『英国大蔵省から見た日本』

木原誠二著、文春新書 690円

 著者は、1999年に創始された日本財務省と英国大蔵省からそれぞれ若手職員を互いに出向させて、行政の現場で働かせるという日英交換制度の1期生として英国の地を踏んだ人物である。残念なことに、この珍しい制度については、本書ではこれ以上詳しい説明がない。また、交換制度というからには、英国からも日本財務省に誰かが来ているはずで、その人は何を見、何を考えたのかも知りたいと思うが、その点についても本書ではまったく言及がないのは非常に残念である。

 実は、本書のタイトルを見たとき、私は、英国大蔵省に属する人物が日本に滞在しての体験記かと錯覚したものである。内容的には、日本財務省である程度の勤務実績を持つ著者が、英国の行政の現場で知見を、日本と比較しつつ論ずるというスタイルなので、判らないこともないタイトルである。が、実質的にはあくまでも日本人が見た英国大蔵省であって、その逆ではないから、あまりぴったりしたタイトルではない。

 英国は、日本人の関心の極めて高い国で、例えばかつて本欄で取り上げた高尾慶子著『イギリス人はおかしい』(文春文庫)をはじめ、様々な 紹介書がある。しかし、英国官僚機構をその内側から描いたのは本書が最初と思われ、その意味で本誌の読者には極めて参考になる書ではないかと思われる。

 本書に紹介される諸事項には極めて興味深いものが多いが、鈴木宗男事件で揺れる近時の日本からみてもっとも興味ある記述は、英国における議会と官庁の関係であろう。日本だと、議員が個人として官庁に何かの問題について説明を求めることは多く、鈴木事件をきっかけとして、議員による官庁への働きかけを制限するべきだ、とされると、議員による行政の監督ができなくなる、として問題視するような議論が展開されたりする。

 しかし、議院内閣制の本家というべき英国では、「公務員は、大臣の同意を得ることなくして、与党を含め議員に説明をしたり、議員が役所を訪ねてくることに同意する、などをしてはならない」(本書177頁)という倫理規範があり、官僚は直属の大臣以外の政治家を相手にすることが禁じられているのだそうである。そういう体制であれば、鈴木事件のようなことは起こりようがないわけで、わが国公務員倫理に導入することを考えるべき点と思われる。

 本書の最初の方で強調されている、英国の保守性というのはその反面としての変化に対する柔軟性を意味している、という指摘も興味深い。柔軟性というと聞こえがよいが、要するに失敗する可能性のかなり高い政策を、平気で採用するということである。サッチャーリズムは日本では今でも比較的評判がよいが、そのもたらした負の遺産の紹介は、かなり戦慄せざるを得ない凄みを持っている。私は、独立行政法人とかPFIなど、英国が現在導入している改革もまたかなり危険な実験的要素を含んだ政策であって、日本が導入するのは、英国での実績をもう少し見守ってからでも遅くはないと考えている。

『セカンドオピニオン』

ジェローム・グループマン著、PHP研究所、1600円

 サブタイトルに「患者よ、一人の医者で安心するな」とあるが、必ずしも正しいものではない。本書は、決して、複数の医師の意見を聞くことが良い結果につながる、という事実だけを集めたものではない。実は、著者自身が、セカンドオピニオンに関する両極端の経験を、個人的に体験しているのである。

 第一の経験は、こんな事件である。著者はあるとき、腰背部に痙攣が起こり歩けなくなった。多数の専門医が腰椎はブラックボックスだから自然に治るのに委せるのが一番と口を揃えて言った。しかし、何人目かに訪ねた整形外科医は手術することで直ると断言した。その手術を受けた結果、著者は完全に歩けなくなり、苦しいリハビリの結果、数ヤード歩けるようになるまでに1年を要し、いまも身体に障害が残っている。

 第二の経験は、彼らの息子に起こった。息子は腸重積を起こしていた。が、最初の医師はそれに気付かず、単なるウィルス性腸炎と誤診した。症状が悪化して訪れた第二の医師は、腸重積と正しく診断したが、手術は時期尚早と判断した。著者は伝手をたどって小児科の一流の医師の診察を得た結果、手遅れになりかかっていることが判り、緊急手術を受けて子供は助かったのである。

 以前に本欄で取り上げたランス・アームストロング著『ただマイヨジョーヌのためでなく』(講談社)では、世界的な自転車選手という能力を保ちつつ癌治療を行うことができる、という診断を下す医師を捜してセカンドオピニオン・ショッピング(という表現を、本書の著者はせっせとセカンドオピニオンを集めて廻る行為をさして使う)をしたが、あのケースや本書の著者の第二の経験の場合には、それが正しい答えだったのである。それに対して、第一の経験の方は、セカンドオピニオン・ショッピングは悲惨な結果を招いてしまったわけである。

 著者は、ハーバード大学医学部教授という要職にあるから、多くの場合にセカンドオピニオンを求められる地位にある。本書には、著者がセカンドオピニオンを求められた7つのケースが紹介されているが、それらに共通する答えはない。ある場合には、セカンドオピニオンを求められたが、適切な答えを見つけられないままに患者の死に至り(case2)、ある場合には米国の医療保険制度がセカンドオピニオンを拒むものとなっているために患者の死に至り(case3)、ある場合には患者及び担当医がセカンドオピニオンを拒んだために危うい事態に至る(case4)という調子である。

 結局、医師は神でも超能力者でもないのだから、我々患者としては、たまたま飛び込んだ医師にすべてを託するのは危険である。だから担当医がセカンドオピニオンを求めても気分を壊す人物ではないことを祈りつつ、できる限りセカンドオピニオンを求めなければならない。が、得られた診断のうちで、自分に都合のいい診断を信じてもひどい目に遭う可能性は残る、という歯切れの悪い答えしか、ありえない問題だということが判る。