『炎の門』

スティーブン・プレスフィールド著 文春文庫刊、905円

 紀元前480年、クセルクセス大王率いるペルシャの200万人と号する大軍がギリシャ制服のため怒濤の進撃を始めた。多数の都市国家に分裂していたギリシャはこれに対して機敏な対応が不可能だったため、時間を稼ぐ目的からスパルタ王レオニダスとその指揮下の300人のスパルタ兵士を中核とする4000人のギリシャ同盟軍は、テルモピュライ(普通わが国では英語読みでテルモピレーと呼ぶ)の天険に拠ってペルシャ軍を迎撃した。

 同盟軍は1週間に渡ってテルモピュライを死守したが、ペルシャ軍が抜け道を発見したことが明らかになったため、退却した。その退却を助けるため、生き残りのスパルタ軍とテスピアイ軍は踏みとどまってペルシャ軍の攻撃を腹背に受けて戦い、ついに全滅した。これに鼓舞されたギリシャ同盟軍は、まずサラミスの海戦でペルシャ海軍を撃破し、補給路の断たれたペルシャ陸軍をプラタイアイの会戦で撃破して、ついにペルシャの野望を阻むのに成功するのである。

 こうしてペルシャがヨーロッパまでも席巻することを阻んだことにより、今日我々が知るギリシャ・ローマを源流とする西欧社会に至る道が確立されたのだから、テルモピュライの戦いは、まさに世界史の転換点といえる重要性を持つものである。しかし、不思議なことに、この重要な戦いを紹介する作品はこれまでほとんどなかった。

 私自身は子供の頃、この戦いをテーマにしたアメリカ映画を見た記憶がある。最後に生き残りのスパルタ兵士がレオニダス王を頂点にくさび形の陣形をつくってペルシャの大軍に突撃し、玉砕するシーンはいまでも目に浮かぶ。だが、残念なことに、この「スパルタ大反撃」という映画はいわゆる名画とは評価されていないらしく、その後、テレビやビデオでもお目に掛かっていない。

 本書は、このあまり知られていないテルモピュライの死闘の詳細を、臨場感あふれるタッチで描きあげた傑作である。語り手となるのは、全滅したスパルタ軍の死骸の山の中から、ただ一人重傷を負いつつも生きたまま発見された男と設定されている。この異常な全滅戦を可能にしたスパルタの精神風土を紹介するために、 彼は外国人である。ギリシャの都市国家同士の戦いで滅ぼされた小都市出身者である彼は、スパルタの強さにあこがれて、外国人は奴隷としてしか受け入れないこの偏狭な国家に仕えるため、わざわざ奴隷に身を投じたのである。

 彼の目を通じて紹介されるスパルタにおける軍事訓練(文字通りのスパルタ訓練)の描写は、最初のうち、正直なところ少々退屈である。しかし、読み進むに連れて、そのような非人間的とも言える異常な訓練を子供の頃から重ねているからこそ、ペルシャの大軍を相手にして一歩も引かず、全滅する運命を知りつつ逃亡せずに戦うという偉業が可能になるのだ、ということが理解されてくる。

 なお、テルモピュライという地名は、ギリシャ語で熱の門という意味だそうである。そこに温泉があるためである。邦題はこの熱を炎と替えて、激闘を示したものであろう。

 

『iモード事件』

松永真理著 角川書店刊、1300円

 私は教師で生活しているくらいだから話すのが苦手というわけではないが、書くのと話すのとどちらかを選べる、という場合には、よほどの事情がない限り書く方を選ぶ。e-mailというのは、だから私にとっては実に嬉しい発明で、それで間に合う限り、電話をかけよう、などとは間違っても考えない。それくらいだから、携帯電話には全く興味はなく、触ったすらなく、したがって、近い将来、使う意思も全くない。

 そんな私でも、iモードについては気にしている。iモードから発信されたe-mailが私のパソコンに舞い込んでくるからである。携帯電話のくせにe-mailが送受信でき、インターネットにアクセスできるというのは一体どんな機械なのだろうと不思議に思っていたのである。

 本書は、そのiモードの命名者であり、開発の中心人物としてウーマン・オブ・ザ・イヤーにまで選ばれ、iモードが無事に軌道に乗ると、さっさと辞めてしまうという鮮やかな進退を見せた女性による、内側から見た開発ストーリである。サクセスストーリなのだから、その点では面白いことは間違いない。

 しかし、私が興味を持っていたどんな機械、という点については、本書にはほとんど書かれていない。というのも、このような時代の最先端の機械にはまことに不似合いにも、著者は大変な機械音痴だからである。もっとも、それはこのiモード開発に当たって決して不利な要素ではなかった、という点が面白い。一つには、この機械の基本コンセプトが、子供が取扱説明書も見ずにすぐ使える機械、という点にあったことである。今一つは、機械に弱いが故に、技術屋だととても無理と考えてはじめから持ち出さないような無理難題を平然と要求し、技術屋の方が泣く子とマリさんには勝てない、とそれに応じた、という点がある。要求を出すと、最初は「不可能」だったのが、「検討中」になり、最終的には「可能」になっていくのだという。

 そんなに機械に弱い人間が、では、iモードを立ち上げるについての何をやったのだろうか。要するにコンテンツ(情報の中身)の編集である。彼女はリクルート社で「就職ジャーナル」とか、「とらばーゆ」という雑誌の編集長を歴任し、その成果から政府税調の委員に選ばれるような活躍をしていた。3年に一つくらいの割で新しい雑誌を創刊していた、というから、それまでにない新しい情報媒体の編集長には打ってつけと見られてNTTから引き抜かれたのである。転職情報雑誌とらばーゆの編集長自らが42歳にしてとらばーゆしたというわけである。

 NTTの内外から呼ばれた7人のメンバーから出発したことから、黒沢明の「七人の侍」になぞらえて説明する事業の開始は、事業の立ち上げの苦労話として面白く、事業の立ち上げに成功し、満を持して行ったiモード発表の記者会見にわずか7人の記者が顔を出しただけ、という状態から巻き返して数百人の記者を集めるまでに持っていった話も、また、今日という世相を見せて面白い。