最高裁判所十年

園部逸夫著、有斐閣2800円

 最高裁判所は、国権の一翼を担う重要な機関でありながら、国会や内閣に比べると報道のされ方が少なく、我々国民にとってなかなかその実態についてのイメージがつかみにくい。そのためと思うが、判事職を退職された方が、退職を機に何らかの書を公表される例はかなり多い。本欄の連載は、途中一年の休載を挟んでもう12年目に入っているが、その間に伊藤正巳判事の『裁判官と学者の間』及び大野正男判事の『弁護士から裁判官へ』を既に紹介している。その他に、内容に乏しく取り上げる気にならなかった書もあるから、平均すると23年に1冊程度の割でこの種の書が公刊されていることになる。これだけ紹介されていて、なおイメージがつかみにくいというのは、それだけ複雑な活動をしているからであろう。

 伊藤判事や大野判事の書は、タイトルにも明らかなとおり、その前職との対比から描いた最高裁像であった。それに対して、本書は最高裁の活動そのものを正面から取り上げて論じた、という意味で貴重である。

 内容は第一部と第二部に分かれている。

 第一部は、著者がこれまで最高裁判決中に執筆した個別意見中、重要なものを取り上げて、自身で解説をしたものである。著者は、最高裁に入る前は、公法分野で活躍されていた学者だったので、自然、個別意見を書かれた問題も、公法分野に偏っている。したがって、現に公法分野の活動をされている読者の皆さんとしては、極めて重要なそれら個別意見が網羅されており、自身による意味づけが行われている、という点だけでも一読の価値がある、ということができるであろう。

 しかし、最高裁判決に書かれている個別意見とは、法廷意見(多数意見)とは、そもそもどのような関係に立っているのか、ということを、非常に網羅的に分類整理されているという点で、重要である。私の知る限り、最高裁個別意見の法的性格に関するこのような研究は従来、まったくなかったのではあるまいか。

 個別意見には、補足意見、意見及び反対意見の別がある。補足意見というのは、多数意見に賛同した判事が、しかし、法廷意見だけでは理由付けとして書き足りないので追加して書かれるものであるが、本書によると、そこには様々なニュアンスのものがある。それを読んでの私の感想としては、補足意見の着いている判決は、法廷意見だけでは本質的に理由不足になっているから注意する必要がある、ということであろう。

 意見というのは、法廷意見の結論には賛成だが、理由はまったく違うという場合につけ、反対意見は、結論も異なる場合につける。しかし、その場合にも、かなりニュアンスの相違があることがよく判り、今後における私の判決の読み方そのものが、本書によって大きく変化したことを痛感している。

 第二部について紹介する紙幅がなくなってしまったが、ここでは最高裁に関して著者の著した論文が収録されており、全体として最高裁の法的側面を明らかにするものとなっている。

ゲーム・プレイヤー

イアン・M・バンクス著、角川文庫、895円

 いかにも軽いタイトル、いかにも軽いカバーの絵と条件が重なっているので、気楽に読み飛ばせる時間潰しの書というつもりで通勤電車に乗る前にあわただしく購入した本たったが、意外に重厚な本格SFなのでびっくりした。

 何だ、おまえは書評を書いているくせに、奇才イアン・バンクスも知らないのか、と怒られる向きもあろう。その通り、彼の本を読んだのは、これが最初である。そして、実をいうとこれしか読んだことがない。著者名を改めて見直して、そういえば前にミステリアス・プレス文庫で『共鳴』という本を売り出して、書店でも平積みになっていたのを思い出した。あのときはなぜ買わなかったのかと考えて、モダンホラーの旗手という惹句だったことを思い出した。私はホラーや猟奇ものは嫌いで、よほどのことがない限りよけて通ることにしている。何でもこの著者は、ホラー、冒険小説、ミステリと何でもこなし、SFを書くときにだけ、ミドルネームにMを入れるのだとか。

 そういうわけで、著者については何の予備知識もないのだが、本書、「カルチャー」なる、なかなかに気宇壮大な未来史シリーズに属する作品である。読んでいて、なかなかその文化の全体像が見えてこないのだが、それにも関わらず、その文化それ自体がメインテーマという少々読みにくい作品である。ラリー・ニーブンの作品に出てくるリングワールドを小規模にしたような居住世界が銀河中に広がり、人類はそこで不老不死を実現し、貧困とも病気とも縁が切れているユートピアが舞台となっている。このユートピアは知性あるコンピュータ群によって管理されており、そのようなコンピュータは人間と同様の権利が認められている。最初のうち、延々と続くそのユートピアにおける退屈な日々の描写は、文字通り退屈で、読むのに少々努力がいる。とにかく、生活のために働く必要がないのだから、人々は毎日せっせと様々なゲームをして過ごす以外に過ごし方がないのだ。そのような世界で、ゲームの達人である主人公グルゲーは尊敬を集めている人物だが、その彼をして、毎日の退屈さはどうにもならない。

 この部分が、しかし、物語全体の骨格を作っている。マゼラン星雲の中に存在する、極めて侵略主義的なアザド帝国に行くように、という要請をグルゲーが受け入れる最大の要因だからである。驚いたことに、アザド帝国では、非常に複雑なゲームの勝利者が皇帝になるという。その皇帝を決めるゲームに、グルゲーは、カルチャーを代表してゲスト・プレイヤーとして参加することになる。それは事実上、カルチャーと帝国の代理戦争の様相を呈することになり、ゲーム自体は二つの文化の衝突の形をとることになるのである。本書の解説によると、このカルチャーを舞台とした小説を、バンクスはすでに4冊ほど書いているそうで、本書は、その第二作。私は非常に気に入ったので、是非、このシリーズの他の作品も早急に邦訳してほしいものだと思っている。