地方自治特別法
甲斐素直
A県B市には利根川の支流であるC川が流れているが、C川が大きく蛇行しているため、台風が関東地方を直撃すると、C川がその湾曲部から氾濫し、大きな被害を与えてきた。そこで、国土交通省ではC川がまっすぐ流れるように、大規模な河川改修を行い、将来において、再び氾濫することがないようにするとともに、B市の地形に合わせた区画整理事業を実施するという全く新たな事業を企画立案し、それを「A県B市の災害防止等に関する法律」案にまとめて国会に提出し、可決されたことから、国の直轄事業としてこれを行うこととした。 問題
東京近郊に位置する
しかし、
C川流域に近い地域は比較的地価が安いことから、若い夫婦などがマイホームを建設するに最適であった。そのため、国土交通省の計画を実施すれば、彼らは、せっかく建てたマイホームを失うことになることから、この新事業の実施に猛反対を行った。その反対運動の一環として、
A県B市の住民Xは、事業実施の差し止めを求めて訴えを提起した。訴えの理由として、同法は、A県B市と言う特定の地方公共団体に関わる法律であるため、憲法95条にいう地方自治特別法に該当し、地元住民の過半数の同意を得ない限り、同法は無効である旨、主張した。これに対し、法務大臣
Yは、本法は、憲法95条に言う地方自治特別法には該当しない旨、主張して争った。X及びYの主張に関し、論ぜよ。
[はじめに]
これまでも強調してきたとおり、憲法の地方自治の章に関わる問題に対して回答するのは、基本的にはきわめて易しい。あれこれ悩むことなく、常に憲法
92条の地方自治の本旨から議論を始めれば良い。すなわち、地方自治とは制度的保障であると論じ、その場合における不可侵の中核として、どのような概念を考えるべきかを論じる。そこから前は、取り上げるテーマに応じて差が生じる。たとえば、住民投票条例が論点なら、住民自治の概念について詳しく論じ、そこから住民投票の拘束力に論及していくことになる。これに対し、法律に抵触する疑いのある条例の場合には、補完性原理を詳しく説明し、そこから法律と条例の棲み分けについて議論を展開すればよい。
本問の場合であれば、国がどの限度で地方自治体の活動に干渉できるかが問題なのだから、中心論点になるのは団体自治であることは明白である。ただ、後に説明するとおり、補完性原理も関係してくるから、団体自治に限定した説明を総論でするのは、間違いで、補完性原理についての説明もやはり欲しい。更に、住民投票に掛けると言うことは、住民自治の理念とも関係している。だから、本問では、三つの中核のすべてについての総論が欲しいが中心は団体自治である。
残念ながら、諸君はこうした、地方自治に関する論文の必須のテクニックを理解しているとは言い難い。しかし、所詮、それはこれまでに配布したレジュメの繰り返しに過ぎないから、それを読み返して貰うことにして手を抜き、以下においては、この条文に関する少し細かな点について説明したい。繰り返し強調するが、以下の議論に入る前に、諸君の論文では、地方自治の本旨に関する総論的議論が書かれねばならない。
一 通説の定義・実務の対応
なにが地方自治特別法なのかは条文上はっきりしない。そして、実務上の取扱も、全体としてみれば、一定していなかった。そのばらつき具合を簡単に示すと、次のようになる。
1 実務上、地方自治特別法とされ、住民投票に付されたのは広島平和記念都市建設法、長崎国際文化都市建設法、首都建設法、旧軍港都市転換法(対象:横須賀、呉、佐世保、舞鶴)等
15法、18都市を対象とするものである。2 逆に、首都圏整備法、明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備に関する特別措置法は、それに当たらないとされた。また、都及び特別区は、東京以外に存在しないにも関わらず、やはりそれに当たらないとされている。
3 当初は「特別市」という制度が地方自治法で制定されていた(第
3編特別地方公共団体第1章特別市264条ー280条。)。そして、その特別市になるには住民投票が必要と解されていた。しかし、全く指定されることなく、昭和31年に廃止となった。それに代わって、地方自治法は一般的に特別市を指定する方式を導入した(現行の
252条の19以下参照)。その場合、指定は法律ではなく、政令によることとした(政令指定都市)結果、特別市に指定するに当たり、住民投票は不要となった。上記の統一性のないように見える取り扱いは、実は、通説の与えている次のような定義を背景としている。
地方自治特別法とは、「特定の地方公共団体の組織・権能・運営に関する基本的事項について、一般の地方公共団体と異なった取扱をする法律」をいう。
いつも強調するとおり、定義は真空からわいてくるのではない。すべての文言に、なぜそういう文言を使用する必要があるのか、という必然的な理由がある。したがって、諸君は、ある問題について定義を下したら、必ずその定義は何を意味するかを説明しなければならない。通説及び実務の述べるところに従い、上記定義の意味するものを砕いて説明していくと、次の通りである。
(一) 特定の地方公共団体を対象とする必要がある。
1 条文には「一の地方公共団体」とあるが、[はじめに]に述べたとおり、これは団体自治の理念の表れであるから、これを、一つの地方公共団体だけを対象とするものと考える必要はない。複数の地方公共団体を対象としていても、その団体自治に対する国の干渉を定めている場合には、やはり地方自治特別法に該当する。上述した旧軍港都市転換法が、横須賀、呉、佐世保、舞鶴と4つもの市を対象としているにもかかわらず、地方自治特別法に該当すると判断されたのは、このためである。
2 特定の地方公共団体の領域で行われるものでも、国の事務、事業を定めるなど国の活動を規制する法律はこれに該当しない。たとえば北海道開発法は、北海道という特定の地方公共団体の領域のみを対象としているが、その内容は北海道開発庁(現在は国土交通省の一部)の設置や権限を定めた法であって、北海道という地方公共団体の団体自治とは関係がないから、地方自治特別法には該当しない。
3 地方公共団体と取り扱われない特殊な地域に関する法律もこれに該当しない。たとえば、秋田県八郎潟を埋め立てた結果、新たに大潟村という新しい地方公共団体が創設された。この場合、新しい地方公共団体の創設自体は、まさに団体自治の問題であるが、そもそも住民投票を行うべき地方公共団体が存在していないのであるから、地方自治特別法と考える必要はない。同じように、小笠原や沖縄が米国の支配から、日本の主権の下に復帰するに伴い、小笠原村や沖縄県が法律の定めるところにより設置されたが、そうした法律も地方自治特別法に該当すると考える必要はない。
(二) 憲法の保障する地方公共団体の権限、すなわちその組織、運営、権能に関するものである必要がある。
1 特別法という言葉は、通常は一般法に対応するものである。しかし、本条の場合には、その前提として一般的制度が存在する必要はない。したがって、たとえば特定都道府県の間の境界を決定するような法律は、これに該当する。
2 それが利益を与えるのみの場合や特例の程度が軽い場合には、地方自治特別法に該当すると解する必要はない。たとえば「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備に関する特別措置法」程度であれば、一般法として制定して良い。
(念のため注記するが、この文章は通説・実務のスタンスを説明しているのであって、私の見解を述べているのではない。「程度が軽い」と言うような曖昧な説明は、定義内容の説明としては本質的にあってはならない、と私自身は考えている。)
(三) 一般的制度を定めるという形式を採用している場合には、結果的に特定地方公共団体にのみ適用される場合にも、地方自治特別法には該当しない。(この項は、この定義に基づく説明においても、一番問題の多いところである。)
1 地方自治法で一般的制度を定めるという形式を採用しているから、都制は東京都にしか適用されないが、地方自治特別法ではない。特別区制も同様である。
ちょっと判りにくいかもしれないので、もう少し詳しく説明すると、都制は、今現在はたまたま?東京でしか使用されていないが、法律には東京以外では使えない、とは書いてない。もしかすると、将来、大阪や京都でも都制を採用するかもしれない。そのような一般的制度であるから、今、一つの地方公共団体でしか使われていないからと言って、地方自治特別法には該当しない、と言っているのである。(繰り返し強調するが、こういういい加減な説明を私が支持しているわけではない。)
2 地方自治特別法を廃止する法律は、地方自治特別法には該当しない。なぜならその廃止は原則に復帰することだからである。例えば、首都建設法(昭和
25年法律第219号)は東京都を日本の首都として都市計画し、建設することを定めた法律で、東京都の住民投票で過半数の賛成を得て25年6月に施行された法律であるが、これを廃止し、代わって国の行う整備計画等を定めた首都圏整備法(昭和31年法律第83号)を制定することには、住民投票を必要としない。二 本問への当て嵌め
以上に論じたところによれば、地方自治特別法に該当するのは、[はじめに]で説明したとおり、団体自治の理念から、憲法の保障する地方公共団体の権限、すなわちその組織、運営、権能に関するものである必要がある。そこで、本問の場合、河川改修や都市計画が、地方自治法にいう地方自治体の固有の権限である「地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるもの」(地方自治法
2条1項)に該当するかどうかが問題となる。本問の場合、河川改修を中心とする事業を国の事業として行って良いかどうかが論点である。国と地方公共団体の事務の分掌は、[はじめに]に述べたとおり、補完性原理によって説明されることになる。都道府県の域を超える広域調整の必要等があれば、それは本質的に国の事務であって、地方公共団体の事務では無い。本問の場合、C川がどのような規模の河川かが問題となる。河川法9条1項によると「一級河川の管理は、国土交通大臣が行なう。」となっている。そして、問題文に出てきたC川は利根川の支流とされているから、当然に一級河川に属する。すなわち、その改修を中心とする計画の立案は、関東地方の各県の権限を越えた広域調整を必要とするから国の権限であって、A県の権限ですらない。もちろんB市の権限には属ずるはずもない。その結果、本問の法律は、地方自治特別法に該当しないとする法務大臣
Yの主張が正しい、ということになる。三
95条に対する少数説の見解現在の条文をそのまま読んでいれば、上述した通説・実務の見解は、一定の説得力を持っており、したがって、諸君としてそれにしたがって解釈し、上述のような結論を導いて論文を終えて、何ら問題はない。
ただ、特別市制度を廃止し、政令で指定すると定めるだけで、地方自治特別法の範疇から抜け出すとする説明などは、論理的にはともかく、感覚的には釈然としないものがある。そこから、従来から、これは、このような制度ではなく、全く違うものを定めたものではないか、という疑問が、諸君にも当然に生じるであろう。実際、現行憲法制定過程をつぶさに検討すれば、
95条が、上述したような狙いの制度ではなく、米国法に言うホーム・ルール・チャーターという制度を創設することを狙いとして作られたものであることはあきらかといえる。そこから、現在においても、95条をホーム・ルール・チャーター渡海する説、あるいはそれに準じた解釈をすべきだとする説が存在することになる。諸君は、これを時節として展開したりする必要はないが、ホーム・ルール・チャーターという言葉を聞いて、それが難のことかもわからない、というのでは困るので、以下において、それを簡単に説明する。四 米国の地方自治制度
その説明に入る前に、日本国憲法の源流となった米国における地方自治制度を概観したい。
米国の地方自治は、州(主権を有する)により、異なる。しかし、基本的に国民主権原理を採用している以上、個々の自治体が当然に自治権を有する、と考えることはできず、地方公共団体の自治権は、主権の存する州から伝来しなければならないと考える点では、わが国の伝来説と同一である。わが国の場合には、その伝来、すなわち地方公共団体への自治権の授与は、憲法自身で行われている。それに対し、米国では、州が地方公共団体に自治権を付与する法形式を憲章(
charter)という。すなわち、憲章とは、州が地方公共団体の設置を法的に承認し、地方公共団体として必要な権限を授与するための州法である。どのような形式の州法を制定するかは州によって異なるが、それを大きく類型分けすると、次のようなものがある。
(一) 州が一方的に地方公共団体に憲章を付与する型
(Special charter):州内の各地方公共団体ごとに、それぞれ内容の異なる憲章を州で作成し、与えるもの、 1 個別憲章
2 一般憲章
(General charter):その州内のすべての地方公共団体に同一の憲章を与えるもの3 階層別憲章
(Classified charter):州内の地方公共団体を人口等を基準に分類し、それに応じて異なる憲章を与えるもの4 選択的憲章
(Optional charter):州法により数種類の憲章を予め定め、各地方公共団体では、その中から住民投票によってその地方公共団体の憲章を選択するものわが国の地方自治法は、国内の地方公共団体を、人口等を基準に市町村と分類し、それぞれ異なる自治権を付与するから、この用語を使って説明すれば、階層別憲章というタイプに属することになる。それに対し、選択的憲章は、市町村のどれになるかを、各地方公共団体に選択させると考えれば、判り易いであろう。人口が少なくとも強力な自治権を欲する地方公共団体は市としてやり、人口が多くともできるだけ自治権を小さくして財政負担を減らしたいと考える地方公共団体は村とすることを認める、と言うわけである。
(二)個別立法拒否権型:州から付与された憲章を、拒否する権能を当該地方公共団体に与える型
選択型憲章の場合はともかく、上記(一)1〜3では、地方公共団体には付与される自治権を地方公共団体として変える自由はない。そこで、付与された権限を拒否する自由を認めて、より住民の意思に合致した制度を導入しようとする発想が生まれる。
(三) 地方公共団体が州の法律の形を借りて自主的に憲章を制定する型
(Home rule charter):事務、権限及び機構等については州憲法ないしは州法により一定の制限を設けるが、その他の事項については全く関係住民の自主的決定に委ねる方式。 自治的憲章
拒否権を認めるくらいなら、最初から住民の自由な意思により、どのような自治権を希望するかを認めてやればよい。これが自治的憲章というアイデアである。
その制定手続きは、通常、当該地方公共団体の住民が憲章起草委員会を選出し、この委員会が憲章案を制定して州議会に提出すると、州議会でこれを住民投票にかけた上で、州法として制定するという形式を採る。これを最初に制定したのはミズーリ州(
1875年)であるが、その後、この型の憲章を求める運動が全米的に拡大した。ただし、現在でも50州のうち、34州(うち、憲法に基づくもの29州、州法によるもの5州)が自治的憲章を採用しているにとどまり、全州ではない。また、ホームルール憲章がが認められている州でも、州法に留保されている権限の内容や程度は州により様々である。憲法レベルで定めている例として、ハワイ州を見てみよう。
ハワイ州憲法第
8条第2節Each political subdivision shall have the power to frame and adopt a charter for its own self-government within such limits and under such procedures as may be provided by general law. Such procedures, however, shall not require the approval of a charter by a legislative body.
Charter provisions with respect to a political subdivision's executive, legislative and administrative structure and organization shall be superior to statutory provisions, subject to the authority of the legislature to enact general laws allocating and reallocating powers and functions.
A law may qualify as a general law even though it is inapplicable to one or more counties by reason of the provisions of this section.
ハワイ州では、地方自治体のことを
political subdivisionと呼ぶ。同州の場合、市町村という地方自治体はなく、存在するのは郡のみである。したがって、例えば、州都の所在地をよくホノルル市というが、実はそういう地方自治体はない。ホノルル市郡と呼ばれる自治体がオアフ島全島を管理している。その知識さえあれば、上記の文章から前述したホーム・ルール・チャーターを読み取るのは容易であろう。ちょっと面白い例として、合衆国の首府であるワシントンの場合を見てみよう。この場合にも、ワシントン市という自治体は存在せず、コロンビア特別区
District of Columbia という。ここは、特定の州に属さない連邦政府の直轄地域であるが、1973年にコロンビア特別区ホームルール法(District of Columbia Home Rule Act)という連邦法が制定され、一定の限度で自治権を持つようになっている。五 地方自治に関するマッカーサー草案から現行憲法までの条文の対比
以上のような知識を前提に、マッカーサー草案(以下単に「草案」という)における地方自治に関する規定とわが国現行憲法を対比してみよう。
草案には、現行の
92条及び93条1項に相当する規定はなく、93条2項に相当する規定から始まる。この規定自体は、ホーム・ルール・チャータとは直接の関係はないが、米国側のスタンスが判るので、この段階から順に見てみることにしよう。(一)
93条2項に対応するのは、次のような規定である。Article
86:The governors of prefectures, the mayors of cities and towns and the chief executive officers of all other subordinate bodies politic and corporate having taxing power, the members of prefectural and local legislative assemblies, and such other prefectural and local officials as the Diet may determine, shall be elected by direct popular vote within their several communities.この草案の規定では、都道府県や市町村の他に、その他の地方自治体というものを想定している。米国には、
County(郡。1997年の米国国勢調査データによれば全米に3043存在する)から始まってSpecial District(特別区。公園管理、上下水道管理など特定の行政目的のために設立された自治体。同じく全米に34,683存在する)、School District(学校区。公教育としての初等、中等及び高等教育サービスを提供する目的で設立された自治体。同じく全米に13,726存在する)など、様々な種類の地方自治体が存在しているので、それが起草者の念頭にあったのである。この英文を、当時の外務省は次のように訳した。
第86条 府県知事、市長、町長、徴税権を有するその他の一切の下級自治体及び法人の行政長、府県議会及び地方議会の議員、並びに国会の定めるその他の府県及び地方役員はそれぞれのその社会内において直接普通選挙により選挙せらるべし
ずいぶん固い訳文であるが、基本的には間違っていない。日本政府側では、米国のような複雑な地方自治制度にするつもりはなかったので、徹夜の交渉の末に、現行の
93条2項となった。参考までに、その英文と邦文を対比して次に示す。Article
93 U:The chief executive officers of all local public entities, the members of their assemblies, and such other local officials as may be determined by law shall be elected by direct popular vote within their several community.第93条2項 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
ここで注目してほしいのは、地方公共団体という邦語に対応する英語である。
Local public entitiesという言葉になっている。Entityという英語は日本語に訳しにくい言葉だが、漠然と何らかの存在を意味する。20年以上も前の話だが、ずばり「エンティティ」という題の米国映画があったことがある。このエンティティは幽霊を意味していた。つまり、草案ではかなり詳しく列挙していた様々な地方公共団体を、現行憲法は漠然とした地方公共団体という言葉で置き換え、それが具体的に何を意味するかは解釈に委ねるという手法をとったのである。(二) 現行94条
ホーム・ルール・チャータに関係する問題があるのは、
94条からである。草案における条文は次のとおりである。Article
87:The inhabitants of metropolitan areas, cities and towns shall be secure in their right to manage their property, affairs and government and to frame their own charters within such laws as the Diet may enact.これを見ると、上記のマッカーサー草案
86条とはかなり規定の内容が違っていることが判る。第一に、86条では幅広く都道府県から始まって、郡から学校区に至る様々な地方自治体が全てその主体としてあがっていた。ところが、ここではmetropolitan areas, cities and townsだけが主語になっている。今の日本の用語で言えば、東京都及び市町だけなのである。そして、ここで保障されているのは、そのown charterを、国会の制定する法律の枠内で制定する権限である。つまり、都及び市町に主体を限定した上で、ホーム・ルール・チャータを制定する権限を保障した規定であることは明らかと言える。外務省は、これを次のように訳した。
第87条 首都地方、市及び町の住民は彼らの財産、事務及び政治を処理し並びに国会の制定する法律の範囲内において彼ら自身の憲章を作成する権利を奪わるることなかるべし
憲章という訳語も使っているから、決して間違った訳とは言えないが、判りにくい。しかも、日本側を代表してマッカーサー総司令部と交渉した佐藤達夫は米国制度に暗かった。そのため、この規定の意味しているところを理解できず、彼なりの合理性から粘り強く書き直しの交渉を行った。それに総司令部皮も妥協してできあがったのが、現行の
94条である。英文と邦文を次に示す。Article
94 Local public entities shall have the right to manage their property, affairs and administration and to enact their own regulations within law.第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
日本文の方だと判りにくいと思うので、
94条の英文と草案87条の英文を見比べてほしい。最も大きな差を示したのが、第一に主語である。94条ではLocal public entitiesという93条で使われたのと同じ、漠然とした用語を使用している。草案にあった主体の限定が消えている。そして、さらに大きな特徴が、Charterをやめて代わりにregulationを使用していることである。Great Charterといえばマグナ・カルタの英語表現であることに判るとおり、Charterという言葉には憲法的なニュアンスが含まれている。それに対して、Regulationは行政規則などを意味する軽い用語である。その結果、今日、我々が94条をホーム・ルール・チャータに関する条文とは読まずに、地方自治体が自ら制定する条例の根拠規定として、活用していることは、諸君の知るとおりである。(三) 現行95条
そして、問題の地方自治特別法の規定になる。草案では次のように規定している。
Article
88: The Diet shall pass no local or special act applicable to a metropolitan area, city or town where a general act can be made applicable, unless it be made subject to the acceptance of a majority of the electorate of such community.この規定が、草案
87条が草案86条で予定されていたホーム・ルール・チャータの制定方法を定めた規定であることは、特に説明するまでもないと思う。主語も86条と同じようにmetropolitan area, city or townに限定されているし、先に説明したとおり、ホーム・ルール・チャータは、地元住民が過半数で可決した場合に、それを州法(つまり日本であれば国の法律)で制定するというものだ、という説明とも符合した英文になっている。ところが、ここで外務省は誤訳といえるのではないかと思われる不適切な翻訳を行った。次のような文章である。第88条 国会は一般法律の適用せられ得る首都地方、市または町に適用せらるべき地方的又は特別法律を通過すべからず。ただし右社会の選挙民の多数の受諾を条件とするときはこの限りにあらず。
この文章では、何を行っているのか、さっぱり判らない。このさっぱり判らない文章から与えられた情報を元にして、佐藤達夫は粘り強く交渉し、最終的に現行の憲法規定とした。英文及び邦文を対比させると次のとおりである。
Article
95 A special law, applicable only to one local public entity, can not be enacted by the Diet without the consent of the majority of the voters of the local public entity concerned, obtained in accordance with law.第95条 一の地方公共団体にのみ適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない。
ここで注目してほしいのが、「一の地方公共団体」に対応する部分である。
one local public entityとなっている。これがaであれば、場合によっては複数の自治体を意味しても構わない。しかし、oneでは、文字どおり一つだけでなければ困る。先に述べた通説・実務の述べるところに従えば、旧軍港都市転換法のように、4つの都市を対象とするものがあって、少しもおかしくはないが、それは実は、現行憲法の英文バージョンに真っ向から衝突する解釈だったのである。それに対し、ホーム・ルール・チャータだったら、それは、文字どおり一つだけの地方公共団体に適用されるに決まっている。つまり、この英文に、依然としてホーム・ルール・チャータの規定の名残がまだ残っていることが判って貰えると思う。そして、日本国憲法において英文は、決して翻訳ではなく、正文である。そうなると、通説・実務はおかしいという説が登場するのは必然といえる。六 少数説の状況
(一) 個別立法拒否権と理解するもの
佐藤幸治がその代表といえる。次のように述べる。
3版、青林書院刊279頁) 「これは、アメリカ合衆国でホーム・ルール制登場前にミシガン州などでみられた特別法拒否権制度に習ったものとみうけられるもので、国の立法権を制限する“連邦制”的な性格の規定である。」(佐藤『憲法』第
ただ、これがその点に触れている全文で、なぜそう考えるのか、という根拠等は全く述べられていない。
似た見解を、例えば樋口陽一が示している。
Privat act)を定立する例が少なくないアメリカ合衆国で、州の法律によって特定の地方自治体への干渉が行われるのに対し、地方自治体を保護するため州憲法が置く保障手段の一つとして、当該地方自治体での住民投票が位置づけられてきた、ということがある。」(樋口『憲法T』現代法律学全集2、青林書院刊363頁) 「『一の地方公共団体のみに適用される特別法』とは、本来、特定の地方公共団体の組織・運営・権能について通常の地方公共団体との基本的な違いをもたらすような内容を持つ法律、として理解される。その様な法律につき特に住民投票を要するとしたことの背景には、個別的法律(
ここでも、これが記述の全てで、これ以上の理由は書かれていない。
憶測すれば、上述のとおり、ホーム・ルール制という理解は、草案
87条と88条の二つが組み合わさって導かれる。ところが、現行憲法では上述のように87条は完全に変質し、88条だけが辛うじて元の姿に近いものが95条英文に残っているに過ぎない。したがって、ホーム・ルール制そのものと解釈できず、その一つ前の拒否制都考えるのが妥当という見解であろう。(二) ホームルール憲章制定権と理解するもの
それに対して、ホーム・ルール制をわが憲法は定めていると主張する代表的な学者が、阪本昌成である。その議論は、詳しくはその著書で知ってほしい(阪本『憲法理論T』成文堂
483頁以下参照)。基本的には以上に述べてきた草案の構造を説明し、かつ草案のこの箇所の起草者が「基本的な狙いは合衆国のいくつかの州の憲法や法律で市に与えているところの地方的ホーム・ルールにむしろ近い」と明言した、という点に依存している。なお、この説に対しては、佐藤は、現行憲法の制定の際に「日本側は、かかる制度は『連邦制』的であるとして抵抗し、結局(
87条の)後段は削除され、日本国憲法第94条及び第92条に変容した。」から、わが国では自治的憲章制度は導入されてない(佐藤幸治『憲法』新版247頁より引用。=第3版ではこの文は削除されている)と批判している。[おわりに]
後半のる説明は、地方自治特別法について真面目に勉強すると、全く説明抜きで突如現れるホーム・ルール制という言葉を理解して貰いたい、というだけの狙いから書いている。佐藤達夫の奮闘により、草案
87条が事実上消えている現行憲法の下において、佐藤や阪本のように理解するのには無理がある、と私自身は考えている。しかし、このようなデリケートな問題があるということ、及び最近、あちこちの自治体で制定される○○市市民憲章といった表現にはどのような含意があるかを理解してほしくて紹介したのである。一般的にホーム・ルール制を定めたものと理解するのには無理があっても、例えば、そうした市民憲章を国会の法律として制定してほしいという陳情に対しては、
95条を適用して、住民投票を条件としてこれを認める、というような折衷的な取扱いもあり得るのではないか、と私は考えている。あるいは、市民憲章を県条例として制定する、というような扱いであれば、憲法問題を生起することなく、対応することが可能であろう。