『庭には孔雀、裏には死体』

ドナ・アンドリュース著 ハヤカワ文庫、900円

 本書は、アガサ賞をはじめとして三つもの賞を取ったという鳴り物入りの作品だが、確かに面白かった。何より登場人物の造形が優れている。

 本書のヒロインにして探偵役のメグ・ラングスローは鍛冶屋、というとちょっとぎょっとするが、要するに鉄を素材として作品を作る前衛芸術家である。もっとも、本書では女性にしては怪力の持ち主ということを説明する以外には、この設定が生きていないのは惜しい。その辺は、すでに書かれているという今後の続編に期待しよう。

 本書では、彼女は花嫁付添人として悪戦苦闘する。花嫁付添人というのは欧米の結婚式で、花嫁を先導する形で歩いている女性のことだが、彼女は実務能力抜群であるところから、同時に結婚式の手配万端を押しつけられている。しかも、一夏の間に親友、弟それに母親と三つの結婚式が立て続けにあり、その全部を彼女が面倒を見なければならない。

 日本だと結婚式の手配といっても結婚式場がもっぱらやってくれて、要所要所で指示を出すだけが仕事になるが、米国の場合はそうはいかない。スペンサー・トレーシー主演の「花嫁の父」という映画をご存じだろうか。あの映画が描いていたように、結婚式及び披露宴を花嫁側の負担で、その家で行うのである。それだけの広さのある家に住んでいる、という点ではうらやましいが、結婚式の手配一切を個人で行うというのは、ちょっと考えただけでもぞっとする。しかも、3人の花嫁達は、ひっきりなしに様々な思いつき、例えば庭に孔雀を放して彩りにしよう、という類の突飛な思いつきを彼女に言って寄越す。簡単にいってしまえば、本書はこの彼女の三つの結婚式のためのユーモアあふれる苦労話である。

 彼女をホームズとすれば、ワトソン役を務めるのがマイクル。三つの結婚式の衣装一切を引き受けている仕立屋の息子である。ゴージャスなまでのハンサムで、恋人と別れたばかりのメグは一目見るなりふらっと来るのだが、何ともったいないことに、ゲイという評判の男である。衣装といっても、単に花嫁、花婿の服だけでなく、式の主要人物すべてを揃いの服を着るというから大変。仕立屋の女主人が事故で不在とあって、メグはマイクルと二人で準備に明け暮れることになる。

 三人の花嫁がそろいもそろって強烈な個性を持っていてメグを振り回すばかりでなく、式に出席してくる親類知人も皆変人揃い。そうした中で、殺人事件が起こり、さらに殺人未遂と思われる事件が相次ぐ。彼女もある程度関心を持って嗅ぎ廻ってみたりするのだが、結婚式の遂行の方が大変で、殺人事件はややもすれば、霞がち。

 いったい殺人事件はどうなるのだろう、と気になってしまうが、最後の結婚式で、それも鮮やかな解決を見る。読み終えてみれば、事件を解決するのに必要なあらゆる手がかりが、きちんと作品の中で開示されている、というまことにフェアな推理小説である。ただ、登場人物の個性豊かな行動の描写の中でそれがうまく隠されているのである。次作が楽しみなる作品である。

 

『二人のガスコン』

佐藤賢一著 講談社刊、上中下各1800円

 『王妃の離婚』『傭兵ピエール』などのフランス歴史小説で、日本人が書いているとはちょっと信じられないほどの深く広範なフランス歴史に対する知識と、優れた文章力で読者を魅了した作者が、今度は二人のガスコン、すなわちアレクサンドル・デュマの小説で名高いダルタニャンと、ロスタンの戯曲で名高いシラノ・ド・ベルジュラックの二人に手を組ませて、フランス狭しと暴れ回る冒険を書き上げたのが本書である。この二人、実在の人物である上、同時代人だから、相互の交渉があってもおかしくない、というのが本書の基本構想。この二人が主人公のうえに、物語は鉄仮面という歴史上の謎を解く、というものだから、面白くないわけがない。

 二人を主人公にするにあたって、おそらく筆者が苦労したのは、ダルタニャンの方であろう。シラノに関するロスタンの戯曲は、若き日のシラノの恋の顛末が描かれた後、いきなりシラノの最後の日になるから、その間にどんな冒険を押し込んでも辻褄を合わせるのは簡単である。これに対して、デュマのダルタニャン物語は実は三冊ある。『三銃士』『20年後』それに『ブラジュロンヌ子爵』である。第2作はその名の通り、三銃士の終わった20年後の物語で、折から起こるフロンドの乱と呼ばれる少年王ルイ14世に対する貴族の反乱で、ダルタニャンと三銃士は敵味方に分かれて対立する。最後の作品は、太陽王ルイ14世の華やかな宮廷を背景に、三銃士達の死を描いた、少々気の滅入る作品である。で、作者は結局、『20年後』の少し前の時期を選んだ。20年後ではダルタニャンは40歳になっているが、本書で我々は30代のダルタニャンの活躍を見ることができるわけである。もっとも、20年後と完全に辻褄を合わせてしまうと物語を作る上で非常にやりにくくなるから、その辺はかなり自由に物語が展開されている。

 最初に、筆者の文章力ということに言及したが、本書を読んでいて舌を巻くのが、その語り口の自在さである。ダルタニャンの活躍の下りを読んでいるときには、まるでデュマの作品を読んでいるような気分に、シラノの活躍を読んでくる下りでは、ロスタンの戯曲を読んでいるような気分にそれぞれさせられるのは、見事というほかはない。

 ところで、ガスコンというのは、文字通りにはガスコーニュ地方人という意味だが、実はバスク民族という、フランス人の主流とは異なる少数民族で、フランス・スペインの国境にそびえるピレネー山脈に住んでいる。スペインでは抑圧を今日でも受けているが、フランスの場合、れっきとしたガスコンであるアンリ4世が、新教・旧教の対立解消のため、棚ぼた的に王座についたことから、この物語で描かれている、その孫に当たるルイ14世時代には事情が違っている。すなわち、一面では少数民族としてのつらさを持ちつつ、他面では政府首脳に多数の出身者がいるということから来る微妙さがある。その辺は、デュマよりも、よほど巧みに本書は取り扱っている。