再婚禁止期間の合憲性
甲斐素直
[問題]
夫
X2は平成○○年4月1日に前の夫Aとの離婚が成立し、届け出がなされた。
X1
とX2は同年7月1日に婚姻の届出をしたが、女性の前婚解消後6ヶ月以内の再婚禁止を規定した民法733条に違反するとして、その届出は受理されなかった。そのため、X1とX2は、その禁止期間が経過した同年10月1日に、ようやく婚姻することができた。そこで、
Xは、民法733条は憲法および国際法(人権B規約および女子差別撤廃条約)に違反しており、それにもかかわらず、国会または内閣が民法733条を改正または廃止する立法または提案をしないことが、国家賠償法1条の違法な公権力の行使に当たるとして、国(Y)を相手取って、その再婚を禁止されたことによる精神的苦痛に対する慰謝料を求め、損害賠償の訴えを提起した。この事案における、憲法上の問題点を指摘し、論ぜよ。
[はじめに]
待婚期間について、論文を黙って書かせると、多くの学生諸君は、女性のみに待婚期間を定めているということから、
14条の列挙事項にいう性差別に該当し、違憲という調子で、きわめて単純な論文を書く傾向がある。しかし、そういう把握は正しくない。なぜなら、そもそも婚姻は、憲法
14条が保障する人権ではなく、直接には24条が保障する人権だからである。したがって、待婚期間は、正確に言うと、24条の保障する婚姻の権利の制限として論じられるべき問題なのである。しかし、24条2項は、制度的保障における侵すべからざる中核として「両性の本質的平等」ということを言う。そして、婚姻における妻だけが差別の対象になっているように見えるという意味において民法733条が、この「本質的平等」を侵害しているのではないか、ということが問題になる。その結果、結論的にいえば、婚姻の権利の平等適用が問題になる。どのみち平等が問題になるのなら、
14条で議論してどこが違うのか、という疑問を持つかもしれない。その答えは立法裁量の余地という点である。さらにもう一つ、待婚期間の制限規定の目的は、子の嫡出推定の問題と絡んでいるということを見落としてはいけない。換言すれば、待婚期間は、子供の利益を保護するために設けられている制度だ、という点である。
つまり、待婚期間は、母と子の利益の衝突という問題なのである。いずれの権利も、憲法
24条を根拠とする点で、対等の権利である。すなわち、本問の中心論点は、本条で守られる子供の権利と女性の再婚する権利の比較考量にある。この結果、単純に平等権だけを論ずる議論の場合に登場してくる審査基準論の議論(例えば14条1項後段に該当すると審査基準が変わるか、といった議論)は、本問の場合には不要となる。一 父子関係の成立について
この段に書いていることは、憲法学の議論ではなく、純然たる民法学の説明なので、諸君の論文に書く必要はない。しかし、女性の婚姻する権利と比較考量の対象となっている権利・利益を正確に把握していなければ、比較考量は不可能である。しかし、学生諸君は(あるいは憲法のみを専攻している学者も)親族法についてはあまり勉強していないらしく、父子関係の成立について、まるで民法の条文を無視した議論を展開する人が案外いるので、念のために記述している。
民法典第
4編「親族」第3章「親子」は、子を実子と養子に分けて規定している。第1節「実子」で、実親子関係の制度的基盤となっているのが、「嫡出推定」「嫡出否認」及び「認知」という制度である。これらを貫く基本理念は、実親子関係の成立に生物学的親子関係(血縁)の存否は、直接には関係がない、ということである。すなわち、民法
772条により嫡出推定が働く場合に、否認権者は「夫」のみに限定されており(774条)、妻や生物学的父親に嫡出否認を求める権利はない。しかも夫の否認権にしても、その行使期間はこの出生を知ったときから1年以内に限定されており(777条)、また、1年以内であったとしても夫がひとたび嫡出の承認を行った場合にはもはや否認はできない(776条)。したがって、実親子関係の成立に、生物学的親子関係の存在の果たす役割は極めて小さなものといわなければならない。それは何故だろうか。最高裁判所は、例えば代理母による出産の場合に関する事件において、なぜ実親子関係は、生物学的な親子関係ではなく、民法の定める特定の場合において成立するとするのか、という点に関し、次のように説明している。
「実親子関係は,身分関係の中でも最も基本的なものであり,様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって,単に私人間の問題にとどまらず,公益に深くかかわる事柄であり,子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるから,どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは,その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり,実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず,かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって,我が国の身分法秩序を定めた民法は,同法に定める場合に限って実親子関係を認め,それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。」(最高裁判所第二小法廷平成
なお、本問と外れるが、なぜ代理出産の場合について、受精卵の提供者と出生した子の間に、実親子関係を認めることができないかについては、次のように説明している。
「民法は,懐胎し出産した女性が出生した子の母であり,母子関係は懐胎,出産という客観的な事実により当然に成立することを前提とした規定を設けている(民法
このように、少なくとも現行民法による限り生物学的親子関係は、実親子関係の決定にあたっては、母子関係においてすら、全く決め手とならない。したがって、例えば父子関係の成立に関して「嫡出推定が重複する場合には、
DNA鑑定によれば足りる」式の議論は、立法論としてはともかく、あるいはここまでに引用した全ての民法条文を違憲として議論を構築するつもりがあればともかく、733条だけを違憲とする議論の根拠とはなり得ないということを、基本的に認識してほしい。二
24条の権利と女性差別撤廃条約X1とX2は、24条1項の保障するところにより、婚姻の権利を有している。しかし、婚姻の権利が、具体的人権であるかどうかは微妙なところがある。私法上の用語を使用していえば、事実婚は両性の合意のみで成り立つが、法律婚は、市町村役場への届け出により初めて成立する。したがって、現行民法の採用している法律婚主義は、24条1項には全く書かれていない市町村役場への婚姻届の提出という要件を加重している点で、24条1項に違反している。これを合憲とするには、婚姻の権利は具体的人権ではなく、制度的保障と理解する必要がある。
例えば、
29条の財産権保障の場合に1項と2項の関係から制度的保障を通説が読み取るのと同様に、婚姻の場合にも、24条の1項と2項を併せ読むことで制度的保障を肯定することで、はじめて法律婚主義は合憲となる。制度的保障の場合には制度の侵すべからざる中核に該当しない限り、国会の幅広い立法裁量権を、裁判所としては肯定する必要がある。したがって、待婚期間が中核に関する問題なのか、それともその周辺部に関する問題なのか、ということが、実はもっとも真剣に論じられるべき問題である。
しかし、待婚期間に関する最高裁判所平成
7年12月5日(百選第5版66頁)は、次のように述べて、この点を問題にしていない。「上告人らは、再婚禁止期間について男女間に差異を設ける民法
すなわち、本問について言えば、
X等及びその弁護人が、実際の事件においては、この重要な論点に気がつかず、全く主張しなかったために、当事者主義の下にある裁判所もまた、この点について判断を示さなかったということのようである。学生諸君に、現役で活動している弁護人でさえも気がつかなかった論点について論じることを要求するのは無理というものだから、以下に述べることを書く必要はなく、単なる参考と理解してくれて良い。もちろん、これを論文に取り込んでしっかりと論じてくれれば、他の受験生と差を付けられるチャンスではあるのだが。
財産権の場合と異なり、
24条では制度の中核概念は極めて明白である。「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という二つの概念が明記されているからである。だから、本問における第一の論点は、女性にのみ課せられる待婚期間が、中核概念のうち、両性の本質的平等性に反するのではないか、という疑問であるべきである。私個人としては、この問題は、14条を交えることなく、最後までこの本質的平等性で論じても良い問題だと思っている。しかし、現実の判例と噛み合わせて議論をするためには、これを中核ではなく、周辺部に属する問題である、という結論を下す必要がある(そうでないと、14条に議論がたどり着かないから)。そのためには、次のような論理を考えることができるであろう。第一に、婚姻というものは、女性が単独でできることではないからである。待婚期間の存在は、相手となる男性の有する婚姻の権利に対する制限でもある。だから、女性のみを差別しているわけではない。第二に、確かに離婚した男女に限定して考えれば、女性側にのみ差別が存在している。しかし、両性の本質的平等において、例外として差別を肯定しうる場合として、女性のみが母となりうる性だ、という点は女性差別撤廃条約
4条2項が「締約国が母性を保護することを目的とする特別措置(この条約に規定する措置を含む。)をとることは、差別と解してはならない。」と明確に定めるところである。そして、待婚期間は、子の嫡出推定の問題を処理する手段なのであるから、差別にはあたらない、ということができる。私が本件事件の
X側の関係者であった場合には、さらに、国際人権論の立場から、当然女性差別撤廃条約への論及もほしい、と思う。同条約16条1項は次のようにいう。「締約国は、婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし、特に、男女の平等を基礎として次のことを確保する。
(
(
b)自由に配偶者を選択し及び自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利(
c)婚姻中及び婚姻の解消の際の同一の権利及び責任(
(
e)~(h) 略待婚期間の制度が、これら一連の規定、特に
cに関する違反の疑いがあることが判ると思う。だから、私個人としては、このあたりを中心に据えて議論するのが、現時点においては正しい態度ではないかと考える。しかし、おそらく訴訟当事者がこれらについての議論をしなかったのであろう、裁判所はほとんど判断を示していないので、諸君がこれについて論じる必要はない。三 比較考量論と審査基準
普通、平等権に関する審査を論じる場合には、
14条後段列挙事項に関して、それが特別の意味を有するか否かが論点となる。それぞれの基本書のよって立つ理論により、どの場合にどのような審査基準を使用するかは大変に説の分かれるところであり、論文の書きどころとなる。そのためもあって、諸君は機械的にその議論に突入しがちである。しかし、本問では、その議論は不要である。なぜなら、冒頭に述べたとおり、本問は、女性の再婚の権利に対して、子供の権利の対立であり、両者の比較考量の問題となる。比較考量の場合には、諸君が憲法訴訟論で学んだとおり、表現の自由と比較する場合には、状況に応じて
a 重み付け比較衡量=泉佐野市民会館事件参照
b 定義づけ比較衡量=大分県屋外広告物規制条例事件参照
といった特殊な審査基準が存在する。しかし、通常の場合には博多駅フィルム提出命令事件に見られるようなアドホック(
ad hoc)考量が存在するだけである。まして、本問の場合、女性の再婚権も、子供の幸せな家庭生活を送る権利も、いずれも憲法
24条の権利であるから、個別に利害得失を比較検討する以外の方法はない。四 再婚禁止期間の合憲性
先に述べたとおり、この問題には最高裁判決が存在するが、非常にシンプルなものなので、それを読んだだけでは、どのような点が論点になるのかについて、諸君の参考にはなりにくい。これは要するに、原審の判断を妥当としているに他ならないから、以下では、原審判決(広島高等裁判所平成
3年11月28日判決)を素材に、その合憲性の根拠を検討することとしたい。同判決は、
733条の立法趣旨について次のように述べる。「憲法は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した家族関係を理想とし、婚姻及び家族に関する事項に関しては、法律は右の点に立脚して制定されなければならないとし(同法
ところで、右法制の下においては、現に民法
733条が採用しているような女が再婚する場合には一定の再婚禁止期間を設けるというような立法措置が併せて講じられない場合には、女が前婚の解消又は取消の日から300日以内で、かつ後婚成立の日から200日後に産んだ子については、嫡出の推定が重複することとなるところ、かかる父性の混同が生ずるような事態が法制上当然生ずることは、家族関係を不明確にし、国家、社会の基盤となる家庭を不安定ならしめる点から望ましくないばかりか、出生子の利益を損ない、後婚の家庭生活の平穏をも妨げることとなるから、父性の混同を防止し、女が再婚した場合における出生子の利益や後婚の家庭生活の平穏を保護するため、現に民法が採用しているような再婚禁止期間の制度その他の何らかの立法措置が必要であることはいうまでもない。」ここで諸君に注意をしてほしいのが、先に述べたとおり、本判決もまた、憲法
24条に言及されている点である。すなわち、本問を論ずるにあたり、14条を考えてはいけないのであって、最低限、24条の枠内で、従来14条において蓄積されてきた平等問題に関する様々な法理を考える必要がある。女性個人対家族あるいは子という比較衡量がある、ということである。また、この箇所では論及していないが、本条は単純に女性だけを差別しているわけではない、ということも実は問題になる。すなわち、再婚は、先に述べたとおりその相手となる男性の婚姻の権利に対する侵害という点も考えるべきだからである。
しかし、本問では、こうした議論はさしあたり棚上げして、原審判決は、
14条における議論と24条の関係について次のようにいう。「憲法
諸君には、この
14条と24条2項の関連づけのやり方を見習って、確実に論文中に書き込むようにしてほしい。24条を完全に無視して、14条だけを論じたのでは、判例の限りでも合格答案にはならないと言うことである。その不合理の現れる場合を具体的には次のような点に、同判決は求めている。
「(
(
2) 再婚禁止期間を定めても父性の重複の回避に何ら役立たず、却って一時的にせよ内縁の夫婦を増加させ、その間の子を一度は非嫡出子とする弊害のみが生ずることが明白である場合、(
3) 父性の重複を防止するためには女子についてのみ再婚禁止期間を設けるという方法に比してより制限的でない他の手段が存することが明白であるのに、あえて女子についてのみ再婚禁止期間を設けた場合又は(
4) 仮に父性の重複を回避するためには女子に対して再婚禁止期間を設ける必要があるとしてもそのためには民法772条の規定上嫡出推定が重複する前婚解消後100日又は101日(学説によって異る)あれば足りることが明白であるのに、6箇月という必要以上の長期に亘って女子の再婚を制限した場合等再婚禁止期間の制度そのもの又はその期間が父性の重複の回避という目的に照らして不合理であることが明白であるのに、国会又は内閣が民法733条の規定を設け、又はこれを改廃する措置を講じない場合に限って、民法
733条についての国会議員又は内閣の成員の立法行為(その改廃の不作為を含む)の違法を理由とする控訴人らの国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は理由があるというべきである。」(原文は一文になっているが、見やすいように、理由ごとに改行した)これらが様々な判例解説に書かれている学説の批判点なるものと照応していることが判ると思う。しかし、ここで気をつけるべきは、これらの批判点は、同時並行に成り立つものではないことである。一番判りやすいのが第
4点であろう。これは再婚禁止期間が合理的であることを前提として、その期間の長短に関する合理性を云々しているから、再婚禁止期間を設定すること自体が違憲であるという主張の一環として論ずることはおかしい。学者でもその辺がうまくかけない人がいるが、それをまねしてはいけない。脱線ついでにいえば、「医師による非懐胎証明により待婚期間の制限を解かれる場合が制度としてあってもよい」という主張が行われているが、これも噴飯ものである。医学の世界に限らず、何かがあることを証明するのに比べて、何かがないことを証明するのは格段に難しい。妊娠していることは早くに証明できる場合があるが、妊娠していないことを確実に証明するには現在の医学では
100日はかかるとされているというのが、現在の民法改正案の内容であることを考えると、非懐胎証明なるものを制度として導入しろというのは医学的な不可能事を主張するに他ならないからである。仮にそのような立法が成立したとしても、実際には100日を過ぎないと医師は証明書を出さないであろう。出して、誤っていた場合には、当然損害賠償問題が発生するからである。したがって、証明制度を導入するくらいなら、一律に100日に短縮するという方がはるかに合理的というべきである。(
1)については、これが妥当しないことは明らかであろう。これはもともと、現行民法が制定された当時のフランス法を継受したものである。(
2)の点について、原審判決はいう。「離婚後の再婚の場合における生活実態についての控訴人らの主張には確かに首肯しうる側面があるが、協議離婚を認めず、かつ、離婚の要件として多くは一定期間の別居や考慮期間が設けられている諸外国の場合とは異り、協議離婚を認めるわが民法の下においては離婚後の再婚の場合であっても、法制度上父性推定が重複すること自体は避けられないのであるから、法制度としてその回避の手立てを講ずることは立法上当然の要請であって、従ってその回避の手段として、民法が採っているように再婚禁止期間を設けることは一見不合理であるとは到底いえない。夫死亡による婚姻解消後の再婚の場合についてはいうまでもない。」
あるいは君たちは、親子関係は、今日の医学の下では科学的に証明できるのであるから、それによればよく、父性の推定が重複しても構わないではないか、と思うかもしれない。その点については、判決はいう。
「確かに、現在の医学水準からすれば、親子鑑定の正確性は立法当時よりはるかに高度のものであることは、《証拠略》からも窺い知ることができるところである。
しかし、前示のとおり、再婚禁止期間が廃止された場合には嫡出推定が重複する場合が現在より増加することは明らかであるが、父の決定がすべて裁判所によりなされなければならないとすれば、その間父が不明となるという子の不利益、裁判に要する労力、費用等のことを考えただけでも、子の福祉にもとる結果となることはいうまでもなく、従って、親子鑑定が容易に正確になし得るというだけでは、再婚禁止期間が一見不合理であるということは到底できない。」
繰り返し強調するが、待婚期間は単に女性に負担を強いているだけの無目的な制度ではなく、子の福祉の確保が狙いなのである。さらに、原審判決は、生物学的な親子関係を重視しているが、わが民法は、第一次的には婚姻関係にある夫の意思を尊重し、生物学的親子関係によって異議を唱える制度を認めていない。このことを考えると、そのあたりの法制度から抜本的に改正することなしに、本条だけについて生物学的親子関係の概念を導入することには無理があることが判るであろう。
(
3)の点については、原審判決は次のように述べる。「再婚禁止期間という女子にのみ不利益を課する制度を設けなくとも、例えば嫡出推定が重複する場合には、後夫の子と推定し、この推定は親子不存在確認の訴えによって覆えし得るものとする方法も考えられるのであるから、再婚禁止期間の制度は不合理であるとする見解もあり得よう。
しかし、右の方法によっても、父性の混同を来たす場合があることは避けられず、その場合には子の地位は不安定になるものであるところ、《証拠略》によれば、右のような法制をとる国においても、旧西ドイツ、スイスなどのように、なお再婚禁止期間を維持することによって父性の衝突が生ずる場合をできるだけ少なくしようとしている国もあることが認められることから言っても、嫡出推定の重複を回避するための他の方法が存在するからといって、立法者がこれを採用せず、再婚禁止期間を設けることによって父性の重複を回避する方策を採ったからといって、一見不合理であるとは言えない。」
最後の第
4点についてはどうだろうか。同判決は次のように述べる。「確かに、民法
しかし、前示のとおり、民法は、
100日(又は101日)では懐胎の有無を一般人が確定に知ることは難かしいので、女子が再婚後前夫の子を出産するという不都合を避けるため、一般に懐胎の有無を確実に知り得る六か月にしたものであるところ、かかる附随的な立法目的も直ちに不合理であるとするわけにはいかない。のみならず、現代医学の進歩に伴いいわゆる未熟児も無事成長する例が多くなり、懐胎後200日未満で出産することは決して珍らしいことではないこと、及び懐胎後300日を超えて生まれる過熟児があることは、いずれも公知の事実であるところ、民法の予定する懐胎期間は短かきに失するのではないかとの考え方もあり、更に民法772条については嫡出推定の範囲を婚姻中に出生した子全部に拡げるべきであるとする意見もある」このように、ケースに分けて検討していけば、現行法制が最善のものとは言えないが、そうした当・不当の問題を超えて、現在の立法が決定的に誤っているという所まで踏み込んだ判断を下すことは、非常に困難であることが判る。
憲法
24条2項が、家族制度に関して、国会に幅広い裁量権を予定していることを踏まえてみれば、その裁量が明らかに違憲と認められる場合のみを司法判断の限界とするべきだと考えるべきである。このように、諸君として本条を合憲とするか、違憲とするかは自由であるが、ここに列挙した各論点を確実に論じることが大切であり、女性のみの差別=違憲というような単純な論文ではとうてい合格点はもらえないことは、理解してくれたものと思う。繰り返して強調するが、本問は、女性の再婚権と子供の利益の比較考量の問題であり、かつ、違憲性の推定が働くのではなく、幅広い立法裁量の中で、違憲と断定しうるほどに不合理な立法かどうかが問題となるのである。