不思議宇宙のトムキンス

G・ガモフ/R・スタナード著 白揚社刊、1900円

 私がガモフの『不思議の国のトムキンス』に出会ったのは、中学生の時、学校の図書館でだった。私の学校は6年制の中高一貫教育校だったから、多分高校生向けというつもりで図書館に入れてあったのだと思う。明らかに不思議の国のアリスをもじったと思われるタイトルに、無造作に読み始めたのだが、たちまちそのめまいのするような不思議な世界のとりことなった。ちょうどそのころ、その作者、ロシア生まれのアメリカ人物理学者ジョージ・ガモフ氏本人が来日し、彼の書いた自然科学の啓蒙書シリーズが邦訳出版された。当時私は図書委員をしていたから、その職権を濫用して強引に学校図書館にそれを購入させ、若はげの平凡な銀行員トムキンス氏が主人公として活躍する『原子の国のトムキンス』『生命の国のトムキンス』、はては科学エッセイ『1,2,3・・・無限大』などを読みふけったのは懐かしい記憶である。

 話が先走ったが、この『不思議の国のトムキンス』という本は、物理学の最先端の理論を判りやすく説明するという難事業に挑戦し、かなりの程度成功している、という点ですばらしい本だったのである。例えば我々がアインシュタインの一般相対性理論というものを理解しにくいのは、光が秒速30kmというとてつもないスピードであるために、相対論的効果が我々が日常生活の中では体験することができないことに大きな原因がある。そこでガモフは、光のスピードが時速30km程度の不思議な世界にトムキンス氏を連れ込み、まさに目に見える形で一般相対性理論の説明をしてくれるのである。あるいは原子核を構成している素粒子が、波と個体の両方の性質を持っているといわれても面食らうばかりだが、それは、量子効果を発生させるプランクの定数が10のマイナス34乗などというとてつもなく小さな数字であることに起因している。そこでガモフは、プランク定数がほとんど一に近い不思議な世界を作り出し、ビリアードの玉を突くと、それがお粥のように広がるなどという、目に見える形でそれを説明してくれるのである。

 同書は、悲しいことに、科学の最先端を扱っているがために、科学が進歩を示すにつれて、時代遅れの理論の記述になり、とても今の若い人たちにお勧めできる代物ではなくなってしまった。ガモフが生きていさえすれば、当然、時代の変化に応じてどんどん書き換えたと思われるが、故人になって久しい。

 本書は、英国の物理学者スタナードが、このガモフの傑作を全面的にリライトしたものである。科学の面でいうと、ガモフが全く論及していなかったクォークとレプトンに関する不思議な世界などが新たに付け加わっている。ストーリの面からいうと、トムキンス氏が不思議な世界に紛れ込むきっかけとなる難解な講義を行う教授の娘であるモードが、原作ではただの有閑お嬢様に描かれていたものが、現代的なアーティストとして活躍するなど、奥行きのある人格として描かれている。

 帰ってきたトムキンス氏の不思議な世界の冒険を、この機会に是非お楽しみ下さい。

竜飼いの紋章

久美沙織著 ハヤカワ書房刊、680円

 竜というと、SFファンであればすぐに頭に浮かぶのは、何といっても、アン・マキャフリィの作り出したパーンの竜騎士シリーズであろう。パーンは、はるかな未来、人類が植民した惑星で、人類は恐ろしい自然の災害と闘うため、その土地固有の火トカゲを品種改良して巨獣に育て、テレパシーでその竜と会話できる特殊能力者が竜騎士として竜に乗って空を飛ぶ物語であった。

 本書は、明らかに竜騎士シリーズを意識しているところがあるが、作品世界の背景は、少なくとも、本書の限りではかなりいい加減である。主人公が五番目の子供でフュンフと呼ばれる、などという設定から見ると、多分パラレルワールドにある地球の、こちらであればドイツに対応するあたりという設定なのだろうと思う。

 この世界の竜は爬乳類という種類の動物で、翼はあるが、ほ乳類みたいに毛が生えており、爬虫類みたいに卵で生まれてくる。要するに、ミヒャエル・エンデのネバー・エンディング・ストーリにでてきたような毛むくじゃらの竜を考えればいいらしい。竜は、この世界ではどこにでもいて、戦闘用、乗用、使役用、果ては食用と品種改良も進んでいるようだ。ただ、主人公の飼っている竜だけが、滑空程度だけれど空を飛べるということになっている。

 竜騎士シリーズと違う味を出したのが、主人公がドラゴンファームつまり、竜飼い牧場の子供という設定にしてある点。竜騎士シリーズでも、竜の面倒を見る苦労は書かれていたが、本書では冒頭から、竜の屎尿処理に悪戦苦闘するシーンがでてきて、なるほど、動物を飼う以上、こういう苦労があるはずだ、と納得する。本書は、全3巻のシリーズの第1巻だが、物語は後半から突然ファンタジー色が強くなり、竜が本格的に空を飛んだり、テレパシーで主人公と話ができるようになる。

 作者について紹介しておくと、人気RPG『ドラゴンクェスト』のノベライゼーションなどで人気の女流SF作家である。その他では専らコバルト文庫などに書いている。私はRPGはやらないし、コバルト文庫は滅多に読まないので、この人の作品は本書が始めて。だから一般的な作品の善し悪しについてはさっぱり判らない。

 以前に本欄で森岡浩之の『星界の紋章』という本について、褒めたのか貶したのか、書いている私自身がよく判らない書評を書いたことある。本書の表題は明らかに、そのパクリだと思う。しかし、内容的には全く類似点はなく、単行本時の『ドラゴンファームはいつもにぎやか』という内容に即した題を何でこう変えたのかよく判らない。同書と混同して買うそそっかしい読者を狙った編集者の悪知恵かも知れない。しかし、確かによく似ているところもある。つまり、毒にも薬にもならない軽いもので、名作と呼びうるものではないが、読み出すと止まらない。ストーリテリングのつぼを心得た著者による読者サービスあふれる作品である。ちょっと暇があるので、何か軽くて面白い本を読みたいという方にお奨めする。