『それでも警官は微笑う』

日明 恩著、講談社刊、1900

 この小説、実をいうとよく判らなかったが、判らないなりに面白く読めたので紹介する。判らない理由はかなり単純で、私が近頃さっぱりテレビドラマを見ないからである。おかげで、作品の中にあちこちにちりばめられている、多分笑いをとれると作者が想定して書いている塩崎警部補のせりふが、『翔んでる警視正』とか『新宿鮫』など小説のパロディである場合はともかく、「踊る大捜査線」などテレビドラマを下敷きにしている場合には、相棒の武本刑事同様に、何を意味しているのかさっぱり理解できなかったのである。

 それなのに、なぜこの本に手を伸ばしたかといえば、第25回メフィスト賞受賞作だからである。この賞は、かなり独断と偏見のある選考基準を採用しているから、直木賞のように受賞作ならどれでも誰でも楽しめることが期待できるというわけにはいかない。前に本欄で紹介した『六枚のとんかつ』のように、人によっては読んで吐き気を催しかねない作品も並んでいるのである。この受賞作を読むのは、怖いもの見たさで化け物屋敷にわざわざ入場する心理に似ているだろう。しかし、本書に関していえば、メフィスト賞としては出色の一般受け可能な作品といえる。

 もっとも、この一般受けする、という点はある意味では本書の誤読から来ていると思う。例えば、一般誌の書評などでは、本書は「新人離れした大型警察小説」などという評価が与えられているようである。それらの書評子は、パロディ性は表面的な会話部分にだけあって、作品の構造それ自体は本格小説と受け取ったのだろう。しかし、私は、本書は作品の構造それ自体も、通常の警察小説のパロディを意図したものと受け取っている。世の書評子が騙されてしまうのは、警察や厚生労働省麻薬捜査官に関する恐ろしく正確な記述に支えられた、重厚なストーリー展開の性であろう。

 パロディだと考えるから、気楽に作品の中味まで紹介すると、本書の中心となる設定は、中国がわが国を拳銃の輸出先にしたいと考え、わが国の拳銃に対する規制を緩和させるような圧力団体を育てようと、拳銃マニアに安い値段で極秘裏に拳銃を売りさばく、という話である。常識的に考えて、一般人が拳銃所持できるような世論を形成するために必要な販売数量は最低限でも2300万丁程度は必要なはずである。ところが本書では、それをたった一人の工作員が、買い手一人一人の背景を調べながら、細々と販売しているのだから笑ってしまう。あるいは、この工作が主人公達に知られたらしいと判ったら、中国政府は、大使館を通じて日本政府に圧力を掛ける一方で、いきなり工作員を抹殺しにかかる。これも、やるならどちらか一方で、同時並行で二つをやるわけがない。

 要するに、基本設定そのものが、世の警察小説のパロディを意図したものなのである。これをおよそミスマッチングとしかいいようのないでこぼこコンビが追いかけるのである。このように、本書は、作品全体が、警察小説のパロディと考えたほうが判りいい。だからこそ、メフィスト賞の対象となったのである。

 

 

『太陽の戦士』

ショーン・ウィリアムズ他著、ハヤカワ文庫SF 上下各720

 本書も、よく判らなかったが面白く読めた作品なので紹介する。本書の原題は「Prodigal Sun」という。聖書に出てくる放蕩息子Prodigal Sonを明らかにもじっている。それにしては、邦題、カバーや解説は完全に冒険小説の線でまとめていて、何かミスマッチである。そして、読み終えた今になってもその違和感は依然として残っている。内容そのものは、確かに本格的な冒険小説なのだが、左記に紹介した「警官」同様、何か本体をなす作品があって、それのパロディを読まされてるような感じがある。多分、アシモフの「ファウンデーション」シリーズを代表とするところの従来のSF冒険小説の本格的?パロディを意図したものなのだろうと考えている。

 本書の背景となっている世界は、人類が宇宙に進出してから50万年後の世界である。銀河はいくつかの星域国家に分かれて互いに対立抗争している。人類発祥の地がどこか判らなくて論争が展開されている、というファウンデーション・シリーズそのままの話も現れる。ファウンデーション・シリーズだと、人間型のロボットが人類の運命に干渉しようと大活躍するが、本書だとアタッシュ・ケースの形をして、女性情報将校モーガン中佐と会話可能なスーパー・コンピュータが活躍して、モーガンの運命を振り回す。このコンピュータは、凄腕のハッカーで、モーガンの手が触れさえすれば、それを経由してどこのコンピュータシステムにでも入り込んで自由にそれを操ることができる。あるいは、アン・マキャフリーの「歌う船」シリーズのパクリではないかと思える、戦艦に頭脳だけが組み込まれた人間なども出てくる。

 このあたりの設定は、そういうことでよく判る。判らないのは、本書の中心的設定であるProdigal Sun、すなわち邦題で「太陽の戦士」と呼ばれているケインと名乗る存在である。作品の最後近くでちらっと行われる説明だと、これは昔の文明が残したクローン生物で、単身で一つの星系全体を破壊しうるほどの超戦士なのだという。しかし、少なくとも本書の限りでは、あまり凄みのある存在ではない。何かの時にモーガンを救出してくれる正義の味方的な無個性の存在であるにすぎない。本書は3部作の第1作なので、今後の作品の発展を読めば判るのだろうが、この存在の設定が何を狙っているのか、今の段階では判らない。

 このように、全体としてはよく判らないながら、楽しんで読める作品であることは間違いない。スーパー・コンピュータのおかげで、本当ならあっさり死んでいるか、少なくとも敵の捕虜になっているはずのモーガンが、次から次へと冒険に巻き込まれ、時には味方のはずのケインに殴られて失神するというとんでもない経験を重ねつつ、なぜか物語の最後には、最新鋭の自家用戦艦?を手に入れ、一癖も二癖もある仲間達からリーダーとして盛り立てられて、銀河の冒険に旅立っていくのだから、かなりめちゃくちゃな冒険小説であることは判ると思う。おそらく、細かく読んでいけば、あちこち筋の通らないところも出てくると思うが、そういうことを気にせず、楽しめばよい作品である。