山猫ストと労働基本権

問題

 民間企業であるY社に勤務するXは、自分の置かれている現在の労働環境に不満を抱き、会社及び労働組合に対し何度も労働環境改善を訴えたが、両者ともに聞き入れようとはしなかった。そこでXは「労働者たる私たちの存在を会社及び労働組合幹部に再認識させ、労働条件を改善するためサボタージュを行おう」と職場の仲間数十名に何度も繰り返し呼びかけ、サボタージュをあおった。それに応えて、Xの仲間たちはいっせいに休暇届を提出したり、故意に仕事の能率を低下させたりするなどのサボタージュ闘争を行った。

 そこで、Y社はかかる争議行為を行ったXを除く職員全員に対し、「注意」処分を行うとともに、争議行為をあおったXに対しては「戒告」とする処分を行った。

 これに対し、Xは自らの行為は、憲法に保障された労働基本権の行使であり、違法性が阻却されるにも拘わらず、処分を行ったのは憲法違反であるとして、処分取り消しの訴えを提起した。

 この事例における憲法上の問題を論ぜよ。

[はじめに]

 Xは、決してY労働組合の幹部ではない。そして、組合の決議事項ではないという意味で、個人的な意見を実現するために、他の職員に呼びかけて争議行為を行わうよう扇動したのである。そして、彼の呼びかけに答えて、職場の仲間数十名が、これまた組合の決議によらずに、個人的に争議行為を行ったのである。このように、一部の組合員(あるいは非組合員)が組合によるスト権の確立等の手続きを踏まずに、独自に行うストライキのことを「山猫スト」という。欧米で“Wildcat Strike”と呼ばれる争議形態を直訳した語である。山猫争議ともいう。いったいこれは、憲法の保障する労働基本権として保護の対象となるのだろうか。本問の基本的な問題点はこれである。

一 労働基本権の内容

(一) 労働基本権は、人権の分類としては社会権ないし生存権的基本権に属する。しかし、社会権ないし生存権的基本権という概念は、自由権と異なり、必ずしも自明のものではない。したがって社会権をどのように概念するかは人により異なることは、第47講に説明したとおりである。したがって、社会権に属すると考えられる権利に関する論文を書くに当たっては、少なくとも各自の基本説による定義と、その定義を導いた根拠だけは、簡潔なもので構わないが、必ず述べねばならない。

 本問の場合、それを受けて、労働基本権がなぜ社会権に属するのかを論じなければならない。そもそも自由主義国家において、労働は個人の自由に属する。教育権に使われたのと同じ言葉を使うならば、労働にも強い「私事性」を肯定することが出来る。27条後段は勤労の義務を述べているが、勤労の私事性を前提とする限り、これには積極的な法的意味はない。すなわち、親伝来の財産の上に無為徒食する自由は認められる。ただ、勤労の能力を持ちながら、勤労の意思を持たない者が、国に対して健康で文化的な最適限度の生活をおくる権利を主張する場合に、それを遮断するという消極的な意味では、法的義務性を肯定できる。

(二) 現代の高度に発達した資本主義社会においては、労働者と使用者の力の差が大きいために、労働の私事性を無批判に肯定し、勤労の自由を形式的に保障するに止める場合には、使用者側の提示する労働条件を受諾する以外には勤労の機会を得ることは出来なくなる。すなわち、伝統的な自由権が保障されるだけでは、労働者にとって健康で文化的な労働条件を確保することは非常に困難だ。そこで、労働者の勤労の自由を実質的に保障するために、これを社会権の一種として把握することが必要になる。すなわち、憲法の保障の私人間への直接適用が必要がある。

 しかし、憲法が法律によって直接保障するのは、あくまでも最低限の労働条件である。資本主義社会に存在する膨大な量の勤労の場に、国が一々介入して、個別に適正妥当な労働条件を決定するということは、このように強い私事性が存在する領域では、事実上不可能である。そこで、当該労働に適切な条件は、当該労働契約の当事者間の交渉により決定される。しかし、単に当事者間の交渉に委ねたのでは、労働者と使用者の間の力の差が再び問題になり、そのままでは法の定めた最低限度に適切な上乗せすること困難である。

 そこで、労働者に団結権および団体行動権を与え、集団の力により、個別の場における労働者と使用者の力を事実上均衡させるという手法を通じて、実質的に対等当事者間における交渉を実現させたのだ。これを、通常、労働基本権と呼ぶ。

(三) 憲法は団体行動権の内容については、その典型として団体交渉権を例示するにとどめ、これ以外にどんな行動を許容するかについては、解釈に委ねている。しかし、慣習法的に確立している団体行動権としては争議権がある。そこで、通常、団結権、団体交渉権および争議権の3者をさして、労働三権という。実定法的には、争議権とは次のように定義される。

「この法律において争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行ふ行為及びこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害するものをいふ。」(労働関係調整法第7条)。

 本問で、Xが行ったのは、ここに列挙されたもののうち、怠業に該当する。したがって、これが同法にいう争議行為であることは疑う余地がない。ただし、この定義はあくまでも争議の概念を示しただけで、これに該当することにより、即、正当な争議行為となるわけではない。本問のような山猫ストで、それが端的に表れてくる。

(四) 労働3権が労働者の基本的権利だということは、次のことを意味する。

@ 使用者が、労働者が労働3権を享受するのを妨害する行為は、不当労働行為として禁止される(労働組合法第7条、国家公務員法108条の7等参照)。

A 争議行為は、正当な業務運営を妨害する行為であるから、これは民事上、労働契約の債務不履行に該当する。したがって、本来なら、使用者側は、その争議行為と相当因果関係に立つすべての損害に対して、損害賠償の請求が可能である。それが許されないという点に、今一つの効果がある。

B 団体交渉その他の団体行動はすべて、形式的には威力業務妨害罪が成立し、刑罰の対象となる。また、争議行為の場合にはこれに加えて住居不法侵入罪その他の刑事犯罪の構成要件に該当する。憲法がこれらの権利を保障するということは、それを刑罰により禁圧することが国に禁止されるということを意味する。

(五) 労働条件をめぐる紛争は、法律的問題に関する紛争ではないから、その決着を裁判で付けるということが出来ない。しかし、使用者と労働者を対等な地位に置いて力と力の衝突に任せておいたのでは、労働争議が泥沼化することは必至である。それでは、当事者にとって不利益であるのはもちろん、社会全体としても大きな不利益を被る。そこで使用者、労働者及び公益の代表の3者で労働委員会を作り(労働組合法第4章)、これが労働争議の解決に当たることとしている(労働関係調整法)。

 解決方法には3種類、すなわち斡旋、調停及び仲裁が用意されている。斡旋とは斡旋員が労使双方の主張の要点を確かめ、紛争解決に向けて努力することを、調停とは調停委員会が調停案を作成し、それを土台に解決を図ることを、仲裁とは仲裁委員会が、労働協約と同一の効力をもつ裁定を下すことをそれぞれ言う。どの方法を使用するかは、基本的には紛争当事者の選択による。ただし、公益事業については労働委員会もしくは労働大臣・都道府県知事も調停申請をすることが出来る。また、国営企業等については、国は仲裁の申請をすることもできる。

二 労働基本権の制限とその限界

(一) 社会権は、国家に対する作為請求権である。それは、労働基本権を保障するような制度を設立し、運用するよう国家に求める権利である。これに関しては、一般に抽象的権利であって、立法を待って初めて具体的権利性を考えることができる。また、例外的に自由権的側面を考えることができる。すなわち、上記の諸施策について、それを否定する方向への立法ないし行政は、労働基本権の自由権としての性格を侵害していると考えられる。この場合には、これは具体的権利性を有し、司法救済の対象となる。特に、それらの活動が形式的には刑法その他の刑事規定に該当する場合にも、労働権の行使として行われる場合には可罰的違法性を阻却すると解されるという点に大きな特徴を示すことになる。まして、労働権の行使を明示的に刑罰で禁止するのは違憲と解される。

(二) 先に述べたとおり、労働基本権の根幹をなしているのは団結権である。団体交渉権及び争議権は、この団結権の行使として行われることを要する。この団結権の行使としてではなく行われる争議行為を、山猫ストという。すなわち、法律上の正確な用語ではないので、論者によりその意味に若干のばらつきがあるが、一般に、労働組合法にいう組合に該当するか否かはともかく、組合の実態を有する組織が上部機関の承認なしで行う争議や組合の実態がない労働者集団が行う争議をこういう。ただし、非組合員による集団的な職場離脱は含まれないとする説もある。

 山猫ストの当否が裁判上争われたのは、昭和20年代から30年代にかけてであり、その間に蓄積された判例により、これが違憲・違法なストライキであることは、学説・判例の一致するところと行ってよい。

 判例による理由付けは、漠然と組合ではないものは争議権を行使できないと説明するものを除くと、大別して二つの種類がある。第一は、山猫ストは、組合の統制権に対する侵害になるが故に違法と評価するものである。

「ストは組合が各組合員の労働力に対する統制を通じて組合の要求を貫徹する手段として合法視せられるものであるところ、ストによつては各組合員の給料その他労働の対価を喪う関係で各人の利害に深く影響する。したがつてストを行うにはその賛否につき各人の意思が自由に表明せられることが必要(労働組合法528号参照)であり、これによつて初めて組合の団結を維持しうるものともいうべきである。」(山田漁業部懲戒解雇事件=長崎地方裁判所昭和40618日判決=労働関係民事裁判例集163490頁= LEX-DB 27611600)

 第二は、団体交渉秩序保持の必要性を重視するものである。

「労働組合は使用者と団体交渉をすることによって、労働組合員の経済的地位の向上をはかることを目的とするものであり、組合が行う団体交渉の対象事項も、組合員の労働条件その他労使関係に関するものであれば、特に制限されるものでない以上、組合員の経済的利益を守るためには、労働組合が主体となって使用者と団体交渉をすれば足りるのであって、職場の労働者が、労働組合の組織の中にありながら、別の集団を組織し(ただし、別個の労働組合としての社団的組織体たる実体を備えるものではない)、これが組合と別異の独自の団体交渉権ひいては団体行動権の主体となることを容認することは、本来労働組合運動が大衆運動であり、職場交渉や職場の団体行動が組合員意識を高める場合があるとしても、労働組合自身にとっては一種の自壊作用であることは免れず、(なお、組合員意識を高めるために職場交渉等が有効であるとしても、かかる意識の昂揚は労働組合が日常の諸活動を通じてその実現に努めるべきものであり、かかる理由から職場集団に団体交渉権や団体行動権を賦与することを合理化することはできない。)使用者において一職場と有利な協定を結ぶなどして不当労働行為を誘発せしめるおそれがあり、他方職場集団においても集団のエゴイズムに基き、不合理な要求に固執し、組合の統一的意思を無視して使用者に協定の締結を要求するなど交渉機構を複雑化し、組合の団体交渉による労働協約と、職場集団の職場交渉による協定との間に多くの矛盾抵触が生じて無用の混乱を生ぜしめるおそれもあり、労働組合を基盤として展開される労使関係の秩序を乱す危険性が大きいからである。」(三井鉱山事件=福岡高等裁判所昭和4812月7日判決= 判例時報742103頁)

 判例は、一般にこのように法律のレベルで議論する。私自身は、このように労働組合法のレベルで理解するのは間違いで、憲法の労働基本権の本質そのものから説明するのが妥当と考える。

 すなわち団体行動権は、労働者と使用者間の交渉が実質的に対等当事者として行うことを可能にするために、特に通常の自由権を制限して認めた権利である。ところが山猫ストの場合、ストを中止して貰うための譲歩を行おうにも、団体交渉を行うべき相手方が存在しない。組合としての活動であれば、組合がストの中止指令を流すことで終了させることが可能であるが、不特定多数の個人を相手に、団体交渉を行うことは不可能だからである。したがって、こうしたスト権を認める場合には、使用者としては一方的にその私的財産の侵害を甘受しなければならない、という不合理な結果が発生する。これはあきらかにストライキ権の濫用と言うべきだろう。ここにこれらのストが許されないとされる根拠がある。また、一斉休暇闘争が、ここにいう争議行為に該当するという点に関しては、判例が確立している。

(三) 問題は、このように組合の統制にしたがわない争議行為について、直ちに先に述べた民事免責、刑事免責の効果が発生しなくなると考えてよいかどうかである。

 この点について、判例は、違法であることから直ちに懲戒解雇等を肯定するという結論を導いているようである。それに対して、労働法学者の間では学説が分かれている。

@ 山猫ストであっても、組合が何らかの支持を与えていれば、使用者側は、違法ストとしての責任を問えないという説もある。

A 山猫ストが行われるに至ったのが、組合執行部に反組合的な行動があり、それを是正する目的でなされた場合など、組合自体の新たな争議意思の形成と強化の契機となるものであり、一般組合員の暗黙の支持があれば、団結にふさわしい争議行為として、免責の対象となるという見解がある

B 山猫ストは基本的に組合内部の問題に過ぎないので、対使用者の関係では問題にならないとする説もある。

 本問では、組合に要求したにもかかわらず、受け付けてもらえなかったと記述されているので、@説だと争議として認められないのに対し、A説では、組合は動かなかったにもかかわらず、多くの労働者が自発的に山猫ストに参加したことからすれば、争議性が認められる可能性が高いことになる。しかし、@説などによって山猫ストが違法であると言う場合にも、それが直ちに民事・刑事免責につながると言うことはイコールでないというべきである。

 ストの違法性と刑事処罰の関連については、次のような有名な判決がある。

「労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては特別に慎重でなければならない。けだし、現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。それは債務が雇傭契約ないし労働契約上のものである場合でも異なるところがなく、労務者がたんに労務を供給せず(罷業もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」

(昭和411026日全逓東京中郵最高裁大法廷判決=百選308頁参照)

 この判決は、争議権の認められない公務員に関するものであるが、同じ論理は、山猫ストのような場合にも妥当するというべきだからである。