公務員の労働基本権

甲斐素直

問題

 ある年の8月に、国家公務員の給与を4月にさかのぼって引き上げることを勧告する人事院勧告が出された。政府は、多年にわたり人事院勧告を完全実施してきたが、その前年の人事院勧告については、財政状態の逼迫を理由に不完全実施としていた。そして、この年は、財政状態がさらに逼迫したことを理由に、不実施(凍結)とする旨の閣議決定を行った。

 そこで、Y省に属する一般職公務員で組織するX職員団体は人事院勧告の凍結に抗議し、その完全実施等を求めて、Y本省で勤務時間内に1時間のストライキを行った。

 これに対してY省はストライキに参加したX職員団体の役員であるAらを停職等の懲戒処分に付した。そこで、X組合は、その取消しを求めて訴えを提起した。

本問の憲法上に含まれる問題と組合側の請求の当否について論ぜよ。

[出題の狙い]

 人事院勧告あるいは地方自治体の人事委員会勧告の凍結に反対する闘争は、全農林のストライキに関して、平成12317日に、熊本県と新潟県の教職員組合のストライキに関して平成121215日に、何れも最高裁判例が下されている。

 また、2001年度以降、大規模な公務員制度改革が進行中である。そして、現在の中心問題は、まさにこの公務員の労働基本権を授与するか否かである。

 このように、最高裁判決が相次ぎ、また、改革の重要テーマにあがっているということは、今後、国家試験で、出題の可能性が極めて高い問題の一つであるといえる。

 本問は、その最初の全農林人勧凍結反対闘争事件をベースに問題文を作成したものである。問題を単純にするため、本省でだけストライキを行ったように書いたが、実際には農林水産省及びその出先機関の合計40786名のうちその九割を超える38288名の全農林組合員が、始業時から2時間のストライキを行った、という大規模なものであった。この判決については、例えば平成12年度重要判例解説1819頁(大久保史郎解説)等、様々な媒体で論じられているので、諸君も十分に承知していることと思う(承知していてくれなければ困る)。

[論文構成のポイント]

 いつも言っていることを改めて強調するが、論文は、単独のそれ自体がその論点に関する自分の基本書のダイジェストになっていなければならない。換言すれば、自分の基本書の、論文と同一タイトルの部分だけのダイジェストを作ったのでは、決して合格答案にはならない。実に単純な話なのだが、なぜか皆はすぐにこのことを忘れてしまうので、答案構成に当たっての問題意識として改めて肝に銘じておこう。

 これを本問についていうならば、「公務員の労働基本権」というタイトルの付いている部分だけをダイジェストして論文の体にしたのでは不十分である。

(一) 憲法と国家公務員法

 本問に対する書き方はいろいろある。しかし、第一に論ずるべきは、本問の場合、一般職の国家公務員と明記してあるから、その争議行為を全面的に禁止している国家公務員法982項及び3項並びにその違反に対して刑罰を定めている同11017号の合憲性である。憲法訴訟論的にいえば、この規定に対する文言審査ということになる。この段階で、これらの規定が違憲と判断する場合(文言違憲)には、論文としてはそれで終わり、それ以上、本問に記述されている細かな事情を考慮することなく、懲戒処分は違憲・無効という結論が下されることになる。これは間違いなく合格答案であるが、ただ余り高い得点は期待できない。例えば、スケートや体操などの競技で、易しい演技だけでプログラムを構成した場合、ノーミスで演技したとしても高い得点は期待できないであろう。それと同じことである。

 そこで、諸君自身の法的見解がどうであれ、高い得点を狙う場合には、国家公務員法の規定そのものは合憲であるという議論を展開する必要がある。その場合、実務家法曹としては、全逓名古屋中郵事件で最高裁判決が展開した論理をベースに議論を展開するのが適切である。すると、国家公務員法を合憲と解釈するための根拠の一つとして、人事院勧告が誠実に遵守されている必要がある、という結論が導かれる。

 ここから本問の中心論点が導き出される。憲法訴訟論的にいえば、国家公務員法そのものは合憲であるにしても、人事院勧告が完全凍結されている結果、合憲であるための要件が欠落している場合にまで、適用するのは違憲ではないのか、ということである。

 この段階で、適用違憲という結論を下した場合には、論文としてはそれで完結する。

 しかし、適用それ自体は合憲、あるいはどちらとも決めがたいという結論を出した場合には、さらにもう一つの論点が現れる。刑罰を定めている同11017号の存在との関係で、懲戒処分にとどまっている点をどう評価するか、ということである。

 諸君の答案を見ると、往々にして、国の側に有利な結論を下しておけば間違いはない、式の安易な姿勢が見える。しかし、それは完全な間違いである。憲法は、基本的に国民の権利を守るために存在している。したがって、結論として国側を擁護する姿勢を示す場合には、なおさら厳密に論理を積み上げなければならないのである。

(二) 憲法と労働法

 本問で問題になっているのは労働基本権、特にストライキ権であるから、それが一般国民、つまり民間ベースでどのような権利か、ということを知っている必要がある。これについては、知っていれば十分なのであって、それ自体を論文中に書き込む必要はない。しかし、少なくとも、労働法の常識に反する論文を書いたのではどうにもならない。その意味で、通常の労働法を判っている必要がある。

 また、判例を紹介するのは良いのだが、それが絶対的なものであるという決めつけで、その後の議論が止まってしまっている人がよくいる。論文とは、君たちが自分の説を論ずることを評価するのだから、判例を紹介してもそれ自体は点にならない。判例を手がかりに論点を摘出し、それに関する自分の見解という形で論じていくべきである。

一 労働基本権の内容

 以下に書くことは、論文を書くに当たり当然の前提をなす部分である。本問の場合、公務員関係における労働基本権の特殊性を書くだけで紙幅が尽きると思われるので、以下のことは論文中に書き込む必要はないが、理解していなければならない

(一) 労働基本権に対する憲法保障の意義

 労働基本権が労働者の基本的権利だと言うことは、次のことを意味する。

 ① 使用者が、労働者が労働3権を享受するのを妨害する行為は、不当労働行為として禁止される(労働組合法第7条、国家公務員法108条の7等参照)。

② 争議行為のうち罷業行為は労働契約に定める労働義務に違反するという意味で、民法上、債務不履行が成立し、また、作業所封鎖などでは不法行為が成立することになるが、それを追及することが禁じられることを意味する(民事免責)

③ 団体交渉その他の団体行動はすべて、形式的には威力業務妨害罪が成立し、刑罰の対象となる。また、争議行為の場合にはこれに加えて住居不法侵入罪その他の刑事犯罪の構成要件に該当する。憲法がこれらの権利を保障するということは、それを民事上の不法行為とし、あるいは刑罰により禁圧することが、国に対して禁止されるということを意味する(刑事免責)。

 何故こういうことが言えるか、ということも労働基本権自体を議論する場合には必要なことだが、ここでは割愛する。折を見て自分で勉強して欲しい。

(二) 労働基本権の概念

 憲法は団体行動権の内容については、その典型として団体交渉権を例示するにとどめ、これ以外にどんな行動を許容するかについては、解釈に委ねている。しかし、慣習法的に確立している団体行動権としては争議権がある。そこで、通常、団結権、団体交渉権および争議権の3者をさして、労働三権という。

 しかし、公務員法では通常の団体交渉権を、団体交渉権と労働協約締結権の二つに区分して規律しているので、本問を論ずるに当たっては、それに対応して労働四権という形で記述しなければいけない。公務員法でも単純に労働三権と覚えていて、本問で聞いている一般職公務員の場合、私企業で団体交渉権と呼ばれている権利が、狭義の団体交渉権(国家公務員法108条の51項)は明確に認められている一方、労働協約締結権(同条2項)が否定されていることを看過して、現行法に明確に反する記述をしている人が良くいる。今回の講座のように、事前に問題を公開し、十分調べる時間のある問題に取り組む場合、関係条文は一つ一つ自分の目で確認する努力をしなければ、確実に合格答案を書く実力を育てることはできない。

(三) 労働基本権の制限類型

 労働基本権を社会権として捉える場合、その積極的実現にむけては、具体的権利性が認められないと説かれることが多い。しかし、その場合でも、国家が、その実現を積極的に妨害する活動をする場合には、その自由権としての性格を侵害することになるので、常に具体的権利性を肯定できると考えられる。すなわち、上記の諸施策について、それを否定する方向への立法ないし行政は、常に労働基本権の侵害として違憲となり、司法救済の対象となる。特に、それらの活動が形式的には刑法その他の刑事規定に該当する場合にも、労働基本権の行使として行われる場合には可罰的違法性を阻却すると解されるという点に大きな特徴を示すことになる。まして、労働基本権の行使を明示的に刑罰で禁止するのは違憲と解される。公務員の労働基本権における刑事処罰が問題になる基礎はこの点にある。

 すなわち、この段階で、労働基本権の制限は、制限立法の妥当性を厳格に証明して初めて許されるのであって、国がその証明に失敗した場合には、自動的に違憲という推定が働く、という論理を確立しておく必要がある。それができれば、あとは反対のポイントについては片端から否定して行きさえすれば、論文ができあがることになる。反対にそのことをこの段階で明言していなければ、いかに反対の論証をしたからと言って、なにも証明していないことになってしまうのである。

 現行法制度の中で、労働基本権の制限として知られているものとしては①政治スト・同情スト、②労働関係調整法、そして本問のテーマである③公務員の労働基本権の制限の3者が知られている。前二者については、本問で書く必要はないが、公務員の労働基本権を論ずるにあたり必須の前提をなすという意味で、諸君としては理解している必要がある。以下、順次紹介することとしよう。

 1 政治スト・同情スト

 28条の団体行動権は、団体交渉が例示されているのみで、それ以外にどのような団体行動が許容されているかについては、解釈にまかされている。現実にその合法性が争われた類型は多数に上るが、今日、もっとも問題があるのが、この二つである。28条の権利行使としては、原則として違法と考えられる。すなわち団体行動権は、労働者と使用者間の交渉が実質的に対等当事者として行うことを可能にするために、特に通常の自由権を制限して認めた権利である。ところが政治ストにしても、同情ストにしても、使用者側として基本的に当事者能力のない問題なのだから、ストを中止して貰うための譲歩が自らの権限によっては不可能である。そこでこうしたスト権を認める場合には、使用者としては一方的にその私的財産の侵害を甘受しなければならない、という不合理な結果が発生する。これはあきらかにストライキ権の濫用と言うべきだろう。ここにこれらのストが許されないとされる根拠がある。

 この政治ストに関するリーディングケースともいうべき判決が、全農林警職法闘争事件上告審判決(昭和48425日=百選312頁)である。すなわち、警察官職務執行法反対闘争を行う手段として、すなわち公務員の政治的基本権の行使手段として勤務時間内の職場集会を行ったもので、ここで説明した政治ストの典型例である。

 それに対して本問は、私企業的にいえば、使用者側が賃上げ拒否の回答を行ったのに対してストライキを行った、という点で、一般職公務員における典型的な労働基本権の行使である。労働基本権の制限と政治基本権の制限は、同じ人権制限問題であってもその本質が大きく食い違うため、同じ理論構成は使えない。確かに、後述する全逓名古屋中郵判決は、様々な点について、この全農林判決をそのまま引用するというスタイルをとっている。しかし、だからといって、政治スト以外の場合に、この判決を直接引用してはいけない。これはあくまでも政治ストに関するリーディングケースであり、労働争議に関するリーディングケースは、全逓名古屋中郵判決なのである。もし、全農林判決がそのまま通常の労働争議にも使えるのであれば、全逓名古屋中郵判決を大法廷で行う必要はなかったのである。

 2 労働関係調整法等における制限

 労働関係調整法は、次の2種類の争議行為の制限規定をおいている。

 第1に、工場事業所における安全保持施設の維持、運行を妨げる行為は、争議行為としても禁止される(36条)。炭坑における争議行為については、鉱山保安法に規定する保安業務がそれに当たるとする特別法がある。人命に対する危険を及ぼすような、あるいは人命を弄ぶような争議権についても、同様にスト権の濫用と言うべきであり、特に問題はないであろう。

 第2に、公益事業では、争議行為の10日前までに労働委員会、労働大臣、都道府県知事に届け出る義務がある。これに対して内閣総理大臣が、その争議の規模や性質から緊急調整を行うと決定した場合には、その決定の公表の日から50日間は争議行為を行うことが出来ない。この違反には刑罰が課される。(37条~40条)

 公益事業は、その停廃が直ちに社会公共に強い影響を与えるものであるから、それが安易にストを実施するのは問題であると同時に、公益事業労働者といえども労働者として労働基本権を保有しているのであるから、一方的にその争議権を奪うことはできないとして、このような中間解決がとられている。JRやNTTは、3公社時代には次に述べる公務員の労働基本権制限の対象であったが、現在はこの公益事業としての制限の対象となっている。業務そのものは客観的に変化していないのに、なぜ規制形態がこのように差異を示しうるのか、という点が本問を考える上での大きなヒントを提供している。

二 公務員の労働基本権の制限

 ここからが本問の中心的な議論となる。したがって、これまでに論じてきたことは本問に関しては本の導入部にすぎない。それをいかに圧縮して書くかが、論文の成否を決める。しかし、これまでの議論を全く書かない場合には、自動的に落第答案になるところが恐ろしい点である。もちろん冒頭に書く必要は必ずしもない。答案構成の中に適当に織り込めば十分である。

(一) 公務員の労働者性

 今日においては、公務員が自分の労働の対価として賃金を受け取る者であるという意味に置いて労働者に属し、したがって、憲法27条及び28条が基本的にはそのまま適用になることについては異論がない(例えば労働基準法につき、その8条及び112条参照)。しかし、この点を書かなければ、その後の論理を導きようがないから、書かなければ減点される。他方、異論のないところだから、何行もつぎ込んではいけない。できるだけ圧縮した形で冒頭に一言すれば十分であろう。

 全逓名古屋中郵判決は、「自己の労務を提供することにより生活の資を得ている点においては、一般の勤労者と異なるところがないのであるから、共に憲法28条にいう勤労者にあたるものと解される。」と述べた。この程度で良い。

(二) 公務員労働の公共性との関係

 公務員等の勤務内容の公共性は昔から制限論の有力な根拠とされてきている。すなわち公務員の活動や公営企業の活動は公益上の目的をもつものであり、したがってその業務の停廃は、国民(住民)全体の生活の利益を阻害するものといえる。

 しかし、労働関係調整法が制限を加えている公益事業の場合に比べて無条件で公共性が強いかといえば、そんなことはないのだから、これはほとんど理由にならない。たとえば東京電力にスト権が承認されて、全林野労働組合に否定される根拠にはならないであろう。

(三) 国会中心財政主義及び国会中心立法主義との関連

 名古屋中郵判決が合憲の理由として最も重視しているとみられるのは、公務員は憲法八三条に示される財政民主主義にのっとり、法律と予算の形でその勤務条件を決定される地位にあるとするところである。すなわち、同判決は、全農林判決を引用する形で次のように述べている。

「公務員の場合は、その給与の財源は国の財政とも関連して主として税収によつて賄われ、私企業における労働者の利潤の分配要求のごときものとは全く異なり、その勤務条件はすべて政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮により適当に決定されなければならず、しかもその決定は民主国家のルールに従い、立法府において論議のうえなされるべきもので、同盟罷業等争議行為の圧力による強制を容認する余地は全く存しないのである。これを法制に即して見るに、公務員については、憲法自体がその734号において『法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること』は内閣の事務であると定め、その給与は法律により定められる給与準則に基づいてなされることを要し、これに基づかずにはいかなる金銭または有価物も支給することはできないとされており(国公法631項参照)、このように公務員の給与をはじめ、その他の勤務条件は、私企業の場合のごとく労使間の自由な交渉に基づく合意によつて定められるものではなく、原則として、国民の代表者により構成される国会の制定した法律、予算によつて定められることとなつているのである。その場合、使用者としての政府にいかなる範囲の決定権を委任するかは、まさに国会みずからが立法をもつて定めるべき労働政策の問題である。したがつて、これら公務員の勤務条件の決定に関し、政府が国会から適法な委任を受けていない事項について、公務員が政府に対し争議行為を行うことは、的はずれであつて正常なものとはいいがたく、もしこのような制度上の制約にもかかわらず、公務員による争議行為が行われるならば、使用者としての政府によつては解決できない立法問題に逢着せざるをえないこととなり、ひいては民主的に行われるべき公務員の勤務条件決定の手続過程を歪曲することともなつて、憲法の基本原則である議会制民主主義(憲法41条、83条等参照)に背馳し、国会の議決権を侵す虞れすらなしとしないのである。」

 この理由は非現業の国家公務員についても妥当するし非現業の地方公務員、地方公営企業の職員も同様である(岩手県教組判決は、財政民主主義の原則が地方公共団体についても妥当することを前提としている。)。この見地から公務員等に対しては労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権も、その交渉の過程の一環として予定される争議権も憲法上当然に保障されているものでなく、勤務条件は、国会や地方議会が法律、条例、予算をもって決定すべきものとされる。

 これについて伊藤正己判事は次のように批判する。

「この考え方によれば、公労法や地公労法が団体交渉権、労働協約締結権を定めているが、これは立法裁量によって法律をもって与えられた権利にすぎなくなり、公務員等は、団結権は別として、それ以外の労働基本権を享有していないこととなり、それが憲法二八条にいう勤労者に当たるということと矛盾する感を免れない。憲法七三条四号や八三条の規定は、たしかに公務員の勤務条件のすべてが法律や予算で決定される原則を示しているようにみえるがそれらの規定はそもそもかつて天皇大権事項であったものを修正し、民主的コントロールのもとにおこうとしたものであるし、勤務条件の大綱は国会が定めなければならないとしても、その範囲内で団体交渉で定めることを排除するものではなく、およそ勤務条件のすべてを国会の自由な決定にゆだねるとする論拠として十全なものとはいえない。いわゆる財政民主主義の原理も憲法における抽象的なひとつの原則であるけれども、それは硬直した内容のものではない」(福岡病院争議最高裁=元年425日判決の少数意見より引用)。

 要するに、管理者側の裁量権が認められる領域においては、労働協約締結権を承認しても問題はない。また、賃金の引き上げなど、基本的には法律や予算の制約がある問題についても、労働協約の内容が、国会に対して法案を提出し、あるいは補正予算を提出するべく努力する、というものであれば、依然として管理者の権限に属するといえる。そして、そうした問題であれば、争議権を一律に否定する必要はない。

 したがって、国会中心財政主義は、確かに説得力ある論理であるが、これ一つで公務員の労働基本権の制限が完全に肯定できる訳ではない。

(四) 市場原理との関係

 公務員や国営企業の場合、労使関係に市場の抑制力が欠如しており、そのため争議権の保障が勤務条件の適正化に働かないことが挙げられる。すなわち、同判決は、全農林判決を引用する形で次のように述べている。

「私企業の場合と対比すると、私企業においては、極めて公益性の強い特殊のものを除き、一般に使用者にはいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)をもつて争議行為に対抗する手段があるばかりでなく、労働者の過大な要求を容れることは、企業の経営を悪化させ、企業そのものの存在を危殆ならしめ、ひいては労働者自身の失業を招くという重大な結果をもたらすことともなるのであるから、労働者の要求はおのずからその面よりの制約を免れず、ここにも私企業の労働者の争議行為と公務員のそれとを一律同様に考えることのできない理由の一が存するのである。また、一般の私企業においては、その提供する製品または役務に対する需給につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのような市場の機能が作用する余地がないため、公務員の争議行為は場合によつては一方的に強力な圧力となり、この面からも公務員の勤務条件決定の手続をゆがめることとなるのである。」

 国営企業は公共的な政策を実現することを本来の目的とするものであり、その提供する役務・商品は代替性に乏しく、また国営企業の場合、労働者の過大な要求により経営が悪化し企業の存立が危うくなるという危険性はほとんどないといってよく、争議行為が一方的な圧力となるおそれのあることはたしかだから、これにはかなりの説得力がある。

 しかし、同じような問題は、東京電力やJRなどの公益事業についても共通して言うことができる。公益事業については、現在労働関係調整法の下で争議権を制限されているが、公務員のように一律に禁止されている訳ではない。それでも特段の問題が発生していないのであるから、これもまた単独で人権を否定するだけの論拠ということはできない。

(五) 代償措置の存在

 以上のように、公務員の労働基本権が制限される根拠として、全逓名古屋中郵判決が挙げている理由は、そのどれもが、一応の説得力を持つものの、決定的な根拠とはなりがたい。そのことは、最高裁判決も十分に承知していて、上記三つに加えて、最後の根拠として上げるのが代償措置の存在である。

 すなわち、法が争議行為を単純に禁止するのではなく、その禁止に見合う代償措置を規定していることを、合憲の根拠として強調するのである。名古屋中郵判決は、先に紹介した全農林警職法反対闘争事件判決を引用する形で、次のように述べる。

「公務員についても憲法によつてその労働基本権が保障される以上、この保障と国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは、憲法の趣意であると解されるのであるから、その労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の措置が講じられなければならない。」

 その代償措置として設けられているのが、国の場合の人事院、地方の場合の人事委員会である。特に労働条件の中心となる俸給については、人事院が毎年社会一般の情勢に比べてそれが妥当であるか否かを調査し、国会及び内閣に報告することとされている。特に5%以上の増減の必要があると認められる場合には人事院は勧告の義務がある(国家公務員法28条)。また、それも含めてあらゆる勤務条件について、公務員は人事院に適当な行政上の措置をとるよう要求することが出来る(同86条以下参照)。地方人事委員会についても同様の規定がある(地方公務員法26条、46条)。

 現業公務員等については、以前は労働組合法の定める労働委員会とは別に、公共企業体等労働委員会という特別の委員会があって、これが調停等に当たっていたが、臨調の答申により今日では労働委員会に一本化されている。

 地公労法の場合には、争議権に代わる措置が国家公務員や国営企業の職員の場合に比して必ずしも完備しているとはいえないが、労働委員会によるあっせん、調停、仲裁のほか一般の私企業の場合にはない強制調停、強制仲裁の方法を認めており、代償措置として必要な最小限の内容を備えているといえる。

* * *

 以上に説明したように、全逓名古屋中郵判決が挙げた国会中心主義、市場原理、代償措置という三つの論拠は、いずれもそれ単独では、争議行為を全面的に禁止するほどの説得力のあるものとは言い難い。それだからこそ、最高裁判所も三つの理由を挙げて、その論証に努めているのである。諸君も、論文を書くに当たり、どれかだけで論じたりせず、きちんと三つとも挙げるようにしなければならない。

三 代償措置の実効性

 ここまでを論じてきて、ようやく本問の中心論点である代償措置の実効性を論ずることが可能になる。

 代償措置のあることは、労働基本権の制約が合憲とされるための前提条件というべきだから、単に制度として措置が設けられているのみでなく、それが実際上も実効性をもって機能していることが要求されるものと解さなければならない。したがって、代償措置を設ければ、争議行為を禁止する法令が一般的に違憲と言うことは出来ないが、その場合でも代償措置がその本来の機能を果たしているかどうかということとの関係において、具体的な場合についての適用が違憲となる場合も生じてくるものといえる。

 なお、これについて、判例の述べていることを逆に理解している人がよくいるので注意しよう。すなわち、「代償措置があれば」制限が認められるのではなく、他に制限を合理化しうる根拠があっても、「代償措置がなければ制限は許されない」のであるが、その場合に、代償措置は存在している、としているのである。

(一) 全農林人勧凍結反対闘争判決

 この点に関する最高裁判所平成12年判決の論理は少々苦しいものである。「本件ストライキの当時、国家公務員の労働基本権の制約に対する代償措置がその本来の機能を果たしていなかったということができない」というのである。これだけでは、何を言っているのか判らないので、河合伸一判事及び福田博判事の補足意見をみることにしよう。少し長文であるので、以下にその主要部分を紹介する。

「公務員に懲戒事由がある場合であっても、懲戒権者が裁量権の行使としてした懲戒処分が、右裁量権を行使するに当たって当然に考慮すべき事情を考慮せず、あるいは、同事情を考慮したものとしては社会通念上著しく妥当を欠いて、裁量権の範囲を超えるものと認められるときは、その処分は裁量権を濫用したものとして違法となるものと解すべきである。そして、懲戒事由に該当すると認められる行為が人事院勧告の完全実施を求めるいわゆる人勧ストに関するものである場合には、人事院勧告の完全凍結という前記の事情は、懲戒権濫用の成否を判断するに当たって当然に考慮されるべき重要な事情となるものと考えるのである。

 ILO結社の自由委員会報告書による指摘を待つまでもなく、適切な代償措置の存在は公務員の労働基本権の制約が違憲とされないための重要な条件なのであり、国家公務員についての人事院勧告制度は、そのような代償措置の中でも最も重要なものというべきである。したがって、人事院勧告がされたにもかかわらず、政府当局によって全面的にその実施が凍結されるということは、極めて異例な事態といわざるを得ない。そのような状況下において、国家公務員が人事院勧告の実施を求めて争議行為を行った場合には、懲戒権者は、国公法に違反するとして懲戒権を行使するに当たり、争議行為が右異例な事態に対応するものとしてされたものであることを十分に考慮して、慎重に対処すべきものである。本件ストライキは、昭和57年度の人事院勧告の完全凍結を契機とし、労働基本権制約の代償措置としての人事院勧告の完全実施を求めて行われたものであり、右のような観点からすれば、上告人らに対する本件各懲戒処分は重きに失すると論じる余地がないではない。」

 ここまでが基本的な問題点の指摘である。諸君としても、以下の論理に賛成するか否かはともかく、ここまでに述べられたような問題意識を自動的に持つまでに、自らの人権感覚を磨いて欲しい。

「 しかしながら、前記のように代償措置がその機能を完全に失っていたとはいえないこと、本件ストライキは、当局の事前の警告を無視して、極めて大規模に実施されたものであること、上告人らは、全農林労働組合の中央執行委員会の構成員として、本件ストライキの実施に積極的に関与して指導的な役割を果たしたもので、その行為は、国公法982項の禁止する争議行為を共謀し、そそのかし、又はあおったものとして、刑事処罰の対象ともなり得るものであったことなどを考慮すると、上告人らに対する本件各懲戒処分が社会通念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したものとまで断ずることはできないといわざるを得ない。」

 ここまでに示したとおり、この最高裁判決の決め手は、「代償措置がその機能を完全に失っていたとはいえない」という点にある。論文技術的にいえば、それは問題文中のその前々年までは「政府は、多年にわたり人事院勧告を完全実施してきた」という点をどう評価するか、という議論となって現れる。

 そのあたりを原審判決(東京高等裁判所平成7228日)でみると、かなり長文の事実認定を行った後に、結論として次のように述べている。

「要するに、政府は、人事院勧告を尊重するという基本方針を堅持し、将来もこの方針を変更する考えはなかったものであるが、昭和57年当時の国の財政は、前年度の約25000億円の決算不足分の問題、6兆円にものぼると見られた当年度の歳入不足の問題等困難な問題を抱える未曾有の危機的な状況にあったため、やむを得ない極めて異例の措置として同年度に限って人事院勧告の不実施を決定したのであって、これをもって違法不当なものとすることはできず、たとえ公務員に争議権が認められていたとしても、給与支給の原資が乏しければ給与の増額は見送らざるを得ないのであるから、右昭和57年度に限って行われた人事院勧告の不実施をもって直ちに、公務員の争議行為等を制約することに見合う代償措置が画餅に等しいと見られる事態が生じたということはできないものといわざるを得ない。」

 すなわち、争議権が認められていてもなお、賃上げが不可能な財政状況であったというのである。諸君に、「政府は、多年にわたり人事院勧告を完全実施してきた」という一語からこれだけのことをつかめ、とまではいわないが、少なくともこうした問題意識は持っていて欲しいのである。

(二) 刑罰的禁止の合憲性

 河合・福田補足意見に「刑事処罰の対象ともなり得るものであった」という文言があって、本問における懲戒処分の合憲性を肯定している。この点が、仮に諸君が合憲説をとる場合には、最後の論点となる。

 すなわち、争議行為禁止規定に違反した者が懲戒等の制裁の対象とされることは免れないところである。しかし、懲戒の内容が刑罰となるのは問題である。

 先に述べたとおり、労働基本権が憲法上の権利とされる意味は、それが既存の刑罰規定に該当する場合においても、免責されるという点が大きい。それにも関わらず、争議行為そのものを明確に禁止する規定は、この大原則の大きな例外である。

 この点、名古屋中郵判決は、次のように述べて余り問題意識を示さなかった。

「憲法28条の趣旨からこの問題を考えてみると、既に説示した理由によつて、公労法171項による争議行為の禁止が憲法28条に違反しておらず、その禁止違反の争議行為はもはや同法条による権利として保障されるものではないと解する以上、民事法又は刑事法が、正当性を有しない争議行為であると評価して、これに一定の不利益を課することとしても、その不利益が不合理なものでない限り同法条に牴触することはない、というべきである。〈中略〉刑事法上の効果についてみると、右の民事法上の効果と区別して、刑事法上に限り公労法171項違反の争議行為を正当なものと評価して当然に労組法12項の適用を認めるべき特段の憲法上の根拠は、見出しがたい。

 しかし、学説的には、この判決が否定した次の論理の方が支持者が多い。

「労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては特別に慎重でなければならない。けだし、現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。それは債務が雇傭契約ないし労働契約上のものである場合でも異なるところがなく、労務者がたんに労務を供給せず(罷業もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」

(昭和411026日全逓東京中郵最高裁大法廷判決=百選308頁参照)

 しかし、本問では、懲戒処分にとどめている訳で、刑事制裁を以て臨んではいないのである。だから、この東京中郵判決の論理でも、合憲判決が出る、というところが、論文の重要なポイントになる訳である。