おぅねすてぃ

宇江佐真理著、祥伝社1600円

 この著者は、私と同世代の人なのだが、文壇デビューを飾ったのは、彼女の代表シリーズである『髪結い伊三次捕物余話』の冒頭となる「幻の声」で1995年にオール読み物新人賞をとった時だからスタートは遅い部類に属するだろう。しかし、以後、直木賞を未だにとってはいないが、その候補に挙がること実に4回など、その実力が揺るぎないものであることは疑う余地がない。

 デビュー作が捕物余話と題される作品であり、また、その後も、堪忍旦那と呼ばれる人情味ある同心を主人公にした『銀の雨』、江戸時代の検屍官を主人公にした『室の梅』、他殺死体を見ると泣きじゃくるという変な癖をもった岡っ引きを主人公にした『泣きの銀次』、少々目先の変わったところで、手紙の代筆を内職にしている若者を主人公に代筆した手紙にまつわる連作短編集である『春風ぞ吹く=代書屋五郎太参る』など、捕物帖やそれに類した作品が多いから、一般には、彼女を捕り物作家と考えている。

 しかし、彼女の本領は、むしろ恋を描くことにあると私は思っている。普通、恋を描いた作品というと、一瞬の灼熱の恋を考えてしまうが、彼女の描く恋物語は非常に息の長いのが特徴だ。髪結い伊三次シリーズにしても、伊三次と深川芸者のお文の間の恋が、最新作『さんだらぼっち』まで4冊の短編集を、一貫した縦糸となって貫いている。あるいは銀の雨の場合にも、少々醜女の同心の娘がハンサムな与力の息子に寄せる恋心がやはり作品全体を貫いていて、物語に緊張を与えている。

 本書は、この作者が始めて明治時代を舞台にして描いた、そして捕物帖色のまったくない純然たる恋物語である。主人公雨竜千吉は貧乏御家人の息子、お順は幕府通詞(通訳)の娘。幼馴染みの二人はほのかな恋心を持っていたが、維新の動乱の中で、千吉は遠く函館の地の商社で働きつつ、英語の通訳を目指す。お順は横浜で外国商社に働き、その社長である米国人の妻となる。こうして運命の掛け違った二人が再び出会い、互いの心を確認して、紆余曲折を経つつ、無事に結婚に漕ぎ着けるまでの物語である。

 日本の女流作家の場合、私などにはとても思いつかないような、陰に籠もった嫌がらせを描くのがうまい人が多く、生理的に受け付けない場合が多いのだが、その点、この著者の作品にはそういう誰が犯人か判らないようなねちっこい嫌がらせはない。本書の場合にも、お順の夫からの嫌がらせが物語の狂言回し的役割を果たしているが、まことに正面切った嫌がらせで、あまり神経にこたえることはない。むしろ、そういう嫌がらせなどを受けた主人公の側の内面の葛藤の方に力点がかかっていて、その辺りが物語に文学的な深みを与えている。

 本書の場合、文明開化の時代における時代の武器と言うべき英語を自在に操る男女の恋だから、将来的な保障は設定自体から与えられているようなもので、その点でも気楽に読んで楽しむことができる。恋愛小説の名手による明治ロマンの世界をお楽しみ下さい。

六枚のとんかつ

蘇部健一著、講談社文庫、714円

 この作品を取り上げて紹介するかどうか、かなり迷った。私が迷った理由は、本書末尾の著者の後書きを読むとご納得いただけると思う。

「この作品のノベルス版が出たとき、バカだ、ゴミだ、誰にでも書ける、商品としてのレベルに達していない等とたくさんのご批判を頂戴した。当時はそういうことを言った人たちに対して殺意を抱いたものだたったが、四年ぶりに読み返してみると、たしかにこれはゴミだった。そこで今回、小学生以下の文章はもちろん、作品自体も大幅な改良を加えることにした。」

 要するに、著者自身がゴミと認めるような作品も混入した短編集が、講談社が主催する「メフィスト賞」の1997年受賞作なのである。メフィスト賞というのは、基本的にはミステリ作品に与えられる新人賞で、第一回受賞作が森博嗣の『すべてがFになる』なのだから、一応高い水準の賞ということがおわかりいただけると思う。

 ついでにいえば、森博嗣の作品は、トリック的にはレベルの高いすぐれた作品で、本来なら本欄で取り上げるべき作品なのだろうが、物語が、戦前の『黒死館殺人事件』などを思わせる実におどろおどろしい世界を描いていて、私は生理的に受け付けないので、よほど作者の作風が変わらない限り、独断と偏見が売り物の本欄としては、取り上げる予定はない。しかし、黒死館のようなミステリが好きな人にはお勧めしておこう。

 話を元に戻して、著者後書きとして先に紹介した罵詈雑言は、その受賞作に対して書評として公刊された文章の中にあったもので、いかに当時、話題を呼んだかがよく判ると思う。

 本書は、本格ミステリではなく、パロディを狙ったものだから、くだらないトリックであっても読んで笑えれば、その作品はゴミではなく、成功作といえる。どこまがパロディとして許容範囲かは、当然人によって分かれる訳である。私自身は、悪評のすさまじさにノベルス版の方は読んでいないので、文庫版になる段階で著者の行った修正作業がどの程度に効果を上げたのかを判断できないのだが、第1話「音の手がかり」や第7話「オナニー連盟」は下品か否か以前の段階で、やはりゴミだと思う。

 他にもいくつかゴミと思う作品はあるが、しかし、それらを除くと、紹介するレベルに達していると思う。第6話「しおかぜP号49分の壁」は、最初レベルの低いアリバイ破りの作品と思って読んでいたのだが、最後に実にくだらないどんでん返しが待っていて、パロディとしては成功作と感じた。第8話「丸ノ内線49分の壁」は、おそらくタイトルから第6話と同工異曲の作品と思わせておいて、逆に本格ミステリのトリックとして十分に使い物になるラストが待っていて、逆の意味のパロディになっている。表題作の「六枚のとんかつ」や「五枚のとんかつ」は同じトリックを同じ構成で使いながらそれぞれに独立して評価できるレベルの作品に仕上がっている。

 しかし、下品な話やパロディが嫌いな人は、間違ってもお買いにならないように。