に営業時間中という、断られても当然という時間帯に押しかけている。そして、荒川民商事件をはじめとする一連の判例でも、少なくとも数回の訪問は繰り返しているのに、本問ではわずか2回目の拒否で、ただちに刑罰権を発動しているという設定である。こんなことが、正常な税務調査活動で行われるわけがない。これはあきらかに違法ないし少なくとも不当な調査権の行使であるということが、ぴんと来ないようでは、リーガルマインドに欠けると言われても仕方がないであろう。最高裁判決が、税務署の調査権行使を肯定的に見る傾向があるということから、条件反射のように、このような無茶な調査権行使までが許されるというような、人権意識のかけらもない論文を書いてはいけない。むしろ、最高裁判所がなんと言おうと、自分のリーガルマインドを大事にしていくことが、法曹として育つための大事な条件である。