甲斐 素直 (一) 正統派行政法学とは? (二) 私の批判 (三) 私の行政法体系 (一) 学生時代 (二) 駆け出し公務員時代 (三) ドイツ留学時代 (四) 公法・私法研究会時代 私のゼミは、公法研究ゼミと名乗っている。公法という言葉にはいろいろな含意があるが、普通は憲法と行政法の上位概念の意味である。例えば、日本公法学会は、憲法学者と行政法学者が集まって組織されている。学会は、毎年10月に二日間行われており、第一日目は全体総会だが、二日目になると、第一部会と第二部会に分かれて討論をする。たいていの場合、第一部会はたいていは憲法問題を取り上げるので憲法部会とも呼ばれ、第二部会は行政法問題を取り上げているので行政法部会と呼ばれたりする。 だから、公法研究ゼミと名乗る以上、ゼミのテーマとしては、憲法と行政法のどちらを取り上げても良いはずである。しかし、実際には、ゼミで取り上げる内容は専ら憲法で、行政法は話のついでに出てくる程度であることは、諸君のよく知るとおりである。 私に行政法を講義する能力がないわけではない。確かに、いま、うちの大学で担当している講義は憲法だけである。しかし、よそから頼まれて講義に出かけたりする場合には、行政法の講義をすることも多いのである。公法学会に出席した場合にも、たいていの場合、憲法部会ばかりでなく、行政法部会のテーマにも関心があるものだから、二日目になると、二つの会場の間を、あっちに行ったり、こっちに来たり、と忙しい思いをしている。今年(2002年)の場合だと、二日目はもっぱら憲法部会の方に座っていた。しかし、行政法部会の司会者は、古くからの友人である大阪大学の村上武則教授で、是非質問を出せ、と私に圧力を掛けてきた(司会者としては、質問が少ないとシンポジウムの間をつなぐのに苦労するのである)。そこで行政法部会の方にも、質問だけは紙に書いて出しておいたものだから、司会者が読み上げるその質問を聞いて、私が行政法部会の会場のどこかに座っていると思っていた行政法の研究者もいたほどである。 それほど行政法に関心があるのなら、なぜ、本務校であるわが大学では、私は講義でもゼミでも行政法を取り上げないのか、という疑問を感ずると思う。その理由を、この随筆では書いてみたい。 第一の理由は、単純である。私の行政法の講義をまじめに聴いて、そのとおりに論文に書いたら、諸君は国家試験に落ちるからである。しかし、私は、司法科、行政科、両研究室の指導教員である。まさかその私の講義内容は、国家試験の答案には間違っても使ってはいけません、とは言えないであろう。したがって、行政法の講義をしようと思ったら、私は、国家試験指導は止めなければならない。本学では、私は行政法を講義しない方が無難ということになる。 (一) 正統派行政法学とは? なぜ、私の行政法講義を聴くと、国家試験に落ちてしまうのであろうか。それは、私の行政法の体系が、普通に認められている正統派の体系とは全く違うためである。 わが国の行政法の正統的な理論体系は、ドイツのオットー・マイアーという学者が、フランスのコンセイユ・デタ(行政裁判所)の判例を分析して、そこに、それまで知られていた私法(中心はもちろん民法)の法体系とは別個の、独立した法体系が存在しているのを発見して行政法Verwaltungsrechtと名付けたことに由来する。 諸君も知るとおり、私法では法律行為という概念を中心に議論を展開する。オットー・マイアーは、この私法における法律行為に対応する行政法上の概念があると考え、これを行政行為と名付けた。実際の法律などでは行政処分といわれている概念がほぼこれに対応する。そして、この行政行為という概念を精細に分析、検討する形で、従来の行政法の体系は築かれてきた。 (二) 私の批判 私は、この従来の行政法の体系に極めて批判的である。理由は単純で、この正統派の行政法なるものは、実際にわが国で行われている行政活動のごく一部しかカバーしていないからである。上述のとおり、オットー・マイアーは、フランス行政裁判所の判例を分析して行政法を作り出した。それと同じように、わが国の行政法学者は、行政法研究の素材を専らわが国行政事件判例に求めている。つまり、無意識にであろうが、行政というものの全体像が、裁判という形で見えるはずだという前提が、そこには存在している。 他方、私は、20年間にわたって、会計検査院に在職し、会計検査という極めて有利な視点から国の行政活動の全体を眺めてきた。そこで、自信を持って断言できることは、行政行為という形態をとる行政活動は、いわば九牛の一毛に比すべきわずかな割合だ、ということである。つまり、わが国の正統的な行政法学は、理論倒れで、特に行政法総論と呼ばれるところは、お世辞にも総論といえる内容を持っていない、と考えている。困ったことに、国家試験で出題の中心となるのは、この行政法総論である。私としては、自分の信ずることとは違うことを教えることはできない。そこで、国家試験を受験しようとする諸君に対しては、行政法を教えないのである。それに対して、例えば会計検査院から頼まれて行政法の講義を毎年しているのだが、この場合には、ひたすら正統派の行政法を覚えて公務員試験に合格した人たちに、本物の生きている行政法を知って貰う必要があると思うので、引き受けているのである。 なお、今、会計検査院で国の行政活動の全体を見た、と断言した。しかし、普通の人は、20年程度では、たとえ会計検査院に在職していても、国家活動の全体を眺めるということはできない。なぜなら、会計検査院の検査活動は、原則的には、財務省を検査する財務検査課、外務省を検査する外務検査課というように、検査対象となる官庁に対応した形で作られているからである。だから、2年に1回の割合で所属する検査課が変わるというようなかなり高い頻度で人事異動があったと仮定しても、20年では、せいぜい10の分野を知ることが出来るにとどまる。会計検査院の検査課は35あるから、単純計算でも見ることができるのは国全体の活動の3分の1以下ということになる。実際には、一つの課が複数の行政領域を担当している場合がほとんどだから、割合はもっと下がるはずである。しかし、私はほぼ全官庁を訪問している。私にそれができたのは、私が会計検査院で働くことにした動機そのものが、国家活動の全体を眺める手段として会計検査院を使おうとしたことにあったからである。そのため、私は、それまであまり会計検査院では行われていなかった、横断検査という検査手法を開発した。ここで横断検査について詳しく説明する余裕はないが、簡単にいえば、複数の官庁を同時に検査対象として、相互の比較を行う、という手法である。そして、職権を濫用して?様々な官庁を訪問するように努力したものだから、ほとんど全ての官庁の訪問に成功したのである。 閑話休題。 (三) 私の行政法体系
このように述べてくると、それでは私の行政法は、いったいどんな体系を持つものだろうか、という興味が湧くと思う。それをある程度詳しく書いてあるのが、丹羽重博教授などと共同執筆した『やさしい法学』という本の中の「行政法」の章である。興味があれば、是非それを読んでほしいのだが、簡単にいえば、1行政組織法、2行政作用法、3行政救済法という順序で行政法を説明しているのである。正統派行政法学の大好きな行政行為は、この行政作用法の一環として、ごく簡単に論及されているに過ぎない。 この本の出版社は法学書院、すなわち「受験新報」という司法試験受験雑誌の発行元であり、各種国家試験の参考書を刊行している会社である。当然、編集者も、様々な法分野にかなりの知識がある。その編集者に、私が行政法の原稿を渡したところ、こんな行政法は見たことがない、と抵抗し、書き直しを求めてきたのを、この本は“やさしい”法学のはずだ、そして、このように説明する方が、一般の人には易しいのだ、と説得して、ようやくあの原稿は日の目を見たのである。いかに正統派と乖離しているかが判ると思う。 今年(2002年)の公法学会で、九州大学の大橋洋一教授が、総会報告として、これからの行政法はこうあるべきだ、として、私の体系と非常に似通った体系を力説された。非常にわが意を得た思いをしたものである。ひょっとすると、後10年か、20年たてば、私の体系が行政法学会の主流になるかも知れない。そうなれば、私が本学の定年に達する頃には、もしかすると、諸君が国家試験に落ちる心配をすることなしに、私は行政法の講義をするようになっているかも知れない。 いや、多分行政法の講義を、わたしが本格的にすることは、今後もないであろう。なぜなら、私の行政法の知識には、いまひとつあやふやなところがあるからである。じつは、私はまともな形で日本の行政法を勉強したことがないのである。 (一) 学生時代 私が学生だった頃、本学に、川西誠という学会でも高名な行政法学者がいた。彼は、法曹たるものは基本的に行政法の知識を持っているべきだ、という信念を持ち、法職課程のカリキュラムに行政法総論を付け加えさせていた。このこと自体は、私は全く正しいと思う。そして、川西先生は自ら我々に講義をしたのだが、これがジョークがマシンガンのように連発で飛び出してくる、という実に愉快な講義で、我々は丸一年間、腹を抱えて笑いつづけたものである。そして、期末試験の会場で、試験問題を見た瞬間、私が愕然とした。何も思い出さなかったのである。 ・・と藪から棒に書いても、意味が判らないと思う。実は、学生時代、私は期末試験のための勉強は全くしないのを信条としていた。まず第一に、司法試験を目指して日夜勉強しているのだから、司法試験科目であれば、期末試験程度は日頃の実力だけで、特別の勉強をするまでもなく、当然に優がとれなくてはおかしい。とれないようなら司法試験だって通るわけがない。第二に、司法試験科目ではない科目のために、勉強時間を割くのは惜しい。そこで、そうした科目については、講義にまじめに出席して、その時間だけで講義をきちんと理解し、それで優がとれるように頑張ることとしていた。もちろん、そのためには自分が判るまで、人の迷惑は顧みず、がんがん質問をする、という条件が付く。この二つをきちんとやれている限り、期末試験のための特別の勉強はいらないはずだ、というのが、その信条の根拠である。 行政法総論は、私にとっては司法試験科目ではないから、後者、すなわちまじめに講義を聴いて、それだけの知識で一切勉強することなく期末試験に臨むという方のジャンルに属する。そして、試験当日、愕然とする羽目になったのである。面白い講義だった、という印象だけが思い出されて、講義内容そのものは、何も思い出せなかったのである。私自身は、だじゃれやジョークの好きな人間なのだが、現在、講義をする際には、ほとんどジョークをいわない。これは、この苦い経験から、あまりに愉快な講義はかえって理解を妨げると考えているためである。それが成功しているかどうかは、是非諸君の意見を知りたい。 あまりに衝撃が強かったので、大学時代の他の試験問題は全て忘れてしまったのに、これだけは今でもはっきりと覚えているのだが、その時の試験問題は「行政行為の附款について論ぜよ」というものであった。先に、何も思い出せない、と書いたが、この附款という言葉が、民法でいえば条件とか期限などに相当する概念であることだけは、思い出せた。しかし、それ以上は何も思い出せないのである。期末試験では、問題を見るなり棄権する、ということは認められていない。20分間は、座席に座っていなければいけないのである。白紙をにらんで20分間座っているのは辛いので、暇つぶしに、民法の条件と期限について書いた。そして、20分が経つや否や、直ちに立ちがあってそれを提出した。わずか20分しか掛けていないのだから、民法の答案としてもひどいものであったことはいうまでもない。だから、当然「不可」のはずだと思い、追試の時には少しまじめに本を読んで試験に臨もうと考えながら試験会場を後にした。 驚いたことに、このひどい答案に対して、「良」が頂けたのである。おそらく、他の学生の答案はさらにひどく、その中では相対的にまともに見えたために違いない。こうして、私は行政法の勉強をきちんとする最初で最後の機会を失ってしまったのである。このことで、私は川西先生を未だに怨んでいる。私は、期末試験などで、割と気楽に?不可を出す方なのだが、これもなまじな温情で可などを与えると、かえって恨みを買うという、この私の苦い経験に基づくものである。 こう説明すると、それなら国家公務員試験の行政法はどうしたのだ、という疑問が生ずると思う。それは、基本的には憲法の力で合格したのだ、というのが答になる。私の憲法の講義を聴いている諸君には判ると思うが、私は憲法と行政法は密接不可分と考えているので、学生当時から、憲法を理解するのに必要な限度では様々な行政法を勉強していた。だから、行政法の短答式程度であれば、あらたまって行政法を勉強しなくとも、憲法の知識とリーガルマインド(山勘?)の活用だけで突破できたのである。そして、論文式の方は、行政判例百選の目次を開いて、その中から過去問を参考に出題されるであろう問題の山を張り、それだけについて論文を予めしっかり書いておくことで、これまた楽々突破できたのである。多分、今よりは、公務員試験も易しかったのだろう。だから、行政法についての体系的な勉強は、全くせずに公務員になったわけである。 (二) 駆け出し公務員時代 私は最初から、将来は大学に帰るというつもりで公務員になったから、行政法に関して自分の知識に穴がある、ということはずっと気にはなり続けていた。しかし、駆け出し時代は非常に忙しい生活を送っていたから、その欠落を埋める暇はなかった。参考までに紹介すると、当時の1週間の生活は次のようなものであった。 ウィークディの夜のうち、1日は司法科の学生に対するグループ指導、1日は行政科学生に対するグループ指導、土曜日は土曜答練の指導と、まず週に3日は本学にやってきていた。当時私が指導したグループにいた学生には、今は弁護士の川上俊明さん、検事の高木和哉さん、防衛施設庁にいる戸田量弘さんなどがいる。 ついで、ドイツに留学するつもりでいたから、週に2日は、そのために語学学校に通っていた。最初は、国が授業料を出してくれたが、後にはこれは、自己負担となった。 残る1日は、富士通の電子計算機学校に通ってソフトウェアの勉強をしていた。これは、もちろん国が授業料を出してくれたのである。ちなみに、当時はわが国電算機産業の勃興期であった。だから、私は日本でも、最も早い時期にコンピュータのソフトウェア技術を学んだ人間の一人である。監査(会計検査)に関していえば、いまはやりのシステム監査という技術の草分けの一人ということになる。このように勃興期だったから、電算機学校といっても、今のように専用の建物があり、専任の教員がいる、という時代ではなかった。富士通の研究所の中で、空いている会議室を使い、手の空いているベテラン・プログラマーが教えてくれるという感じの学校だったのである。使う電算機も、現に研究所で業務に使用している機械を、使用状況に余裕のある時に、割り込んで使っていたものだった。 会計検査院の仕事そのものも結構忙しく、これら夜の仕事?が終わった後で、また役所に戻って残業をする、ということも珍しいことではなかった。さらに電車の中では、グループ員の書いた論文の添削をする一方、ドイツ語や電算機の予習や復習などもしていたのだから、文字通り空き時間はなく、行政法の勉強をする暇などはなかったのである。 私の図々しいところは、自分自身の行政法の実力が低いことは、このように百も承知のくせに、行政科研究室(当時は特研行政科といっていたが)の学生諸君にはちゃんと行政法の講義をし、論文添削をしていたことであった。その当時、グループの一員で、今は愛知県職員の小出茂樹さんは、その私の講義を全て録音して、予習や復習をやっていたのだそうで、この前私が愛知県に行って彼と会った際に、その当時のテープのコピーをくれた。しかし、私にはそれを聴く勇気が未だに出ないのである。 (三) ドイツ留学時代 念願かなって、人事院給費留学生としてドイツに留学したのは、1979年のことだった。この留学では、ようやくのことで、自由になる、まとまった時間が何年ぶりかでできたので、いろいろなことをしたのだが、その一つが行政法を基礎から学び直すことであった。1998年にドイツに行った際に、ドイツの公法学会に出席したところ、79年当時に行政法の講義を聴いたピーツッカー教授にお目にかかれたので挨拶した。そうしたら、よく覚えている、といわれた。毛色の変わったのが、毎時間最前列に頑張っていたから、目立ったのだろうと思う。 普通、日本から外国に留学に行く場合、向こうで聴く講義は、日本で十分に勉強・研究していった科目である。そういう人の場合には、多分、ドイツ語で講義を聴いても、それを頭の中でどんどん日本語と照合しつつ理解していくのではないか、と思っている。例えば、今年の10月からわが法学部に来られた鈴木秀美教授や、今年は二部で憲法の講義をして頂いている慶応大学の小山剛教授は、ドイツ人と日本人との専門的な討論を実に鮮やかに通訳される。どういう日本語は、どういうドイツ語に対応するのか、という分類整理が、頭の中で完璧にできているから、あのようなすばらしい通訳能力があるのだと思う。ところが、私は、ドイツ人と直接に話したり、討論したりすることはあまり苦にならないのだが、通訳は、日常会話ならともかく、専門会話になるとほとんどできない。 理由は、私がドイツ公法を、日本語と対照させることなく、理解してしまったからである。こういうと、何かひどく大変なことをやったように思う人がいるが、そんなことはない。単に、ドイツで講義を受けた時点では、日本の行政法がどんな議論をしているか知らないのだから、聞いた言葉を日本語のそれに該当する概念を現す専門用語と照合するという作業が、全くやれなかっただけのことである。諸君は、日本語の法律用語を日本語で理解していくであろう。それと同じように、ドイツ語の法律用語の意味をドイツ語で理解していく以外に、私にはドイツ公法を勉強する方法がなかった訳である。 そのおかげで、鈴木教授の通訳を聞いて、「え、あのドイツ語はそういう日本語になるのか」とびっくりすることが結構あるのだから、通訳がつとまるわけがないのである。同じ理由から、翻訳も実に苦手である。 なお、この最初のドイツ留学時代の知り合いには、大阪大学の村上武則教授や中央大学の石川敏行教授などがいる。 (四) 公法・私法研究会時代 留学から帰ってから、学生時代の恩師である稲田俊信先生(いまは秋田経法大学長)の紹介で、高柳信一先生が代表者で、宮崎良夫教授が主催していた東大社研の公法・私法研究会という研究会に入れて頂いた。この研究会は、名前に反して、私法は全く取り上げず、公法も専ら行政法ばかりを対象にして活動していた。 この研究会で、私ははじめて日本語による行政法のまともな議論に接する機会を得た。そうした行政法に関する議論の際、日本語の法律用語を聞いては、「あ、あのドイツ語は、日本語ではそういうのか」と、衝撃と共に理解することを繰り返して、ようやく私は日本語で行政法が語れるようになっていったのである。しかし、いまでも、学会などで、同じような衝撃を感ずることがある。あるいは前に述べたように、鈴木教授のような見事な通訳にあうと、同じ衝撃を受ける。どうやら、ドイツ語と日本語の法律用語の対応関係が、私の頭の中できちんと完成するには、まだまだ時間がかかりそうである。 なお、高柳先生はアメリカ法に非常に造詣の深い方で、私は先生の謦咳に接することにより、ドイツ法流の考え方から見れば論理破綻といいたくなるような自在さを持つ、アメリカ法の考え方を知ることが出来た。今現在、私は諸君にアメリカ法についていろいろと話したりするが、そもそもアメリカ法がある程度理解できるようになったのは、この研究会に所属したおかげであった。 この研究会は、宮崎良夫教授が東京経済大学に移籍されたことから活動を終了し、今はない。しかし、この研究会を通じて、最高裁判所判事であった園部逸夫先生、東大の小早川光郎教授や神戸大学の阿部泰隆教授など、非常にたくさんの研究者と私は知り合うことができた。私が大学に戻ってきて、学会などに行ってもあまり困らなかったのは、この研究会やドイツ留学を通じて、すでにかなりの知り合いが、学会にいたからである。特に園部先生は、ご自身が編集される書物に、会計検査院職員だった私に執筆者の一人になるようにと、何度か声を掛けて下さった。そこに書いたものが、私の研究実績として評価され、大学に戻ることを助けた、という意味で、先生は私の恩人の一人である。これらのことからすれば、この研究会がなければ、今の私はないといえそうで、それだけに、この研究会がなくなってしまったことは残念でならない。 もっとも捨てる神あれば拾う神あり、で、この研究会の解散をきっかけとして、私は戸波江二教授などが代表を務めているドイツ憲法判例研究会に加入した。これも非常に楽しい研究会で、私は毎月、楽しく議論し、かつ飲んでいる。 こんな風に、日本における学生としての勉強経験を抜きにして、ドイツという裏口から行政法に入ってきたところにも、私の行政法がちょっと風変わりなものとならざるを得ない理由が隠れている。これを克服しない限り、わが国行政法の通説が、どれほど私の行政法体系に歩み寄ってこようとも、私自身が本格的に行政法の講義をするのは、少し辛いだろうと思っている。しかし、ドイツにおけるわが恩師、ミュンヘン大学法学部のバドゥラ先生は、憲法、行政法、EU法、はては法哲学に至る、実に幅広い領域の中で、年ごとに自在に講義テーマを変えておられる。私ももう少し研鑽を重ねれば、あのような幅が持てるようになる日が来るかも知れない。
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4年生(9期生) |
飯田 浩史 今回は5つの考え方のヒントについて紹介したいと思います。これらは私が在学中に読んだ数多くの本から得たもので、実に様々なところに応用が利く考え方だと思います。実を言うと、これらの考え方を私が実行できているかというと、あまりできていません。しかし、これらの考え方ができれば色々な事がスムーズにできるようになると確信しています。皆さんもぜひ、これらの考え方を自らの勉強や生活に活かして下さい。 1.人間は習慣の生き物である。 これは読んだ通りの意味です。つまり人は習慣に則って生きているという事です。毎日学校や仕事に行くとか、夕食後に勉強する等、繰り返し行う事ならその時に特別意識しなくても自然と体が動いているはずです。これは言い換えれば、そのような習慣、例えば毎日勉強する習慣を、早めにつける事が重要であるという事です。受験生がこの習慣を身に付けられないと、ずっと時間のかからない勉強法を模索し続けることになります。なぜなら、時間は過ぎていくが、成果は上がっていない状態がプレッシャーとなってのしかかってくるからです。 2.オール・オア・ナッシングで考えない。 これはつまり、一部がダメなのを理由に全部をダメだと評価しないという事です。意外に皆さんも気付かないうちに行っているものです。例えば、「予備校は〜だからダメだ。」という意見を聞いたとします。するとなぜか「予備校はダメ。」と評価してしまう人が結構いるのです。別に「予備校が良い」と言うつもりはありません。物事には大抵、メリットとデメリットがあり、メリットを活用するのは何ら問題がないという事です。0か100かではなく程度で考える事はバランス感覚を養うという点でも必要な事だと思うのです。 3.完全主義を捨てる。 世の中に完全というのはあるのでしょうか?例えば、憲法の本を1冊、完全に理解して覚えるのにはどのくらいの時間がかかるのでしょうか?大体、そんなことは可能なのでしょうか?完全主義は焦りを生みます。一つでもできないところがあると継続が難しくなります。それに大抵、完全にする必要は無いものです。重点主義の方が早いし効率的で、意外にも、より多くの成果を生みます。だから完全主義は捨てることです。 4.ゴールから逆算して考える。 これも様々なところで重要となる考え方です。大抵の人はスタートから考えます。ゴールは何かを把握しないで、1→2→3…と進んでいくのです。もしゴールが1000とかだったら…と考えると非常に怖いですね。ゴールから逆算して考える場合、1000あるとわかったら、100ずつとか10ずつに分けます。そうすれば確実に進み具合が分かるからです。ゴールを把握していないと進み具合がわかりません。よってモチベーションの維持は極めて難しくなるでしょう。皆さんお気付きのように、この考え方は勉強に応用できます。計画を立てる際、本を読む際等に利用してみましょう。 5.前倒しで考える。 「時間の余裕は、心の余裕」という言葉をどこかで聞いた記憶があります。何事も余裕を持って行えば、焦って行うよりも忘れる点等が少なく、きちんとできるものです。計画は前倒しで考えましょう。例えば、試験が半年後で、試験勉強にかかる期間が1ヶ月で、現在は余裕があるとき、皆さんはどちらを選択しますか? @ 試験1ヶ月前まで何もしないで、1ヶ月前から勉強する。 A 今から勉強して1ヶ月で8割方終わらせ、試験直前に総復習する。 @の場合、試験1ヶ月前になるまでは、おそらく試験の事が気になって他の事に手がつかないのではないかと思います。その反面、Aの場合なら「大体の事はわかっている」という自信があるでしょうから、余裕が生まれます。他の事をする時間もあるでしょう。試験までの5ヶ月で忘れてしまうという事を心配するかもしれません。しかし、一度通して勉強した内容なら、思い出すのも容易でしょうし、何より、精神的な余裕がある事が重要だと思うのです。 以上、5つのヒントについて解説してきました。皆さんには参考になりましたでしょうか?私はこれらの考え方を常に頭の片隅に置いておきたいと思っています。そして今は、忘れてしまいがちですが、きっとそのうちこれらの考え方が私の頭にしみついてくる事でしょう。なぜなら人間は習慣の生き物だからです。
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大竹 沙代 私は去年の今ごろ(大学3年時点)で1つの計画をたてた。それはどんな計画だったかというと、その時から大学を卒業するまでの計画だった。 具体的にその計画がどんなものだったかというと、私は一般企業に就職する気満々だったし、教職もとっているので6月あたりは教育実習と重なり就職活動ができない、そして人一倍暑がりなので真夏にリクルートスーツは着たくもなかった。そして、やっぱり大学最後の夏休みを謳歌したいという思いもあった。 そのために、早め(と言ってもまわりに聞くと、普通だったけど…)に就職活動を開始し、ありがたいことに「いいかもな」と思っていた会社の内定が3月末に出た。そして無事に他の人の動きに焦りを感じることなく教育実習も終了?(←金八先生というよりもスクールウォーズ。ある意味面白かった。てかネタには困らない感じ)。そして、真夏に汗をダラダラかきながらリクルートスーツを着るという修行僧のような生活に陥ることもなかった。そして、夏休みには、海外旅行に2つ申し込みもした。 ここまでを見ると、私の今の生活は去年のほぼ計画通りと言っても過言ではなかったはずだった。しかし、計画に狂いが生じてしまったのである。夏に予定していた2つの海外旅行の1つが旅行行程に危険が生じ中止。そしてもう1つのほうもヨーロッパを襲った台風?大雨で中止。結局、私は、夏より今に至っても今年一歩も日本から出ていない。必ず毎年海外旅行に出かけていた私なのに大学に入ってから一番地味な生活をしている。 一体どこでどう間違ってしまったのか…。首をかしげつつ、残り少ない大学生活(ヒマな時間)を有意義に過そうと焦っている。そしてこちらも何を間違ったか週5日でアルバイトもしているので結構ハードなのに、無理からに予定をいれている。でも、この生活にも不自然さを感じてまたも焦っている。今年の私の生活を言葉に表すとしたら「焦り」につきる気がしている。
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佐藤 公彦 1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻しフランスと英国に対して戦線を布告した。 ヒトラー率いるドイツ第三帝国は第一次世界大戦の反省を踏まえソ連とフランス、英国の二正面作戦を避け、西側に大攻勢を仕掛けたのである。その結果、ドイツの電撃戦によりフランスは敗退し、1940年6月パリは陥落している。私は、戦争は悪だと思うし、ヒトラーのこの凄惨な行いの数々は現代でも許されないものだとも思う。しかし,なぜヒトラーはこの戦争に負けたのであろうか。少なくともヨーロッパ及び北アフリカの戦争はドイツが一方的に支配していたはずである。それにも関わらずドイツは1945年以降の戦略について不備がなかったか検討する。 1 対英国について そもそも、ドイツは英国に対して開戦する必要があったのであろうか。正確には開戦せざるをえなかったといえよう。首相がチェンバレンからチャーチルに代わり英国国内にもドイツに対する開戦の気運が高まったからである。 そこで、ドイツは英国に勝つことは出来ないのであろうか。私が思う数々の効能性を記してみたいと思う。 まず、ドーバー海峡を挟んでの海戦はほぼ不可能である。なぜなら、ドーバー海峡は、波風が強く、上陸するには5月から8月の時期に限られそこからの揚陸は容易に英国の軍隊に見破られてしまうだろう。とするならば、ドイツお得意の電撃戦が、すなわち空軍が活躍できないだろうか?これも、ポーランド戦で見せた航続距離が短い戦闘ならまだしも、フランスから飛び立ったゲーリング率いる航空隊が英国空軍レーダーをかいくぐって本土空襲を行うことはほぼ不可能である。ドイツの航空隊は局地的な戦闘には慣れていたものの、爆撃には疎かったからである。 以上より、英国との闘いにはかなり不備な点が多い。ヒトラーが、アメリカにも宣戦を布告した時点で英国の孤立も図れず、無謀な闘いと言えよう。 2 対ソ連について ヒトラーが、対ソ連戦を決意したのはバルカンの支配権を巡る争いからだといえる。 しかし、この対ソ連事態が多くの矛盾を孕んでいる。前述のように二正面作戦を避けるために独ソ連間で条約を結んだにも関わらず、これ破棄したのでは先の世界大戦の二の舞である。また、モスクワより東に戦線を拡大するのはドイツの戦力では不可能である。 まだ、色々な要因はあるだろうがドイツの空軍の限界、東欧の脅威からすれば、ドイツがフランス以外の大国を占領することは不可能であったと思われる。戦争には例えば日本が大東亞共栄圏の実現、連合国のファシズムからの解散等何かしらの目的が設定されているものであるが、ヒトラーにはそれがなかった。目的のない戦争からすりかえられたユダヤ人の絶滅という目的は「我が戦闘」において明らかに破綻をきたしていたと言わざるをえない。
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積 和夫 特に書くことがないので、今年も野球ネタでいこうと思う。 ひと昔前、今、巨人の不動の四番打者に成長した松井秀喜が甲子園で明徳義塾バッテリーに5打席連続で敬遠され、球場内が大ブーイングに巻き込まれたことがあった。それは「松井秀喜の高校生離れした打撃」が観られなかったからなのだろうか? 確かにそれも要素であったろうが、それだけであの大ブーイングは明徳義塾ナインに酷だと自分は思う。翌年、プロで11本もホームランを打ち、後には日本プロ野球界最高の打者になる逸材なのだから。多分ファンは勝敗の先にある「何か」が観れなかったことに対する不満を爆発させたのだろうと思う。そして、その「何か」とは、今、自分はいろんな意味で「高校生らしさ」だと考える。「勝つための戦い方」が美徳とされるならば、明徳義塾のとった作戦は当然のことであろうが、ファンの中では「高校生らしい戦い方」が高校野球の美徳ゆえにあの大ブーイングが巻き起こったのであろう。
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千田 真子 早いもので、来年の春には卒業である。四年間、北赤羽から水道橋まで通ったが、この私が、よくまぁ親もとから離れて東京の大都会の中で無事に過ごして来れたものだと思う。我ながら感心をしている。 他の人からすると、非常にばかげた話に聞こえるかもしれないが、上京して間もない頃の私は、一度受験の時に水道橋の校舎までに行った経験があるにもかかわらず、水道橋駅から道に迷って、東洋高校の方へ歩いていき、明治大学の高い校舎の見えるあたり(おそらく御茶ノ水の方まで歩いて行った)まで行って、あまりにも学校が遠すぎることに気がつき、恐くなって実家に電話をして助けを求めたことがあった。私の祖父、母、兄は三代続いて日本大学を卒業しており、みなそれぞれ学部、学科は異なるものの、御茶ノ水の校舎であった。父も日大ではないが、東京都内にある大学を卒業している。本来ならば、私にとって東京とは、恐れるに足らない土地であるはずであり、むしろ、親しみさえも持てる土地であるべきなのに、とても恐かった。そんな心の余裕など持てなかったのである。 恥ずかしい話はまだある。今年の春、私は「バス」という乗り物の利用法をようやく把握した。これに詳細な説明を加えると、料金の払い方がわからなかったのである。これは、東京での生活において理解をしたのではなく、今年の春休みに実家の三重県においてバスを利用した時に理解した。生まれてきてからこれまで、バスを利用したのは当然、一回や二回ではないのであるが、このことは幼い頃から長い間ずっと疑問であった。三重県のバスは、大宮のバスと同じく後払いで、整理券をとる方式である。客席から向かって運転手の座席の左にあげられてある料金表に自分が手にとった整理券と同じ数字が書かれてあるところの料金が、自分が払うべき料金である。以前は、一人では絶対にバスに乗ることのないようにしていた。どうしても一人で乗らざるをえない状況に陥った時は、私が乗る区間の料金を親なり友人なり知っている人に聞いて、その分の金を用意して乗っていた。問題は、私が乗る区間の料金が人にたずねてもわからなかった場合である。そのような状況をどのようにして乗り切ったか。とりあえず、前方に見える料金表に書かれてある料金の一番高い料金を払っていたのである。そうすれば絶対に間違いはおこらない。今年の春は、事情があって、一週間ほど続けて一人でバスに乗らなければならない理由があった。状況としては、全く料金がわからないままバスに乗り込むという一番最悪なケースであった。一人、手に汗をにぎっていた。乗っている三十分間は、ただひたすら料金表を見て考えていた。毎日往復して、四日も経った頃だっただろうか。整理券の数字がやけに気になった為、家に帰り「恥ずかしいことを聞くけど」という前置きでたずねたところ、私の考えが見事に的中していたのである。 来年は、実家に戻って再度公務員試験にチャレンジするつもりでいる。しかし、今まで「バイトなんてしなくてもよい。」と言っていた両親が、初めて、「一週間に一度でよいからやんなさい。」と勧めてきた。考えてみれば私はバイトと言うものを一度もやった事がない。先生にお叱りを受けるかもしれないが、試験よりもこんな私がバイト先を見つけて、そこでうまくやっていけるかどうか。そちらの方が不安だったりする。
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沼田 明美
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3年生(10期生) |
新井 宏史 初めに、「公のルール」などと題名から堅苦しいような話だが、自分の体験も含めて出来るだけ小難しくなるような話は避けようと思う。 人は社会において様々なルールに縛られるが、中には任意的に、その「人」(個人)の倫理的なものに任せるものもある。例えば、電車を待っているときには、きちんと列になって並ぶのは当然であるが、たまに、横から割り込んできても平然とした態度で電車が来てドアが開いたら真っ先に、それこそ降りる人のことなどには目もくれずに切り込んで行く「人」がいる。僕はこういう「人」を見るとかなり頭にくる。まず、割り込んできたことで頭にきてるのに、降りる人を突き飛ばしながら車内に入っていく態度には怒りしか感じられなくなる。 また、そのほかの例えとしては、「携帯電話」である。これも電車内でだが、通常、携帯電話の電源は切るのが普通であるが、(この点については僕自信も守っていないが…)こともあろうに、着信音を鳴らす「人」がいる。中には着信音をつけていたことに驚き、あわてて電源を切ったりする人もいるが、(この場合まだ僕自信で許せる範囲だ。)たいてい電話に出るのだ。僕は、なぜ、サイレントか、バイブレーターにしないのか不思議でしょうがない。そんなに、着信メロディーを回りの人に聞かせたいのだろうか。 このように、事例は2つだが、これは頻繁に見かけるケースだろう。電車は、公共的な乗り物ということは常識であるのにもかかわらず、まるでそのことがわかっていない「人」がいるのにはやはり、倫理的低下と見る以外ないであろう。この倫理的低下について考えられるのは僕自身、思うに、「公のルール」の意識の欠如と考えられる。つまり「公のルール」とは、社会生活上における「個人」の制約であると考える。「人」にはそれぞれプライベートな部分、パブリックな部分と2つに分類されるとし、公共的な、社会生活が色濃く感じられる時にはプライベート(私的な)行動は制約されると考えるのが妥当ではないか。 この社会的規制を教えるのは子供の時が一番簡単であるが、今、この子供に教える親がこの社会的規制が分かっていないと思われる。それには、子供がかわいい為にあまやかし、自由を与えすぎていることが一番の原因であると考える。しかし、規制のみを押しつけるのも悲劇を生んでしまう。例としては幼児虐待である。 「公」、「私」と、バランスをとることは案外難しいかもしれないが、最近では、どんな公共的な場面においても、「私」が必要以上にあふれていて、「公」を重んじる人にとってはそれは苦痛でしか感じられないといえよう。最近、教育基本法の改正の声があがっていて、そこに「愛国心」をもりこむ議論も行われているが、僕としては賛成である。「公」についての見なおしを行われなければ、いたずらに「私」が増えるのみで、社会生活を営むことに著しい弊害が生ずるのは火を見るよりも明らかといえる。 終りに、なんだか小難しくならないつもりで書いたつもりが、あんまり理解しにくい文章になってしまい少しまずかったかな、と思いつつも、この独断と偏見の文章を書き終えたことで、少しほっとしている。つまらない話だったけど、まぁー良しとしよう。 以上です。
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井上 剛 私経ちの世代では、小さい頃に「ドラゴンボール」というマンガが流行った。そのマンガに「シェンロン」という伝説の龍が現れて、「何でも一つだけ好きな願いをかなえてやろう」という。一つ例外があり、「何でも」なら「願いを増やして」もよさそうだが、却下される。 さて、あなたなら何を願う?使い切れないお金、素晴らしい頭脳、強い肉体、強い権力、不老不死、永遠の若さと命だが(一つの言葉で言えばよいらしい)色々あると思う。 私は、長年考えてきた。考えに考え、ついに素晴らしいアイディアに至った。「全てが私の思い通りになれ。」どうだろうか。私はベストだと思うが、もっとよいアイディアを思いついた人はぜひ教えてほしい。 そんなチャンスはまぁないと言えるが、もしもの話であるので勘弁していただきたい。
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生方 悟史 私は昔、携帯電話の通話代金を稼ぐために週一回、焼肉屋でバイトをしていました。約三年くらいバイトをし、色々な体験をしてきて、その中で一番衝撃をうけたのはやはり、狂牛病です。狂牛病の症状はご存じだと思うので、焼肉屋の被害について言うと、休日はお客が100組は確実にこえていたのに50組以下になりました。売上も一日に130万くらいだったのが、50万円以下になってしまいました。でも、以前までとはいかないが、ある程度もどってきたと思います。 あと私は、焼肉についてとても詳しくなりました。これを読んで下さっているみなさんは、焼肉の豊富なメニューを知っていますか。そこでみなさんがおいしく食べていただけるように話します。まず、メジャーなカルビはバラ肉で普通のカルビ、骨付きカルビ、ゲタカルビがあります。ゲタカルビとはあばらとあばらの間のお肉なので全く筋肉がつかないから、あぶらがのっておりとてもおいしい所です。次は、マイナーなメニューが多い内臓を説明します。内臓の種類を一通り言うと、横隔膜、心臓、肝臓、腸、胃、子宮等があります。内臓はほとんどが歯応えがあり、コリコリしています。順番に言っていくと、横隔膜はハラミといいます。これは精肉と思われがちですが内臓です。心臓はハツと言い、コリコリしておいしいです。名前の由来は英語のハートからきているそうです。肝臓はレバーといいます。これは、貧血気味の方にはおすすめします。腸はホルモンといい、コリコリしているうえにあぶらがのっていておいしいです。胃は四つあって一つ目からミノ、ハチノス、センマイ、ギャラ、または、ギアラです。ミノは歯応えがとても良いです。ハチノスは焼くことはあまりないがスープに使われます。センマイは見た目はぞうきんみたいだけれど、これもコリコリして、生でも焼いてもおいしいです。名前の由来は、ひらひらが千枚くらいあるということでついたらしいです。ギャラはホルモンとミノの中間のようや感じでとても歯応えが良くあぶらがのっています。これはとてもおいしいです。子宮はコブクロといい、これもコリコリしておいしいです。牛肉は以上です。 最近、牛肉の他に豚肉の人気がでてきています。今、若者に人気があるのは頬肉です。名前はビートロ、または、トントロといわれています。とてもおいしいです。次に喉元にあるなんこつがおいしいです。この二つは特におすすめです。あと、お酒のおつまみにも良いのが豚足と豚の耳です。 他にも色々ありますが、サラダとかを言っていたらきりがないのでこれくらいにしておきます。こんなの全部知ってるよっていう方はつまらない話をすいませんでした。好き嫌いがあるとは思いますが、ぜひともこれを参考にして食べてみて下さい。
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大谷 恵介 私がジャズという音楽に出会って約4年が経ちました。正確には、興味を持ったのが4年前で、本格的に聞き始めたのは2年前ですが、細かいことは気にせずに語って行きたいと思います。 私がジャズに出会ったのは、高校3年の秋でした。私は部活で野球をやっていたのですが、夏の大会が終わり、3年なので引退をしました。小、中、高と野球をやってきた私にとって、野球というものに本気で取り組むことがなくなったことで、心に小さな穴があいた気がしました。振り返れば、野球一辺倒だった私から野球をとったら何もないことに気がついたのだと思います。そんな時、衝動的に音楽が聞きたくなり、J−POPなどを聞いてみたのですが、今まであまり興味がなかったのと、めまぐるしく変わるので、良いと思うのもありましたが自分としてはいまひとつピンと来るものがありませんでした。そんな中、1つのものに耳が止まりました。それは、あのアニメで有名な「ルパン三世のテーマ」です。昔から「ルパン三世」は好きだったのですが、音楽には注目したことがありませんでした。聞いてみると、あのジャズ特有のゆれるようなリズムが、自分にとって、とても心地よく感じました。(後で調べてわかったことですが、ルパン三世の音楽はジャズピアニストの大野雄二という人が担当していました。)これが、私がジャズを好きになるきっかけとなったわけですが、この後もっといい出会いが待っていました。 ようやくきっかけをつかんだのはよかったのですが、いざ聞こうと思うと何を聞いたらよいのかわからなく困ってしまいました。そもそもジャズという音楽はどういうものなのかさえも知らなかったので、その頃もジャズに関する情報はいろんな所から流れていたと思いますが、判別する能力がありませんでした。四苦八苦しているうちに新聞のラジオ欄の所を見たら、“ジャズ”という文字が目に止まりました。その番組名は「OZ MEETS JAZZ」です。これが先に述べた出会いで、この番組が私に与えた影響は非常に大きかったです。その番組は一般にある、格式ばったジャズ番組ではなく、初心者にもわかりやすく説明してくれる、ラフでクリエイティブな番組です。私がこの番組で一番驚愕したのは、ナビゲーターの小曽根真さんがラジオのスタジオにキーボードを持ち込み、リスナーからの質問などにその場で実演を交えながら即興で説明するというものでした。この小曽根さんとういう方がとても魅力的な人で、面白おかしくジャズについて語るかと思うと、音楽に対する姿勢に、純粋さ、強さを感じます。私にとってこの人の影響も非常に強く、今のジャズ好きの自分があるのもこの小曽根さんのおかげだと思っています。ジャズの中核をなすものの一つとして即興演奏があるのですが、その頃私はそんなことも知らなかった為、世の中にこんなものがあるのかと素直に感動しました。その時からジャズをもっと聞きたい、知りたいという気持ちになり、本気でジャズを聞こうと思ったのです。即興演奏というと聞きなれないかもしれませんが、言い換えればアドリブです。 また、みなさんのなかには“ジャズ”を「難しい」とか「専門的な音楽」とか「敷居が高い」とか思っている人がいるかもしれませんが、そうではないのです。もっと気軽に楽しめるものなのです。現に、みなさんの日常生活の中で頻繁に流れています。例えば、CM、テレビ番組、喫茶店などいろんなところで耳に入ります。いかにもジャズ、というものからこんなのがジャズなの?というものまで多種多様です。ジャズは自由な音楽で、いろんな音楽と融合するのです。(私もそんなにジャズに詳しい訳ではないので、間違っていたらすいません) 長々と語ってしまいましたが、私はジャズに出会って本当に良かったと思っています。もしみなさんが、たまたま耳にした曲がジャズっぽくて、少しでも「いいなぁ」と感じたり、すこしでも興味を持ったりしたら是非、先に紹介した「OZ MEETS JAZZ」に耳を傾けてみてください。毎週土曜日、21時からJ−WAVE(FM81.3)でやっています。いつもとは違う、土曜の夜が過ごせるかもしれませんし、私のようにそれがいい出会いになるかもしれませんよ。
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柏木 進 ついこの前、F12002シーズンが終った。今シーズンもフェラーリの圧勝となり、フェラーリのドライバーで今シーズンのトップドライバーであるミハエル・シューマッハの勲章もまた増えた。ここ数年、フェラーリの強さが目立っている。フェラーリはミハエル・シューマッハが来るまでたいして強くはなかった。技術面では現在のF1界ではさして差はないと考えている。新規参入のトヨタが最初のシーズンでそこそこの成績を残した点からも言えることだろう。そう考えるとミハエル・シューマッハの偉大さが良くわかる。だが、ドライバーの力がはっきりするようになってきたのは近年になってからのように感じる。世界の車メーカーの技術力があがったからであろう。このままでは、アメリカのインディーカートのようになってしまうだろう。F1のように歴史のあるスポーツがインディーカートのようにアメリカのビジネス一辺倒のスポーツともいえないものと同じように見えてしまうのは残念でならない。 ドライバーと言えば、今シーズン新たに日本人ドライバーの佐藤がジョーダン・ホンダに加わった。ジョーダン・ホンダは、その名の通りホンダがエンジンを供給し、その他をジョーダンがおこなっている。つまり、事実上ジョーダンのチームと言える。そのジョーダンが佐藤と契約したことは日本人ドライバー界にとって喜ばしいことであるように思う。佐藤は、これまでいた日本人ドライバーと違う経歴をもっている。昨シーズン、佐藤はイギリスのF3で好成績をあげて今シーズンのF1へとつないでいる。日本人ドライバーでイギリスのレース界から出てきたのははじめてのことだ。こういったように、日本のレース界からではなく海外のレース界から己の実力だけではい上がってくるようなドライバーが出てくるようになることは、これまた喜ばしいことだ。今後の日本のF1界は明るいものとなるだろう。
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今野 拓也 歩行者や自転車に乗っている者に告ぐ、なぜ信号を無視するのか?そしてそれらの信号を無視した者達はいかなる理由で信号を無視するにいたったのだろうか?その後罪悪感などを感じないのだろうか? まず、最初に人間はどんな理由で信号を無視するに至るかについて考えてみようと思う。 これには様々な理由があげられるだろう。信号が赤から青に変わるまでの時間がもったいないだとか、急な用事か何かで信号を無視せざるをえないなどが代表例だろう。公社ならまだ許せる理由もあるだろう。例えば、学校に遅刻しそうだったのでやむを得ず信号無視しただとか、帰宅途中などに急に腹痛に見舞われ、周辺に公園やコンビになどもなく、幸い家も近かったため仕方なく信号を無視した、などである。こんな理由ならまだいい方だろう。しかし、前者の理由は特定の理由はない。車も通らないのに待つのは時間の無駄だとか、面倒だとか、そんなものだろう。しかし、待つ時間が無駄だという者たちは、その信号無視で設けた時間を何に活用しているというのだ?たいていは信号を無視しただけで時間を節約したと思う人はいないだろう。それに、自ら危険に飛びこんで行ってしまっているということになぜ気がつかないのか?交通量が多く、事故が多発するために信号機を設置したというのに、人間というものは信号を無視し、運悪く事故に遭う人もいる。 人間という生き物は、常に危険を冒したいという欲求があるのかもしれない。例をあげるとすればタバコや麻薬といったものだろうか。過剰に摂取すれば人体に害を及ぼすとわかっているのになかなかやめることができない人が後を絶たない。それらに一種の中毒症状や依存性があるからかもしれないが、しかし、校則や規則を破るということは、ある程度危険を冒すということと同一のことなのかもしれない。 冒険という字は、危険を冒すと書く。かのコロンブスは危険を冒し、つまり、冒険をして大陸を発見した。危険を冒さなければこの功績はなかったはずだ。リスクを背負うということは人間にとって必要なものかもしれない。これは大いに信号無視を密接な関係があるに違いない。
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杉本 智志 今年、私は足立区から板橋区へ引っ越してきました。それまで二人暮しをしていた兄が就職で会社の近くへ移ってしまったためです。引越しをすると、やはり以前住んでいた町と今住みだした町を比較してしまいます。このゼミ誌のテーマは何でもいいということなので、私は板橋区について、というよりそこに住んでいる人々について書こうと思います。 以前住んでいた足立区は、今考えれば住みよい町だったかと思います。店の数が少なかったり、その店が遠くにあったりと不便なところもありましたが、高い建物は比較的少なく町に余裕があり、何より人々に落ち着きがありました。 その点、板橋区は、建物がやや密集した感はありますが、足立区とさほど変わらなく、むしろ店の数は板橋区の方が多いくらいです。町自体は自分でも気に入っているのですが、どうもそこに住んでいる人々と合いません。というか、かみ合いません。そこがおもしろいところでもあるのですが。例えば、歩道を自転車で走っている時に前から人が来る場合には、避けるために自分が右に行けば相手も右に、左に行けば相手も左に、といった具合に、結局自転車を止めて避けなくてはならないということがしょっちゅうあります。他にも、私の前を歩いている集団がいて、右側寄りに歩いていたので左側を通過しようとしたら、その集団の何人かが私に気づきなんと左側に避けたので、私はわざわざ止まって中央を通る羽目に。このようなことが本当によく起こります。別にたいしたことではない、よくあることだとお思いになられる方はたくさんいるでしょうが、こう何度も続くとさすがに違和感があり不思議でなりません。 この町の深夜はおもしろいです。というのも人が多いのです。実家の栃木ではもちろん、足立区(住んでいる地域にもよるのかもしれませんが)でもそう人を見かけませんでした。付近を散歩していると、公園に集まっている若者やジョギングをしている人、警察もちらほら見受けられます。中には補導されている人も。(かくいう私も「こんな時間に何をしているのか。」と尋ねられた事がありますが。)特におもしろいのが、私が住んでいるアパートの近くを毎夜大声で歌いながら自転車で走り抜けていく人です。「あまりうまくないのによくもまああれだけ大声で歌えるなあ。」といつも感心しています。気持ちよさそうではあるのですが・・・。 以上が私から見た板橋区の人々です。基本的には合わないのですが逆にそこがおもしろかったりします。個性的な人も多いですし・・。今では、移り住んでよかったと思えます。
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馬場口 龍輔 つい最近のことだったのだが、普段と変わらず地元の駅の改札を出ようとしたその時だった。ふと、ある壁に貼ってある大きな広告が目を惹いた。そこには「日本人は、もうサッカーを忘れたのか?」という大きなキャッチコピーが。思わずギクッとした。実は、小学生の頃は少年サッカーチームに所属していたのだが、それっきり本気の試合をすることも無くなり、何となく疎遠になっていたのだ。
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山田 善貴 法学部の学生は在学中、色々な法を学んでいく。生活に密着した法から、一生関わりが無いのではないかというような法まで。自分たちを取り巻く法という物を少し意識するようになり、新聞などを通してその存在の大きさを改めて確認する。毎年、沢山の法が作られ施行される。 日本大学法学部が立地する東京都千代田区では秋口から『生活環境条例』が施行され、全国に先駆け歩き煙草も禁止になった。煙草や空き缶のポイ捨て等を罰するいわゆる『ポイ捨て禁止条例』はいまや全国的に珍しくも無いが、歩き煙草も罰則対象になった事で、ますます喫煙者の肩身は狭くなっただろう。たいてい、この手の条例は強制力が弱く形だけのものになりがちなのだが、今回のは下手をすれば罰金○万円、さすがに白昼堂々とはやりづらくなったのではないだろうか。しかし、千代田区でも7箇所しかない指定地域の一つになってしまったのは嘆かわしいところではある。指定地域に選ばれたというのは、要するに普段のマナーが悪かったというわけで…。 同じく今年の秋口に施行されたが知っている人は少ないであろう法に『身体障害者補助犬法』というものがある。障害者を助ける補助犬の活躍の場を保証し、介助犬使用者の要件や育成団体の義務などを定めることにより、障害者の権利を守り自立を促進するのが目的である。補助犬といっても誰もが知ってる盲導犬のほかに、耳が聞こえない方のための聴導犬・腕や体に障害を持っている方のための介助犬と3種類おり、介助犬などは日本にまだたったの28頭ほどしかいない。自分はボランティアサークルに入っているので、その活動で先日介助犬の実技を見る機会があった。道の誘導、ドアの開閉、ペットボトルの栓やポテトチップスの袋を開けたりもする。器用な口先でコンビニおにぎりさえも!普段、我々が何気なくやっていないことでも障害を持っている方にとっては、それが大変な苦労になる。補助犬はそんな方々の目となり耳となり、手となり足となって、たとえ介助者がいなくても生活できるようにバックアップをしていくのである。障害者は補助犬に家族と同等以上の強い信頼と愛情を感じるようになっていくそうだ。 千代田区生活環境条例と身体障害者補助犬法、法の目的も違えば対象者もまったく異なる。後者は普通に生活している健常者にとっては縁がほとんど無いだろうし、前者にしても、もし大学が水道橋駅の北側、つまり文京区にあったら所詮は他人事で終わっているかもしれない。 法とは不思議なもので普段はその姿を意識することはない。しかしそのターゲットとなった途端、巨体を我々の前に現すのである。
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2年生(11期生) |
関 雅文 自己紹介を書いてみようと思う。私は自分自身をパクリ人間だと感じている。 なぜなら、自分の発言や行動のほとんどが本、映画、音楽、他人との関係などからの影響だと感じずにはいられないからである。もちろんそれが善い事なのか悪いことなのかは分からない。またこのような考え方は今更することではないのかもしれない。でもやはり書いておきたい。中学のときに某音楽家に憧れて楽器を始め、高校、専門学校と音楽活動をし、その最中に、アルバイト先のある大学生にこれまた憧れ、大学に入学した。 その期間内、というのはそれより前は何をどう考えていたか記憶が定かではないので、友人達と話したり文章化したものは「あっ、これはあの本にあったな」、「このリアクションはあのシーンのものか」と感じる。かといって、それほど多くの作品に触れているとは思えない。 特に強く感じるのは、自己主張をし、ある程度の時間が経ってから起こるときが多い。なぜだかは分からない。このように書くと「この文章もなにかのパクリなの?」と質問したくなる人も少なからずいると思う。この質問への回答は「わかりません」である。 このように書いてはいるが、楽しく生きている。お金は無く、物不足に悩まされることもあるが、お金を使わないでも充実した日々を送っているので、けして完全な鬱病型人間ではないとも自分では思っている。ちなみに分裂病型人間との割合は半々ぐらい、もちろんこれも自分の勝手な推測ではあるが。 最後に先生、ゼミ生の方々、これからよろしくお願いします。私が失敗をしたら遠慮なく突っついて、成功したら少しだけ褒めてくれると嬉しく思います。
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國定 政孝 私は凡そ全ての快楽娯楽に興味を持っている。故に多趣味であると言えば多趣味なのかもしれないがそれには「浅い」という弱点もついてまわる。食う寝る遊ぶ全て好きだ。料理を作ってみるのも好き、本を読むのも好きスポーツに勤しむのも好き好きな欲張り人間である。街の中を徘徊していると思いきや、自然の中でボ〜っとしたりもしている。 しかし、唐突ながら今回は車について書きたいと思います。自動車業界の動向が最近面白いと思う。巨大資本に次々と統合されていく企業。または提携という形をとる企業。市場の原理というか時代の流れというか群雄割拠としてシノギを削ってきた競争相手同士が手を取り合ったりまたは軍門に下ったりしている。私は日本の車に頑張ってもらいたいと思っている。品質や性能、それに対するコストパフォーマンスや価格等に関しては日本の車は頑張っている。何に対して頑張って欲しいかといえば、それはデザインである。伝聞した情報なのだが一つの例をあげるとイタリア人から見ると日本の車は全て同じ形に見えるそうだ。これは勿論極端な例であるとは思うがかといって全く否定できるものでもないと思う。物の形は物の魂である。他の何にも似てない物こそ唯一の「物」になるのだと思う。 閑話休題。自動車業界は今新たな動力源の開発に努めている。ガソリンエンジンから燃料電池への移行である。二酸化炭素による地球温暖化を防ぐにはもってこいな作戦であると思う。地質時代の生物の遺体が、地層とともに埋積され、現在まで残存しているものを、化石と呼ぶ、化石のうちでも、そのままの状態でエネルギー資源として利用できるものを、化石燃料と呼ぶのだが、ある一定の場所に安定していたそれらのエネルギーを掘り起こして使うという事はその恐竜等の繁栄していた温暖な気候に逆行とするという事になるのではないだろうか。また燃料電池の開発が進めば現在ある火力発電に依存していた部分の電力供給にも転用がはかれるのだろうと思う。 話が何やら壮大なものになってきてしまっている。身近な趣味をパリッとまとめて書きたかったのだが。とにもかくにも私は車が好きである。一移動手段と言ってしまえばそれまでだが目的を楽しむのも大切だがそれに到達する課程を楽しむのも一つの手であると思っている。今回はとりとめの無い文章構成になってしまったが次回は魅力溢れる文章を作れるよう勉強をしておきたいと思います。
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永井 祐
わたしは本ゼミの希望者を増やす方法について、色々気づいたことがあります。そこで、後々の参考のため、ここに書きたいと思います。 2 次に、ゼミの情報が伝わりやすいようにすることです。とりあえず、掲示板が他のゼミと見比べてみて、大きさの点でマイナスイメージです。まずは大きな紙に大きな文字、特にゼミの講堂と時間帯は大きいほうがいいと思います。誘い文句も有効です。カラフルで凝った作品なら最高です。これは9月に一度行うのが最適と思われます。 4 基本的に学生は、先輩の情報を最も重視します。そのため、人数の少ない本ゼミは、三崎町では圧倒的に不利です。 しかし、大宮には先輩はいません。情報については互角の戦いができます。さらに、甲斐先生が大宮で授業をなされているため、他のゼミに比べて学生が興味を示しやすいといえます。 ただ、大宮は遠いので、どうしても交通費や時間の関係上、行く回数が限られます。そのため、いつ行くかが重要になります。
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原 弘幸 天保8年、老中水野忠邦がまだ改革をする以前に、エルメスはひっそりとパリのランバール通りに創業した。 嘉永6年、ペリーの黒船が浦賀に来航し、日本に激震がはしり、その翌年の安政元年日米和親条約が調印されたころ、ルイヴィトンが創業した。 ナポレオンが最後の将軍徳川慶喜にヴィトンのトランクを贈ったとか、贈らなかったとかNHKの「その時歴史が動いた」でやっていた。なんて事があるわけない。 ところで、「ガウゼの仮説」と呼ばれている法則がある。ロシアの生物学者ガウゼが、同じ培養液中で二種類のゾウリムシを繁殖させようとしたところ、どうしても成功しなかった。かならず一種類は絶滅し、一種類だけが残るのである。このことから、属を同じくするか、属は違っていても生態的地位の似通った二種類の生物は同時に同じ場所には住めないという仮説ガウゼはたてたのである。その後の研究によって、この仮説が必ずしも成り立たない場合があることが知られている。と何かの本に書いてあった。 このことを人間社会での競争現象と合わせて考えてみるとなんとなく納得しないでもない気がする。例えば、ある会社がライバル会社の出現によって倒産することや、暴力団同志が縄張りを争うこと等、様々な場合が考えられると思う。 しかし、人間社会が「ガウゼの法則」と異なる点は、競争しつつもほとんどの場合に共存が成り立っていることではないだろうか。そのなぜ共存が成り立つのかという疑問の答えは色々とあると思うが、ここでは無理やりに、人間は低エントロピーな生物だからということにしてみたい。 自然界には、エントロピー増大の法則というものがある。エントロピーとは無秩序さを表す尺度で、自然は放っておけば、どんどん無秩序になっていくものだということを意味する。逆にいえばどんなものでも、より無秩序にするには何の苦労もいらないが、秩序を保つためにはそれなりのエネルギーを必要とすることを意味する。ということは、人間社会は秩序を維持することで成り立っているようなものなので、人間は、エントロピーが低いということになる。 だから「ガウゼの仮説」のゾウリムシの場合と違って人間社会では共存が成り立つということになるのではないだろうか。
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