『イギリス人はおかしい』

高尾慶子著 文春文庫、524円

 英国は日本と似たような地理的条件にあり、同じように王を頂いているせいか、わが国の関心が高く、漱石の昔から、その国を紹介する優れた随筆に事欠かない。最近では全英一のスーパーマーケット・チェーン、 マークス&スペンサーの3代目当主、 マイケル・マークスと結婚して貴族の称号を得たマークス寿子の書く一連の随筆(例えば「英国貴族になった私」草思社刊)は、貴族社会という視点から見た英国を紹介して面白いものだった。しかし、英国は階級社会だから、一億総中流社会の日本と違って、一つの視点だけからでは、その全体像は見えてこない。

 本書は「日本人ハウスキーパーが見た階級社会の素顔」という本書のサブタイトルに明らかなように、そういうエリート階級に奉仕する立場の庶民側の視点から描いた英国、という点に大きな特徴がある。普通に日本人旅行者が見る英国は、この庶民で満ち満ちている英国の方だから、英国に旅行に行くときに、参考として読むならば、本書の方が、マークス寿子の作品よりもよほど適している、ということができる。

 実をいうと、私は、先日1週間ほどロンドンに行ってきたが、その行きの飛行機の中で本書をせっせと読み、大いに参考になった。例えば、行く先々で英国人の行列好きに悩まされたが、英国人は待つことが人生だと思っている、という本書の教えで、ある程度あきらめの念でそれを受け入れることができた。とはいうものの、地下鉄の駅に降りていくと、ずらりと並んだ自動券売機に見向きもせず、たった一つだけある人のいる窓口に長蛇の列を作って、普通の乗車券を買っているのだから、本書で与えられた予備知識がなければ、電算機の事故でも起きたか、と心配してしまうような光景であった。

 著者は、日本で英国人と結婚して渡英した後、離婚してハウス・キーパーとして自立して生活していた人で、失業期間中にはロンドンのスラム街で生活するような苦労を重ねているから、庶民としての視点は筋金入りで、特にサッチャーに代表される保守党政治に対する批判は鋭い。日本人はややもするとサッチャリズムが成し遂げた業績に目を奪われがちである。その点、研究者も同じことで、サッチャー時代の英国を紹介する研究書なども、その賞賛に終始していたように思える。しかし、特定の政策は、短期的に成果が上がればあがるほど、どこかに大きなしわ寄せが発生する。そういう意味で、他国を見るときに、その光の当たる部分と同時に陰を見ることが必要ということを教えてくれる書でもあった。

 もっとも、著者は英国を愛するあまり、日本人が海外に日本を紹介するときに、必要以上に辛口の紹介をする癖がある(そのことを著者は本書の中で非常に憤っているが)のと同じように、少々英国にとって厳しすぎる評価を下している面もある。例えばロンドンの地下鉄の車内が汚い、と激しく非難していたので恐る恐る乗ったのだが、日本の地下鉄ほどでないにしても、欧州の地下鉄としては十分にきれいだと思ったものである。

 

「『近代』立憲主義を読み直す」

阪本昌成著 成文堂刊、2300円

 この筆者は、広島大学法学部の教授で、私と同じく憲法を担当しているが、その学説は、「わが国嫡流憲法学」(本書113頁で使用されている言葉)を基準にすると、私同様、少々本流からはずれている。嫡流の学者と違って、異端の学者は、せっせと論文を書いて自分の学説を知らせる努力をしなければならない。

 その点、この筆者は大変な努力家である。すでに何冊もの個人論文集があるのに加えて、その書かれた体系書『憲法理論』(成文堂刊)たるや、合計2000頁を越えるというとてつもない代物である。これでは厚すぎて普通の学生が読めないというわけで、別に国制クラシック、基本権クラシックと名付けたハンディな体系書を出している(有信堂刊)。もっとも、こちらでさえ、2冊あわせれば500頁を軽く越えるのだからかなりのボリュームである。その他、他の学者と共著の単行本も多数存在する。

  それだけやっていて、その上に、一般向けの啓蒙書を書く暇があるのだから恐れ入る。最初に書かれたのが「リベラリズム/ デモクラシー」(有信堂刊)で、本書が2冊目ということになる。どちらも、非常に難解な法哲学を恐ろしく易しく砕いて説明している。アリストテレスから始まって、ホッブスやロック、ルソー、アダム・スミス、ヘーゲル、さらには不勉強な私は本書を読むまで名前すら知らなかったスコットランドのヒュームという啓蒙思想家に至るまで、古今の書を易しく説明する力量には本当に脱帽のほかはない。

 もっとも、こう書いたからといって、私がそこに述べられていることに全面的に賛成している、というわけではない。特に前書では、著者は自らをラディカル・リベラリストと称し、福祉国家理念を激しく攻撃している。そこで指摘されている個々の点については首肯すべき点も多いのだが、基本的に私は、個人の自由を極大化する手段としての福祉主義の存在を信じているので、前書に対しては、反発するところも多いのである。

 それに対して、本書で指摘されている問題については、筆者に類似した危機感を持っているだけに、皆さんに本書を是非読んでほしい、と思うのである。本書は、サブタイトルに《フランス革命の神話》とあるとおり、従来わが国嫡流憲法学が、あまりに無批判にフランス革命を近代立憲主義の起点としてきたことを問題視している。

 ここからは私の勝手な意見だが、近時、首相公選制論に代表されるように、地方ばかりか、国制レベルにおいても、直接民主制的制度を導入しようという議論が、学界でも社会でも強くなっている。しかし、直接民主制はナポレオンやヒットラーに示されるとおり、失敗例の多い政治手法で、私はその導入に反対である。浅学な私には、そのことを哲学のレベルから皆さんに納得行くように説明できる自信がなく、いたずらに危機感だけを募らせてきたのだが、こういう優れた書を読んでいただければ、わたしの持つ危機感が少しでも皆さんに伝わるのではないか、と思い、紹介する次第である。