『眼で食べる日本人』

野瀬泰申著、旭屋出版 1600

 「食品サンプルはこうして生まれた」というサブタイトルに示されているとおり、デパートなど大衆向けの食堂・レストランなどの外のショーケースでおなじみの、食品サンプルの歴史と、それを媒介とした異色の日本人論である。本書で指摘されて初めて気がついたのだが、食品サンプルというのは日本の飲食店の大きな特徴で、欧米には全く例が無いという。

 確かに、欧州のどこを旅しても、ショーケース自体を見た記憶がない。大衆向けであれば黒板などに、ちょっと高級な店であれば品のよい紙に、材料からはじまって、料理法、さらに掛かっているソース、取り合わせの野菜に至るまで、実に詳細に書くというのが、共通したメニューの表示法である。現物を展示することはまずないし、まして食品サンプルのような偽物が展示してあるのを見た記憶はない。

 欧米人が、食品の見本を展示するという方法を思いつかないということではないらしい。日本の食品サンプルを欧米に持っていって店先に飾っても、それがその店で出す料理の見本と思って貰えないのだという。付いている値段は、そのサンプル自体の値段と思われて、これだけ精巧なものなのに安い、と感心されたりするという(本書74頁)。つまり、欧米人は上述したような料理そのものに関するくどくどとした記述を読むことで、完成した料理が想像されて食欲が刺激され、その店に入るという反応を示す。これに対して、日本人は、食品サンプルという実際の料理に近似した物を見ることで、食べる料理が想像され、その店に入るという反応を起こすのである。本書のタイトルの、『眼で食べる日本人』という言葉は、このことを示している。もっとも、日本の食が極めて多様であることが、この実物に近い食品サンプルを必要とする原因らしい。欧米では粗っぽく言えば洋食しか食べないのに対して、日本では和洋中何でも食べるので、材料や料理法だけを言われたのでは、できあがりの想像ができない場合が多いのである。

 本書の前書きによると、わが国の食品サンプルは、これだけ巷にあふれているのに、驚いたことに、そのメーカーの業界団体が無く、したがって日本全体で何社くらいメーカーがあるとか、従業員数がどのくらいいるとか言うことも判らないのだそうだ。その位だから、この食品サンプルがいつ頃誰によって発明され、どこの店に最初に展示されたのか、ということ自体判らないのだそうだ。著者は、そのことに興味を感じて、関係企業の社史などを手がかりにそれを追求し、おそらく大正年間にデパートの食堂のショーケースに展示されたのが最初らしい、と解明する。その辺り、ちょっとした推理小説の面影がある。

 先に、欧米では受け入れられなかったと書いたが、同じアジア圏の人々は歓迎するらしく、オリンピックをきっかけに韓国でも普及し始め、近年は上海などでも食の国際化と共に定着の兆しを見せているという。

 日常生活の中に隠れている、全く見知らぬ世界を紹介する好著である。

 

『どこよりも冷たいところ』

S.J.ローザン著、創元推理文庫、960

 本書は、リディア・チン&ビル・スミスのシリーズ第4作である。リディアとビルは、それぞれ独立して私立探偵事務所を開いている。しかし、どちらもワンマン事務所なので、ちょっと複雑な事件を依頼されると、とたんに人手が足りなくなる。そういう時には、互いに相手の助手となって助け合うという、奇妙な互助関係にある。リディアの方では見た目にも腕っ節の強そうな男が必要になれば迷うことなくビルに連絡するし、ビルの方では女性の探偵が必要な事件にぶつかればリディアに連絡する、というわけである。

 このシリーズの最大の特徴は、一作ごとに、主人公が交替することである。すなわち、第1作『チャイナ・タウン』と第3作『新生の町』では、チャイナ・タウンを根城にする中国系のちび(153cmしかない)の女性探偵であるリディア・チンの視点から、一人称で物語が書かれている。こちらの側のシリーズの場合には、事件の依頼は中国コネクションを通じて持ち込まれ、アメリカに生きる中国人達の醸し出す独特のエキゾチズムを背景に、家族のしがらみをなんとか振り切って、私立探偵として自立しようと悪戦苦闘するうら若い女性の姿が中心に描かれている。

 それに対して、第2作『ピアノ・ソナタ』と本書は、ごついアイルランド系の巨漢である中年の、したがってベテラン私立探偵であるビル・スミスの視点から、やはり一人称で物語が描かれている。こちらの2作は、どちらも昔からの知り合いが経営する警備会社とか探偵事務所からの依頼を引き受けた形で、ビルが犯罪現場に潜入捜査をする形で物語が展開している、ハードボイルド小説の趣のある作品である。ビルがピアノの名手という意外な設定も利いている。

 リディアを主人公とする2作を読んでいると、リディアはまだ一人前に探偵事務所を経営するには経験が不足していて、彼女に恋心を抱くビルの支援で何とか事件を解決しているような感じがする。他方、ビルを主人公とする2作を読んでいると、ビルが無鉄砲な捜査をやって危機に陥るたびに、リディアが救いの女神として飛び込んできては彼を救出するので、彼女がいなければ、ビルはそもそも事件の解決まで生きられそうもない気がする。要するに名コンビなのだろう。

 どちらの作品も面白く読めるのだが、リディア系の作品は、中国人社会に依存している分だけ一般性に乏しい。多分そのためだと思うのだが、本シリーズは、第2作でシェイマス賞の、本書でアンソニー賞の、最優秀長編賞をそれぞれ獲得している。すなわち、ビルを主人公とした作品でもっぱら賞をかき集めている。

 第1作が良く書けていたので、作者は中国系かと思ったが、ホームページの写真を見ると白人女性で、生まれも育ちもブロンクスとあり、むしろビル・スミスの方が、著者に近い存在らしい。ビルを主人公とするシリーズの方が賞を集めるのは、そうした微妙な点が影響しているのかも知れない。とにかく、お奨めのシリーズである。