飛翔せよ、閃光の虚空へ!

キャサリン・アサロ著 ハヤカワ文庫刊、880円


 このカバーをみて、皆さんはどう感じられるだろうか。文庫は帯をしているから、なかなか印象的な下半身を描いた部分は隠れて目に入らない。従って、このカバーで目を引くのはいかにもお人形的な可愛い顔立ちの美女だけである。私にはこういうお人形趣味はないから、この本を手には取ったものの、最初は買う気をそそられなかった。それでも買ったのは、ひとえに、その日、私が通勤電車の中で読む本を持っておらず、書店でほかにこれぞという本を全く見つけることができなかったからに他ならない。
 これは幸運であった。本書は近来にない傑作SFだからである。巻末の解説に「理屈抜きで面白く、理屈も面白いのが本書だ」とあったが、まさに同感。
 ストーリそのものは昔懐かしいスペースオペラである。地球人が恒星間宇宙に進出してみると、そこにはすでに二大勢力が存在し、互いに激しく戦っていた。その二大勢力はいずれもホモ・サピエンスであった。すなわち、紀元前40世紀頃に謎の宇宙人によって他の星に植民させられた人類の子孫だったのである。地球歴の19世紀頃、既に宇宙進出に成功していた彼らは遺伝子操作により、苦痛に強い人類や共感能力(エンパス)に優れた人類を作り出そうとした。ところが、前者は後者が発する苦痛の精神波が最高の快感として感じられるようになってしまった。この結果、両者は宇宙で宿命の対決を繰り広げることになり、地球人は両者の中立勢力として絡むことになる、というのが、基本的な設定である。本書は、この宇宙を舞台にして、敵対する二大勢力のそれぞれの王朝の筆頭後継者である男女が恋に落ちるという、ロミオとジュリエット風の物語である。そんな陳腐な筋なのか、と思われる方も多いだろうが、作者のストーリテリングが巧みなために、これが理屈抜きに面白い。
 理屈が面白い、というのは言葉を換えて言えば、ハードSFとしても本書は傑作と言うことである。様々なガジェットが登場してくるが、それがすべて実にリアリティがある。中でも、超光速を出すための鍵となる反転エンジンが傑作である。光速を越えることができない、というのは実数の世界の話だから、速力に虚数成分を加えて複素数平面を航行できるようにすれば、光速の限界を迂回することができる、というのである。
 驚いたことに、筆者はこの理論を事前に科学論文として専門誌に発表していたのだそうだ。すなわち彼女は化学物理学博士でマックスブランク天体物理学研究所などに勤務した後、現在は自分で民間研究所を設立し、経営しているという人物である。それだけの素養があれば、様々なガジェットにリアリティある説明をできるのももっともと納得したものだ。
 物語はハッピーエンドだが、主人公たちのその後が非常に気になる終わり方である。が、それは当分判らない。解説によると、このシリーズでは、以後、手塚治虫の火の鳥シリーズのように、舞台となる宇宙の様々な時代の、様々な人々の物語が展開されていくことになるというからである。

壁画修復師

藤田宜永著 新潮エンターテイメント倶楽部、1400円

 フレスコ画というと、ミケランジェロが描いた「天地創造」とか、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などが有名だが、欧州ではよく見かける絵画技法で、田舎を歩いていても、民家や教会の壁を飾っているのをよく見かける。これは漆喰を壁に塗り、それが乾くまでの間に大急ぎで絵を描くという技法なので、漆喰が乾くと壁と絵が一体化し、非常に丈夫で長持ちする。ドイツ南部のオーバーアマガウという村などでは、どの家もその外壁をフレスコ画で飾っていて実に見事である。2m以上もの豪雪に見舞われる地域なのだから、フレスコ画というものがどれほど丈夫なものなのか、お判りいただけると思う。
 しかし、いくら丈夫で長持ちするといっても、やはり時がたてば風化してくる。そこで修復という仕事が必要となる。フレスコ画特有の様々な修復技法を駆使できることに加えて、芸術的センスも要求される難しい仕事である。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が最近見事に修復されたのは大きく報道されたからご存じの方も多いだろう。
 本書は、そうしたフレスコ画の修復を専門に扱う人を狂言回しにした連作短編集である。フランスの場合、17世紀の宗教戦争や18世紀の大革命時に宗教が徹底的に弾圧された際に、それ以前に描かれた貴重な壁画が壁の中に塗り込められたということがよくあるのだそうだ。そこで、現代になって壁が剥がれ落ちたりして、その後からそうした古い壁画が発見されることがある。フランス文化省が調べて、修復する価値のある壁画と認定されると、修復家に依頼されることになる。もちろん、個人が自分の邸内の壁画の修復を依頼することもある。いずれにせよ、修復家は、フランス僻地の、ろくに宿泊施設もない村に出向いて作業をすることになる。修復には長期を要するから、いやでも寄宿している家やその他の村の人々との間に交流が生ずることになる。
 本書の主人公は、日本人の料理人だったが、フランスに長く住み、フランス人を妻にしていた。ところが妻の妹と不倫関係になったことから、妻が自殺した。そこで、妹の方とも別れて、壁画修復の道に進んだ、という変わった経歴の持ち主である。そうした心の陰が、同じような悩みを持つ人々には感じ取れるのだろう、彼はフランスの田舎に生きる人々の様々な愛情問題のもつれに関わりを持ち、あるいは相談相手になってやることになる。
 修復という作業そのものに関心を持って本書を読まれる方は失望することになると思う。もちろん、一通りの技法は紹介されているが、著者はあくまでもフランスの田舎の人々の生活の中にあまり抵抗なく入り込める職業として壁画修復師を選択したのであって、修復という作業そのものの面白さを作品にしようとしたのではないからである。
 著者は、かってはハードボイルド小説で名を馳せていた人物であるが、近時は180度方向転換して、恋愛短編小説を得意とするようになっている。本書も、そうした著者の近時の作品の流れに属するもので、そこに描かれる男女の哀歓はほのぼのとした読後感を与える。