遺族会の宗教団体性
甲斐素直
問題
(
1) わが国では、昭和初期に陸軍の支援により、戦没者の遺骨を納めるいわゆる忠霊塔の建設が各地で積極的に行われ、これが公営墳墓として戦没者の霊を祭るようになった。旧帝国在郷軍人会
Y市支部Aは、昭和5年4月、B小学校用地に隣接したY市役所の敷地内に忠魂碑を建立することを計画し、Y市に対し、市役所敷地であった土地の一部の無償貸与を申し入れた。これに対し、Y市は、Aに対し、市議会の議決を経て、忠魂碑の敷地として右土地を無償かつ無期限で貸し付けることとした。そこでAは会員の勤労奉仕により、忠魂碑を建設した。 第2次大戦の戦没者の遺族の援護、厚生、福祉及び戦没者の追悼、慰霊等を目的として戦後間もなくY市遺族会Cが設立され、AはこのCに吸収合併された。昭和
20年12月15日、連合国軍最高司令官総司令部から政府にあてていわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全及監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより、我が国において政教分離が実現されることになった。政府は、右総司令部の占領政策を受けて、「忠霊塔忠魂碑等の措置について」(昭和21年内務省警保局長通達)という通達を発し、学校及びその構内並びに公共建造物及びその構内又は公共用地に存する忠魂碑等を撤去する方針を打ち出した。そこで、上記忠魂碑は、昭和
22年3月、Cの手により、その碑石部分だけが取り外されてその付近の地中に埋められ、基台部分はそのままの状態で装置されるに至った。しかし、昭和27年にサンフランシスコ平和条約が成立し、日本が独立を回復したことを契機に、埋められた碑石が掘り出され、Cにより忠魂碑は元どおりに再建された。その後、Cが主催して、毎年4月ころ、碑前で神社神職の主宰の下に神式の儀式の方式に従い、慰霊祭を営んできた。(
2) Y市においては、B小学校の児童数が近年急増したことから、同小学校の校舎の建替え、増築、校庭の拡張をすることが急務となった。そして、Y市がこれを行うためには、同小学校用地に隣接する忠魂碑を他に移転し、その敷地の明渡しを受けてこれを学校用地に編入する必要があった。そこで、Y市は、Cと交渉した結果、忠魂碑を他の市有地に移設する旨の合意が成立した。そこで、Y市は本件移設・再建の工事をD建設会社に請け負わせ、同社に請負工事代金704万余円を支払い、かつCとの間に土地の使用貸借契約を締結した。(
3) Y市住民Xは、Cは憲法89条にいう宗教団体に該当し、したがってCに市有地を無償で使用させることは、憲法89条に違反すると主張して、住民訴訟を提起した。Xの主張の当否について論ぜよ。
[はじめに]
本問は、メイルでも明確に述べたとおり、箕面忠魂費訴訟(最高裁平成
5年2月16日判決)をベースに、それを簡略化し、論点を減らして易しくする形に作問されている。政教分離は、旧司法試験においては頻出領域で、数年おきに出題されており、新司法試験においても当然に出題が予想される。新司法試験では、細かな事実関係が示されるので、本問では、それに準じる程度に事実関係を詳しく書き込んで、そうした事実に準拠した論点展開を促すように工夫している。 基本的な問題意識を整理すると、次のようになる。憲法は「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(20条1項後段)とし、更に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…これを支出し、又はその利用に供してはならない。」(89条)と定めている。したがって、Cが宗教団体であれば、Yから無償で土地の供与を受けるということは、「国から特権を受け」ないしは「宗教上の組織若しくは団体の使用…に供してはならない」という禁止に触れることになるから、違憲であり、許されない、という結論に達することになる。そこで、憲法89条等で言う宗教団体とはどういうものかが中心論点になる。この論点は、条文が頭に入っていれば誰にでも判るものではあるが、ひょっとして気がつかないと困ると思い、
Xの主張内容としてCが憲法89条に言う宗教団体に該当するか、が論点である旨、問題文中に明確に書き込み、かつメイルに本問が箕面忠魂費訴訟をベースにしたものである旨、明記した。ところが、提出された論文は、どれも宗教団体性に関する議論を行っていない。私としては、諸君に論点を見つけて貰うために、どうやったらこれ以上明確に書けるのか、見当も付かず、途方に暮れている。答案構成としては、基本的には愛媛玉串訴訟と同一であるが、上述のとおり、89条に言う宗教団体とは何か、が論点であるので、論文のはじめから、宗教団体というものに対する問題意識を持った記述が必要となる。そして、最終的には政教分離の理念に基づいて宗教団体性を定義を導き、それに遺族会
Cが該当するかどうかを論じて、論文としては終わることになる。一 宗教概念について
本問では、遺族会
Cは、神道に基づく慰霊祭を毎年度実施している。そこで、神道が宗教といえるかどうかがまず問題となる。以下では、諸君に確実に論点を理解して貰うために詳しい説明を行っているが、実際の諸君の論文では、論文の三角形性から、軽く触れる程度でよい。しかし、全く触れないのでは、論文としてはその段階で落第答案と表せざるを得ない。(一) 欧米の宗教概念と神道の特殊性
わが国における信教の自由の持つ意義を正確に理解するには、神道を理解しなければならない。すなわち、欧米流の宗教は「特定の教祖、教義、教典を持ち、かつ教義の伝道、信者の教化育成」等を目的とするものである。 これに対して、わが国の神道の本質は「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、至高の存在等。なかんずく、神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」(「」内はいずれも津市地鎮祭名古屋高裁昭和
46年5月14日判決から引用)であるにすぎない。つまり、教祖の教えに基づくしっかりした教義体型を持つものだけを宗教と考える場合には、神道は宗教たり得ない。
(二) 戦前における国家神道非宗教論と現行憲法
このように、欧米流の宗教概念と大きく懸け離れたところに神道が存在するために、神道非宗教論、すなわち「いわゆる国家神道または神社神道の本質的普遍的性格は、宗教ではなく国民道徳的なものであり、神社の宗教性は従属的、偶然的性格である」(戦前における政府の公式見解)という主張が容易に導かれる。明治政府は、このことを更に強調するために、神社に対して宣教活動と葬儀の実施を禁ずるという取扱いを行う。以後、明治憲法下において、行政的には神社は非宗教として取り扱われることになる。
他方、旧憲法
28条「日本臣民ハ《中略》信教ノ自由ヲ有ス」と定めて、一般に信教の自由の保障を行ったが、この条文からは法律の留保条項がはずされており、代わりに、信教の自由に優越するものとして「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていた。そこで、安寧秩序や臣民の義務に抵触すると解された場合には、法律を要せず、警察命令によって取り締まることが可能という解釈がみちびかれることになった。これを受けて、行政監督が厳しく実施された。この結果、旧憲法下においては、天皇を中心とする神道に慣行的に国教的な取扱いがなされ、その行う宗教行事への参加は臣民としての義務とされた。問題文に書かれた陸軍の主導による忠魂碑の建設、戦没者の慰霊ということも、そのような歴史の流れの中で理解されなければならない。
このような二つの要因から、旧憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。
しかし、この事態は、第二次大戦の終了とともに一変した。これまた問題文に明記されているとおり、昭和
20年12月15日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(正式には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が示された。忠魂碑についての通達は、具体的には次のような内容であった。
一 学校、学校の構内及び構内に準ずる場所に在るものは撤去する。
二 公共の建造物及びその構内又は公共地に在るもので明白に次のような軍国主義的又は超国家主義的思想の宣伝鼓吹を目的とするものはこれを撤去する。
イ 日本天皇は其の祖先、
家柄及び特殊なる起源の故を以て他国の元首に優越するとの教義
ロ 日本国民は其の祖先、家柄又は特殊の起源の故を以て他国民に比し優越し居れりとの教義
ハ 日本諸島は特殊の起源の故を以て他国に比し優越し居れりとの教義
ニ 日本国民を欺瞞し以て戦略戦争に導入し又は他国との紛争解決の為道具としての武力行使を賛美するに役立つ其の他の教義
単に忠霊塔、忠魂碑、日露戦役記念碑等戦没者の為の碑であることを示すに止まるものは原則として撤去の必要はない。
本件の場合、どのような碑文であったか明らかにされていないが、
Cにより自主的に撤去された点から見て、禁止条項に触れるおそれの強いものであったと推定できる。* * *
以上に述べたところから明らかなように、わが国において政教分離を論ずる場合、神道を避けて通ることはできず、したがって、神道を念頭に置いて宗教概念を構成する必要がある。また、わが国で厳格分離ということがいわれる根拠も、こうした神道との関わりの中から生まれたことを見落としてはならない。
二 政教分離の意義
わが国では、上述のように神道があることからくる宗教概念の特殊性から、政教分離概念についても、また、欧米諸国の概念をそのまま持ち込むことができない。すなわち、わが国特有の概念と把握する必要が発生する。そもそも、政教分離という概念は、欧米においてすら、きわめて多義的な概念であって、厳密に定義を下さない限り、議論が噛み合うことがないのである。
(一) 政教分離の「政」の概念
政教分離というとき、それが「政治」と「宗教」の分離ということであれば、これは祭政一致(宗教理念にしたがって政治を行う)の反対語であって、近代民主主義国家でこれを採用していないところはない。今日の世界では、わずかに、イスラム原理主義者によって、そうした理念が実行されている国が一部に存在する程度である。イギリスのように、国教制度を採用している国においてすら、宗教理念にしたがって政治が行われているわけではないから、政教分離が実現されていることは明らかである。
したがって、ここで論ずる必要があるのは、政治と宗教の分離という意味での政教分離ではない。すなわち国家と宗教の分離として論じなければならない。したがって、「国教分離」という表現の方が、本当は正確である。政教分離という用語は、慣行的に使用されているが、その真の意味については、十分に注意しなければならない。
(二) 政教分離の「教」の概念
今ひとつの問題となるのが、「教」という部分が教会(宗教団体)を意味するのか、それとも宗教を意味するのかという点である。欧州においては、一般に、国家と教会の分離(
separation of Church and State)が、政教分離という用語の下においては問題とされている。その場合、国家は特定の教会(宗教団体)に有利にならない限り、宗教活動を行うことは何ら問題にはならない。すなわち、国家の非宗教性は、ここでは要求されない。これに対して、わが国では、国家と宗教の分離(
separation of Religion and State)を意味する、と解するのが、通説・判例である。しかし、国家と教会の分離だと主張する異説がある(百地章『憲法と政教分離』成文堂
1991年刊、61頁参照)。異説があるということは、これが論点だと言うことであり、したがって、こう述べるには、根拠が必要である。通説・判例であるということは、理由付けはそうくどく書く必要はないということを意味するだけで、書かなくてよいということではないのである。さらに、ここで注意しておく必要があるのは、憲法20条1項は明確に宗教団体について述べ、また、89条前段は、公金の支出等を禁ずる対象として「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持」ということを上げている点である。一般に、89条前段は20条3項の財政的表現と説かれるが、条文上は明らかに、国家と教会の分離を定めているのである。さらに、継受法解釈からすれば、米国法は国家と教会の分離だという点も、通説・判例にとって不利な点である。ありがたいことに、しかし、そうしたことを根拠に国家と宗教団体の分離だと主張する説は少数説だから、諸君が通説的立場に依る限り、あまりくどく反論を書く必要はない。
大きく二つの点が根拠となる。
第
1は、わが国の歴史である。神道が国民道徳とされることによって強制された事を考えるならば、単に宗教団体との分離を行うだけでは、政教分離原則の実現は不可能ということである。第
2は、わが国においては無宗教者の比率が高いために、単に宗教団体との分離を行い、国家が宗教活動を行うことを認める場合には、宗教を信じない自由が侵害される危険が高いことである。このように理解した場合、
20条1項で宗教団体に対する特権の付与を禁じ、あるいは89条で公金等の支出を禁じたのは、きわめて厳格な禁止を意味するものと理解しなければならない。後に説明するレモンテスト、エンドースメントテストの使用にあたり、注意するべき点である。三 政教分離の法的性格
わが国の政教分離の法的性格に関しては、激しい説の対立が存在している。通説判例は、制度的保障説であるが、人権説(芦部信喜)、制度説(佐藤幸治)及び客観的禁止説(戸波江二)がこれに厳しい批判をあびせているのである。これら三説は基本的に制度的保障説の批判を基礎としているので、どの説を採る場合にも、制度的保障説の正確な理解を欠かすことはできない。諸君の中に、人権説や制度説を採る者は無いようなので、ここではそれらに関する説明は省くが、制度説に問題があり、したがってきちんと理由を挙げる議論が必要なことだけは理解しておいてほしい。
(一) 制度的保障説の問題点
政教分離が制度的保障であるかどうかを考えるには、まず、制度的保障そのものがどのような概念なのかを明らかにする必要がある。この概念は、法律の留保を説明するためにドイツのカール・シュミットが考えだしたもので、一般に、組織された既存の制度に対して、憲法的保護を与え、その制度の核心(本質的内容)の侵害されないことを立法権からも保障する法的保障であると説かれる。制度的保障の対象になっているのは制度自体であって、個人の人権そのものではない。すなわち制度は、原則として自由と峻別される。しかし、両者は無関係なものではなく、制度が個人の自由の保護、強化に仕えるという補充的な性格を持つ点に特徴が顕れる(制度の中核をなしているのが自由権である、と書いたりする人が時々いるが、間違いである)。制度そのものを改変したり、廃止したりするには憲法改正によらなければならない。その反面で、制度の周辺的な要素については法律による規制が可能である。
政教分離を制度的保障と把握する場合の議論の内容は後に紹介することにして、ここでは最初に、変則的であるが、制度的保障説にどのような問題点があるかを見ておくことにしよう。
制度説に反対する学説は、基本的に、制度的保障という理論を使用すること自体を拒否する。その理由は大きく三点に求めることができる。
第1に、制度的保障説は、もともと「法律の留保」を伴う憲法規定の説明手段として開発されたものであるから、わが国現行憲法のように法律の留保なく、すべての人権が立法権に対して保障されている法制の下では、その必要性が低下している。
第2に、自由権は一般に国家からの自由という性格を有しているのであるから、国家を前提とし、その法律によって人権が規制されることを予定している制度的保障説は、基本的に相容れない性格を有するこは否めない。その結果、当該制度的保障が奉仕すべき人権規定の保障がかえって弱められるおそれがある。
第3に、政教分離に関しては、憲法は、国教制度の内容を定めてそれを明確に忌避(政教分離原則の明確化)しているのであって、制度を積極的に創設することにかかわる制度的保障の理論によるべき場合ではない(制度の本質的内容を云々する余地がない)。
上記問題点の特に
1及び2についての説明方法として、多くの論者の賛同を得ているのは、戸波江二の説くところである。それによれば、通常、制度的保障説で最大の問題点と指摘されることの多い、何が制度の不可侵の核心(本質的内容)か、を決定するのは、理論そのものの問題ではない。「本質的内容をどのように確定するかという問題がそもそも優れて実践的な解釈問題であって、本質的内容の広狭は究極的には解釈者の価値判断によって定まる。」そして、このように本質的内容の範囲がこの理論自体から論理必然的に導かれないとすれば「結局のところ、いかなる立法が制度的保障の本質的内容を侵して違憲となるかの判断にあたっては、実は、制度的保障の理論は何の役にも立っていないことを意味する。」では、制度的保障理論の意義はどこにあるかといえば、それは制度的保障だとされる特定の憲法規定が人権を直接に保障する規定ではなく、一定の制度を客観的に保障する規定であることを明らかにする規定であることを説明する「一種の説明概念」にすぎず、「そこから何らかの具体的な法的帰結が導き出されるという意味での解釈論的道具概念ではない。」「最も重要なことは、制度的保障とされる憲法規定を個別に検討し、それぞれの法的性格をその規定の特質に応じて確定することである。」(「」内は、いずれも『筑波法政』
7号掲載の戸波江二論文より引用)。この理論を政教分離に当てはめると次のようになる。制度的保障と把握することにより、はじめて「政教分離原則の侵害の有無は、憲法
20条2項の宗教の自由侵害の有無と異なり、個人に対する『強制』の要素を必要としない。すなわち、国又は地方公共団体が行政主体になって特定の宗教活動を行えば、一般市民に参加を強制しなくとも、それだけで政教分離原則の侵害となる。政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害となることを恐れなければならない」(津市地鎮祭、名古屋高裁判決より引用。)と解し得る。このような説明を導きうるという点において、説明の道具として制度的保障概念を使うことが優れているのである。当然、この論理は、この説明の考案者である戸波江二自身の客観的禁止原則説でも使用可能である。
四 国家と宗教の分離の限界
(一) 総論
前節に論じたように、制度的保障〜客観禁止原則と理解した場合には、国家がどの範囲で宗教に関与しうるかは、基本的にはその国家における価値観で決まることになる。先に述べたとおり、わが国は戦前における事実上の神道国教化という不幸な経験及び無宗教者の権利保護という二つの理由から、国家と宗教の分離を要求していると考える以上、その分離は厳しく理解しなければならない。理想的には、米国においていわれるのと同様に、完全分離が求められるべきである。しかし、国家と宗教団体の分離と異なり、国家と宗教の完全な分離は不可能である。なぜなら、宗教は、個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常だからである。
この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたつて、宗教との関わり合いを生ずることを免れえないこととなる。更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて関係者の人権を侵害するという不合理な事態を生ずることを免れない。
この問題は三つの場合に分けて考えるべきである。
第一に、宗教とは異なる理由で行われる国家からの援助の受け手として宗教団体が存在する場合である。例えば特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をしたり、文化財保護の一環として、神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のために国が宗教団体に補助金を支出したりする行為である。わが国は先に述べたように宗教に対して敵対的分離主義を採用しているわけではないから、これらは許される。仮に、それが許されないということになれば、そこには、宗教との関係があることによる不利益な取扱い、すなわち宗教による逆差別が生ずることになるからである。すなわち、社会国家における給付の平等性に反するからである。
第二に、個人の信教の自由の保護のために、国家が宗教と関わりを持つことが要請される場合である。刑務所等における教誨活動がその典型である。刑務所においては、受刑者の信教の自由は、その身体的自由の制限のために事実上制限されている。したがって、教誨活動を認めないときは、国家による消極的侵害という結果を招くことにもなる。人権と人権の衝突の場合には、比較考量によってどちらの人権がどの限度で承認されるかを検討する。政教分離原則と人権の衝突の場合にも、同様の比較考量が許されるべきであろう。
第三に、元々宗教行事であったものが、今日のわが国において、単なる社会習俗と化している場合がある。例えば、わが国が今日採用している休日のほとんどには宗教的背景が存在している。すなわち、日曜(キリスト教の安息日)、土曜(ユダヤ教の安息日)、正月(神道の祭日)、春分・秋分の日(仏教の祭日)などである。また、クリスマスもわが国ではキリスト教信仰とは切り離された形で一般的祝い事とされている。社会習俗化している場合には、政教分離原則に違反しないということができる。
このような本来的宗教行事が、既に社会習俗化しているのか、それとも依然として宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならないといえるであろう(津市地鎮祭最高裁昭和
52年7月13日判決参照)。すなわち、このような認定の限度において、津市地鎮祭判決は、依然として拘束力を有している。(二) 津市地鎮祭訴訟最高裁判所判決の今日における問題点
1 神道の除外性
最高裁判所は、津市地鎮祭訴訟で、目的効果基準を導入した。すなわち、最高裁は、
20条3項の国の行為を、次のように定式化した。「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。」
この基準の持っている本質的な問題は、この基準による限り、神道は常に問題外になるという点である。すなわち、この基準は、宗教とは、「布教、教化、宣伝等の活動」をするものだ、という定義を採用していることになる。これは宗教とは「特定の教祖、教義、教典を持ち、かつ教義の伝道、信者の教化育成」等を目的とするものである、と定義しているのと同じことである。これは結局、戦前の神道非宗教論と同一のものである。
それに対して、神道は「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、至高の存在等。なかんずく、神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」(「」内はいずれも津市地鎮祭名古屋高裁昭和
46年5月14日判決から引用)であるにすぎない。このような本来的な神道は、基本的に教義を持たないから、それを「布教、教化、宣伝等の活動」をすることはあり得ない。
ここから、宗教とは何か、という議論の必要性が表れることになる。だから、機械的に宗教を論じても、基準を論ずるところで、上記のことをいわなければ意味がない。逆に言えば、基準で、こうしたことを議論するつもりが無ければ、宗教概念を論ずる必要はない。
2 レモンテストとの異同
この目的効果基準を、往々にしてレモンテストそのものと書く諸君があるが、それは間違いである。レモンテストが国教の設立禁止という立法行為の合憲性を判断するための基準であるのに対して、最高裁判所の使用した目的効果基準は、地鎮祭という事実行為に適用したものである。また、レモンテストは、目的・効果・過度の関わりという
3要件テストであるのに対して、目的効果基準はその名のとおり2要件テストで、過度の関わりという三番目の要件が切り捨てられている。さらに、レモンテストは、3要件のどれか一つが抵触すれば違憲となるのに対して、目的効果基準は全てに抵触した場合にのみ違憲となる。愛媛玉串訴訟最高裁平成
9年4月2日大法廷判決は、簡単に述べれば目的効果基準をレモンテストに転換した判決と理解することができる。(三) 箕面忠魂碑訴訟最高裁判決について
最高裁判所は、まず、政教分離原則による禁止対象になる宗教行為については、津市地鎮祭判決を受けて次のように述べた。
「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に従ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないものである」
これを受けて、宗教団体性については次のように述べた。
「憲法
そして、遺族会は、この定義に言う宗教団体性を持たないとして、合憲としたのである。
五 学説の状況
(一) レモンテストについて
学説は、津市地鎮祭判決に対しては激しい批判を浴びせた。その場合のてこの一つとして、芦部信喜が使ったのが、レモンテストである。愛媛玉串訴訟最高裁判決がこれを採用したことは大きな進歩である。しかし、学説は、この判決に無条件で賛同しているわけではない。
判決文は一読して明らかなとおり、国家と宗教団体の分離を問題としている。最高裁判所は「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれない」と言っているが、逆に言えば、他のすべての宗教団体に同様の支出をしていれば、玉串料の支出も合憲となると読める。これは、通説・判例が従来一致して承認してきた国家と宗教の分離という理解に対する大幅な修正である。
政教分離を、国家と宗教の分離と把握する通説の立場に依る限り、「特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持った」ことが問題なのではなく、およそ、宗教との間に特別の関わりを持ったことが問題であり、それが特定の宗教団体かすべての宗教団体か、もしくは、特別の関わり合いであることが意識されているかいないか、というようなことは何ら重要性を持たない、と言わざるを得ないのである。すなわち、議論としては、判例の単純承認ではなく、こうした批判的スタンスもほしいのである。
さらに、先に述べたとおり、日本での事実行為への適用という使われ方と米国における立法審査基準という使われ方の間には明確な差異がある。こうした理由から、学説的には、どうしても、曖昧な賛同に止まらざるを得ない。例えば、戸波江二は次のように説明する。
「この基準は、国家と宗教との一定の関わりを前提とするものであって、必ずしも厳格な基準というわけではない。しかし、国家と宗教との間に線を引くための基準として一応の妥当性を有し、また日本の判例でも一般的な基準となっている以上、この基準を基本的に維持して三要件違反の有無を厳格に審査し、他方で、国家行為の宗教性を具体的・実質的に判断していくのが妥当であると思われる。」新版
先に述べたとおり、米国では、国家が宗教と関わりを持つことを禁じているわけではなく、国家と教会の関わりを禁じているにすぎないから、そのまま日本に適用すれば必ず問題が起こるからである。君たちも、三要件を導入するという説を採る場合(当然そうだと思うが)、こうした表現を覚えて、諸君の論文中に再現するという努力が必要になる。
(二) 宗教団体性について
箕面忠魂碑判決は、津市地鎮祭判決を受けて、それを忠実に宗教団体の定義に転換した。そして、そのような定義から、文字通りの宗教団体、すなわち宗教法人法
2条にいうところの「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体」だけをいうことになってしまう。すなわち「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」及びそれを「包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体 」に限定されることになる。しかし、そのように宗教団体という概念を狭く解する場合には、そもそも議論の原点、すなわち、国家と宗教の分離をいうとした意味が失われてしまうことになる。そこで、一般には「宗教上の事業もしくは活動を行う共通の目的をもって組織された団体」(芦部信喜『憲法学V』有斐閣
1998年刊125頁より引用)と解することになる。そう解する場合には、問題文にあるとおり、遺族会は「戦没者の追悼、慰霊等」という宗教活動を目的としているから、宗教団体性を有することになる。要するに、ここでは「政府と宗教の分離が問題となるから、当該団体の行う行為が宗教的か否かによって決定すべきであり、団体の主たる目的から政教分離原則でいう宗教か否かで判定すべきではない。」(渋谷秀樹『憲法』有斐閣
2007年刊383頁より引用)