ベトナムの少女

デニス・チョン著、文春文庫800円

 カバー写真を見てほしい。ベトナム戦争の時代に生きた人なら、どなたも見覚えのある写真と思う。ナパーム弾は、地上に投下されるや一瞬に周囲を紅蓮の炎で焼き尽くす。爆撃から逃げる少女に炎が届いた瞬間、彼女の着ていた服は一瞬に燃え尽き、全裸となった少女はなおも走って逃げる。彼女がかかしのように両方に腕をつきだしているのは、両腕も重度の火傷を負っているので、身体に腕をつけることができないからである。苦痛に絶叫していることが判る少女の表情は、百万言を費やしても語り尽くせない戦争の惨禍を、この一瞬に凝縮して語り尽くしているかに思える。

 この運命の写真は、197268日に撮影され、ピュリッツァー賞をはじめとするこの年の主な国際報道写真賞を総なめすることになった。しかし、この写真はその年限りの話題に留まらず、今日に至るまで、戦争写真に論及される場合には常に引用・転載されるなど、それ自体が永遠の生命を持った観がある。当然のことながら、この運命の写真は、被写体となった少女、キム・フックのその後の人生をもまた根底から書き換えてしまうこととなった。

 普通、ナパーム弾の直撃を受けて全身の3分の1以上に重度の火傷を負った被害者は生き延びられない。キム・フックの場合、全身の35%に重度の火傷を負い、その他の部分も大なり小なり火傷を負っていた。その彼女が生き延びることができたのは、写真を撮ったカメラマンたちが、彼女を設備の整った病院に速やかに運ぶことができたからである。その意味では、写真は彼女の命を救った。

 彼女は、自分の命を救った医療というものに強い感銘を受け、医師として大学に進んだ。南ベトナムの崩壊の厳しい共産党支配やカンボジアとの戦闘の中で、多くの困難に打ち勝っての大学進学だった。が、その段階で、運命の写真は彼女にとっての十字架になる。世界中から、写真の少女へのインタビューを求めて報道関係者が押し掛けると、共産党は彼女のプロパガンダの道具としての価値を高く評価し、そちらに優先的に対応するように命じたのだ。そのため、彼女はほとんど授業に出席できない状態になってしまい、ついには放校に追い込まれる。それでも報道陣の前で、医大生としての役を演じることを求められる。

 もちろん、プロパガンダの道具になるということには役得もあって、何度も海外に出ることもできたし、あるいはキューバに留学することもできた。もっとも、彼女が留学した頃からキューバ経済は急速な落ち込みを見せ、決して快適な留学生活ではなかったが、そこで生涯の伴侶に巡り会うこともできた意味でも、また、最終的にカナダに亡命する機会に恵まれたことでも、やはり運命の写真のもたらした数少ない幸運の一つということができるだろう。

 一瞬の映像が、これほどまでに一人の人間の一生を、良い意味でも悪い意味でも左右することがあるのだ、ということを痛感させられる物語である。

マッサージ台のセイウチ

アンソニー・グリエルモ他著、早川書房、1900円

 このごろ、身体にガタが来て、整形外科のお世話になる機会が増えているが、いつでも大変混んでいる。医師の方はすいていて、マッサージ師の方に長蛇の列ができているのだ。私自身は、幸か不幸か、マッサージが効くような痛みではないので、ついぞお世話になったことはないのだが、マッサージ室から出てくる人は非常に気持ちよさそうな顔をしている。

 本書の著者は、もともとは人間のマッサージ師だったが、彼の患者の一人が、人間と同じで、その愛馬もマッサージをしてもらったら、気持ちがよいはずだ、と思いこんだおかげで、いつの間にか、世界でも珍しい動物のマッサージ師になってしまった人である。著者の誠実さを痛感するのは、そういう依頼を受けると闇雲にマッサージしようとするのではなく、きちんとその動物別のマッサージ法を研究するところから始めることである。驚いたのは、アメリカには、馬に関する限り、ちゃんとそれ専門のマッサージ師が何人もいて、そういうマッサージ師の養成学校まであることである。彼はまず、そういう学校にわざわざ通って、馬のマッサージ法を覚えるところから開始する。

 次に巡り会った患者は、イルカだった。そこで、イルカの解剖学的な構造を調べ、できれば事前に健康なイルカにマッサージを施してみたいと考えて、片端から水族館に電話する。そこで、本書の表題となっているセイウチの患者に出会う。驚いたことに、セイウチに関してはこれまで解剖学的な研究がされたことは、ほとんどなかったらしく、水族館のスタッフがようやく探し出した解剖図はなんと1827年に書かれたぼろぼろの代物。しかし、それを頼りに行ったマッサージが効果を上げて、それまで泳げなかったセイウチが泳げるようになったのである。

 こうして水族館の信頼を得て、健康なイルカのマッサージを始めてみると、何とイルカたちもマッサージが大好きなことが判った。ちゃんと行列して順番にマッサージをしてもらう、なんてことは、イルカほど知能の高い動物だから起こることだろう。

 あるいは背骨の曲がったペンギンの赤ちゃんにマッサージしてやると、気持ちがよいものだから、その次から、筆者の顔を見るとそのペンギンが駆け寄ってくるようになる。ちょっと愉快なのが、背骨の曲がった鮫のマッサージをした時。何せ相手は文字通りの鮫肌だから、筆者の指の皮がすっかりむけてしまうのである。

 本書には表紙以外にもたくさん写真が掲載されているが、この表紙のセイウチ同様、実に気持ちよさそうに眼を細めた動物の写真を見ると、こちらもマッサージしてほしくなるほどである。

 人間がマッサージを受けるときに、整形外科医の監督下に行われるように、動物のマッサージも獣医の監督下に行われる代替療法の一つであることを強調している点も、筆者の誠実さが良く現れている。日本にもこういう動物マッサージ師がいても良さそうである。