よくわかる税法入門

三木義一著、有斐閣1900円

 年度末が近づくと確定申告など、税金のシーズンに突入する。私も、そして本誌の読者の皆さんの大半も、税金と同じ財政の分野で仕事をしている、とはいうもの、仕事の中心は税金を集めることではなく、それを使うことに関する分野の方にあるから、税金そのものについては今ひとつ知識が足りない。仕事柄、ある程度税金の知識は必要だが、税法の教科書では迂遠すぎ、さりとてまるっきりの素人ではないから、ハウ・ツー書は読む気にならない、という中途半端な段階にあると思う。そういう方にぴったりお奨めなのが、本書である。

 本書は、三木先生のゼミに、ゼミの先輩で、今は新米税理士として活躍中の春香さんがやってきて、後輩の市木君や仁木さんに、仕事の上でぶつかった問題点、疑問点をぶつけ、彼女とゼミ生の討論の後、ゼミ担当の先生(当然に筆者の三木さん)からのコメントがつく、という形で進行していく。学者の余技?とは思えない、生き生きとした会話で、堅い話題を柔らかく取り上げているから、特に改まって読書をしよう、と構えず、通勤電車の中などで気楽に時間潰し代わりに読める程度のできばえとなっている。カバー写真に明らかなとおり、漫画調の挿し絵が入っているが、しかし、内容は決して低いものではない。

 ゼミに入っている学生というのは、そのゼミで専攻する法律についてまるっきり素人ではない。しかし、実務についてはまったく知らない、という状態にある。一方、新米税理士は、法律にも実務にも詳しく、しかもベテランと違って、見聞きするものの中の奇妙な点を、一般社会人と同じような感覚で不思議と感ずる程度の初々しさをもっている。その間の討論で浮かび上がった問題点を、ゼミの先生が理論的に解説するわけである。章によっては、先生からの解説は、完全に春香税理士の発言をなぞっているだけ、という場合もあるが、一般にある程度の深まりを見せ、税法学界での問題意識のあり方というものがわかる仕掛けになっている。本誌の読者の皆さんは、場合によっては立法に携わることもあると思うが、そういう際には、是非参考にして欲しい部分である。

 もちろん、わずか300頁ほどのコンパクトな書の中に、租税法律主義や応能負担原則など、税務憲法ないし税法総論の分野から始まって、所得税法、法人税法、消費税法、相続税法、酒税法、地方税制という個別の税法の議論が展開され、さらに、国際税制、租税手続法、租税処罰法、租税救済法と、税法に関するあらゆる分野が網羅されているのだから、当然それぞれの箇所の掘り下げはかなり浅い。

 しかし、例えば皆さん自身が今年確定申告をしようとかいう具体的な必要が生じてでもいない限り、一般市民として知る必要のあるほとんどの問題がここに網羅されているのではないかと思われる。季節柄、税金について最低限の問題意識を持っておこう、という観点からだけで十分であるから、目を通されることをお奨めしたい。

翔べ麒麟

辻原登著、文春文庫、上638円、下600円

 阿部仲麻呂の和歌「あまのはら、ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」は、たいていの人がお正月の百人一首の遊びを通して、あるいは受験勉強の一環として、記憶にとどめていると思うし、その作者である阿部仲麻呂が、留学生として唐にわたりながら、在唐数十年、ついに帰国することができず、故国を偲びつつ、異国の土になった人物であること、そして上述の和歌が、その望郷の念を籠めたものであることは、多くの人がご存じと思う。しかし、それ以上のこととなると、あまり知る人はないのではないだろうか。・・と偉そうなことは言えた義理ではなく、私の知識もだいたいその辺りで出尽くしてしまう。

 本書は、その日本人なら誰もが知っているが、その実像はほとんど知られていない阿部仲麻呂を主人公に据えた、雄渾な歴史ドラマである。もっとも作話上は、直接には阿部仲麻呂を主人公にせず、藤原真幸という青年を主人公にして、彼の眼から阿部仲麻呂を描くという手法を採用している。真幸はもちろん架空の人物だが、藤原氏が政権を握るに至る過程で起きた旧来の豪族勢力との勢力争いの中で、橘諸兄に対して乱を起こして破れた藤原広嗣の庶子ということになっている。剣の達人という設定である。

 しかし、本書の登場人物の多くは実在の人物である。阿部仲麻呂がなかなか日本に帰れなかったのは、彼の才能を唐の皇帝である玄宗が愛して、帰国を許さなかったためである。玄宗といえば楊貴妃、そして安禄山の乱ということになる。だから、唐における阿部仲麻呂を描くということは、この世界史的な事件そのものを描くということになる。仲麻呂は中国名を朝衡といい、秘書監・衛尉卿という要職にあった。仲麻呂を連れ帰ることを主たる目的として、天平勝宝4753)年に久方ぶりに遣唐使が派遣されたとき、唐の政権は、楊貴妃の縁戚というだけの理由から台頭した揚国忠が握っていた。そして仲麻呂は、この揚国忠を押さえ、政治を健全化しようとする勢力の中心人物として、彼と敵対していたのである。その時点では、安禄山は、むしろ正義派と理解されていた、ということが面白い。

 この大きな事件の中に、日本が、新羅との戦いを行おうと決意し、それにたいして唐がどう出るか、という感触を探るべく介入してくる。日本にとっては生きるか死ぬかの大事なのだが、唐から見れば実に卑小な事件ということがよく伝わってきて、その点も面白い。この卑小な介入を揚国忠が政治的に利用しようとするから、仲麻呂は、日本人の一人としての立場と、唐の政治家朝衡としての立場に挟まれて苦慮することになる。その他、顔真卿、李白、杜甫など盛唐を飾る著名人が続々と登場して、物語を形作るのである。

 作者は、『村の名前』(文芸春秋刊)で1990年に芥川賞を受賞したが、本書はその作者の4番目の作品で、1999年に読売文学賞を受賞した傑作である。