『「広辞苑」は信頼できるか』

金武伸弥著 講談社刊、1500円

 私の家には広辞苑が3冊ある。第1版、第2版および第3版である。今出ているのは第5版だそうだから、もう2版ほど買うのをさぼっていることになるが、ほかの大型辞典はついぞ買ったことがない、という意味でやはり信者の一人に入るだろう。本書のタイトルは、そういう信者にとり、きわめて刺激的である。これはたぶん編集者が付けたタイトルだと思う。中味は別に広辞苑を目の敵にしたもの、というわけではなく、きわめて堅実な国語辞典の比較研究の書だからである。実に21冊もの国語辞典を取り上げて、予め選択した100のチェック項目を基準に比較検討して、現代という時点でどれが優れているかを論じたものである。

チェック項目とされたものの多くは、現代における表記の揺れや定着した誤用である。だからその分だけ伝統的な編集方針をとっている辞書や改訂から間の空いている辞書は評価が低くなる。例えば「日本国語大辞典」は全20巻という巨大なものだが、1976年の初版以来、改訂されていない(近日中に第二版が出る)。おかげで総合ポイント34.5点とされ、調査辞書類の中では15位という低い順位に低迷している。しかし、これほど巨大で充実した国語辞書はほかになく、決して駄目な辞書ではないことは著者自身が特筆している。

 むしろ、小型辞書の方が、フットワークを生かして高得点をあげやすい。61.5点とダントツの評価を勝ち得たのが、収録語数7万語にすぎない「三省堂国語辞典」であるのは、その意味では納得できる結果である。なお、同じ三省堂でも個性的な語釈で有名で、そのファンからの「新解さんの謎」なんて本まで出ている「新明解国語辞典」が46.5点と低いのもおもしろい。

 本のタイトルになっている広辞苑の点数は52.5点で、ほぼ同じ規模の大型辞典5冊の中では3位とちょうど真ん中。要するに平均的な内容の辞典なのだ、ということがわかる。

 しかし、この本の魅力は、このような辞典類のランキング紹介よりは、むしろ今日における我々の言葉遣いの揺れや誤用の紹介にある。例えば、頭の一部が痛むのは偏頭痛と普通は書く(一太郎もそう変換する)が、医学界での正しい用語法は片頭痛なのだそうだ。 また、いつも新聞が「拘置」と書くのは何を意味するのかと不思議に思っていたのだが、我々法律屋が「勾留」と呼んでいることを、制限漢字に掛からないようにこう言い換えることになっているそうだ。

 私の恥になる話だが、あっと思ったのであえて書くと、流れに棹さすとは、本来は流れに従うことを意味するという。私は流れに逆らうという意味と信じていたので、そんな馬鹿な、草枕の冒頭の「情に棹させば流される」はどうなる、と頭の中で叫んだら、ちゃんとそれが例に載っていた。私はこれまでずっと草枕の文章を逆の意味で理解していたことが、本書のおかげでわかったのである。本書を読まなければ、墓場に行くまで誤解したままでいただろう。どなたも、満載されているこれら国語豆知識を楽しんでいただけると思う。

『ミミズクとオリーブ』

芦原すなお著 創元推理文庫刊、520円

 この著者、私と同じ名前であり、私と同じ世代であるということから、私としては気になる存在である。しかし、実をいうとあまり好きな作家ではない。彼の作品の多くでは、登場人物が実にけたたましくしゃべりまくり、無口?な私は気圧されて読むのに疲れる、というところがある。もちろん、全ての作品がそうではない。例えば、彼が直木賞をとった『青春デンデケデケデケ』は、青年期も終わりに近づいた著者が、エレキギターに明け暮れた高校時代を追憶して描いた作品で、青春に対するオマージュとして文句なしの傑作である。ここでは、登場人物のおしゃべりも適度に抑制が利いている。もっとも、これは彼のかってのエレキ仲間にたまたま無口な人間が多かったことによる余慶なのかもしれない。なお、この作品の奇妙な表題はエレキギターの音の擬音である。

 本書も、また、この著者の作品としては、登場人物の発言に適度に抑制が利いていて、私としては楽しむことのできた作品である。作品の中でも言及されているが、漱石の「門」を連想させる落ち着きが漂っていて、この作者の今後が楽しみになった。

 表題からではぴんとこないが、実はこれは安楽椅子探偵ものの推理小説である。すなわち、東京都下の八王子市郊外に住む、明らかに作者自身がモデルと思われる作家の「ぼく」のもとに友人が相談事をもって訪問してくる。もっとも、それは作家の意見ではなく、その妻の意見を聞きたいがためである。実は、彼女は話を聞くだけで事件の真相をズバリと把握する名探偵なのである・・という基本設定の連作短編集である。

 普通の家庭婦人が実は名探偵という設定の作品は、これまでにも、アガサ・クリスティの有名なミス・マープルシリーズや、前に本欄で「ママは眠りを殺す」を取り上げたことのあるジェームズ・ヤッフェのママ・シリーズなど、結構あってそう目新しい設定ではない。しかし、そうしたシリーズでは、探偵はいずれも豊かな社会経験から事件の真相を見抜く、という設定であった。ところが、本書の探偵は、もと箱入り娘で、それがそのまま箱入り奥さんになった、という感じの、いかにも世間ずれしていない女性で、それにもかかわらず、天性の感覚で事件を解決してしまう、という設定が新鮮である。本書の奇妙な表題は、知恵の女神アテナイの暗喩なのである。

 実をいえば、作品のいくつかでは、いくら警察が馬鹿でもこういう間違いは犯さない、と言いたくなるような無理な謎の取り上げ方があるのだが、その場合でも、箱入り奥さんの、女性としての感性を示した解決を読むと、そういう粗をほじるのは野暮と片づけさせる説得力がある。

 特に、「梅見月」という作品が私は好きである。妻が風邪で倒れて、それを看病していたぼくが風邪で倒れ、逆に妻から看病されながら追想する二人のなれそめの物語は、古風な傑作恋愛小説である。その時は偶然と思っていたことが、20年も経ってようやく妻の名推理に助けられていたことに気がつくという作家ののんきさが楽しい。