ファインマンさんベストエッセイ

リチャード・ファインマン著、岩波書店2100円

 リチャード・P・ファインマンは、20世紀の生んだ天才物理学者の一人で、朝永振一郎やシュウィンガーとともに、1965年にノーベル物理学賞を共同受賞している。・・というようなことは、実を言うと、本書とは別に関係がない。大事なことは、世の中に天から二物も三物も与えてもらっている人がいるということである。優れた物理学者だからといって物理学の良い教科書が書けるということにはならないが、書いたからといって、別に不思議はない。実際、彼が書いた『ファインマン物理学』という本は、ー門外漢の私は手に取ったこともないがー世界的ベストセラーかつロングセラーなのだと聞いている。しかし、その他に実に面白いエッセイを書く、という能力まで恵まれているというような人物になると、滅多にいない。日本だと寺田寅彦とか中谷宇吉郎くらいだろうか。

しかし、そのエッセイが、ユーモア・エッセイということになるとさらに珍しい。ファインマンがその稀な人物であるということは、かれの最初のエッセイ集が『ご冗談でしょう、ファインマンさん』、第二エッセイ集が『困ります、ファインマンさん』というタイトルだ、と聞けば、読者の皆さんも、納得していただけると思う。

 しかし、本書は、決してファインマンが生前にまとめたエッセイ集ではない。タイトルだけを見ると、すでに刊行済みのエッセイの中から、優れていると思われるものを抜いたように見えるが、実をいうと、ほとんどすべてがわが国には、本書ではじめて紹介されたエッセイなのである。

 すなわち、死後10年になろうというのに、彼のエッセイに根強い人気があるのに目を付けた編集者が、せっせとあちこち探し回って、まだあまり書物に搭載されていなかった講演や対談などを活字化してまとめたのが本書である。だから、本人がまとめたエッセイ集のような統一的な内容ではない。宗教、哲学をはじめ、科学の未来など、かなり雑多なものとなっている。来日して仁科記念財団での講演を文章化した「未来の計算機」というような話もある。また、スペースシャトル・チャレンジャーの悲惨な爆発事故の原因を追及した事故報告書というような、エッセイとはとてもいえないものもある。これについては、二番目のエッセイ集の中に「ファインマン氏ワシントンに行く」という裏話の方が掲載されているが、彼が米国官僚の抵抗を押し切って発表した報告がこれである。こういうわけで、本書は、著者のこれまでの持ち味であるユーモア・エッセイとはあまり関係のないものが多い。

 しかし、それだけにむしろファインマンという偉人の考えていたことが全体として見えてくる。その意味でベストエッセイというタイトルに恥じない内容になっていると思う。

 巻頭には、ファインマンの弟子であり、親友であった物理学者フリーマン・ダイソンによる序文、というより、彼のファインマンに寄せる思いが伝わってくる非常に上質のエッセイが載っていて、それも十分に読む価値がある。

イノセンス

ジョナサン・ケラーマン著 講談社文庫刊 上下各838円

 わが国でも最近児童虐待というのはかなり大きな社会問題となりつつある。しかし、アメリカは、この点でも大変な先進国で、単なる児童虐待に留まらず、幼児に対する強姦や幼児ポルノのための誘拐というような極めて陰惨な事件が多発している。こうした流れを受けて、文学の世界でも幼児虐待をテーマとした作品群が結構存在している。

 本書の作者もそうした作品を得意とする作家の一人である。ただ、この作者の凄みは、観念論としてそれを書くのではなく、自分の体験を通して書いているところにある。すなわち小児臨床心理学、つまりそうした虐待の被害にあった子供の心のケアを職業とする人なのである。『大きな枝が折れるとき』をデビュー作に、警察のコンサルタントのアレックスと刑事マイロを主人公とするシリーズ作品はすでに14作に達しているそうだ。

 実をいうと、私はこれまで、この著者の作品をあまり読んでいない。幼児虐待というテーマは、大事な問題を提起していることは百も承知なのだが、そのテーマの重さ故に、できれば避けたくなるからである。本書に手を伸ばしたのは、帯に新ヒロイン誕生とあったからに他ならない。女性刑事を主人公とすれば、著者もまた問題に対するアプローチが変化するのではないか、と思ったのだ。

 予想は正しくて、確かに幼児虐待問題もかかれているし、あるいは家庭内暴力の問題も取り上げられているが、話としてはむしろサスペンスものという色彩が強まり、はらはらしながら一気に読める作品に仕上がっていた。

 物語は、ハリウッドの北に広がるグリフィス・パークという大きな自然公園で、凄惨な殺人事件が起こり、たまたまそれを家出少年ビリー・ストレイト(これが原題で、邦題は何をいっているのか判らない)が目撃してしまったことから始まる。以後、作品はその少年の一人称の語りと、女性刑事ペトラを中心に据えた三人称の語りで進行していく。被害者が有名な俳優の別れた妻であったことから、捜査には、O.J.シンプソン事件を念頭に置いた有形、無形の様々な圧力がかかってくる。他方、野宿を重ねる少年ビリーの身の上にも様々な事件が起こる。なかなか捜査の進まないののじれた上司が、目撃者の少年の存在を公開し、被害者の家族がその少年に関する情報に高額の懸賞金をつけたことから、少年は様々な懸賞金ハンターに追われるようになり、さらに殺人犯も目撃者封じを狙って・・という調子にどんどん高まるサスペンスは、さすが、ベテランの域に達した作者の腕を見せている。物語の最後に、ちらっと、いつもの主人公、アレックス・デラウェアが顔を見せるのもご愛敬である。

 なお、前に本欄で取り上げたことのある『水の戒律』など、現代アメリカに生きるユダヤ人問題をテーマにした連作で知られるフェイ・ケラーマンは、この作者の奥さんである。本書でも、ビリーががユダヤ人シナゴークに逃げ込むところがあり、ユダヤ人問題も少し顔を見せる。