精神的自由権としての職業選択の自由

   

目次

      
[はじめに]
一 「職業選択の自由」に関する規定と学説の沿革
(一) 明治憲法下における規定と学説
(二) マッカーサー草案における規定とその後の経緯
(三) 戦後の学説の変遷
(四) ドイツにおける憲法規定の変遷
二 憲法二二条の現行の学説に対する疑問
三 職業の自由の意義
(一) 職業の自由の持つ二つの側面
(二) 職業選択の自由の制限と公共の福祉
四 職業の自由の性格と内容
(一) 職業の自由と営業の自由の異同
(二) 職業選択の自由と職業遂行の自由の異同
(三) 職業選択の自由と勤労権
[おわりに]

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[はじめに]
 憲法二二条一項が保障する職業選択の自由は、かっては、それが経済的自由権であることについて、疑いを示す見解は存在しなかった。その場合、職業選択の自由と営業の自由は完全に同一概念と理解されていた、といって良いであろう。しかし、やがて職業選択の自由に、精神的自由権としての側面が存在することが、一般に承認されるようになってきた。それとともに、営業の自由と職業選択の自由の間に一定の異質性が存在することが認識されるようになり、営業の自由を経済史的視点から説明しようとする学説や、営業の自由の一部または全部を二二条ではなく二九条から説明しようとする学説なども登場するに至った。
 また、初期においては、職業選択の自由を、職業の自由一般と全く同一の用語として理解していた。今日でもそうした見解はないではない。が、次第に選択の自由と遂行の自由の異質性が認識されるようになってきた、といえるであろう。ただ、現状としては、両者に対する憲法の保障内容に差異がある、という認識までは、一般にもたれていないように思われる。
 筆者は、これらの点において、いずれも現在の通説から一歩を進めた理解が正しいのではないかと考えている。すなわち、第一に、職業の自由は、その本質は精神的自由権に属すると解すべきであると考える。また、第二に、職業の自由は、日本国憲法の下においても、選択の自由と遂行の自由に概念区別可能なだけではなく、両者では、憲法的保障の内容に相違があると解するのが正当と考えている。以下、論じたい。

一 「職業選択の自由」に関する規定と学説の沿革
(一) 明治憲法下における規定と学説
 明治憲法は、今日的な意味における職業の自由については、明確な保障定を持たなかった。すなわち、一九条において、「日本臣民は法律の定むるところの資格に応じ、均しく文部官に任せられ及其の他の公務に就くことを得」として公務就任権だけが保障されていた。今日、公務就任権と一般の職業選択の自由とにおける憲法的保障の意味は、分けて理解される場合が多い(1)。しかし、本来の自由主義の下においては、国家は私人間の自由に干渉しないことを念頭に置いて考えれば、職業選択の自由も国家と国民の関係において保障されれば十分なはずである。なぜなら、通常、国民の職業選択の自由を制限する必要は、主として他の一般国民に何らかの影響が生ずることを根拠として発生するからである。すなわち、窃盗、強盗のような何時の時代にも許容されない反社会的な職業の禁止を除外して考えれば、今日における職業の自由の制限は、パターナリズムないし社会権的な観点、換言すれば福祉国家的な観点から行われているのである。したがって、そうした要素を排除した純然たる夜警国家的な意味において国家が保障しうる職業選択の自由は、公務就任権に尽きているといってよい。その意味では、職業選択の自由は、明確に保障されていたということが許されるであろう。
 また、現行憲法二二条一項の定める今ひとつの内容である居住及び移転の自由については、明治憲法では奇しくも同じ二二条において明確に保障をしていた。そして、伊藤博文は、これを「本条は居住移転の自由を保明す。封建の時、藩国疆を画り各々関柵を設け人民互に其の本籍の外に居住することを許さず。並びに許可なくして旅行及び移転することを得ず。其の自然の運動及び営業を束縛して植物と其の類を同くせしめたりしに、維新の後、廃藩の挙と倶に居住移転の自由を認め、凡そ日本臣民たる者は帝国疆界内に於て何れの地を問わず、定住し、借住し寄留し、及営業するの自由あらしめたり」と解説していた(2)。すなわち、伊藤博文の意図では、居住、移転の自由を保障することにより、営業の自由を保障することを目的としていたのである。
 したがって、すくなくとも明治憲法の起草者の意図においては、職業選択の自由と居住移転の自由は何れも保障対象とされていたことが明らかである。また、営業の自由は、職業選択の自由の一環ではなく、居住移転の自由の一環として認識されていたことも注目されるべきであろう。
 このことから、明治憲法下では、営業の自由が、臣民の権利として保障の対象となるか否かについては、議論の対象となった。しかし、伊藤博文の見解に賛成する意見は少なく、文言解釈を根拠として積極的に否定する見解(3)が、むしろ一般的となっていった(4)。これに対して、職業の自由については、公務就任権という非常に限定的な保障であったため、余り活発な議論の対象とはならなかった、という方が正確であろう。
(二) マッカーサー草案における規定とその後の経緯
 職業の自由は、マッカーサー草案においては、二二条において、職業選択の自由という形で、学問の自由とともに規定されていた。また、その前に内心の自由(一八条)、信教の自由(一九条)、表現の自由(二〇条)、結社の自由・住居制定の自由・外国移住・国籍変更の自由(二一条)と連続していることから見ても、職業の自由に対する保障規定が、精神的自由権の一環として認識されていたことは明らかであった。
 この一連の規定のうち、二〇条、二一条及び二二条の三条は、その後の日本政府とGHQの交渉の過程で、あるいは分割され、あるいは融合されることにより、現在の憲法形式に近づいていくことになる。そこで、参考のため、マッカーサー草案におけるこの三箇条を紹介したい。なお、付した訳文は、その時点における日本側の、憲法に対する認識を理解するため、あえて、当時の外務省の手による翻訳を紹介している(5)。
Article 20
Freedom of assembly, speech and press and all other forms of expression are guaranteed. No censorship shall be maintained,nor shall the secrecy of any means of communication be violated.
 集会、言論及び定期刊行物並に其の他一切の表現形式の自由を保障す。検閲は之を禁じ通信手段の秘密は之を犯す可からず。
Article 21
Freedom of association, movement and choice of abode are guaranteed to every person to the extent they do not conflict with the general welfare.
All person shall be free to emigrate and to change their nationality.
 結社、運動及び住居選定の自由は一般の福祉と抵触せざる範囲内において何人にも之を保障す。
 何人も外国に移住し又は国籍を変更する自由を有す。
Article 22
 Academic freedom and choice of occupation are guaranteed.
学究上の自由及び職業の選択はこれを保障す
 しかし、日本側では、職業の自由が、学問の自由と一緒に規定されている意味が、理解できなかったようである。日本側がマッカーサー草案に応えて作成した草案(以下「政府一次案」と略称する。)においては、学問の自由の保障は単独で二二条に置かれる一方、職業の自由は、二六条に置かれている。その二つの規定の間には、教育権(二三条)、勤労権(二四条)、労働基本権(二五条)があり、次の二七条からは刑事基本権の規定が始まっているから、政府一次案では、職業の自由は、精神的自由権ではなく、社会権の一環として理解していた、ということが規定の位置的にきわめて明確であった。先に述べたように、公務就任権を保障すれば自由主義的には職業選択の自由の保障としては十分と考える場合には、一般的な職業選択の自由は、社会権の一環に属する、と考えることにも、また相当の合理性があるといえよう。
 内容的には、次のように変わっている。
「凡ての日本国民は公共の福祉に抵触せざる限に於て居住、移転及び生業選択の自由を有す。
 国民は外国に移住し又は国籍を離脱するの自由を侵さるることなし。」
 この条文は、内容的には、マッカーサー草案二〇条、二一条と二二条を融合整理する形で作られていた。すなわち、マッカーサー草案二一条の規定する内容のうち、@movementを「運動」と訳していたのを「移転」と修正して「移転及び住居選定の自由」と理解した上で、居住移転の自由と表現を変え、A冒頭にあった「結社」は、明治憲法二九条が表現の自由の一環としてそれを保障していたことから、同様に表現の自由を定める二〇条の方に移動し、B代わりにマッカーサー草案二二条で、学問の自由と一緒に保障されていた職業選択の自由が、この二六条に入ってきた、ということがお判りになるだろう。
 このように、居住移転の自由と職業の自由とを結びつけたのは、わが国側のイニシアティブによるものである。両者が、わが国で結びつけて理解されていたのは、おそらくワイマール憲法一一一条に、次のような条文が制定されたことが影響しているのであろう。すなわち、
「すべてのドイツ人は、ライヒ全土において移転の自由を有する。各人は、ライヒ内の任意の場所に滞在し定住し、土地を取得し、及びあらゆる種類の生業を営む権利を有する。これを制限するには、ライヒ法律を必要とする。(6)」
 戦前のわが国公法学はドイツ公法学の影響を強く受けていたから、この規定は、当時の日本側担当者の頭の中に当然あったであろう。したがって、マッカーサー草案が、この二つを別々に規定しているのを見たとき、ワイマール憲法と同様に、居住及び移転の自由と職業の自由をセットにして保障する方が自然だという発想があったであろう。
 この変更は、職業選択の自由に対する制限の可能性という点に関する限り、大きな修正となった。なぜなら、居住移転の自由の保障規定であったマッカーサー草案二一条には、学問の自由及び職業選択の自由の保障規定であった二二条と違って、「一般の福祉と抵触せざる範囲内において」という限定文言がついていたからである。職業選択の自由が二二条に追加されたため、政府一次案では、職業選択の自由にも、居住移転の自由と同様に、この重大な制限文言が加えられる、という構造に変化したのである。おそらく、このことも、ワイマール憲法が、生業を営む権利にライヒ法律による制限を予定していたことと無関係ではないと思われる。
 同時に、この政府一次案においては、ワイマール憲法が生業を営む権利という一般的な保障を行っているのを排して、生業選択の自由という表現にしていることも注目するべき点であろう。マッカーサー草案を、全体としてこれほど大幅に変更・修正しているにもかかわらず、同草案同様に「選択」という制限文言を補っているのは、単に倣ったというに止まらず、そのことに積極的な意義を認めたからに相違ない。ただ、その意義なるものが奈辺にあるかについては、記録がなく、明らかにすることはできない。
 良く知られているように、この政府一次案はGHQ側の受け入れるところとはならず、松本国務大臣が席を蹴立てて去った後、政府一次案ではなく、マッカーサー草案の方を叩き台にして、佐藤達夫がGHQ側と徹夜で、政府案を纏めることになる(以下、これを「政府二次案」という)。しかし、細かに検討すると、この政府二次案には、マッカーサー草案よりも、政府一次案の影響を強く受けている部分が多数存在する。
 二二条は、その端的な一例で、条文の文言に関する限り、政府一次案を全く修正しないで、政府二次案が成立している。ただ、条文の位置だけは、二〇条と修正され、大幅に前に移動することになる。表現の自由を定めた一九条の後で、学問の自由を定めた二一条の前という位置である。つまり、GHQの、学問の自由と職業の自由がセットになって保障されるべきだという従来の主張が位置的には貫かれたが、内容的には日本側の主張が通ったという奇妙な妥協が、ここには見られるのである。
 この政府二次案が、そのまま閣議の決定を経て、日本政府の憲法改正草案要綱として発表される。そして、帝国議会に提出された帝国憲法改正案の段階に至っても、主語が国民になっている外は、すべて現行憲法通りの文言となる。そして帝国議会における論戦でも、特段の論議が出ない(7)。こうして、本条に関する限り、その文言や対象となる概念について、特に問題意識が示されないままに、現行憲法の条文が成立したのである。
(三) 戦後の学説の変遷
 1 戦後、二二条一項の関する初期の学説は、一般に、本条が、経済的自由権に属するものであることを当初から前提として議論をしていた。例えば、美濃部達吉は、ワイマール憲法一一一条を「各種の営業をなす権利を有す」と翻訳した上で「略其の趣意を同じうするものである」として、職業の自由、即、営業の自由と解する(8)。また、註解日本国憲法は「職業選択の自由は、人がその生活を維持するため欲するところにしたがっていかなる職業をも選びうる自由、即ち私経済活動の自由を意味する(9)」と定義していた。
 営業の自由と私経済活動の自由という言葉には若干のニュアンスの差はあるが、基本的に同様にとらえていると理解してよいであろう。こうして、営業の自由と職業選択の自由の関係については、同義であると解するのが初期の段階から通説となる(以下「職業=営業説」という)。おそらく、その背景には、明治憲法下で、営業の自由は保障の対象となるか否かが議論の対象となっていたのに対して、職業の自由については特に議論の対象となっていなかったという状況が、影響していたに違いない。
 これに対して、「その職業を行う自由(営業の自由)をも含む(10)」として、営業の自由を、職業の自由そのものと同義とするのではなく、職業遂行の自由と同義と位置づける見解のあることが注目される(以下、この説を「職業遂行=営業説」という)。但し、この説を採る何れの論者も、なぜ、全面的に同義と考えず、遂行の自由の段階でだけ差異を示すのかの理由を説明してはいない。そして、このような見解を採る場合には、営利を目的としない職業に関しては、その遂行は二二条により保護されないこととなると思われるが、その点についての説明も特に行われることはなかった。また、管見の限りでは、職業=営業説との間で、特段の論争はおこなわれていない。おそらく、論者自身は、職業=営業説との差異を認識していないのではないか、とさえ思料される(11)。
 2 法文が、職業の自由一般について保障せず、特に「選択」に限って保障していることについては、当初からまったく問題意識が示されなかった、といってよい。初期においては、選択という限定的な文言が使用されていることには全く論及しないのが普通であった。その後、徐々に論及するようになるが、その場合にも、単に「職業選択の自由は、選択した職業に従事する自由を含み、さらに営業の自由のほか、医業・弁護士業のような、営利を目的としない職業の自由を含む(12)」として、選択の語を事実上無視するのが一般で、今日まで異論を見ない。しかもそう解するのは当然という感じで書かれていて、その根拠を明確に説明した例は、初期においては、管見の限りでは、皆無であった。近時にいたって「法文には職業選択とあるが、選択するのみでこれをおこなわないとすれば、選択の自由そのものが全く無意味にならざるをえないからである(13)」というような説明を行う者が出てきた。根拠を示していない者の見解も、同様であることは、おそらく間違いないものと思われる。
 3 職業選択の自由と居住・移転の自由が一括して保障されていることについても、当初は全く問題意識は持たれなかった(14)。この点に関して、解釈の一つの転機となったのは、昭和四〇年に発表された伊藤正己の「居住移転の自由」と題する論文であろう(15)。この中で、伊藤正己は居住移転の自由が、経済的自由としての性格を多分に有していることを承認しつつ、「憲法における人権保障の構造が資本主義体制と癒着していた時代にあっては、居住移転の自由を職業選択の自由、営業の自由と結合させ、経済的機能の面からの見とらえることも可能であったし、適当であったともいえる。しかし、それをその本質から考えなおしてみるときに、それは、より広い機能をもつものとされねばならない」として、検討し、第一に人身の自由との関連が、第二に精神的自由権との結びつきが、第三に平等権の実現と直結していることが、最後に人格形成における重要性が、それぞれ指摘される。そして、結論的には単なる経済的自由ではなく、「民主制にとって本質的な自由という性格を合わせ備えている」と結論する。その結果、解釈に当たっても、「規制が経済的自由の側面にかかわるときは、それと同様の基準を適用すべきことになり、他方で、その規制が民主制の本質的自由にかかわり、経済的自由と関連のないときは、むしろ精神的自由に近似した基準を適用すべきである」と主張する。
 この論文は、その後の学説に二つの点で大きな影響を与えたといえる。一つは、ここで取り上げた居住移転の自由を、単純に経済的自由として考える立場は影を潜め、経済的自由と分類しつつも、それに一定の限界があることを承認するようになってきたことである。さらには、居住移転の自由を、端的に精神的自由権に分類する者(16)や人身の自由権に分類する者(17)も出現したのである。
 今一つの大きな影響は、この論文が取り上げなかった部分、すなわち職業選択の自由についても、そのような両面性が承認されるようになってきた、ということである。この点については、むしろ判例が先駆的な役割を担うことになる。薬事法違憲最高裁判所判決(18)がそれである。この判決は、職業の自由を「本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動」である、といいつつ「職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる」として、個人の人格的価値と密接な関連を有することを承認する。
 この判決の影響は大きく、以後、職業選択の自由が経済的自由に属することを前提としつつ、「人の人格的価値ないし精神生活と緊密な関係を有する自由(19)」であることが一般に承認されるようになる。
 他方、この判決では、「職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請される」として、職業選択の自由と遂行の自由を完全に同一視した。先に述べたとおり、この点はそれ以前においても異論のない点であったが、以後、確立した感がある。
 4 今ひとつの大きな転機となったのは、経済史学者岡田与好が昭和四四年に書いた「『営業の自由』と『独占』及び『団結』」と題する論文であろう(20)。従来、営業の自由については、当然に職業選択の自由に含まれるとして、二二条一項で読めるという見解に対して異論はなかった。これに対して岡田は、営業の自由は、歴史的には、反独占を貫徹する公序 public policyとして、上から求められたものであって、人権として形成されたのではない、という歴史的事実が指摘して、単純に営業の自由の人権性を肯定する憲法学説の問題性を鋭く批判した。
 この批判に対し、憲法学者は、さしあたり、憲法学で「考察しているのは、社会における経済秩序のことではなく、あくまでも国家との関係における自由権のことである」(21)とか、「営業の自由は独占の領域に限られるわけではない(22)」とか反論した。
 が、完全に無視することができない以上、少なからぬ影響を受けずには済まなかった。そのことは、従来、経済的自由として疑われることのなかった営業の自由に対して、「人間の能力発揮の場の選択の自由(23)」という普遍的人権の側面と、資本主義社会に固有の原理としての側面とが、区別されるべきことが意識されるようになったことに端的に現れている。
 そして、この延長線上から、営業の自由を二分し、「営業をすることの自由」と「営業活動の自由」とを区分して理解する見解が現れる。すなわち、前者は普遍的人権として二二条の職業選択の自由に含まれるが、後者は資本主義に固有の原理に過ぎないことから二九条の財産権の保障に関する問題と理解する。そして、具体的な差異としては、前者は他人の生活に密接な関連を有する人権である、という観点からの規制のみが許されるのに対して、後者は資本主義体制の維持の観点からの高度な規制が許されると解するのである(以下、この学説を「二二/二九条説」という)(24)。
 ここでは、営業の自由に関しては、営業を選択する自由と、営業を遂行する自由との異質性が認識されている、と評価することができるであろう。ただ、選択という段階においては、職業=営業説と同様の認識を持っている、と評価できるであろう。
 また、さらに進んで、営業の自由全体を、二九条の財産権の不可侵の一環として、財産権を行使する自由として説明しようという立場が現れる(以下、「二九条説」という)。その根拠としては、営業の「自由は、明治憲法二七条一項で定める所有権の不可侵から導出される自由と解されてきた」という歴史的経緯及び「営業活動・企業活動をおこなうのは、とりもなおさず、みずからの所有権(財産権)を行使することにほかならない」という点が指摘される(25)。この場合には、職業選択の自由と営業の自由の異質性が強く認識され、完全に職業=営業説から訣別していることになる。
 なお、経済的自由権という分類そのものを拒否する見解が存在する。「自由は一つの全体であって、個別化できるものではなく、全体として一つの体系をなしている」というのが、その根拠である。しかし、その場合でも、職業の自由を私経済活動の自由と理解することに変わりはない。その意味では、職業=営業説と同一である。ただ、二重の基準論によって、一律に処理するのは粗雑だとする点で、経済的自由権の概念を拒絶しているのである(26)。制限の限界及び基準については、本稿では取り上げないので、本稿の限りにおいては、通説と同一の見解と理解してよいであろう。
(四) ドイツにおける憲法規定の変遷
 ここで、目を海外に転じて、わが国憲法学に一貫して強い影響を与え続けたドイツにおける状況をみよう。
 1 我が明治憲法のモデルとなったプロイセン憲法は、国外移住の自由に関する保障規定(一一条)は持っていたが、職業の自由についても居住移転の自由についても、直接の保障規定は持っていなかった。しかし、当時において、すでにこうした自由の存在が認識されていたことは、それに先行するフランクフルト憲法一五八条で明確に職業選択の自由及び職業教育の自由を保障していたことに明らかである。プロイセン憲法においてそれが規定されなかったのは、単に、その制定の時点においては、こうした権利は既にあまりに自明のこととなって、わざわざ憲法典が明文で保障する必要がないと考えられるようになったから、と考えられる。それに対して、主権国家概念の確立とともに、国外移住だけが、新たに問題意識を持たれるようになっていたことが、その点についてだけ保障規定が要求された根拠であろう。
 2 ワイマール憲法においては、先に紹介したとおり、居住移転の自由と生業の自由がセットになった形で規定された(27)。現行ボン基本法では、この規定は、両者の異質性が認識されたため、一一条一項(移転の自由)と一二条一項(職業の自由)に分けて承継されている(28)。。
 一二条一項は次のように規定する。
「すべてのドイツ人は、職業、職場及び養成所を自由に選択する権利を有する。職業の遂行については、法律によって、又は法律の根拠に基づいて、これを規律することができる。」
 同条については、バイエルン州薬事法が薬局の開設を許可制としたことが、同条違反となるか否かが争われた事件(29)を嚆矢として、以後、ドイツ憲法裁判所が多数の判例を示しているところである。そうしたドイツ憲法裁判所判例を要約すると、この基本権は、市民に対して、自らに適していると信ずるあらゆる活動を、職業として採る自由を保障するものと理解されている。換言すれば、自身の生き方の原則を定める権利である。それは第一に人格に関連する。それは、個人的な行為ないし生きる姿勢の領域において、人格を自由に発展させる権利の具体化である。
 すなわち、ここでは、ボン基本法二条にいう、人格を自由に発展させる権利の、人生そのものに対する投影と理解されているのである。良く知られているとおり、同条の人格の発展権は、一般的行為自由説と人格的利益説に対立して議論されている(30)。それが、わが国憲法一三条の幸福追求権に関する議論にも大きな影響を与えていることを考えれば、ボン基本法の職業の自由に関する議論を、わが国二二条の解釈に当たって等閑視することもまた許されない、というべきであろう。
 ボン基本法一二条で注目するべきは、ワイマール憲法が「生業の自由」という言葉で、職業の自由を一体的に保障していたのに対して、それを、職業の選択の自由と、職業の遂行の自由とに分けてそれぞれを保障している、という点であろう。
 同国でいわれる職業の選択とは、要するに、職業に就くという(就くことを断念するという)決定ないしその際に特定の職業を選択することを意味する、と判例上、理解されている。異なる職業の組み合わせることを選択する事も含まれる。さらに、職業を変更し、または職業的活動を完全にやめるという決定も含まれる(31)。
 その他のものが職業の遂行である。すなわち、すべての職業活動、特に、その活動の形式、方法、外延及び内容がここで保障される。この中には職業を示す名称の管理、個人の雇用、企業の創設と運営、職業に関する広告などが含まれている。
 そして選択権については法律の留保のない自由が保障されるのに対して、遂行権については、法律による留保が基本法上是認されているのである。この結果、憲法裁判所は、その法律による規制にも厳格な限界を引く必要があるとしつつも、職業の選択と、職業の遂行とで異なる制約に服することを承認する。すなわち、両者は一貫した複合概念であり、規制は両者に及ぶが、職業の選択権は、特に重要な共同体の利益のために、どうしても必要とする場合以外には規制し得ないのに対して、後者の場合には、共同の福祉を正当に考慮した結果、合目的的と認められれば規制しうるとされる。

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二 憲法二二条の現行の学説に対する疑問
 わが国憲法二二条一項に関する現在存在する理解に関しての最大の疑問は、それがいずれも極端に文言とかけ離れていることにある。これをさらに整理すれば次の三つの疑問になる。
 第一に、職業の自由は、憲法上は精神的自由の一環として規定されていると理解する方が、条文の位置的には素直であろう。二二条という位置は、明らかに経済的自由権にかかわる二九条から遠く離れている。そして、その前には、内心の自由を保障する一九条、信教の自由を保障する二〇条、そして表現の自由を保障する二一条があり、その後に、学問の自由を保障する二三条があるという条文的な構成から見る限り、同条は明らかに精神的自由権との理解から置かれたと見るのが妥当であろう。このことに、上述のとおり、職業の自由が当初、学問の自由と組み合わされて規定された事実及び現在も学問の自由と密着した位置に規定されている事実を加えるならば、通説の妥当性に、疑問をもつのは当然といえるのではないだろうか。
 第二に、憲法が、職業という言葉を使用しているにもかかわらず、これを営業の自由と同義と読む根拠は何か、ということである。この点、従来あまりにも当然のように、本条で営業の自由を読んできたことが、本条全体を経済的自由と位置づける大きな原因となっていたのである。職業の自由から営業の自由が除外されるということになれば、その経済的自由権としての位置づけもまた当然に反省される必要がある。
 そして、第三に、憲法が明確に、職業選択の自由という限定的用語を使用しているにもかかわらず、通説判例のように当然に、この文言の中で職業遂行の自由も保障されている、と読むことが許されるのか、という点である。確かに、遂行の自由が保障されない選択の自由は、その機能を大幅に減殺することになる。したがって、職業遂行の自由も人権として保障の対象となるべきなのは当然であろう。しかし、問題は、明文で保障されている選択の自由と、全く同質の保障が、明文の存在しない遂行の自由についても無条件で肯定されるのか、という点にある。疑問というべきであろう。
 以下、順次論じたい。

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三 職業の自由の意義
(一) 職業の自由の持つ二つの側面
 居住移転の自由、職業の自由及び営業の自由に対する制約は、歴史的には、財産権、特に所有権に対する様々な制約と並んで、封建体制の特徴をなすものであった。その結果、これらの自由が保障され確立していくことこそが、近代資本主義経済の法的前提条件であったのである。このことから、従来の通説は、職業の自由を、単純に経済的自由権と考えてきた。しかし、居住移転の自由について、その多元性が承認されるようになった今日、単純に職業の自由を、経済的自由権の枠内で理解することの問題性は明らかといえる。
 確かに、職業は、通常は「人が自己の生計を維持するために行う継続的な活動」(最高裁薬事法違憲判決から引用)である。したがって、その選択の自由は、今日における法的機能としていうならば、人の経済的生活の基盤を提供するものとしての意義を無視することはできない。そこから、通説がこれを、経済的自由の一環に属するとして判断することは、一応理解を示すことができる。
 しかし、このような理解には、次の二つの点で問題があると考える。
 第一の問題は、封建体制下における職業の自由の否定が近代資本主義を阻む役割を果たしていた、ということと、職業がその本質において経済的自由の問題に属するということは、異なる問題であることが、正確に認識されていなかった点である。すなわち、封建体制下においては、職業の自由そのものが否定されていたのではなく、職業が身分によって固定されていたのである。例えば公務員に就くことができるのは武士に限定されていた。一方、武士が商業その他の活動を行うことは、原則的に禁じられていたのである。しかし、ここで武士とは職業ではなく、身分である。そして身分とは、原則として生計の手段ではなく、社会的な地位を意味していた。いかに微禄で、あるいは浪人等の結果、武士としての報酬では生活できない者でも、武士は武士であった。ただ、そうした身分の固定が、各人の才能にしたがって人がその生活設計を立てる自由を侵害するために、間接的に資本主義の発展を妨げる機能を持っていたに過ぎない。
 こうした間接的な機能を理由に、身分による職業の固定の否定を、経済的自由権と位置づけるのは明らかに適切とはいえない。本条は、端的に身分制の否定と読むべきであろう。この身分制の否定という点は、封建国家と近代国家を分ける決定的な点であるので、平等主義の観点からの保障が一四条において、民主主義の観点からの保障が一五条において、それぞれ行われている。しかし、その重要性から、自由主義の観点からの保障も当然に必要であり、それが本条ということができる。
 第二の問題は、生計を維持するために行う継続的活動という意味における経済的自由としての側面は、実はほとんどの精神的自由権が共有している側面でもある、ということを軽視している点である。
 今日、マスメディアを通じた表現活動の担い手は、組織としては報道機関であり、個人としては職業的な文筆家であることに疑問のある者はいないであろう。報道機関による表現活動は、それら企業の営業活動である。また、職業的な文筆家の表現活動は、その個人の生計を維持する手段である場合が大半であろう。しかし、だからといって、それらの者による表現の自由を、経済的自由権と考える必要はない。
 あるいは、学問の自由の主たる担い手である大学教員にとって、学問を研究しあるいは教授する自由が、同時に自己の生計を維持するために行う継続的な活動としての側面を有することもまた否定できない事実である。学問の自由が精神的自由であるからといって、大学の自治が、財政面における自治を含む必要がないと主張する者があるだろうか。
 同様に、僧侶・神官その他宗教活動にもっぱら従事している者にとって、それは確かに信仰活動ではあるが、同時に生計を維持するための継続的活動である面があることも否めないのである。
 また、かって国会議員は名誉職的に考えられ、献身的に活動すれば井戸塀議員となるのは必然であった。現行憲法においては、歳費が保障されることが特筆されており、それが生計を維持するための継続的活動としての意義を有していることは明らかである。しかし、だから被選挙権を経済的自由権に属すると解する者があるであろうか。
 逆の面も問題となる。すなわち、生計の役に立たない名誉職に、一身を省みずに奉仕している者にとって、その職を選択する自由は、本条の保障の対象とならないのであろうか。あるいは巨大な家産をもち、それからの収入で安定的に生計を営んでいる者の場合には、どのような職業に就こうとも、それからの収入によって生計を維持しているとはいえない。その意味では、その者にとって、職業は経済的自由権には属さないことになる。それにもかかわらず、そのような者も、一般の者と同様に、職業を選択する自由を、権利として有することは疑えない。
 このように考えてくると、職業の自由が、生活の基盤を提供するという性格を、通常の場合は有していることだけを根拠に、それを経済的自由権と位置づけることは誤りであることは明らかである。先に、伊藤正己が、居住移転の自由に関して「憲法における人権保障の構造が資本主義体制と癒着していた時代にあっては、〈中略〉経済的機能の面からの見とらえることも可能であったし、適当であったともいえる。しかし、それをその本質から考えなおしてみるときに、それは、より広い機能をもつものとされねばならない」と述べたことを紹介したが、この批評は、職業選択の自由にもそのまま妥当するといえる。ある人権が精神的自由権に属するか、経済的自由権に属するかは、その自由を保障することの目的が、主として精神的側面に存在しているのか、それとも経済的側面に存在しているのか、により決定されるべきである。
 こうした観点から見た場合、職業の自由は、明らかに精神的自由権と評価すべきである。なぜなら、人の職業は、「各人が自己の持つ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有する(同じく薬事法判決より引用)」からである。
 すなわち、人は、各人の人格の社会的表現の形態として、職業を選択するのである。多くの人にとって、それに対する経済的報酬の大小は、二次的問題である。自らが就きたい職業があれば、それに対する報酬の大小に関わりなく、選択するのが普通である。たとえば、民間企業に就職した方が、はるかに多くの報酬が得られることを知りながら、毎年多くの学生が国家公務員試験の難関に挑んでいるのは、国民に奉仕することにより多くの価値を見いだしているからに他ならない。こうして、職業は、その人の人格の対社会的表現形態であることが明らかであるからこそ、職業に貴賤はないという建前にもかかわらず、一方で、あまり経済的には報われない職業が社会的尊敬の対象となり、他方、経済的には非常に有利な職業があまり重要視されないか、場合によっては蔑視の対象なるという、単に営利目的の活動であれば矛盾ともいえる現象が起こるのである。これらのことは、職業の自由は、本質的には精神的自由としての性格をもつ権利であることを示している。
(二) 職業選択の自由の制限と公共の福祉
 従来、職業選択の自由が、無造作に経済的自由権の一つとして考えられてきた根拠の一つに、二二条一項が公共の福祉による制限を特に予定している点がある。確かに、他の精神的自由権に対しては、一二条、一三条の公共の福祉文言が被るだけなのに対して、本条では特別に公共の福祉による制限を予定しているのであるから、通常の精神的自由権に比べて制約が大きいと解すべきことは明らかである。しかし、精神的自由権に属する場合にも、職業選択の自由は、その特殊性から、制限の形態が他と異なると解することは可能と考える。
 すなわち、職業選択の自由は、他の精神的自由権に比べて、二つの点に特殊性を持っている。それは継続性と定型性である。
 他の精神的自由権、例えば内心の自由は、それが対外的に表明されない限りにおいて、本質的に社会との関わりが小さい。表現の自由でさえも、それが社会に対して明白かつ現在の危険をもたらすような場合でない限り、対社会的影響を、その解釈に当たって考慮する必要は原則的としてない。すなわち、一般の精神的自由権の場合には、他の人権と衝突する機会は、その一過性という性質の故に、比較的少なく、また、比較考量の対象となる人権は、他の自由権であるのが通常である。その結果、事前抑制は原則的に禁止され、また、事後に現実の調整を行う場合にも、その都度、その具体的状況に照らしてアドホックな基準を立てて解決すれば十分となる(例えば「博多駅事件取材フィルム提出命令事件」最高裁決定などに、そうした姿勢が端的に認められる)。
 これに対し、職業は、上記のような意味で各人の人格の社会的表現が継続的な形態で行われるところに特徴がある。この本質的特徴から、社会に対して与える影響も、通常の表現の自由で想定しているような一過性のものではない。どのような人の場合にも、職業という形を取る対社会的な表現行為は、はるかに広く、また大きな社会的影響を与えることになる。このように継続的人格表現であるという事実は、通常の一過性の表現に比べて、その権利の主体そのものの人生に与える影響もはるかに大きなものとする。したがって、強力な保障が要請されることにもなる。
 他方、持続的な対社会的表現形態としての職業の自由は、他者の人権との衝突の機会が一過性の表現行為よりも増加する。その結果、完全な自由状態の下においては膨大な紛争が予想されるから、アドホックな基準によって対応するだけではとうてい社会的秩序の維持を果たし得ないこととなる。
 また、他の精神的自由権においては、その内容は行使の都度変動する。これに対して、職業という形態をとる対社会的な表現は、その内容が、相当程度類型化する。そして、類型に応じた形で、他者の人権との衝突の形態も、また類型化する。そこで、こうした社会的類型を、法が一定の定型に昇華させ、その定型ごとに衝突の可能性を可及的に減少させるような形で規制を加えることにより、紛争そのものの発生を事前に防止するという方法を採ることが容易である。
 さらに、職業の自由の大きな特徴は、自由権に止まらず、社会権とも衝突を起こす可能性が大きいことである。社会権は、それをどのような形態において実現するかを決定する際、議会に認められる立法裁量の幅が広いものとなるから、それに対応した形で、制限形態にもまた流動性が発生してくることになる。
 こうした、職業の自由だけのもつ継続性と類型性という特殊性が、他の精神的自由権と切り離した議論が可能となり、また、必要となる理由である。ここに本条が、一三条とは別に、公共の福祉による制限を予定する根拠が存在する。通常の精神的自由権と違って、定型化した事前抑制手段の導入が広汎に許容されなければならず、しかも、その手段として、精神的自由権には通常許されない許可制、さらには特許制というような方法を採用することも許容されなければならないからである。すなわち、本条が、公共の福祉を重ねて規定している理由は、事前抑制禁止法理の原則的解除を宣言する必要性に存在していると解する。
 しかし、通説が考えるように、単なる経済的自由として、全面的に政策的制約を認める場合と結果的に同一になるものではない。その本質が、前述の通り、精神的自由権に属すると考える場合には、その制約の限界の決定には、経済的自由権として考える場合に比べて、はるかに厳しい制約が要請されることになる。そのことこそが、この人格の対社会的継続的表現の権利を真に保障する手段となるはずである。

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四 職業の自由の性格と内容
(一) 職業の自由と営業の自由の異同
 通説に依れば、職業の自由には、当然に営業の自由が含まれる。しかし、これもまた論理の飛躍であろう。二二/二九条説の主唱者、今村成和は次のように指摘する。
「『職業選択の自由』というのは、自己の能力発揮の場たる職業を自由に選択しうることを意味するから、その中に、『営業の自由』が含まれるのは、当然のことのように思われる。しかし、実はこれは資本主義社会の仕組みであって、経済的自由が認められていなければ、『営業の自由』もあり得ない。そして、経済的自由は、財産権行使の自由に基づくことであるから、それを保障するものは、憲法二九条である。」
 この指摘は非常に正しいと考える。同時に、この前提から、営業活動の自由だけを二九条に根拠を求めるのは不徹底と考える。今日の時点においては、営業をすることの自由もまた、資本主義社会の仕組みであろう。すなわち、職業選択の自由そのものに、経済的自由としての性格が存在するわけではない。経済的自由が保障されている状態の下での職業選択の自由に、営業の自由としての性格を有する場合があるに過ぎない。
 このように考える場合には、二二/二九条説が、職業遂行=営業説と同様に、営業の自由を、職業遂行の自由の場面においてだけ考えて、これを二九条の問題としている点について疑問が生ずる。したがって、財産権行使の一環として職業選択の自由を行使している場合には、やはり二九条の問題として考えるのが正しいのではないだろうか。これを二二条一項の枠内だけで考える根拠は存在しないと考える。すなわち、経済的自由を前提とした職業の自由、すなわち営業の自由は、その遂行の自由ばかりでなく、選択の自由も含めて、二九条で保障される自由と理解するのが妥当であろう。その意味で、二九条説がもっともすっきりした解答と考える。
 しかし、これは、より正確には、二二条一項と二九条の関係をどのようにとらえるか、という問題に帰着する。二二条一項を普遍的な人権ととらえ、二九条を資本主義固有の原理と理解するということは、前者を総則的に、そして後者をその各論としての修正原理としてとらえることを意味する。したがって、営業の自由そのものは、もっぱら二九条の問題としてとらえることになるが、広義の職業の自由には、依然として営業の自由に相当する自由も含まれていると解することになるであろう。
 換言すれば、職業の自由の、経済的自由権としての側面を、独立の人権としてとらえるとき、これを営業の自由と呼ぶと考える。ただ、それについてはもっぱら二九条で処理すれば十分である結果、二二条が適用となるのは、営業の自由を捨象した狭義の職業の自由となり、それは精神的自由権として考えることができることになる。
(二) 職業選択の自由と職業遂行の自由の異同
 二二条は職業選択の自由のみを定めている。これは字義通りには、自分の就きたい職業を自分で選択のうえ、決定する自由である。が、先に紹介したとおり、この文言には当然に職業遂行の自由を含むという解釈が行われており、管見の限りでは異論はない。そして、判例も、先に紹介したとおり、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきであると述べる。
 しかし、この論理の展開には、二つの点で問題があるというべきである。
 第一に、職業の自由という一般的な表現を排して、あえて職業選択の自由という、限定的な表現を使用していることを完全に無視していることである。わが現行憲法は、その立法の際の特殊な事情から、個々の文言について厳密に詰めた検討を行っているわけではないので、立法者の意思が奈辺にあるかを知ることは困難である。しかし、現行憲法二二条の模範になったと思われるワイマール憲法では一般的な生業の自由という表現が採られていたにもかかわらず、現行憲法の制定過程においては、米国側草案のみならず、日本側の政府一次案においても、限定的な表現が採用されていたことは、軽視さるべきではない。
 職業選択の自由という概念と、職業遂行の自由とが、事実上同義というのであれば、話はまた別であろう。しかし、両概念には明確な差異がある。そのことは、先に紹介したとおり、ボン基本法の場合には、職業選択の自由と、職業遂行の自由の二つの概念をきちんと把握していることにも明らかである。その前者に、後者を当然に含むと結論するには、結論の合理性に止まらない他の様々な補完的概念基準があってしかるべきであろう。単に、そのように解することで、好ましい結論を引き出しうる、というだけの理由で、語義を無視した解釈を引き出すのは、解釈論というに価しない。
 そもそも「選択するのみでこれをおこなわないとすれば、選択の自由そのものが全く無意味にならざるをえない」というような論理から、選択と遂行が全く同等の憲法的保障を受けなければならないという結論が必然的に導きうるものであろうか。明らかにそのような論理は成立し得ない。そのことは、ボン基本法が、両者を保障しつつ、その保障の程度を異なるものにしていることにも明確にみてとることができる。
 そして、わが憲法の場合には、職業選択の自由のみを憲法が明文で保障し、職業遂行の自由については論及しなかった。すなわち、文言解釈的には、わが国の場合にも、明文の存在しない職業遂行の自由については、基本的人権としての保障を与えていないという解釈の方が、文言的には妥当である。
 実質的に見た場合にも、職業選択の自由と職業遂行の自由の間には顕著な性格の差がある。前述のとおり、職業の選択の規制にあたっては、事前抑制が原則的に採用される。これに対して、職業遂行の自由は、既に職業が選択されていることを前提としているから、これに対する抑制は、その本質からいって事後抑制とならざるを得ないのである。したがって、事前抑制を原則とする選択の自由に比べると、人権抑圧の蓋然性がはるかに低いことを意味する。この場合に、一三条の公共の福祉に重ねて、特に公共の福祉による制約を必要とはしない、ということである。
 職業遂行の自由については、憲法は二二条においては人権としての保障を与えていない、ということは、決して職業遂行の自由は、行政が自由に制約しうるものである、ということにはならない。なぜなら、選択と遂行の両概念は、明確に切断しうる二つの概念ではなく、ドイツ憲法裁判所がまさに指摘しているとおり、一貫した複合概念だからである。憲法が人権として保障していなくとも、それが確立した国民の権利であることは確かなのである。したがって、第一に、その制限には、法律の根拠が必要である(憲法四一条)。そして、第二に、職業遂行の自由の制約が、その遂行を制限するという性格に尽きるものであればともかく、そうした制約の結果、選択の自由までも実質的に制約するような効果を有する場合には、当然に二二条違反という問題が起きてくるからである。
 こうした文言解釈を支える実質的枠組みとしては、制度的保障概念と類似した二重構造を考えることができるであろう。すなわち、選択の自由を制度の中核とした場合の、外延部として、職業遂行の自由の制限を考えることができる。職業選択の自由という実質が侵害されない限りにおいて、職業遂行の形態については、社会的影響を考慮して、より幅広い制約が許容される。その制約は、職業選択の自由が保障されているという、制度の中核を侵害するような程度に達することは許されない。しかし、その中核を侵害しない限りで、立法裁量を広範に認めることが可能である。この結果、職業選択の自由そのものに対しては精神的自由権として、強力な司法審査権を肯定する場合にも、職業遂行の自由の領域では、従来、経済的自由権として承認されていた場合と同様の結論が導かれることになる。
 このように考える場合には、職業選択の自由及び職業遂行の自由をどのように概念づけるかが、決定的な重要性をもってくる。文言的にいうならば、職業選択の自由とは、自分が従事する職業を自由に選び、決定することをいう、と定義するのが妥当であろう。
 しかし、こうした概念の細部・限界については、理論的に詰めることは不可能なのであって、判例の多年の努力に依存するほかはない。わが国では、既述の通り、判例のそうした努力はおこなわれてこなかった。そこで、わが国における特殊性を補完・加味することは将来の課題とし、さしあたり、ドイツ憲法裁判所の努力に依存する形で、両者の概念区別をおこなうのが妥当と考える。すなわち、職業の選択とは、基本的には職業に就くという決定ないし就かないという決定をいうと解する。この概念には、特定の職業(複数であってもよい)を選択し、あるいは職業を変更し、ないしは職業的活動を完全にやめるという決定も含まれる。これ以外の、職業に関するすべての事項が、職業遂行の自由に属する、と解する。
(三) 職業選択の自由と勤労権
 本条の職業選択の自由と二七条の勤労の権利の保障との関係で、職業選択の自由が、自己の営む職業を選択する自由のみを意味するのか、それとも自己の雇われる職業を選択する自由をも含むのかが問題とされてきた。
 職業が、その人格の対社会的表現と考える限り、これは雇用される自由も含めて理解するのが正しいといえる。二七条の勤労の権利は、その二項及び三項に明らかなとおり、その重点は、勤労を遂行する自由の保障という点にあると考える。すなわち、一般的には前節に述べたとおり、職業選択の自由は保障されても、職業遂行の自由は保障されていないが、他者に雇われている者の場合には、特にその職業遂行の自由を保障している点に、二七条の存在する意義があると考える。換言すれば、勤労者の職業遂行の自由を、社会権という形から保障したのが二七条である。

[おわりに]
 私は、会計検査院という憲法機関で、行政官僚として二〇年間を過ごしてきた。行政においては、法の支配の下、法律の文言がその活動領域を決定する絶対的な基準となる。その結果、会計検査院として行政庁の活動を不経済、非効率等の根拠から批難するに当たっても、会計検査院の要求する従来と異なる行財政活動が、その根拠法の授権の範囲内に止まるか否かは常に重要な論点となる。こうした論争の場合、当然のことながら、法文解釈の第一の基準は文言解釈である。拡大解釈や縮小解釈は、それを他の様々な要因から、そうした解釈手法を採ることが正当であることを論証し得ない限り、まず採りうるものではない。
 このような行政官僚的思考法に慣れた私の目から見ると、職業選択の自由を、いとも無造作に、その条文の位置を無視して経済的自由に数え、「職業」の語を無視して営業の自由と同義とし、「選択」の語を無視して職業の自由一般と同視する、という従来の憲法学の学説というものは、価値観がむき出しに呈示されているに過ぎず、法的論理を展開したものとは思われなかった。
 本稿は、私の能力の及ぶ限り厳密に文言解釈を、二二条一項に導入しようと試みたものである。文言解釈によっても一貫した論理の体系を構築できることを示すことに成功しているか、否か、厳しいご批判を賜れば幸いである。
 なお、従来の学説の本当の根拠は、条文解釈というよりも、社会常識的に考えて、職業の自由に課すことが必要と認められる広範な制限を合憲と構成できる、という結果の妥当性にあるように考えている。その場合、本稿の論理が、現実の諸問題に当たってどのような解答を示すのかが重要な問題となる。その点については、問題が複雑となるので、別稿で論ずることとしたい。

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(1) 公務就任権を、職業選択の自由の下ではなく、一三条の幸福追求権の一環として理解するものとして佐藤幸治がある。すなわち参政権的な権利の一環として公務就任権を把握する。職業選択の自由の一環として把握しない理由は明確にはされていないが、おそらく職業選択の自由を経済的自由権と理解する結果、参政権的権利をその一環に組み込むのが不適当と判断するのであろう(『憲法』第3版、青林書院平成七年刊頁参照)。しかし、本稿で問題としている天皇主権国家における公務就任権の場合には、国民主権国家におけるそれと異なり、参政権的性格がないことは明らかである。そして国民主権の下においても、そうした職業選択権としての性格が完全に失われる、と見るのは不当である。したがって、参政権的な権利としての公務就任権は、被選挙権に限るのが適当であろう。
(2) 伊藤博文『憲法義解』丸善昭和一〇年刊、四四ページ参照。ただし、カタカナをひらがなになおし、句読点を補い、新仮名遣いに変更している。以下、戦前の文章について同様。
(3) 佐藤丑次郎『帝国憲法講義』有斐閣昭和一〇年刊、一二三ページは次のように論ずる。
「臣民の自由権を規定したる憲法の条規は、文理解釈に依りて厳正に之を解釈すべく、論理解釈に依りて法文を補正し、敷衍し、または縮減すべからざること是れなり。蓋し、治者と被治者とは、本来命令服従の関係に立つものにして、治者は任意に被治者の自由を制限しうることを原則となす。従って憲法が、被治者に対し自由権を認めて、治者の権力を制限するは、全く原則に対する例外を規定したるものなり。〈中略〉故に例えば居住及び移転の自由につきて之を謂わば、論理解釈に依り、沿革に徴し、外国の法制と比較して論ずるときは、其の中に営業の自由を包含するものと解釈し得ざるに非ず。」
(4) 明治憲法下の学説の推移については、中村睦夫・常本照樹著『憲法裁判五〇年』悠々社一九九七年刊、二五七頁以下が詳しい。
(5) マッカーサー草案の外務省翻訳については、佐藤達夫著『日本国憲法成立史』第三巻 頁以下より引用している。
(6) ワイマール憲法の翻訳については高田敏・初宿正典編訳『ドイツ憲法集』信山社一九九四年刊、一三四頁より引用している。なお、本文で後に紹介するボン基本法の翻訳も同書を引用している。
(7) 特段の論戦はなかったが、ある程度興味深い議論は存在している。すなわち、林平馬は「基本人権は只単に国家の保障を受けるばかりでなく、自らも自己保障をして行かねばならぬ訳であります。自己保障をするにはどう云うことが一番大事かと云うと、職業を離れて自己保障は成り立たない。随って職業の自由というものを十分に認めていかなければならぬ。」と主張している(清水伸編著『逐条日本憲法審議録』原書房昭和五一年刊、第二巻四六二頁より引用)。しかし、残念なことに、議論がなぜ選択の自由に限定するのか、という方向に進まず、単に一般論に止まっている。
 また、金森国務大臣は、伊藤博文が、憲法義解の居住移転の自由の説明の一環として職業の自由を保障していた、という旨の答弁を行っている。しかし、先に本文で紹介したとおり、それは営業の自由であって、職業の自由ではない。すなわち金森答弁にも既に、その後の憲法学説の顕著な特徴というべき営業と職業の同一視ないし混同というべきものが現れているのが、興味深い。
(8) 美濃部達吉『日本国憲法原論』有斐閣昭和二三年刊、一九八頁参照。
(9) 法学協会『註解日本国憲法』有斐閣昭和二八年刊、四三四頁より引用。なお、この定義は、職業の自由に、「生活を維持するため」という限定句が被っている、という構造になっている点が、私の立場からする限り、注目に価する表現内容である。すなわち、このような表現を採る限り、職業の自由そのものが経済的自由権としての性格を有するのではなく、生活を維持するという目的で保障される職業選択の自由だけが、経済的自由に属するということを宣明しているのである。そうした限定の加わらない職業選択の自由については、当然異なる解釈の余地があることになるであろう。
(10) 職業遂行の自由だけを営業の自由と呼ぶという見解は、宮沢俊義・芦部信喜補訂『日本国憲法』[全訂版]日本評論社一九七八年刊、二五三頁より引用。
 このように、営業の自由を把握する立場は今日でも非常に多い。例えば、芦部信喜は「自己の選択した職業を遂行する自由、すなわち営業の自由」と表現し(芦部『憲法』新版二〇一頁)、また伊藤正己は「営業とは、職業遂行上の諸活動のうち、営利を目指す継続的で、自主的な活動をいう」と定義する(伊藤『憲法』第三版、三六〇頁)。中村睦男は、これが通説とする(『注釈憲法』青林書院、昭和五九年刊、五一三頁)。
(11) 職業遂行=自由説は、このままでは内容を理解することはできない。佐藤幸治の見解は典型的なこの説とは若干表現が異なるが、結論的にこの説に一致する。それによれば、「『職業選択の自由』には、営利を目的とする自主的活動である『営業の自由』が含まれる。この点、『職業選択の自由』をもって、自己が主体的に営む職業を選択する自由と解し、内容的には『営業の自由』と同一視する見解もあるが、『職業選択の自由』が元来人間がそれぞれ個性を全うすべき場の確保に関わるものであることに鑑み、そのように限定することは疑問である。したがって『営業』は『職業』の一形態というべきであるが、職業『遂行』の自由が問題となるのは主として営業活動に関連してであって、職業『遂行』の自由は実質的には『営業』の自由と重なり合う(例えば研究者の研究活動に対する公権力による干渉は『学問の自由』の問題であって、『職業選択の自由』としては問題にされない)。」(佐藤前掲書五五七頁) 職業遂行=営業説の論者も、表現こそ異なれ、同様の考え方と理解することが許されるのかもしれない。
(12) 田上穣治『憲法撮要』有信堂昭和三八年刊、一一九頁より引用。
(13) 長尾一紘著『憲法(新版)』世界思想社一九八八年刊、二三五頁より引用。
(14) 居住移転と職業選択の自由の関係について、若干異色を放つ説を美濃部達吉が提唱している。すなわち「公共の福祉に反しない限り」という条件は、もっぱら職業選択の自由にかかり、居住・移転の自由にはかからない、とする見解である(美濃部著・宮沢俊義補訂『新憲法逐条解説(増補版)』日本評論新社昭和三一年刊、八二頁参照)。これは、上述の立法経緯に比すると、完全に逆転した解釈といえるであろう。もちろん、この見解が発表された当時は、こうした立法の細かい経緯は知られていなかった。しかし、一般には受け入れられずに終わる。また、この主張は、日本国憲法原論など、達吉の他の著述にも見られない。
(15) 伊藤論文は、有斐閣『日本国憲法体系第七巻 基本的人権T』昭和四〇年刊、一九三頁以下に収録
(16) 例えば佐藤幸治は、精神的自由権の一種として居住移転の自由を位置づけている。もっとも、その記述内容は、伊藤論文と同様に、経済的自由としての面、人身の自由としての面も有することを確認しており、なぜ、分類として精神的自由権となるほどに、この面を重視されるのかについては、特に理由を挙げていない(佐藤幸治前掲書五五四頁参照)。
(17) 例えば、樋口陽一『憲法』創文社一九九二年刊は、身体的自由権の一種として居住移転の自由を位置づけている。もっとも、この場合にも、経済的自由としての面、精神的自由としての面も有することを確認しており、なぜ分類として身体的自由権が適切であるのかについての説明はない(同書二四三頁参照)。
(18) 最高裁判所(大法廷)昭和五〇年四月三〇日判決(最高裁判所民事判例集二九巻四号五七二頁)
(19) 佐藤幸治前掲書五五六頁より引用。
(20) 岡田論文は、東京大学社会科学研究所編『基本的人権の研究』第5巻、一二九頁以下に収録。
(21) 伊藤正己『憲法』第三判、弘文堂、三六一頁参照。
(22) 佐藤幸治前掲書五五八頁参照
(23) 今村成和「『営業の自由』の公権的規制」ジュリスト四六〇号四一頁以下参照
(24) 二二/二九条説に対してに対して、佐藤幸治は営業活動の自由を含まない営業する自由は考えられないという理由で反対する(前掲書、五五八頁)。その点は確かにそうだが、逆の場合を問題にして考えられた分類に対する反対理由としては説得力に欠けるというべきであろう。浦部法穂『憲法学教室T』二六八頁によれば、今やこの二二/二九説が通説という。
(25) 奥平『憲法V 憲法が保障する権利』有斐閣法学叢書一九九三年刊、二二一頁。二つの根拠のうち、明治憲法下の解釈を根拠とする点に対しては、職業選択の自由も明治憲法においては、二七条から論証されていた、という批判がある。しかし、先に述べたように、起草者たる伊藤博文は、居住移転の自由の中で営業の自由を読むことを予定していた。もちろん起草者の意思が絶対と主張するつもりはないが、このことは、職業選択の自由を二七条から読むということ自体は絶対的な学説ではなかったことの証左である。したがって、それに依拠した批判は、批判になっていないと考える。ただ、本文に述べたとおり、明治憲法下においては、管見の限りでは、営業の自由については、積極的な議論の対象とはなっていなかったか、ないしはむしろ否定的に解されていたので、この点は根拠としては少々弱いといわざるを得ない。
(26) 経済的自由権という概念そのものを否定する見解については、阪本昌成『憲法理論V』成文堂一九九五年刊、二〇九頁以下参照。
(27) 前述の通り、現行憲法起草当時のわが国関係者は、生業の自由を社会権の一種と理解していたようである。しかし、ワイマール憲法に関する限り、その条文の位置は、基本権について全五章に分類して規定しているうち、第一章個人に含まれている。これに対して、我々が今日社会権と認識している権利に関する規定は、もっぱら第二章共同生活、第四章教育及び学校、第五章経済生活に含まれている。こうした条文の位置から考えて、本来的自由権と把握するのが妥当ではない、と考える。
(28) ボン基本法における職業の自由の規定は、八条(集会の自由)、九条(結社の自由)、一〇条(通信の秘密)という表現の自由の保障規定に続いて定められており、条文の位置からする限り、現行日本憲法と同様に、やはり、社会権ないし経済的自由権の規定と読むのには無理があると考える。
(29) ドイツにおける薬事法違憲判決(一九五八年六月一一日BVGE Bd.7,S.377)については、次の二著に詳しい紹介がある。
 覚道豊治「薬局開設拒否事件」別冊ジュリスト『ドイツ判例百選』有斐閣一九六九年刊、六六頁以下
 野中俊彦「薬事法距離制限条項の合憲性」『ドイツの憲法判例』信山社、二二三頁以下
(30) ボン基本法の人格の自由な発展の権利を巡る議論については、戸波江二「自己決定権の意義と射程」『』参照。
(31) 職業の選択及び遂行に関するドイツ判例上の概念内容については、次の書に依存して記述した。
Jarass/Pieroth Grundgestz fur die Bundesrepublik Deutschland 3.Auflage verlag C.H.Beck S.275