『トニーノの歌う魔法』

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著、徳間書店 1700

 私は物語を読むにあたり、日常の生活そのままを描いたものよりは、できるだけかけ離れたものを好む傾向がある。その意味で、魔法とSFは、私の好む二大ジャンルということになる。昔はどちらもあまり日の当たらないジャンルで、読む本の少ないのを嘆いたものである。特に魔法を描いた作品は、供給が少ない上に、出来の良いものがさらに少なかった。この流れが大きく変化したのは、ハリー・ポッターの大ヒット以来であろう。にわかに書店に、魔法ものの特設コーナーが設けられるほどになった。

 本書の著者は、ハリー・ポッターなどよりはるかに以前から魔法ものを手がけている、英国におけるこの分野の大御所格で、これまでも何冊か翻訳はあったが、あまり目立たなかった。それが今や、あちこちの本屋で平積みになっておかれるようになっている。ハリー・ポッターの余慶というところであろう。

 余慶は、本の翻訳そのものに及び、彼女の代表作であるクレストマンシー・シリーズ全4冊が、あっという間に全巻翻訳されたのだから、嬉しいことである。このシリーズは、わが国で出版された順序から言うと本書が最新巻なのでここで取り上げている。だが、著者自身が書いた順序で言えば、『魔女と暮らせば(1977年)』、本書(1981年)、『魔法使いは誰だ(1982年)』ときて、『クリストファーの魔法の旅(1988年)』が最後になる。

 このシリーズの基本設定は、簡単に言うと、SFで言う多元宇宙ものと魔法を結びつけたものである。何かの弾みで、九つの命をもって生まれてきた人間がいて、その人間は、多元宇宙相互間を自在に移動する魔法を使うことができる。そういう人間だけがクレストマンシー、すなわち多元宇宙で邪悪な魔法を取り締まる公務員となることが可能である。多元宇宙のどこででも、邪悪な魔法で危機に陥った人は「クレストマンシー」という言葉を唱えれば、彼が現れて助けてくれる。

 もし、皆さんに4冊全てを読む意思がある場合には、本書ではなく、最後に書かれた『クリストファーの魔法の旅』から読み始めるのがよいと思う。これは、他の巻でクレストマンシーとして活躍するクリストファーが、その地位に就任するまでの物語なので、こうした設定がよく見えるからである。この本を除くと、このシリーズの作品は、最初のうち、何の話を読んでいるのかと面食らうくらい、一冊、一冊、雰囲気が違う。それぞれが、違う宇宙を舞台にしているからである。例えば『魔法使いは誰だ』では、魔法を使うと逮捕されて殺されてしまう世界を舞台にしているし、本書は逆に、中世イタリアのロミオとジュリエットを思わせる世界で、魔法の呪文を作ることを仕事にしている一家の物語である。どちらでも、シリーズ・キャラクターであるクレストマンシーは、最後に事件の解決のために顔を見せるだけなのである。

 なお、この著者には「魔法使いハウル」のシリーズがあるが、それはスタジオジブリでアニメ化され、世界的なヒットになっていることはご存じの通りである。

 

 

 

『最果ての銀河船団』

ヴァーナー・ヴィンジ著、創元推理文庫、上下各1260

 SF小説を、太陽系内に舞台を限定して書くならばともかく、銀河宇宙全体に人類が植民し、星間帝国を建設しているという設定で書く場合には、これまでは、常に何らかの超光速航行技術が必要と思われてきた。そこでSF作家達は、ワープ航法だとか、宇宙に自然に存在するワームホールを利用するといった、様々な技術を考えだし、それを基礎に物語世界を築いてきた。本書は、その点で、まさに新機軸を開いている。

 この物語世界では、人類は、亜光速に伴う時間経過の遅延と、冷凍睡眠技術を頼りに、亜光速推進だけで、星間距離を超えて、銀河中に広がっているのである。確かにこれまでも、人類の宇宙進出の初期にはラム・スクープ・ジェットを利用した播種船を設定している物語は数多くあった。しかし、星間移民などの手段ではなく、星間交易や侵略の手段として、人類が亜光速船で恒星間宇宙を超えて行き来する、という設定の物語は、私の知る限り、これが最初である。

 ここでは、通信手段も含めて、超光速技術というものが徹底的に排除される形で物語り世界の技術的基礎が作り出されている。したがって、物語の進行は、必然的に、我々の日常的感覚からは隔絶した長時間にわたることとならざるを得ない。

 物語は、次のような言葉で始まる。「男の捜索は、百光年以上の空間の広がりと、八世紀以上の時間の流れの中でつづけられていた。」

 これほどの規模の捜索は、世代を超えて行われるという印象を与えるであろう。しかし、物語の進行に伴い、それが一つの世代によって行われており、捜されている男は、さらにこの膨大な時間をはるかに上回る長命を誇っていることが明らかになっていく。このような点からも、この作品の時間スケールの大きさが判ると思う。

 また、社会的基礎として、このような極端に遅い連絡手段で互いの星が結ばれているに過ぎないため、個々の星の文明は必然的に孤立性を強めて異形のものとなり、かなり短期間で栄枯盛衰を繰り返している、という設定が存在している。人類の一体性を辛うじて確保しているのは、チェンホーと呼ばれる宇宙行商人だけなのである。

 本書で取り扱われている物語は、基本的には、異星人とのファースト・コンタクト・テーマである。すなわち、銀河の果てのある星に文明があるらしいことを発見したチェンホーが船団を組織してそこに飛来すると、同時期に、他の人類の惑星国家もまた船団を組織してそこにやってくる。両船団の間に戦闘が行われ、いずれも恒星間航行装置を破壊される。そこで、眼下の惑星の異星人が、恒星間航行に必要な技術を開発するまでの間、冷凍睡眠を交替で行いながら軌道上で待つ、という、実に息の長い事件が展開されるのである。本書は、上下巻合わせて1300頁近い大作であるが、この膨大な時間の流れの中で描かれている以上、これもまた、必然と言うべきか。

 本書は、ヒューゴー賞、キャンベル記念賞のダブル・クラウンに輝いた傑作SF小説である。お楽しみ下さい。