『風よ、万里を翔けよ』

田中芳樹著 中公文庫刊、629円

 たいていの小説は、著者の属する国の人々を主人公として描かれる。他の国を舞台にした場合にも、少なくとも狂言回し的に自国民が登場して、必要に応じてその国の風土や文物の説明をできるようにするのが普通である。したがって、作中に著者の属する国民が全く登場せず、その舞台となる国の人々だけが登場人物である、という作品が書かれることは少ないが、そういう作者がいることもある。しかし、そういう作品が、その国の文学のれっきとしたジャンルになっている、というほど書かれているのは実に珍しいのではないだろうか。日本にとってのそれは、古代中国を舞台とする作品である。本書もそうした作品の一つである。

 著者は本来はSF作家で、彼のデビュー作である「緑の草原に・・」等はオーソドックスなSFである。しかし、その時新人賞を取った雑誌「幻影城」がすぐにつぶれてしまったため、活動の舞台を徳間書店の「SFアドベンチャー」というのに移したのが運の尽き?、作風ががらっと変わって『銀河英雄伝説』等、SFとは名ばかりのむしろ活劇中心の作品になってしまった。もっとも、この作品で1988年に星雲賞を受賞しているくらいだから、決して質が低いわけではない。あるいは『創竜伝』は、現代の東京に住む4人兄弟が、実は中国古代の伝説にある四大竜王だという奇想天外というか荒唐無稽な作品でSF的なセンス・オブ・ワンダーを感じさせるものは少しもない。こう書くと貶しているようだが、どちらの作品も私は好きである。特に後者は、前に本欄でダーティ・ペア・シリーズを紹介したことがあるが、それに似た爽快感のある作品で、ストレスのたまっている方には向いている。

 ところが、その同じ作者が書いているとはとても信じられないのが、中国を舞台とする作品群である。様々な資料を渉猟し、しっかりと史実をふまえた上で、その枠内で、可能な限り想像の翼を広げる、という史実小説の本道を行く、実に重厚な作品を書くのである。もっとも先に挙げた創竜伝の巻末についている対談で語っているところによると、元々中国を舞台とする小説に興味はあったのだが、昔は中国ものには注文がなく、実は銀河英雄伝説なども舞台を銀河においただけの中国ものだそうだ。しかし、最近では中国もの専門で書く人が出てきて、書いて売れるようになったので、ようやく1991年、初の中国歴史長編として刊行したのが本書である。このたび文庫版になったのを機会にここに紹介している。

 この作品は、中国伝説の美女剣士である花木蘭を、随が滅び、唐が勃興する動乱の時代の人物と設定して描いた作品である。花木蘭といわれてもぴんとこない人も多いと思うが、ディズニー漫画の主人公ムーランのことである。もっとも、同じ主人公を扱っているというだけのことで、この作品の方は、決してお子さま向きの甘いものではなく、力のこもった力作である。稀代の悪帝として知られる随の煬帝を弱い人間として描いているなど、実在の人物がしっかりと造形され、読み応えのある見事な歴史小説になっている。

『リセット』

北村薫著 朝日出版社刊、1200円

 この著者が近年取り組んできた「時と人」シリーズの、『スキップ』、『ターン』に続く第3作である。この作者については、以前に「円紫さんと私」シリーズを紹介したことがある。名前の出てこない女子大生が語り手となり、日常生活の中でふと出会う小さな謎を、落語家が快刀乱麻を説くがごとくに解決する、という独特の推理小説シリーズであった。これまで、本欄では、一度紹介したことのある作家は取り上げてこなかったのだが、本書は、推理小説とは完全に一線を画する作品であるため、改めて取り上げることとした。

 このシリーズの特徴は、時間というものが人に及ぼす影響のおもしろさを、きわめて極限的な形で取り上げている、というところにある。シリーズ第1作の『スキップ』の場合、17歳の主人公が、ある日突然42歳になっている自分の肉体の中で目覚めることから生じる葛藤を描いている。常識的にいえば記憶喪失なのだが、17歳の時の意識が完全な形で存在しているのに、自分と同い年の娘までいるという状況が非常におもしろい。そもそもこの作者、最初の頃覆面作家として登場したのだが、私は長く、その正体は若い娘だと信じていたほど、思春期の女性の日常や情感を描くのに巧みである(実際には、私とほぼ同年齢の男性である)。第2作の『ターン』では、交通事故とともに、なぜか同じ日が繰り返す世界に閉じこめられた若い娘の恐怖が描かれる。

 これまでのシリーズ2作は、いずれも佳作であって、繰り返し読んで楽しんだが、傑作と呼ぶ気にはなれなかった。瑕瑾があり、それが読んでいて、気になってしまうからである。例えば第1作の場合、42歳の「私」が高校教師であったところから、17歳の「私」も高校教師として生きていこうとする。しかし、まことにすばらしい授業を行い、授業中に立ち往生する、というようなことは全く起こらないのである。教師の端くれとして断言するのだが、天性、教師としての才能がある人物であっても、人生に関する経験を全く欠いてすんなり行くほど、教師というのは甘い職業ではない。

 今回の作品は、そうした傷が少なく、目立たない。その意味で、十分に傑作と呼びうる作品と思う。本書の場合、物語の基本設定を説明してしまうと、読む感興を大幅に削ぐことになるので、ここでは触れない。しかし、その物語の基本設定が読者の目に映るまでに、かなりの忍耐を要求される作品であることはお断りしておいた方がよいだろう。

 第1部では戦時下における兵庫県芦屋のお嬢様の暮らしが、そして第2部では今から40年くらい前の埼玉の田舎の小学生の暮らしが淡々と語られる(第2部の内容はたぶん作者自身の思い出だろう)。それはそれでおもしろいのだが、それがどうシリーズテーマである「時と人」につながるのかが、読んでいてさっぱり判らないのである。本書のテーマを読者が一瞬にして理解させられるのが、全362頁の作品の、300頁近い辺り、というのは、実に異色の作品といえるであろう。