脳みそゼミナール

レベッカ・ラップ著 原書房刊 1800円


 私の書斎は、お世辞にも片づいているとは言い難い。しかし、以前は、私にはどこに何があるか良く判っていたから、別に問題はなかった。要するに、きちんと散らかしてあったのである。ところが、昨年1年間、ドイツで在外研究をして帰ってきた結果、現在非常に困っている。何がどこにあるか、さっぱり判らないのである。苦労して家捜しをして見つけだせば、それをそこに置いた理由までたちどころに思い出すのだが、だからといってその記憶の復活は、それ以外のものの置き場所を見つけだすのには少しも役に立たない。しかも、私の場合、同じように混乱している書斎が、自宅と大学に二重に存在しているから、事態はまことに深刻である。
 で、記憶のメカニズムはどうなっているのかに興味が湧いて読んだのが本書である。私の物の置き場を見つけだすのにはあまり役立たなかったが、実におもしろい書であった。少なくとも、私が現在直面している物忘れは決して病的なものではないことが判った。ある研究によれば、人はかってのクラスメートの名前の85%までを卒業後3ヶ月で忘れてしまうのだそうだ。であれば、1年の不在の後に物の置き場を忘れている私は決して異常ではない!
 また、この物忘れは年をとってきた結果起きたものではない、ということも判った。そもそも脳は、アルツハイマー病などの病変に襲われていない限り、年齢に関係なく、非常に良く記憶を保持しているものなのだそうだ。ある研究によると、老化に伴う記憶の喪失とは残酷な作り話で、女の子は皆ピンク色が好き、というのと同じたぐいの社会的な期待から生まれた行動様式であるという。つまり米国社会には、老人になると物忘れが激しくなるという固定観念がある結果、米国の老人は、年齢に応じて忘れっぽくなっていく。それに対して年寄りを尊敬する文化を持つ中国では、老人も若い中国人と同じくらいの記憶力を示しているという。つまり、年をとったから忘れっぽくなったのではなく、忘れっぽくなることを期待されているから忘れっぽくなったのである。読者の皆さんの中にも、最近年のせいか物忘れが激しいと考えている人がいるかもしれないが、年齢と記憶は関係がない、と是非肝に銘じて置いていただきたい。それだけで記憶力が違ってくるのだから。
 特に私の関心を引いた部分だけを上記に紹介したが、それ以外の部分も、本書は、今日の記憶メカニズムの最前線の情報を取り扱っているにもかかわらず、実におもしろく読める本である。その秘密の一つは、それぞれの話にぴたりとあった膨大な数のエピソードが紹介されていること。少々話が判りにくくても、エピソードを読みたいというだけで読み通してしまいかねないのである。例えばこんな話。イギリスの作家G・K・チェスタトン(ブラウン神父という探偵の登場する推理小説で有名)はある時、講演旅行の途中で妻に電報を打った。「バーミンガムにいる。次の行き先はどこだ。」 妻は返電を打った。「家です。」

宇宙喪失

グレッグ・イーガン著、創元SF文庫刊、700円


 SFのジャンルに、ガジェットと呼ばれるものがある。E・E・スミスの「宇宙のスカイラーク」シリーズなどが典型で、宇宙船だのロボットだのという未来の道具を事細かに描くのが主眼のSFで好きな人には実に楽しい。また、ハードSFと呼ばれるジャンルもある。J・P・ホーガンの「創世記機械」や「未来からのホットライン」等が典型で、物語は作家が頭の中で構築した疑似科学的な理論の紹介に尽きる。ある意味でSFの醍醐味といえるジャンルで、これまたSF好きな人には実に楽しいものである。どちらの場合も、たいていの作品は、その理論や道具立てを紹介するのに忙しく、文学性という観点から見ると、少々掘り下げが不足するのが難点である。
 本書は、1冊の本の中にガジェット味とハード味を無理なく同時に取り込んだ上に、さらに人間のアイデンティティとは何かという点まで考えさせるなど、文学性もあって、なかなかの傑作SFに仕上がっている。
 まずガジェットという点からいうと、読みどころはナノマシンである。顕微鏡でやっと見えるほどの微少な機械を身体の表面ばかりか、遺伝子操作した細菌を使って脳にまで送り込み、脳細胞の一部を有機的コンピュータとして利用できるようにして、居ながらにして様々な情報処理を行える近未来の世界を舞台としている。主人公を私立探偵に設定し、自在にそのような機器を駆使して調査するシーンは実にリアルで説得力がある。
 それにもまして迫力があるのが、ハードSFの要素。本書の場合、今日の量子力学の基礎たる観測問題を使っている。シュレディンガーの猫といわれる問題がある。猫を箱の中に閉じこめ、放射性物質が崩壊すると毒ガスがでて死ぬように作っておく。その後に、その箱を開けてみると、猫は死んでいるか、生きているかの二つに一つになる。この場合、人間が観測しなければ、猫には生と死の二つの状態があるのだから、人間の観測という行為が二つの状態を一つに収束させたことになる。このあたりの理屈は少々ややこしいので、この本ではわざわざこの理論だけの解説を別に付けている。あまり量子論に詳しくない人は、まずこの解説から読んだ方が楽しめるかもしれない。アインシュタインは、この理屈を理解できず、そのため、彼の相対性理論の大きな支柱である量子論を死ぬまで拒否していた、という曰く付きの難問である。
 イーガンは、この理論と多世界宇宙モデルを結びつけ、驚くべきSF世界を作り出した。もっとも、だからといって、この理論が判らなければ、物語が理解できないというものではない。話そのものは、一種の超能力者ものとして気楽に読んで貰ってかまわない。
 著者はオーストラリアのパースの人である。オーストラリアの文化というものは、従来わが国にあまり紹介されておらず、ましてSFは私の知る限り、ほとんど紹介されていなかったと思う。これほど高い水準のSFがあの大陸にあることが、これまで未紹介であったことは残念という外はない。本書がよいきっかけになることを祈りたい。