(2)税関手続国会の条約承認権
【問題】平成○○年、日本は
A国との間で、両国の貿易関係に関する協定を締結した。内容の概略を示せば、下記の通りである。政府は、当初、これは両国間の行政レベルにおける協定に過ぎないと考え、国会の承認を求めることなく、この協定を発効させた。なぜなら、第
2条で関税について定めているが、A国の主要産品に関する限り、協定締結時点における関税定率法で税率ゼロとしているものばかりであり、その他の条項についても、同様に特段の法的措置は不要な内容であったためである。しかし、これは
A国との間の貿易関係の根幹に拘わる重要な問題であるから、国会の承認を得るべき条約であるとの意見が与野党間で高まった。そこで、政府は、事後の国会承認を求めて、衆議院に協定を提出した。衆議院では、審議の末、確かに
A国は米の生産国ではないが、無条件に第2条の関税の撤廃を定めると、第3国からA国経由で日本に対する米の輸出が行われる危険があるとして、第2条に関し、米を除外するという修正を行うことを条件に、本協定を承認し、参議院もこれに倣った。本問における憲法上の論点を指摘し、論ぜよ。
記
第
1条 協定の目的(1)両国間の国境を越えた物品・人・サービス・資本・情報のより自由な移動を促進し、経済活動の連携を強化する。 (2)貿易・投資のみならず、金融、情報通信技術、人材養成といった分野を含む包括的な二国間の経済連携を目指す。 第
2条 物品の貿易の促進 (1)関税日本からA国への輸出にかかるA国の関税は全て撤廃する。 A国から日本への輸出にかかる日本の関税は全て撤廃する。
税関手続の簡素化、国際的調和のための協力する。 (3)貿易取引文書の電子化
貿易取引文書の電子的処理を促進する。
第
3条 人の移動の促進 (1)人の移動商用目的の人々の入国及び滞在を双方で容易なものにする。
技術者資格等の職業上の技能を相互に認める。
(2)人材養成学生・教授・公務員等の交流を促進する。 (3)観光
(4)科学技術双方の観光客の増大を促進する。
研究者等の交流を促進する。
第
4条 サービス貿易の促進両国間において、WTOでの約束水準を越えた自由化を行う。
【はじめに】
問題文は、具体的事例化してあるから、やたらと長いが、その中身は、諸君から出てきた問題から、難しい論点を皆切り落として、単に「国会の事後の承認が得られなかった条約の効力」という点だけに、ごく簡略にしたものだ、ということは、諸君に問題を送った際のメイルに明来ておいたとおりである。それほど易しいのに、出題者自身も含めてほとんどの諸君から答案が出てこないのはどういう訳なのだろう?
それでも難しすぎたということなのだろうか。それならば、そういう問題は出さないでほしい。今、ゼミで狙いとしているのは、誰でも書ける易しい問題をベースに、合格答案を書くテクニックを磨くということなのだ、ということを、出題者は忘れないでほしい。少なくとも、自分自身は論文が書ける問題。これが問題の最低限の条件である。
さて、条約に関して論文を書くのは難しい理由は単純で、君たちが愛用している教科書が、それについて、必ずしもきちんと説明してくれていないことが多いからである。それを執筆者の側から説明すると、教科書を最初からきちんと読んでくれれば判ることは、できるだけ手を抜いて、教科書を薄くし、安くして、売れ行きを伸ばしたいからである。そこで、教科書を順に読んできても、判らないところだけが条約では説明されているのである。
もう少し、ほぐして説明してみよう。
(一) 本問は、もちろん、国会の権限を論じる。国会の権限は、憲法
41条から始まる。わがゼミの入室問題として、諸君に41条に関して論文を書いてもらった。その際には、誰もが、程度の差こそあれ、国会が国の唯一の立法機関という言葉の意味を論じる際に、41条の例外ないし適用外(どちらになるかは、実質的意味の立法概念をどう捉えるかにより異なる)になるものとして、憲法が定める法規範である議院規則や予算と並んで、条約というものもあると書いてくれたはずである。今回の問題は、いわば、その点だけに限定したものと考えてくれて良い。つまり、入室試験の問題では、実質的意味の立法について議論して、条約はそれに当たらない、とだけ述べた。では、条約は、どういう点で違っているから、実質的意味の立法に当たらないのか。それについては、何も書かなかった。書かなくて良いわけではないのだが、それほどの紙幅がないから、書けば点になるが、書かなくとも減点にはならないという程度の論点であったわけだ。
しかし、今回は、条約だけが論点になっているから、実質的意味の立法と条約の承認権はどこが同じでどこが違うのか。しっかり論じなければならないのである。
ここでの問題意識を簡単に説明する。条約の締結は、憲法
73条3号本文により、内閣の権能に属する。しかし、条約の内容が実質的意味の立法に該当する場合、内閣が単独で条約を締結できると考えるのは、権力分立制に反する恐れがある。条約内容のどこまでが、実質的意味の立法に属するかは、その人の採る説により異なる。例えば芦部説の場合、実質的意味の立法を「一般性ある法規範」と捉える(このレジュメでは、その論点については入室試験の解説で説明しているから省くが、諸君の論文では、なぜそう考えるのかについてもしっかり理由を書かねばいけない)。すると、条約はほとんどの場合には当然それに属し、したがって条約制定は憲法
41条に照らす限り、国会の権限ということになる。これに対し、実質的意味の立法に関する権利・義務説に立つ場合、国民の権利や義務に関する規定を条約に盛らない限り、条約内容が実質的意味の立法に属することはない。このような大きな相違が、憲法73条3号にいう条約に関し、国会がいかなる権限を有するかに影響を与えるのは当然であろう。そのあたりがきちんと論じられていない限り、合格論文とはならないことになる。(二) 条約に関して論じる場合、一般的には大きく三つのことが問題となる。すなわち、
第一 憲法にいう条約とは何か。特に、憲法
第二 その条約の成立に当たって、国会にはどの限度での権限があるか。
第三 その結果、国会が承認権を有する条約は、どの範囲か。
これらの問題は、本来、条約の問題として一体として理解されるべきものであるにも関わらず、例えば上記法律との関係は
41条の下りにあるなど、基本書のあちこちに書かれているため、統一的理解が難しくなっている。さらに、条約は一般の憲法学者には少々難しい話であるために、この問題に自信のない学者の手になる教科書の場合には、理由などが書かれず、全く自説を述べず、単に通説を紹介するだけで終わりにしている例がある。しかし、いつも強調するとおり、論文は理由が命だから、諸君として論文を書く以上は、必ずなぜそう考えるのか、という理由を書かねばならない。使用している基本書に理由が書いてなければ、コンメンタールなり、判例集なりを探し回って、自分として納得のいく理由を確立しておく必要がある。そのときに注意する必要があるのは、理論の一貫性である。平気で、自分が前の頁に書いたことと矛盾するつぎはぎであることが歴然とした論文を書く人をよく見かけるが、それではとうてい合格論文と評価されることはない。幅広く勉強することは大切であるが、そうした知見はあくまでも自分の基本説と整合性を持って紹介しなければならない。前述の通り、基本書に通説が何のコメントもつけずに紹介されている場合にも、その著者が通説を支持していると理解してはいけない場合が結構あるので、基本書に書いてある説だから大丈夫という訳にはいかないのである。特に、本問の場合、国会の条約承認権の範囲については政府の統一見解があるから、まともな教科書なら、必ずそれが紹介してある。しかし、政府見解だから合憲とは言えない。政府見解が合憲といえるのかどうか。それを判断することこそが憲法学の役割であり、論文における論点ということになる。基本書を通読するに当たっては、意識して、必要に応じて頁を前後にめくりつつ、関係部分を一貫して読み、書かれていない理由を総合的に発見するよう、努力しなければならない。
(三) かつて、わが国憲法学界は、条約と憲法の関係という国際的に調整するべき問題を、これをわが国限りで解決可能な問題と錯覚し、一元説や二元説、あるいは憲法優位説、条約優位説といった様々な論議を展開していた。しかし、これは立憲主義を持つすべての国に共通する問題である。したがって、この問題について各国がバラバラな解決策を模索することを認めていては国際社会を破壊しかねない。
そこで国連では早くから、この問題を解決する統一的な条約の必要性を認識し、その制定に向けて努力してきた。その成果は
1969年に国連で採択された条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という)という形に結実した。わが国もこれを1981年に採択している。したがって、今日においては、この問題はかなりの程度、この条約法条約の解釈論に過ぎなくなっている。今現在、君たちが使っているどの教科書も、そういう形で議論を展開している。この場合、条約文言の憲法的解釈ということが問題となる。かつて、旧司法試験で条約に関する問題が出題されたことがあるが、その際には受験用法文に条約法条約が付け加えられていた。それくらいだから、同条約について全く言及しない場合には自動的に落第答案と評価されることになる。
(四) 本問に示した条約は、通常、自由貿易協定(
FTA)と呼ばれるものである。WTOが各国利害の対立から機能不全を起こしている中で、今後の世界貿易促進の鍵を握る存在といわれている。しかし、問題文中にも書いたとおり、わが国は農産物の保護がネックとなって、わが国のFTA締結状況は、先進各国に比べて、大幅に立ち後れており、先行きが危惧されている。ここに示したものは、わが国のFTA第1号としてシンガポールとの間で締結されたものを、紙幅の関係から、大幅に省略したものである。同国の場合、農業保護の問題は起こらないので、国会も何ら異議を唱えず承認し、発効している。そこで、第3国経由の米の輸入という問題を仮定してみたものである。
一 条約の概念
法律について、実質的意味の立法という議論はちゃんとやってくれたと信じて、それについて諸君が議論をしなければならないのが、実質的意味の条約の概念である。今、議論をしているのは、内閣が締結した特定国との間の条約だから、
「内閣が日本国を代表して締結した国家間の合意であって、法的拘束力をもつもの」
という簡単な定義を一応与えよう。
いつも強調するとおり、定義を下したら、なぜそうした定義を妥当としたのか、その理由を述べなければならないのだが、この説明は今の諸君の能力を超えていると思うので、ここでは省く。諸君の答案で理由を省くと、当然減点されるのだが別に、ここの理由が本問の中心論点というわけではないので、目をつぶって、理由は抜きにして、定義だけ書き捨てる作戦を採ろう。きちんと知りたい人は、憲法ゼミナールを読んでほしい。
73条3号本文は、内閣の権限に関する規定であるから、そこにいう条約は、上記の条約のうち、内閣が一方当事者になる条約に限られる。外国駐在の日本国大使が駐在する外国政府と間で締結する条約(ODA援助協定は通常、この形式で行われる)は、大使が日本国政府を代表する地位にある(憲法7条8号参照)から、内閣が締結している条約に該当する。
二 条約の承認の意義
ここまでは、諸君に論文を書くための前提として知っておいてほしいことを述べたのであって、論文に書く必要はない。諸君の論文のための説明はここからスタートする。
(一) 条約に関する国会の権限
条約の締結は元首の権限であることは、国際的な慣行である(国際慣習法)。明治憲法下では、条約の締結は天皇の専権事項とされ、帝国議会にいかなる権限も認められなかった(同憲法第
13条参照)。現行憲法もまた、こうしたわが国慣行及び国際慣行に則って、条約締結権を内閣の権限を定めた第73条において規定した。したがって、条約の締結そのものに関して、現行憲法下においてもまた、国会は何の権限も有しないことは、憲法の規定上明らかである。ただ、
73条3号但書きにおいて、事前、又は事後の承認権を認めているにとどまる。しかも、その承認手続きでは、予算と同一の、極度の優越性を衆議院に与えている(61条)。したがって、現行憲法においても、国会の条約に関して有する権限は非常に限定的なものであることを、明確に認識しておく必要がある。このことから、三つの問題が発生する。すなわち、
第一に、国会の持つ条約承認権とはどのような性格の権限か、
第二に、国会はいかなる条約について承認権を持つのか、また、国会の承認権には、修正権を含むか、
第三に、事前ないし事後の承認の得られなかった条約は、どのような効力をもつのか、という問題である。順次検討したい。
(二) 国会の条約承認権の性格
大きく分けて、次の三説がある。念のために断っておくが、以下に挙げている学説の名称は、諸君の理解の便宜のために、付けているものである。諸君の論文では、そうした名を上げても、例えば、単に共同行為説と書いても、それでは何の意味もない。自分の説の内容をきちんと、
41条における説と照応させつつ書いて始めて論文として意味を持つのである。1 協同行為説
国会の有する承認権の性格については、条約締結を立法・執行両権の協同行為としての対外権と把握する説がある(たとえば芦部信喜「条約の締結と国会の承認権」『憲法と議会政』東京大学出版会
1971年刊、205頁以下参照)。芦部信喜は、41条において実質的意味の立法概念を抽象的法規範すべてと捉えるから、必然的にほとんどすべての条約が実質的意味の立法に含まれる。その結果、協同行為という解釈とならざるを得ない。つまり、この説は、
73条が内閣の権限と書いているから、一方においてそれは内閣の権限であり、他方、実質的意味の立法に属するから国会の権限である、と論じる。そして、この矛盾を、両者が協同して活動すると説明して止揚しているのである。この説で論文を書こうと主人は、必ず、先に引用した芦部信喜の論文を読み込んで、自説をきちんと完成させてくれないと困る。諸君は、論文の答案として、この説を書いて何ら問題はない。というよりも、基本書として芦部説を採用している人は採らざるを得ない。
41条で実質的意味の立法=抽象的規範説を採る場合の必然的な答えだからである。これを本問に適用すれば、そもそも条約は常に国会に提出して承認を求めるべきである、と論じることになる。ただ、実務的にはこの説はとれないことを記憶しておいて欲しい。すなわち、この説は、現実の条約実務のほとんどを違憲とする。そして、今後においてこれに従うならば、現在のグルーバル化した世界の中で、わが国が日々に締結している膨大な量の条約がすべて国会に提出されねばならないから、国会審議を麻痺させる。かつ、その内容の重要性に関係なく、すべての条約について国会の承認が必要になるから、外交が停滞するという問題を引き起こすからである。特に国会閉会中は外交は事実上麻痺状態に陥るという問題を引き起こしてしまうのである。
理論的に見たときには、次のような点に難点がある。
確かに米国憲法では、外国との通商が議会の権限とされる(第
1条6節3文)。そのような憲法の下では、このような解釈を導入することができる。しかし、わが国国会は、現行憲法の下において、ただ、73条3号但書きにおいて、事前、又は事後の承認権を認めているにとどまる。しかも、その承認手続きでは、予算と同一の、極度の優越性を衆議院に与えている(61条)。すなわち、内閣の存立基盤となっている衆議院の意思を絶対的なものとすることにより、法律の場合に比べて、政府の締結しようとしている条約案がそのまま承認される確率を高くしている。しかし、条約は実質的意味の立法に属するならば、59条2項の特別多数による再議決で十分なはずである。だから、こうした規定は、全ての条約が法律と同一のものとする解釈とは整合性を持たない。さらに、その後に制定された条約法条約においても、議会が条約締結に関与する権限は認められていない。むしろ、その
46条で、議会による承認を得られなかった条約が原則的に有効であることを予定している(この点については後に詳述する。)。以上のように憲法と国際法の文言に照らす限り、対外的に、国会が内閣と協同して意思表示を行う余地はないと考えるべきである。
2 否認権説
承認権と憲法が呼ぶものは、実は承認権ではなく、それとは逆の単純な否認権ととらえる説がある。すなわち、国会の承認権とは条約の「制定につき『阻止する権限』(立法権又は財政決定権を防衛する権限)を承認権という形で国会に与えたものと解するのが妥当である。その『阻止する権限』は、条約を修正する権限ではなく、一括して承認するか、それとも否認するかの権限である」と説く(阪本昌成『憲法理論T』補正第
3版成文堂286頁以下参照)。もちろん諸君は、この説によって論文を書いて構わない。その場合には、もちろん上記原典を読んでほしい。従前の国際法の枠内では、この見解は非常に説得力がある。
しかしながら、そうした硬直的な理解が今日において妥当するとは思われないので、あまり勧めたくない。すなわち、憲法の文言が「承認」というものであること、国際法的に見た場合にも、世界的に議会制民主主義を採用する国が普遍化するとともに、議会が条約の締結に当たり国内的に一定の発言権を有することが承認されてきており、それを受けて、後述するとおり、多国間条約の場合でさえも、留保その他の形で一定の限度で、条件付き批准権が認められるようになってきている。こうしたことを考えると、国会は条件さえ許せば積極的な内容改変の主張も許されると考えるべきである。こうして、次に述べる通説が成立することになる。
3 民主的統制説
国会の有する条約承認権は、対外的に元首の有する国際法上の条約締結権に対する国会の民主的統制権、と解する説である。すなわち、内閣の条約締結権に対して、国内的に認められた民主的コントロール手段である。したがって、締結権の範囲内にとどまる限り、承認の内容は自由でよい。条件を付することもまた可能である。
この説は、
41条において実質的意味の立法を、権利義務説など、国家と国民の関係を規律する法規範と理解する説を前提としている。それらの説を採る場合、政府のみを拘束し、国民に対する効力を含まない条約は、実質的意味の立法に属さないから、国会に何らかの権限を与える必要はない。したがって、この説の下においては、協同行為説と異なり、すべての条約に対し、国会の承認が必要ではないという結論を導きうる。国会の承認の必要な条約が何かについては、昭和
49年2月に政府が統一見解として、次の基準を表明している。@ いわゆる法律事項を含む国際約束(例:租税条約)
A いわゆる財政事項を含む国際約束(例:経済協力に関する条約)
B わが国と相手国との間、あるいは国家間一般の基本的な関係を法的に規定するという意味において政治的に重要な国際約束であって、それ故に、発効のために批准が要件とされているもの(例:日中友好条約)
すなわち、憲法上、国の唯一の立法機関(
41条、29条、31条、84条)として国会が独占している事項、および国会中心財政主義(83条)にしたがい国会が独占している事項について、条約で定めようとする場合には、必ず国会の承認を得る必要がある。なぜなら、条約が成立した結果、その条約を国内法化するために国会に提出された法案または予算案については、わが国が誠実に条約を遵守する義務を負っている以上、国会として否決する自由を有さないからである。したがって、条約締結にあたって、政府が国会の承認を得る必要がないとした場合、政府は国会の憲法上の権限を、条約という形式を採用すれば侵害することが可能となる、という不当な結果が導かれる。また、国権の最高機関(
41条)として、政治的に重要な条約については、同じく国会の承認を得る必要がある。この結論は、41条に関して政治的美称説を採ると、総合調整機能説をとるとに関わりなく、承認できるはずである。なお、上記政府見解では、批准が留保されていることが要件に含まれている。確かに、国会が事前に承認するためには、批准が条件となっている必要が通常はあるが、署名を一時留保して、国会審議を受ける方法も実際には存在する。例えばベルサイユ条約締結時におけるドイツ議会の承認はこの方法によった。したがって、これは特に定義に含める必要がないと考える。
このように考える場合、次の条件に該当する場合には、既に民主的統制は行われているから、条約承認はいらないことになる。
@ 既に国会の承認を経た条約の範囲内で実施しうる国際約束
A 既に国会の議決を経た予算の範囲内で実施しうる国際約束
B 国内法の範囲内で実施しうる国際約束
上記各点は、先に紹介した政府見解が、国会の承認の不必要な条約としてあげたものである。AとBは自明であろうが、@はわかりにくいかもしれないので補足する。
すなわち、41条の唯一の立法機関概念は国会中心立法主義を定めているが、これは法律を基礎として委任命令及び執行命令を内閣が制定しうることを許容していると解される。政令という形の執行命令・委任命令については憲法73条6号の明言するところと解される。同じことは、条約を基礎とした委任命令及び執行命令についても言いうるはずである。この結果、これらは内閣が締結する条約(すなわち73条3号本文の条約)でありながら、国会の承認は不要ということになる。首相等の発展途上国訪問に際して発表される共同声明で、具体的な援助の額や内容にふれている場合、それは条約であるが、それがすでに国会で制定済みの法律や予算の範囲内にある限り、その共同声明に対する承認は不要となる。この範疇に属するか否かが問題になった有名なものとして旧日米安全保障条約第
3条に基づく行政協定がある。同条約3条は事実上白紙委任規定であり、また、それによって作られた行政協定は、砂川事件の訴因となった刑事特例法の制定を必要とするなど、きわめて人権制約的性格の強いものであった。したがって、このような場合には、国会の承認を経た範囲内に属するとはいうことができない。この先例の問題性に鑑み、新安保条約6条に基づく合衆国軍隊の地位協定については国会の承認が行われている。このように、国会の承認権が元首の条約締結権の国内的コントロール手段として存在すると考える場合には、その権限の内容、換言すればその限界はどこにあるかは、条約の国際法上の締結権の行使形態によって決定されることになる。その点については項を改めて検討したい。
以上の論理を本問に適用すると、諸君が協同行為説に立った場合には、そもそも対外条約を国会の承認なしに締結することは許されないから、内容を検討するまでもなく、国会の承認が必要と言わねばならない。
それに対し、否認説ないし民主的統制説に立つ場合には、本件条約が
FTAと呼ばれるきわめて重要な内容を持つものであること、関税に関する定めがあることの2点から、国会の承認が必要な条約に属することになる。(三) 国会による事前承認権の内容と限界
先に論じたとおり、国会による条約の事前承認は、正式の手続きによる条約においては、普通は、批准を必要とする場合において可能である。条約の事前承認に当たり、国会としてどのような内容の決議をしうるか、すなわち、承認に当たり、修正を条件とすることができるか、条約の可分の一部についてだけ承認しあるいは否認することができるか、というような問題が、従来憲法学説的に論じられてきた。
本問は、事後承認に関する問題なので、ここに書いていることは諸君は一切書かなくて良い。
前記のとおり、国会の事前の承認とは、原則として批准に先行して行われる承認の意味であること及び国会そのものには対外的な権限はないことを併せ考えると、国会が、条約の承認に当たり有する権限は、当然に、本国政府が条約を批准するに当たって有する権限の範囲内にとどまることになる。
条約の批准に当たり、本国政府が有する権限については、現在世界においては、二国間条約と多国間条約で分けて理解する必要がある。したがって、議会の条約承認権限も、また、その権限に対応する形で、分けて論じられなければならない。しかし、本問のような簡略化した問題で、論文が書けなかった諸君に、多国間条約の議論を聞かせても、理解できないと思うので、ここでは二国間条約についてだけ説明する。多国間条約についても知りたい人は、憲法ゼミナールを参照してほしい。
二つの国の間で締結され、他の国に影響を与えない条約においては、条約署名後に、それぞれの議会で加えた修正等をどの限度で受け入れるかは、基本的に両国間の問題にすぎない。当事国で話し合いさえ付けば、既に署名された条約案に対してどのような修正を行うことも可能である。そもそも本国政府による批准を条件としたのは、そのような修正があり得ると条約交渉担当者が考えたからに他ならない。
その結果、実際問題としていう限り、議会としても、条約の承認に当たり、どのような修正要求を行うことも基本的に可能ということができる。ただ、法律のような国内法の場合と異なり、相手のあることであるから、そうした修正要求が常に実現するとは限らない。相手方がその修正を拒否すれば、結局、条件付き修正決議は、承認拒否と同じ意味を持つことになる。
また、条約の個々の条項ないしその中の特定の文言は、それ単独で存在しているものではなく、条約全体における両国の互譲から生まれてきたものである。したがって、特定の条項や文言において、相手国のさらなる譲歩を要求する場合、通常は他の条項等における自国の譲歩を必要とすることとなるであろう。そのため、再交渉の結果、当該部分については議会の要求通りの文言の修正が行われた場合にも、それに伴う新規の譲歩について承認するか否かは、再び議会の問題となる。結局、過去の条件付き承認は効力を失うことになるから、それもまた承認拒否と同じことになる。
したがって、一般的にいうならば、修正条件付きの承認決議は、執行府に再交渉を命じた点に若干の相違があるものの、条約の承認拒否と基本的に同視するべきである。ただ、その結果修正された条約文言が、文字通り当初の修正決議の範囲内にとどまっていた場合には、既往の修正条件付き承認決議は文字通り有効なものとなり、再度の国会決議を不要とすることが許されるであろう。
条約の可分の一部だけを承認し、あるいは否認する決議は有効、と一般に説かれる。しかし、一体的に交渉された条約の場合、両国の互譲は、その全体のバランスの中で行われているのが通例である。したがって、通常の国内法と同様の視点から、形式的に可分か否かにより、結果が異なると考えるべきではない。むしろ、交渉に当たって、両国の代表者がどこまでが一体的なものであり、どの部分は可分と理解していたかが、そうした部分的承認決議の効力を決定することとなろう。すなわち、前述の修正付き承認決議と同様に、結果的に相手国がそうした部分承認を受諾すれば、その承認決議は有効であり、拒否すれば、結局不承認決議と同視するべきこととなる。
(四) 国会の事後承認権の内容と限界
ここが本問の中心論点である。
正式の条約でも、批准が留保されておらず、署名即発効となっている場合、若しくは簡略条約の場合であっても、先に述べたように、法律事項、財政事項ないし政治的に重要な条約については、国会が承認することが、憲法
73条但し書きの要求であると解せられる。この場合には、国会は事後承認をせざるを得ない。事後承認の場合には、国会の修正決議は、それを有効とする手段がないため、単純に承認を拒絶した場合と理解されなければならない。これが本問の最終的な答えである。そこから、次の問題点が発生する。
国会の承認が得られない条約は、わが国憲法の下においては、違憲の条約の一種となる。違憲の法律が無効であることについては、疑問の余地がない(憲法
98条1項)。それに対し、条約が有効に成立した後、事後に国会がそれを否決した場合の、条約の効力については、従来有効説、無効説、及び折衷説などが対立していた。しかし、この問題は、国家相互の緊密な結びつきにより世界平和が保たれている現代国際社会においては、国際社会が、これを国内問題として、放置することはできない。そこで、国連は早くからこの点について研究を重ね、これまでにも何度か引用した「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」という形で成文法化した。わが国も批准している。そこで、今日では、その解釈論という形で議論が行われることになる。具体的にはその
46条で立法的な解決がなされたから、憲法解釈に当たって学説を論ずる余地はもはやなくなった。この条約はこのような意味で非常に重要であり、そこで、条約に関する問題が出題される場合には司法試験六法にすら掲載されている。ところが、驚いたことに、携帯型六法や判例六法では掲載していないものも多いので、以下に条文を紹介する。それによれば、「第
1項 いずれの国も、条約に拘束されることについての同意が条約を締結する権能に関する国内法の規定に違反して表明されたという事実を、当該同意を無効にする根拠として援用することができない。ただし、違反が明白であり、かつ、基本的な重要性を有する国内法の規則に係るものである場合はこの限りではない。
第
2項 違反は、条約の締結に関し通常の慣行に従いかつ誠実に行動するいずれの国にとっても客観的に明らかであるような場合には、明白であるとされる。」
国際法と国内法の関係については、従来、一元説と二元説の対立がある、とされる。一元説は、国際法秩序の下位法として国内法を把握する。これに対して、二元説は国際法と国内法とが相互に無関係のものとする。これが問題となるのは、特に、条約が有効に成立した後、事後に国会がそれを否決した場合の効果についてである。一元説に立てば、それは問題なく有効ということになる。他方、二元説に立てば、国内法的には憲法の要求する有効要件を満たしていないのであるから、過去に遡って無効になると考えるのが妥当である。一方、国際的にはそうした条約も、誠実な遵守義務が課せられていることになる。
したがって、条約法条約の存在する今日においては、国内における憲法解釈として、わが国憲法が条約優位説を採っているか憲法優位説を採っているかとか、一元説と二元説のいずれをとっているか、という議論は全く無意味なものとなった。それに代わって、わが国憲法がいう国会の事後承認が、一般に条約法条約
46条が要求している二つの条件を具備しているといえるかどうかという点に問題の焦点が移った。肯定されれば憲法が国際的にも優位する事になり、いずれか一方だけでも否定されれば、国際的には条約が優位する事になり、確定的にどちらかの説が正しいという議論は、もはや不可能なのである。国会の承認が条約の成立要件であるということは、憲法そのものの規定だから、「基本的重要性を有する国内法の規則に係るもの」であることは確かである。今一つの「違反が明白」かどうかについては、
46条2項が更に詳しい解釈基準を与えている。先に述べたとおり、現行憲法の有権解釈としては、狭義の条約に限定してさえも、すべての条約が国会の承認を必要とするわけではない。そして、承認の必要性の有無は国内法の解釈ないし予算の配賦の有無にかかっているので、これらは「条約の締結に関し通常の慣行に従いかつ誠実に行動するいずれの国にとっても客観的に明らかである」事実とはいえないと考える。したがって、条約の制定手続きの憲法違反という瑕疵を根拠に、その対外的無効を主張することは、通常は困難と考えられる。したがって、原則論的にいえば、国際法的側面に関する限り、条約優位説にしたがって理解する必要がある。以上のことからいうと、解釈法学的には、国会の事後における条約承認の拒否は、意味のない行為といわなければならない。予備費の支出に対する事後の承認拒否決議が、法的に意味がないのと同様に理解することができるであろう。
こうした状態を打破するために、交渉当事者は、憲法上の義務として、条約交渉の過程において、最狭義の条約に属すること、したがって事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を得る必要のあることを相手方に告知しなければならない、というべきである。その告知がなされている場合には、国会の事後承認が得られない場合には条約として憲法上認められないことが、相手国にとっても明らかである。その場合には、わが国として、その違憲性に基づく無効を対外的に主張できることになる。
もちろん、芦部説を採る場合には、すべての条約が国会の承認を必要とすると考える以上、そのことは誠実に行動する相手国として客観的に明らかな事項と主張できる。