『現代ドイツ基本権』

B・ピーロート/B・シュリンク著 法律文化社刊、12000円

 わが国も本格的な国際化時代を迎えている。以前ならば、私のように職業として法律を研究している者だけが外国法についても研究すれば十分であった。しかし、今や学生が卒論を書くに当たっても、また行政官が新たな行政施策を企画・立案するに際しても、外国における同種制度との比較検討が必須のものとなってきている。例えば、ゼミ生が、卒業論文のテーマについて相談に来ると、その問題については、アメリカではこうで、ドイツではこうで、と説明するのだが、もちろん口頭での指導で足りるわけではなく、彼らとしては何とかして、そうした外国制度に関する文献を調べなければならない。しかし、これが難物である。

 外国語が読めれば問題はない。しかし、専門書というのは、小説が楽に読める程度の力がある人にでも少々手強い。まして、英語ならともかく、ドイツ語と言うことになると、研究者でもきちんと読める人は少なくなる。そこで、日本人学者が日本語で発表している論文が頼り、ということになるのだが、これにも問題が多い。研究者は多くの場合、その人なりの問題意識を持って外国制度を紹介しているから、いくら近いテーマでも、なかなかぴたりと来るのがない。あっても、各人各様の主観を交えて文献紹介を行っているから、必ずしも客観的な資料とはならない。例えば、引用している箇所だけを見れば、確かにそういう表現があるが、原書の、その前後を通して読めばトーンが異なってくる、等という問題があることがある。したがって、できれば原書にあたるのが最善と言うことになる。しかし、それでは読めない人にとっては困る。

 本書は、企画としてまことに意表をついたものである。ドイツで現に出版されている基本的人権に関する教科書を、その前文から凡例、注に至るまで、そっくり日本語に翻訳したものなのである。専門の論文集などを翻訳した例はこれまでもかなりあるが、学生向けの教科書の完全翻訳というのは、あまりその例を知らない。さらに、本文と対比しながら参照する必要があるドイツ基本法と、ドイツ連邦憲法裁判所法の二つについて、巻末に翻訳が載せてある、というかゆいところに手の届いたサービスぶりである。

 教科書だから、ドイツ憲法学について予備知識があまりない人でも楽に理解できる。実を言うと、この教科書はドイツの司法試験受験者用に書かれたものである。1985年に初版を上梓して以来、毎年確実に新版を出している、というから、日本の法律教科書にはちょっと例を見ない大変な人気の本である。本書の底本となったのは1999年刊の第15版であるから、現時点では最新のものとは言えないが、翻訳の所要時間を考えれば、やむを得ないというべきであろう。翻訳にあたったのは、立命館大学の永田秀樹教授を中心とする人々なので、翻訳内容の正確さについても、基本的に信頼できる。これで値段がもう少し安ければ、皆さんも是非お買い下さい、と書けるのだが、この値段では個人で買うのは躊躇されるかと思う。是非身近の図書館にこの本を紹介してください。

 

「フェニモア先生墓を掘る」

ロビン・ハサウェイ著 ハヤカワ書房刊、760円

 ちょっと変な設定の物語である。フェニモア先生は40歳になろうとしている独身の、腕の良い心臓外科医なのだが、金儲け主義の大病院の医療に抵抗して、ささやかな診療所を開業している。しかし、知名度が低いおかげで患者はろくに来ないし、来た患者には、できるだけ患者にとって安全な医療を行うが、そういうのは診療報酬も低いので、彼の財布の中は火の車。そこで、収入を補うために私立探偵を副業にしている!?

 しかし、医者の副業としての私立探偵というのは少々突飛に過ぎる。おかしいと思って後書きを読んでみると、実は本書はシリーズ3作目とある。どうやら本書が1998年度マリス・ドメスティック・コンテストの最優秀作になったので、出版社はこれから翻訳することにしたらしい。おそらく、前2作に彼が私立探偵を副業とするに至った経緯や、書店のアシスタントを勤める恋人とのなれそめも書かれているに違いない。わが国の出版社は、とかくこのように、シリーズ作品を翻訳するのに、順番などお構いなしで、受賞作から出版するという悪い癖がある。おかげで、たぶん前作以前から登場しているであろう主要人物の場合、主人公とどんな関係にあるのかがなかなか掴めず、そのため作中に没入しにくい。

 のっけからぶつぶつと悪口を書いたが、実を言うと、本書、私はいったん詰まらない作品と考えて放り出したが、読むものが切れてやむを得ず読み直し、これは紹介の価値ある作品だと評価を激変させたのである。

 舞台となっているのはアメリカの古都フィラデルフィア、つまり独立宣言が署名された町である。ニューヨークの南西に位置し、東部の中心と言える場所だから、インディアンなどには縁のなさそうな土地に思えるが、メイフラワー号の物語にあるとおり、当然この辺りにも強大なインディアン部族が居住していた。現代のフィラデルフィアのど真ん中にも、そのインディアン部族の墓場がちゃんとあるのだという。

 フェニモア先生は、空き地がろくにない都心で、死んだ飼い猫を埋める場所を探してさまようスラム街の子供と知り合い、インディアンの墓場に埋めればよいと思いつき、夜陰に乗じて埋めようと出かけていったところ、何と埋め立ての死体を発見した、というちょっと印象的な導入部が、邦題の意味である。

 我々は、アメリカにおける人種差別というと、すぐに黒人問題を考えるが、インディアン問題こそ、人種差別の原点である。白人側には今日でもインディアンに対する深刻な差別意識があり、他方、インディアン側も、先住民族としての誇りから、白人を逆差別する傾向がある。そうした差別意識の強い白人の家庭の息子と、同じく差別意識の強いインディアン家庭の娘との恋、という現代アメリカ版ロミオとジュリエットの悲劇を、医師探偵が悪戦苦闘して明らかにする物語である。医師らしく腕っ節は弱いが、専門知識を生かした推理を見せてくれる。彼が探偵業を始めるに至った作品を是非読みたいと思っている。