ゼ ミ 誌 2011

 

 

目次

ハワイのホテル・タイムシェア        甲斐素直

ハワイと海                  小新井雅

山岡荘八二大歴史巨編について        佐藤悠斗

我が家特性ミートソース          村松美智子

就職活動と私               五十嵐裕介

「私と関法連」               中根太暉

個人的な体験                  林潤

トレーニングについて調べたこと      青木友佑

少年期の終わり              相坂優太

環境問題とISO14001、環境税の導入について 佐藤雄哉


随筆の表題をクリックすると、その随筆に飛びます。

 

                     






 

 

ハワイのホテル・タイムシェア

甲斐素直

[セールスマンの嘘]
 学生だとそんなことは先ずないが、諸君が職業を持ち、結婚した位の年代(20代後半くらいか?)になって、ハワイで免税店などを冷やかしていると、すぐに勧誘員に声を掛けられて「ホテルのタイムシェアリングのセールスマンの話を90分聞くと、それだけで100ドル差し上げます」と誘われる。これは本当で、間違いなく100ドルもらえるが、90分間というもの、数百万円出して、ホテルのタイムシェアリングを買うようにと、有能なセールスマンによって言葉巧みに説得される。見ていると、そうした若いカップルの場合、説得されて直ちに成約という場合も少なくないようである。
 話だけを聞いていると、確かにとても得なような気がする。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみよう。日本語を流暢に話す勧誘員に、お客を一人を説明会に送り込むごとに手数料を払い(丸一日、その目的で立っているのだから、そう安い手数料とは思えない)、日本語を流暢に話す腕利きのセールスマンを雇って成約ごとにリベートを支払い(これを行うには、米国における土地建物取引主任資格に相当するものを持っている必要があり、凄腕のセールスマンだから、そのリベートはかなりの額のはずである)、その上、話を聞くだけの客に泊まっているホテルからの送迎のタクシー代(場合によっては昼食代)に加えて100ドル払うのだから、このタイムシェアなる商売、一体どの程度の利益率を見込んでいるのかと空恐ろしくならないだろうか。
 だから、100ドルはありがたく受け取るが、間違っても購入するべきではないと私は思っている。
 しかし、そういう抽象論ではなく、もう少し突っ込んだ計算をここではしてみよう。
 ホテルのタイムシェアというのは、要するにリゾートホテルの1室の利用権を1週間単位で購入し、購入した時期におけるその部屋を購入した期間だけ無償で利用する権利を得るという制度である。無償というけれど、購入時に一括して何百万円かを支払い、さらに毎月の管理費なるものを一ヶ月について最低でも1万円程度は支払う。だから、購入費を度外視して考えれば、ホテルのその部屋を管理費として支払った十数万円程度を払って1週間借りるのと同じことになる。換言すれば、管理費なる名目で徴収した十数万円で、ホテルの1週間の宿泊代が賄えている場合には、購入代金はまるまる販売者側の利益になるという仕掛けである。そして、詳しくは以下に説明するが、たぶん賄えているはずである。これが、あれほどに販売経費をかけても商売として成立している理由であろう。
 公平を期するためにいえば、タイムシェア用の部屋は、同じホテルが経営している場合でも、普通のホテル用の部屋とは若干構造が違い、面積がかなり広い。ハワイの一流ホテルでも、1ベッドルームの部屋、つまり寝室ひとつに加えて居間及びバス・キッチンがある部屋が、1週間連泊するということになれば、10万円出せば普通に借りられると思うが、その広さは多分50平米くらいである。これに対して、タイムシェアだと70平米くらいはあるので、ホテルに比べて確かにゆったり感がある。その余分の面積の中に洗濯機などもおいてあるから、共用のコインランドリーなどに頼らなくとも良い。そのゆったり感分が高額の購入代金の対価ということになる。もっとも、1週間だけの滞在ということを前提とすれば、洗濯機をそう何回も使うわけがない。だから、それを数百万円の購入費に相当するほど魅力と感じるのはおかしいと思うが…。
 しかも、この同じ料金のホテルの部屋よりも余分の広さの提供がタイムシェア業者の負担になるかといえば、そんなことはない。なぜなら、ホテル業は一定の空室率を覚悟しなければならないからである。ハワイの場合だと年によって違うが、ハワイ観光局のデータだと、空室率は平均して34割に達する。その分だけ部屋代に上乗せして、お客から徴収しないとホテル経営はなりたたない。これに対し、タイムシェアは完売に成功すれば、部屋代は全期間管理費の名目で入ってくる。だから空室が発生しても損失には全くならない。そこで、その空室率相当分については、部屋の広さや設備をホテルより充実させることが可能になるのである。だから、購入費相当額が丸々利益になるという先に述べた計算は、依然として成立している。
 このようにタイムシェアは、普通のホテル業に比べて大変うまみがある商売なので、セールスマンは、売り込むために様々な話を聞かせてくれる。それはなかなか面白く、為になる情報も多いので、私などは、それが楽しみで出掛けていくようなものである(もちろん100ドルも魅力だが)。
 もっともセールスマンの話には、私のようにハワイというものについてコツコツ研究していると、聞いただけで嘘だとわかる話が大量に混じっているのも事実である。しかし、日本から1週間くらいの予定で短期の旅行に来る人々は、十分に騙されてしまうであろう。もしかすると、諸君の中にも、将来騙される人がでる危険があるかもしれない。そこで今回は、そうしたタイムシェアリング・セールスマンのつくもっともらしい嘘と、それに対する真相を紹介することにした。 
 
1 ホテルの繁忙期
 タイムシェアの権利を購入するに際して、一括して支払う購入代金は、どの時期の利用権を買うかにより値段に差があるのが普通である。日本人相手のタイムシェアリングの場合、8月は繁忙期だからという理由で、どのホテルのタイムシェアリング・セールスに行っても一番高額に設定されている。日本人の場合、ハワイに出掛けるのは8月の夏休みないしはお盆休みを利用して、という場合が大変多い。だから、日本人のお客は、自分の経験に照らして、この8月が繁忙期だという説明をきわめて自然に納得して、高額の契約に応じることになる。
 これなど、日本人相手のセールスに特有の、組織的な大嘘である。
 ハワイでも、特にワイキキを歩いていると、日本人観光客の姿を多く見かけるし、商店でも日本語のできる店員を多く配置して対応に努めている。それからすると、日本人観光客が、ハワイの観光産業の最重要の顧客であるかのような錯覚を起こす。ハワイへの国別観光客数で、日本は外国人として第1位の観光客数だ、といわれると、この錯覚はなお助長される。
 しかし、これは統計の魔術の一つの例である。ハワイ州観光局(Hawaii tourist Authority)の発表している観光統計を見てみよう。どの年度をとっても数値は大して違わないから、現在統計値が入手しうる最新の年度である2009年を例にとって説明すると、ハワイに来る観光客で最大の比率を占めているのは米国西部からの人々で、彼らだけで43.2%と半分近くに達する。次いで米国東部の人々が27.0%を占める。つまり、米本国からの観光客だけ、合計70.2%に達する。しかし、彼らは外国人観光客には入らない。さらに、米国の北隣のカナダは7.3%の比率を占めて、外国人としては第2位、全体として第3位の観光客を送り出し国となっている。このほか、メキシコからの訪問者も若干いるから、北米からの訪問者だけで、ハワイ全体の観光客全体数の8割弱を占めている。これに対して、日本からの観光客の比率は11.3%に過ぎず、外国人では第1位という点に嘘はないけれど、カナダからの観光客数と大差は無い。
 さらに滞在日数という問題がある。米国西部からの観光客は平均してハワイに来ると9.6日滞在する。米国東部からの観光客は10.4日である。カナダに至っては12.7日に達している。これに対して日本からの観光客の平均滞在期間は5.8日に過ぎない。観光客全体の平均の滞在日数9.3日に比べてもずば抜けて短い滞在期間である。つまり、日本人は、観光客全体に対する比率としては1割程度に過ぎない上に、北米、特にカナダからの観光客の半分以下の日数しか滞在しないのだから、ホテルの繁閑に与える影響力は当然にカナダの半分程度ということが判ると思う。
 日本でもどこでも、ホテルの利用料金は、期待される客室の利用率に応じて変動する。理屈はハワイでも一緒である。上述したデータから明らかなとおり、ホテルの繁閑期を、そして必然的にその時期の料金を決定するのは、絶対的に北米からの観光客の動向なのである。そして彼らの動向は、日本人観光客の動向とはまるで違う。
 再びハワイ州観光局が公表している2009年のホテル料金の状況を見てみよう。それによるとホテルにおける一泊当たりの設定料金、つまりホテルの言い値の平均(ADRAvarage daily rate)の、年間における平均額は2009年の場合、176.46ドルである。年間で一番高いのはどの年でも12月で、200812月の場合は214.28ドルである。ついで20091月が196.38ドルとなっている。この後2月が187.21ドル、3月が182.17ドル、4月が179.09ドルと平均より高い時期が続く。それから閑散期となり、5月は165.78ドル、6月は171.97ドルと平均を下回る。つまり北米からの観光客は、寒さを逃れる目的で、常春の国ハワイに冬にやってくるという大きな傾向があるので、12月~2月の時期が一番高く設定されていることが判る。
 問題の日本の夏休みに相当する78月についていえば、7月は176.48ドル、8月は177.79ドルとほぼ年間平均と等しい時期である。その後、9月から11月はだいたい160ドル程度で、平均を下回る水準で推移する。
 ホテルのタイムシェアリングの月別料金は、当然、このホテルの設定価格に対応すべきであろう。そして、これから見る限り、78月は平均的な時期であり、もっとも繁忙な時期というのは明らかに嘘である。
 今度は、実際に利用者が支払っている料金(Revenue per Available Room)を見てみよう。なぜなら、ホテルがいくら高く料金を設定しても、お客が実際に来なくて空室になってしまってはホテルの経営は成り立たない。そこで、部屋の利用率が下がれば、ディスカウントをして、何とか空室の発生を回避しようとするのは当然だからである。
 これについては2010年から2011年にかけての最新の情報が入手できたので、それで説明しよう。目下ハワイ州は深刻な事態にある。遠隔地にある観光産業の常で、ハワイの観光客産業は世界経済の変動に常に直撃される。2009年の場合には、2008年に起きたリーマンショックの影響で、ハワイの観光客数は、2008年に比べて大幅に落ち込んだ。2008年の客室利用率年間平均が70.5%であったのに対し、2009年の年間平均は66.5%と厳しい落ち込みを見せたのである。2010年になって、若干の回復が見られた。
 2011年の場合、本来なら東日本大震災のおかげで日本の一人負けになっていてもおかしくないのに、現実には不思議なことにドルに対してもユーロに対しても日本が強い一人勝ちの様相を呈している。北米の不況がそれだけ深刻なのである。このことは、ハワイのホテル利用者の圧倒的多数を占める北米からの旅行者が減るということを意味している。具体的にいうと、20117月の利用率は70.7%である。前年の20107月の利用率は79.5%だったから、この1年で利用率が前年同期に比べて1割近くも下がってしまったことになる。その深刻さは島によってかなりの違いがあり、飛行機一本で直行できるオアフ島だと利用率は78.7%程度だが、そこから乗り継がねばならない他の島々はぐっとさがり、特に一番遠いハワイ島だと54.5%にまで下がっている。先に述べたとおり、例年、8月、9月は繁忙期ではないため、7月よりさらに利用率が下がるのが通例である。2011年もその例外になるとは思えない。
 2010年から11年にかけての1年間の月別の利用率を見ると、一番高いのが2月で、20112月の場合、90%近くに達している。その結果、実際の徴収額は2月が年間で一番高く、160ドルになっている。設定料金が一番高かった12月の場合には、徴収額は平均値でいえば140ドル程度に過ぎなかった。では、7月はどうなっているかというと、2010年の場合には144ドル弱であった。しかし、上述したとおり、1割近い利用率の下落を受けて20117月は131ドルと料金の方も正直に1割の下落が起きている。
 こういうことで、ホテルの利用料金は、ハワイの場合、世界経済、特に米国本国の経済の変動を受けて、毎年乱高下しているが、それでも冬が一番高く、夏は平均的な時期で秋が閑散期という大きな傾向そのものは狂うことがない。だから、日本人だけを顧客にしており、アメリカ人には販売しないという特殊なタイムシェアでない限り、日本人が見せられるタイムシェアリングの月別料金表は、明らかに日本人を騙して不利な契約をさせるための手段なのである。
 騙された、と後から文句を言われたり、訴訟を起こされたりしないように、業者は、値段表を一般に配布するパンフレットに印刷したり、インターネットの宣伝頁にアップロードしたりすることは絶対にしない。セールスマンの手元資料にしか書いてなく、お客はそれを見せてもらうだけである。お客が入手できるのは、その手元資料をもとにセールスマンが手書きしたものだけ、という徹底ぶりである。後は契約書に書かれる数字になるが、その数字の根拠となる明確な証拠は絶対に買い手の手元にはないのである。
 
 話は少し変わる。
 上述したように、日本人の比率は観光客の絶対数でも滞在日数でも、北米人にくらべて大変少ない。それなのに、ハワイの町を歩いていると、ハワイの観光業は日本人が支えているのではないかと思えるほどに、日本人向けに配慮した営業をしている。これが、セールスマンの嘘を信じてしまう理由である。
 商店等はなぜそのような行動をとるのだろうか。答えは簡単で、日本人は商店で、北米人とは比較にならないほどに、滞在中にお金を使うからである。
 2009年のハワイ観光統計に依れば、旅行客一人の一日あたりの使用額は平均で143ドル、最大のマーケットである米国西部からの観光客にいたっては133ドルに過ぎない。ところが、日本人は何と268ドルと、その倍以上も使っているのである。そしてその内訳を見ると、買い物に使う額は米国西部16ドル、東部19ドル、カナダ17ドルに対して、日本人は何と99ドルに達している。お土産を買いまくっているのだろうか。動機はどうであれ、商店等から見れば、しみったれの北米人よりも日本人は遙かに大事なお客なのである。
 ホテルに支払っているお金も北米人が5464ドルに対し、日本人は77ドルも払っている。つまり、より上等のホテルに泊まっているか、あるいはよりホテルのいいなりに支払っている。食べ物も、北米人は30ドル~36ドルなのに対し、日本人は43ドルを投入している。つまり、高いホテルに泊まり、高い食べ物を食べ、たくさんの買い物をする。この結果、滞在期間は大幅に短いにも関わらず、日本人のハワイに落とすお金は、米国西部人の1275ドルを大幅に上回る1564ドルに達しているほどである。
 
2 タイムシェアの資産価値
 今ひとつ、セールスマンが強調するのが、タイムシェア利用権には資産価値がある、ということである。それは事実で、タイムシェアの購入代金とは、日本のマンションでいう区分所有権の購入費と同じものである。
 集合住宅における普通の区分所有権は、部屋単位で行われるが、タイムシェアの場合には更に細分化されて、不動産としての登記が週単位で行われる。リゾートが所在する州からの権利書が発行されるため、通常の不動産の権利と同じように扱われる。当然に子どもや孫への相続が可能であり、また不要になった場合あるいは持ちきれなくなった場合には他の人に売却処分し現金化することも可能である。だから、マンションの区分所有権を買うのと同種の資産価値があるのは間違いない。
 しかも、とセールスマンはいう。ハワイの人口は年々増加しており、それにつれて土地価格も上昇している。ハワイでは土地が限られているための不動産は大変高価なので、普通の人に一戸建ての家を買ったりすることは大変難しい。だから、タイムシェアは価値がある…。
 これも基本的には正しい。ハワイの人口は着実に増えている。米国では人口統計は十年ごとに作られるが、ハワイの場合、1930年の時点では368,300人に過ぎなかった。1990年の統計ではじめて1,108,229人と百万人を超え、2010年には1,360,301人となっている。これら新たな居住者が家を求めるから、ハワイの不動産価格は、世界経済の変動により若干の揺らぎはみせるものの、基本的に上昇傾向にある。
  米国統計局の資料によると、ハワイにおける自己所有住宅(これにはマンションなどの集合住宅も含まれる)の2005-2009年の平均的価格は521,500ドル(1ドル80円とすれば4,172万円)である。同じ時期の米国全体の自己所有住宅平均値が185,400ドル(1,483万円)であるのに比べると、4倍も高い。つまり、よその州なら、日本人サラリーマンが退職金をはき出せば平均的な住宅が買えるが、ハワイではちょっと無理ということである。だから、普通の日本のサラリーマンにとって、ハワイで不動産を買おうと思ったら、タイムシェアは手頃な対象なのである。
 問題はその先にある。タイムシェア業者は、同じホテルのタイムシェア販売価格を毎年確実につり上げる。そのことを公言した上で、セールスマンは、だから早く買わないと損ですよ、と短期滞在の観光客を焦らせようとする。しかし、販売価格そのものは、客観的妥当性を保障する市場は存在していない。したがって、他のタイムシェア業者との競争がある程度の抑止力にはなるだろうが、基本的には、その業者が勝手に決めているものであって、それが毎年上昇する理由は無い。これ自体、早くに売るために、タイムシェア業者が行っている組織的な詐術である。
 その証拠に、セールスマンに「資産価値があるのなら、不要になったら権利は売れますね」と言ってみたところ、飛び上がらんばかりに驚かれた。そして「もちろん売れますが、もったいないです、長く、子や孫まで利用した方が絶対に得です」と力説したものである。
 なぜそんなに驚くのか不思議に思って調べてみた。タイムシェアの利用権に、セールスマンの言うとおり資産価値があるのならば、不要になったら(あるいは手元資金が必要になったら)他に転売するのは当然である。
 実際にも、そういう人はかなりいると見えて、タイムシェアのリセール(転売)市場というものが、ハワイなどには現に存在する。しかし、セールスマンが焦るのも無理はない。そこでは、現にタイムシェア業者が数年掛けて販売中の物件が、業者の言い値に比べて半値程度で売られているのである。これは、諸君がタイムシェアに魅力を感じたならば、そのタイムシェア業者から直接買うよりも、リセール市場で買った方が遙かに得だということを意味する。なにしろ、ここで買うのは不動産の中古物件ではない。直接タイムシェア業者から買った場合に得られる利用権と全く同じものが、半値で買えるのである。
 もっともこうした安い価格のリセールに対し、直接タイムシェアを業者から購入する利点をアピールするため、タイムシェア業者の方では、VIPスティタスを認めないとか、それまでに溜まっていたポイントの移行を認めないなどの制約をして差別待遇を施しているが、どのみち新規購入時にたまっているポイントなどあるわけがないのだから、大して意味のある差別待遇ではない。転売を認めないといってしまうと、資産価値があるというのが嘘になるから、それだけはいえないのである。
 ついでに、買ったタイムシェア利用権を、そのようにリセール市場で売る立場になった場合について説明する。自分で日本国内の買い手を見つけて、相対取引で売れば、半値であれ、売った額は自分の取り分になる。しかし、日本にいながら、米国の物件についてそのようにして売るのは、普通は不可能である。そこで、仲介業者が必要になる。
 同じ米国でも、ニューヨークなどだと、不動産販売の仲介は不動産弁護士(real estate lawyer)と称する特殊な弁護士に依頼するようだ。しかし、ハワイの場合にはタイトル・カンパニー(title company)というもののお世話になるのが普通であるという。タイトル・カンパニーとは、権利瑕疵保険(title policy)の発行や、物件代金の入金を確認後、購入者には物件占有権を引き渡し、売主には代金を送金するというような、取引の円滑を第三者的に担保する業者である。タイトル・カンパニーを経由することによって、買主・売主の双方が安心して取引することができる。だからタイムシェアの転売市場に出てくるような物件はたいてい彼らのお世話になる必要がある。しかし当然ながらタイトル・カンパニーのとる手数料は結構高い。
 また、外国人が保有する不動産を売った場合には、外国人対象不動産売却税がFIRPTAForeign Investment in Real Property Tax Act)という連邦税として10%、HAPTAHawaii Real Estate Property Tax Act)という州税として5%、計15%も課税される。さらに、そうやってハワイ州内で収入が発生した以上、年度末になれば確定申告もしなければならない。そうした納税にあたっては当然公認会計士のお世話になる必要があるから、その手数料も考えねばならない。
 それやこれやで、タイムシェア利用権を売った場合における手取り収入は、タイムシェア業者から買った値段を基準にすると、多分3割程度になってしまうのではないだろうか。これでは、いくらタイムシェア業者が勝手に付ける価格が年々上昇するといっても、購入した権利を他へ売却することを勧めるようなことを言えば、訴訟沙汰になってしまう。セールスマンが血相変えて保有し続けるように説得するのも無理はない。つまり、マンションの区分所有権などと違って、タイムシェア利用権について、額面通りの資産価値を期待するのは間違いである。
 
3 タイムシェア利用権購入が得になるのは?
 欠点ばかり並べたが、タイムシェアも、一定の条件下にある人には得な買い物になることは事実である。
 その第一の条件は、当然、数百万円の資金の余裕があることである。間違っても銀行からお金を借りて買ったりするものではない。
 第二に、毎年、1週間だけは海外旅行に行く余裕があるという人であるということである。35日(ハワイ行きは日付変更線を超えるので、こういう日数になる)というような神風観光に行く程度の時間の余裕しかない、という人にはタイムシェアはもったいない。逆に、2週間以上も毎年海外に出る余裕があるという人の場合にも、あまり向かない。2週間分のタイムシェアの権利を買うと言うことになれば、倍の費用がかかるのである。私のように、研究目的で4週間も5週間もハワイに腰を据えて滞在する人間の場合には、コンドミニアムが一軒買えるほどの費用を払う羽目になってしまう。
 第三に、逆説的なようであるが、毎年特定のリゾート(例えばオアフ島)に行くのではなく、世界の様々なリゾートに行きたいという希望を持っていることである。すなわち、タイムシェア利用権を買うことの最大の魅力は、世界中の同様な施設の利用権が得られる点にあると思う。
 タイムシェア業者は、それをセールスポイントとするべく、その業者が開発・運営しているタイムシェア施設のあるリゾートについて相互利用ができるのは当然として、他社の開発したリゾートとの交換や、クルーズ旅行などとの交換が可能なシステムを作り出して、相互に自社の物件の魅力を増加させようと努力している。
  例えばRCIという組織がある。これは、世界最大のリゾート宿泊権利交換会社で、RCIに加盟している世界4,300カ所以上のリゾートメンバーがお互いのリゾートを交換利用することができるとされている。つまり、自分が所有するリゾート以外での利用が、交換利用システムにより可能となる。通常、予約手数料などはかかるが、宿泊料はかからない。
 
だから、タイムシェアの購入は、数百万円程度の遊んでいる資金があり、1週間だけは海外で遊ぶ暇があり、世界中のあちこちのリゾートに行って、一流ホテルで優雅に過ごしたいという人に向いているのである。





ハワイと海

小新井雅

一、ワイキキビーチと私
 今年の夏は、ハワイへ旅行をした。ハワイと言えば、誰もが青い空と青い海を思い浮かべるだろう。私は、日本にいるときは、海水浴など決してしたくないと思っているが、ハワイにいる間には何度か海水浴をしようと思っていた。
水着を着て、ワイキキビーチに着いたときにはときには、時間はすでに6時を過ぎ、日は暮れかかっていた。しかし、水温は問題なさそうである。
「よーし、僕、久しぶりに泳いじゃうぞー」と、意気込んで海に入っていく。私は大学生になるまで、私は水泳部だったので、泳ぎに自信があった。「腐っても鯛」である。
張り切って泳ぎ始め、防波堤までゆっくりと泳いでいく。久しぶりに泳ぐので、体に気を遣い、ゆっくりと泳いでいだ。そう、慎重に。
ゆっくりと、目標の防波堤まで泳いでいった。しかし防波堤を越えて流れ込んでくる波に阻まれ、たどり着けなかった。私は一度、足がつくところまで戻ることにした。
足の着く位置まで戻り、一息つくや否や、運動不足からか、激しい嘔吐感に襲われる。食べ物が胃に入っていなかったため、胃が縮まる感覚があるだけであったが、しばらく私は嗚咽を漏らしていた。
後ろで子供たちが、「きゃっきゃうふふ」とボールを投げて遊んでいたが、その後ろで、吐きそうになっている若い老人がいることに気がついて欲しい。自分が幸福であるときに、世界のどこかで、誰かが苦しんでいるという事実に気がついて欲しい。
一休みを終えたら、再度、防波堤まで挑戦である。富士山登山の時にも思ったのだが、私は自然を甘く見ている気がする。今回は、防波堤までたどり着いたものの、帰りに海水を思いっきり飲み込み、今度は本当に嘔吐した。今度は泳ぎながら嘔吐した。死ぬかと思った。もう、自分の能力を超えるような無理はしない。
海水が、しょっぱいなんて、海に入ってから思い出した。思えば、今まで、私はハワイの海に入ったことがなかったのだが、日本の海にも入ったことがなかった。今まで、波のない温水プールで育った身としては、人工物である防波堤に囲まれているとはいえ、自然は十分な脅威であった。「腐った鯛」は、泳げないと悟った。
「一つだけ強がりを言えるのなら、もう無理なんてしないなんて、言わないよ、絶対。」
 
二、シャークスコープと私
 魚と一緒に泳ぎたいのであれば、お勧めのロケーションはシャークスコープである。ここでは、様々な魚の群れを見ることができる。海が大嫌いな私にとって、今回のシュノーケリングは、初めての体験と言うことになる。カメハメハ・ハイウェイをひたすらバスで走ること2時間。バスの運転手が、「シャークスコープ!」と叫んだのを聞いて、バスから降りる。なるほど、素晴らしい景色だ。
 少し泳ぐと、様々な大きさの魚が、視界に入った。浅い岩場で静かにしていると、なんと、魚たちが私の周りをぐるぐると回り始めるのだ。
私は、大きな魚を見つけたので、追いかけた。魚を追いかけている間に、「将来、漁師になっても良いかな。漁師になって、魚を捕まえて、気ままに毎日過ごしたいな」と思い始めた。大きな魚を追いかけているうちに、私は疲れ始めた。夢中で泳いだので、陸まで少し距離がある。更に、食べてすぐに動きすぎたようだ。少し休もうかと思ったが、足下を見ると、大量のウニが岩場にいる。これは怖い。怖すぎる。片足で岩に立ち、休もうとした。襲いかかる波。これは惨い。惨すぎる。そして、私は海水を飲んだ。
 海の最も悪い点は、海水は塩水であると言うことである。なぜあんなにもきつい塩味なのか。少し飲み込んだだけで、吐きそうになる。今回も、吐いた。
 吐くと、大量の魚が私の周りに集まってきた。魚が集まってきた直後は、「おお、すげえ」などと、吐いたことも忘れて、感心していたのだが、程なく、魚たちが私の足にかみつき始めた。私は「攻撃的(アグレッシブ)だ、この魚たち、攻撃的(アグレッシブ)だ!」とショックを受けた。先ほどまで、私が追いかけると逃げていた魚たちが、今度は私を追いかけ始めた。まるで、『トムとジェリー』である。「マジで悪かったって!マジで許して!」と、心の中で叫びながら、必死に逃げる。魚が近づいてこないように、海の中を激しくもがきながら逃げる。何とか逃げ切れた。逃げ切った後、また少し吐いた。そして、再びその場から逃げ出した。
 海で泳ぐということは、私には無理なことだったのだ。

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《コメント》
 水泳未経験者がおぼれかけて水を飲むというのはよく聞くが、水泳部出身者が何で泳ぐときに水を飲むのだろう? すくなくとも私の場合、泳いでいて水を飲むということは先ず無いから、海の水が塩辛いなどということを感じるのは、唇を舌でわざわざなめたとき位しか無いのだが…。
 ところで、この写真はどこなのだろう? あるいはどこからとったのだろう? ビルの連なりから考えて、シャークスコーブではあり得ないから、ワイキキ・ビーチのはずだが、よほど沖に出た船から出ないと、こんなシャッター・アングルにはならないと思うのだが。






 

山岡荘八二大歴史巨編について

 

法律学科四年生                        佐藤悠斗

 

 まず始めに、私がどのような経緯で山岡荘八の作品と出会ったかというところから書いていこうと思う。
私は子供の頃から歴史が好きで、小説では宮城谷昌光などの中国史を好んで読んでいた。しかし、春秋戦国時代や三国志を中心に読んできたが、半年前にふと日本の戦国時代も面白そうだと思い、戦国時代を扱った本を探しているうちに山岡荘八が徳川家康26巻を世に送り出し、それが昭和期に家康ブームを巻き起こしたという情報をネットで知り、また巨編小説のギネス記録になっていることも知った。そして私はブームになるような作品とは如何なるものなのか、山岡荘八の作品について調べ始めた。
しかし、最初から徳川家康26巻に挑むのは戦国時代については初学者である私にとっては無謀であると考え、徳川家康に比べて巻数が約3分の1にあたる独眼竜政宗全8巻に挑戦してみようと思った。もちろん、巻数の問題だけではなく、伊達政宗に大いに興味があったからという理由も大いにある。そうして、試しに1巻だけ買ってみると、有名な作家の作品だけに面白かった。これなら8巻まで読破できるのではないかと思い、暇を見つけては読み、遂に全8巻読破を達成した。そして、次は本命の徳川家康26巻に挑んでいるのだが、こちらの方はまだ5巻であり、26巻読破は達成できていない(伊達政宗は1冊400ページ程度に対し、徳川家康は1冊500ページ程度のため1冊読むのも一苦労である)
まず、山岡作品を一番評価できる点は、なんといっても物語が面白いという点である。
では、具体的にどのようなところが面白いかというと、物語の人物が活き活きと描かれている点があげられる。例えば、織田信長は高圧的で荒々しく、前後の見境なく行動するような異端児であると織田家家臣から誤解を受けることが多いが、そのような印象に反して冷静に物事を考えていて二手三手先を読み、衆人の意表を突き、天下布武を成し遂げようとする野心家。徳川家康は肥満した体であり、顔も柔和で、腑抜けに見られることがあるが、見た目に反して頭脳明晰、精神力は強く、着実に版図を広げていき、東海一の弓取りと呼ばれるなど、堂々たる戦国大名の器を持つ男に描かれている。そのように作者が登場人物を一人一人丁寧に描いており、人物像がぶれることなく活き活きと描かれていて、読む人を楽しませてくれるところが山岡作品の特徴である。
次に評価できる点は、歴史に忠実であり、年譜に従って物語が描かれている点である。歴史ものの小説は、歴史小説と時代小説があり両者を混同して使われる事が多いが、文学の中では明確に区分されており、歴史小説は登場人物が歴史に忠実に行動するのに対し、時代小説は歴史を題材にしたフィクションであるため、歴史上の人物が歴史とは違った行動をとったり、主人公が完全な架空の人物であったりする。ちなみに時代小説の例を挙げると鬼平犯科帳や宮本武蔵(書名)などがそれにあたる。勿論、徳川家康と独眼竜政宗は歴史小説である。山岡作品の歴史上の人物は戦死、病死、自害など史実に従った死因で、史実に従った年月日に死亡していき、とても歴史に忠実である。そのため、山岡作品は面白いだけではなく、とても歴史の勉強になるため、私はとても気に入っている。
次に山岡作品に求めるものを書いていこうと思う。
山岡荘八といえば、徳川家康全26巻が断然有名だが、徳川家康の方は独眼竜政宗に比べるとフィクションにあたる部分が多く、現存している資料からわかることだが、交流がなかったであろう人物同士の会話があったり、男女の色恋(露骨には描かれてはいない)を描いた場面が多い。山岡荘八の徳川家康は伊達政宗より先に描かれた作品であるため、そのような失敗も見受けられる。
次に、徳川家康は物語が遅々として進まないことが結構な頻度であり、テンポが悪く感じた。例をあげると、家康の人質時代の後見人である今川義元が桶狭間で織田信長の奇襲によって戦死した際、家康の視点、伝通院(家康の生母)の視点、築山殿(家康の正室)の視点、家康の家臣達の視点、と4つの視点から描かれているが、私としてはテンポが悪いのではないかと思った。徳川家康ではその他にも桶狭間の戦いを始めとする歴史的事件についていろいろな人の視点から何度も扱っていることがある。凝っていると言えば凝っているのだが、テンポの悪さは否めない。これも後発の独眼竜政宗ではそのような描き方はほとんどないため、改良されたと言える。
また、徳川家康は3巻あたりで父親の広忠が家臣に殺害され、物語の主人公が家康に移るのだが、徳川家康というタイトルであるのに3巻まで主人公が広忠となっている。広忠が主人公の巻は架空の人物が特に多く出てきて、物語を作っていることが素人目にもわかるし、先代広忠の話は1巻だけで十分だったのではないかと私は思った。また、独眼竜政宗では政宗の幼少期から政宗が主人公であるためこれも改良されているのではないかと思う。
また、山岡作品に共通して言えることは、作中に架空の人物が登場することである。徳川家康では竹之内波太郎(尾張と三河の間に勢力を誇る名士)と随風(天海上人の若かりし頃の姿)、水野信近(家康の甥だが、史実では活躍しない武将)、伊達政宗では村岡(愛姫の侍女)、マリア(南蛮から来た修道士で政宗の側室となる)などである。山岡作品ではそのような架空の人物が作中で結構な割合で登場する。これも架空の人物数、架空の人物の登場頻度ともに、独眼竜政宗では減少されているが、歴史小説はフィクションを売りにしている時代小説ではないので、架空の人物自体が不要に感じた。
 ここまで山岡荘八の徳川家康と独眼竜政宗について良い点、悪い点の批評をしてきたが、後発の独眼竜政宗の方が洗練されていると言わざるを得ない。
独眼竜政宗は一般的な歴史小説と比べると全8巻と長めだが(だいたいの歴史小説は上下巻や長くても上中下巻である)、物語のテンポが速く巻数の長さはそこまで気にならなかった。また、独眼竜政宗は豊臣秀吉の惣無事令(私戦禁止令)を破って版図を広げた際の弁明や、豊臣秀吉の小田原城攻略時の遅参への弁明など、大名家取り潰しになるような修羅場を機転で潜り抜けていくさまは読んでいてとても楽しかった。徳川家康と比較すると、徳川家康は家康個人の能力よりも家臣たちの活躍、独眼竜政宗は政宗個人の活躍が色濃い。独眼竜政宗の伊達政宗は織田信長のようなワンマン主義なカリスマタイプに描かれているので(伊達政宗は史実でも自ら戦闘の指揮を執ったり、行政を指導することが多かった)、カリスマ好きの人ならとくに楽しめる作品なのではないかと思う。(有名な三国志に例えると、伊達政宗は優秀な家臣に支えられた仁君劉備ではなく、ワンマン主義の天才野心家曹操である)
私はこんなに長い歴史小説は初めてであったが、一冊で終わってしまう小説が多いなか、8巻という長さは読み応えがあったし、8巻読み終えた後には日本史や読書における確かな自信がついた。楽しみながら安土桃山時代から江戸初期の時代の勉強ができたと思っている(山岡作品ではその時代の合戦だけではなく、政治や経済についても詳しく描かれている)
楽しく読めて、歴史の勉強にもなる山岡荘八の歴史小説。特に独眼竜政宗はオススメしたい小説である。
 
《コメント》
私は、山岡荘八は読まない主義である。かつて一度、『徳川家康』を読みかけたことがある。しかし、4~5冊読んだところで放り出した。人生は短い、読むべき本は多い、こんな駄作に時間を浪費して、よりマシな本を読む時間を失うのは耐えられないと思ったのだ。
佐藤君も指摘しているとおり、ムダに長い。しかもその長さはムダに多い架空の人物の描写のためである。これは作者が歴史小説の本質を理解していないことを暴露している。歴史小説に架空の人物を設定するのは、その架空の設定がもたらす触媒作用を通じて、史実 (少なくとも正確に判明している史実) そのままよりも,より正確に主人公の本質を提示する手段のはずである。ところが、山岡荘八の場合には、架空の人物に紛れてしまって、却って家康という人物の本質が見えないものになっているのである。戦国末期については、史学科で講義しろといわれても応じられる程度の知識を私は持っているだけに、あの無神経な架空の人物のオンパレードには本当に発狂しそうになった。それでも、そのうちマシになるだろうと読み進めたのだが、悪化の一途をたどるという駄作なのである。
家康を、その父の代から描くことは必要である。より正確に言うと、家康を理解するには、祖父の代から描く必要がある。祖父と父の数奇な運命が、家康その人を数奇な運命に投げ込んだからである。
 
しかし、佐藤君が推薦する伊達政宗は、山岡荘八を家康で見放してしまった結果読んでいないので、折りがあったら一度読んでみようかと思う。
 
ところで、家康に興味があって、彼に関わる歴史小説を読みたいなら次の書を推薦する。
「遁げろ家康」 (朝日文庫): 池宮 彰一郎
元は傑作短編であった。それを水増しして無理に長編にしたので、私には冗長に思えたが、家康の生涯に詳しくない人なら面白く読めるはず。
 
「新三河物語」 (新潮文庫) 宮城谷 昌光
佐藤君も好きな中国古典の名手宮城谷が、大久保彦左衛門の書いた「三河物語」をベースに、家康の生涯と大久保一族の運命を雄渾に描いた傑作
 
「捨て童子・松平忠輝」講談社:隆慶一郎
家康と伊達政宗の接点というべき、松平忠輝の生涯を、忠実に歴史に沿いつつ、かつ奇想天外に描いた傑作。歴史小説に架空の人物を登場させるのなら、このように描くべきだ、という見本のような作品である。同じ作者の『影武者徳川家康』(新潮社)も間違いなくフィクションなのに、歴史的事実を完璧に踏まえているという意味で歴史小説の傑作。





 

我が家特性ミートソース

~これを食べたら外食先のミートソースが食べられない・・・かも~

 
経営法学科4年
学籍番号:0842244
村松 美智子
 
はじめに
 ミートソースのレシピを書いてみました。時間的余裕があるようなら作ってみてください。そして。作った当日よりも翌日以降の方が味が落ち着いているのでより美味しいです。(体験談)
 
材料
     
・ひき肉(我が家は豚と牛の合挽)300g
・玉ねぎ(みじん切り)1つ
・マッシュルーム7つ
・エリンギ1つ
・トマト缶(イタリアホールトマト)2缶
・トマトピューレ1
・ニンニク2かけ
・ナツメグ適量
・ローリエ(月桂樹)数枚
・オリーブオイル適量
・赤ワイン20cc(お好みによっては増やしても大丈夫です)
     
・塩
・ブラックペパー
・ハインツのトマトケチャップ一本
・北海道のピザ用チーズ
・ブルドックソース
 
材料は書きましたが、肉が多い方が好きな方なら肉を多めに。玉ねぎ等が好きな方ならひき肉を少し抑えてその他の材料を多めにするなど、好みに合わせて作ってください。後はご自分の味覚を信じてください。それでは以下が手順です。
    炒める
 温めた中華鍋(蓋付き)にオリーブオイル、ニンニク(つぶすとエキスが出やすい)をいれて炒めます。ニンニクがきつね色になったころにニンニクを取りだし、肉を炒めます。炒めたらナツメグ(におい消し)を入れて混ぜた後に、玉ねぎ、エリンギ、マッシュルームを炒めます。炒めたらホイールトマトを入れ、トマト―ピューレを入れます。我が家では2:1の割合でいれています。灰汁がでるので取ってください。ローリエ数枚、赤ワインを入れます。
 
    煮込む
塩、ブラックペパー、チーズ、ケチャップ、ブルドックソースで味を整えます。
塩やブラックペパーは様子を見ながら入れてください。チーズは一掴み、ソースも様子を見ながら入れてください。
我が家はトマトが好きなのでケチャップの比重が多いのですが、この比重をかえると味の方向性も変わってくるので、やはりお好みで整えていくのがいいと思います。
 
非常に曖昧な書き方をしたことに謝罪いたします。
がしかし、味に関しては個人の趣向や好みが大いに違うため、作るのならばご自身の好みに合わせたほうが良いと考えた結果、このような書き方となってしまいました。
 時間があるようならば試して
 
《コメント》
 特性? 特製ならともかく、特性、つまり特別の性質を持つミートソース! どんなところに特別の性質があるのか書かれていないので、少し不気味な気がします。
 いずれにせよ、我が家にはブルドッグに限らず、ソースと名のつくものが無いので、試しようがないですね。昔は、我が家にも普通にソースがあったのですが、あれは実は日本独特の物で、よその国には全くないのです。若いころ、ドイツに留学したら、ドイツには既製品のソースが一切無いので、初めのうち,自分で作った料理にどうやって味付けしたらよいか困りました。醤油をベースにいろいろ工夫したものです(キッコウマンという会社は偉い会社で、何十年も前からコツコツと欧州に進出の努力を続け、私の若いころ、既にドイツのどこに行っても大手デパートの食料品売り場なら,おいてないところはないまでになっていたので,醤油だけは苦労せず入手できたのです)。だんだんとコツを覚えて、必要な場合には料理の途中で、食品から出てくる肉汁等をベースに、一緒にソースを作るようになってしまい、以来、今日まで、市販のソースは私の家から姿を消してしまったのです。
 一度、市販品のソースを使わないミートソースにチャレンジしてください。そして、おいしいレシピができたら、是非知らせてください。





 

就職活動と私

法律学科 五十嵐 裕介

 私は甲斐ゼミに入るまでは司法試験や公務員試験を受けようと考えていた。しかし、入って講義を受けると、あまりの過酷さに絶望し、民間企業への道を歩んだ。私は当時民間企業をなめていた。当然公務員試験より民間に就職するほうがはるかに楽だと思っていた。そんな時期が私にもありました。
 3年の冬から本格的な就職活動が始まります。私は当時「どっかしら大手に引っかかるであろう。」そんな甘ったれた考え方のもと、何も準備を行わず、遊び8割就活2割のペースでやっていた。損保大手や証券大手に出版大手。当然落ちる。当たり前の話だが、日大生が何の準備もせず何千何万という就活生が受ける大手企業に挑んだのである。まず落ちる。エントリーシートは通ることはあっても筆記、面接で鬼のように落ちました。そこで私は気づいたのです。あぁ、疲れていい面接ができなかったんだ。すこし息抜きに遊ぼう。春からまた遊んでいた。当然遊んでいる間は何も就活は行わない。このころですら、まだ大手のどっかにいけると楽観していたのである。本当にのんきな人間だ。そんなこんなで3月になると未曾有の大地震が日本を襲った。多くの方が亡くなり、多くの企業に深い傷を残した大震災である。このときばかりはのんきな私も焦った。ヤバい・・・これ日本ヤバイ・・・。東京大地震も現実にあるかも知れない・・・。死ぬ前に遊ばなきゃ・・・。そうして遊びの春休みを終えた私であった。そうっして春がい終わると大手の募集は軒並み終わり、夏の中小企業採用が始まる。その時は、私は馬鹿であった。「俺を採用しなかったことを後悔させてやる!BIGな人間になる!」そう思ったのである。思ったのは良かったが、就活といえば就活サイトを見てクリックするだけの毎日。エントリーシートを書き、面接で落ちる。そんな毎日を送っていた。努力をしていないので入れないのは当たり前だが、大手に入れなかったことにショックをうけ、就活から離れていくダメ人間の私。3月には卒業しなくてはならない。奨学金も返さなきゃいけない。しかし、やらない。周りの人間がまだ決まっていないので安心感もあった。まだ大丈夫。まだ平気。そんな腐った日々をすごしていた。そう。夏までは。
 夏休みに入ると親にこういわれた。
 1231日までに内定なかったら家出てけ。」
 流石に私でも焦った。なぜなら本気の目だったし、3月まで暮らせる金もない。これは・・・やるしかない・・・。そう決めたのであった。そしてミンミンゼミが鳴き、熱風と都会の自動車の排気ガスがより一層スーツの中を汗で濡らすという就活生にとって地獄の夏。そこから私の就活は始まった。クソ厚いなかスーツフル装備で駈けずり回る。これは想像以上に厳しいものであった。ズボンの中の汗が一番不快である。何せ歩くと足にくっつき、気持ちが悪い。そういった環境の中時には40分以上炎天下を歩き回ったり(迷子)電車の中で汗だくで、乗客に深いな顔をされたりしながら説明会や面接に行きまくった。本当に夏だけの就活でもツライのである。これで落ち続けたら泣くんじゃないかってくらい大変であった。そんな夏の就活を私が続けてこられたのは一人の少女の言葉だった。長い間虐待にあい、妹と逃げてきた女の子はこういった。
 「どんなことでも我慢して必死で続けていればいつか必ず認めてくれる、報われる。」
 僕の瞳をまっすぐ見てそういったのである。
 嘘です。就活後のキンキンに冷えた生ビール。これが俺を救ってくれた。夏の日照りの中長時間スーツで出かけ、集中力をフル稼働させる就職活動。この後のビールが最高に美味い。もう、言葉などでは表せない。そんな極上の一杯。どんなおいしい飲み物も。どんな高級な飲み物も、あの一本300円の缶ビールに適うものはいない。つくづくそう思う。そうして夏就活の間はほとんど遊ばず、必死でやっていた。そうすると3件目の企業で好感触。そのまま最終面接を通り、内定をもらってしまった。12月から9月までの長い時間はかかったが、実質就活時間を考えるとあっさりとした決まりであった。その時私は嬉しさや喜びでもなく後悔の2文字が頭をよぎった。最初から本気で就職活動をしていれば・・・。そんな思いがあった。当初、行きたい企業がなかったわけではなかった。ここに行きたいと思う企業はあった。しかしまじめさ、本気さが足りなかった。あの頃からやり直せれば。そんな思いをしてしまった。
 現在23年生。甲斐ゼミは公務員・司法試験用のゼミであるから民間企業を受ける人は少ないかもしれない。ただ受けるなら言っておきたい。こんな私が言うのは申しわけない。しかし説得力がある。
 「やると決めたことは最初から全力でやれ!」
 本気を演じて言葉を作り、表情を作っても相手に伝わります。もし民間を受ける人がいたら私を半面教師として励んで欲しい・・・。頑張ってくれ!
 
しかし決まってよかった・・・。
 
《コメント》
 本当に決まってよかったですね。
基本的に、一部上場企業はTOEIC600点がカットラインといわれます。つまり、それ以下だったら、事実上の門前払い。仮に会ってくれても、何かよほどアッピールできるものが無い限り、話はそれ以上に進むことはない、といわれます。英語が並みにできます,というためには、英検準1級、TOEFL550点(今行われているTOEFL iBTなら80点)、TOEIC730点以上が要求水準と言われます。
国家公務員の場合は、TOEIC500点がカットラインですから、その意味では民間企業は、公務員よりも厳しいのです。その代わり、法律知識などで試験をすることはないので、その点が、民間は楽なのですが。
だから、民間大手を目指すなら、まずは英語力のアップです。夏休みに、米国の大学のサマースクールに参加するなどして、努力を重ね、それをアッピール要因として書いておけば、かなり就活でも有利になるはずです。





 

「私と関法連」

 

中根太暉
 
一 はじめに
私と「関東学生法学連盟、略して関法連」との関係は、私の法学部生活を象徴するものである。この関法連を通じて、法律学の複雑さ且つ奥深さを知ることができた。それに加えて、この関法連を通じて、学内外の学生、学内外の教員や法曹三者をはじめ様々な方々との交流ができた。これにより、私の試験勉強の励みにもつながり、人間形成をより豊かにしてくれたのである。このような組織に関わり、様々な経験を得ることができて感謝している。このことは私の人生の宝である。なお、私が本ゼミに入るきっかけとなったのは、一年生のときに行われる内部討論会にて甲斐先生が出題をなされたからである。
以下に、関法連の紹介と私が関法連を通して学んだことを記したい。
 
二 法律討論会とは
はじめに学外の法律討論会について、その概要を説明したい。関東学生法律討論会は、関東学生法学連盟が開催する。第1回関東学生法律討論会(通称:春討)6月に、第2回関東学生法律討論会(通称:秋討)10月に開催される。後援は東京高等裁判所・東京高等検察庁・関東弁護士会連合会・有斐閣である。関東学生法学連盟には現在、慶應義塾大学・駒澤大学・専修大学・中央大学・日本大学・明治大学・立教大学・早稲田大学の計8校の法律サークルが加盟している。この8校が春討・秋討に出場する。開催もこの8校が順番に担当している。各大学とも、3年生が論者として出場するのが通例であるが、12年生も出場できる。各大学内部にて学内選考会を行い、そこで選ばれた1人が 討論会本選に出場する。秋と春の成績で上位4位の成績を取れば、全国の討論会に進むことができる。
次に、法律討論会について簡単に説明する。まず、法律討論会に際して、開催校の教授が法律に関する問題を出題する。出場者(=論者)はその問題に対しての答え(=論旨)を法律討論会の当日までに作成しなければならない。科目は憲法・民法・刑法である。
実際の会場では、まず、論者は、壇上において自分の論旨を10分間で発表する。1分間の休憩を挟んだ後、次の10分間で他大学からの質問に順次答えていく。この「論旨発表」と「質疑応答」が法律討論会の中心ということになる。そして、この約20分間の一部始終を審査員(教授三名・裁判官・検察官・弁護士)が審査・採点し、順位がつけられます。上位入賞者(3位まで)は裁判所・検察庁・弁護士会から賞状を贈られる。
また、論者だけではなく、論旨に対して質問をした学生(=質問者)に対しても審査・採点が行われ、優秀な質問をした人には質問賞が贈られる。なお来年度からは法務省より質問賞を授与されることを交渉している。
 
三 学んだこと
 私の関法連で学んだことには、2つの側面がある。それは①討論会の表舞台で大学を代表して論壇に立ち、当日までに勉強に励む立論者という側面と、②学内選考会で論者となった者を支えて他大学に質問する質問者という側面である。
 
四 質問者として
まず、質問者として学んだことを記したい。私が本格的にこの討論会の勉強に加わったのは大学2年生の春討からであり、私は大学2年生から大学3年生の6月まで、平成22年度春討(刑法)・同年度秋討(憲法)・同年度全討(憲法)・平成23年度春討(民法)4つの討論会の問題について勉強をすることになった。
質問についてはこの平成22年度春から平成23年度春まで、これまで関わったすべての討論会を通じて学ぶことになり、これらの経験を通して学んだことは「良い質問」とは何かである。以下に経験を通して学んだことを記したい。
 
 () 確定性・妥当性
相手の論旨の主張()に法的確定性・法的妥当性があるのかを確認しなければならない。去年春討を審査なされた検察官曰く、「関法連という組織は法律実務家を志す学生が集う場である以上、討論会も法律実務の練習として参加してほしい。実務では紛争の解決を目指すだけなのですから、単に相手の論に対して、足上げ取りのような質問は良い評価はしません。質問者たちは、相手の論において実質的な理論の問題を列挙して、相手の主張に法的確定性・法的妥当性があるのか考える作業をしなければなりません。
やはり、論者の矛盾をあらさがしして矛盾をついてやろうというような「黒い動機」が見える質問はよくないということだった。検察官が言う確定性とは、「いかなる事案でも主張を支える理由が一貫して結論に結びつくことであり」、法的妥当性とは「法の指導原理・法原則・秩序に照らして妥当であること」をいう。このことを考えることがまず良い質問の第1歩といえると考える。
 
() 疑問に思ったこと
 これは当たり前なことかもしれない。今年の春討で審査員をなされた弁護士が言うには、「良い質問というのは、論者の発表を聞いて自分自身が率直に疑問に思ったこと、法律上の今回は民法上の原則・指導原理に照らして問題があるのではないかと疑う箇所を表現して質問すればいい。」質問というのは本来、自分が疑問に思ったことを素直に知りたいと思い、それを論者にぶつけることなのだと思う。このような態度も良い質問につながると思われる。
 
() 事案に則していること
 最近、関法連の問題は司法試験と同じくして、事例問題が頻繁に出題される。この事例問題に書かれている「国家行為・要件事実・実行行為」について論者が自分と違う評価や結論を課している場合に、問題文に書かれている要件事実や実行行為に、自分の解釈と論者の解釈を比較することなのだという。その質問できているかを審査員は審査しているのだそうだ。
これは、去年の春討の裁判官に言われたことで、「実務に入れば、基本的に六法はあまり使いません。ほとんどが特別法になってしまうのです。使うとすれば刑事事件くらいです。解釈なんてものは立法担当官の文献資料や説明と,自分の法的論理力で決めなくてはならないのです。今回の討論会は、教科書的な質問が目立った。あくまで質問というのはそのような概説を聞くお粗末なものでないのです。そのような対立は知っておかねばなりません。何故刑法上学説に対立があるのか、罪刑法定主義と刑法の本質の問題という、より深い知識を理解した上で討論会を望むものです。これらを理解した上で、事例事案に則して何故、そのような評価・解釈に違いででてくるのか、何故、その理由からそのような結論に至るのかをより深く質問することだ」とのことであった。
教科書的な質問とは、すなわち教科書に書かれている刑法上の学説の対立や学説の批判に関する質問が目立ったそうで、教科書・基本書に書かれている知識や学説の対立を聞くのではなくて、あくまで問題の事案を中心にその事案に則して質問を展開していくのが基本中の基本であるといえる。
実際に、私や他の勉強仲間、後輩たちも上記のアドバイスのメモをして、試したつもりだが、日本大学は去年春討の一位入賞で止まっている。今回もうまくいかなかった。愚公移山のたとえどおり、私は平成23年度の秋と全で最後であるので、質問賞一位を目指して常の勉強とともに励みたい。
 
五 立論者として
 最後に立論者として学んだことを記したい。私は、平成22年度第2回関東学生法律討論会に出場した。結果は4位であり、入賞できずに悔しい思いをした。討論会後のレセプションで当時審査員であった慶應義塾大学教授の小山剛先生にお聞きしたところ、「学生の法律討論会なのだから、学生らしい討論、縛られないチャレンジ精神のある主張をしてもよかったのではないか。」とおっしゃられた。1位だった慶應の学生が内閣法制局を廃止して、各省大臣と議会法制局が事前審査をするというチャレンジ精神のある主張をしていた。
 この悔しさを感じるとともに、法律学の奥深さを学ぶことができて感謝している。以下、具体的に学んだことを記したい。
 
()  一行問題という苦悩
 まず、私が出場した討論会の問題は、明治大学法学部教授の笹川紀勝先生が出題なされ、次のようなものであった「事前と事後の違憲審査-権力分立を踏まえた憲法的構成-」という、いわゆる一行問題である。またその後に「問題の意図」が発表され、事前審査は内閣法制局、事後審査は裁判所という形式は三権分立に反するか、そしてその事前と事後の役割と機能は何かという問題であった。この問題は、一行問題であるので、10分間でどうまとめきればいいのかという問題があった。私は大変苦労した記憶を持っている。私自身も三権分立の意義と効力が対国民的作用であることから内閣法制局は国民的作用を持っていないという理論の結びつきを理解できず、苦労した。つまり、内閣法制局はあくまで国民的作用を持たない。何故なら最終的には国会(立法権)で決まりそれが国民的作用になるというのが正解で、内閣法制局はあくまで内閣立法の補佐機構である。 を全く導けずに、無駄な説明ばかりをしたものであった。
一行問題はあれもこれもと書きたくなり、中々まとまらない。しかし、その苦悩は解決できる。甲斐先生曰く、一行問題は「問題」なのだから、問題となるテーマ命題となる論点が必ず潜んである。そのテーマの中で最低でも落としていけない論点を探すのである。その論点を的確に抽出して自分なりの考えや解決策を書けば必ず、良い点をもらえるのである。しかし、一行問題は必ず多論点型問題・二項対立型問題となるので、私は最低でも落としてはいけない論点をとり挙げたのである。小さな論点となるものは、すぐに片づけて落していけない論点に向けるのである。
 
() 問題意識と構成
私は①「問題文にちゃんと答えているのか」に気をつかい、②文章の前後関係を照らして「ここでは何を言いたいのか」ということを確認しながら論旨を作成した。結果として論旨を短いスパンで30回も書きなおすことになったが、この問題意識を持つことと、構成を考えることは、今後の文章を作成していく上でヒントになると思う。
 
 () 質問対策
 上記のとおり、立論者には質問の時間がある。私は予想される全ての質問を友人たちと考え出してそれに即答する努力を行った。まるで国会の討論みたいな感じがしたが、事前に予想される質問は、討論会当日、全ての質問が同じような質問であったことに驚き、即答することができた。論旨点と質問点を合わせて最高点をくれた出題者の笹川先生は「質問によく的確に答えていた。」だという。事事前に予想できることは全て備えておくことが高得点につながるのである。
 
() 忍耐強さ
これは、誰にとっても日々の生活において大切なことである。この法律討論会を通じて、自らの欲に負けない克己心と忍耐強さが大切であると感じた。たしかに討論会や勉強ははじめのうちはつらいものかもしれない。しかし、私は自らの汗と涙で勝ち取った知識ほど強いものはないといえる。つまり、大学教育では能動的に学ぶ姿勢が大切であり、法律討論会はその能動的な態度の一助となったに違いないのである。自らが(学びたくなくても)学ぼうと決意し、その決意を通じて勉強したことはいつまでも自分の所有物となると思う。このような自己修養は法学部生活と見事に合致し、充実した一年を過ごすことができたと思う。法律討論会というものの意義は、学生に法律学という学問への情熱を呼び起こし、それを強めるものだと確信している。
 
むすびに
関東学生法学連盟は、すばらしい組織であると思う。そして、司法試験を志す学生にとっては、役立つ要素があるのではないかなと思う。去年の秋討・全討は科目が憲法であったため、レセプションにて慶應義塾大学の小山剛先生、中央大学の工藤達朗先生、早稲田大学の戸波江二先生とお会いする機会があり、司法試験に関するアドバイスをいただいた。  
私は、工藤先生とお話する機会があり、工藤先生は「討論会の意義」について語られていた。「確かに討論会と司法試験の勉強は結びつかないのではないかと思えるだろうが、僕はそうは思わない。人間は五体を使って生活しているのだから、この討論会では「耳」や「口」をも使うのだから、討論会の勉強にしたって司法試験の勉強とも結びつくと思います。たとえ、自分が勉強仲間を引っ張っていく立場になったとしても、勉強仲間と法律の議論をする場が増える分だけそで司法試験の勉強になると思います。」
このように様々な方々にお会いする機会を得てモチベーションにつながった。このような経験ができて感謝したい。
 
《コメント》
 小山先生は、自分の所の学生をかばう意味で、チャレンジ精神といわれたのだろうと思う。しかし、おそらく先生自身も、自分の所の学生の主張が、チャレンジという以前の、現実遊離した議論であったことは承知していると思う。
例えば、小山先生が専門とするドイツの場合には、内閣法制局はない。その代わり、法務省が各省の提出する法案を厳しくチェックし、問題が起こらないようにしている。それでも、憲法裁判所から大量の違憲判決が下されている。
これに対し、わが国の場合、これまでの所、違憲判決が下されたのは、すべて議員提案、すなわち内閣法制局の審査を経ずに、議会法制局によるコントロールだけを受けている法律である。内閣法制局と議会法制局の間にはそのくらい大きな実力差がある。議会法制局によるコントロールという議論が、現実遊離していることの端的な証左である。
 
 ところで、質問は、立論者の議論をより深める方向に向けてするものである。揚げ足をとるのではなく、立論者が時間不足から、詳しい説明を断念した部分について追加の時間を与える助け船位のつもりで行うのが正しい。そういう、立論の本質をつかんだ質問が、質問に対する評価は高くなる。そして、もし、その助け船に乗れるだけの議論を立論者が用意していなければ、その立論に対する評価は決定的に悪くなるのである。





 

 


 

個人的な体験

林 潤
 
小学校から高校まで、サッカーを経験していたが、本当に感動していたことがほんの何回かある。
その一度は、中学の頃の大会のことだった。
味方がボールを保持し、私は良い位置から攻撃をしかけるために大きく動き直す。その時、いつもとは違うのが分かった。パスの出し手とパスの受け手である自分とが目が合い、私が一番出して欲しい所にパスが来た。特によくある場面だが重要なのは、味方と試合の中で上手く意思疎通ができたことなのだ。その時の攻撃は、力強い大きな川の流れのように、豪快に敵のゴールネットを揺らした。新しい世界がいま始まったように感じた。
味方のミスにもまた味方がカバーに応じる。私がボールを保持すると周りも私の思って欲しい通りに動く。だが、みんなが融け合ってしまっているのではない。ひとりひとりはしっかりしていて、それぞれ何をしたいのかが、超能力のように分かるのだ。
いまでもこのことを思い出す。
この時から大分時間が経った。何も考えず、ただ遊んで適当に机に向かっていればいい時代とは違い、将来のことを見据えなければならない。しかし、今の押しつけあったりする日常の雑音を、遠いところからやってくるこの記憶が、私から取り払ってくれると願っている。
 
《コメント》
 前半はよく判る。私も中学の時、学校内の声楽コンクールがあり、全クラスが強制的に参加させられた。私のクラスは練習段階では惨憺たるもので、これは参加するだけだな、と思いながら壇上に登ったのだ。ところが、歌い出すと,なぜか完璧にハモっている。終わって降りていきながら、一体今の歌はどうなっていたんだ、と自分たちで不思議がった。結果として、我がクラスは全校で優勝。なぜ練習時にはあれほど悲惨だったのに、あの瞬間だけ、各パートの息がぴたっと合ったのか、不思議に思ったことを林君の文章を読んで思い出した。
後半は、うーん、何の話なのか、よく判らない。「今の押しつけあったりする日常の雑音」という当たりをもう少し掘り下げて書いてくれるとよいのだが。





 

トレーニングについて調べたこと
法律学部3年 青木友佑
 
 目標が高すぎると・・・
 何かに対し、目標を立てて努力をしようと決めたのだけれども、三日坊主となってしまってすぐ挫折してしまった経験は誰にでもあるだろう。人は心の中では安定することを欲している。何かをしてもできなかった、認められなかった時に、心が傷つくのを防ぐための防衛機能であり、程度の差こそあれ誰もが持つ。これを「エゴの声」、もしくは「ロウアーセルフの声」という。目標を高く設定しすぎると、必然的にこなさなければならない課題の難易度は高くなるのだが、その難易度の高い行為をこなそうとすることにより心の安定が乱れるのである。その結果、目標を完遂できるのか、日々の日課をこなす事ができるのかといったことに不安を感じ始める。目標とそれを達成するための努力に伴う困難を天秤にかけ、嫌がってしまうことにより、なにかしら理由をつけて、努力を放棄してしまうのである これを防ぐためには、とにかく単純に目標を高く立てすぎない、もしくはなるべく楽な努力をするということである。こうすることによって「エゴの声」を抑えて、より長く努力することが可能になるのである。
 
 筋肉について
筋肉は体の、およそ400箇所に存在し、収縮することにより運動を起こすが、役割はそれだけではない。筋肉は重要な「熱源」となる
筋肉は血液を循環させるためのポンプの役割もする。
さらに筋肉は内臓や骨を保護する役割もする。実は筋力アップのもたらす効果は一般的に考えるように、運動性能が上がるということ以上のものがある。全身の筋力アップによる負荷への耐久力はもとより、内臓器の衝撃に対する耐久性も上がる。
 トレーニング
トレーニングはウエイトの重さや動作回数によって効果がかなり異なることに注意が必要である。

重さ

限界回数

効果

特徴

(最大筋力の)50%以下

限界まで

(20回~)

筋持久力
アップ

筋肉が太くなりにくく、体を引き締めたい時に最適。

70%80%

8回~12

筋力・筋肉量アップ

筋肉が太くなりやすい。幅広い効果法。

90%~100

1回~5

最大筋力
アップ

最大筋力がアップしやすい、上級者向け

これはあくまで目安であり、負荷の軽いトレーニングでも筋力がアップしたり、負荷の重いトレーニングでも持久力は伸びる。あくまで効果が出やすいということである
 
・インターバル
トレーニング中は休憩時間に気を配る必要がある。セット間の休憩時間の長さによって成長ホルモンの出る量が異なるため筋力トレーニングの成果に大きな影響を与えるからである。一分間までに休憩を押さえることにより、体が、休憩を認識せず連続してトレーニングしていると混同するような効果があります。ただし休憩時間にこだわり過ぎて、息の上がったままトレーニングをしようとすると、疲労からあまり筋力に負荷がかけられないので、息が整うまで休憩をとったほうが良い。実体験ですが無理をすると熱中症になる。
 
 超回復
ウエイトトレーニングなどの高負荷な運動を行うと筋肉が破壊され、その後4872時間かけて回復されるときに以前より筋肉が強くなるというのが超回復であり、トレーニング後の休息は2日とるのが一般的に良いとされている。
この考え方は筋力トレーニングを行う者の間では常識とされている。しかしこれは日本国内で広まった誤った考え方である。日本国内における筋肉の超回復理論は「グリコーゲン機能的超回復モデル」の理論と「大脳運動性インパルス発射頻度の上昇」の混同と誤解によるものと考えられる。しかしトレーニングのインターバルは2日程度おくべきということに変わりはない
 
 なお運動をしないことにより筋力が低下し始めるのはトレーニングを中止してから2週間程度から、筋肉が委縮し始めるのは一カ月ほどからとされている。これはストレスや睡眠状態によって変化する。また大量にアルコールを摂取することによって筋肉が破壊されることが確認されている
 
 効率の良い栄養の摂取を
(1) 必要なカロリー量
消費カロリーが摂取するカロリー量を上回ってはならない。もし摂取するカロリーが不足すると、筋肉内に含まれるエネルギーであるグリコーゲンが不足し、体は筋肉を分解し、たんぱく質として利用し始めるためトレーニングしても筋肉はつかず、無駄な労力を使ってしまったことになる。軽い筋トレとランニングにより体重を絞りつつ体を維持する期間を定め、体重増加と筋力アップのどちらかに目をつむる忍耐が必要です
 
(2) 糖質(炭水化物)
筋肉内に貯蔵されるエネルギーであるグリコーゲンは糖質を摂取することにより得られる。トレーニング直後は筋肉内からグリコーゲンが失われている状態であり、糖質が不足すると筋肉のたんぱく質が分解されてエネルギーにされてしまう(脂肪は分解されない)。回復するためにはなるべく早く糖質を取るべきである。
 
(3) たんぱく質の摂取量
1日に必要なたんぱく質の摂取量は、運動をしていない日では体重1kgにつき1g、運動をした日は体重1kgにつき2gを目安とする。これが不足すると筋肉量は減少し、新陳代謝も悪くなってしまう。そもそもたんぱく質はアミノ酸の結合によるもので、アミノ酸は様々な種類があるのだが、バランスよく採らないと全く意味を成さない。例えばアミノ酸A,B,C1日に必要な摂取量がそれぞれ100だとして、A100B70C10%しか摂らなかったとするとABC10%しか吸収できないという性質を持つ。また植物性たんぱく質は質が悪いためトレーニング中は、肉を中心とせねばならない。肉のアミノ酸のバランスは優れている。
 
《コメント》
「しかしこれは日本国内で広まった誤った考え方である。」とある部分がよく判らない。こう書いたら、それに続けては、当然正しい考え方が書かれそうなものだが、それが書かれていないためである。さらに、結果としては、「トレーニングのインターバルは2日程度おくべきということに変わりはない」とある所は更によく判らない。もし、結果としてそれが正しいのだとすると、前の記述のどこが誤りなのか、判らないのである。





 

少年期の終わり

                           相坂 優太

 
 私は読書が好きだ。安部公房が好きであり、また、澁澤龍彦が好きであり、マルキ・ド・サドが好きだ。村上春樹は嫌いだ。本はいわば精神安定剤のようなもので、私の人生において、無くてはならないものである。人の想像力が無限であると同時に、本もまた無限に存在する。本は字の通り、木を横一線に切り倒して作られる。ここから、想像力は無限であるという話と相関して、旧約聖書にて語られる知恵の木と禁断の果実を想起してしまうのは私だけであろうか。
 
 私が本を読み始めたのは、小学5年生の時だった。当時、学級委員長にも関わらず、乱暴者で破壊の権化と化していた私は、しばしば担任の先生から大目玉を頂戴していた。教壇のステージに立ち、反省文をクラスメイトに披露するのが私の日常だった。その反省文たるや、凄惨かつ稚拙極まりないもので、きっとクラスメイトから嘲笑を浴びていただろうと思う。
 そんな折の事だった。ある日、同じく学級委員長の女子から一冊の本を手渡された。それは赤川次郎の『清く正しく、殺人者』というハードボイルド風の小説だった。
「きっと気に入ると思う。読んだら感想を聞かせてほしい。」と彼女は言い残し、教室を後にした。呆然と立ち尽くす私、人気のない静まり返った教室。下校時間を告げるチャイムの音が静かに、はっきりと沈黙を切り裂いた。ふと教室から見た窓の向こう側は、まるで金魚蜂のようだった。
 借りた本にはかわいらしい仕掛けが施されていた。本の数箇所に、文章を読むことが出来ないように、ノートの切れ端を小さな花のシールで止めてあったのだ。とんだ検閲である。ライ麦畑から落ちるのも厭わないほど、第二次性徴の真っ只中であった私は当然、そのバリケードを突破した。その時のエロティシズム、背徳感は筆舌に尽くしがたいものがあった。それが私という自我の目覚めであったと言っても、過言では無いだろう。
 読み終わり本を返した後も、彼女はまた別の小説を貸してくれた。もちろん、赤川次郎だった。三毛猫ホームズシリーズがどうやらお気に入りだったらしい。ただし、もう、文章が隠されることは無かった。
 そういったやりとりは中学まで続いたが、突然終わりを迎えた。クラスが変わって顔を合わせなくなったなど理由はあるだろうが、仲違いするに至った決定的な理由は憶えていない。きっと記憶とはそんなものなのだ。人は自身に都合よく、過去を改竄して生きている。苦しい記憶など、忘れてしまった方がいいのだ。それが一番悲しい事だとしても。
 見知らぬ他人になった彼女は学年で一番の不良になった。私は小学生時代の姿は見る影も無く、大人しい生徒に変わっていった。客観的に観れば、面白い逆相関である。
 それから、現在。あれから何度四季を巡っただろうか。私は彼女が中学を卒業出来たのかさえ知らない。彼女と出会わなければ、彼女から本を受け取らなければ、きっと、全く違った人生を歩み、違った人間になっていただろうと思う。そう、彼女は私に渡したのだ、知恵の木になった果実を。
 先日、神保町のとある古本屋で『清く正しく、殺人者』を偶然目にした。忘れかけていた幾年もの堆積した記憶が波のように押し寄せてきた。私は懐かしさのあまりページをめくるも、ノートを切った紙も小さな花のシールもそこには無かった。
 
《コメント》
 サドが好きで、それが精神安定剤というのはあまりぴんと来ない。あれを読んで精神は安定するものだろうか?
 それはともかく、この最初のパラグラフをカットすると、結びも決まっていて、全体として掌編小説の趣がある。長編小説は、誰でもきちんと取材さえすれば、そこそこのものは書ける。しかし、掌編小説は、センスがないと書けない。今後、こういう方向を模索するのも君の将来の方向として面白いかもしれない。





 

環境問題とISO14001、環境税の導入について

佐藤雄哉
 
日本において環境問題は90年代から一部の運動家やNPO・NGOだけでなく、一般的な国民の関心事になっている。環境を守ることは合理的であり、日本は高度成長期に汚染され破壊された自然を修復する必要がある。地球を汚染させてしまったのは先進国であり、皮肉なことに環境問題に熱心なのも先進国である。未だ多くの途上国は貧困や飢餓など多くの問題を抱えていて、環境問題までは配慮ができない状態にある。最近のCOP16でも各国の対応は自国の立場を最優先にし、多少の犠牲を覚悟で協力しようとする姿勢は見られなかった。
 
今日、環境に配慮のない企業は淘汰される傾向にあり、企業は環境を経営の重要なファクターとして捉えている。国際規格ISO14001は国際標準規格が認証する環境マネジメントシステムの国際規格である。ISO14001の基本原則はPDCA(Plan,Do,Check,Act)サイクルの継続的改善による環境負荷低減である。この規格は地球環境サミットの成果の一つであり、組織の環境対策を客観的に評価する指標である具体的には、組合構成員の環境教育への取り組みが環境マネジメントシステムを活性化させ、結果として環境負荷の低減につながるという事である。ISO1400119969月に発行され20041115日に改訂された。
この改訂は要求事項の明確化とISO9001との両立性の向上に限定したものであり、追加事項はないが、環境の間接影響の評価や、要求事項の明確化と両立性を達成するために行われた変更が実質的に厳しくなっている。それにもにもかかわらず、予想以上の企業が新版に移行しているのである。このことからも環境は経営の重要なファクターであることがわかる。
 2004年の改訂ではISO9001との改訂は見送られたが、2012年の改訂では両規格が統合するという議論もある企業は環境に配慮した経営を進める上でマネジメントシステムの構築は不可欠である。そしてその役割を果たすためのツールがISO14001である。企業がこの規格を取得するきっかけとして、①環境負荷を低減、②経営戦略、③イメージアップを主な理由として挙げているこの3つの理由を実現していくためには、構成員の意識改革を行い、体質を改善することが必要となる。ISO14001を取得した企業の意見として実際の業務とかけ離れていることや多少のコストがかかってしまうこと、適切な人材の不足などが消極的な意見として挙げられるが、社会のニーズを考えISO14001をポジティブに捉えるべきである。多くの企業がしっかりとした認識をもてば社会に多大な影響をもたらすことができるように思う。
 
以前に比べ日本国内でも環境関連の政府予算が増え、法も整備され税の導入も検討されている。2009年の総選挙で衆議院の単独過半数を制した民主党はマニフェストにおいて、2020年までに温暖化ガスを25%削減するため、排出量取引市場を創設し、地球温暖化対策税の導入を検討すると宣言した。この地球温暖化対策基本法案は廃案となった(衆議院は通過)が、更なる検討が行われることであろうと思う。今は震災復興のための増税も議論されている最中であり、日本全体が不景気な中、導入されるかは不明だが、環境税の一つとして炭素税がある。これは二酸化炭素排出量の削減と省エネルギー開発を誘引する効果が期待できる。しかし排出量を測定することは容易ではないことと、そもそも汚染物は取引の対象ではない。排出者に測定を義務付けたとしても、その真意を確認することは困難である。CO2削減を効率的に進めるために環境税と排出権取引など、経済的な手法が有効であるとの主張があるが当然現在の日本では取り入れられていない。資源は有限であり、希少な資源をいかに効率的に配分するかという問題の一部として環境問題を捉えることもでき、今後より一層、環境と経済のバランスをとることが重要であるように思う。
 
《コメント》
 日本における環境問題に対する関心を、90年代からというのは、いくら何でも短すぎる。わが国の現代史は、高校の日本史などでもまず教えない部分なので、そのような誤解を持つのも判らないではないが…。
 この機会に簡単に歴史を振り返ってみよう。わが国における環境問題が意識されだしたのは、隅田川の汚染問題が端緒であろうと私は考えている。
 東京の寿司は、江戸前の寿司といわれる。江戸前とは東京湾でとれる魚という意味である。ところが、第2次大戦後には、その魚がとても食べる気になれないほどの奇形のものばかりになってしまって、何とかしなければならない、という事が痛感されだしたのだ。そこで、東京都では1949年に「工場公害防止条例」を制定し、続いて、1951年に神奈川県が「事業場公害防止条例」を制定した。これに倣って、1954年には大阪府も「事業場公害防止条例」を定めた。
 国の取組は,それら地方公共団体に比べると大きく遅れるが、それでも1967年には大気汚染防止法が、1969年には水質汚濁防止法がそれぞれ制定される。しかし、環境悪化にはなかなか歯止めがかからなかった。
 その当時、私はアルバイトの関係で、隅田川にかかる両国橋を週に一度は徒歩でわたっていたのだが、その悪臭の耐えがたさに、あの長大な橋を,一度も呼吸せずに渡り切ろうと毎回悪戦苦闘したものである。今、外国からのお客が来ると、隅田川を遊覧するため、水上バスに案内するのが常なのだが、本当に同じ川とは信じられないほど空気がさわやかである。一連の立法は、ゆっくりとではあるが、確かに顕著な効果を上げたのである。
 こうした当時における環境悪化問題が最も深刻な形で現れたのが1956年にはじめて確認された水俣病である。1967年になって、これが日本窒素の工場排水が原因で起きた公害病であると言うことが判明する。そのために1967年に制定され、公布・即日施行されたのが公害対策基本法である。さらに1970年、内閣に公害対策本部が設置され、公害にどのように対処するかについて真剣な検討を行った。これを受けて、同年11月召集の第64臨時国会において公害対策関連法が,実に14法律も一度に成立した。そのため、この国会は公害国会の異名をとる。
 その国会開催期間中の197012月、政府は環境保護を目的とする庁の新設を裁定する。これを受けて翌19717月に「環境庁」が発足することとなる。公害問題という言葉に変わって、環境問題という言葉が使われ出したのは、このころなのだろう。更に、2001年の中央省庁再編の際、省の数を大幅に削減する中で、環境庁だけは環境省に昇格になったわけである。
 この様な歴史を振り返れば、わが国は公害における先進国?であると同時に、公害対策・環境保護に関しても十分に世界の先進国と言える。
 佐藤君は、高度成長期にわが国で環境破壊が起きたように思っているようだが、これは誤解である。水俣病の原因確定に10年以上もかかったことに示されているとおり、実は高度成長期の環境破壊なるものは、それ以前の戦中、戦後の生産優先時代におきた環境破壊がこの時期に顕在化し、認識されるようになったという事のウエイトが大きい。
 例えば、北九州市は、1963年に小倉市・八幡市・門司市・若松市・戸畑市が合併して成立した。その元となった市の一つ、戸畑市は八幡製鉄が市の半分の面積を占めていたのだが、市歌では「黒煙は天にみなぎり」と誇らしげに歌っていた。これは、今の我々から見れば、公害賛歌以外の何物でも無い。戦中・戦後の時期には公害の存在は、誇ることではあれ、問題とは考えられていなかったのである。
そして、少なくともそうして現れた過去の遺産と言うべき問題については、わが国では国内レベルにおいては適切に対応してきたのである。
1997年に、第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)が京都で開催され、今日まで世界の温暖化ガス問題の基盤となっている京都議定書が制定されたのは、決して偶然ではなく、わが国の息長い環境問題への取組が国際的にも評価されていたからに他ならない。同時に、京都議定書は、環境問題がわが国の国内問題としてはもはや解決不可能なレベルに到達したことを示しているのである。
 
なお、付言する。
佐藤君は排出権取引制度の導入に好意的なようだが、私は反対である。知らない方のために説明すると排出権取引(Emissions Trading)とは、各国家や各企業に温室効果ガスの排出枠(キャップ)を定め、排出枠が余った国や企業と、排出枠を超えて排出してしまった国や企業との間で取引する制度である。つまり、先進国の企業は、特に積極的に温暖化ガスの削減努力をしなくとも、開発途上国などで、工業化が進んでいないために排出枠に余裕があるところから排出権を買えば、それによって温暖化ガスを垂れ流しにすることが許されるというものである。そのような方法で、世界全体の温暖化ガスの抑制が可能なわけがないと私は信じている。