『ナイルの暗号』

吉村作治著 青山出版社刊、1500円

 エジプト考古学者としてテレビ番組やコマーシャルなどに良く顔を出している著者が、はじめて書いたミステリというのが売りの作品である。残念ながらミステリとしてのできはあまり良くない。何しろ、タイトルになっている暗号なるものが、暗号というほどご大層なものではない上に、前後が間違っているから、このままでは解読不可能。それなのに、なぜか主人公は解読してしまうという珍妙なストーリなのだ。

 こうして悪口を言うくせに、本欄で取り上げたのは、ミステリ以外の要素、すなわち舞台となっているエジプトという国と、エジプト考古学に対する著者の思いがよくでていて、それだけで読み応えのある話になっているからだ。

 考えてみると、日本人が日本の考古学ならいざ知らず、エジプトの考古学を研究する、というのは奇妙な話である。もちろん、大英博物館の膨大な収集などに見られるように、エジプト考古学は、欧州諸国の研究者の手により今日の段階まで発展してきている。しかし、神聖文字解読の鍵になったロゼッタストーンがナポレオンのエジプト遠征の際に発見されているように、彼らにとり、その時点ではエジプトは自分の国の一部だったのだから、これはそれほど不思議ではない。ところが何の縁もゆかりもない日本人が研究する、というのは確かに奇妙と言えるだろう。そうした正体のよく判らないエジプトへの情熱というものは、こうした小説という形式の方が、随筆や論文などより、表現するのが容易なのだと納得する。ついでにいえば、エジプトまではるばる出かけて行う発掘作業は、実に巨額の費用を要するものなのだそうである。そして、その費用は、国や企業等からの援助はほとんど期待できないだけに、当事者が自らひねり出す外はない。冒頭に記した著者のマスコミでの活躍ぶりも、そうした費用捻出のための悪戦苦闘と知れば、コマーシャルも涙なくしてみられないというものである。

 エジプトにおける墳墓建設と同じ長さのある墳墓盗掘団の歴史、その現代における暗躍ぶりなども、事実に拘る必要のない分だけのびのび描かれていて、判りやすく、おもしろい。物語の中心は、その現代の盗掘団との死闘という形になっている。古代において、王達は盗掘団の脅威に、当初はピラミッドの中に様々な迷路をつくる等して対抗したが、やがて墳墓の所在そのものを隠す、という手段で対抗するようになった。そこで、現代の墓荒らしたる考古学者は、衛星観測や偏差重力計などというハイテク機器を持ち込んで、その所在を突き止めようとするのである。そのような手つかずの墳墓を発見すれば、盗掘団にとっても莫大な利益を意味することになる。そこで、誘惑や暴力という形で考古学者に対して魔の手が伸びてくることになるわけである。

 それにしても、考古学の分野での助教授という地位が、教授の下働きとして走り使いをさせられるひどく低い地位で、功績を挙げるのにあくせくしなければならないという紹介には驚いた。法律を専攻した身の幸せを感じたものである。

『ななつのこ』

加納朋子著 創元推理文庫社、520円

 前に本欄で北村薫の『夜の蝉』を紹介したことがあるが、あのような作品、つまり、作品の中に殺人というような不愉快な犯罪行為が現れず、日常生活の中にふっとよぎる様々な謎が取り上げられ、それに安楽椅子探偵による目も覚めるような鮮やか解決が与えられる、という作品がお好きな方に、絶対にお勧めの傑作である。

 この物語は、非常に凝った構成になっている。主人公入江駒子は、女子短大生なのだが、ある時、『ななつのこ』と題する童話の短編集を手にする。表紙そのものに彼女はまず引きつけられる。それは虫取り網を持った田舎の少年を精密で素朴に描いたものであった。そう、本書のカバーそのものといってよい(もっとも、作中では少年の目などに言及されているのに、ごらんのとおり、カバーでは後ろ向きになっている。不即不離というところか)。

 更に作品の内容に彼女は感動する。ご丁寧に、その童話のあらすじまでが紹介される。これがまた実に見事なもので、それをそのまま作品化しても傑作になりそうなものである。そこで生まれて初めてのファンレターを、編集部気付けで著者に対して送る。その中で、彼女は、その童話に触発されて気づいた日常生活の中で巡り会ったちょっとした謎を書き込んだところ、著者からの返事に、その謎に対する鮮やかな解答が書いてあった、というのが基本的構成である。ななつのこという表題どおり、こうした物語が7話紹介されている。つまり、7つの短編を読む間に、その倍の数の物語を楽しめるというお徳用商品になっている。しかも、最後の物語まで来ると、これが単なる同一主人公による連作短編ではなく、全体で一つの長編小説になっていたことが判るのである。

 最初に名を挙げた北村薫の作品では、女子大生の生活が、その息づかいまで聞こえるほどに活写されていることや薫という性別不詳の名であること等から、私はずいぶん長いこと、薫というのは若い女性に違いない、と考えていた(実際には中年男性である)。その反動から、この作品も、同じように見事に女子大生の生活を活写しているので、ひょっとすると、朋子という女性ペンネームであるにもかかわらず、実は男性なのではないか、と疑ってきた。疑うだけの理由が、特に本書の中に隠れているのであるが、これはどうやら深読み過ぎだったようで、この著者はその名の通り女性のようである。

 なお、すでに本書続編の『魔法飛行』(創元推理文庫、560円)が刊行されている。こちらの作品も凝った構成を持つ優れた作品である。最近作品の紹介という観点からいうと、こちらを紹介すべきだろう。が、1993年に魔法飛行が最初にでたときに読んだ際、その前にななつのこを読んでいなかったために、それほど楽しめなかったという記憶が私にあった。今回改めて順に読んで、このシリーズ、やはり順に読む方がはるかに面白いと痛感した。そこで、続編が既に刊行されているにも関わらず、あえてここではななつのこを紹介した。もし面白いと思ったら、是非魔法飛行も読んでください。