EU諸国

小川有美編著 自由国民社刊 2800円


 私が昨年、ドイツに在外研究にいって、一番愕然としたのがEUの存在である。こういうと、おそらく皆さんは、何を馬鹿なことをいっている、EUの存在など常識に属するではないか、と思われることであろう。正確に言い直すと、私はEUの性格を、EU条約によって成立している国際法上の存在であると誤解していた、ということなのである。そして、それに対して私が研究しようとしたのは、憲法とか財政法というドイツの国内法なのだから直接の関係はないと考えており、したがってEU法について調べるつもりなど事前には全くなかったのである。しかし、ドイツに着いて少し研究を始めたとたんに、これは大変な誤解であることが判った。
 すなわち、EUは法の現実の解釈に当たっては、まぎれもなく超国家的存在として、加盟各国の国内法の上位に存在しているのである。EU条約とEU加盟国の憲法が矛盾している場合には、条約が憲法を排除する。例えば、ドイツの連邦憲法では、関税収入はすべて連邦の収入と明記されている。他方、EU条約では加盟国の関税収入はEUの収入になるとされている。そこで、ドイツの関税収入はドイツ憲法の規定にも関わらず、すべてEUの収入となる。
 憲法でさえこの調子で排除されるのだから、通常の国内法のレベルになると、EUの委員会などが制定したEU法が、直接・間接に加盟各国内に適用されることになる。特に会計検査の領域においては、EU会計検査院は、EUに関わりのある限り、加盟国のあらゆる財政活動を検査することができるという強力な権限を、条約上与えられている。他方、会計検査院の権限があまり強くない国もある。そのような国では、行政庁は、EU会計検査院により、突然それまでとは比べものにならないほどに厳しい検査を受けることになってしまうことになる。ついうでに、その国の会計検査院も、EU会計検査院の検査に協力するという形で便乗して、自分自身の会計検査をしたがるようになったとか・・。
 こういう訳で、EU法を、全く基礎知識がないのに、にわかに勉強しなければならない羽目になってしまったから大変であった。特に苦労したのが組織や権限に関する訳語の決定である。これまでわが国研究者が各概念に当てた訳語を全く知らないため、悪戦苦闘をしてその全体像を把握して、決めていく必要があったからである。
 そこで帰国後、訳語の整合性を確保するなどの目的から、改めてわが国でのEU研究の現状を調べに掛かっている。その過程で様々な本を発見した。その中でも本書は、平易でありながら高い水準を確保していて、皆さんにお勧めに値すると考えた。EUのこれまでの歴史から始まって、加盟各国それぞれの事情までが実に手際よく紹介されているからである。なお、町田顕著『拡大EU』東洋経済新報社刊1700円は、EUの歴史や現状の紹介という点では本書に比べるとかなり見劣りするが、ポーランドなど東方へのEUの拡大という点に関しては貴重な情報を提供してくれる。

警視の死角

デボラ・クロンビー著、講談社文庫刊、838円

 本書は、『警視の休暇』『警視の隣人』『警視の秘密』『警視の愛人』と続いてきたシリーズの第5作である。帯に「エドガー/アガサ賞候補作」と書いてあるから、多分どちらの受賞も逃したという意味だと思う。が、候補作になるだけでも、その水準の高さの証明とはいえる。
 作者は、米国人で、一時英国に在住したこともあるが、現在は米国に住んでいるという人物である。それなのに、これはロンドン警視庁の警視を主人公としたシリーズなのである。しかし、このギャップは、作品中に英国らしさを出すのにプラスにはなっても、マイナスにはなっていない。それはアガサ賞候補ということに端的に現れているといえる。
 主人公はダンカン・キンケイドといって若くして警視の地位にまで昇ったエリートである。かって結婚していたが、その妻は仕事に熱中する彼に愛想を尽かして置き手紙さえ残さずに家を出た、ということまでがこれまでの作品で説明されていた。本書で、その元の妻が始めて現れる。彼女が殺されることが、ミステリとしての発端となるのだが、それは本書も250頁近く過ぎてから、つまりたいていの長編小説なら終わりも近づく頃なのである。このシリーズがいかにしっかりと人間を描いているかがお判り頂けるだろう。
 そのことがもっとはっきり示されるのが、ダンカンと、その助手のジェマ・ジェームズ巡査部長との関係である。彼女は第1作の段階で、既に美人ではないが、非常に魅力的な女性として描かれている。普通、米国のミステリ小説で独身の男女が登場し、協力して活動すれば、作品の終わりでは恋仲になっているのが常識?であろう。ところが、第1作どころか、第2作になってもまだ、ダンカンとジェマの関係は上司と有能で忠実な部下に過ぎない、というスローテンポぶりである。さすがに本書までくると一応恋仲になっているが、ジェマは学歴が警察学校しかなく、しかも幼い男の子を抱えているというハンディまで背負っているから、まだまだ二人の関係には不安定なところがある。結婚などという話にたどり着くのはどのくらい先なのか見当もつかない。この緩やかに進行する恋物語が、本書の世界の奥行きを深めている。
 もう一つこのシリーズで不思議なのが、せっかく主人公を警察官に設定していながら、作品のタイトルに休暇とか隣人とあることに明らかなように、主人公が個人的なつながりから偶然巻き込まれた事件がやたらと多いという点である。したがって正規の捜査権を持たずに事件を調べる場合も少なくない。もっともそのために生ずる、捜査権を持つ地元警察との軋轢も物語の奥行きを深めている。また、巻き込まれ型の事件では、当然、主人公は関係者と個人的、心情的なつながりを持たざるを得ない。ビジネスライクに捜査の対象と割り切れない苦悩がある。
 そういうわけで派手なアクションには縁がないが、いかにも英国的な世界の中で、優れた人物造形が展開しているシリーズなので、一つ読むほどにその世界に愛着が深まる作品群である。