ゼミ誌 “SUNAO”#9  目次

甲斐 素直

イギリスの憲法

   

4年生(8期生)  

 

佐藤 賢一

携帯電話

難波 岳穂

読書とテレビ

箕山 達夫

箕山さんの小小説「写真」

若林 千寿子

世界でも綺麗な言語――日本語?!

石田 博之

最近思ったこと

岩谷 優太

ゼミ誌を書くにあたって思ったこと→めんどくせえ

小川 晃

赤坂ゼミから甲斐ゼミへ

木田 圭祐

スキーと私

篠原 寛

サッカーの素晴らしさとフーリガン対策について

武田 菜穂

大学生活、最後の楽しみ。

長瀬 達三

現代日本人の作法

西窪 渉

法の裁き

宮本 洋美

社会人大学処世術

   

3年生(9期生)

 

飯田 浩史

ストレスを撃退せよ!

佐藤 公彦

煙草と私

積 和夫

私と過ぎ去った高校野球

沼田 明美

私と愉快な仲間たち

大竹 沙代

共に生きるということ

千田 真子

甲斐ゼミに入ってからの私

 

2年生(10期生)

 

新井 宏史

自己紹介について

井上 剛

小話

生方 悟史

自己紹介

今野 拓也

私の好きなもの

馬場口 龍輔

NO MUSIC,NO LIFE

 

 

 

 ゼミ誌係からでてくるファイル形式が毎年違うので、今回のインターネット版ゼミ誌は、また、去年とは少し違うスタイルになっています。目次をクリックすれば、各原稿に飛ぶようになっている点では違いはありません。また、中身の濃さに変わりはありません。好評につき、私のあらずもがなのコメントを今年もつけてみました。

 御笑読下さい。

 

 

 

 

 

イギリスの憲法   甲斐 素直

 

 イギリスというのは、変な国です。

 近代議会主義の母国ですが、実際には、建前的には未だに国王が主権者です。

 また、フランスのモンテスキューは、イギリスの制度を研究して三権分立というものを考え出したのです。しかし、現実のイギリスはお世辞にも権力分立制がとられているとはいえません。議会が、議院内閣制を通じて行政を支配し、また、貴族院が最高裁判所である、という意味で司法も支配していますから、むしろ議会による権力の統合制とでも言った方が良さそうです。

 あるいは地方自治の本旨として、ドイツ流の団体自治と並んで、我々はイギリス流の住民自治ということをいいます。そのぐらいだから、さぞイギリスに地方自治が確立しているだろうと思うのですが、実際には、わが憲法上の学説でいうところの狭義の伝来説、すなわち、地方自治体は国の法律の定める範囲内でしか自治権が認められない、という、先進国の中ではずば抜けて地方自治の遅れている国なのです。

 その、いろいろと変なところがある中でも、一番きわだって変な点が憲法です。イギリスは軟性憲法の国で、法律を変更することで憲法を変更することができる、とよく憲法の教科書に書いてあります。ですが、実際問題として、法律とまったく同じ効力しか持たないのなら、それは憲法というべきではありません。あるいは憲法であったとしても、かなりレベルの低い、本当の意味での憲法には値しない代物というべきです。

 実は、イギリスの憲法は、不文法、すなわち慣習法なのです。慣習法は改正できません。もちろん、長い時間の経過のうちに、慣習法を支えている人々の法的確信が変化して、ひとりでに慣習法の内容が変わることはあります。しかし、慣習法を、人が特定の時点で、人為的に変更することは不可能です。その意味で、イギリスの憲法は、軟性憲法どころか、究極の硬性憲法といえます。

 イギリスの最も高いレベルにおける慣習憲法は、三つの内容から成り立っているといわれます。法の支配rule of law、憲法慣行consitutional convention及び議会主権parliamentary sovereigntyです。

 いずれも、わが国憲法の講義の中で聞いたことがある言葉だと思います。しかし、本家イギリスにおけるそれは、わが国憲法学でいわれるそれとは、どれも少しずつ(あるいはかなり)違った内容を持っています。

 法の支配という言葉は、日本の憲法学では、実質的法治主義と同じ意味に理解されています。すなわち国家権力、特に行政権はすべて法を根拠として行われなければならない、という意味だと理解されます。ただ、そこで言う法が憲法に合致したものでなければならず、議会制定法といえども憲法違反であれば、無効となる、とされる点に、戦前の形式的法治主義との差違があるわけです。

 ところが、本家イギリスではだいぶ意味が違います。何といっても成文憲法がないのですから、憲法違反の法律は無効などという議論が、イギリスで出てくるわけがないからです。ダイシーA.V.Diceyという19世紀から20世紀に掛けて活躍した憲法学者の下した定義によると、法の支配というのは次のような概念です。

 第一に、国王、行政権、その他権力を持つものが、広範な、恣意的な、あるいは裁量的な権力を持つことを認めないことです。

 第二に、すべての人が通常裁判所の運用する通常の法に服するものとされており、公務員は行政裁判所の運用する法に服するという制度がとられていないことです。

 第三に、憲法の一般原則は成文憲法によって宣明されたものではなく、裁判所の判決の中で、私人の権利について判断がなされたことの結果として生まれてきたものであり、それだけ実質的に保障されていることです。

 ここで通常裁判所という言葉を使いましたが、これも日本的な意味での通常裁判所を考えると話がおかしくなるので、普通はコモン・ロー裁判所という言葉を使います。すなわち、日本のように通常裁判所だけに裁判所が統合されてはおらず、イギリスには今もいろいろな裁判所があるのです。その中で、コモンロー裁判所が優越的な地位にある、という話になります。

 これを簡単にまとめてしまえば、司法権の優位とでもいえるでしょうか。

 二番目の憲法慣行というのも、日本語で感じられるような穏やかなレベルのものではありません。国の統治機構に関する憲法のほとんどは、この分類に属します。これをなぜ慣習法と呼ばないかというと、これについては、裁判所によって強制することはできない、と考えられているからです。例えば、国王は、庶民院の多数党の党首を首相に任命すること、首相の選んだ者を国務大臣として任命すること、上下両院を通過した法は裁可することという憲法上の義務を負っています。こういうことは、いずれの長い間の憲法上の慣行で、そうしなければならない、という規定はどこにもありません。そして、これは具体的意味の法ではないから、裁判で強制できない、とされているのです。

 最後の議会主権というのも、日本で、国民主権における国民とは正統性の契機としての国民であり、実在していないから、国権の最高機関は実質的には国会であり、その意味で、国民主権は、実質的には議会主権といえる、というような穏やかな意味ではありません。イギリスのこれは、別名議会の万能parliamentary omnipotenceといわれるとおり、あらゆる問題について、議会は絶対的な権限を持っている、という意味です。このことを良く、議会は男を女にし、女を男にする以外の何事もすることができる、と表現したりします。

 

 このように紹介してくると、このイギリス憲法の三つの根本原理そのものが相互に矛盾していることに気がついたと思います。法の支配がコモンロー裁判所の優位を主張しているのに対して、議会主権は議会の優位parliamentary supremacyを主張しているのですから、当然衝突します。また、憲法慣行は、多くの場合に、国王の主権、すなわち議会に対する国王の優越を前提にした上で、どの範囲で制限されるかを説いているのですから、これも多くの場合に、議会主権と衝突します。

 三つの根本原理が互いに衝突したとき、どれが勝つのか。これがイギリス憲法の最大問題です。

 

 一番弱いのが法の支配だ、という点ははっきりしています。すなわち、イギリスは今や判例法の国というより、成文法の国になりつつあります。したがって、判例法と成文法が衝突すれば、成文法が勝ちます。そもそも、19世紀に自由党のロイド=ジョージという大蔵大臣が人民予算と称する社会福祉政策を導入して以来、イギリスは確実に福祉国家の第一線を走り続けました。自由国家と異なり、福祉国家において、法の支配を厳格にいうことは不可能です。したがって、法の支配の持つ意味は今日ではかなり後退してしまっている、と考えるべきです。

 さらに、1998年になって、人権法Human Rights Actというものが定められました。これは基本的人権を定めたイギリス初の成文法です。当然、今後は、人権はこの法律によって保障されることになるでしょう。ここでは、判例法による私人の権利の保障という、イギリス流の法の支配概念が根本的なゆらぎを示しています。

 

 憲法慣行と議会主権が衝突したときにはどうなるでしょうか。

 イギリス人は、あるいは日本人のイギリス法学者は、議会主権が優越する、と説明します。つまり、議会の制定法によって憲法慣行を改廃しうる、というのです。しかし、わたしはそれは違うのではないか、と考えています。いくつか例を挙げてみましょう。

 財政関連の法律案money billについては、庶民院が優越し、貴族院は先議権もなければ、内容修正権もなく、庶民院が送った法案を一定期間内に承認する権限しかありません。このことは、今日では議会による制定法で定められています。しかし、このことは実は14世紀くらいから上下両院の間で問題になり始め、1700年前後にいったんけりが付いたのですが、1900年代になってまた対立が表面化したため、ようやく1911年議会法でけりを付けた、という問題です。この場合、1911年議会法の内容は、憲法慣行を否定したのではなく、それをそのまま定めたに過ぎない、というのが話のポイントです。

 また、歳出予算を制定するのは、上記のことの結果として、当然に庶民院の権限です。ところが、歳出予算では国庫金を支出することはできません。国庫金の支出は、法律で定めなければならないのです。これを統合国庫資金法といいます。しかし、当然のことですが、歳出予算と統合国庫資金法の内容は同じものです。だから、議会が万能なら、さっさと予算が決まれば国庫金が支出できる、と決めれば良さそうなものです。しかし、何十年も議論したあげく、1982年になってやっと決まったことは、統合国庫資金法の審議にあたっては討論をやらない、ということだけです。予算を議決するときにさんざん討論しているのですから、これは当然のことですが、何でより抜本的な明確な解決ができないのでしょうか。どう考えても、答えは、国庫金の支出は、法律でのみ可能である、という憲法慣行がある以上、それを議会の制定法で改正することはできない、というもの以外には、私には見あたりません。

 この調子で、様々な問題について、実に奇妙な、法律によって改正されるどころか、法律がそのまま固定化してしまった憲法慣行を例示することが可能です。やはり根本に慣習憲法がある以上、これが当然の結論ではないか、と考えています。

 議会主権は、近時別の角度からも大きな挑戦を受けています。それはEUです。先に挙げた1998年人権法自体が、EUに加盟していることから制定が義務づけられたものですが、同じように、EUに加盟しているために義務づけられたのが、1975年国民投票法Referendum Act 1975です。イギリスがEUの一員としてとどまるか否かは、議会の議決で決めてはいけない、とEU条約は要求しているのです。そのためには、国民投票が必要なのです。

 わが国で、憲法改正の国民投票制度があるが故に、国民主権概念を採用しているにもかかわらず、41条の国権の最高機関という言葉が政治的美称と解するのが多数説であることはご存じの通りです。それと同じ理屈から、この国民投票法の存在により、イギリスにおける議会主権の概念は根本的なゆらぎを示さざるを得ないのです。

 

 こうして、今後、イギリス憲法の中核として生き残っていくのは、結局、憲法慣行だけではないのか、というのが目下、私の考えていることです。

 

 

 

 4年生(8期生)

 

携帯電話   佐藤 賢一

 

 最初に寄稿したときは、大学2年生の若僧で下っ端だったのが、もう後輩が下に2期もいる思うと時の流れとは、こうも早いのかと痛感します。今回はゼミ誌に寄稿する最後になるので何を書こうか悩みました(もちろん、筆無精も影響しましたが)。前回は、かたーいお話を終始書いていたので、今回はソフトなお話から書こうと思います。

 さて、某携帯電話会社のテレビCMで、おじいちゃんとその孫娘が携帯電話のメール機能で俳句のやりとりをするCMが放送されていました。CM自体は、ほのぼのした感じに仕上がっていますし、ターゲット層を高齢者に絞り、新たな市場開拓を狙う、老舗らしい経営戦略です。

 私達もCMのように、携帯電話同士でメールをやりとりしていますが、何故その携帯電話で直接電話しないのでしょうか。その理由は、通話代よりメール代の方がやすい、用件をコンパクトに伝えられる等がいろいろ考えられると思います。今日ではメイン機能、何時でも何処でも「電話ができる」よりも、サブ機能、インターネット接続して「電子メールができる」や「情報が瞬時に取り出せる」が一人歩きをしています。さらに、電話機能だけの携帯電話は珍しく、中には文字だけでなく、写真も送れる機能が登場する等、サブ機能が充実している携帯電話が支流となっています。

 思えば、「十円玉」をもって公衆電話(これも携帯電話の普及で大分見かけなくなりました。)に駆け込んでいた、小学生の頃を懐かしく思います。その小学生も携帯電話を持つ時代になっています。もしかすると「テレホンカード」を今の小学生は知らないのかもしれない(まして、略称の「テレカ」は論外かも)。

 テレカは、寮から家に電話するために、中学・高校時代、大分お世話になった。遠距離なので「度数切れ」(この言葉も懐かしさを感じるが)になる不安に駆られたこともあった(まあ、携帯電話でも、「電池切れ」という形でありますが)。今の中学生・高校生には、携帯電話は持っていて「当たり前」なのかもしれない。

 そうそう、「ポケベルが鳴らなくて・・・」と歌詞にあったドラマの主題歌、今は、間違いなく携帯電話の「着メロが鳴らなくて・・・」となっていると思います。大体、ポケベル自体が「過去の産物」で、希少価値の存在です。先のCM話でないが、ポケベル、携帯電話の両方のCMに起用されたアイドルは、その時代の変化を痛感したことでしょう。

 このような携帯電話に代表される通信手段の発達は、コミュニケーションの可能性を広げる一方、逆にその本質を見失う結果になりかねない。本来、直接相手に会って話をすること(会話)がコミュニケーションの理想的形態(本質)です。特に、しぐさや表情は、携帯電話等の音声やメール等の文字では伝達しにくい。と言っても、会話する機会をつくることは、なかなか難しく、携帯電話やメールを活用せざるを得ない。むしろ、それらを使い分ける方法をマスターすることでその結果は回避できると思います。

 最後に、携帯電話に限らず、日々変化・発展していく私達の生活ですが、その根底に流れる本質を見失わないようにしたいです(やっぱりかたーいお話になってしまいました)。

 

<コメント> 私自身は、まだ当分携帯電話を持つつもりはありません。周りを見回せば誰かがもっているから、なくても困らない?という横着さで頑張っています。しかし、私の妻は諸般の必要から、先日とうとう買い込んできました。私としては、携帯電話が国際的に通用するようになったら、つまり、外国に行っても、そのまま使えるようになったら買おうと思っています。しかし、その頃には、携帯がどんな顔になっているでしょうね。多分、今とはかなり違うものになっていることでしょう。

 

 読書とテレビ   難波 岳穂

 

 最近の不思議はというと、読書とテレビの関係である。

 読書とテレビの関係に不思議を感じたのは、そもそも中学三年生の少女と会話をしたことがきっかけです。

 彼女は、とても頭の良い子で、聞けば当然のごとく国語のテストはなんなくこなせるそうです。ですが一つだけ気にかかる事があるのです。その事は音読がにがてということです。私にも記憶があるのですが、とにかく本のページに並ぶ文字に目がチカチカして、とまどってつかえてしまったり、カタカナにびっくりしてしまったりと、とにかく音読になると彼女はだめらしいのです。

 彼女の読解力は良く(それは私も一緒に勉強していてそう思います)、読書感想文も学校の代表に選ばれる程なのです。

 私は当然のごとく彼女に、「本はよく読むの」と尋ねてみました。彼女は、「全然読まない」と。次に私は「マンガは?雑誌類は?」と質問をしてみました。すると彼女は「マンガはバスケしているからスラムダンクだけ読んだけど、嫌いだから読まない」と。「雑誌や新聞も読まない、見ても大きな文字のタイトルだけ」と言いました。

 私はとても驚き、「本当に」と言うのが精一杯でした。

 彼女は正真正銘のテレビっ子で、全ての情報がテレビからによるものらしいのです。

 私の頭の中で、「読解力を付けるために本を読みなさい!今の子は本を読まないからダメなんだ」という言葉がぐるぐる回って、なんだか聞いてはいけないことを耳にしてしまったような気がしました。

 私は、はっきり言って読解力が弱く、それを読書に励めば克服できると思い、大学に入学してからできる限り、興味にまかせて読書をするように心掛けました。その甲斐あってか少しはまともになったと思います。

 こんな私と彼女との会話の結末は、「何でもいいから良い物を見たり、聴いたりすることが大切なんだろうね。」でした。

 読書をして読解力がみがかれるのは、本当だと思います。ですが、私がいぜんとして不思議に思う事は、彼女のようにテレビっ子のままで良いのかということです。

 少なくとも「テレビを見過ぎるとダメになる」と言われた経験があるので、なんとなくしっくりこないのです。

 テレビと読書の関係とはについての問題に対しての私なりの結論としては、読書が基礎、テレビは発展、応用だと思います。

 読書は古典に触れる機会を与えるが、テレビは現代を目、耳にするばかりであり、とっつきやすいが第三者という媒体をかいした情報になりがちであるといえる。だから、その情報が単なる誤解ではなく、ゆがめられ誤解になりかねない危険をはらんでいると思う。

 読書は全体像を伝え、テレビは一部に片寄りがちであるとも思う。

 だが、いずれにしても、読解力とテレビのすすめとは、今のところどうなっているのか不明のまま、私の中で不思議なことのままである。

 

<コメント>ひょっとしてこれはホラー小説のつもりで書いた話ではないのですか?本当に実話ですか?少なくとも次の箕山君の怖い話?よりよほど怖い、何とも背筋の寒くなるお話ですね。多分、親がテレビを子守代わりに使ったのがこのような恐怖の物語を招いたのでしょうね。

 ここからは自慢話。私の子供の場合、彼が1才を過ぎて、絵というものに興味を示すようになったときから、私は市立図書館から絵本を借りてきて、毎朝1冊ずつ読んでやりました。成長にしたがって、だんだん複雑な本を借りてきてやりました。最初のうちは、毎朝読み切れる程度の薄い本でしたが、そのうち、何日か連続して1冊の本を読んでやるようになりました。続きを楽しみに、毎朝すんなり起きてくれるというすばらしい効果がありました。

 転機が訪れたのは小学2年生の時、西遊記を読んでやっていたときでした。ご存じのあの長さと面白さです。何としても翌日の朝の続きが待ちきれず、自分で読み始めたのです。そうなれば、読んでもらうよりも絶対に早く、あるいは自分のペースで読めるのですから、こちらの方がよい、ということで、本人からはっきりと、もう読んでもらわなくてよい、と申し渡されてしまいました。

 以来、彼は毎週少なくとも5冊(これが図書館で一度に貸してくれる限界なのです)、多ければ10冊読み続けていますし、もちろんそれとは別に本を買ってやりもしますから、年間に直せば4〜500冊程度は読んでいる計算になります。不思議なことに、これだけ読んで、なお作文は苦手なのですが、基礎はあるのだから、そのうち何とかなるだろうと楽観しています。

 だけど、もう中学になってしまっていたら、こういう手は手遅れでしょうね。

 

 箕山さんの小小説「写真」   箕山 達夫

 

 「ねぇ。一緒にとった写真が一枚もないね。」

 彼女が静かにようやく発した言葉にも、僕はいつもどうりにおどけた表情を作って、てれたようにこう言うしかない。

 「写真に写ると、魂まで抜かれちゃうからね。」

 僕は、写真が嫌いだ。

中学生のころだったような気がする。写真は、瞬間の時間を切り抜く芸術である、と誰かが言っていた。だとすると、写真のように、その瞬間だけが取り残されて輝いたりくすんだりしているように思えてしまう。

 一枚の写真に瞬間を切り取られた隣にいた彼女が、あるいは僕が、何年もたって一枚の紙の中で、あるいはディスプレーに映し出されたとしたら、僕は、いやむしろ彼女はどう思うんだろう。

 終わったのだから焼却しているだろう、とか、どうせ捨てるさ、なんていう可能性の話はまったくのナンセンスだ。

 写真が突然あらわれて、僕の思い出を、それよりも彼女のを、刺激するかもしれない。それが、いい刺激なのかどうか、だれがわかるんだろうか。つまらない娘だった、と思ってしまうのではないんだろうか。つまらない奴だと思わないといえるんだろうか。

 僕は恐いんだよ。

 二人の思い出が膨らんでいくとしても、切り取られた一瞬はそこにあるんだから・・・。

 

 夏の終わり、台風が運んできた潮風に、たばこの煙をふーっと乗せながら、彼はそういった。俺は、彼を見ながら何を答えるべきかを真剣に考えたが、海を眺めるふりをしながら腰をおろした国道のガードレールから、浜辺に降り立つしかなかった。ふと振り返ると、空を見上げながら奴は泣いているように、かすかに震えているようだった。

 「俺は、そんな事考えたこともなかったよ。でも・・・もし、それを見て何てつまらない娘ととか、今すぐに逢いたいなんて思えるようにしてくれるなんて・・・それは気持ちも写真が切り取ってくれてるからじゃないのかな。写真が閉じ込めた時間は、そのときの全てを閉じ込めていてくれるのかもしれないじゃないか。」

 俺はそういって、明るさを失っていく夕暮れの空をぼんやりと眺めていた。 END

 

<コメント>うん、なかなか芸術的な掌編小説ですね。私は小説を構想しても、すぐにちょうだい小説になってしまって、何としても短編が書けず、まして掌編小説は絶対駄目、という人間なので、掌編小説を書ける一は無条件で尊敬してしまいます。

 

 

世界でも綺麗な言語 ――日本語?!   若林  千寿子

 

今期は二部ゼミ生との合同ゼミとなり、このゼミ誌も随分賑やかになっていることだろうと、いまから楽しみにしている前ゼミ誌係若林です。

私は今、掲示板に凝っています。チャットと違い、他人の発言に対しゆっくりと考えてから発言ができる点が気に入っています。そこで思うことなのですが、パソコン上での発言は結構無法地帯なのだなぁということです。

面と向かって人と話しているのではなく、自分の部屋で一人でパソコンに向かっての発言。しかも匿名なので発言に対する責任も重く感じません。いくらひどい発言をしても、HN(ハンドルネーム)さえ変えてしまえば後追いされることはありません。そんなこんなで、けっこうビックリするようなことを平気で書き込んでいるので驚きです。

チャットはその場限りの発言ですが、掲示板は残るもの。もう少し考えた発言をするべきではないかと思います。あと、掲示板やメールなどの発達による、日本語表記の変化。フェイスマークや(笑)などの氾濫にも一言。

元々、(笑)は、雑誌の対談などである発言に対しその場が笑いで盛り上がった場合に使われていました。でも、現在の使用法は少し異なってきています。「ムカつく(笑)」「死ね(笑)」などの使用法です。つまり、生身では決して使えないような言葉と(笑)を併せて使うことにより言葉をソフトにするという用法です。(笑)を付けることで、冗談で言うニュアンスを出しています。

例えば「馬鹿だなぁ」という言葉があったとしても、それが嘲笑から出たのか、心配から出たのか、怒りから出たのか、その時々によって言葉の意味するものが変わります。だから、この(笑)や(^^;)は、その言葉のニュアンスを表わすには大変良い使用法だと思います。でも、これを付けたから全てがOKとは思いません。「死ね」や「去れ」といった言葉を簡単に使えてしまう環境は考えものだと思います。

自制できる人間が使うのであれば掲示板等は、全国の直接会うことも出来ないような人々と話をする機会が出来て面白いもの。でも、匿名だからといっておかしな利用者が増えるのはゴメンです。ネチケットという言葉もぼつぼつ知られてはきましたが、一人一人の心がけがなければ・・・・・・。

フランス語と並び綺麗な言葉と言われている日本語ですが、話す内容が汚ければしょうがないですよね。

 

<コメント>以下に書くことは、若林さんがメインに書いていることではなくて、末尾の一行に触発された話なのですが、確かに一般にフランス語は発音のきれいな言葉といわれ、特にフランス政府は病的な執念を示してフランス語の純潔性を守ろうとしています。が、私は何としてもフランス語がきれいな言葉とは思えないのです。昔、フランス語の勉強を始めたことがあるのですが、前の言葉の語尾が後ろの言葉にべたべたとつながって母音の発音が濁るのが、何とも不潔感があって生理的にいやで、旅行に困らない程度にしゃべれればいいや、と途中でうち切って、以来、やろうと思ったことがありません。

 私の経験で言うと、音として一番きれいなのは、中国語の中でも福建方言を声のきれいな女性が話すときです。北京官話になると、音が堅くなって、女性の場合でもあまりきれいと感じません。

 話はまた少し変わって、若林さんが話の中で述べているのは、発音よりも話し言葉としての美しさのことだと思うのですが、それに関しては、日本語に限らず、どこの国の人々も、大抵、自分の言葉に対するほこりを持っていると思います。ドイツのヘッセン州というのは、フランクフルトのある州ですが、ヘッセン方言というのは、標準ドイツ語を基準にすると、とてもドイツ語とは思えないほど強くなまっている言葉です。しかし、ある日本人女性がヘッセン人と結婚したところ、お姑さんから、ヘッセン語は世界で一番美しい言葉なのだから、あなたもこれが話せるようにならなければいけない、といわれて特訓を受けたという話を聞いたことがあります。こういう風に、まず自分の言葉の美しさにほこりを持てば、自ずと使う言葉にも気を遣うようになるものではないでしょうか。

最近思ったこと   石田 博之

 

皆さんはラーメンが好きですか?私は大好きです。一日三食ラーメンでも平気な人間です。特に私の住んでいる横浜には家系(イエケイ)ラーメンと言うものがあります。

家系ラーメンとは吉村家と言う店を総本山に、その弟子や系列の人間が〜〜家、〜〜家など、その店から派生したラーメン店のことを言うのです。

しかしその中で最近、私がお気に入りだった一軒のラーメン屋の味が落ちてしまった。その店は環状二号と言う道にあるのであるが、ここ一年でその場所にラーメン店が激増しラーメン街道と呼ばれるまでに至った。その影響で客は、分散し一軒あたりの収益が激減してしまったと思われる。そのせいでスープの回転数が落ちてしまった為か、または客の減少で経費の削減を迫られてスープの原料費を削ったかだと思うのだが、経済活動の自由とは言うものの、競争の末の悲劇である。

食べ物の競争悲劇と言えば、最近話題の価格競争。吉野家の280円牛丼も味は落とさないと言っていたが確実に落ちたように思う、吉野家の牛丼が好きだった私にとっては本牧家の味が落ちたことと同時にダブルショックだ。

またハンバーガーで言えば、マクドナルドの味が私は嫌いだ、数年前に創業当時の価格に戻すと言ったサービスを始めてから一気に味が落ちた。もちろんあの価格で販売する為にはコストを削減しなくてはいけないのは分かるのだが、私としては創業当時の価格ではなく創業当時の味に戻してくれと言いたい。

しかしそれが成り立つのも全て安いからと、マック、吉野家に駆け込む消費者の責任であると思う。

食文化云々について偉そうなことを言う気はないが責めて多少高くても、おいしいものを食べよう、おいしいものを社会に残そうとして皆さんには欲しい。もう吉野家のあの味は戻らないのだろうか?そう思うと、とても残念だ。

 

<コメント> 日本マクドナルドの社長の言によると、人間の味覚は5才くらいまでで一生が決まるのだそうです。彼の発言の凄みは、だから子供の頃にマクドナルドの味になじませてしまえば、もうお客は一生逃げない と続いていくところにあります。一企業の営業戦略として、一国家、というより世界的に、人間の味覚の構造そのものを代えてしまおうという訳なのです。だからネ、石田君、君のような回顧主義者は、もはや消え去る運命だけが待っているのです。

 うん、これもまた、難波さんの話に劣らず、ちょっとしたホラー小説ですね。

 

 

ゼミ誌を書くにあたって思ったこと→めんどくせ   岩谷 優太

 

ハロー!岩谷です。今日はテンション低いです。なぜなら、今これを、提出期限がせまったレポートを書き上げる気持ちで作成してるからです。

いやー、プロ野球が終わると(日本シリーズが残ってるが・・・)今年も残り少なくなってきたって感じになるんだよね。ついでにジャイアンツファンとして言わせてもらうと、最後の4試合、せめて31敗でいってほしかったね。全敗はないよ。長島監督引退、斎藤投手引退、淋しい限りです。甲子園は、まさか自分の母校が優勝するなんて思っても見なかったけど、ぶっちゃけ、そんなに嬉しくなかったね。だって選手は全国から引っ張ってきてるし、学校の規模が大きいから、野球部は遠い存在だったしね。例えば、日大野球部が大学リーグで優勝しても、嬉しいけどああそうなの。ていう感じ。そういえば、今年の夏はコカコーラのプレゼントキャンペーンに9口も応募したのにWチャンスも全部はずれた。思えばこういうものに応募して当った記憶がないんだよね。貧乏神にとりつかれてるのか()

さて話を変えよう。今は秋。最近自分の中で一番好きな季節が秋だと思うようになってきた。二番目は夏で、次が冬である。しかーし・・・、春は昔から大嫌いだ。花粉がひどいし、風が吹き荒れる、埃っぽい、それに、あの、じめっとした暖かさが不快でならない。バレンタインという余計なものもあるし、バレンタインといえば、苦い思い出もあるし・・・。んなこたあどうでもいいんだよ!秋といえば、もうじき冬。ウインターっす!そろそろ雪が恋しくなる時期でしょ。スキーは奥が深くていいよ。もしボードに飽きたのならスキーしてみれば。スキーに飽きるって事はない。早くスキーしてえなー。まあその前に就職活動を、ちょこっとやるけどね。地方がいいと思ってるから、次は札幌か新潟に行こうと思ってる。面接でアルバイトのことは必ず聞かれたけど、ゼミのことは一度も聞かれなかった。

まあゼミに入ればいい奴に出会ったりもするけど、卒論はだりーこと間違いなし!

 

<コメント> 面倒だと思っても、ちゃんとなかなか個性豊かな一文を寄せてくれた君に感謝します。ゼミ生でありながら、文を書かなかった君! ちゃんと岩谷君を見習ってこれからでも文をおくって下さい。ハードコピー版のゼミ誌は、もう締め切りは過ぎたけれど、インターネット版のゼミ誌はいつでも追加可能です。

 

 

 

 

赤坂ゼミから甲斐ゼミへ   小川 晃

 

甲斐ゼミのゼミ誌に文章を載せるということで、少し考えてみました。今、甲斐2部ゼミ生として活動をしていますが、ここに来るまでにはいろいろとありました。現3年生を除いて僕等4年生は赤坂ゼミのゼミ生でした。

昨年、赤坂先生が日大をお辞めになるということで、甲斐先生が代行として1年間赤坂ゼミを受け持って頂くことになり、 それならばいっそうのこと、2部に憲法ゼミを残す意味でも甲斐2部ゼミを立ち上げることになりました。2部ゼミ(4年生)の活動としては、ゼミ論が中心となっているのですが、毎回楽しく甲斐先生とディスカッション(雑談?)をしています。真面目なゼミ活動というよりは楽しいサークル活動になっているような気がしてます。こんなことでいいのか?と時折考えることがあるのですが、それは現3年生に期待するということで、ゼミを真面目に続けていってもらいたいと思います。赤坂ゼミから通じて甲斐2部ゼミ生はそれぞれ個性的な人間(ある意味まとまりが無い)の集まりでなかなか楽しいゼミ活動でした。この経験がこれから先何かの役に立てばいいのですが・・・。以上です。

 

<コメント> 赤坂先生と私は、同じドイツ系?の法学者ということで、同じ研究会に属していますから、今年も何回かお会いしています。たまには彼を囲んで話をするのもよいかも知れませんね。

 

 

 

 スキーと私   木田 圭祐

 

私の実家は長野県の山奥にある。冬になるとたくさんの雪が積もり、コンビニに行くのもひと苦労である。はっきり言って、不便である。しかし、スキーが大好きな人間にとっては天国の様な場所である事も事実だと思う。なんていったって私の家から一番近いスキー場までは、車で10〜15分程度である。30分以内と言われれば四つ程、スキー場を選ぶ事が出来る。そんな場所で育った私は、もちろんスキーが大好きである。そして、皆さんが想像するように、物心ついた時はもうスキーを履いていた。

 小学生になり、一応大会などにも出場していた。結果は全然出せなかったが、学校があるときは急いで家に帰り、そのままナイターへ行き最後まで滑っていた。土曜日は学校が半日で終わるのでそこからスキー場へ、日曜日は朝から晩まで滑っていた。冬休みともなると毎日毎日スキー場へ通い、昼飯もろくに食べずに、技術なんかあとまわし、という感じで、身長160センチにも満たない私が、190センチの板を履いて、ひたすら速く滑れるようにと練習した。皆さんもスキー場に行った事があるなら見たことがあると思うが、小学生ぐらいの地元の子供が、ヘルメットをかぶり、とんでもないスピードで滑っていくのを見たことがあるだろう。まさしくあれである。

 しかし、中学生になりサッカー部に入部した私は、部活に忙しくなり、スキーに行く時間がだんだん減っていった。高校生ともなると、他にやりたい事ができ、スキーが大好きなのに、スキーからはどんどん離れていった。

 大学生になった私は、ひょんなことからスキーサークルに入った。大学に入学した時は、サークルには入ろうと思っていたが、スキーサークルに入るつもりはなかった。なぜなら理由は簡単、実家に帰ればスキーが出来るからである。では、なぜ入ったのかと言うと、先輩や同期がとても面白い人間だったからである。ただそれだけである。だが、この先輩や同期、普段はバカな事ばかりしているが、スキーに関しては非常に真面目である。これがこの人達のすごいところであり、また、我がサークルの持ち味である。こうして私は、また大好きなスキーと出会ったのである。

ただ、小学生の私と、今の私とで、明らかに違う点が1つだけある。スキーが楽しいという想いは今も昔もなんら変わりはないが、スキーに求めるものが違うのである。小学生の私はひたすらスピードを求めた。上手いとか下手とかは関係なく、とにかく早い者が勝つ、そういう世界に身を投じていたからだ。それはそれで楽しい。しかし、今の私はスキーに技術を求めている。誰よりもより高い位置に自分の技術を持っていくことが、今の私の全てである。スピードを求めるのも、スキーの楽しみ方であることに間違いはない。しかし、それだけが全てだと思っていた私は、サークルに入り、技術を求めるのもまた、スキーの楽しみ方の1つだということに気付いた。

 私は、これからもずっとスキーを続けていくだろう。これからどんなスキーの楽しみ方に出会えるのか、とても楽しみである。

 

<コメント> スキーというのものに対する世代の差というものを感じさせる一文です。私が国家公務員をしていた頃、職場の同僚で、雪国出身者でスキーをするものは皆無でした。雪というのはひたすらいやなもので、冬になってわざわざ金を出して、その雪の中に生きたがる人間の気が知れない、というのが彼らの最大公約数的な意見。彼らだって、小学校の時には、ちゃんと学校の備品にスキーがあってやっていたゼネレーションなのですが、いったい何が違うと、こういうスキーに対する積極性が出てくるのか、と考えているところです。 

 

 

 サッカーの素晴らしさとフーリガン対策について   篠原 寛

 

93年、アメリカワールドカップ最終予選での「ドーハの悲劇」から4年・・・どん底から這い上がった我らがサッカー日本代表が、マレーシアのジョホールバルで起こした奇跡を皆さんは覚えているだろうか?それは現時点での日本サッカー史の中でおそらく最も輝かしい記録と言えるであろうと思われる、日本代表が初のワールドカップ出場を決めた事である。97年11月16日の夜、アジア最後の椅子を賭けた、VSイラン戦の延長118分、当時の日本代表最速FWの岡野が、まだ今ほど日本に名前が知れ渡ってなかった中田の放ったシュートのこぼれ球を押し込んで逆転した瞬間、当時高校生だった私の頭の中は真っ白になった。そして数秒後、私は号泣し絶叫した。夢にまで見た日本のワールドカップ出場・・・ついに日本も本当の意味で世界に挑戦出来る日が来たのだと思うと体が震えた。その嬉しさはとても文章で表現し切れるものではないのだが、ドーハの時にあと一歩のところで日本代表と共にファンの一人として涙を飲んだ人間には格別であった。試合後、当時私が所属していたサッカーチームの仲間達に一晩中、狂ったように電話を掛けまくったのも懐かしい。まさに、全てのサッカーファンにとって最高の夜であっただろう。(ちなみに決勝ゴールを決めた岡野選手を育てたコーチに数ヶ月間だけではあるが、私も指導して頂いた事がある。ちょっとした自慢だ・・・)

 このようにサッカーは、実に多くの人々を感動の渦に引き込む事の可能なとても素晴らしいスポーツである。(実際に数においても世界のサッカー人口は他の競技人口に比べて最も多いらしい)そんな素晴らしいサッカーのワールドカップが、ついに来年日本と韓国で開催される事になったのだが、日本のフーリガン対策は大丈夫なのだろうか?以前テレビでフーリガン対策の様子を日本と韓国が比較されていたのだが、どうも日本の対策は甘いのではないか?とボロクソに言われていたのを見た記憶がある。ワールドカップまで残すこと一年弱・・・その間、いちサッカーファンとして、日本代表の今後に期待を寄せる事と同時に、国や地域住民のワールドカップにおける安全対策の方にも期待を寄せながら興味を持って私は過ごしてみようと思う。以上

 

<コメント> タイトルを見て、実は、君が何か個性的なフーリガン対策を案出、提案しているのではないか、遠井に期待をしたのですが、がっかり。単に政府の偉い人に期待をするばかりでなく、何でもよいから、自分からの働きかけも考えてみましょう。

 

 

大学生活、最後の楽しみ   武田 奈穂

 

大学4年になってやっと、学生である事を実感した。

一年の時から今まで何故かとんでもなく忙しかった。

遊ぶ、という時間が本当に無かった。そして、あっという間に過ぎた3年間だった。

一時期はバイトを3つ掛け持ちでやっていた事も。今思えば、若かったな〜の一言に尽きる。今はもう、あの頃のスケジュールはとてもじゃないがこなせない(笑)

茨城の実家から通っている事も、時間が何故か無い事の理由の一つかもしれない。我ながらよく4年間通い通したと思う。

さて・・・何故今になってやっと「学生」という事を実感しているかといえば、それは時間にゆとりが出来た事。気持ちの余裕を持ってそれを楽しめるようになったからだ。

はっきり言って今でも忙しい事に変わりは無い。だがそれでも授業がほとんどなくなった事で、好きに使える時間が格段に増えた。

時間があると言うのは本当に有り難いことである。

今ではほぼ毎週末、唯一のストレス発散といっても過言ではないクラブ通いを続けている。

音楽に身を任せひたすら踊る。へとへと、汗だくになると、今生きているんだ。という妙な実感を得る。なんともいえない快感である。

そして、大好きなバスケット。学生バスケットはリーグ期間中、毎週末観戦に行った。場合によっては片道3時間かけて観に行く事も。果ては関西まで足を伸ばした。

好きに使える時間がある事も確かだが、それ以上に好きな事には時間を割こう・時間をなんとしてでも作ろうという気持ちが今は凄く強い。

見方によっては、今の方がハードスケジュールと言えなくもないのだが、全く持って苦痛にならない。自分でも不思議だが疲れていても・忙しくても、今を楽しまなくちゃと思える。そして、それを実行する事が出来る。

来年からは社会人。仕事も変わり、変則的な休日になり、自分の時間が減る事は確実だ。

だからこそはっきりいってかなり遅いスタートだが、大学生活最後の今、この3年間出来なかった時間を好きに使い、思いっきり楽しむという事を思う存分楽しみたい。

 

<コメント> タイトルの最後に句点がついている、というのはかなり珍しい。早い話、このゼミ誌の目次を見てほしい。他には一つもない。本稿の場合、「最後の楽しみ」という体言に句点がついて、それにより、本当に終わり、という感じが強く出ているように思う。こういう句点の付け方があるのだなということが判って、一つ勉強ができたと思っている。   

 

 

現代日本人の作法   長瀬 達三

 

 近頃の日本人は非常にマナーが悪い。一頃の(といっても江戸時代)日本は世界で有数のマナーの良い国であった。その頃日本に訪れた数々の外国人は、その日本人の様子を手放しで礼讃している。自分一人のことだけを考えることはせず、礼儀を尽くし、自己犠牲の精神の下、周りの人々を気遣い皆で楽しく生きていた。日本にはそういう社会のマナーがきちんとあり、かつ、守られていて、子供は幼い頃からその社会のマナーを親から教わり、まずは家庭から身につけていった。

 ところがどうだろう。現代のこのような事態を引き起こした要因は、核家族化等の様々なことが考えられるが、マナーを身に付けずに育った者であふれかえる日本は当時の人間から見れば信じられない光景だろう。

 一つ一つ具体例を挙げればきりがないが、ごく一部だけを挙げてみよう。電車の中で携帯電話を片手に、虚空に向かって叫んでいる若者。子供が電車やバスの座席を無駄に占領し、走り回っておたけびをあげていても何も言わない親たち。ごみ箱がすぐそこにあるのにわざわざ捨てずに置き去る者。初対面や目上の者に対して、少しも丁寧に話すことができない者。そして、この稿を読む方々には馴染み深い、某大学法学部二号館の禁煙リフレッシュルーム。禁煙の赤い文字が目に入っていないのか知らないが、堂々と煙草をふかして床に捨てる。まだ完成して間もない建物の、白く綺麗な床は無数の黒い点で埋め尽くされてしまっている。さらに、一号館の学生ホールや地階のホール。そこに置かれているテーブルは菓子類の包装紙や空き缶に占領され、煙草の灰が散乱してる。ホールのテーブルを夢の島か何かと勘違いしているのだろうか。私には全く理解不能の行動としか言い様がない。

 これらの例をみると、とてもかつてのマナーの良さで世界に賞賛された国の人間の振る舞いとは思えないであろう。確かに、江戸時代には電車も携帯電話も存在しないが、私はそういうことを言おうとしているのではない。現代には現代の礼儀や作法があるのであって、ただ、古くからある根本的な日本人の精神を忘れることなく、改めて学ぶべきなのではないだろうか、と言いたい。

 

<コメント> 江戸時代の日本人のマナーの良さというのは自然に生まれたものではありません。実は、五代将軍綱吉が、その独裁権力をフルに使い、違反するものには硬軟取り混ぜた締め付けを行って、日本人にたたき込んだものです。例えば、暮れになると、喪中につき、年賀状を遠慮します、という葉書が続々と送られてきますが、この喪中という概念も綱吉の政策効果です。綱吉というと、犬公方といわれて、生類憐れみの令ばかりが有名ですが、実は、そういう名前の法令は存在していません。彼が、その長い治世の間に発した様々な命令を総称してそう呼んでいるだけです。つまり、幕末の外国人が感嘆した日本人の礼儀の良さは、生類憐れみの令のおかげなのです。この礼儀の良さは、当然に長上に対する敬意を要求する結果、その頂点に立つ幕府の安定をもたらすことができ、徳川300年の礎になったわけです。

 明治維新は、この徳川体制を打破するため、その理論的バックボーンを破壊しようとしました。しかし、綱吉の施策があまりに巧みであったため、局部的な破壊ができず、社会全体のモラルハザードを招いてしまったのです。

 そして、今度は、明治政府が、いわばその廃墟の中から徳川倫理体制に代わるモラル体系を天皇制を中心に築いたのですが、敗戦とともに、これがまた、一体的に破壊されることになりました。その意味では、マナーの欠如は現代日本の構造的要因と言うことができます。

 したがって、徳川の昔に帰れ、という主張にはあまり首肯できないのですが、しかし、戦後半世紀を経て、なお戦後型の標準モデル的なマナーの確立ができていないのは悲しいことです。今日における新しいモラルの確立の必要という点についてはまったく異論がありません。

 

 

法の裁き   西窪 渉

 

2001911日、アメリカのWTC(世界貿易センター)ビルが、そしてその直後に、首都ワシントンD.C.において、ペンタゴン(国防総省)が、イスラム教原理主義勢力と見られるテロリストによる攻撃を受け、数千名の死者を出す史上最悪のテロ事件となった。

ブッシュ大統領が、半日経ちホワイトハウスに戻って、国民に対して合衆国大統領としての演説をした。しかし、大統領の演説の中で「必ず犯人を捕まえて"法の裁き"を受けさせる」と言っていたが、実は、ここに問題の根が潜んでいるのではないか?イスラム原理主義勢力は、このアメリカが標榜している""そのものの秩序を問題にしているのであるから・・。ところが、一方の当事者であるアメリカは、そのことに全く気付いていない。その証拠に、今回でも、アメリカの特定の施設が狙われたのに、ブッシュ大統領は「人類文明全体に対するテロだ!」と言い切った。相手が火星人ならまだしも・・。私は、何も今回のテロを肯定している訳ではない。しかし、お互いが原因をよく考えなければ今回のようなテロはいっこうに後を絶たないであろう。 

私が言いたいのは世間でよく「イスラム原理主義」という言葉が使われるが、あるいはニュースなどでも、「熱狂的なイスラム教徒」や「狂信的なイスラム教徒」というような表現がよく使われるが、何も原理主義はイスラム教徒に限ったことではなく、アメリカも極めて宗教的な国家であり、アメリカのキリスト教は原理主義であるということである。

今回の惨劇は事件報道には珍しく、まさにその決定的瞬間のシーンが非常にはっきりと映し出されていた。この時に気になったのが、画像を撮っているカメラマンが、思わず「Oh! My God!」や「Jesus Christ!」などと、カメラのファインダーを通して、思わず声を挙げているということである。しかし、ここで挙げている声は、「Allah!(アラーの神)」でもなければ「南無阿弥陀仏」でもない、「Oh! My God!」や「Jesus Christ!」なのである。彼ら自身が気付いているか気付いていないか判らないが、ここに登場する「God」は、あくまでも彼らの「My God」なのであって、彼らが「My God」と言うときの「God」と、神風攻撃をしたテロリストの信仰する神とは違うということが判っていないのである。 この世の中に2つの原理主義勢力が同時に存在していたとしたら、この2つが真正面からぶつかり合うのは、当然のことである。自らの正当性の証明は、相手を打ち倒す以外に方法はない。そう、彼ら一神教の宗教の教えの中には、こういう文句もあったはずである。「目には目を。歯には歯を

 

<コメント> 「アメリカのキリスト教は原理主義である」というのは間違いです。正しくは、「アメリカのキリスト教徒の中には原理主義者がいる」というべきです。南部のいわゆるバイブルベルトといわれるような所に多くいます。どうも原理主義という言葉を理解していない気がしますから、補足すると、文字通り聖書の定める原理に従い行動するという思想のことです。政教分離原則を否定し、政治から法律から生活の隅々まであらゆる部分を宗教原理で支配すべきである、と主張するわけです。しかも、そういう人ほど聖書の理解の仕方が極端です。タリバンにおける政教一致がどんなものであったかはかなり報道されていましたが、キリスト教原理主義者の場合、例えば、日曜日は安息日ですから、文字通り一日何もしない(例えば暗くなって電気にスイッチを入れるのも労働だから、一日くらい中で過ごす)というようなことを、他人にも強制しようとします。したがって、ブッシュのように、日曜日にもばりばり仕事をしているような男は間違っても原理主義者ではありません。

 もう一つ、補足しておくと、Oh! My God!」や「Jesus Christ!」というのは悪態です。つまり、日本語に訳するとすれば、「畜生」とか「くそ」と言う語をあてるべき場面です。もちろん、英語でも、「くそ」という言葉にあたる「shit」という言葉がありますが、日本語の語感に比べるとはるかに汚らしいので、このように神様の名を代用に使うのです。しかし、このように、神の御名を悪態に使うというのも原理主義者の非常に忌むところです。だから、原理主義者は間違ってもこういう言い方をしません。

 どうも教師根性丸出しのコメントになってしまいましたね。

 確かに、君の言うとおり、この事件の基本に二つの一神教の対立があることは間違いありません。ブッシュが最初の頃、うっかり十字軍という言葉を使ってイスラム諸国の反発を招き、あわてて撤回したのは、そのことをよく示しています。

 

 

 

社会人大学処世術   宮本 洋美

 

 卒業式で袴を着て学友と共に武道館に行くんだ!それだけを夢見て四年の月日が終ろうとしている。看護学校の卒業式は白衣だった。それで毎年春になると振袖・袴のお嬢さんが学友と共に武道館へ向かうのに憧れた。今年この「振袖・袴のお嬢さん」になりきって「学友」と共に武道館へ行くには、社会人だからこそできる処世術が必要なのである。

 社会人は学費を自分で稼いで支払うので授業を無駄にするという観念がない。これは、授業に必ず出席するという意味ではなく、受講しようと思う講義に自分が汗水たらして稼いだ金を支払うだけの価値があるかどうかを評価するという意味だ。評価の仕方は、先生の態度・進行・内容・自分の仕事との関連性などの総合評価である。めでたく受講の価値を認められた授業には、条件のいい合コンを断ってでも出席する。

しかし大学にはその価値に見合わないものでも「これを取らなきゃ卒業させない」という課目がある。これらの授業は大抵、一度出席しただけでは理解できない。社会人は明日への活力補給のため「仮眠の時間」としてその授業に参加する。結果、その講義は有難味のない経文と化す。ここで大変貴重なのが社会人でない学生である。かつて私達も経験したかわいらしい悩みを抱える彼らは、過去問や出題傾向をつかむ広いネットワークを持っている。私は毎年、我が家で後期試験対策勉強会を開いている。社会人は情報を求めてやって来る。純粋な学生は、食事の提供と社会人なら買える高価な教科書のために書店では買うことが出来ない過去問や出題傾向を探ってやってくる。書店では入手不可能な彼らの情報は、大変貴重であるが非常に安価でもある。時にはコピー代だけなのだから。

 社会人間では、より高度な専門知識を生かした情報交換が行われる。例えば、租税論は税務署職員が、心理学は看護婦が、国際紛争関係は自衛官が、それぞれの専門分野に近い分野で模範解答やレポートを作成する。現役スペシャリストの意見である。教科書よりずっと勢いがよく、理にかなっている。

社会人が大学という世を渡っていくのに必要な物は、情報網とさりげなく情報提供料を支払う能力である。おかげで私には「学友」がたくさんできた。春にはきっと振袖・袴を着て学友と楽しそうに武道館へいけることだろう。うん、たぶん、きっと・・・・。

<コメント>君の袴姿を楽しみにしています。その時になったら、写真を撮ってここにアップロードしましょう。

 

 

3年生(9期生)

 

ストレスを撃退せよ!   飯田 浩史

 

 ストレスに対する一番の対処法はストレスを溜めないことだと考える。こう言うとストレスは溜めようと思わなくても自然に溜まってくるんだ、と反論されるだろう。しかしやはり、私はストレスは溜めないことができると考える。要は考え方次第である。

 ストレスが溜まるには何かしら原因があるはずだ。私はそれは2つに分類できると考える。すなわち、自分に関する原因とそれ以外の原因である。前者は例えば、自分の顔や体型が嫌いであるとか自分の能力が劣っていて何かをすることができないことなどである。また後者は例えば、嫌いな人間と関わらなくてはならない状況にあることなどがある。普通にストレスという場合、たいていはこちらを示しているだろう。どちらの場合でも原因がわかれば事は簡単である。原因を解消すればいいのだ。とはいっても当然、すぐに解決できるものもあればどうにもできないものもあるだろう。では解決できない原因がある場合はどうすればよいのだろうか。以下で自分に関する解決可能な原因から順に検討していくこととしよう。

 第一に、自分に関する解決可能な原因(以下、第一の原因という)とはどのようなものがあるだろうか。先に例示した能力不足によってできない場合はこの類型に属しよう。つまり現時点で何かをできないということはストレスの原因になる。言い換えれば、できないことによってその何かに対する熱意や関心がそがれる。これはストレスだと思わないかも知れないが、きっとその何かに対する関心は潜在意識に残り、ずっと気になっている状態から抜けられないから、新しいことをするにも「できないのではないか」と躊躇させることで障害となってくるはずだ。こう考えるとやはりこの第一の原因は重大なストレスの原因といえる。もしかしたら一番厄介な原因かもしれない。しかし、この第一の原因は、解決方法が明白である。できるようになるまで努力して、できる体験をすればいいのだ。そうすればできないという不安は解消される。もちろん、言うは易しである。だが、解決する方法が明白で解決することが可能ということからストレスを溜めないようにすることを自分でできることがわかっていただけただろう。

 第二に、自分に関する解決不可能な原因(以下、第二の原因という)について検討しよう。例えば背が低くてこれ以上伸びるような年齢でもないことなどがこの類型に属しよう。もっと深刻な例を挙げれば生まれつき障害を持っていることなどがいえる。この第二の原因はその人にずっとつきまとっていく問題である。したがって、どうしようもないのだから、そのことをそのまま受けとめて気にしない、とするほかない。もちろんこれも、言うのは簡単で、障害者達などがどれほど苦しんでいるのかは、その立場に立ってない私にはわからない。だが驚いたことに、以外にも健常者よりも生き生きとした障害者の方を時々見かける。このような人はどうしてストレスを感じないでいられるのだろうか。

この問いに対する答えは実はこの文章の主題でもある。私はこのような人はいつでもプラス思考のできる人達であると考える。プラス思考とは、どんなに悪い状況でもいい方向に向いていると考えることである。例えば、上司に仕事の事でさんざんしつこく叱られたとする。そして普通ならこう考える程ひどかったとしよう。

「うるせーな、わかってんだよもう。同じ事何度も言ってんじゃねーよ、バカ。」

では、これをプラス思考で受けとめたらどうだろう。

「こんなに熱心に叱ってくれるなんて、上司は僕のことをちゃんと考えてくれているんだな。よし、次は叱られないように完璧にして報告しよう。」

この違いはすぐにわかるだろう。確かにこれは極端な例ではあるが、要するに前向きに考えるということである。ただこれを単なるのんきな人間だと解してもらっては困る。この例の場合はちゃんと反省して次はしっかりしようと考えている。この点で叱られたことも忘れてしまうようなのんき者とは、その後における成長が全く異なるのである。

 話を戻そう。前に書いた通り、健常者よりも生き生きとした障害者の方がいる。私はこのような人はプラス思考ができる人だと考える。これがどういうことか上の例でなんとなくわかってもらえたと思う。つまり、このような人は障害者であることを受けとめて気にせず、むしろ自分は障害があるために健常者よりも多く努力できる機会を与えられたと考えるのである。まあ、これは私の推測であるが、おそらく同様の考えをしていると感じられる。そのくらいプラス思考の人間には活力がある。もう、この第二の原因の類型における解決方法は明白であろう。つまりプラス思考をすることである。そして、これも考え方によるので、自分でストレスを溜めないことができる。

 続いて第三の類型をみていこう。自分以外の原因で解決可能な場合である。例えば、バイト先に嫌な奴がいるという場合が考えられる。この場合、その人と関わらないとか、そのバイトをやめるという方法で容易に解決できる。これがもしその人とどうしても関わらなければならないとか、家族を養うために仕事をやめることができないという場合は次の第四の類型の問題となる。

 第四の類型は、自分以外の原因で解決不可能な場合である。ここまで読んできた方ならこの「解決不可能」という言葉に違和感を覚えるだろう。その違和感の内容はおそらくこういうものと思われる。

「先程のプラス思考で考えれば、相手が嫌な奴だろうといちいち気にせず、自分のペースを保っていられる。そうであればストレスは溜まることなく、もはや解決すべき問題すら生じない。だから不可能なんてことはなおさらないのではないか。」

これは全くその通りである。ただそれは程度によって違うと思うだろう。だが、強度のストレスでも強度のプラス思考をもって対抗すればなんとかなるものである。

 これで4つの類型を見てきたわけであるが、どれも解決可能なことがわかってもらえたことと思う。そして自分でストレスを溜めないようにすることができるということも納得していただけただろう。では次にこれに関連した新たな2つの場合についても検討してみようと思う。

 まず1つ目は思い込みに関する問題である。人は期待されると、普通はそれにこたえようと努力するだろう。そしてその期待にこたえられればそれは一番いい結果が出たといっておしまいである。また、それができなかった場合は、あきらめる場合もあるが、第一の類型のように更なる努力によって達成するということも可能なので、解決方法は目に見えている。問題は、おおよそできないのに引きうけてしまって、それを自分の義務と思い込んでしまうことである。これは達成できるまで多大なストレスを背負うことになる。できなかったとしても非難されるわけではない。期待外れだと言われても勝手に期待したんじゃないか、と言い返していい。このような場合に義務と思い込んでしまうと、できなかった場合のダメージが大きい。そこでこの場合にもプラス思考が必要になってくるということになる。つまりこう考えればいいのだ。

「期待にこたえられないのは残念だが、これができなくても死ぬわけではない。それにこれができなくてもあれができれば大体の目的は達成できる。だからまずはあれをできるようになってその後も努力してこれができるようになればいいか。」

こう考えれば気持ちはずっと楽になるだろう。そしてまた1つわかったことは、思い込みもストレスの原因となるということである。気をつけよう。

 次に2つ目である。もう気がついていると思われるが、今までの話はストレスの原因である相手にしても、通常の行動以外の行動は起こさず、紛争も話し合いで解決できるような相手を想定して進めてきた。だが現実はそのような場合だけとは限らない。本当にストレスの原因となるような人物は通常の行動を超越した行動を起こす人物であろう。この場合にこちらがいくらあの人は本当はいい人なのだと考えようとしても無駄である。その相手を変えるしかない。しかしそれで簡単に納得(正常化)するような人物であれば、最初からストレスの原因となっていないだろう。この場合はしかるべき専門家に頼むのが一番いい方法ではないかと考える。例えば、弁護士、警察官、医師などである。自分で背負っていかなければならないから人には頼めないと考えるのは、上の思い込みの場合における問題の範疇である。自分でできないなら人に頼んで協力してもらう。これは何らはずかしいことではない。上手な人間関係を築くことでストレスは大幅に削減されるのである。

 プラス思考は、そうしようと思えば簡単にできることである。それをするだけで細かいことでイライラせずにいられるのだから、これはしないと損であるとも言えるだろう。私もプラスに考えることで、ストレスをほとんど感じない生活を送っている。それは、お前が今幸せな環境に暮らしているからだ、と反論が出されそうであるが、私は、もっと大変な状況に置かれたとしても、プラス思考を駆使してストレスのない生活を送っていく自信がある。これこそ臨機応変に対応できる最高の武器である。

 この文章を読んで「そんなうまい話があるわけない。」と考えた人、残念だが、あなたには、私の言いたい事が伝わらなかったようだ。それも仕方ない。反対に「プラス思考をすればストレスがない生活を送れるんだ。よし今日から早速心がけて実践してみよう。」と考えた人、気づいているだろうか。あなたの中でプラス思考はすでに始まっている。

 

<コメント> ストレスstressという英語を調べてみましょう。努力、緊張等の意味があがっているはずです。要するに、ストレスとは人間が生きていく上で欠くことのできない張りのことなのです。だからストレスを完全に撃退すると、人は死んでしまいます。これは別に人間だけの問題ではありません。動物実験で、完全にストレスを取り除く環境を作り出し、そこに動物を置くと、その動物はあっという間に死んでしまうのです。人間とは、自分にストレスをかけることで生きていく生物と言っても過言ではありません。例えば、君たちがわざわざ大学に来て、好きこのんで試験を受けようとすること自体、それはストレスを自分から求めているのです。

 私など、例えば原稿をいつでも良いですからお願いします、等と頼まれるとちっともやらないものですから、必ず期限を決めるように頼みます。つまり自分から自分にストレスをかけているわけです。その方が集中的によい仕事ができることが経験的に判っているからです。

 君たちに、例えば司法試験には現役で合格する、とまず自分で決めろ、とよく教えています。これも、そういうストレスをかけることで、勉強の能率がはるかに向上するからです。

 だからストレスを敵視するのはやめましょう。じゃんじゃん自分にストレスをかけていくことが大切です。

 問題は、どんなことでもそうですが、過ぎたるは及ばざるがごとし、ということで、ストレスが過度になると、それで身体に無理が出てきます。その意味で、ストレスをコントロールする技術を開発することが大切です。飯田君のプラス思考は、そのよい手段と思えます。

 

 

 

煙草と私   佐藤 公彦

 

 「煙草を吸う奴は人間じゃねえ」と、友達に言われた。まあ、その通りかなと思った。だって、ここまで発ガン性がある物質を含み、相手に迷惑をかけることを認識しているのにもかかわらずそれでもまた買ってしまう。「病気の素」が自動販売機で売っているのもすごいことだ。体力の低下も著しい。階段の昇りぎわで息が切れる始末。

 こんなにデメリットがあっても私は煙草をやめない。国が「煙草取締法」なんかを作っても私は愛煙ゲリラとして戦うだろう。何故かといえば、現時点における煙草を吸うことのメリットの方がデメリットを上回っているだけのことである。健康だって以前と変わらないし、まして将来のことなんか分からない。体力の低下はこの際、年齢のせいにしてしまう。相手に迷惑をかけてしまうのが一番のネックであるが、ポイ捨ては絶対しないし、吸わない人の前では絶対…いや、なるべく吸わないようにする。これを「マナー」と位置づけるのは少々ずうずうしいので、あくまで自分の煙草愛を正当化するためのこじつけであると私は捉えたい。

 では、メリットは何であろうか。味とか、においとかは別に興味がない。大人へのあこがれというのも、20歳を越えた私には、おっさんくささしか煙草に対して大人を感じなくなってしまった。だが、煙草は私に対して「間」を与えてくれる。どんなにせっぱつまっていても、煙草を吸えば落ちついた気分にしてくれる。科学的な話はさておき、煙草を吸っていると主観であった自分が客観になれ、客観である自分が主観である自分を休ませてくれる。リラクゼーションの効果ともちょっと違うが、自分以外の物事が煙草を吸う前よりも、はっきり見えてくる。だから、1人で吸うと、自分を見つめ直すいい「間」を煙草は与えてくれるし、外で吸えば世の中の動きが分かった気になれる。そして皆で吸えば…ただの迷惑かもしれない(笑)。

 最後に私は愛煙家きどりをして以上のような文章を書いてきたが、1日に何本吸うかと問われたら、それは10本程度である。それを越えると逆にナーバスになってしまう。何故なら、主観である本来の自分が煙草に屈服して客観であり続けた結果、何の作業もはかどらないからである。頭の中はもう、白い煙だけ。煙草を吸っていないと気がすまない。恋人だって、いつでも会ってたらやがて飽きてしまうでしょ。だから、私も最愛なる煙草に対しては、2時間毎にしか会いたくはないのである。

 <コメント> 一日10本というのはやはり危険ラインを超した危険な喫煙量といえるでしょう。リラクゼーション効果なら、せいぜい2〜3本程度で間に合うはずです。たばこの害というのは、ボクシングのローブローと一緒で、じんわり効いてくるところに問題があります。肺というのは、人体の中でも非常に変わった点がいろいろとある器官ですが、その最大の特徴は、いったん入った異物を排出する能力がまったくない、という点にあります。塵肺病という言葉を聞いたことがあると思います。肺に入った細かい粒を肺が排出することができない結果、肺全体がかちんかちんに固まって、徐々に窒息死する、という恐ろしい病気です。一頃、小学校などの建物の天井のボードに、石綿が含まれているといって騒ぎになり、かなりの費用をかけて撤去したのですが、覚えていますか? これも空気中に舞う細かな石綿の埃を吸い込むことが問題視されたのです。このことをたばこの場合にあまり言わないのは、癌のおかげで、たばこの煙に含まれる炭素の微粒子の害が問題になるほど、ヘビースモーカーは長生きしないからです。しかし、佐藤君のように、ヘビースモーカーとはいえないほどの煙草のみの場合には、これを真剣に心配すべきです。癌ならひと思いに死ねますが、徐々に窒息死していくのは辛いですよ。階段で息が切れるとぼやいていますが、只寝ていてもそういう状態に、あと何十年かするとなります。

 

 

私と過ぎ去った高校野球   積 和夫

 

 今年の夏の甲子園は、我日本大学の附属校である日大三高の史上最高打率での優勝で幕を閉じた。

 僕は毎年この期間はテレビに釘づけになってしまう(今年はそんなには見なかったが…)。

そして思う。彼らは甲子園で野球ができていいなぁ…と。何故なら僕も3年前までは高校球児として甲子園を目指していたからである。僕が所属していた野球部は甲子園出場経験もあり、OBに元中日ドラゴンズの抑えのエース・鈴木孝政氏や元阪神監督・中村勝弘氏等がいる千葉県下では名門の部類に属するチームだった。

 僕らの代は、くしくも、あの世紀の怪腕・松坂大輔を擁する横浜高校が春夏連覇を達成した(1度だけ松坂の球をおがませてもらったことがあるがバットを振ることすらできず、本当に高校生かと疑ったものだ…)。

 そして僕らのチームはというと、Aシードとして千葉県大会に望んだが初戦で散った…。

 今、改めて思うのは、当時は自分たちが甲子園に行くものだと確信していたが、それはかなり難しいことだ。今、僕が目指している司法試験は30000人中1000人合格できるから確率3%であるが、甲子園に出場できるのは約4000校中49校であり、その確率は1.25%だからである。

 しかし、これは、あくまでも全国を平等に見た場合の数字であり現実はそうではない。

 何故なら、鳥取県なんかは30校中1校の出場だが僕の高校の属する千葉県は180校中1校の出場であり、その比率は1:6だからである。ちまたでは議員定数不均衡が憲法14条違反だ何だと騒がれているが、世の高校球児にとっては、こっちの方がよっぽど14条違反であろう。

 今、こうして考えてみると高校野球の世界には法律に反しているのでは?と思わせることが結構多い。

 まず第1に入部から退部までの間、たいがいの高校では坊頭という慣行令がひかれている。これは、戸波説をとるなら確実に自己決定権(憲法13条)とのからみで問題があろう。

 そうして入部すると第2にこれは拷問ではないかと感じる不合理な練習が待っている。

 僕の脳裏に残っているものを書き出すと、@前の日に九十九里浜を横断して足が動かないのに8.5km走らされ、その後200本ノックA練習試合で10点差つけて勝てなかったので、その後300mダッシュ20本B炎天下の中でのいつ終わるともしれないランニングC学法石川高校での約2kmの坂の10往復等々。これは間違いなく不作為による暴行・傷害であろう(刑法208条、204条)。

 そうして第3に同じ坊主あたまで同じ練習をしたのに試合に出れない者がいるということ。憲法14条における「機会の平等」って何なのだろうと考えさせられてしまう(まぁ14条は国vs私人なので問題とするのがおかしいというのはわかっているが心情として…)。

 それによってやめていった者が僕らのチームには3人いて、最終的に最後の夏にベンチに入れなかった者が5人もいた。この8人の心情を考えると自分がベンチに入り、試合に出ていいのかと思うこともあった。

 このように不合理なことが多い高校野球界だが、それでもすたれないのは、甲子園という何ものにもかえがたい、大目標がそこにあるからなのであろうと僕は考える。

 だから前述のように僕は、甲子園に出ている高校球児はいいなぁと引退した今でさえ思うのである。

 

<コメント> 私人の間だから14条は適用にならない、とあきらめるのは早すぎる。これについては幾通りかの理論構成を考えることができる。

 その1 直接適用説 14条に限らず、人権規定は私人間にも適用になる、という考え方。

 その2 間接適用説 積君のいう信じられない格差(千葉でさえこうなら神奈川はどのくらいになるのだろう)を考えると、明らかに公序良俗違反である!

 その3 準国家機関説 とにかく高校野球といえば国民的大行事というのは、衆目の一致するところ。例え、私人が主催者でも、その持つ高度の公共性から、公的機関と同様に憲法の直接適用がある、というべきである。

 と、いま思いついたところでも、これだけ。後捻ればいくらでも出てくるはず?司法試験に通ったら、初仕事に、訴えてみる? 

 

 

私と愉快な仲間たち   沼田 明美

 

 ゼミ誌の原稿を書くにあたって、自分のことを沢山書くのはどうも気恥ずかしい!なので、勝手ながら私から見た9期生の皆さんの紹介をしたいと思います。

 飯田君・・・パソコンを操る、頼りになるゼミ長。ゼミ誌もほとんど手伝ってもらいました。ありがとう!普段は、いつもポ〜っとしてますね。怒ることは、あるのだろうか。仏のような人です。今度、一度激怒したところを見たいものです。個性豊かなゼミ生をまとめるのは大変ですが、これからも頑張ってください。

大竹さん・・・ほのぼのさん。いつも笑顔で和みます。沙代ちゃんの怒ったところも見たことがありません。私は怒りっぽいので、いつも笑顔でいられる人にあこがれます。でも、お酒にはめっぽう強い!何杯飲んでも顔色が変わらないのは、すごいです。恐るべし。今度、お酒に強くなる秘訣を教えてね。

佐藤(公)君・・・彼の初めの印象は、「軽ッ」という感じでした。でも、実はそんなこともありません。本当は、真面目で誠実な人です(ちょっとほめすぎたかな)。今まで、散々彼の不幸を目の当たりにしているので、これからは幸せになって欲しいです。どうして、ダメなのかね〜?私も、素敵な人が佐藤君の前に現れるように祈っています。 

積君・・・一見、とても近寄りがたい人です。でも、実はおしゃべり。特に野球の話をさせたら、日が暮れてしまいそうです。ものまね(ex.坂田先生 でもあんまり似てないよね)や、ギャグなど面白い人ですが、勉強の鬼でもある!その怖いくらいの集中力を私にもわけておくれ。

千田さん・・・きちんとお化粧をしているお姉さんタイプ。お化粧できる人って、尊敬します。うらやましい!大人しそうだな、というイメージは合宿で崩れ去りました。悪い意味ではなくて、良い意味でね。こう、キッパリとしてるよね。結構私と似ていると思います。また、色々とグチを言い合いましょうね。

沼田さん・・・これ、私です。んー、この人は、よく見た目とのギャップが激しいと言われます。大人しそうに見えるそうで。実は、正反対なのに。初対面では、ニコニコ大人しくしているので、それで勘違いするのかな?話しているうちに本性が出てくるタイプです。また、結構怠け者なので、ゼミでも皆さんに助けられっぱなしです。天使のような皆さん、ありがとう!そして、これからもよろしくね〜!

・・・というわけで、みんなとても良い人ばかりです。もちろん、先輩方、後輩たちもです。これからも、楽しいゼミにしていきましょうね!

 

<コメント> ニコニコしているように見えて、こんなに鋭い人間観察をしている。ウム、要警戒人物ですね。ここに書かれていない人も、おなかの中でどんな評価を受けているのか、心配になりませんか?

 

 

 共に生きるということ   大竹 沙代

 

 私が、司法試験を受験するわけでも公務員試験を受けるわけでもないのに、このゼミに入った理由は、障害者の人権とかを勉強してみたかったからだったのだが、今そんな私にタイムリーだと言わんばかりに、障害者運動がさかんになりつつある。それはなぜか。

「学校教育法学校教育施行令」を改定しようと文部科学省が動き出しているからだ。

未だ全容がハッキリと示されていないのだが、医療技術の発展などに伴って養護学校に行くべき「障害児」の基準が改定され、今まで就学指導委員会などで、養護学校か普通学級かある程度、地方の裁量と親の希望に任せられていた学校の選択が、一部の児童にとってはよいのだが、「医療的ケアの必要な子」「他人とコミュニケーションのとれない子」「重複障害の子」は養護学校に行くのが適当とされるそうだ。そして、言葉では示さないが問い合わせがある場合には、そういう子供が普通学級にいる場合には「違法だ」と答えるらしい。今、埼玉県には文科省のいう「違法者」というべき子供が3000人普通学級に在籍している。その子たちはどうなるのだろうか。

 ところで私が障害者に関わり始めた理由なのだが、私には別に身内に障害者がいるというわけでも、熱い志があるわけでもなく教職の実習で行った施設の母体が「障害者と健常者があたりまえに地域で暮していく」ということを目標にしているところで、なんとなく関わり始めたら今では自分でも想像していなかった位そこにつかってしまっている、という感じ。そういうとこで、「教育問題」と言っても、その年代の子供はいない。

だが、就労や自立を問題にしたときに教育問題というのは、障害者の就労・自立と切っても切れない問題となる。なぜなら、小学校から養護学校に行った場合、ほとんどが徒歩何分という場所に養護学校はないからバスで遠く離れた学校に通うことになる。そして高校までの12年間、近所に知り合いもなく養護学校に守られて育つ。養護学校は普通学級とは違いクラスの児童数は10人前後(障害の程度によるが)、その限られた社会で育ってきた児童が学校卒業後、ポンと外に出されたらどうなるか。「共生・自立」と言ったって、すぐにできるわけがない。だいたいの人は(本人も家族も)外に出るのが怖い。「20才こえて始めて電車やバスに乗る」という人もたくさんいる。養護学校は普通学級に比べると約10倍の予算がかけられている。その予算の使い道も考えていかないといけないと思う。

なぜなら養護学校卒業後、一般就労(民間企業)に就いたデータを県は示すが、それは殆ど小学校、中学校を普通学級で過ごして高等部だけ養護学校に通っていたという子なのだ。小学校からずっと養護学校育ちの子は、ほとんど一般就労に結びついていない。福祉施設か作業所、在宅となっている。色々な原因があると思うが、私は一番の原因は社会に出るまでのコミュニケーション不足だと思う。「守る」という言葉で分けられた空間・障害者であるということ。仕事もそんなに出来なければ一緒に働く人とのコミュニケーションもとれない。そして、分けられた一方でもある私達も、どう障害者と接していいかわからない。となれば就労に結びつかなければ、結びついてもすぐに離職という道につながってしまうだろう。

 だが、養護学校を必要としている人もいる。私達は「障害児と健常児の完全統合教育」を目指しているわけではない。今の「原則統合・例外分離」を文科省の目指す「原則分離・例外統合」にして欲しくないと言っているのだ。私は、障害者だからこそ分けて守るのではなくて、障害者だからこそ多くの選択肢が与えられないといけないのではと思う。私の関わっているところは埼玉県でも結構名前が知れている団体で、さらに埼玉は「障害者運動」に関しては「何をしでかすか分からない」と他の県の障害者団体からも言われているらしい。マスコミからも取材依頼などもきている。今、現実的な動きとして国会議員に働きかけ、そして埼玉県庁にもだ。昔、障害者らが知事室前に座り込みをして勝ち取った「確認書」(県と障害者が話し合いの場を設ける旨が書かれている)による「県教育交渉」(総合県交渉というのもある)において、親→「3000人といわれている違法児がみんな養護に転校したらどうなるんですか!」、県庁→「財政困難になります」、親→「じゃあ一緒に国と戦いましょうよ!」という会話が交わされたからだ。きっとこれは現実にはならないのだろうが、緊迫した空間の中で初心者の私にも少し面白かった場面でした。

 だけど、私達が思わなければいけないのは私達だって「障害者」から切り離されて生きてきているということなのではないだろうか。

 

 <コメント> え、日本ではそんな時代逆行的な立法が行われようとしているのですか? 恥ずかしながら知りませんでした。実は、EUではとっくの昔に、障害児と非障害児(健常者というのは差別用語だから、最近はこういう)の統合学級を、障害者の当然の権利として認めています。非障害者としても、障害児とともに教育を受けることで、社会の中で障害者と暮らす方法を学ぶことができるし、障害者も、非障害者と暮らす方法を学べるからです。そのことも、重大な教育活動なのです。ドイツの憲法裁判では、どの限度までは国として、障害者を養護学校に入れることができるかについて、厳密な基準を示して論じています。これが世界の趨勢なのに、それに逆行するなんて。ところで、君の文章の中に非常に気になる点がありました。障害者を普通学級で学ばせることを、財源対策として把握している点です。障害者は、適切な介護を受けなくては、普通学級で非障害者と同様に教育を受けることはできません。したがって、介護費用は、普通学級にいる方がたくさん必要になる、というのが世界の常識です。上記ドイツの憲法判決にしても、非常に過大な費用を要する場合には、国は養護学校に行くよう命ずることができる、というものです。埼玉県で行われようとしている共闘は、その出発点が間違っている!

 

 

 甲斐ゼミに入ってからの私   千田 真子

 

 甲斐先生のゼミナールに入室してから、早くも半年以上の月日が流れました。私は公務員をめざしそして合格すべくこのゼミナールへの入室を希望していました。幸運にも私が所属するサークルの先輩方が、推薦して下さったこともあり、面接の後、すぐに入室は決定されました。

 が、しかし、入室できたはよかったものの、同期のみなさんを始めとして、先輩の方々そして憲法研究会のみなさんと、あまりにも優れている方々ばかりで非常にかたみの狭い思いをしていました。(正直今もなのですが。)私ははたして、ここにいてもいい存在なのだろうか、と自分の努力の足らなさを棚に上げて、そう考えこんだ事もあります。

 しかしそんな時、貴重な時間をさいて、親身になって相談にのってくださった同期の方、嫌な顔一つせず丁寧に質問に答えて下さる先輩方の事を思い出します。そうすると、みるみるうちにやる気が湧いてくるのです。

 私は、本当に環境にめぐまれていると思います。そうはめぐり会えないような方々に出会えました。大学に入学してからの、転機を述べよと問いかけられたら、私は甲斐ゼミナールに入室した事だ、と胸を張って答えるでしょう。なぜならば、楽しいだけの、ハリのない大学生活を、ゼミに入ったことを機に変化させてくれたからです。それはすべてのきっかけとなりました。これは相乗効果というものでしょうか、自ら進んでそのような環境を作りだそうとするようになりました。

 さて、試験まであと半年程です。又々緊張の日々がやってきました。今年から来年にかけての六ヶ月なんて、本当にあっという間に過ぎていくのでしょう。来年はぜひとも、公務員試験でめざしているものに合格したいと思います。とにかく受かりたい。

 みなさんも、どうか体に気を使って勉強をがんばって下さい。これからも長いようで短いと思われる残りの日々を、どうか宜しくお願い致します。

<コメント> 今、裁判所事務官試験というのは、もっとも難しい試験と言ってよいでしょう。司法試験と公務員試験の両方の特徴を備えているからです。司法試験合格者でも落ちると言われます。それは公務員試験型の問題に歯が立たないからです。他方、国1合格者でも落ちると言われます。これは司法試験型の問題に歯が立たないからです。この最難関の試験への挑戦なのに、そのコウモリ的性格が災いして、司法科研究室でも行政科研究室でも面倒を見ない、という実に気の毒な試験です。今私にできることは、合格できるよう、祈るばかり。両研究室の担当者として辛いところです。

 

 

 

 

 2年生(10期生)

 

自己紹介について   新井 宏史

 

  とりあえず初めてということなので、自分の事についてと、ゼミに対する意気込みについて書いてみる。

 自分は、新井宏史、出身地は栃木県、ちなみに栃木だけど、電車通学なので、片道2時間以上かかる。昨年は大宮だったので通学時間はたいして変わってない。電車通学の唯一の救いは、電車の中で寝ていられることなのだ。いつも音楽を聞きながら寝ちゃってるから、たまに目的の駅に着いた時に「ハッ」と目が覚めて急いで電車から降りる姿は、なんとも馬鹿みたいです。ちなみに、さっき、電車で音楽を聞いている、ということからも分かるように、趣味は音楽を聞くことです。(ちなみに高校の時に友達とライブも行ったことがあり、その時はドラムを叩いていた。)どんなジャンルの音楽を聞くかといえば、邦楽、洋楽問わず、主にロックを聞いている。最近は邦楽を聞かなくなったので、洋楽ばかり聞いては、たまに電車の中でリズム採りをしている(ドラムの)。でも洋楽は、音を聞くのは楽しいけれど、英語が何言ってるのか分からないから、いちいち歌詞を見て、それから翻訳をいちいち見るのがとても面倒だから、邦楽聞いていた方がいいのかな、と思うことがある。ちなみに、ライブを昔行っていたと書いたが、実は成人式(まだ19なので)に、友達から誘いを受けて、ライブをやろうという企画に参加することになった。ここだけの話、練習する時間もないし正直不安である。

 では、ゼミに対する意気込みについてだが、昨年から、甲斐先生の講義をとっていて、先生の話も難しいので、自分は授業についていけるのかが不安である。だけど、一応第一志望に司法試験と考えている以上、自分を勉強することに追い込むには、最適だと考えて、このゼミをとることにした。もともと、何か行動を起こす時に、相当自分を追い込まなければ、何もしない性格なので、このゼミをとることで、将来の希望するものに対して、何かの火種になるのではないかと考えたのである。

 以上のように、簡単だけれども、自分のことについて少しでもこれで分かってくれるなら、(多分まだいろいろ書きたいことはあるけれども)いいと思う。ゼミの機関紙にこれから書くことになるのなら、まだ初めてなので、このぐらいで十分だと思います。でも基本的に明るい性格なので(ギャグ好き)、これから書くとなると、訳の分からないことを書きつくしてしまうかもしれないけれど、まあ、大目に見てください。

<コメント> 電車の中で音楽を聴いているようでは、国家試験には合格できません。無味乾燥なことこの上ない話ですが、やはり法律の条文の読み上げを聞くようにしないと。多分、それだと音楽以上によく眠れて、降りる駅で乗り過ごす羽目になるかも知れませんがね。

 

 

 

小話   井上 剛

 

 学園祭の連休を利用し、実家へもみじ狩りの為に行って来た。まだ5分位であったが、鮮やかに真っ赤に色付いた山々はみごとであった。その時に母に聞いた話である。

 母は関西の学校から帰ってきて以来、実家の近くで会社勤めをしていた。実家は代々靴屋であったが、その時期靴屋をまかされていた長男は凡才のせいもあり、うまくいってなかった。何年か前に嫁いできた嫁は夫と兄弟に責められて大変な日々を送っていた。

 そんなある日、嫁の不注意で実家が全焼してしまった。その日母は親戚が集まっている中で、嫁が夫から暴言を受けていたのを聞いてしまい、気の毒に思っていたらしい。

 それから十年以上たってから、母はふとした時に実家の近くの人から例の火事の話を耳にして驚いた。その人の話では姑が自分の不注意で火事があり、嫁に迷惑をかけてしまったと皆に言っていたという。嫁をかばい、先が長くない自分が罪をかぶり、墓まで持っていくという事だろう。

 私はこの姑(私の祖母)の行動に、日本の女の武士道を感じた。自分の個人の尊厳より、自分の子供の幸せ、家を大事にする心、人間らしさといった物を重んじたのであろう。日本国憲法は個人の尊厳を最も重要な考え方としている。それでは自分の個人の尊厳をかえりみず、自分の子供の未来を守ろうとする祖母の考え方はどうであろうか。法律家を志す者として考える所があった。

 事件のあった家は今は跡形もなく荒れほうだいになっている。自然は人の意思とは関係なく、どの時代であっても雄大に広がっている。

 

<コメント> とてもよい話ですね。しかし、タイトルの小話というのがちょっと首を捻ります。確かに、掌編型の落語の場合には、小咄と書くわけで、それと混同するおそれはないにしても、ちょっと意味不明の感があります。さりとて、こういう話を何と日本語で言うのか、といくら考えてみても思い当たりません。やはり日本語にないジャンルの話と言うことになるのでしょうか。「あるエピソード」くらいが穏当なところなのでしょうか。

 

 

自己紹介   生方 悟史

 

 今回、新入室生として入ることになりました生方悟史です。初対面の方々には、読みにくい漢字なので、平仮名で書いておきます。うぶかたさとしです。よろしくお願いいたします。

 生まれは、神奈川県川崎市川崎区で、今は両親と姉と四人で住んでいます。小さい頃は、かわいいと言われ続けたが、大きくなるにつれて憎たらしいと言われるようになり、今ではこんな有様です。小・中・高とずっと野球をやっていて体力と体つきには自信がありましたが、大学に入ってから筋トレとかをやらなくなって、見た目にはわかりにくいかと思いますが、実は隠れデブです。あと、このお腹にはもう一つ理由があります。私は、すごく大食いなのです。野球をやめてから、最大15キロ位増えました。

 さきほども言ったように、ずっと野球をやっていて、高校では男子校へ入ったために、女っ気が全く無く、今思うと寂しい高校生活でした。でも、その時は野球が自分の青春だったので、そのようなことは考えていませんでした。

 話は変わりまして、自分は最近ウツボを飼い始めました。題名からそれてすみません。そのウツボは体長は15センチ位で、自分が想像していた怖いウツボとは掛け離れていて、色は気持ち悪いけれど、とてもかわいいのです。飼い始めた夜は、家中で大騒ぎになってうるさくてしかたがありませんでした。自分も入っていったのですが…。水槽をたたくとケン(ウツボの名前)が顔を出して、エサを入れるとヒューとエサに近づいて、食べます。それが楽しくて、家族四人と姉の夫の五人でケンにすっかりはまってしまいました。それから1、2週間後、ケンに見向きもしない人が現れました。人は、飽きるとすぐにこういう風になるのは寂しいですね…。

 なにはともあれ、これから一生懸命に頑張って行きますので、甲斐先生、先輩の方々、そして同期のみなさん、これからよろしくお願いいたします。

 

<コメント> ウツボって海の肉食魚でしょう? いくら川崎で海が近いからとはいえ、海水はどうやって手に入れているのですか?

餌は何をやっているのですか?自己紹介など後でいくらでもできるから、ウツボについての詳細が知りたい気分です。

 

 

私の好きなもの   今野 拓也

 

 突然だが、私の好きな食べ物は豆腐である。物心ついた時から私は豆腐を食べるのが好きだった。小学校5年か6年ぐらいの時に、自分のプロフィールを書いて発表する時間があった。周りの友達が、好きな食べ物の欄にハンバーグやスパゲティなどを書いているなか、当然ながら私は豆腐と書いた。本当のことを書いたにもかかわらず、周りの友達からはウソつきよばわりされてしまったことがある。中学校の時は、自己紹介の時に「好きな食べ物は豆腐です」と言ったら、自分のクラスだけでなく、他のクラスにまで広まってしまい、私のことを中学校3年間ずっと「豆腐」と呼ぶ人もいた。みんなに私のことをわかってもらおうとして言ったことが、結局みんなにバカにされたり、ウソつきよばわりされる結果となったわけだ。

 私は三度の飯より豆腐が好きとまではいかないが、豆腐が好きで、実家で暮らしていた時は、週に一回は豆腐を食べていた。しかし大学に入学して一人暮しを始めてからは、そんなに食べなくなった。「豆腐なんかしなくたって、そのまま食べられるではないか」と思う人もいるかと思うが、あの容器から取り出すことさえ何だか面倒臭いと感じるのだ。それにそのまま一丁食べるわけにはいかないので、包丁で切らなければならない。しかし私は包丁をうまく使うことができないのだ。「たかが豆腐を切るぐらい」と思うかもしれないが、これがなかなか難しい。こんな事が私を「豆腐離れ」へと導いているわけだ。毎日ご飯を作っている母のありがたみを知った。

 どうして私は豆腐が好きなのか、家族に聞いてみると、私が3歳ぐらいの頃、私の実家の建てかえが行われた時に、大工さんに食べさせる食事の中のみそ汁に入れるための豆腐をよく祖母にもらって食べていたらしい。それが知らないうちに私の好きな食べものになったのだ。そんな思い出を大切にしながら、今後も好きな食べ物は豆腐でいつづけたいと思う。

 

 <コメント> 私も豆腐が好きです。というより、豆腐系の食べ物、すなわち油揚げ、生揚げ、がんもどきも含めてみな好きです。高校までの間は、近所に非常に腕の良い豆腐屋があったので、何かというと買いに行きました。例えば、日曜日だと油揚げを上げている時間に合わせて出かけていって、揚げるのを待っていて揚げたてを買ってきて食べるわけです。こういう風にこちらがせっせと出かけていくと、向こうも少々無理を聞いてくれるようになります。例えば、豆腐を絞る前のまだどろどろしている状態の豆腐を売ってくれるとか、生揚げ用に絞った豆腐を分けてもらって、これを食べる、とかいった、普通では手に入らないような種類の豆腐までぼくが顔を出すと売ってくれたものです。今住んでいる牛久の場合、うまい豆腐屋は4kmほども離れた店だけなので、前ほど頻繁には食べませんが、それでもぼくの豆腐好きを反映して家人が顔をちゃんと売り込んであるので、結構いろいろなバラエティの豆腐が今でも食べられます。また、昔、ドイツに住んでいた頃は、自分で豆腐そのものを一から作っていたものです。が、やはり原点は何といっても冷や奴。包丁を使えないって? そんなことは問題じゃあない。丸のまま醤油をかけて食べればよいではないですか。

 

 

NO MUSIC,NO LIFE   馬場口 龍輔

 

このゼミ誌の提出を機会に自分の趣味について改めて考えてみた。割と幅広く趣味がある方だとは思うが、やはり音楽は外すことができないと思う。今の自分の生活の中にも深く密着している。もはや引き離すことは困難だろう。

 そもそも私にとっての音楽生活は幼少時に習っていたピアノからだ。普通に子どもの習いごととして始めたピアノで、譜面を見ながら弾くだけでは満足できず、「自分が弾いた曲は本当はどんな曲だったんだろう。」と、原曲を借りて聞いてた記憶がある。また、少々上達した頃には、自分が好きなゲームの曲も弾いたこともあった。そうした事に当時は満足感を憶えていたのだ。結局、ピアノは小学校の卒業と共に辞めてしまい、その後は音楽鑑賞に徹することになる。そして、今現在の音楽感に多大な影響を与えられたのがX−JAPANとの出会いだった。あの小泉純一郎もファンだというのはご存知なのでは。派手なファッションに荒々しいプレイスタイルの中に、きれいなピアノのメロディが混ざっている何とも奇妙な魅力があった。だがX一筋だった私も解散と共に離れ、元メンバーが聞いていた曲という情報を頼りに、種類の幅を広げていった。そして、そこから後は自分の感覚だけで進んでいった。

 今、聞く音楽のジャンルとしては、ポップス、ロック、ヘビーメタル、パンク、ハードコア、ミクスチャー、ヒップホップ、また、クラシックやジャズ、ファンクといったところだろうか。大学入学後は、聞くのみでは足らず、楽器を再び始めてしまう。今はベースのみだが、まだやってみたい楽器は沢山ある。

 普通は、ここまでのめり込むと異常だと思われるかもしれないが、やはりどのジャンルにしても良いものは良いのだ。さらに、自分のその時の心情や過去の思い出と重ねることもできるし、自分のテンションも変えることができる。もはやこの魅力に取り付かれてしまったのだ。某大手CDチェーン店のキャッチコピーのように、まさに今の自分は“NO MUSIC,NO LIFE”だ。

 

<コメント> 私も音楽は好きですが、不思議なことにピアノの善し悪しはさっぱり分かりません。声楽だとヘルマン・プライのその日の体調の善し悪しまで自信を持って断言できる程度に聞き分けられるのですが、ピアノだと、ショパンコンクールの出場者程度になると、どれも同じ程度に聞こえて、順位をつけるなどとてもできず、妻に馬鹿にされてしまいます。で、馬場口くんのX−JAPANというのも、これが初めて聞く名前。今後注意してみましょう。